川嶋家の方々のニュース等

川嶋舟さん
(2006年4月)
紀子さま弟結婚
相馬三妙見社の一つとして知られる相馬市の相馬中村神社で29日、
秋篠宮妃紀子さまの弟で東京農大講師、獣医師の川嶋舟(しゅう)さん(32)と、
同神社宮司田代誠信さんの長女で同神社禰宜(ねぎ)の麻紗美さん(26)の結婚報告祭が執り行われた。
好天に恵まれた報告祭には川嶋家から舟さんの両親の辰彦・和代さん夫妻をはじめ、
相馬家第三十三代当主・和胤さんの長男行胤(みちたね)さんや立谷秀清市長ら約70人が出席し、
二人の門出を祝った。関係者によると、2人は3年前、麻紗美さんが相馬野馬追のため、
いわき市の牧場に馬を借りにいったのが縁で舟さんと知り合い、交際をスタート。
舟さんは昨年、一昨年と馬の世話役として、相馬野馬追に参加している。
(※2012年11月 調停離婚)

川嶋辰彦さん
(2009年)
タイ山村に簡易水道・トイレ、今年も学習院大ボランティア
2月25日10時19分配信 読売新聞
学習院大学の学生とOBらのグループが、タイ北部の山村で、
上下水道整備などの国際ボランティアを毎年行っている。
すでに、八つの村に簡易水道やトイレを設置し、村民の生活支援につなげた。
13年目となる今年は、3月1日に13人が現地に向けて出発する。
この活動は1997年、同大経済学部の川嶋辰彦教授(68)が、
国際協力の現場を体験してほしいと、タイ山岳地域に学生を引率したのが始まり。
これまで日本側から延べ196人が参加。
数キロ離れた川まで飲料水をくみに行かなければならなかった村人たちのため、
川から村まで水を運ぶパイプラインを作ったり、
岩のように硬い土地を約2メートル掘ってトイレを作ったりしてきた。
現金収入のために養蜂の導入やマンゴーなどの植林も進めている。
今回は、2006年から活動拠点にしている白カレン族の村に8日間滞在し、村に水を通すパイプの修理、
綿の木の植林、焼き畑農業用の防火帯づくりに取り組む。
川嶋教授は「若者らは、教室では教えられない人と人との交流の温かさを実感し、
ボランティア活動で大きく成長する」と話している。
最終更新:2月25日10時19分

杉本栄子さん
(2010年)
紀子さまの祖母死去 30日間喪に服される
2010.4.26 16:15
秋篠宮妃紀子さまの祖母、杉本栄子(さかえこ)さんが25日未明、腎不全のため死去した。
94歳。親族で密葬を行う。杉本さんは紀子さまの母、川嶋和代さんの母。
宮内庁によると、紀子さまは30日間、喪に服される。
ブルガリア大使夫妻のご引見など、今週予定していた公務5件をすべて取りやめられる。
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/100426/imp1004261616003-n1.htm

川嶋舟さん
(2011年)
紀子さまの実弟・川嶋氏が被災地支援陣頭指揮
スポーツ報知 3月21日(月)8時1分配信
秋篠宮妃紀子さま(44)の実弟で、東農大講師の川嶋舟(しゅう)さん(37)が、
震災で被災した妻の地元・福島県相馬市へ支援活動を行っていることが20日、分かった。
川嶋さんは帰省途中に被害に遭ったものの無事で、
救援物資が被災地に十分に届いていない現状を「報道以上に現地は混乱」などと、
ソーシャル・ネットワーキング・サービス「フェイスブック」で報告。
トラックで自ら東京入りして物資を調達、配送する作業の陣頭指揮を執っている。
紀子さまの実弟で、震災で深刻な被害を受けた福島県相馬市に妻子を残している獣医師の川嶋さんが、
被災地の支援活動に奔走している。
川嶋さんはマグニチュード9・0の大地震、津波の被害状況をフェイスブックで
「報道以上に現場は混乱」「相馬市には、人口4万人弱のところに原発関連の避難も含め
1万以上もの人を受け入れているようです」などと報告した。
東京に住む学習院高等科時代からの親友で、
4月の豊島区議選にみんなの党から出馬予定の関谷二葉氏(37)も全面支援。
ブログで「相馬市、南相馬市だけでなく北隣新地町も津波に遭いました」、
必要な物資についても「水 炊き出しのいらないおにぎり 塩 簡易の医薬品…」と、川嶋さんの声を代弁した。
ブログなどによると、川嶋さんは支援物資が相馬市に十分届いてない現状に
「届かないから、取りに行く!市長と相談した」と決意。
キャンピングカーと2トントラックを調達し、13日に東京へ。
15日に一度、物資を相馬市に持ち帰り、18日に再び東京に向かったという。
20日夕刻には、紙おむつや下着、毛布などを積んだ第3便のトラックが相馬市に到着。
届いた物資を仕分けて市役所の救援物資担当者に預け、市内約10か所の避難所などに
分配されている。相馬市に住む妻・麻紗美さんの父・田代誠信さん(58)によると、
川嶋さんは11日、単身赴任先の東京から麻紗美さんと長女が住む同市に帰省中、被災。
仙台駅から常磐線で相馬駅へ向かう途中、1駅手前の駒ケ嶺駅付近で被害に遭ったが
無事で、誠信さんが宮司を務める「相馬中村神社」へ徒歩で約2時間かけてたどり着いた。
同神社は震災で鳥居などが損傷したが、海岸から約5キロ離れているため、
津波による大きな被害は免れた。川嶋さんは学習院高等科を卒業後、
麻布大―東大大学院で獣医学を専攻。2006年に結婚した。
現在は東農大農学部バイオセラピー学科で講師を務め、獣医師としても活動している。
誠信さんによると、川嶋さんは震災後、紀子さまと連絡を取ることができ、自身と家族の無事を伝えたという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110321-00000001-sph-soci

