東宮は必要ない

浦安市の行政書士黒田大輔氏(千葉県行政書士会葛南支部所属)
 ~「東宮は必要ない」「秋篠宮さまが皇位継承するにふさわしい」~
「私たちはね、今後小和田家の問題、いろいろ疑惑がございます。
まず、国際司法裁判所において、皇族以外は使ってはならない
菊の御紋を自らの席に使用しているという疑惑があります。
皇室の備品と思われるものがですね、なぜかインターネット上の
オークションサイトに載っていたということで、その問題が出所がどこなのか。
この問題をちょっと追及しなければならない。
まあ、ね、雅子さまのご実家とは言え、日本国の、いわゆる国の財産、皇室財産、
あるいは国の権威、皇室の権威を、自らの権威を高めるために
活用しているような事例があるのであれば、それを放置することはできません。」

天皇皇后両陛下エメラルド婚 夕食会プロデュースは雅子さま

天皇皇后両陛下エメラルド婚 夕食会プロデュースは雅子さま
NEWS ポストセブン 4月19日(土)7時6分配信
4月10日に結婚55年目を迎えた天皇皇后両陛下。結婚55年目は“エメラルド婚”と呼ばれているが、
この4月10日、両陛下は夕刻に赤坂御用地内にある東宮御所を訪ねられた。
「両陛下の結婚記念日を祝う夕食会が東宮御所で行われました。皇太子ご一家、秋篠宮ご一家、
そして黒田清子さん夫妻とご家族に囲まれた両陛下は楽しい時間を過ごされたようです。
この記念の夕食会を心に残るものにしようと、プロデュースされたのは雅子さまです。
お食事は両陛下が希望なさった和食を準備され、プレゼントに絵画を贈られたそうです」(宮内庁関係者)
皇太子さまのお祝いの言葉で始まった宴。
「ご一家は両陛下のご成婚から、これまでのアルバムを広げられて、おふたりのこれまでを振り返りながら
談笑されたそうです。また、眞子さまの大学ご卒業や愛子さまの中学ご入学の話題になると、
両陛下は目を細められていたみたいですよ」(前出・宮内庁関係者)
雅子さまが尽力されたのは、もちろん両陛下に喜んでいただきたいという思いからだが、もうひとつ理由があった。
一部で報じられたように、両陛下が伊勢神宮参拝中に、私的なスキー旅行に出かけられた皇太子ご一家。
また愛子さまの春休み中にも、ご一家は私的な外出が目立ったため、非難の声があがっていた。
「美智子さまの耳にも、そういった声が届いており、“ご体調がまた逆戻りしてしまったのではないでしょうか”
と危惧されていたのです。雅子さまは心配されている美智子さまに
“大丈夫ですよ”という思いを伝えたかったのでしょう。
先頭に立たれてお祝いの食事会を盛り上げられたようです」(前出・宮内庁関係者)
※女性セブン2014年5月1日号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140419-00000005-pseven-soci

天皇家をめぐる伝統と変化

2006/03/23天皇家をめぐる伝統と変化 yagian
http://d.hatena.ne.jp/yagian/20060323/1143098847

皇室典範の改正をめぐる議論を見ていると、
男子男系による皇位の継承を守るべきと主張している人たちも、
天皇家の伝統について、さほど深い考察があるようには見えない。

天皇が天皇であるのは、天皇家の伝統が大きな意味を持っていることは間違いない。
天皇家が特別の伝統を持っているからこそ、天皇は特別な存在となっている。
しかし、一方で、現実の天皇、天皇家のあり方は、時代によって大きく変化しており、
決して伝統を墨守しているわけではない。それぞれの時代で天皇が天皇でありつづけたのは、
伝統と変化のバランスを保つことができたからである。
男子男系による皇位の継承を守るべきか否かは、現在、そして、これからの天皇、
天皇家のあり方の全体を考え、守り続けるべき必須の伝統なのか、
変化させてもよいことがらなのかを判断する必要がある。そういった視点からの議論はあまり目にしない。

天皇と皇太子の対立を見ていると、天皇家の伝統と変化について、
二人の考え方がずれていることが原因になっているように見える。
明治維新以来、天皇家は伝統を守ることよりも、それぞれに時代に適応して変化することに
重点を置いたように思う(明治以前の天皇家のあり方はよく知らないので、
もしかしたら、それぞれの時代で変化し続けていたのかもしれないけれど)。

