宮家・元皇族の方々 目次

やりくりの記 東久邇成子さん(昭和天皇第一皇女)
両陛下 鷹司和子さんのお墓参り(昭和天皇第三皇女)


秩父宮(大正天皇第二皇男子) 淳宮雍仁(あつのみややすひと)親王殿下
明治35年6月25日-昭和28年1月4日
勢津子妃殿下(松平恒雄第一女子)
明治42年9月9日-平成7年8月25日


高松宮(大正天皇第三皇男子) 光宮宣仁(てるのみやのぶひと)親王殿下
明治38年1月3日-昭和62年2月3日
喜久子妃殿下(徳川慶久第二女子)
明治44年12月26日-平成16年12月18日


紀宮様(上皇第一女子・清子《さやこ》内親王殿下):黒田清子さん
昭和44年4月18日-



常陸宮(昭和天皇第二男子) 義宮正仁(よしのみやまさひと)親王殿下
昭和10年11月28日-
華子妃殿下(津軽義孝第四女子)
昭和15年7月19日-


三笠宮(大正天皇第四男子)
澄宮崇仁(すみのみやたかひと)親王殿下
大正4年12月2日-平成28年10月27日
百合子妃殿下(高木正得第二女子)
大正12年6月4日-


(三笠宮崇仁親王第一男子)
寛仁(ともひと)親王殿下(正しくは寛に点があります)
昭和21年1月5日-平成24年6月6日
信子妃殿下(麻生太賀吉第三女子)
昭和30年4月9日-
彬子(あきこ)女王殿下
昭和56年12月20日-
瑶子(ようこ)女王殿下
昭和58年10月25日-




話の肖像画 平成27年産経新聞連載
瑞穂のくに 日本がたり 平成28年朝日新聞連載


桂宮(三笠宮崇仁親王第二皇男子) 宜仁(よしひと)親王殿下
昭和23年2月11日-平成26年6月8日

高円宮(崇仁親王第三男子)
憲仁(のりひと)親王殿下
昭和29年12月29日-平成11年11月21日
久子妃殿下(鳥取滋治郎第一女子)
昭和28年7月10日-
承子(つぐこ)女王殿下
昭和61年3月8日-
典子(のりこ)女王殿下:千家典子さん
昭和63年7月22日-
絢子(あやこ)女王殿下:守谷絢子さん
平成2年9月15日-


三笠宮家「信子さま」“料理本”と“公務”への風当たり

療養中の寛仁親王妃信子さま、料理の本を出版へ
宮内庁は30日、三笠宮家の寛仁親王妃信子さま(58)が、
東日本大震災の被災地・福島の食材を生かした料理を紹介した本
「思い出の先にはいつも家庭料理」(マガジンハウス刊)を10月17日に出版されると発表した。
信子さまはストレス性ぜんそくで療養中だが、近く公務に復帰する意思を持たれているという。
寛仁さまと40年来の友人である福島県伊達市の写真家青柳陽一さんの協力で、
信子さまが同市に通って研究した、地元食材を使った料理をエッセー付きで紹介。
信子さまは宮内庁を通じ、「地産地消の料理の評判は、私が少しでもお役に立っていると
実感することができて、療養中の私は大いに元気付けられました」との感想を文書で寄せられた。
(2013年9月30日18時41分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130930-OYT1T00957.htm


三笠宮家「信子さま」“料理本”と“公務”への風当たり
book Cafe 矢来町ぐるり 10月17日(木)14時10分配信

ヒゲの殿下こと寛仁親王の信子妃(58)が、またも宮内庁担当記者を驚かせた。
殿下の薨去(こうきょ)から1年たった今年6月、
信子さまから宮内庁記者クラブに直接、お手紙が届いて、まず仰天。
そして今度は、本を出版される上、公務にも復帰されるというのだ。
「9月30日、宮内庁の山本信一郎次長の会見があり、信子さまによる『出版にあたって』と題した文書が
配られたのです。さらに、近く公務に復帰する意思もおありだという。
ぜんそくによる療養が長引き、殿下のご葬儀や一周忌にあたる墓所一周年祭の儀にも、
お姿を見せられていないのに、本当なのだろうか、と驚いたのです」(ある担当記者)
信子さまは気管支ぜんそくのため08年12月から約10ヵ月間、慶応病院に入院。退院後も親王邸には戻らず、
宮内庁分庁舎で一人住まいを続けておられる。
「その理由として、ぜんそくはストレス性で、親王邸に直接戻ると再発のおそれがあるという
医師の意見に従った、と説明がありました。殿下の永年の闘病と破天荒な暮らしぶりや、
娘である彬子・瑶子両女王が父親寄りなことが、ストレスになったのでしょうか」(皇室ウォッチャー)
殿下の葬儀を彬子女王が取り仕切り、その後も公務に熱心に取り組んでいることに、
信子さまが焦燥を感じておられるのか。
「お手紙には、『宮様をお偲び申し上げております』とした上で、微力ながら復興支援に尽力したい、とあった。
今度の出版はそれを形にされたわけです」(同)
この17日に刊行予定の『思い出の先にはいつも家庭料理』(マガジンハウス)は、
療養の過程で訪れた福島県伊達市で、地元食材を使った料理を作った経験から生まれたレシピ本だ。
料理がお得意の信子さまならではの“支援”なのである。
「ご自分でお出来になることを、と思われたのでしょうが、
先のお手紙といい、いかにも唐突です」と、前出の記者。
「これまで、宮内庁が連絡をとっても、何の返事もなかったというし、我々も同様です。なのに、
ご自分が発表されたいときには突然、ですからね。意思の疎通がもっと密でないと、公務復帰は難しいのでは」
こちらの妃も難路にある。
※「週刊新潮」2013年10月17日号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131017-00010001-shincho-soci