東日本大震災:「心のケアが大事」 被災地で緊急医療、日田の岩里医師戻る /大分
東日本大震災の被災地の福島県相馬市で緊急医療活動に携わった
日田市の岩里正生医師(54)=医療法人聖陵岩里病院理事長=が戻り、
28日、「心のケアを含め、本当に必要な医療はこれから」と語った。
理学療法士の桑野早苗さん(31)とともに22~26日、避難所を駆け回った。
秋篠宮妃紀子さまの実弟で東京農大講師の川嶋舟(しゅう)獣医師(37)の「医療SOS」に応えた。
岩里医師は紀子さまの父の川嶋辰彦学習院大教授とはカンボジアやタイでの
「海外協力研修プログラム」(GONGOVA)仲間で、舟さんとも十数年来の付き合い。
舟さんは妻の実家の相馬市を訪問中に大震災に遭い、そのまま救援物資活動などを続けている。
医薬品や漢方薬などを持参した岩里医師らは、現地の開業医8人が4人1組で回る避難所10カ所に同行。
「家族を亡くしたショックや避難生活ストレスのため、高血圧患者が多い。放射能を恐れて窓を閉め切り、
暖房で空気が乾燥して脱水症状の患者も目立った」。
特に、桑野さんのマッサージやラジオ体操が大人気だったという。
最後に「避難生活の長期化で、将来の不安に対処するカウンセリングが最も大事」と語った。【楢原義則】
毎日新聞 2011年3月29日 地方版
http://mainichi.jp/area/oita/news/20110329ddlk44040676000c.html

(2013年)
医療奉仕:日田の医師・岩里さんら、タイで 川嶋名誉教授を支援 /大分
毎日新聞 2月24日(日)15時28分配信
日田市銭渕町の聖陵岩里病院理事長で医師の岩里正生さん(66)と
看護師の田坂恭子さん(33)が27日から3月6日まで、タイ北西部で医療奉仕する。
秋篠宮妃紀子さまの父、川嶋辰彦・学習院大名誉教授の海外協力研修プログラム
(GONGOVA)に取り組む学生隊員や村人の健康を支える。
2人が向かうのは古都チェンライ市から車で2時間半の山岳地帯にある白カレン族の居住地、
ホエヒンラートナイ村(人口約100人)。
訪問は2年ぶりで「皮膚病や眼疾、マラリアなどが多い。
今回は特に、衛生思想を普及させたい」と話す。
岩里さんはカンボジアの小児病院建設に尽力し、タイやカメルーンでも医療奉仕した。
川嶋さんとは古い仲間。
東日本大震災では福島県相馬市に赴いた。相棒の田坂さんは英語が得意で
「村にどんな疾患があり、どういう処置が必要かを見極め、自分の力を試したい」と語る。
川嶋さんは96~10年の間に計42回、タイを訪問。延べ滞在日数は810日を超える。
麻薬栽培が根強く残る「黄金の三角地帯」周辺の少数民族を対象に、換金できる果物や作物の栽培指導、
井戸掘削、簡易トイレ建設、道路整備などを続けている。【楢原義則】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130224-00000211-mailo-l44