伝統、という観点からは、東京への遷都は非常に大きな影響があったと思う。
遷都してから140年になろうとしている現在でも、京都に行けば、天皇家と結びついた伝統、
文化が色濃く残されているのがわかるし、東京では、天皇家と結びついた伝統、
文化としては、さしたるものが育っていない。日本の伝統文化の伝承者として天皇を考えるならば、
天皇は京都に戻った方がいい。少なくとも、天皇家の誰かが京都に住み、
京都で伝統的な儀礼を営むべきである。東京での天皇は、両国国技館に大相撲の興行を見に行く。
しかし、天皇が守るべき伝統文化は、大相撲の興行などではなく、
もっと洗練されたハイカルチャーだと思う。天皇が東京にいる、ということは、
天皇家が伝統よりも変化を選択したことのあらわれだと思う。

以前、このウェブログにも書いたけれど、戦後、天皇家は、日本国民の象徴たるべく、
変化していく日本の家族のあり方を先取りすることを目指すようになったように思う。
美智子妃による皇太子の教育は、天皇家というきわめて特殊な環境のなかであっても、
ふつうの日本の家族のあり方にも理解が持てるようにと考えていたのではないか。
その教育の結果、皇太子は自分の家庭を、天皇家の伝統を伝承する場ではなく、
「ふつうの家庭」にしようと努めている。こどもの頃、ディズニーランドに遊びに行くのはごく一般的なことだ。
だから、自分の娘もディズニーランドに連れて行きたいと考え、実行する。

天皇は、紀宮の結婚式で見せたような「ふつうの父親」としての顔も持っているけれど、
それ以前に、自分は天皇であるという自覚が優先しているように思う。
福田和也「美智子皇后と雅子妃」(文春新書 ISBN:416660466X)には、
天皇は公務に精勤しており、歴代の天皇のなかでも祭祀にきわめて熱心だという。
天皇は、自分が天皇である根拠を、公務に精勤して国民の役にたつことと、
祭祀を行い天皇の伝統を守ることの二つに見いだしているのではないか。
その天皇の目からは、「ふつうの家庭」を築き上げることに努めている皇太子は、
次期天皇としての自覚と資格に欠けるように見えるのだろう。「ふつうの人」としての
感覚を忘れないように教育された皇太子から見れば、「ふつうの家庭」を築き上げようとすることに、
なぜ反対するのか理解できない、ということなのではないか。

皇室典範の改正も、天皇家のあり方に大きな影響を与えるけれども、
それより、いまの皇太子が天皇になったとき、天皇としての自覚に目覚めるのか、
それとも、「ふつうの家庭」を守ることを優先しようとするのか、
そのことの方が将来の天皇家のあり方に大きな影響を与えるのかもしれない。

天皇家の宿題

天皇家の宿題 2006年10月発行 
岩井克己著 朝日新書

皇太子の「人格否定」発言は想定の範囲を超えるもの。
「キャリア」「人格否定」といった言葉は、
それまで親しんでいた彼の語り口からは考えられない類のぎらついた語彙であり、
真意をどう受け止めていいのか、しばらく悩んだ。
宮内庁のある幹部の感想。
「だれかに向かって『妻の人格を否定された』と言うことは、言われた方も人格を否定されることになる。
私が君の妻の人格を否定したというのなら証明してみせろとなる。
これはそういう類の、のっぴきならない、ケンカを売る時の言葉だ。
どのような意図で発言されたのか、世間がいぶかるのも無理はない」