寛仁親王妃が書簡 「微力ながら復興支援」


寛仁親王妃が書簡 「微力ながら復興支援」

寛仁親王妃が書簡 「微力ながら復興支援」
昨年6月6日に三笠宮家の長男寛仁さまが亡くなってから1年を迎えるのを前に、
妻信子さま(58)が5日、宮内記者会に書簡を郵送で寄せられた。
皇族が宮内庁を通さず、記者会に直接文書を発表するのは異例。
書簡は逝去1年に当たり「宮様をお偲び申し上げております」とした上で
「これからは、療養の経験を人生の糧と感謝し両陛下の御意向のもと、微力ながら(東日本大震災被災地の)
復興支援などに尽力させていただきたく存じます」と記している。
信子さまは吉田茂元首相の孫で、麻生太郎財務相の妹。2008年、気管支ぜんそくのため入院し、
退院後は宮内庁分庁舎で療養している。
(2013/06/05 21:03)
http://www.minpo.jp/globalnews/detail/2013060501002340

高円宮絢子さまご婚約関連雑誌記事


高円宮絢子さまご婚約

絢子さまは眞子さまの「ご結婚」を待っていた
「文春オンライン」編集部
6月26日、高円宮家の三女・絢子(あやこ)さま(27)が、
日本郵船に勤務する守谷慧(もりや・けい)さん(32)と婚約することが発表された。
それからわずか2日後の28日、秋篠宮家の長女・眞子さま(26)のお相手・小室圭さんが、
弁護士資格を取得するため、今夏から3年間渡米するとメディア各社が報じた。
眞子さまと小室さんは、昨年9月に婚約が内定し、2020年に結婚を延期されている。
今回のように、皇族の婚約という「慶事」と、結婚の「延期」が同時期に重なるのは極めて異例のことだ。
「ネットでは『なぜいま絢子さまが婚約を発表されたのか』と絢子さまに対し一部批判の声もあがっています。
しかし、絢子さまの婚約発表は、天皇陛下にお伝えした上でのこと。
宮家のみの独断で決められることではありません。
宮内庁としても、すべて考慮した上で発表の時期を探っていたとみるべきでしょう」(皇室担当記者)
絢子さまは、現在いる皇族17人(天皇・皇后両陛下を除く)の中でも、
天皇陛下の直系である「内親王」(眞子さま、佳子さま、愛子さま)とは違い、「女王」の立場である。
さらに、絢子さまは最年少の「女王」で、一番身位が低い立場であるため、
守谷さんにお会いする前から「いつ結婚するべきか」を気にされていたという。
「絢子さまは自身の結婚の時期について、陛下の退位、皇太子殿下の即位の関連行事の時期を外すことはもちろん、
昨年9月の眞子さまの婚約発表の際にも『仮に良縁があったとしても、今は待たなければいけない』とお考えでした。
実際、眞子さまの婚約延期が決まった2月から絢子さまの結婚話が具体化していったのです。
守谷さんと絢子さまが出会ったのは昨年末ですが、春には高円宮家の慶事が発表されるのではないかと
記者たちがマークしていました。発表に至らなかったのは
眞子さまへの“配慮”があったからとみられています」(同前)
眞子さまへの配慮は「時期」だけではない。絢子さまは、守谷さんのお名前が、
眞子さまの婚約相手である「圭(けい)」さんと名前の読み方が同じことを気にされ、
守谷さんのお名前を「けい」から、「さとし」の読みに
改名してから発表されたほうがいいのではないかというお考えを示されたこともあったという。
「絢子さまとしては、婚約発表の時期は8月頃になると考えていたそうです。
今回、宮内庁の発表前にNHKが先行して報じたことについては憂慮されているご様子です」(宮内庁関係者)
http://bunshun.jp/articles/-/7958

