皇室の装い

皇室の装い
皇室の装い(上) 受け継がれる「皇后のティアラ」
2019.5.30 09:45
ご即位からまもなく1カ月。
天皇、皇后両陛下は6月9日には、26回目の結婚記念日も迎えられる。
即位をきっかけに皇后さまの華麗な装いにも、改めて注目が集まっている。
5月1日の即位の儀式で着けられたティアラ、
儀式ごとに変わったドレス、古式ゆかしい十二単(じゅうにひとえ)…。
世代を超えて大切に受け継ぐという尊い営みと、
装いに秘められた皇室のトリビアを今日と明日(31日)の2回にわけて紹介する。



華麗に、それでいて上品に。象徴的に皇后さまの威厳と品格をたたえるティアラ(宝冠)。
日本の皇室では、皇位継承とともに、その后(きさき)である皇后や皇太子妃に、
それぞれ伝統的なデザインが受け継がれてきている。

◆起源は130年前に
5月1日、宮中儀式に臨まれた皇后さまの頭上でひと際輝いていたのは、
歴代皇后に受け継がれる複数のティアラの中で、
「皇后の第一ティアラ」などと呼ばれる最も由緒あるティアラとされる。
皇室の歴史とファッションに詳しい大東文化大の青木淳子特任准教授によると、
このティアラの起源は約130年前に遡(さかのぼ)る。
明治19年、西洋化を進めることで近代化を目指す欧化政策の中で、
宮中における女子の正式な服装が洋装と定められた。
そのころ撮影された明治天皇の后、昭憲(しょうけん)皇太后のお写真のティアラと、
皇后さまが1日に身につけられていたティアラは「デザインが酷似している」(青木氏)という。
明治20年2月11日付の「東京日日新聞」は、このティアラについて、
「ドイツ、ベルリンの御用金工師レヲンハードおよびフイーゲルの二氏」に命じ、
「ブリリヤント形の金剛石(ダイヤモンド)六十個」を用いたことを報じた。
ティアラの頂点のダイヤモンドは取り外しができるとの記載もあった。

◆皇太子妃から皇嗣妃
同じ形状のティアラを、大正天皇の后である貞明(ていめい)皇后、昭和天皇の后である香淳(こうじゅん)皇后、
そして現在の上皇后さまが皇后時代に着用されている写真があり、
青木氏は「完全に同じものかどうかは分からないが、伝統のデザインが受け継がれていることは確か。
『皇后』という立場を象徴するティアラを上皇后さまから受け継がれた皇后さまのご心中には、
並々ならぬ決意があったのでは」と話す。
「皇后のティアラ」に対し、今回、秋篠宮妃紀子さまに受け継がれたとされるのが、「皇太子妃のティアラ」。
流麗な唐草のデザインは、上皇后さま、そして皇后さまがご成婚の際に身につけられていたものだ。
秋篠宮さまが皇位継承順1位の「皇嗣(こうし)」となられたことで、その妃である紀子さまに伝わったとみられる。

■女性皇族 成年式で新調 入札、コンペ方式も
歴代皇后に受け継がれるティアラは、天皇の三種の神器などと同様に
宮内庁が認定する「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」(由緒物)と位置づけられている。
一方、ほかの女性皇族方が成年式などで身につけられるティアラは、
同庁がほかの宝飾品とともに新調するケースが多い。
かつては特定業者の随意契約だったが、平成15年に三笠宮家の瑶子(ようこ)さまが成年になられるとき、
指名競争入札方式が導入された。
23年の秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまの成年式では「和光」と「ミキモト」が応札し、和光が落札。
デザインはメーカー側の提案をベースに、眞子さまのご希望も取り入れられたという。
妹の佳子さまのときは制作業者を広く公募し、コンペ方式で学識経験者らが審査。ミキモトが受注した。
受注額はいずれも3000万円程度だった。
ティアラは私物ではなく国有財産として供用され、女性皇族方が結婚で皇室を離れるまでお使いになる。
https://www.sankei.com/life/news/190530/lif1905300006-n1.html


皇室の装い(下) 伝統と個性映すドレス
2019.5.31 13:15
「ローブ・デコルテ」に「ローブ・モンタント」。皇室では儀式や行事に合わせて、
女性皇族方の着用されるドレスが変わる。それぞれどんな違いや特徴があるのだろう。

◆ティアラとともに
今月1日のご即位の日。天皇陛下が初めて国民の代表と面会し、
お言葉を述べられた「即位後朝見の儀」には、皇后さまや女性皇族方も参列された。
陛下が燕尾服に国内最高位の勲章「大勲位菊花章頸飾(だいくんいきっかしょうけいしょく)」
などをつけた正装で臨席されたのにあわせ、皇后さまや女性皇族方も、最も格式の高い正装で臨まれた。
こうした場でまとわれるのが、襟元のあいた袖の短いロングドレス「ローブ・デコルテ」だ。
宮内庁によると、ドレスの色は、陛下のホワイトタイに合わせ白か淡色とされ、
ティアラ、勲章、肘まで隠れる白く長い手袋も着用される。
毎年元旦に宮中で開かれる「新年祝賀の儀」や結婚の儀式、成年式などでも着られるが、
最高の格式とされる分、機会は少ない。

◆肌の露出が少なく
一方、陛下がモーニングコートを着用される際に、女性皇族方がお召しになるのが「ローブ・モンタント」だ。
「ローブ・デコルテ」との大きな違いは、長袖で肌の露出が少ないこと。
4月30日の上皇さまの「退位礼正殿の儀」では、上皇さまがモーニングコートで臨まれたため、
上皇后さまと皇后さま、女性皇族方も、首もとまで覆われ袖の長いローブ・モンタントをお召しになった。
新年の「歌会始の儀」や「一般参賀」など着用される機会も多く、
今月4日の一般参賀でも、色とりどりのドレス姿の女性皇族方が皇居・宮殿「長和殿」のベランダに並ばれた。
日中の儀式では、ローブ・モンタントに帽子を合わせられることが多い。
皇室の服装に詳しい大東文化大の青木淳子特任准教授は
「西洋では、正装では帽子を着用するという近代からの習慣があり、それを踏襲していると思われる。
上皇后さまは小さな帽子を好まれたが、皇后さまは頭を覆う形の帽子をよく使われる。
それぞれの個性を大切にされているように感じる」と話している。



■10月の儀式 十二単に注目
10月22日に皇居・宮殿で行われる「即位礼正殿の儀」では、
天皇、皇后両陛下はじめ皇族方が古装束を身につけられる。
外国元首らも招かれ、日本古来の正装が注目を集めそうだ。
天皇陛下のご装束は「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」。
天皇だけが身につけることができる装束で、宮中祭祀(さいし)でも着用されるものだ。
皇嗣(こうし)秋篠宮さまは、皇太子の装束といわれる「黄丹袍(おうにのほう)」を身につけられる見通し。
皇后さまや女性皇族方は十二単姿で臨まれる。正式には「五衣(いつつぎぬ)」
「唐衣(からぎぬ)」「裳(も)」などと呼ばれる装束だ。
一番上に羽織るのが唐衣で、皇后さまは白を基調にしたものをお召しになる見通し。
皇嗣妃として臨む秋篠宮妃紀子さまは新調されるが、他の女性皇族方は平成の際の紫色の唐衣を再利用される。
ご年齢により紫の濃淡には違いがあるそうだ。
長袴は既婚と未婚で異なる。秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまをはじめとする未婚の女性皇族方は濃い紫、
妃殿下方は緋色とよばれる赤いものをお召しになる。
https://www.sankei.com/life/news/190531/lif1905310024-n1.html

北京市の公務員が皇居周辺でドローン撮影

(2019年6月)
北京市の公務員が皇居周辺でドローン撮影
12日 10時45分
中国・北京市の男性公務員が先週、皇居周辺で禁止されているドローンを飛ばし、
迎賓館や東京駅などを撮影していたことがわかりました。
捜査関係者によりますと、今月7日の午前8時ごろ、皇居周辺を警戒していた機動隊員が、
地上からおよそ30メートルの高さにドローンが飛んでいるのを見つけました。
警視庁が近くでリモコンを操作していた男性からドローンの任意提出を受けて調べたところ、
東京駅を撮影した動画のほか、前日に撮影したとみられる港区の迎賓館の動画が記録されていたということです。
男性は、中国・北京市のシンクタンクに勤める50代の公務員で、
東京の地下鉄を視察するために来日していました。
皇居周辺や都市部の人口密集地などでは原則、ドローンの飛行が禁止されていますが、
男性は「個人的な趣味で撮影した」「ドローンを飛ばしてはいけないと知らなかった」と説明し、
すでに帰国したということです。
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3697578.html