皇太子の発言から三日後の五月一三日夜、湯浅長官、藤森昭一元長官、鎌倉節前長官らが御所に呼ばれた。
「皇位継承問題の大切さ、重さを、
どうしたらもう少し国民に分かってもらえるか」という話も出たと伝え聞いた。
両陛下はとても心配していたという。
五月一七日、陛下は帰国した皇太子に国民に説明するよう意向を伝えた。
しかし、皇太子の追加説明の文書は、参加国訪問から帰国後もなかなか出てこなかった。
追加説明の文書が皇太子から出されたのはそれから3週間後の六月八日。
文書が出てこなかった裏には、皇太子と雅子妃の間で意見の食い違いがあったのではないか、
と思われるふしがある。
皇太子は天皇から発言の説明を求められ、早々に応じる考えを示したのですが、
雅子妃は、説明する必要はないと考えていたというのです。
この頃、雅子妃が「皇太子妃をやめます」と言ったと、一部の週刊誌が最近書いています。
私も当時、その噂は聞きました。
「雅子妃が側近に、『説明文書を出すなら、皇太子妃をやめます』と激しい口調で言って、電話を切った。
その側近はこのため心労で体調を崩してしまったようだ」ということでした。
天皇、皇后の周辺は「宣戦布告か」と驚いた。
「そのことを公表すべきだ」との厳しい意見も出たと聞いて、私は「崖っぷちだ」と感じました。
さすがに公表は思いとどまられたようでした。
また、下書きの段階では皇太子は紀宮様にも相談し、両陛下にわびる趣旨が入っていたけれども、
発表された文書では「(両陛下に心配をかけてしまったことについて)心が痛みます」と変化。
紀宮様は驚かれたという。
両陛下の周辺は「恵まれない人々に対する気持ちの表明みたいだ」と困惑した。

後継者問題について
結婚後も夫妻は不妊治療に消極的であったため、高松宮妃が心配して
両陛下に「あなた方は親でしょう。なにをしているのですか」と問いかけたこともあった。

流産について
宮内庁は医師の意見を聞き、
「黄体ホルモンを注射したりして気をつければ大丈夫」と判断してベルギー行きを強行。
(知ったら止められるので)両陛下には報告せず。
帰国後に流産という結果になると、宮内庁は両陛下に報告していなかった気まずさもあり、
先手を打って朝日新聞を批判。


陛下が前立腺がんの時
天皇は前立腺がん腫瘍マーカーPSAの数値が上昇し、ホルモン治療に入ることになり、
皇太子と秋篠宮を呼びました。がんの再発を告げ、いろいろ相談したかったようです。
しかし、皇太子は「都合がつかないので」と来ませんでした。
がん再発が発表されると、驚いた皇太子から急いで訪問したいとの意向が伝えられましたが、
今度は天皇のほうが厳しい態度で難色を示したようです。
(中略)
しかし、なかなか皇太子の御所訪問が実現しない状態が続きました。
間を取り持ったのが皇后でした。七月十日、天皇、皇后が毎年恒例のテニス会のため
赤坂御用地を訪れ東宮御所に立ち寄った際に、久しぶりに雅子妃も愛子内親王とともに顔を出しました。
皇后が雅子妃を抱きしめる場面もあったと聞きました。
八月十七日には、皇后が突然、一人で東宮御所を訪れました。滅多にないことです。
じかに話し合い気持ちを確かめることで、
天皇と皇太子夫妻の間の溝を埋めたのではないかと私はみています。
皇太子夫妻が、ようやくそろって御所を訪問したのは九月四日でした。
そして雅子妃の私的な外出が再開され、美術館鑑賞や買い物、親族宅への訪問などが動き出しました。

お妃候補の頃
「小和田雅子さん」の名を初めて聞いたのは昭和62年(1987)5月でした。
4月25日に高円宮邸で午前1時まで浩宮と会った女性がいるという聞き込みからでした。
7月16日に外務省経済局国際機関第二課の部屋を訪ねました。入省3ヶ月の彼女は入り口近く、
末席の机から立ち上がって、課の応接室に案内して会ってくれました。
浩宮と会ったことがなぜわかったのか気にして、やや緊張していましたが、次第にほぐれて、
別れ際の屈託ない輝くような笑顔が美しかったのが印象に残っています。

宮中祭祀について
皇太子妃が宮中祭祀を徹底的に拒否している現状について
「皇室にとって自己否定に均しく、計り知れないほど深刻な状態」
「紀子様は公務に関する陛下のご意思をすばやく察知するのに対し、雅子様はいちいち論理的な説明を求める」