【絢子さまご婚約】三姉妹で語られた結婚相手の「条件」
〈子どもが好きなので、いつかは結婚をして子育てをしたいと考えております〉
(2010年9月15日・絢子さまが成年皇族になるにあたっての文書回答)
高円宮家の三女・絢子(あやこ)さま(27)がこのように「将来」について述べられたのは20歳の頃だった。
それから7年。日本郵船に勤務する守谷慧(けい)さん(32)に出会い、ようやくその“夢”を叶えられようとしている。
「守谷さんは物腰が柔らかく、周囲への気配りのある方。
170cmで細めの体形は“絢子さまのタイプ”だったそうです。幼少期はパリで過ごされ、
慶応大学文学部在学中にはオックスフォード大学に短期留学されたこともある国際派。
父親は通産省(当時)の元職員で、母親はNPO法人『国境なき子どもたち』の専務理事を務められていました。
守谷さんは2015年に母親を亡くされた後、その遺志を継いで、
日本郵船に勤務しながら理事の職を引き継いでいます」(皇室担当記者)
絢子さまは、城西国際大学・大学院で子どもや高齢者の福祉を学び、
2017年6月から同大学の福祉総合学部研究員として勤務していた。
子ども好きで、福祉に関心があるという守谷さんと共通項がある。
また、守谷さんが趣味に挙げていたスキーは、絢子さまも幼いころから親しまれてきた。
絢子さまの人柄を知る学習院関係者が語る。
「絢子さまは、ハメを外した友達の誘いにも
『私は宮さまという立場があるからさ』とやんわり断ることができる“しっかり者”でした。
親しみやすく女の子らしい一面もあり、いきものがかりの『コイスルオトメ』を聞き、
歌詞にある『大好きだよ いつまでもいっしょ』という一節のように、
女性の恋心をいつまでも大切にしたいと仰っていました。
結婚したいというお気持ちは三姉妹でも一番強かったのではないでしょうか」
絢子さまに結婚への「強い憧れ」があったのは、2015年11月、
ご友人とともに「縁結び」で知られる出雲大社の「縁結大祭」を訪れたことからもうかがえる。
「絢子さまは白い装束に身を包み、最前列で御祈祷をしてもらっていました。
その日は、八百万(やおよろず)の神が出雲大社に集まる日とされ、
大勢の女性たちが良縁を求めて出雲大社に押し掛ける。
絢子さまがご友人とともに御祈祷を受けている様子を、
周りにいた女性たちはじっと見つめていたそうです」(前出・皇室担当記者)
出雲大社の祭祀は、絢子さまの姉・典子さまが嫁いだ千家家(せんげけ)が、代々「宮司」を務めている。
「絢子さまは、典子さまに会って団欒するひとときを楽しまれながら、
お姉さまのような“良縁”を願われていたのではないでしょうか。
守谷さんに出会われるころ、偶然絢子さまがその時に求めたお守りを手にする機会があったとか。
このたび守谷さんとの御縁に恵まれたのも、
この時の御祈祷の効果があったのではないかと思われているそうです」(別の皇室担当記者)

母・久子さま主導の“お見合い”
母の久子さまは、かねてより「娘を無事にお嫁に出したい」と周囲に語られていた。
「2002年に高円宮さまが47歳の若さで急逝されてから、久子さまは高円宮さまにかわって、
公務の多くを引き継ぎ、『娘を嫁に出す』責任も果たしたいと思われていました。
皇族としての責任と、親としての責任の二つを、高円宮さまの分まで背負われたんです」(高円宮家の知人)

三姉妹が成年になられてからは、宮邸で催すパーティ等の社交の場に積極的に参加させていたという。
「特にここ数年は絢子さまの“お見合い”の意味合いが強くなり、
天皇家の遠戚にあたる旧華族や代々政治家を輩出している名家の子息を招いて自然に出会えるようにしたり、
パーティの後も、子どもたちだけで会う機会をさりげなく設けるようにしていました。
そういった機会に恵まれていたからか、ご姉妹は『結婚相手をどう見極めるか』と話しあわれる機会もあったそうです。
そのポイントの1つが『結婚後も家同士できちんと付き合えること』。
絢子さまも、久子さまが良いと思う方ならば『間違いない』と
思われていたのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)という。
守谷さんとの出会いのきっかけをつくられたのも久子さまだった。
「久子さまが、昨年11月、『国境なき子供たち』の設立20周年の祝賀会で守谷さんに会い、
その人柄に好感を持たれていたようです。その後、宮邸で久子さまと、
守谷さんの父・治さんと慧さんの3人でお会いする機会があった。
その時、久子さまが機転を利かせて
『その話は娘が詳しいので、次は娘も呼びましょう』と再び会うきっかけをつくられたのです。
お二人は出会ってから半年ですが、久子さまと慧さんの父・治さんとは40年ほど前からの知り合いで、
母・季美枝さんとは、季美枝さんが専務理事をしていた『国境なき子どもたち』の関連行事で親しくお付き合いがあった。
久子さまがお相手の家族をよく知っていたからこそ安心して自ら“紹介”されたのでしょう」(前出・皇室担当記者)
次第に慧さんが絢子さまに心を寄せられるようになり、絢子さまもそれに応える形で愛を育まれたという。
〈気の置けぬ竹馬の友と語り合ふ理想の未来叶ふときあれ〉
今年の歌会始ではこのように詠まれていた絢子さま。“理想の未来”が近づいている。
http://bunshun.jp/articles/-/7959