(2015年)
「村人から学ぶ」タイで支援18年 紀子さま父・川嶋さん発案、養蜂復活
2015年3月5日16時30分
タイ北部の山岳少数民族の村に20年近く通って、
土木作業や養蜂技術の指導に汗を流すボランティアグループがある。
率いるのは秋篠宮妃紀子さまの父、川嶋辰彦・学習院大名誉教授(74)。今年も先月、現地入りした。
「与えるのではなく、村人から学ぶ」姿勢に徹した支援は、互いの言語を学び合う活動へと広がっている。
NPO法人「草の根国際協力研修プログラム」の頭文字から「GONGOVA」(ゴンゴバ)と呼ぶ活動。
1997年に学習院大の課外活動プログラムとして川嶋さんが始めた。
当初は研究室の学生や卒業生が中心だったが、2011年の退任後は、参加者は全国へ広がり、
今回は東京、大阪、埼玉、山口、沖縄などから15人が参加。2月20日に日本を発って、現地に入った。
活動先は数十人から100人前後が自給自足で暮らすカレン族の村落。
川嶋さんがトレッキングでタイを訪れた際、ガイドから水くみが大変だという話を聞いたのがきっかけだった。
村の技術を使い、村人とともに、村に水洗トイレを整備し、共同の給水施設を造る。
校舎の建設や太陽光パネルの設置もする。
地元で途絶えていた養蜂も東洋ミツバチの導入と技術指導で復活させ、主要産業の一つに育てた。
資金は日本での募金で集め、資材は主にタイで調達して村人に工賃や食費を払う形で、
18年間に10村以上で活動してきた。
活動拠点の一つホエヒンラートナイ村に滞在して5年になる川嶋研究室出身の富田育磨さん(42)は
「村の生活と村人の意欲を徹底して尊重して、村の技術を使って村人と一緒に進める。
だから喜ばれ、継続するのでは」と話す。
この1、2年は村人の間で日本語学習熱が高まり、富田さんが夜、村の長老の家などで
村人に漢字や仮名を教えるようになった。今では会話ができる人も数人いるという。
参加する日本の学生にも現地語である白カレン語の習得を目指す人が増え、互いに学び合っている。
「言葉を学ぶということは、相手をより深く知りたいという思いの発露。
活動が受け入れられてきた成果でしょう」と富田さん。
昨年参加して白カレン語を学び、今回も参加している東京女子大2年の塩原佑実さん(19)は
「現地の言葉で話すことで村人がより身近になる。
ゴンゴバに参加して、どこに住んでいても人は皆同じなんだと実感しました」という。
下準備や引率で毎年数回現地入りし「タツ」の愛称で村人や学生に親しまれている川嶋さんは
「ともに喜び合うボランティア。ぼくらが学ぶチャンスを村にいただいています」と話す。(斎藤智子)
■「大学発」の先駆け
<放送大学の「国際ボランティアの世紀」という講座でゴンゴバの活動も紹介している山田恒夫・同大教授の話> 
約10年前から現地での活動を数回視察してきたが、衛生状態の改善から始まって生活環境の整備、
産業の育成、さらに語学や文化交流まで、村のニーズの変化をよく把握し20年近く続けている点で
特筆すべき活動だ。日本語熱の高まりは、支援が村人にとてもよく受け入れられてきた証しで、
国際ボランティア団体としては未踏の領域に入っている。
「大学発」の国際ボランティアの先駆けであり、経験は非常に貴重だ。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11634981.html

「稲作と米食が日本文化の源」歯止めかからぬ「和食」離れ 運動体旗揚げ続々
和食がユネスコ無形文化遺産に登録されて12月4日で3年目に入った。
しかし、日本人の食生活は一向に「和」に回帰せず、西洋化まっしぐら。
そんな状況を憂い、打開するため、今年に入って相次いで2つの運動組織が立ち上がった。
新嘗祭の翌日、11月24日が「和食の日」と認定されて2年目となったこともあり、
ようやく全国的な運動へと盛り上がりを見せ始めている。
東京・渋谷のセルリアンタワー東急ホテルで10日、
一般社団法人日本食文化会議(事務局・東京)が設立総会を開いた。出席者約250人。
秋篠宮妃紀子さまの弟で東京農業大学准教授の川嶋舟(しゅう)氏、
作家・憲法学者の竹田恒泰(つねやす)氏、冷泉家25代当主婦人の冷泉貴実子(きみこ)氏、
料理評論家の服部幸應(ゆきお)氏ら多数の著名人が訪れ、旗揚げにエールを送った。
(略)
2015.12.11 18:28 産経新聞
http://www.sankei.com/west/news/151211/wst1512110072-n1.html