前皇室医務主管独占インタビュー関連記事


前皇室医務主管独占インタビュー

雅子さま主治医批判に反論 東宮大夫「適切な配慮を」
宮内庁の小町恭士東宮大夫は20日の定例記者会見で、金沢一郎・前皇室医務主管が
文芸春秋8月号に掲載されたインタビュー記事で皇太子妃雅子さまの主治医に批判的な発言をしている点について
「妃殿下の治療にもたらしうる影響という観点から、適切な配慮をしていただきたかった」と遺憾の意を表明した。
金沢氏は5月末まで皇室の医務を統括する立場だったが、
雅子さまの治療に当たる東宮職医師団の大野裕医師から、ある時期から報告がなくなったことや、
雅子さまの誕生日に合わせて文書で発表される「医師団の見解」で、具体的な症状を書いていないことを批判している。
2012/07/20 17:39 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201207/CN2012072001001616.html


皇室ウイークリー(239)
2012.7.21 07:00
「皇室の医療」を長年統括してきた宮内庁の金沢一郎前皇室医務主管が雑誌のインタビュー記事で、
雅子さまの治療をめぐって東宮職医師団の大野裕医師を批判したことについて、
同庁の小町恭士東宮大夫は20日の定例会見で「私の思い」と前置きして金沢氏に苦言を呈した。
小町氏は「先日まで皇室医務主管の立場にあられた方が、取材があったにせよ、妃殿下のご病状や治療方針
さらに対外的な説明について、私から見れば一方的な意見表明を行われたことは、
妃殿下の治療にもたらしうる影響という観点から適切な配慮をしていただきたかったと思います」と痛烈に批判。
「また、長年にわたる大野医師のご努力に水を差すもので大変残念です」と続け、
大野氏を擁護する立場を明確に示した。
この問題の発端は「文芸春秋」8月号。金沢氏は「雅子さまの主治医」として大野氏を名指しし、
「私が意図した方向で治療システムが構築されたとは、残念ながら思ってはおりません」
「国民に対してもう少し明確に説明してほしかった」などと述べ、国民への情報公開の少なさや、
宮内庁の医師と十分に連携しない姿勢を問題点として指摘した。こうした発言は波紋を広げ、
多数の週刊誌の皇室記事に引用された。
今週発売の「週刊現代」では大野氏の反論が掲載され、雑誌をまたいだ論戦の様相となっているが、
ついに宮内庁東宮職までこの話題に「参戦」してしまったというわけだ。
小町氏は、この件をめぐって金沢氏に電話したことも明らかにしたが、具体的なやり取りの内容は明かさなかった。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120721/imp12072107010001-n3.htm


女性自身2012年7月24日号
雅子さま 天皇家の元主治医が”非情”暴露「ご症状に手立てなし…」
2012年07月10日 00:00
7月3日午前11時から御所で、明治天皇の業績についてのご進講があり、天皇陛下と美智子さまが聴講された。
雅子さまも、その場に同席されたのだ。当日はご進講の後、両陛下と皇太子ご夫妻、
そして皇居に野鳥観察に来ていた黒田清子さんの5人で、昼食を召し上がる予定だったという。
だが皇太子ご夫妻は、ご進講終了後に、東宮御所に帰られた。
「雅子さまのご体調がすぐれなかったからだと伺っています」(宮内庁関係者)
そして、昼食会のキャンセルから1週間後の7月10日、
雅子さまのご病状にも言及されたインタビューが『文藝春秋』8月号に掲載された。
《両陛下も、雅子妃殿下のご病気に対して言葉に表せないほどのご心労がおありになるようなんです》
そう語っているのは、6月1日付で退任したばかりの前皇室医務主管・金澤一郎氏。
このインタビューで金澤氏は、現在の雅子さまの治療方針を問題視している。
金澤氏の不満は、1つは雅子さまのご病状がきちんと国民に説明されていないこと。
そしてもう1つは、雅子さまの適応障害の治療にあたっている、精神科医の大野裕医師が、
皇室の医療の責任者ともいえる金澤氏にも、雅子さまの治療情報を報告していなかったことのようだ。
大野医師の主治医就任は‘04年6月。それから雅子さまのご病気の性質もあり、
金澤氏には情報がほとんど入ってこなくなったという。7年にも及ぶ情報遮断もあり、
天皇家の主治医でありながら、金澤氏は雅子さまへも批判的になっていった。
金澤氏は、マスコミによく登場する、ある皇室コメンテーターに、こう言ったという。
「雅子妃に関しては、もっと厳しい意見を言ってください!」
とても、天皇ご一家を守る立場にいる人物とは思えない発言だ。
『文藝春秋』の記事では、「(雅子さまの)ご病状の深刻さはかえって深まっている印象を受けます」という
インタビュアーの問いに対して、金澤氏は、あっさり「そうですね」と肯定し、
さらに、「(ご病状に関して)今後の見通しが明らかになっていないことが、
天皇陛下のご心労になっている」とさえ語っている。
皇室ジャーナリストの松崎敏弥さんは嘆息する。
「皇室の医療を統括していた金澤氏が、雅子さまの治療体制の深刻な現状を暴露してしまった形ですね。
雅子さまのこうした現状に、“もう手立てなし”とは、皇室の医療のトップにいた人物にしては、
あまりにも非情で無責任すぎると思います」
光差さぬ状況のなかで、雅子さまはご病気との孤独な闘いを続けられている――。
http://jisin.jp/news/2547/4345/