判事が「反天皇制」活動

判事が「反天皇制」活動 集会参加、裁判所法抵触も
2019.3.13 05:00
名古屋家裁の男性判事(55)が昨年、「反天皇制」をうたう団体の集会に複数回参加し、
譲位や皇室行事に批判的な言動を繰り返していたことが12日、関係者への取材で分かった。
少なくとも10年前から反戦団体でも活動。一部メンバーには裁判官の身分を明かしていたとみられ、
裁判所法が禁じる「裁判官の積極的政治運動」に抵触する可能性がある。
昨年10月にはツイッターに不適切な投稿をしたとして東京高裁判事が懲戒処分を受けたばかり。
裁判官の表現の自由をめぐって議論を呼びそうだ。
関係者によると、判事は昨年7月、東京都内で行われた「反天皇制運動連絡会」(反天連、東京)などの
「なぜ元号はいらないのか?」と題した集会に参加。今年6月に愛知県尾張旭市で開催され、
新天皇、皇后両陛下が臨席される予定の全国植樹祭について
「代替わり後、地方での初めての大きな天皇イベントになる」とし、「批判的に考察していきたい」と語った。
昨年9月には反戦団体「不戦へのネットワーク」(不戦ネット、名古屋市)の会合で
「12月23日の天皇誕生日に討論集会を開催し、植樹祭を批判的に論じ、反対していきたい」と発言。
さらに「リオ五輪の際、現地の活動家は道を封鎖したり、ビルの上から油をまいたりしたようだ。
日本でそのようなことは現実的ではないが、東京五輪に対する反対運動を考えていきたい」とも語っていた。
判事は昨年2月と5月、不戦ネットの会報に「夏祭起太郎」のペンネームで寄稿し、
「天皇制要りません、迷惑です、いい加減にしてくださいという意思表示の一つ一つが天皇制を掘り崩し、
葬り去ることにつながる」「世襲の君主がいろいろな動きをする制度は、
やっぱり理不尽、不合理、弱い立場のものを圧迫する」と記していた。
判事は集会などで実名でスピーチしていたほか、
団体の一部メンバーには「裁判所に勤務している」と話していたという。
判事は平成5年に任官。名古屋家裁によると、現在は家事調停や審判事件を担当している。
判事は産経新聞の複数回にわたる取材に対し、何も答えなかった。
https://www.sankei.com/affairs/news/190313/afr1903130002-n1.html


昭和の日を「無責任の日」と批判 判事、過激派参加団体で活動も
2019.3.13 06:00
4月末の天皇陛下の譲位を前に、名古屋家裁の男性判事(55)が
「反天皇制」をうたう団体の集会に参加していたことが12日、明らかになった。
判事は平成21年以降、少なくとも3つの団体で活動。反皇室、反国家、反権力などを掲げ、
中には過激派活動家が参加する団体もあった。過去には自治体が当事者となる訴訟も担当しており、
法曹関係者からは「判決など判断の公平性、中立性に疑問が生じかねない」との指摘が出ている。
「人々から敬愛、理解、共感をかすめ取る天皇・皇族」「各地の『天皇要らない』の声とつながり、
大きな反天皇制のうねりをつくりだしていきたい」
「反天皇制運動連絡会」(反天連、東京)などが呼びかけた「代替わり」反対集会では、
皇室を批判する激しい発言が繰り返される。
判事は昨年、こうした反天連による別の集会に複数回にわたって参加し、
自らも「批判的に考察していきたい」などと発言していた。
関係者によると、判事は津地家裁四日市支部勤務だった21年、
広島県呉市で行われた反戦団体「ピースリンク広島・呉・岩国」(呉市)の集会に参加。実名でスピーチした。
その後、広島地家裁呉支部に異動し、同団体の活動に参加した。
名古屋家裁に異動すると、反戦団体「不戦へのネットワーク」(名古屋市)に参加。
会報に「夏祭起太郎」の名前で論考を寄稿した。
昨年2月4日付では「昭和の日」を「無責任の日」と書いたほか、
天皇、皇后両陛下が臨席される全国植樹祭について「天皇が一本の木を植えるために
数十億単位の公費を使って、たくさんの木を伐採し、『国土の緑を大切に』という
まったくもって不思議で呪術(じゅじゅつ)的なイベント」
「過剰警備や人権侵害など様々な問題をはらんでいる」などと批判した。
団体メンバーの一部には、夏祭起太郎のペンネームを使っていることを明かしていた。
判事は過去に自治体が当事者となる訴訟も複数担当していただけに、
法曹関係者は「裁判官が反権力の活動をしているのであれば、行政事件の訴訟では、
最初から反自治体の立場で判断するのではないかとの疑念が生じる。
裁判に公平、中立を求める国民の信頼を得られないのではないか」と疑問を投げかける。
産経新聞は今年2月、判事に複数回、直接取材を申し込んだが、いずれも無言で足早に立ち去った。
名古屋家裁には昨年11月に判事の政治運動疑惑を伝え、見解を質問した結果、
書面で「承知していない」「仮定の質問にはお答えできない」との回答があった。
今年2月に再度取材したが、家裁は判事に事情を聴くなどの調査をしたかについても明らかにせず、
「お答えすることはない」とした。

裁判官の身分、憲法で手厚く保障
裁判官の身分は「司法の独立」の観点から憲法で手厚く保障されている。
裁判官が不祥事を起こしても、懲戒処分は戒告か1万円以下の過料しかなく、
他の公務員のように停職や減俸といった処分はない。
懲戒処分は憲法で行政機関が行うことはできないと規定。地裁、家裁、簡裁裁判官の懲戒は、
裁判官分限法に基づき、管轄する高裁の分限裁判で決められる。
停職や減俸の処分がないのは、そもそも裁判官は「法の番人」として
不祥事を起こさないとの考えもあるためとされるが、現行制度は実情に合っていないとの指摘もある。
一方、罷免については、国会が設ける弾劾裁判所が判断する。国民から罷免すべきだとする請求を受け、
国会の裁判官訴追委員会が弾劾裁判を開く必要があると判断すれば、弾劾裁判所に訴追される。
今月4日には、裁判官訴追委員会が、ツイッターに不適切な投稿をして裁判当事者の感情を傷つけたとして、
昨年10月に最高裁から戒告処分を受けた東京高裁の岡口基一判事(53)から事情聴取している。
https://www.sankei.com/affairs/news/190313/afr1903130004-n1.html


公平・中立に裁けるのか 判事「反天皇制」活動
2019.3.13 05:01
「反天皇制」をうたう団体の集会に参加し、皇室行事などに批判的な言動を繰り返していたことが12日、
明らかになった名古屋家裁の男性判事(55)。
「裁判官の積極的政治運動」を禁じた裁判所法に反するか否かは、
裁判官の身分を名乗って活動していたかどうかがポイントになる。
裁判官も私生活では一市民である以上、表現の自由があるからだ。
平成10年、仙台地裁の判事補が、組織的犯罪対策3法案に反対する集会に身分を名乗って参加し、
「パネリストとして発言するつもりだったが、地裁所長から懲戒処分もあり得るとの警告を受けたので
発言を辞退する」と発言。この言動が積極的政治運動にあたるとして戒告処分を受けた。
この際、最高裁大法廷は積極的政治運動の禁止規定について「表現の自由を一定範囲で制約することになるが、
合理的でやむを得ない限度にとどまる限り憲法の許容するところ」とし、合憲との初判断を示した。
今回の判事の場合、集会などで裁判官を名乗って発言してはいなかった。
しかし、団体の一部メンバーには実名のほか、裁判所に勤務していることを明かしており、
団体内部で身分が広まっていた可能性もある。
裁判所関係者は「裁判官としてではなく、一個人として発言しているのであれば、
裁判所法の規定に抵触するかどうかは議論の余地がある」との見方を示す。
だが判事が行っていた活動は、天皇を「日本国民統合の象徴」と規定した憲法を否定する行為だ。
国の統治機構のあり方に反対を唱える裁判官が、国や自治体が当事者となる訴訟を公平、中立に裁けるのか。
「司法の独立」の観点から憲法で手厚く身分保障されている裁判官には、
国民の信頼に値する言動や品位が求められている。(大竹直樹)
https://www.sankei.com/affairs/news/190313/afr1903130005-n1.html


【主張】表現の自由と判事 職責による制約は当然だ
2019.3.18 05:00
表現の自由は、憲法が国民に保障している。ただし、無制限に認められたものではない。
憲法には「国民は、これを濫用(らんよう)してはならないのであつて、
常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」とあり一般の国民でさえ、
表現の自由にはその範囲に制限がある。
他者の尊厳をむやみに傷つける差別的言辞や、著しく品位を欠き公共の福祉に反する言動を保障するものではない。
その範囲も職責によって異なる。裁判官は裁判所法によって「積極的に政治運動をすること」を禁じられている。
裁判とは、対立する意見や主張に対して、中立的な裁判官が十分な審理を経て、
公正に判決や判断を下すものだ。政治的立場を明らかにしている裁判官に公平な判断を求めることはできない。
最高裁大法廷は平成10年、裁判所法の積極的政治運動の禁止規定について
「表現の自由を一定範囲で制約することになるが、合理的でやむを得ない限度にとどまる限り
憲法の許容するところ」と合憲の判断を示している。
名古屋家裁の男性判事は昨年、「反天皇制」をうたう団体の集会に複数回参加し、
譲位や皇室行事に批判的な言動を繰り返したとされる。反戦団体の会報にはペンネームで
「天皇制要りません、迷惑です、いい加減にしてくださいという意思表示の一つ一つが天皇制を掘り崩し、
葬り去ることにつながる」などとも記していた。
これは明確に積極的な政治運動であろう。
判事としての発言か、一個人としての発言かを問うことにも違和感がある。
個人として天皇制を否定する同じ人間が、判事として国や自治体が
当事者となる訴訟を中立的立場で裁くことができるのか。
一定の政治的主張を持つ団体が、恣意(しい)的に判事を選んで訴訟を起こすことも可能である。
昨年10月には、東京高裁の男性判事がツイッターに不適切な投稿をして
裁判当事者の感情を傷つけたとして、最高裁から戒告処分を受けた。
最高裁が懲戒理由に挙げた「品位を辱める行状」については、
「裁判官への国民の信頼を損ね、裁判の公正を疑わせる言動をいう」と説明した。
説明は、そのまま名古屋家裁判事に当てはまる。司法の信用に関わる問題である。
厳正な調査と処分が必要だ。
https://www.sankei.com/affairs/news/190318/afr1903180003-n1.html