―・・―・・―・・―・・―・・―・・―・・―・・―・・―・・―・・―・・―


女性セブン2006年5月?日号
紀子様の弟、舟さんの結婚に当たり、皇后様から大きなバスケットに入ったお花が届けられた。
神社関係者は一同恐縮、感無量。
紀子様も感涙。
その紀子様から麻紗美さんには、手袋、扇子などのセットが贈られた。
結婚の報告に皇居に参内される際に、とのお心配り。
紀子さまの舟さんの結婚式でのご様子、とてもうれしそうで、
妊娠七ヶ月のお体にもかかわらず出席者一人ひとりに頭を下げてお礼を言われた。
当初は美智子さまも出席される予定だったが、警備が物々しくなることを考え、
また紀子さまが気兼ねなくご実家の方に会えるようにと、考えて欠席された。
神田氏
「親族の慶事に皇后の出席が検討されること自体異例」
「美智子さまは、日ごろから皇族としての務めを
立派に果たされる紀子さまに格別の思いを寄せている」。
「欠席なさった美智子さまの思いを紀子さまは汲み取り、さらに嫁姑の絆が深くなった」
舟さん夫妻は披露宴に先立って御所を訪れ、
天皇皇后両陛下にあわれ、両陛下はこころからお祝いの言葉をかけられた。


週刊新潮2011年3月31日号
「大震災」復興の群像
被災した「紀子さま」実弟の「2トントラック」奮戦記
・川嶋さんはその日、妻子の待つ福島県相馬市に帰省途中だった。
目的地の相馬駅まであと2駅の新地駅付近で大震災に見舞われた。
4両編成の車両は津波にのみ込まれ、バラバラに横転。
だが間一髪、乗客8名と乗務員は避難することが出来た。
命拾いした川嶋さんはそれから約2時間歩き続け、妻の実家である相馬中村神社に辿り着いたという。
「安否確認のメールをしたら、震災翌日に無事を伝える返信があり、ホッとしました。
その後、彼がフェイスブックに“現場は報道以上に混乱しており、
支援を取り付けるために動き出した”と投稿しているのを読みました。
すると、彼から電話があり、“2トントラックが手配できた。
東京に向かうので、救援物資を調達しておいてくれないか”と頼んできたんですよ」
(学習院高等科時代の同級生)
「学習院の同級生を中心に声をかけ、お米、粉ミルク、紙おむつなどを大量に集めました。
彼は、他の救援スタッフと一緒に13日の夕方には2トントラックとキャンピングカー2台で
相馬を出発していました。都内の数カ所で救援物資を調達していたようで、
私たちの所に到着したときは15日の昼過ぎになっていた。
運転を交代しながら、東北自動車道を5、6時間かけて走ってきたそうです。
ガソリン不足は深刻だと言っていました。荷物を詰めるとすぐに相馬に引き返していきましたね」
(前出・学習院高等科時代の同級生)
川嶋さんが集めた救援物資は、相馬市の担当者に引き継がれ、市内11カ所の避難所に
身を寄せている被災者のもとに届けられたという。
「やはり、紀子さまの弟ですし、仮に将来、悠仁さまが天皇になられると、
その叔父にあたるわけですから、あまり目立ちたくないようです。
ただ、本人としては相馬のためにできることを純粋な気持ちでやっているだけだと話していました。
すでに紀子さまには家族全員の無事を伝えることが出来たみたいですよ」(別の友人)
救援物資調達が一段落すると、川嶋さんは被災者の身の回りの世話をするボランティアとして活動しているそうだ。


女性セブン2011年4月21日号
「こんなにも大変な時期で多くの人が苦しんでおられるのだから少しでも役立つことをしたい、と」
そう話すのは紀子様の弟、川嶋舟さんの妻麻紗美さん。
舟さんは東京農業大学の講師を務めているため単身赴任。3月11日は電車内で被災。
相馬の惨状に被災者支援を思う。3月13日支援物資調達のため相馬を出発翌朝東京着。
「川嶋君の顔は疲労困憊で、生きててよかったと思わず涙が出るほど。顔色は悪かったが一切無駄口も叩かず、
黙々と救援物資を積み、そのままとんぼ返りで相馬へ。(学習院時代からの友人・関谷ふたば氏)
途中2カ所で物資を受け取り翌朝、相馬市役所の担当者へ届ける。
その後も何度も相馬と東京を行き来して支援活動を続け、Facebookで報告している。
舟くんは救援物資の調達だけではなく長期的な視野に立った支援もしてくれている。
そのひとつが"子ども文庫"。東京から持ってきた子供用の本を相馬中村神社内に設置。
また被災者のために動物介在療法を提案。その必要性に仮設住宅ではペットを飼うことを許可。
(かねてより親交のある立谷英清・相馬市長)
紀子様は舟さんと数日連絡が取れず、また被災地の状況に心を痛められた。(川嶋家知人)