雅子さま 医療体制が崩壊「主治医の診察も電話のみ」との証言
2012.07.18 07:00
先ごろ皇室医務主管を退官した金澤一郎氏の発言が大きな波紋を呼んでいる。
金澤氏は6月1日付けで退官、現在は宮内庁・侍従職御用掛を務めている。
7月10日発売の『文藝春秋』8月号で、これまで語られなかった皇族方のご体調や病状、
さらには内情について初めて口を開いたのだ。
この記事で金澤氏は、雅子さまの治療経過について、次のように言及している。
<大野先生に来ていただいたところまでは良かったのですが、少なくとも私が意図した方向で
治療システムが構築されたとは、残念ながら思ってはおりません。
その点に関しては、私は皇室医務主管として残念ながら失格だったと思っています>(『文藝春秋』より)
大野先生とは、国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センター長の大野裕氏(精神科医)のことだ。
現在も雅子さまの適応障害の治療にあたる主治医を務める人物である。
金澤氏は、この大野氏による治療システムが雅子さまにとって効果を得るものではなく、
“失敗だった”と明言し、さらに“その責任は自分にあった”とまで語っているのだ。
ここ数年、大野氏に対する批判の声が高まっているのも事実だ。
「それは“主治医である大野先生を、もう変えたほうがいいのでは?”、
“治療法に問題があるのでは?”といった声です。
つまり、“9年という長い年月が経つのに、ご病状が好転しないのは、
その責任の一端が主治医にもあるのではないか”というのです」(宮内庁関係者)
そして、2009年12月、雅子さまの誕生日に発表されるはずだった「東宮職医師団の見解」の発表が、
何度も延期されるということがあった。ようやく公にされたのは、約2か月も過ぎてからのことだった。
ここまで延びたのは、発表の内容をめぐって、雅子さまと大野氏の見解が
あまりにも食い違っていたからだといわれている。
「雅子さまの主治医を務めて既に5年余りが経過し、大野氏としては、そろそろ具体的な治療内容や
服用している薬など、例年と比べて一歩踏み込んだ見解を発表したいと思ったようです。
それは“そろそろ具体的な内容を明らかにしないと国民の理解を得られない”という雅子さまを思う気持ちからでした。
しかし、雅子さまはプライベートな部分が公になるのを避けたいと思われたようで、
例年と同様の範囲での発表を望まれたといいます」(前出・宮内庁関係者)
結局、大野氏は何度も雅子さまを説得しようとしたが、精神科医という立場上、
患者である雅子さまの意向を汲んで、具体的な治療法などには言及せず、例年と同様の発表をすることになった。
このとき、金澤氏は大野氏に対し、国民にご病状を具体的に説明したほうがいいのではと助言したという。
<例えば、どういう時に頭痛がするのか、どのように腹痛を感じるのか、発熱が何度なのか。
そういうことで良いからと。でもそれさえ発表できないんですね>(『文藝春秋』より)
一度、雅子さまと大野氏の間に生じた溝は、そう簡単には修復されることはなかった。
「雅子さまはそれ以降、大野氏の治療を受けられなくなってしまったんです。
最近ではときおり電話でご体調の確認をする程度で、おふたりの関係はぎくしゃくしたまま。
雅子さまが良くなられないのも当然のことですよ」(前出・宮内庁関係者)
※女性セブン2012年7月26日号
http://www.news-postseven.com/archives/20120718_128587.html