「反天皇制」活動判事、最高裁が事情聴取 判事は事実関係を否定
2019.3.22 13:27
名古屋家裁の男性判事(55)が「反天皇制」をうたう団体の集会で
譲位や皇室行事に批判的な言動を繰り返していた問題で、
最高裁は22日、事実関係を調査していると明らかにした。
同日の衆院法務委員会で、最高裁の堀田真哉人事局長が串田誠一氏(維新)の質問にこたえた。
堀田局長は「裁判官の私生活上の自由や思想、表現の自由にも配慮しつつ慎重に調査している」と答弁。
判事から事情聴取したが、判事は事実関係を否定したため、
「服務規律違反の事実があったことは確認できていない」とした。
これに対し、串田氏は「積極的な政治活動に参加することは裁判官として適切でない。
(判事に事実関係を)否定されたからといってそのままにするのではなく、
厳正な審査、調査を続けてほしい」と求めた。
産経新聞の報道後、国会の裁判官訴追委員会(委員長・田村憲久衆院議員)の委員や
衆参両院の法務委の委員らからは判事の言動を疑問視し、
裁判所のガバナンス(組織統治)を問う声が上がっていた。
訴追委は、国民から罷免すべきだとする請求を受け、
弾劾裁判を開く必要があると判断すれば、弾劾裁判所に訴追する。
訴追委のメンバーは衆参各10人の国会議員。衆参各7人以上が出席し、3分の2が賛成すれば訴追する。
訴追委は今月4日、ツイッターに不適切な投稿をして裁判当事者の感情を傷つけたとして、
昨年10月に最高裁から戒告処分を受けた東京高裁の岡口基一判事(53)から事情聴取している。
関係者によると、名古屋家裁の判事は昨年7月、
東京都内で行われた「反天皇制運動連絡会」(東京)などの集会に参加。
今年6月に開催され、新天皇、皇后両陛下が臨席される予定の全国植樹祭について
「代替わり後、地方での初めての大きな天皇イベントになる」とし、「批判的に考察していきたい」と語った。
昨年2月と5月には、反戦団体「不戦へのネットワーク」の会報にペンネームで寄稿し、
「天皇制要りません、迷惑です、いい加減にしてくださいという意思表示の一つ一つが天皇制を掘り崩し、
葬り去ることにつながる」などと記した。
https://www.sankei.com/affairs/news/190322/afr1903220012-n1.html

大正元年 白洋舎 ボア事件

1912年に白洋舍が皇太后の襟巻を溶かした「ボア事件」時の神対応の真相
2017年3月20日 22時0分

街のクリーニング屋さんとして知られる白洋舍(はくようしゃ)=東京都大田区=。
国内のドライクリーニングの先駆けとして2017年で創業111周年を迎える老舗ですが、
創業6年目に一大事件を乗り越えています。

1912(大正元)年、明治天皇の妃だった昭憲皇太后から預かった白鳥の羽毛製の高級襟巻(ボア)を、
誤って溶かしてしまったのです。
この出来事について、2月3日にあるユーザーがTwitterに投稿したことから再び注目が集まりました。

当時の対応について、同社に確認しました。

通称「ボア事件」
くだんの一件は「ボア事件」として社内で語り継がれています。
創業者・五十嵐健治氏(以下、健治)が自伝「恩寵(おんちょう)の木漏れ日」で詳細を語っています。
明治天皇が崩御して4カ月ほどの11月のある朝。
お墓である伏見桃山陵(京都市)を昭憲皇太后がお訪ねになるのに合わせ、
宮内省から「白い襟巻を黒く染めてほしい」という電話が、
かねてからシーツなどの洗濯を請け負っていた健治宛にありました。

期限はわずか3日間。少しためらったものの、染色の勉強もしていたこと、
何より急ぎの要件だったため引き受けることにしました。
自宅に丁重に持ち帰った襟巻を前に「責任がなかなか重大である」と感じ、
なじみの染物店に作業を見守ってほしいと頼みます。
これが思わぬ事態を招きます。

どうして待ってくれなかった
翌日、健治は部下に品物を持たせて先に染物店に行かせ、自分は所用を済ませてから向かいました。
到着すると、なんと店の主人はすでに大釜で襟巻の煮染めを始めているではありませんか。
直感的に不安を覚えた健治は、棒を差し入れて襟巻の端をすくい上げます。

“……指先で羽毛をつまんで見ると、芯がなくっていて、たわいもなく切れてしまう。
よく見ると羽毛は全くとけてしまっていて、質を失っている。
ああたいへんなことになった。
(五十嵐健治自伝「恩寵の木漏れ日」より)

原因は、色づきを良くするための薬剤の間違い。
どうして私が来るまで待たなかったのか……
ため息を吐きつつ、溶けた襟巻をバケツに入れて帰宅しました。

“こんなことになるなら、人に頼まず自分でやればよかったと後悔するのみである。
その晩、まんじりともせずに、煩悶の中に夜を明かした。


「申し訳のために自決しよう」
考えた末、健治は「とにかく代わりとなる襟巻を探そう」と、日が昇りきらぬうちから街に出ます。
東京市内の洋服店や横浜の外国人居留地、はては神戸の商館に電話を掛けて羽毛の襟巻を探し続けました。
しかし、見つかったのは東京・新橋の洋品店にあった短い2本のみでした。

“納期はいよいよ明日に迫っている。
しかるに代品を得る見込みさえなくなった。
絶望とはかかる時のことをいうのであろう。

健治は悩みます。期日を守れなければ、皇太后陛下だけでなく、
自分を頼ってくれた宮内省の担当者にも迷惑を掛けると。

“じつのところ一時絶望して、神経衰弱に陥り、
申し訳のために自決しようとさえ思い迫ったほどであったが……(後略)


キリスト教徒だった健治は、夜通し神に祈ることで気持ちを落ち着かせました。

神に祈り続けて冷静に
浅い眠りから目覚めた納期当日。祈り続けたおかげか「頭脳が鎮まってはっきり」してきました。
前日に見つけた新橋の襟巻2本をつなげ、1本にできるのではないか。
過去にやったことがないアイデアでしたが、「やってやれまいことはあるまい」と早速購入。
一度、“より”をほどいた襟巻の先端を切り、それぞれの芯を麻糸でがっちりと縫い付けてより直します。
そして、期待を上回る立派な1本の長い襟巻を作り上げました。

労作を慎重に黒色に染め、夕方、みごと約束の時間に納入したのです。

“皇后官職へお納めしたところ、見事の出来栄えであると御褒めの御言葉を賜り、
御菓子さえ頂戴して、大いに面目を施した。

のちに宮内省の幹部に「染色異変の事情」を詫びたところ、
幹部はひどく気の毒に感じて皇太后との間を取り繕ったそうです。

真の責任は自分にある
健治は実際に作業を誤った染物店について、わざと名前を伏せて書き残しており、
強い自責の念がうかがえます。
「この事件の原因を究明してみると、真の責任は自分にある」と断言した上で、
染物店の主人との意思疎通が不十分だったこと、本当に重要な品はみずから運ぶべきだったと述懐しています。

この「昭憲皇太后ボア事件」の項目は、自戒の言葉で締められています。

“世の中の間違いというものは、ささいの不注意からおこるものである。
ことばの不明確と、軽率な行為は、時に思わぬ大失敗を招くものであるから、つつしまねばならない。

通信技術や物流網が進化した現代でも、そのまま通じる姿勢です。
ボア事件以降も、健治は関東大震災や東京大空襲、会社乗っ取り事件など
幾多の障害を乗り越え白洋舍を存続させます。
彼の波乱万丈の生涯は小説「夕あり朝あり」(三浦綾子作、新潮文庫)で追うことができます。
企業や役所が不祥事を起こすと、その度合いに関係なく徹底的に叩きのめす風潮が強い昨今。
健治の懸命な事後対応と宮内省のおおらかな姿勢には、学べる部分があります。

http://news.livedoor.com/article/detail/12825262/

2019年1月-3月雑誌記事

「皇太子妃を辞めたいと思ったことは一度もない」 雅子さま「新皇后」への覚悟
文藝春秋 2019年2月号 友納 尚子
今年5月に新皇后陛下となる雅子妃殿下。ご療養が16年になったことから、
果たして皇后として務められるのかという疑問の声もないわけではない。
だが、ご療養の中にあっても一進一退を繰り返されながら、
その時々でご自分にできることをしっかりと務められてきた。
2年前からはご体調が大きく上向かれ、公務先でもお出ましになる姿が多くみられるようになっている。
そして、今年は新年の一般参賀や新年の諸行事などを始め、7日には天皇皇后両陛下の御名代として、
皇居・宮中三殿の皇霊殿で崩御から30年の節目となる「昭和天皇三十年式年祭」に臨まれた。
雅子妃が宮中祭祀に臨まれたのは、平成28年4月の「神武天皇二千六百年式年祭」以来、3年ぶりのことだった。
年末から新年にかけて、皇室は1年で最も忙しい日々が続く。
さらに今年は改元ということもあり、雅子妃のお出ましも続いている。

16年にわたる闘病のなかで「妃殿下は、ご体調を整えられる努力をされて臨まれています」と東宮職が語るように、
お出ましになっているその裏では、病気と向き合われている姿があった。
 雅子妃が療養生活に入られたのは03年のこと。
あれから16年も……、と思う人もいるだろうが、適応障害を患っている人の中には、
同じような年月の中で苦しんだり、悩んでいたりする人もいる。
また、雅子妃の場合は、皇室の中でご病気になったが、
その同じ環境の中で治していかなければならないという難しさがある。
精神疾患には、患者の努力も必要だが、治療のサポート態勢も重要と言われる。
雅子妃の場合、皇太子と愛子内親王が献身的に支えてこられた。
また、雅子妃がご病気になる前から現在に至るまで、
陛下からもお守りいただいてきたことや皇族の方々にも支えられてきたことは言うまでもない。