絢子さま、日本郵船勤務の守谷慧さん以前の茶髪ピアスな交際相手たち
週刊女性2018年7月17日号
2018/7/2
「高円宮家の三女・絢子さまと日本郵船に勤務する守谷慧さん(32)が婚約されました。
守谷さんは勤務の傍ら、途上国の子どもたちを支援するNPO法人『国境なき子どもたち』の理事を務めています。
'15年に亡くなった慧さんの母・希美枝さんが、もともとこのNPO団体の専務理事でした。
絢子さまのお母さまである久子さまは毎年、関連行事に足を運ばれていて、
母親同士の交流があったのです」(宮内庁関係者)
昨年12月、久子さまが絢子さまに慧さんを紹介して、まもなく交際に発展。半年後にご婚約が内定するに至った。
その一方で、絢子さまを知る関係者は、今回の結婚相手に驚きを隠せないという。
「私が知っている限り、絢子さまは過去に計3人の男性とお付き合いされていましたが、
守谷さんとはタイプが違うように思えるんです。
城西国際大学時代にお付き合いしていたのは、同い年くらいの茶髪の男性で、
ピアスをつけ、ズボンを“腰ばき”している方だったのでとても驚きました。
結局、絢子さまのカナダ留学を機に自然消滅したようですね」(城西国際大学関係者)
イマドキの学生と別れてしまったあと、海外留学中にも交際相手がいらっしゃったと、この関係者が続ける。
「'13年9月から'14年4月に、カナダの『カモーソンカレッジ』に留学していたときには、
外国人とお付き合いされていましたが、すぐに破局したそうです。
その直後の'14年5月から約3か月留学していた同国にある『ブリティッシュコロンビア大学』では、
日本の地方出身の方と交際されました。
この方は宮邸にお呼びしたり、男性側の実家を訪れたこともあったようです」
学生時代から恋愛経験を積みながら、最終的には久子さまのご紹介で守谷さんとの結婚をお決めになった絢子さま。
これには“高円宮家の家訓”と“眞子さまの結婚延期”が影響しているそう。
「“恋愛と結婚は別”というのが、久子さまのお考え。高円宮家は皇室の一員として、
国民が納得できる“それなりの相手”を選ばなくてはならないという意識が強いのです。
そのせいなのか、昨年5月に眞子さまと小室さんの婚約が報道され、
大学で出会い、自由恋愛を経ての結婚だと知った際は、
絢子さまはとても驚かれていたと聞いています。
しかし結局、結婚延期となり、“やっぱり恋愛と結婚は別なんだ”と思い直されたそうですよ」(高円宮家関係者)
ほかの皇族方のご結婚事情にも眞子さまの結婚延期が影響しているようだ。
http://www.jprime.jp/articles/-/12772

高円宮絢子さまご婚約

2018.6.26 13:55
高円宮家の絢子さま、ご婚約相手は日本郵船社員の男性 挙式は10月29日
宮内庁は26日、高円宮家の三女、絢子さまが
日本郵船勤務の守谷慧(けい)さん(32)と婚約されることを明らかにした。
7月2日に婚約内定を発表する予定で、10月29日に明治神宮で結婚式を行う見込み。
皇室では、秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さまに続く婚約内定となる。
宮内庁によると、絢子さまは昨年12月、高円宮妃久子さまの紹介で守谷さんと出会い、交際されていたという。
絢子さまは、平成14年に薨去(こうきょ)した高円宮と久子さまの三女で27歳。
学習院女子高等科を卒業後、21年に千葉県東金市の城西国際大にご進学。
28年には城西国際大学大学院の修士課程を修了し、昨年6月からは同大福祉総合学部で研究員を務められている。
女性皇族が結婚する場合は、皇室会議を開催する必要はなく、結納に当たる「納采の儀」で正式な婚約となる。
その後、皇居内で歴代天皇や皇族の霊、神々を祭る宮中三殿を参拝する
「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」など一連の儀式を経て、結婚式を迎える。
高円宮家では、26年に次女の典子さんが、出雲大社(島根県)の千家国麿さんと結婚し皇室を離れた。
http://www.sankei.com/life/news/180626/lif1806260027-n1.html