週刊現代2012年8月4日号
雅子妃の担当医が天皇家の元主治医を大批判!
「皇室担当の医師団の中で、これだけ意見の対立が表面化したのは初めて。
東宮大夫は7月20日にも会見を開き、この問題について説明するそうです。
思えば金澤先生は以前から『僕は精神科は専門外だから詳しくはわからないけど、あれはダメだね。
彼女(雅子妃)は大野さんの言うことしか聞かない』とコボしていました。
医務主管を退いたことで、本音を語れるようになったということでしょう」(元侍従)
発端は前皇室医務主管の金澤一郎氏の発言だった。金澤氏は6月1日付で医務主管を退いた後、
メディア各社のインタビューを受け、概略以下のように発言した。
・雅子妃の主治医を大野裕氏に頼んだが、ある時から金澤氏に情報が入らなくなった。
・国民への雅子妃の病状の説明が不十分だった。発表も遅れた。
どちらも、雅子妃が大野氏に相談して決めたと考えている。
・精神科医は患者に同調する傾向がある。
・大野氏からは「何も報告することはない」と言われていた。
・もはや、どうしたらいいか分からない状況である。
皇室医療のトップである金澤氏自らが、雅子妃の治療に対して「匙を投げた」と思われても
仕方のない発言をしたのである。
前述のように金澤氏は大野氏と雅子妃の“秘密主義”について苛立ちを強めていた。
一線から退いたことで、これまで心中に溜めていたことの一端を吐き出したということなのだろう。
本誌はこの「金澤発言」について、大野氏自身の“反論”を聞くことに成功した。
大野氏は慶応義塾大医学部教授を経て現在、国立精神・神経医療研究センター・認知行動療法センター長
という要職にある。「女性の鬱病」研究の第一人者で、10年ほど前から雅子妃の主治医となり、
「適応障害」などと診断した。おだやかな人柄で雅子妃の信頼も厚いという。

――金澤氏がメディアで大野さんを批判したことはご存じですか。
「(金澤氏の発言は)私が雅子さまの主治医であるということ以外、私や雅子さまに関する記述はいっさい、
事実に反します」

――金澤氏の発言が医師として守秘義務違反にあたる、という声もありました。
「私も驚きました」

――雅子妃のご病気は、外見からはうかがい知れないもの。先生でも分からないことが多々あるのでは。
「心の病は目に見えないですからね。お側にいらっしゃる方ですら、理解されないことも多々、あります」

――治療を始めて10年近く経っても経過が思わしくないことで、雅子妃や先生を批判する人もいます。
「心の病はきわめて治癒が難しい。それは一般の患者さんも同様です。その辺をご理解いただけていない方々が
『良くなっているのか、いないのか、もはや治らないのか』と性急に、いろんなことをおっしゃっているようですが、
一概には申し上げられない難しい病気なのです。長い目で見守っていただきたい」

「長い目」と言われてもすでに10年近い時が流れている。あと何年待てば、どうすれば雅子妃の
元気な姿が見られるのか。宮内庁関係者がやきもきするのは当然だろう。だが、一筋縄ではいかないのが、
心の病なのだと大野氏は言う。

――大野先生が治療に着手する前と比べて、雅子妃の病状は回復しているのですか?
「いかに“公人中の公人”とはいっても、病状は個人情報です。申し上げられません。
ただ、雅子さまの置かれていらっしゃる状況はかなり特殊です。常に他者の目に晒されているという環境が、
治療において大きなリスクとなっていることは間違いありません。そういう環境下では、治療プランが
計画通りにいかないことは多々あります。しかしながら、私は絶望的な状態などとは思っておりません。
私たち医師は明かりを見つけ、引き出して、良い方向へ導かねばなりません。ネガティブになっては絶対、
いけないのです。患者さんは敏感です。良い方向に向かっていても、周囲に理解と協力がなくて
潰されることがあるのです」

大野氏は金澤氏の発言のほとんどが事実ではないと真っ向から反論した。
病状を明かさないのは医師として当然の行為であり、雅子妃に同調もしていないというのだ。
大野氏のコメントには、難しい治療に取り組んでいることについての「無理解」に対する怒りが滲み出ていた。
これまで、大野氏が雅子妃の主治医であることは公表されていなかった。当の本人が立場を明らかにした上で
反論したのは、よほどの覚悟があってのことに違いない。