辞めたいと思ったことは一度もない
雅子妃は、皇太子妃として務めたいというお気持ちを持ち続けてこられた。
もちろん、皇太子妃を辞めたいと思ったことは一度もないという。
療養前には、朝起きられない、体がだるいなどといったご自分の体調の変化から
病気ではないかと何度も訴えたというが、当時は主治医にさえ信用してもらえなかったため休むことはできなかった。
公務の予定はぎっしり詰まったままだった。その為、宮内庁職員と押し問答の末
「このままでは、皇太子妃を辞めなくてはなりませんね」と漏らされたというのが、歪んだ形で伝わった。
宮内庁幹部の中には、お世継ぎ問題で雅子妃が皇太子妃としての役割を理解されていないという
誤った認識が定着していたこともあり、精神疾患は気持ちの持ちようで治るものだと真剣に語る人は多かった。
そのため自覚を植え付けようと迫る動きもあり、雅子妃は孤立していった。
そうした環境の中で、雅子妃は、すっかり自信を無くされていたが、
04年に東宮職医師団が着任してからは、医師の指導の下で病と向き合い、治療に努めてこられた。
天皇が退位されると発表されてからは、皇后陛下おひとりの最後のお務めであった2018年5月の全国赤十字大会に
体調を整えてご出席されるなど、具体的な目標をクリアしてこられた。
ほとんど報道されることのない雅子妃の努力と即位への準備を、「文藝春秋」2月号に寄稿した。
そこには、ひとりの女性が病と向き合いながらも、国民と寄り添おうと決意された「新皇后」の姿がある。
http://bunshun.jp/articles/-/10374

眞子さまの母子手帳を国際会議に… 紀子さまも助けられた「母子手帳」が世界で共感される理由
2019.1.17 07:00
母子手帳には、親を励ます力がある。「日本発」の健康ツールは四十数カ国に広がり、
タイで開かれた国際会議には、紀子さまが眞子さまの母子手帳を持参。共感の輪が広がった。
*  *  *
「母子手帳は日本の多くの母親を助けてきました。私も、その一人です」
秋篠宮妃紀子さま(52)はそう英語で語りながら、小さな水色っぽい冊子を取り出した。
「ここに長女の母子手帳を持ってきました」
タイの首都バンコク。昨年12月中旬、3日間にわたり開かれた第11回母子手帳国際会議のオープニングでの一幕だ。
約30カ国から訪れた約400人の目が、恩賜財団母子愛育会総裁として
あいさつをする紀子さまの右手に釘付けになった。大きな拍手がわき起こった。
「母子手帳を見ると、子どもたちを育てていた日々を思い出します。私はいつも健診に母子手帳を持っていき、
それに医師や看護師が記入していました。家では、成長の記録を自分で記入しながら、
子どもたちの発達をたどることができました。母子手帳は私たちの家族にとって、とても大事なものです」
その場にいた日本人女性がしみじみ振り返る。
「妃殿下であると共に一人の母親なんだと感じられ、とても温かな気持ちになりました」
妊娠を市区町村に届け出ると交付される母子手帳(母子健康手帳)は、
赤ちゃんを迎える心構えが親に芽生える最初のツールだ。外観や一部の内容は自治体で異なるが、
基本的な中身は母子保健法の施行規則で定められ全国共通である。
妊娠中の日常生活の注意や乳幼児の発育曲線などが紹介され、子どもの体重、
身長、予防接種の記録、保護者の思いなどを書き込める。
1948年に現在の様式がスタートして以来、津々浦々に広がり日本では当たり前の存在だが、
母子手帳は「日本発」で世界へ広まった健康ツールでもある。妊産婦や乳児の死亡率改善に貢献した点も注目され、
国際協力機構(JICA)などを介して普及。現在はタイ、インドネシア、フィリピン、
ガーナ、アンゴラ、アフガニスタンなど四十数カ国で使われている。
98年から各国で定期的に国際会議を開いてきた国際母子手帳委員会の中村安秀代表(66)は、
医師としてインドネシアなどで母子手帳の普及に努めてきた。
「途上国では母子手帳を持つと母親の意識が変わる。健診にも関心を持ち、医師にも質問できるようになる。
母子手帳には、母親を励ます力があるんです」
委員会が掲げる近年の課題は「誰一人取り残さない」こと。
静岡県が作り、18年春から母子手帳とあわせて配っている低体重児向けの
「しずおかリトルベビーハンドブック」はその好例だ。
保育器の中の赤ちゃんに「初めて触った日」「初めて抱っこした日」などの記念日を書く項目、
「おもちゃを目で追う」「手どうしを握る」など発達や成長を見つける項目……。
ふつうの母子手帳だけではカバーしきれないきめ細かさだ。
タイでは同委員会事務局長の板東あけみさん(67)が紹介。「英語版はないのか」と質問攻めにあった。
板東さんは京都や静岡などの大学で母子手帳の授業を続けているが、
自分の母子手帳を見た学生たちは自らの誕生や成長への親の思いに触れ、心を揺さぶられるそうだ。
「母子手帳は最終的には子どものものなんです。
親や社会がいかに自分の命を守ってきたか、その歴史が語られている。
若い世代にとっては自身の存在を肯定するツールだし、自分たちが親になる時のテキストです」
(朝日新聞社会部皇室取材班)
※AERA 2019年1月21日号
https://dot.asahi.com/aera/2019011600016.html?page=1

“不合理”を嫌う雅子妃 新皇后に「宮中祭祀」のハードル
社会週刊新潮 2019年1月24日号掲載
1月7日、雅子妃が3年ぶりに宮中祭祀への出席を果たされた。
このお出ましは、世間の目にはご体調が上向きにあるように映った。
その一方で、宮内庁のさる幹部には、宮中祭祀が“新皇后”の前に立ちはだかる高い壁だと
再認識されるきっかけとなったという。
昭和天皇が崩御し、天皇陛下の即位から30年を迎えた1月7日。
八王子の武蔵野陵と皇居の宮中三殿で、「昭和天皇三十年式年祭の儀」が営まれたのだが、
「天皇皇后両陛下は武蔵野陵に参拝され、皇霊殿の儀には、両陛下のご名代で皇太子ご夫妻が臨まれました。
雅子さまの宮中祭祀は、実に3年ぶりです」
と、振り返るのは宮内庁担当記者。
「雅子さまが帯状疱疹で“長期療養生活”に入られたのは2003年12月。
その年9月の『秋季皇霊祭・秋季神殿祭』を最後に、
09年1月に営まれた『昭和天皇二十年式年祭』まで宮中祭祀に出られませんでした。
以降は、16年4月の『神武天皇二千六百年式年祭』まで7年の間が空き、今回のお出ましへと続きます」
療養後3年ぶり3回目の宮中祭祀を受け、宮内庁のさる幹部が打ち明ける。
「最近の雅子妃殿下は地方行啓や園遊会もこなされ、
元日は、陛下に三権の長などがお祝いを述べる『新年祝賀の儀』にも出られました。
この“復調”の裏であらためて懸念されているのが、宮中祭祀に対する妃殿下の胸の裡なのです」

菊の壁
それはいったい、どんな思いなのか。
「宮中祭祀には、豊穣を祈る祈年祭や新穀を供えて口にする新嘗(にいなめ)祭をはじめ、
今回のように先祖の霊に祈る祭典があります。
妃殿下は、古式にのっとり大垂髪(おおすべらかし)を結い重い装束を身にまとって臨まれるので、
肉体的な消耗がとても大きいのです」だがそれ以前に、「妃殿下は合理性を重んじる海外での生活が長く、
キャリアウーマンとして活躍してこられた方です。
必ずしも理屈では説明がつかない祭祀という分野について、
いまだに割り切れない思いをお持ちなのでは、と拝察されます」
ならば、なにが割り切れないのか。
「たとえば、宮中祭祀にともなう“潔斎(けっさい)”という所作。
儀式の前、全身を清めるために湯を浴びるのですが、着替えから女官の手によって行われます。
妃殿下はご自身の裸を他人に晒さねばなりません。
こうした“不合理さ”も、宮中祭祀を遠ざけてきた理由の一つと言われているのです」
これら、日本の皇室ならではの特殊な儀式は“菊の壁”とも言われるという。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏が語る。
「少なくとも推古天皇の時代から脈々と続いてきた祈りの儀式が宮中祭祀。
皇室の慣習であり伝統であり、アイデンティティーそのものです。
外交官を務められていた雅子さまが馴染むにはハードルが高いかもしれません。
主要な宮中祭祀は、年に30ほどあります。皇后になられた雅子さまが
これらをどこまでこなせるのでしょうか。ご病気が治ったわけでもないですし……」
行幸啓などのご公務や国事行為のみならず、宮中での祈りもまた、
両陛下の大切なおつとめであることは言うまでもない。
美智子さまと比べ、“雅子妃不在”が際立つ面もある。
しかし、なによりも、胸の裡が問題なのだという。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/01240558/?all=1