黒柳徹子らと懇談の佳子さま「お酒はまだ飲んでません」と告白 

黒柳徹子らと懇談の佳子さま「お酒はまだ飲んでません」と告白 
2015.02.05 07:00

東京・国立能楽堂に母・紀子さま(48才)とともに佳子さま(20才)が姿を見せられると、
会場から一斉に温かい拍手がわき起こった。
2月1日、おふたりは耳の不自由な人たちでつくる「日本ろう者劇団」による『手話狂言・初春の会』を鑑賞された。
「舞台を鑑賞されている間、ずっと背筋をピンと伸ばされ、姿勢を崩されることのない佳子さまのお姿には
頭が下がる思いでした。やはり、これは紀子さまのご教育の賜だと思いますよ」(皇室記者)
終演後は、同劇団を支える社会福祉法人『トット基金』の黒柳徹子理事長(81才)らと懇談の時間を持たれた。
「そこで成人の話題が出て、佳子さまは“お酒は飲んでいいのですが、まだ飲んでません”などと
ユーモアを交えて話されたそうです。手話の練習もされていて、ある劇団員が
“ご成人、おめでとうございます”と手話で祝福したところ、
佳子さまも手話で“ありがとうございます”と返されたようです」(前出・皇室記者)
この1月に成年皇族としてデビューを果たされた佳子さまだが、日々前向きに公務に取り組まれている。
1月28日には、東京・日本橋高島屋で『第46回現代女流書100人展』を鑑賞された。
「開店前の午前9時半から約40分間、書家の兼岡白葉さんから説明を受けながら、
作品158点すべて見て回られました。青色に見える薄墨をご覧になられると“こんな色もあるんですね”と
驚かれたり、若者らしい感性溢れる質問もなさっていました」(高島屋関係者)
ちなみにこの日は、秋篠宮さま(49才)や紀子さまは同行されず、佳子さまにとって成年皇族になられて、
初めてのおひとりでのご公務となった。
1月30日には、東京・池袋のサンシャインシティ文化会館で『第64回関東東海花の展覧会』を
紀子さまとともに観賞されている。この日の午前中には皇居・皇霊殿で行われた孝明天皇例祭の儀にも
出席されるなど、今佳子さまは皇族の中でも1、2を争う多忙ぶりなのだ。
ご訪問の先々で、関係者や居合わせた人々に笑顔を見せられ、手を振って応えられる佳子さま。
その初々しいお姿には、皇室新時代の息吹きさえ感じられる。
※女性セブン2015年2月19日号
http://www.news-postseven.com/archives/20150205_302209.html

秋篠宮摂政論

「秋篠宮摂政論」に皇室事情通「最も現実的な選択肢」と評価
2013.06.18 07:00
去る6月9日、皇太子殿下と雅子妃が成婚20年を迎えた際、
両殿下は文書で発表した「ご感想」の中で次のように述べた。
「雅子につきましては、療養が長くなり、ご心配をいただいていることと思いますが、
お陰様で、以前と比べ大分元気になったように思います」
当日のテレビ報道の多くは、雅子妃が11年振りの海外公式訪問となるオランダ訪問(新国王即位式への参列)
を果たしたことなどを取り上げ、回復ぶりを強調した。
だが、宮内庁周辺にはその祝賀ムードとは裏腹の動きがあると、宮内庁関係者が明かす。
「実は宮内庁内部や一部の宮家関係者などの間で、将来、両殿下が天皇皇后になられた際、
雅子妃の公務負担を軽減するため、秋篠宮殿下に摂政に就任していただくべきだとする意見が出ているのです」
皇室に詳しいジャーナリストは、その背景をこう説明する。
「オランダから帰国後、期待された雅子妃の公務による外出がただ一度に限られ
(故寬仁親王喪儀墓所一周年祭の儀に参列)、被災地訪問の計画も先行き不透明な状況から、
やはりご病状の回復はなかなか難しいという認識がある。
その一方、精力的に公務に励まれる秋篠宮ご夫妻の存在感が、必然的に高まっている」
そうした現状を背景に浮上したのが「秋篠宮摂政論」である。皇室制度に関する有識者ヒアリングに出席するなど、
皇室に詳しい八木秀次・高崎経済大学教授は、「いま考えられる最も現実的な選択肢だ」と評価する。
「宮内庁内で検討課題になっていなければおかしい話ですが、
これまでは選択肢の一つとして話すこと自体、タブーとされてきました。
しかし、いまやこれに関する議論を避けてはいけない。
歴史上、天皇皇后両陛下が一緒に行動することは必須ではありませんでしたが、
その当時の皇后のお務めを果たしていた。たとえば香淳皇后も、
昭和天皇の巡幸や外国からの国賓を招いた晩餐会のときには同席されることがほとんどでした。
まして平成においては皇后陛下の存在感は増し、
被災地などへ両陛下揃ってのご公務というスタイルが定着し、国民から支持されています。
だとすれば、雅子妃が療養を続けたまま皇太子殿下が天皇に即位された時、ご夫妻が十分に天皇皇后として
お務めできるだろうか、という懸念が国民から出てくるのは当然です。
そのとき、秋篠宮殿下が摂政としてサポートできれば、状況はずいぶん改善されるのではないか」
例えば、ある国にはご夫妻で訪問するのに、別の国にはおひとりで訪問するとなれば、
相手国から見れば不公平との憶測も呼びかねない。
実際、皇太子夫妻でのオランダ訪問後、皇太子の単独訪問となったスペインのメディアは、
「皇太子はまた一人になった」「雅子妃は再び檻に戻り悲しんでいる」(エルパイス紙)などと書き連ねた。
「代わりに秋篠宮ご夫妻が訪問したとしても、一宮家の立場だと格が下がってしまう。しかし、
摂政宮とその妃という立場ならば重みが生まれ、相手国の受け止め方も変わってくるはずです」(前出・八木氏)
※週刊ポスト2013年6月28日号
http://www.news-postseven.com/archives/20130618_194660.html