大野氏から反論された、金澤氏を直撃した。
「私は週刊誌の取材は受けない。ただ、僕が言っているのではなく、周りの人間がみんな言っていることだが、
基本的に大野氏の主治医就任以後、(雅子妃の)病状は変わってないよね」
金澤氏は暗に、大野氏の治療が効果を挙げていないことを示唆した。周辺への取材によると、金澤氏は、
「雅子妃はブータン国王夫妻の歓迎行事はすべて欠席される一方で、親交のあるベルギー皇太子夫妻の
午餐には参加された。出席する公務を選んでしまっている。こんな状況が続いている限り、
快方に向かっているとは言えない」
と言っているという。
雅子妃の治療を巡って、
「悪いはそっちだ」
「いいや、おまえの方だ」
とまるで二人が批判し合っているような形になっているのだ。いったいなぜ、こんな事態になったのか。
「世間では『金澤氏が匙を投げた』と言われていますが、金澤氏は大野さんとのコンビが機能せず、
治療に失敗したことを素直に詫びているのだと思います。
大野先生は侍医でも御用掛(非常勤の侍医)でもなく、宮内庁の指揮命令系統に入っていないので
報告義務はありません。立場が曖昧なうえ、お願いして診てもらっている手前、金澤氏は口出しづらい。
金澤さん自身が反省されていましたが、国民に対して、治療の状況などを情報開示しなければならない旨、
大野先生を招く際に説明しておくべきでした。金澤さんは前医療責任者として、現状を国民に伝えておかねば
と思ったのでしょう。雅子妃の治療がうまくいっていないことの証左です」(元宮内庁職員で『皇室手帖』
元編集長の山下晋司氏)
「千代田(天皇、皇后)と東宮(皇太子一家)の間の深すぎる溝」が透けて見えると指摘するのは、
元共同通信皇室担当で天皇の学友でもある皇室研究家の橋本明氏だ。
「陛下はかねてから、雅子妃に対する医療体制に問題があるのではないか、という趣旨の発言をなさっています。
金澤さんは大野さんを雅子妃の主治医に推薦しておきながら、期待にこたえられなかった。
彼の発言からはその反省と強烈な悔やみの気持ちが感じられました。
だからこそ、陛下の意を汲む形で、『現体制では雅子妃のご回復は難しい』『次の手を打たねばならない』と
いうことを広く、国民に知らしめたかったのでしょう。治療を通して雅子妃が大野さんへの信頼を強め、
彼と一体化することによって、皇太子殿下の存在感が薄くなっていくように見えるのも、
陛下は歯痒く思われているのではないでしょうか」
肝心の雅子妃の病状は今、どうなっているのか。
宮内庁関係者が表情を曇らせる。
「新年度以降、雅子妃がお出ましになられた公務は数えるほどしかありません。4月は宮内庁人事異動の
ご会釈と陛下の喜寿をお祝いした内宴の3回、5月は天皇訪英の送迎と国際連合大学(渋谷)での講演の
ご聴講、オックスフォード大学総長夫妻とのご接見の計4回、6月は5回でうち4回が三笠宮寬仁さまの
ご葬儀関係です。
この3ヵ月強の間で、雅子妃が外出されたのは羽田と渋谷とご静養先の那須(栃木)、
豊島岡墓地(文京区)の4ヵ所だけ。すでにロンドン五輪開会式への参加も見送られています」
(ここまでhttp://kodansha.cplaza.ne.jp/wgendai/article/120723/top_03_01.html)

4月以降雅子妃の活動はたったの13回で両陛下200回、秋篠宮妃約90回に比べても遠く及ばない。
一方で山中湖校外学習付き添い、小和田家親族とスケート遊び、なじみのレストランへ夕食。
「雅子妃の病状が好転していないのは両陛下が深く憂慮し心の重荷に。
金澤氏の発言は両陛下の心中を忖度したものだろう。大野氏や東宮大夫がいかに反論しても
両陛下が情報不足、説明不足と感じておられるのは事実。
雅子妃はどれだけ両陛下の心配の種になっているのか理解しているのか」(渡辺みどり氏)
橋本氏が09年に上梓した「平成皇室論」で廃太子にふれた。このことについて陛下が
「廃太子とまで言われてしまうとはね。」と呟かれた。陛下は反論はせず、黙った。
昭和天皇ー今上天皇の仲も、昭和天皇ー常陸宮殿下ほどはよくなかったが、皇統とは別問題
香淳皇后と美智子様の溝を埋める努力をしたのは美智子様
雅子妃はこのようにしているとは見受けられない(元侍従)
黒田清子さんは週一回両陛下に面会しているが、雅子妃は年に数回あるかどうか。
雅子妃の昼夜逆転
こんな状態で適応障害が克服できるのか
「実家に戻ったとしても病状回復にはプラスにならない。皇太子夫人に専念するのがいいのでは?
希望的観測に区切りをつけて公務を一切やらない、一部限定的にやる、と決断する時期。
それで国民の理解が得られるかはわからないが。」(香山リカ氏)