皇太子さまが再び立ち上がる日 雅子さま人格否定会見から15年
記事投稿日:2019/01/24 16:00 最終更新日:2019/01/24 16:00

《大君と母宮の愛でし御園生の白樺冴ゆる朝の光に》
1月16日、歌会始の儀で発表された雅子さまのお歌である。
天皇陛下と美智子さまが皇太子ご夫妻だったころ、
お住まいだった東宮御所の庭に育てられた白樺が題材となっている。
両陛下への感謝がこめられたお歌だったが、
歌会始の儀が催された皇居宮殿「松の間」に雅子さまの姿はなかった。
「両陛下が出席されてお歌を披露される歌会始は今回が最後です。
’04年以降欠席されている雅子さまは、今年こそは出席したいという思いも強かったはずですが、
7日に出席された昭和天皇三十年式年祭の翌日から体調を崩されてしまったのです」(宮内庁関係者)
その後も発熱が続き、11日の講書始の儀、そして歌会始の儀も出席を控えられた。
雅子さまにとっては悲痛な新年となってしまった。
しかし、お代替わり後、新皇后の雅子さまを待ち受ける儀式やご公務の“試練”はさらに重い。
5月から11月まで即位関連行事が半年以上にわたって続く。
また、両陛下から引き継がれる重要なご公務も目白押しなのだ。
「さらに安倍政権は、5~6月中に来日するトランプ米大統領と新天皇皇后両陛下の会見を計画しています。
これほどの“過密日程”では、雅子さまがすべてのご公務に出席されるのは
不可能に近いでしょう」(皇室担当記者)
精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。
「雅子さまは適応障害で長期ご静養に入られて15年です。現在はかなり回復されていますが、
ご病気になられる前の状態に戻られたとは言えません。
雅子さまは新皇后になられてから役割を全うするために努力されると思います。
しかし重圧も大きく、お疲れがたまります。いつ調子を崩されてもおかしくはないのです」
雅子さまが適応障害と診断されて長期ご療養に入られたのは、’03年12月のこと。
その半年後、皇太子さまが行動を起こされたことがある。
雅子さまのお出ましが完全に途絶え、国民から心配の声が上がるなか、
翌年5月の会見でこのように発言されたのだ。

《雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です》
“お世継ぎ”となる男子を産めなかったのに、海外訪問ばかりを望み、公務を休み続けている――。
そうしたバッシングに心を痛めていた雅子さまを守るためになさった“人格否定発言”だった。
しかし、このご発言は国民に衝撃を与えたばかりか、両陛下も困惑を示されることになった。
秋篠宮さまは《せめて陛下と内容について話をして、
そのうえでの話であるべきではなかったか》と皇太子さまに苦言を呈された。
それから皇太子さまは論争を呼ぶような発言は控えられるようになり、
雅子さまのご体調は「東宮職医師団」が毎年1回、文書で発表するだけになった。
「宮内庁はこの15年間、体調には波がおありだと繰り返し発表しましたが、
もう少し具体的な説明があってもよかったでしょう。
雅子さまには、ご自身が国民の前でご症状について語られるには、少なからず恐怖があったはずです。
一度でいいので、皇太子さまが国民の前でその説明をなさってもいいと思います」(香山さん)
2月23日に59歳の誕生日を迎えられる皇太子さまは、例年のように会見に臨まれる。
お代替わり前の会見は、この1回きりだ。
“最後のチャンス”に、皇太子さまが再び立ち上がるのではと語るのは皇室ジャーナリスト。
「現在は毎月、天皇陛下、秋篠宮さまとの“三者会談”が開かれています。お代替わりに向けた話し合いのなかで、
皇太子さまは雅子さまのご体調についてもしっかり説明なさっていると思われます。
今回は15年前とは異なり、お二方からの後押しもあるでしょうから、
きっと雅子さまの不安を取り除く結果になるはずです」
https://jisin.jp/domestic/1704403/

何の意味もなさなかった「小室圭さん」釈明 存在増す“次代の皇嗣家”秋篠宮家の重み
週刊新潮 2019年1月31日号掲載
その文書は、秋篠宮さまの出された“課題”にお応えする声明かと思われたのだが、あに図らんや、
〈いつも温かいご厚情を賜り、御礼を申し上げます〉との不可解な出だしで始まっていた――。
1月22日、小室圭さん(27)は秋篠宮家の長女・眞子さま(27)との「結婚問題」について、
こんな「釈明コメント」をメディアに発表した。念のため経緯をおさらいしておくと、
一昨年末、母・佳代さんとかつての婚約者との間に、約430万円の金銭トラブルが存在することが発覚。
この資金は小室さんの入学金や留学費用、母子の生活費などに充てられ、
返済を求める男性に、小室母子は揃って「贈与だった」と主張。
双方の溝は埋まらないまま時は流れ、これが原因で昨年2月、
二人の結婚に関する行事は「2年後に延期」と発表されるに至ったのである。
この件はコメントでは、
〈(元婚約者から婚約解消の申し入れがあり)その際に母が婚約期間中に受けた支援については
清算させていただきたいとお伝えしたところ、
元婚約者の方から「返してもらうつもりはなかった」という明確なご説明がありました。
支援や慰謝料の点を含めて金銭的な問題はすべて解決済みであることを二人は確認したのです〉
〈多くの報道において借金トラブルが残っているとされていますが、
このような経緯ですから母も私も元婚約者の方からの支援については
解決済みの事柄であると理解してまいりました〉
〈今後は元婚約者の方からご理解を得ることができるよう努めたい〉
そう記されていたのだった。

意味をなさない“回答”
が、「これでは、秋篠宮さまの出された“課題”への回答にはなっていません」とは、宮内庁担当記者。
昨年11月30日のお誕生日に先立って行われた会見で秋篠宮さまが、
〈(小室さん側が)それ相応の対応をするべきだと思います。
(そうでなければ)婚約にあたる納采の儀は行えません〉
そうした強い言葉で“最後通牒”を突き付けておられたのは、記憶に新しい。
「そもそもトラブル発覚直後から、小室さんと佳代さんは秋篠宮家との話し合いを続けており、
そこで秋篠宮さまは『経済的な安定を得るべく転職も含めて進路を示す』
『金銭トラブルを何らかの形で解決する』という、二つの課題を示されました。
ですが、その後の進展はまるでなく、しびれを切らしたように
会見の場で“ダメ出し”をなさった格好となったのです」(同)
年が明けてもなお、小室家側が引き続き“ゼロ回答”を継続中であることは週刊新潮1月24日号でも報じた通りだ。
「秋篠宮さまが求めておられるのは、国民が納得する説明とともに、
トラブルの相手方と話し合って円満に解決する方策です。
あらためて『贈与だった』『解決済み』といった“回答”をされても、何の意味もなさないのです」(同)
そうした“3年越しの難題”に苛まれ続ける秋篠宮家は、一方で次代の「皇嗣家」として存在感がいや増すばかり。
御所の事情に通じるさる人物によれば、「皇后さまは最近『歴史上“皇嗣家”が作られるというのは初めてのことです。
私ももちろん、秋篠宮や紀子にとっても、これは同じです』と、あらためて周囲に漏らされています」

美智子さまは〈従来の東宮家以上に…〉
これは、次代を担われる皇太子さまご一家に引けを取らないほど、
今後の秋篠宮家の置かれるお立場が重くなるというご趣旨だというのだが、
この人物によれば、皇后さまは続けて次のように仰っていたという。
〈皇嗣家の中には、皇位継承権を持つ男性皇族が2人いることになります。
皇室全体で支えるという意味においては、従来の東宮家以上に大切ですし、
一方で、皇位を継いでいく者としての立場も出てきます〉
〈東宮家では、雅子もまだ万全ではありません。手を差し伸べればもちろん応答はありますが、
本当にお仕事が全てできる状況には至っていない。
そうした中で、次代の両家にはどう接していけばいいのか、考えてしまう時があるのです〉――。
現行の皇室典範では、将来の皇統は秋篠宮家の悠仁さまを起点とし、連綿と続いていくことになる。
そうした点に鑑みれば、皇嗣家がいっそう重みをまとっていくのは自明の理である。
特集「宮内庁が腰を抜かす 『小室圭さん』ご母堂の『天皇陛下』謁見要求」より
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/01300800/?all=1&page=1

雅子さま 会見またも実現せず…懸念される“新皇后の重圧”
記事投稿日:2019/03/01 16:00 最終更新日:2019/03/01 16:00
2月23日、皇太子さまは59歳の誕生日を迎えられた。
会見のなかで記者からは、新皇后となられる雅子さまについて
「どういった内容でご公務、ご活動をされていってほしいとお考えでしょうか」と質問があった。
しかし皇太子さまは、《今具体的にどういうものかということは、
お答えできないのですけれども》と、明確な言及を避けられた。
2月25、26日には天皇陛下のご即位30年を祝う茶会が開催されたが、雅子さまは欠席された。
精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。
「いよいよ皇太子さまのご即位が近づき、雅子さまにとって『皇后』という言葉は
大きなプレッシャーとなっているのかもしれません。
一般の方ならば、適応障害であったとしてもリワーク(慣らし出勤)という形で段階的に仕事復帰ができます。
しかし皇后になられる雅子さまは、一夜にしてお立場が変わってしまいます。
皇太子さまはご即位後に、国際的に活躍される皇后・雅子さまを実現するためにも、
今は雅子さまのプレッシャーになるようなご言動は避けられていると思います」
今回は皇太子さまにとって、平成最後の会見だった。
「宮内記者会は再三にわたり『雅子さまのご同席』を要望したのですが、実現しませんでした。
雅子さまの記者会見は、ご病気になられて以来15年間、一度も行われていません。
昨年6月の皇太子ご夫妻の銀婚式や、12月の雅子さまの誕生日にも会見を要請しましたが、
宮内庁は聞き入れませんでした。お代替わりまで雅子さまの会見は
“お預け”となってしまいました」(皇室担当記者)
さらに前出の皇室担当記者は、愛子さまの近況を心配する。
「この4月から学習院女子高等科の3年生になられる愛子さまですが、最近は学校をお休みがちなのです。
愛子さまの体調不良も、雅子さまにとって不安要素になっているはずです」
お代替わりとなる5月には、さっそくいくつもの重責が雅子さまを待っている。
「宮内庁は、皇太子さまのご即位から数日以内に一般参賀を開催することを検討しています。
新天皇皇后両陛下が国民の前に姿を見せられる初めての機会となるため、
雅子さまが欠席されるわけにはいきません」(前出・皇室担当記者)
2月22日午後には、安倍首相が東宮御所を訪問。
お代替わりのスケジュールとともに国内外の情勢について報告したという。
「首相が皇太子さまに直接説明するのは極めて異例です。
安倍首相は5月26~28日の日程で調整が進んでいるトランプ米大統領の訪日についても報告したはずです。
新天皇皇后にとっては外国首脳との初会談。しかも国賓待遇ですので宮中晩餐会も催されることになります。
その様子は世界中に報道されるでしょうから、新天皇皇后の国際的な“お披露目”になるでしょう。
雅子さまの語学力や外交的な知見が大統領相手にいかんなく発揮されれば、
今後の『新しいご公務』への道も一気に拓けるかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)
新皇后となられるまであと2カ月。
雅子さまは皇太子さまとともに、この重圧をはねのけることもできるはずだ――。
https://jisin.jp/domestic/1716043/