絢子さま婚約へ 海運会社社員と 高円宮家三女 
毎日新聞2018年6月26日 12時36分(最終更新 6月26日 14時27分)
宮内庁は26日、高円宮家の三女、絢子(あやこ)さま(27)が
大手海運会社に勤める会社員の男性と婚約されると発表した。
絢子さまは、高円宮さま(2002年逝去)と久子さまの三女。
城西国際大学福祉総合学部を13年3月に卒業し、保育士の資格を取得。留学を経て修士課程を修了した。
昨年6月から千葉県の大学宿舎に住みながら同学部研究員として勤務し、「日加協会」の名誉総裁も務める。
絢子さまは成年に伴う10年9月に行った宮内記者会への文書回答で、
結婚について「子どもが好きなので、いつかは結婚をして子育てをしたい。
尊敬できる方と、笑いの絶えない温かい家庭を築いていかれたらと思います」と述べていた。
絢子さまが結婚されると、皇室典範に基づき皇室を離れて一般市民となる。
高円宮家では、次女の千家典子さん(29)が14年10月、出雲大社(島根県出雲市)の権宮司、
国麿さんと結婚した。現在の皇室の構成は19人で未婚の女性皇族は7人いる。
秋篠宮家の長女、眞子さま(26)は大学の同級生、小室圭さん(26)と婚約内定している。
安定した皇位の継承を確保するため、女性皇族が結婚後も皇室にとどまる
女性宮家創設を巡る議論に影響を与えそうだ。【高島博之、山田奈緒】
https://mainichi.jp/articles/20180626/k00/00e/040/260000c

高円宮家三女の絢子さまが婚約へ お相手は会社員の男性
2018年6月26日 火曜 午後2:46
高円宮家三女絢子さまが婚約へ
高円宮家の三女絢子さまが、会社員の男性と結婚の意思を固め、
7月2日に婚約が内定し、お二人の記者会見が行われる。
お相手は日本郵船勤務の守谷慧氏
お相手の男性は、守谷慧さん(32)。慶應義塾大学文学部を卒業し、現在日本郵船本社に勤務する会社員。
絢子さまは27歳。学習院初等科、女子中等科、女子高等科を卒業後、
城西国際大学で福祉学を学び、2016年に修士課程を修了された。

お二人の出会いは
絢子さまが守谷慧さんと初めて出会ったのは、昨年12月。高円宮妃久子さまのご紹介で。
久子さまがは守谷慧さんの母親・季美枝さんが専務理事を務めていたNPO法人
「国境なき子どもたち」の関連行事に、毎年出席されていて、季美枝さんと親しくお付き合いをされていたとのこと。
久子さまが守谷慧さんと初めて会われたのは10年ほど前で、「国境なき子どもたち」の写真展に出席された時のこと。
その後昨年11月に「国境なき子どもたち」設立20周年の祝賀会で慧さんと再会、
慧さんが「国境なき子どもたち」の理事に就任することを聞き、
福祉を学んでいる絢子さまが、国際的な福祉活動に興味を持つきっかけになればと紹介されたそうだ。

10月29日結婚式のご予定
7月2日に婚約の内定が発表される予定で、8月12日に一般の結納にあたる納采の儀を、10月29日に結婚式を行う予定。
https://www.fnn.jp/posts/00329190HDK

2018.6.26 22:55
【絢子さまご結婚へ】
「本当に良かった」 勤め先の城西国際大から祝福の声
高円宮家の三女絢子さまが研究員を務める城西国際大=26日午後、千葉県東金市
絢子さまが研究員として勤務されている城西国際大の学生らからは祝福の声が上がった。
2年の小川真央さん(20)は「絢子さまは自分の学校の先輩なのでおめでたいし、誇りに思う」と祝福。
1年の加藤あやさん(18)も「おめでたいことだと思う。絢子さまには幸せになってほしい」と語った。
絢子さまがよく同僚と文房具やお菓子などを買いに訪れるという大学の売店の職員、
後藤美代子さん(62)は「大学1年の頃から来られているが、明るくて、気取ったところのない普通の方。
売店でも早く結婚したいと話されていた。ご婚約の発表を聞いて本当によかったねと思いました」と話した。
http://www.sankei.com/life/news/180626/lif1806260038-n1.html