週刊文春2012年8月2日号
雅子さまの担当医が激怒!「週刊現代はまったくの創作」
7月20日の小町東宮大夫定例会見では
「長年にわたる大野医師のご努力に水を差すもので残念です。」と語気を強めて苦言。
金澤氏は文春に「私の思いは文藝春秋が全て。彼(大野氏)はああいうよりほかになかったのでしょう。」
文春の大野氏取材
「週刊現代の記事は私が話していないことを想像で書かれたもの。」
問「雅子さまの主治医ということは事実ですか?」
答「担当であることに間違いはありません。」と答えただけ
その他のやり取りもまったくの創作である。
文春からの週刊現代への取材
「先生と面識のあるジャーナリストがお話を伺ったもので、
本誌編集部でなんらかの改変を加えた部分は一切ない。」
大野氏は「抗議したところ、謝罪の手紙が届いた。」
現代は水面下で捏造を認めていた。


週刊朝日2012年8月3日号
ついに積年のバトル勃発 
前皇室医務主管vs雅子さま主治医
「適応障害」と診断された雅子妃の療養生活も、あと半年で丸9年
皇室ウオッチャーたちが注視する“事件”が。皇室医療担当の医師の間で戦いが“勃発”
7月20日、小町東宮大夫が定例会見で、金沢前皇室医務主管について語った
「皇室医務主管だった方が、妃殿下のご病状などについて一方的な意見表明を行った
妃殿下の治療という観点から、適切な配慮をして頂きたかった」
批判の矛先は、文春8月号の金沢氏のインタビュー
インタビューで金沢氏は、自身の紹介で雅子妃の主治医になった大野医師について
(ご病気の性質などのため、ある時からこちらに情報が入らなくなった)などと。
雅子妃の病状説明についても、
(お名前を出して国民に対して明確に説明してほしかった)と率直に述べた
「皇室内の長年の火種が一気に表に出た。大野医師や東宮夫妻へ、宮内庁の少なくない人間が疑問を感じていた」
宮内庁関係者
大野医師は記事に反発、何らかの説明をするよう東宮職に強く求め、東宮大夫会見につながったようだ
小町氏は会見で「必要に応じて宮内庁長官、医務主管に説明してきた」と語った、だが
「大野医師がここ数年で宮内庁長官に雅子妃の治療の経過を説明したのはわずか2回。
しかも宮内庁側がどうなっているのか要請した結果」別の宮内庁関係者


選択2012年12月号
狭まりゆく皇室の「窓」再論 岩井克己
雅子妃の記者会見は、平成14年を最後に途切れている。
雅子妃の精神疾患に関しては、今年五月に退任した金澤前主管が筆者のインタビューに応じ、
快復が果たされていないこと、その治療体制や天皇・皇后や国民への説明が
十分なされていないことについて忸怩たる思いを明かした。
この発言に対して雅子妃主治医の大野医師や東宮職が反発していると一部で報道
報道の真偽はともかく、主治医が強く反発したとの情報は筆者の耳にも聞こえてくる。
このこと自体が、皇族を預かる主治医としての責任意識はどうなっているのかと首をかしげざるを得ない。
天皇・皇后の医療の最高責任者が、退任に際して現状を深く憂えたことは重い。
いかにデリケートな精神疾患とはいえ、10年治癒の見通しが立たず、
この間、皇太子妃としての活動がほぼ完全に停止。
東宮に対する批判も年々高まるばかりで、皇室全体に及ぼすダメージもはかりしれない。
にもかかわらず、主治医は一度も会見に応じていない。
公的に宮内庁から辞令を受けていないとか、天皇家の内々のことに絡むなどは説得力のある理由にはならないだろう。