雅子さま、お代替わり早々トランプ大統領と懇談へ!悲願の「国際親善」へ飛躍する日
週刊女性2019年3月19日号
2019/3/6
「2月24日、東京都内で天皇陛下の在位30年を祝う記念式典が開かれました。
当日は、午前中に皇太子ご夫妻などの皇族方が即位30年の祝賀をお伝えに皇居へ。
午後7時ごろからは、お祝いのための夕食会に、黒田清子さんご夫妻らを含めたご家族らが参加されました」
そう話すのは、ある皇室担当記者。記念式典では、こんな“ハプニング”も。
「式典内では、陛下が声を震わせながら、30年の歩みを振り返り、
国民への感謝の思いを約8分半にわたってスピーチされました。
そのさなか、陛下は読む原稿を1枚分飛ばしてしまう場面がありましたが、
皇后さまがすぐさま近づかれ正しい順番をお伝えして事なきを得たのです」(同・皇室担当記者)
ご高齢の陛下を常にお支えになっている美智子さまの“ファインプレー”に、
皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさんは、次のような感想を抱いたという。
「テレビ中継された式典内で、天皇陛下がおことばを読み違えた際に、すかさず、
そして優しく美智子さまがフォローされたお姿には、涙が出るほど感動しました。
マイクから漏れ聞こえたおふたりのやりとりは、夫婦として“阿吽(あうん)の呼吸”だったので、
本当に仲がよろしいのだと感じましたね。
天皇陛下は、美智子さまに対して感謝の気持ちがあふれているからこそ、
おことばの中で美智子さまの和歌も紹介されたのだと思います」
渡邉さんがそう話すように、陛下はおことばの中で、美智子さまが以前、詠まれた和歌を紹介されたのだ。

《ともどもに平(たひ)らけき代(よ)を築かむと諸人(もろひと)のことば国うちに充(み)つ》

この和歌について、皇室の新年行事『歌会始』で選者を務めている、京都産業大学の永田和宏教授に話を聞いた。
「天皇陛下が式典で紹介された皇后陛下の和歌は、おふたりが新しい時代を引き継いだときに
“安らかで平和な時代を築いていきたい”という決意の思いがありつつ、
それに呼応した国民の声が国内に満ちあふれているという喜びが表現されています。
それが、たのもしくも感じられるし、そういった時代になってほしいという期待も込められた
前向きな歌だと思います。
昨年12月のお誕生日の際のおことばでも、陛下は声を詰まらせながら皇后さまのことを語っておられました。
皇后陛下のことを、とても信頼されていて“同志”だと思っておられるのではないでしょうか」
そんな感動的な式典の翌日と翌々日の2日間で、合わせて3回、
式典のお礼として『宮中茶会』が催され、各界の功労者などが招待された。
しかし、次の皇后である雅子さまは、1度も姿をお見せになることはなかった─。
「25日は安倍晋三首相ら三権の長や国会議員、26日には元フィギュアスケート選手の浅田真央さんや、
ノーベル生理学・医学賞を受賞した大隈良典(おおすみ よりのり)さんなどが出席しました。
茶会には、両陛下や皇太子さま、秋篠宮ご夫妻などの宮家の方々も参加されていたのですが、
ご病気の影響なのか、雅子さまのお姿はありませんでしたね」(宮内庁関係者)
'04年から『適応障害』の療養中である雅子さま。お代替わりまで、2か月を切る中で、周囲からは心配の声も。
「2月8日の『青少年読書感想文全国コンクール表彰式』以降、公務にお出ましになっておられませんでした。
実は、皇太子ご夫妻の長女である愛子さまも、2月初旬から腹痛などの症状を理由に学校を休まれがちだったのです。
愛子さまへの不安が、お仕事に影響していなければいいのですが……」(東宮職関係者)
ある皇室ジャーナリストは、そんな不安の声を吹き飛ばすようにこう語る。
「2月23日は皇太子さまの59歳のお誕生日でした。
この日は、両陛下や秋篠宮ご夫妻などを招いた夕食会が東宮御所で開かれ、
そのホスト役は雅子さまが務めるのが慣例になっています。
当日、雅子さまは料理やお飲み物など細かい気配りをされなければなりませんし、
両陛下がいらっしゃるプレッシャーも当然あるでしょう。
さらに、翌日の記念式典にまつわる行事には参加される予定だったので、
療養中の雅子さまはご体調を考慮して茶会を欠席されたのだと思います」
前出の渡邉さんは、茶会のご欠席は“美智子さまのご配慮”があったのではと話す。
「重要な行事が連続した関係で、雅子さまは茶会を欠席されたのだと思いますよ。
茶会には、1回につき約500人の招待者がいましたが、その中で注目される皇族方はとてもお疲れになるでしょう。
いちばん大切な行事であるお代替わりまで2か月を切っていますし、
療養中の雅子さまには大事をとっていただくように、美智子さまや皇太子さまが配慮されたのかもしれませんね」
あくまで、お代替わりを見据えたうえでのご欠席だったようだ。
一方で、前出の宮内庁関係者は、お代替わりのあと、雅子さまが意欲を燃やされている“挑戦”があると話す。
「海外経験が豊富で、独身時代は外務省にお勤めになっていたこともあり“皇室外交”に挑戦されると思います。
今年は即位関連の儀式が続き、両陛下から公務を引き継がれるので外遊は難しいですが、
来年以降は海外訪問の機会が増えていくでしょう。
今年でいうと、5月にアメリカのトランプ大統領が国賓として訪日する予定です。
さらに中国の要人も、6月に大阪で開かれる国際会議『G20サミット』に合わせて、
新たな両陛下と接見する可能性があるそうです」
まずは日本国内での外交をこなされつつ、いずれは海外訪問に挑戦しながら“飛躍”されていくのだろう。
「もともと、雅子さまは国際親善を志していたこともあり、皇后になられてからは海外訪問など、
国際的な活動に取り組まれると思います。ご本人が希望されているジャンルの取り組みができることで、
ご病気もよい方向に進む可能性があるでしょう」(渡邉さん)
“皇室外交”を通じて「新皇后」の活躍を見られる日が待ち遠しい─。
https://www.jprime.jp/articles/-/14643