2018.6.26 22:51
【絢子さまご結婚へ】お二人の母が縁結び 出会いから半年
結婚されることが26日に明らかになった高円宮妃久子さまの三女、
絢子(あやこ)さまと日本郵船勤務の守谷慧(けい)さん(32)の仲を取り持ったのは、互いの母親だった。
半年前の出会いから、「福祉」と「海」という共通項に縁を感じながら、愛を育まれてきた。
「国際的な福祉活動に興味を持つきっかけになれば…」。大学・大学院で子供や高齢者の福祉を専攻し、
留学先でも福祉先進国カナダの現状を学んだ絢子さまに、
母の久子さまが昨年12月、こんな考えで、守谷さんを紹介されたのが交際の始まりだった。
宮内庁によると、守谷さんの母、季美枝さんは生前、
開発途上国で恵まれない子供たちを支援するNPO法人「国境なき子どもたち」で専務理事を務め、
久子さまが同法人の関連行事に毎年臨席する中で親交を深められていた。
季美枝さんは平成27年7月、業務で訪れていたカンボジアで体調を崩し、タイ・バンコクに転院後に死亡。
自身の仕事で現地に駐在していた守谷さんが最期を看取り、母の足跡を訪ね歩いた。
今年3月には、その遺志を継ぐように同法人の理事に就任した。
守谷さん母子の関係を知る同法人の寺田朗子会長(72)は
「お母さんの思いをつなげようとしてくれたのだろう。慧さんは涼風のようなナイスガイ。
季美枝さんにとって自慢の息子だった」と喜ぶ。
久子さまは22年4月、同法人の写真展を訪れ、季美枝さんの紹介で守谷さんと初めて顔を合わせた。
昨年11月にあった同法人設立20周年の祝賀会で再会し、隣の席で1時間以上会話を楽しまれていたといい、
「季美枝さんがつないだ絆が実を結んだ。素晴らしいカップルのお幸せを心から願っている」(寺田さん)。
宮内庁によると、久子さまが英ケンブリッジ大に留学していた昭和50年ごろ、
同時期にロンドンに滞在していた守谷さんの父、治さん(62)と面識を持たれる縁もあったという。
絢子さまと守谷さんの間には「海」という共通項もある。
絢子さまは今年2月、海の活動を通じて青少年育成に取り組む「日本海洋少年団連盟」の名誉総裁にご就任。
守谷さんは、国内有数の海運会社である日本郵船で勤務する。
絢子さまは昨年8月に福岡県で開かれた海洋少年団の全国大会や、
今年5月の海上保安制度創設70周年記念の観閲式に臨まれた。
日本海洋少年団連盟の磯谷兵衛(ひょうえ)理事長には、
絢子さまが参加者の子供たちに気さくに声をかけられる姿が印象に残っているという。
「お相手は海に関係する方とのことでわれわれとの縁も深く、大変喜んでいる」。
磯谷氏はこう祝福のメッセージを送った。
■守谷さん「ありがとうございます」と一礼
守谷慧さんは26日午後9時35分ごろ、タクシーで東京都港区の自宅マンション前に到着した。
スーツに水色のネクタイ姿で、少し緊張した表情。待ち受けた報道陣に会釈をしながら歩いた。
「おめでとうございます」と声をかけられると、「ありがとうございます」と答えて一礼し、
「失礼いたします」と述べ、玄関へ入った。
https://www.sankei.com/life/news/180626/lif1806260036-n1.html

絢子さま、婚約2日に内定 2人そろって宮内庁で記者会見
高円宮家の三女絢子さま(27)と日本郵船社員の守谷慧(けい)さん(32)の婚約が2日、内定する。
2人そろって宮内庁で記者会見に臨む。2団体で名誉総裁を務められている絢子さまは結婚後、民間人になる。
婚約が明らかになる前、母久子さまは共同通信のインタビューで
「(絢子さまが)宮さま(皇族)でなくなっても続けるかどうかは各団体が考えること」と指摘する一方、
「ニーズを考えると将来の活動もあり得る」と結婚後の活動を前向きに語られた。
高円宮家では、久子さまが20以上の団体で名誉総裁などを務め、
長女承子さま(32)と絢子さまはそれぞれ2団体の名誉総裁に就任している。
[ 2018年7月2日 05:30
https://www.sponichi.co.jp/society/news/2018/07/02/kiji/20180701s00042000292000c.html

2018年7月2日 13時19分
絢子さまのお相手、守谷慧さん 母の遺志継ぎ国際支援
高円宮家の三女絢子さま(27)と日本郵船社員の守谷慧さん(32)
=東京都港区=の婚約が2日午前、内定した。
    ◇
守谷慧さんは幼稚園時代にフランスのパリで過ごし、中学、高校時代の2000年4月から約1年半、
スイス・ジュネーブのインターナショナルスクールへ。
慶応大文学部在学中は、英国オックスフォード大にも短期留学した。
09年に祖父兼義さん(故人)が常務まで務めた日本郵船に入社。
兼義さんは英国駐在が長く、オックスフォード大に留学中の皇太子さまとも交流があった。
職場では木材チップの輸送契約業務を担当。誠実な仕事ぶりで取引相手からの信頼を得ている。
休日にはマラソンやトライアスロンの大会に参加することも。
今年から、亡くなった母季美枝さんが専務理事を務めていたNPO法人「国境なき子どもたち」の理事になった。
寺田朗子会長は「さわやかな好青年。お母さまの志を継いで、
途上国の教育支援にも力を発揮してほしい」と期待している。
(共同)
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2018070290131258.html