秋篠宮摂政論への期待 皇室が近代では異例の状態にあるため
NEWS ポストセブン 6月19日(水)7時6分配信
いま宮内庁内部から「将来、両殿下が天皇皇后になられた際、雅子妃の公務負担を軽減するため、
秋篠宮殿下に摂政に就任していただくべき」とする意見が出ているという。
「秋篠宮摂政論」が論議される背景には、「天皇皇后の健康問題」という避けては通れない事情がある。
昨年2月に心臓の冠動脈バイパス手術を受けた天皇は「手術前より元気になられた」という見方もあるが、
79歳という高齢である。さらに最近、78歳になった皇后が公務を休まれるという異例の事態もあった。
「皇后陛下は大変我慢強く、極めて責任感の強いお方です。その皇后陛下が公務をお休みになる、
しかも当日になって発表されるのはよほどお辛かったからではないでしょうか」(宮内庁関係者)
その状況下で、一部ではさらに踏み込んだ意見も飛び出している。「今すぐ、秋篠宮殿下を摂政に」と唱えるのは、
元内閣総理大臣官房・内閣安全保障室長で、昭和天皇の大喪の礼の警備担当実行委員も務めた佐々淳行氏である。
「本来、両陛下に代わって公務を行なうべきは皇太子ご夫妻ですが、残念ながら雅子妃はご病気のために
十分な役割を果たせず、皇太子殿下も雅子妃のご病気のことで目一杯になられている。ならば、雅子妃には
今は徹底して療養していただき、皇太子殿下もそれに専念なさるほうがいいのではないでしょうか。
その間、秋篠宮殿下に摂政をお任せしてはいかがでしょうか」
確かに天皇皇后の公務削減は喫緊の課題であるが、東日本大震災の被災地・被災者お見舞いをとってみても、
皇太子夫妻がこれまで5日(皇太子単独が2日)に対し、
秋篠宮夫妻は13日と、秋篠宮夫妻の公務への取り組みが目立っている。
だが、今すぐ――すなわち今上天皇から皇太子へ皇位継承が行なわれる前に、秋篠宮が摂政に就任するには、
就任の事由に加え、本来摂政になるべき順位で上にある皇太子との間で、就任順位まで変える必要が生じるなど、
さらにハードルは高まり、現実的には難しく、かつ反発も強い。
しかし、「秋篠宮摂政論」の是非や実現性はともかく、皇室の将来が皇室内外で真剣な議論を呼んでいる現実がある。
宮内庁担当記者が明かす。
「実は、昨年2月に天皇陛下が手術を受けて以降、月1回のペースで、皇居内で天皇陛下、皇太子殿下、
秋篠宮殿下の御三方に宮内庁長官を加えた会合が行なわれている。
そこで話し合われているのは、被災地のお見舞いスケジュールだけではないはずです。
皇太子殿下が天皇に即位した場合、雅子妃は皇后としてどれだけの活動ができるのか、あるいは秋篠宮殿下が
天皇となった皇太子殿下をどう支えていくのか、さらに今後の皇位継承や皇室の在り方をどうしていくか、
といった重大なテーマについても、話し合われているのではないでしょうか」
秋篠宮はあくまで兄である皇太子を陰から支える姿勢を一切崩していない。それでも周囲が摂政になるのを
期待してしまうのは、現在の皇室が近代では極めて異例の状態にあるからだ。
皇室に詳しい八木秀次・高崎経済大学教授が話す。
「将来の皇位継承者が悠仁親王しかいない以上、これまでの皇室制度とは違った前提の議論を展開する必要が
あるはずです。江戸時代の光格天皇(在位1780~1817年)以降、父から子への皇位の直系継承が続いており、
兄から弟の系統に皇位が移るような傍系への皇位継承は、数百年ぶりになる。現状の皇室典範も皇室のあり方も、
父子間の継承しか想定されていない。議論の前提が変わったことを認識したうえで、
さまざまな選択肢を検討する必要があるのではないか」
皇室が歴史的な転換点に立っていることは間違いない。
今、皇室の将来について国民も真剣に考えるべき時がきている。
※週刊ポスト2013年6月28日号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130619-00000011-pseven-soci

佐々淳行氏

恐ろしい計画?