ご療養16年の雅子妃殿下 お気持ちを整える「工夫と努力」
2019.03.07 07:00
雅子妃殿下のご体調は、近年、劇的に回復している。
背景には着実に準備されてきたご努力と、皇后になられることへのご覚悟があるという。
ジャーナリスト・友納尚子氏がレポートする。
* * *
5月に皇后陛下になられる雅子妃殿下。ご療養が16年に及び、現在も続いていることから、
果たして皇后として務められるのか、という疑問の声がないわけではない。
しかし、そんな心ない言葉を払拭するように、雅子妃のご回復は3年前から大きく上向かれている。
2016年夏に天皇陛下の生前退位のご意向が発表されてから、
美智子皇后陛下の最後のお務めにどうしてもご一緒したいと雅子妃は願っていたと聞く。
その思いが、ご回復を促したのだろう。
昨年5月の日本赤十字社の全国大会もその一つで、名誉総裁を務められている皇后の最後のご臨席だった。
雅子妃は実に15年ぶりにご出席されたのだった。そして、一つのドラマが見られた。
皇后が式典の最後に挨拶を終えられると、後ろで待機されていた雅子妃に向かって声をかけられた。
はにかみながら笑顔で応えた雅子妃は前に出て、次期名誉総裁となる紹介を受けられた。
会場は、割れんばかりの拍手で溢れていた。
雅子妃にとって、両陛下の存在は大きい。昨年12月の55歳の誕生日に際して発表された文書には、
両陛下への思いが記されていた。
〈26年近く前に皇太子殿下との結婚が決まりました時から、天皇皇后両陛下には、私を温かく迎え入れて下さり、
今日まで変わることなく、広いお心でお導き、お見守り下さいましたことに、心から感謝申し上げております。
(中略)両陛下が、大きな責任を担われながら、どれ程深く国民の幸せや国の安寧を願われ、
お力を尽くしていらっしゃったかということを改めて思い、敬意と感謝の気持ちで一杯になります〉
同文書では今後についても言及されており、そこには強い決意が感じられた。
〈これまで両陛下のなさりようをお側で拝見させていただくことができました幸せを心の糧としながら、
これからも両陛下のお導きを仰ぎつつ、少しでも皇太子殿下のお力になれますよう、
そして国民の幸せのために力を尽くしていくことができますよう、
研鑽を積みながら努めてまいりたいと思っております〉
その思いを胸に雅子妃のお出ましは増えていき、マスコミ対応にも大きな変化が現れるようになった。
「ご療養に入られてから何年かは、撮影が禁止されることもありましたが、昨年夏のご静養先の須崎では、
御用邸に隣接する三井浜を皇太子ご一家が歩いて記者団の質問に答えられたのです。
また、プライベートな空間である、御用邸敷地内を散策されるご様子の取材許可も下りました。
これは初めてのことでした」(宮内記者)
昨年11月に、雅子妃は15年ぶりに秋の園遊会の全行程に皇太子殿下とご一緒にご出席された。
両陛下が主催する最後の園遊会であった。今年の春の園遊会は行われないため、
次の園遊会は新天皇、新皇后の主催となる。雅子妃は約1800人もの招待客と2時間近く過ごされた。
園遊会後の雅子妃のご様子について、小田野展丈東宮大夫は会見で、
「私が見るところ、随分とお疲れになっていたと思います。
ただ、その後に全国育樹祭という大事な行事があったので、そこに向けての工夫と努力をされた」
と述べた。適応障害という精神疾患は、緊張を伴うと極度に疲れやすいと言われる。
健康な人の疲れとは違って、何日も抜けないことや寝込むほど辛い時があるという。
雅子妃の場合、近年は寝込むことはなくなってきたと言われていたが、
昨年の東宮職医師団の見解の中に「大きい行事の後や行事が続かれた場合には、
お疲れがしばらくお残りになりご体調が優れないこともおありになります」とあるように、
いまだ体調の波はあるそうだ。
国民の前に笑顔でお出ましになる姿からは想像がつかないかもしれないが、
裏ではご病気と向き合われ、お気持ちを整える「工夫と努力」の日々が続いている。
「大きい行事が控えているときは、前の公務のご予定を詰め過ぎないようになさったり、
時間をかけてお気持ちを整えたりされている。
それは、皇太子妃としてのお務めを果たされたいという強い思いからではないでしょうか」(東宮関係者)
●とものう・なおこ/1961年生まれ。新聞、雑誌記者を経て2004年に独立、
フリージャーナリストに。著書に『ザ・プリンセス 雅子妃物語』(文藝春秋)などがある。
※SAPIO2019年4月号
https://www.news-postseven.com/archives/20190307_872944.html?PAGE=1

天皇陛下在位30年式典 嘲笑疑惑と大量欠席、議員の問題行動
2019.03.07 16:00
「平成最多」の15万4800人が訪れた新年一般参賀が記憶に新しい中、
宮内庁は、皇太子さまのご即位を祝う一般参賀を、5月4日に皇居・宮殿で行うと発表した。
その参賀は、皇太子さまが新天皇として公式行事で一般国民の前にお出ましになる初めての機会となる見通しだ。
と同時に4月30日に譲位される天皇陛下と美智子さまは、参賀に参加されないことも決まった。
2月24日、政府主催で行われた天皇陛下御在位30年記念式典は、退位儀式中をのぞいて、
陛下が国民に直接おことばを述べられる最後の機会となった。
会場の国立劇場(東京・千代田区)には、安倍晋三首相(64才)ら三権の長や各国大使、
国会議員ら約1160人が臨席した。式典で陛下がおことばを述べられた時には、
陛下と美智子さまおふたりのご関係を表すハプニングがあった。
「おことばを述べられ始めて約5分半が過ぎた時、陛下はおことばの書かれた原稿の3枚目を読み進められるはずが、
誤って1枚目を手に取り、読み始めました。しかし、隣で見守られていた美智子さまが即座に陛下に近づかれ、
本来読むべき3枚目の原稿を手渡されました。取り違えに気づかれた陛下は、再びおことばを読み進めました。
おことばの内容が全部頭に入っていたからこそできた美智子さまの絶妙なフォローで、
天皇皇后として過ごしてきたおふたりの絆が感じ取れる、感動的なシーンでした」(宮内庁関係者)
だが、その感動に水を差す行為があったという。
「陛下がおことばを読み違えられた時に、会場1階の中央後方席あたりから
『ははは』という男性の笑い声が聞こえたんです。そこは式典に出席した国会議員らが座っていた席。
もしそれが読み違いへの嘲笑だったのであれば、大変な不敬行為ではないでしょうか」(出席者の1人)
今回の式典には多くの国会議員が出席していたが、この嘲笑疑惑以外にも問題行動が指摘されているという。
「式典には、約700人の全国会議員が招待されました。しかし、その内の約350人が欠席したそうです。
現在、国会会期中で議員は都内に集まっています。都内で行われた式典には出席しやすいはずですが、
なぜこんなにも多くの議員が不参加だったのかと、疑問の声が上がったそうです」(政府関係者)
ある議員の秘書は、こう説明する。
「式典が日曜だったため、地元に戻っている議員もいました。
しかし、中には式典参加に関して服装などの厳しいルールに従えない、という理由で
“ボイコット”した人もいたと聞きました。
昨年11月に超党派で設立した『天皇陛下御即位三十年奉祝国会議員連盟』に加盟した議員らが、
“欠席があまりに多すぎる”と憤慨しているらしいです」
最近の政治家は不誠実なだけでなく不敬でもあるのか。
※女性セブン2019年3月21日号
https://www.news-postseven.com/archives/20190307_881026.html

「雅子妃」宮中茶会欠席だけではなかった“新皇后”の不安材料
週刊新潮 2019年3月14日号掲載
御代替わりまで2カ月。そんな時期に雅子妃が宮中茶会を欠席されたのだから、
ご体調を心配する声が上がったのも無理はない。
だが実は、このご欠席のほかにも宮内庁関係者が不安視する出来事があった。
天皇皇后両陛下が主催された茶会が皇居の豊明殿で行われたのは、2月25日と26日に計3回。
1200人ほどの各界の代表が招かれて皇族方と懇談したのだが、
そこに、「次期皇后陛下」の姿はなかった。宮内庁担当記者が振り返る。
「ご欠席は、事前に東宮大夫から知らされてはいたんです。“連日行事が立て込んでいることと、
大勢の人がいる場所なので難しい”との説明でした。行事というのはまず、2月23日皇太子さまの誕生日。
雅子さまは夕食会のメニュー決めから人の配置までを仕切らねばなりません。
翌24日に政府主催の陛下在位30年記念式典。
そのお疲れを考慮して25、26日の茶会は休まれるというわけです」
その“公式見解”をめぐり、ある皇室ジャーナリストはこんな見方をしている。
「今回の茶会は、両陛下が過ごされた30年に対するお気持ちが深く込められた、重要なものでした。
両陛下の主催もこれで最後ですから、雅子妃もお出になりたかったのでは。
それでも欠席されたのは、やはりご病気の具合がよくないのかと思ってしまいます」
雅子妃の宮中茶会ご欠席には、次のような一面もある。宮内庁担当記者の話。
「雅子さまはもともと、晩餐会などでもメインの着席は参加されるものの、
お酒やコーヒーを飲みつつ歓談する立食のアフターディナーは避けられてきました。
大勢の方と話すことになる立食式が苦手のようです。
しかし一部の宮内庁関係者には“今回の茶会にお出になっていれば、
饗宴の儀のいい予行演習になったのに”と残念がる意見があるんです」
この饗宴の儀とは、即位後の“お披露目”のこと。皇室ジャーナリストの山下晋司氏によると、
「雅子妃殿下が最初にお出ましになる即位の礼は、5月1日の即位後朝見の儀。
これは総理や閣僚など国民の代表にお会いになる儀式であり、短時間で終わります。
大変なのは、10月下旬の饗宴の儀。国内外の賓客を招いて開く祝宴です。
4日間行われるうえに大勢の方と宴席をともにすることになります。
饗宴の儀は即位礼正殿の儀と同様に国事行為ですから、ぜひ、お出ましいただきたいです」
それが叶うかどうかは、「ご病気がどれだけ快復するかに尽きますが……」とは、ある宮内庁関係者。
この関係者には、拭い去れない不安材料がある。
「報道されていませんが、宮中茶会翌日の2月27日、
皇太子殿下はお一人で青年海外協力隊と接見されています。
実はこの27日は雅子妃殿下もご接見の予定だったのです。
青年海外協力隊については今上天皇が皇太子時代から重きを置いてきましたので、
その思いを継ぎ、できるだけ両殿下で接見されてきました。
しかし雅子妃殿下のご体調が整わず……。風邪などではありません。お疲れでしょう」
大事をとって茶会を欠席した流れで、なんとなく休んだということか。「新皇后」への心配の種は尽きない。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/03160557/?all=1