2018.7.2 11:27
絢子さまご婚約内定 守谷慧さんと 午後にご会見へ
宮内庁は2日午前、高円宮家の三女、絢子(あやこ)さまと、日本郵船に勤務する会社員、
守谷慧(もりや・けい)さん(32)=東京都港区=のご婚約が内定したと発表した。
これに先立ち、母の高円宮妃久子さまと絢子さまは皇居を訪れ、皇后さまにご婚約内定を報告された。
天皇陛下は体調不良のため、ご婚約内定報告を受けることを見送られた。
絢子さまは同日午後、守谷さんとともに皇居の宮内庁庁舎で記者会見に臨まれる。
結婚式は10月29日、明治神宮(同渋谷区)で執り行われる。
皇室では秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまに続くご婚約の内定となる。
皇室典範に基づき、絢子さまはご結婚により民間人となられる。
高円宮家では平成26年に次女の典子さんが、出雲大社(島根県)の千家国麿さんと結婚し、皇室を離れている。
宮内庁によると、絢子さまは昨年12月、久子さまの紹介で守谷さんと出会い、その後、交際を深められた。
久子さまは公務を通じ、NPO法人「国境なき子どもたち」で
専務理事を務めていた守谷さんの母、季美枝さん(故人)と親交があったという。
絢子さまは平成14年に薨去(こうきょ)された高円宮さまと久子さまの三女で27歳。
学習院女子高等科を卒業後、21年に千葉県東金市の城西国際大にご進学。
28年には城西国際大学大学院の修士課程を修了し、昨年6月からは同大福祉総合学部で研究員を務められている。
日加協会と日本海洋少年団連盟の名誉総裁も務め、久子さまの公務を支えてこられた。
守谷さんは、元通産省(現経済産業省)官僚の治(おさむ)さんと季美枝さんの長男として、
昭和61年3月24日に誕生。慶応大学文学部を卒業後の平成21年4月から日本郵船で勤務している。
今後、一般の結納にあたる「納采(のうさい)の儀」が8月12日に行われ、正式にご婚約が決まる。
http://www.sankei.com/life/news/180702/lif1807020022-n1.html

高円宮絢子さま婚約内定 日本郵船社員の守谷慧さんと 8月に「納采の儀」
毎日新聞2018年7月2日 東京夕刊
宮内庁は2日、高円宮家の三女絢子(あやこ)さま(27)と
日本郵船社員、守谷慧(けい)さん(32)=東京都港区=の婚約が内定したと発表した。
一般の結納にあたる「納采(のうさい)の儀」(8月12日)を経て、
10月29日に明治神宮(渋谷区)で結婚式を挙げられる。
絢子さまは結婚により、皇室典範の規定で皇室を離れる。
午後に守谷さんと記者会見に臨む。【高島博之、山田奈緒】

同庁によると、絢子さまは昨年12月、母久子さまの紹介で守谷さんと出会った。
久子さまは、途上国の子どもを支援するNPO「国境なき子どもたち」(東京都)の
写真展を見学したことがきっかけとなり、専務理事だった守谷さんの母、季美枝さんと交流が生まれ、
2010年に守谷さんを紹介された。季美枝さんは15年7月に亡くなったが、
久子さまは昨年11月、NPOの理事に就任する守谷さんと再会。
福祉を学んでいた絢子さまに「国際的な福祉活動に興味を持つきっかけになれば」と
翌月、守谷さんを引き合わせた。
絢子さまは、1990年9月、高円宮さま(02年11月急逝)と久子さまの三女として誕生。
城西国際大(千葉県東金市)卒業後、カナダ留学を経て同大大学院を修了。
17年6月から同大に研究員として勤務する。大学時代はサッカー部のマネジャーで、
趣味はスポーツ観戦や旅行、読書、スキー。日本とカナダの親善を進める「日加協会」の名誉総裁などを務める。
守谷さんは86年3月生まれ。父で経済産業省職員だった治さん(62)の仕事の関係で
幼稚園時代をフランス・パリで過ごし、慶応大在学中に英オックスフォード大に短期留学した。
マラソンやトライアスロンが趣味で、09年に入社した日本郵船で長期輸送契約の営業を担当する。
女性皇族の結婚は、14年10月の絢子さまの姉、千家(せんげ)典子さん(29)以来。
絢子さまが皇室を離れると、皇室全体の人数は18人に、未婚の女性皇族は6人となる。

「良いご縁に喜び」 母・久子さま
絢子さまの母、久子さまと守谷さんの父、治さんが2日、宮内庁を通じて発表した文書(要旨)は次の通り。
久子さま 出会いからあまり時間が経(た)っていないのですが、
二人でしっかりと意思確認をしており、相性がとてもいいように感じます。
ご家族での海外生活も長く留学と海外勤務を経験していらっしゃいます。
留学を機に、国際交流の重要性に気づかれた宮様(故高円宮さま)もお喜びと存じます。
亡くなった(守谷さんの)お母さまの、深い愛情をもって世界の子供たちと接するお姿を思い出すと、
育てられたご子息はしっかりとした価値観をもつ優しい青年であろうと思い、
結婚に賛成いたしました。良いご縁と喜んでおります。

守谷治さん 大変畏れ多いことであり、有り難きことと感謝申し上げております。
http://mainichi.jp/articles/20180702/dde/041/040/041000c


2018.7.2 16:11
【絢子さま ご婚約内定】ご会見全文
高円宮妃久子さまの三女、絢子さまと、守谷慧さんの記者会見の全文は以下の通り。

ご婚約が内定した現在の率直なお気持ちをお聞かせください。
きょう午前、皇居・御所ではどのようにご報告し、
天皇、皇后両陛下からどのようなお気持ちを伝えられましたか。
そのお気持ちをどのように受け止めていらっしゃるかも、お聞かせください