不仲説ささやかれる”両家”だが…
雅子さま、秋篠宮家・悠仁さまを東宮御所に「ご招待」の理由
2015年11月03日(火) 16時00分
〈週刊女性11月17日号〉

精力的なお出ましで、「本格復帰」への道を歩まれている皇太子妃雅子さま。
前向きな雰囲気が漂うなか、こんな話が持ち上がっているという。ある東宮職関係者が打ち明ける。
「10月27日から秋篠宮ご夫妻がブラジル訪問で不在にされていますが、
皇太子ご一家が秋篠宮家のお子さま方、特に悠仁さまを東宮御所にご招待するプランがあるようなのです」
秋篠宮ご夫妻は、外交関係樹立120年を記念して、ブラジルを公式訪問中。
帰国予定は11月10日で、2週間近く家を空けることになる。
「その間は、お姉さまの眞子さまと佳子さまが、悠仁さまの面倒をみることになりますが、
おふたりとも多忙なので、皇太子ご一家が手を差しのべられることが検討されているようです」(同・関係者)
英国留学から帰国したばかりの眞子さま(24)は、10月に父・秋篠宮さま(49)から「日本テニス協会」の
名誉総裁職を引き継ぐなど、成年皇族としての活動を本格化されている。
11月初旬には、泊まりがけで石川県を訪問し、12月には、中米・ホンジュラスなど
に初の海外公式訪問をされる日程が入るなど、多忙を極めている。
国際基督教大学(ICU)1年の佳子さま(20)も学業がお忙しく、11月中旬から2学期の試験も控えている。
「佳子さまは、10月24日と25日に開かれたICUの学園祭『ICU祭』に両日ともいらっしゃいませんでした。
学業を優先させたのか、ご両親のブラジル出発が直前だったので、
そのお手伝いや打ち合わせなどがあったのかもしれません。
成年皇族として、それだけご多忙だということだと思います」(宮内庁関係者)
その間、宮邸にひとりポツンと残されてしまう悠仁さまを、東宮ご一家がお誘いするという計画なのだが……。
前出の東宮職関係者が、“招待プラン”が持ち上がった理由を説明する。
「そもそも皇太子ご夫妻は、秋篠宮ご一家に愛子さまの面倒をみてもらった“ご恩”があります。
'13年4~5月にかけて、皇太子ご夫妻がオランダを訪問されていた間、
秋篠宮ご一家は留守番の愛子さまを何度か宮邸に招待し、お相手をして差し上げたのです。
愛子さまは、たいそう楽しいひと時を過ごされたようで、皇太子ご夫妻は深い感謝の念をお持ちになり、
今回はご一家が、悠仁さまをご招待しようというのです」
特に皇位継承権を持つ悠仁さまの誕生以降、
一部で“不仲”がささやかれることもある東宮家と秋篠宮家の「関係」だが─。
今年の5月には、栃木県の御料牧場で静養中の皇太子ご一家に、
秋篠宮ご一家が合流もされているので、普段から交流は盛んだと思います。
現地では、一緒に牧場内の野菜をご収穫。夜には皇太子ご一家が秋篠宮ご一家を夕食にお招きし、
約2時間にわたって歓談されたという微笑ましいエピソードもありました」(宮内庁担当記者)
雅子さまは今までご体調に波があるなか、両陛下の結婚記念日や海外王族などを招待する大切な夕食会を
東宮御所で開くときには、メニューや段取りを自らお決めになっている。
「秋篠宮家のお子さま方をランチやディナーに招待するとなれば、
雅子さまはお三方の好き嫌いを含めた入念な準備をされると思います」(前出・宮内庁関係者)
両家のお住まいは赤坂御用地内にあるので、散歩をされている際にバッタリと出会うことも。
行き来されるときは、敷地内でのご移動ですむという。
「悠仁さまが、お茶の水女子大学附属幼稚園時代は、車で紀子さまが同乗できないときは、
佳子さまが付き添われていたこともありました。
今回も、もし悠仁さまが東宮御所に招待されることになれば、ひとりで……というわけにはいかないので、
眞子さまや佳子さまも同行されると思います」(秋篠宮家関係者)
http://www.jprime.jp/tv_net/imperial_household/20315