陛下が感激された、黒田清子さんの祭主姿
記事投稿日:2019/03/18 11:00 最終更新日:2019/03/18 11:00
(略)
1700年の美を受け継ぐ登美子さんは、伊勢神宮の神事にも関わる。
現在は、天皇陛下の長女であり、祭主を務める黒田清子さんの結髪と着付けを担っている。
祭主とは、神への天皇の勅使であり、2月の祈年祭、6月と12月の月次祭、
10月の神嘗祭という大きな祭典を主宰する神職である。
「ご祭主様は大変ですよ。式典は真夜中に行い、睡眠時間は3時間ほど。
それを3日間、外宮と内宮をまわられるわけですから。
私どもは小さな部屋で待ち、潔斎(沐浴)されたご祭主様の装束と髪形をつくります。
その日の式典が終わると解くわけですが、寝る時間もやはり3時間ほどです」
’89年に85歳で亡くなった母の仕事を引き継ぎ、
登美子さんは伊勢神宮の祭主である池田厚子さん(昭和天皇の四女)の結髪と着付けを担うようになる。
’95年、古代の朝廷や公家、武家の行事や風俗・習慣、装束などの伝統を学び伝える「有識美容師」になった。
そして毎年4回、大きな祭典が行われるたびに伊勢神宮に足を運んできた。
’12年の式年遷宮では、池田厚子さんを補佐するため、黒田清子さんが臨時祭主になったのだが、
そのときのことを語る登美子さんの表情はひときわ明るい。
「祭典の前に、黒田さんがご装束を見たいということで、
私も東京に行きまして、着付けのため宮中に上がりました」
装束姿の黒田さんを囲んで、写真を撮ろうというときだった。
「お部屋に、天皇陛下がおいでになったんです。美智子皇后も」
登美子さんの頬が、ふわっと赤らんだ。長年の努力が実ったかのような喜びに満ちていた。
「陛下から、『きれいにしてくれて、ありがとう』とお言葉をいただきました。
美智子皇后もニコニコされて、とてもうれしそうでした。そして、ふと私の帯を目にされたんです。
人間国宝の細見華岳さんのつづれ織の帯を締めていたんですけど、
『ああ』というお顔をなさったから、おわかりになったのでしょう。
この上ないお言葉を賜ったこと、そして皇后様との出来事は、私の一生の思い出です」
黒田さんは、’17年から伊勢神宮の祭主となり、登美子さんは引き続き現在もおつとめしている。
「黒田さんは、ほんまにお優しい方です」
しみじみ思い出すのは、昨年10月の神嘗祭のこと。
90歳の登美子さんは伊勢市駅のホームで転び、伊勢神宮に着いたころには、足首が紫色に腫れ上がっていた。
「ご祭主様の前では痛い顔をしないように髪を結いました。
でも、足を入れていただいたお袴を持ち上げようにも、痛みで立ち上がれない。
そのとき黒田さんが『大丈夫ですか』と手を差し伸べてくださって。そんな畏れ多い……。
だって、ご祭主様はすでに身を清められていました。私どものような汚れた体に触れてはいけません」
それでも黒田さんは手を取り、立ち上がらせてくれたのである。
「黒田さんは大変なお務めなのに、ひとつも嫌な顔をなさりません。
われわれみたいな者にも低姿勢で、装束をする前と後には、お座りになってお辞儀をするんですから」
立ったままで十分なのに、いつも両手をついて「お願いします」とご挨拶されるという。
「そんな黒田さんの厳粛さに、いまも体が震えるほど緊張します。
あれだけ真摯に神に仕えている黒田さんを拝見していると、私の足の痛みなんて」
とはいえ、伊勢神宮から帰宅して病院に行くと、足首は骨折していたというから登美子さんの頑張りはすさまじい。
「長年の立ち仕事からでしょう。私の足腰はもうボロボロですねん。
15~16年前には膝の半月板が欠けて、ドリルを入れる手術をしました。
ほんで去年3月は腰。ちょっとコケただけで腰椎が折れてしまったんです」
5月には、恒例の京都三大祭りのひとつ「葵祭」での役目が待っていた。
ヒロイン・斎王代の髪形から髪飾り、衣装の着付けである。
登美子さんは1カ月間、首しか動かせないようにギプスで固められてベッドに寝かされた。
残り1カ月間で懸命にリハビリし、葵祭に間に合わせた。
「根性ですわ(笑)。斎王代の髪を垂髪に結い、おしろいを塗って。
20キロもある十二単を扱ったときは悲鳴をあげそうなくらい痛みましたけど、
母から引き継いだこの仕事、辞められません」
今年、新天皇は即位の報告のために伊勢神宮を訪れる。
登美子さんは、神宮で出迎える女官の装束に心を込める予定だ。
https://jisin.jp/domestic/1720870/

雅子さま、“即位プレッシャー”説よそに負担かかる祝宴に“ドタ参加”でご自信深まる
週刊女性2019年4月2日号
2019/3/23
「3月12日、天皇陛下が皇居・宮中三殿で『期日奉告の儀』に臨まれました。
陛下は古式ゆかしい装束姿で、4月末日で退位されることを
歴代天皇などがまつられている『皇霊殿』に報告されました。
この儀式は、退位に関する最初の儀式で、
皇太子さまや秋篠宮ご夫妻らの皇族方も参拝されました」(皇室担当記者)
約200年ぶりの生前退位まで残すところ、あと1か月と少し。次の両陛下も、着々と準備を進められている。
天皇陛下が儀式を執り行った翌日、皇太子ご夫妻は、
都内のホテルで『第15回ヘルシー・ソサエティ賞』の授賞式に出席されていた。
「この賞は、教育や医療などを通じて、健全な社会や人々の生活の質向上に貢献した人々を表彰するもので、
'04年に創設されました。
今年は、フィリピンの貧困層の出産支援などをボランティアで続けている助産師の冨田江里子さんら
5人が受賞しています。
皇太子ご夫妻は、授賞式が終わると壇上から降りてテーブルに着き、
審査員などの関係者と夕食をともにされていましたよ」(同・皇室担当記者)
“国民とともに”ある皇室にとって、とても意義のある賞なだけに、その功績をご夫妻も称えられたのだろう。
一方で、今回の授賞式に雅子さまが出席されたことに対して驚きの声をあげるのは、ある宮内庁関係者。
「この会は、授賞式に加えて関係者との祝宴がセットの行事なので、全体で2時間ほどの滞在になります。
さらに、この会には約650名が参加するので、まだ療養中である雅子さまの参加は難しいのではと思っていました。
実際、前日まで皇太子殿下おひとりでのご参加と聞いていましたが、
当日になって雅子さまのご出席が決定したそうで、とても驚きました」
雅子さまが『適応障害』と診断され、療養に入られてから約15年。長時間や不特定多数の人々に注目されるなど、
負担の大きい公務は医師団の判断もあり、出席されないことも。
今回の行事に出席されたのは、どんな背景があったのか。
「不特定多数の人々がいる中での祝宴のご出席は、療養中の雅子さまにとって、確かに大変な状況だったと思います。
しかし『適応障害』というのは、本人にとって何が負担なのかが問題であり、
その問題は人によって千差万別なのです。
雅子さまにとってのストレス要因が、今回の式典にはなかったとも考えられます。
一方で、お出ましになられたこと自体、症状が改善されつつあり、
困難な場面に対しても適応する能力が高まってきているという見方もできるでしょう」
そう話すのは、心理学に詳しい東京未来大学こども心理学部長の出口保行教授。
一部では「皇后に即位されるプレッシャーで病状が悪化しているのではないか」という声もあったというが、
実際のご体調は回復傾向にあるように思える。
さらに、病状が回復されているほかにも、今回のご決断を後押しした理由があるというのは、ある東宮職関係者。
「2月24日の『在位30年記念式典』に出席された両陛下のお姿や、陛下の退位に関する儀式がいよいよ始まったことで、
次の皇后としての自覚がより一層お強くなったのではないでしょうか。
『ヘルシー・ソサエティ賞』での雅子さまは、普段よりもリラックスされたご様子で、
笑顔で関係者と交流されていたように思えます」
昨年12月のお誕生日での文書回答には、両陛下への強いお気持ちをこう述べられている。
《両陛下が、大きな責任を担われながら、どれ程深く国民の幸せや国の安寧を願われ、
お力を尽くしていらっしゃったかということを改めて思い、敬意と感謝の気持ちで一杯になります》
両陛下から大事なバトンを引き継ぐ雅子さまは、
5月以降に控えている即位関連の儀式を見据えられているにちがいない。
「祝宴とセットになっていた今回の授賞式は、
10月に控えている国事行為の『響宴の儀』を意識されたのかもしれません。
この儀式は、皇太子さまの即位後に国内外から賓客を招いて行われる祝宴で、
平成になった前回は計7回行われましたが、今回は計4回、総人数も3400人から2600人に減らして行われます。
今後行われる大勢の人々との食事会に慣れるためにも、
今回の授賞式はぎりぎりまで検討を重ね、ご出席を決断されたのだと思います」(前出・宮内庁関係者)
前出の出口教授は、今回のご出席について、今後に生かされると話す。
「大勢で食事をする機会にお出ましになっていくことは、
今秋に控えている『響宴の儀』にも生かされると思いますよ。
ハードルの高いことから始めるのではなく、徐々にステップを踏むことで、
秋の儀式に対して準備されているといえるでしょうね」
少しずつ、今まで取り組むのが難しかった公務などを経験していくことで、
雅子さまの中で“自信”が高まっていくことだろう。
宮内庁ОBで皇室ジャーナリストの山下晋司さんは、
「新天皇の即位を祝う場ですから、皇后が不在でも儀式は可能です。
しかし、現在は天皇・皇后がともに活動する機会が多いため、天皇の即位を祝う場とはいえ、
皇后が隣にいたほうが好ましいのは当然です。
大勢の関係者が参加したという『ヘルシー・ソサエティ賞』の授賞式と祝宴に出席されたのは、
秋に控える『響宴の儀』を見据えられている可能性はあるでしょう。
ただ、5月1日以降、即位関連の儀式や行事が続きますので、
今は体調の管理が第一で、ご無理されないようにしていただきたい」
着々と復調されている雅子さまの様子からは、さらなる期待の声も上がる。
「宮内記者会は、皇太子ご夫妻そろっての記者会見を再三求めていますが、
療養に入られてからは長らく実現していません。
昨年の銀婚式や、お誕生日でも会見は開かれませんでしたが、
雅子さまが少しずつ歩みを進めていらっしゃるので、皇后になられたあと、
会見が実現する可能性は十分あると思いますよ」(前出・東宮職関係者)
https://www.jprime.jp/articles/-/14757