 
※実際には、親王殿下、内親王殿下が東宮御所に行くことはなく無事

紀子妃殿下 先祖

他拾い物

紀子妃の曾祖父(祖母の紀子さんの父)の池上四郎元大阪市長は、会津出身の出世頭の1人
関東大震災の時、船を仕立てて大阪から緊急援助物資を東京に送って感謝された。
そのときの摂政が昭和帝だった。
大阪市長での実績が認められて、最後は朝鮮総督府の文官のトップの総務監
(ナンバー2、トップの総督は軍人)になり、小作人保護の善政を敷いた

紀子妃の曽祖父は関東大震災の折り、船を仕立てて食料日用品を積み、横浜・東京に送らせた
この業績は宮中でも高く評価された
旧会津⇒警察官僚⇒市長の経歴が生きた

池上四郎(いけがみ しろう、安政4年4月18日(1857年5月11日) - 昭和4年(1929年)4月4日)
は、日本の官僚、政治家。第6代大阪市長、第6代朝鮮総督府政務総監。
兄に検事池上三郎、娘婿に内務省官吏石川銀蔵。文仁親王妃紀子は曾孫に当たる。

紀子妃のご先祖が和歌山県有田郡清水町(*現・有田川町)出身であり
平家の落人部落の出だから「部落民」の出身だと言う書き込みがいくつかあったと思いますが、
先日、和歌山県有田郡内で20年以上部落解放運動に携わってきた方
<和歌山県下には各町に部落解放同盟の支部があるが、“清水町には部落がない”ため支部もない>と言うことでした。
誰かが、何らかの意図を持ってデマを流した。

紀子さまの父方祖母の父親(曽祖父)の池上四郎は、
戊辰戦争のさい年齢が足りなかったので白虎隊に入れなかった。
でも、お城の戦いには参加。
白虎隊に入隊できない子供が戦場にいたので、当時の藩主が直々に声をかける。
で、そのお殿様が秩父宮妃の祖父。
子供に恵まれなかった秩父宮妃は、家臣の末裔の紀子妃の入内を喜び、眞子さまが誕生の際には
「会津の血をひく内親王さまが誕生なさった。
皇統に会津の血が入り、これで逆賊の汚名は注がれた」と喜んだ。
「もしも秋篠宮家に、二名以上の男子が誕生したら、そのうちのお一方に秩父宮家を継いで欲しい」と仰られていた。

池上四郎氏の妻の父(要するに紀子妃のひいひいおじい様)に当たる小菅智淵は幕臣であり、
榎本武揚らとともに五稜郭で最後まで戦い抜かれ、
捕虜になった後静岡の徳川家に預けられたという経歴をお持ちです。
この静岡徳川家の当主は最後の将軍慶喜公。そしてその孫娘が高松宮喜久子妃。


秩父宮妃は会津の姫であり、徳川家につながる方。
高松宮妃は徳川最後の将軍、慶喜公の孫娘。
明治維新で官軍に刃向かう形になり、
逆賊と蔑まれた方々の末裔が会津藩士の末裔である紀子妃、
そしてその血を引く悠仁親王殿下。
秩父・高松両宮妃が入内することによって始まった
旧幕府陣営と皇室との和解が悠仁親王の即位によって成就する。
小菅智淵は静岡徳川家が身柄を引き取ったが、能力を見込んだ明治政府に請われ陸軍へ。
池上四郎も小菅智淵も銅像になった人でもある。
(小菅の銅像は芝公園にあったが、先の大戦で供出され今はない)


この年(大正12)4月、大阪市は公費を以って、3ヶ年計画で、市内全小学校に1校1名の割りで、
学校看護婦(大阪では学校衛生婦と称した)を配置する事業を開始した。
この1校1名駐在、全校配置の制度こそ、日本の学校看護婦をして欧米のスクールナースと違う道を
歩み始めさせる決定的なきっかけとなったものである。欧米のスクールナースの場合は、
1校に駐在するものではなく、数校を巡回するものであったから、
対象者(英米の場合は伝染性皮膚病が主であった)がいなくなれば
回ってこなくなるし、児童の救急手当てにも従事しなかった。
それに対して日本の学校看護婦は、学校に駐在することによって、
単に病気を持つ児童の看護に従事するだけでなく、
日常的に健康な児童の健康管理から、衛生教育にもあたることになって行くのである。
欧米のスクールナースがいつまでも衛生職員でとどまっているのに対して、
日本の学校看護婦が最終的に学校職員に編入され、
さらに教員として遇せられるようになって行く大きな理由がここにあったのである。
この事業を開始したのが当時の大阪市長池上四郎(いけがみしろう、1857~1929)である。


川嶋家自体は、紀州の庄屋。
紀子妃の曾祖父(祖母の紀子様の父上)の池上四郎(元朝鮮総督府政務総監、元大阪市長)が会津藩士。
池上兄弟(兄の三郎は検事)は、戊申後に苦労した会津藩士の出世頭の一人。
池上家は、250石で上級藩士。