絢子さま
「ご質問にお答えする前に、まず、6月18日に起こりました大阪北部地震により
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。また、被災された方々が一日も早く、
落ち着いた生活を取り戻されることを心から願っております。では、ご質問にお答えいたします。
本日、このように婚約の内定を発表することができまして、うれしく思いますとともに、
身の引き締まる思いでございます。天皇陛下におかれましては、
今朝ほどよりご気分がすぐれないとのことで、ご案じ申し上げております。
そのような中、皇后陛下にさきほどお目にかかることができ、皇后陛下より、
両陛下の温かくお心のこもったお言葉をいただきました。
その内容につきましては私の心のうちに、そっととどめておきたいと存じます」

守谷さん
「この日を迎えることができまして、うれしく幸せなことと存じます」

出会いから半年あまりでの婚約内定となりました。お互いのどのようなところにひかれたか、
プロポーズの時期や言葉などを含め、出会いから結婚の意思を固められるまでの経緯を具体的にお聞かせください

絢子さま
「守谷さんとの出会いは、報道にもあります通り、母からの紹介でございます。
守谷さんのお母さまが生前、ご尽力なさっていたNPO法人『国境なき子どもたち』の
設立20周年記念レセプションにて、母が守谷さんと約10年ぶりに再会いたしましたことがきっかけでございます。
私が初めて守谷さんにお会いしたのは昨年12月のことで、初対面とは思えないほど話が盛り上がり、
時間を忘れて楽しんだことをよく覚えております。
その後、何度もお会いするうちに守谷さんの優しくスマートで決断力のあるところに魅力を感じ、
結婚を前提としたおつきあいを始めまして、今年に入り、レストランでお食事をした後にプロポーズをされました。
あまりに突然のことでしたので、お返事は保留させていただきまして、
その後、お互いの家族、友人、知人を含めておつきあいをしていく中で、この方ならと思い、
4月に『よろしくお願いいたします』とお答えいたしました。
私に守谷さんを紹介した母の思惑がどうであったのかはわかりませんが、
2人でさまざまな場所へ行き、時間や思い出を共有していく中で、自然とお互いに惹かれ会い、
今日という日を迎えられましたことは、両母親のつないだ素敵なご縁だったのかなと思います」

守谷さん
「明るく前向きな方ということがですね、私が絢子さまに抱きました第一印象でございました。
その後、ご一緒する中で、どなたに対しても温かく接する優しさという部分に強くひかれまして、
しだいに生涯をともにしたいという気持ちが芽生えてまいりました。
また、このような場で申し上げることが適切かどうか、分かりかねる部分もございますけれども、
親を突然亡くしたことによる心情の変化、そのようなものに理解を示していただき、
心の距離がさらに縮まったと、このように感じます。
プロポーズの言葉につきましては、このようなお話も含みますことから、
2人の胸のうちに秘めさせていただければと存じます」

お二人でどのような家庭を築いていきたいと思われますか。
普段、お互いをどのように呼び合っていらっしゃるかも、あわせてお聞かせください

絢子さま
「ありきたりなお答えかもしれませんが、笑いの絶えない明るい家庭を築いていきたいと思っております。
私は父を、守谷さんはお母様を、と、それぞれかけがえのない家族を突然失った経験を持ちますので、
今日あることが明日も必ずあるわけではない、という共通の認識を持っております。
日常に慣れすぎず、日々の何気ない出来事にも喜びや楽しさを二人できちんと感じていきたいと思っております。
呼び方に関してですが、私は慧さんと呼んでおります」

守谷さん
「本来は、宮さま、または、絢子さまとお呼びするべきかと存じますが、
街中でお呼びすることを考慮するように、というお話がございましたので、
私は絢子さんとお呼びをしております。理想の家庭像としましては、
笑いの絶えない明るい家庭というものでございますけれども、
何よりお互い尊敬のしあえる形でいたいと、そのように考えております」

ご結婚の意思を、それぞれのご家族にどのようにお伝えになり、どのようなお言葉がありましたか。
絢子さまはお父様を、守谷さんはお母様を亡くされていますが、
婚約内定にあたりご両親にどのような言葉を伝えたいと思われますか

絢子さま「はい。母からの紹介ということもあり、折に触れて母には報告をしておりましたので、
改めて何か結婚の意思を伝えるということはいたしませんでした。
また当初より結婚を前提としたお付き合いと考えておりましたので、自然な流れで家族にも会わせて、
父には温かく見守ってくださるようお願いいたしました」

守谷さん
「絢子さまと家庭を築きたい旨、家族に報告をしましたところ、当初は大変に驚いていましたけれども、
その後、おめでとう、手を取り合って幸せな家庭を築くように、という言葉がありました。
絢子さまとの出会いに関しましては、私は家族、また関係する皆様につないでいただいたご縁だと、
そのように信じておりますので、ありがとうございます、このご縁を大切にしてまいります、
とこのように伝えました」

絢子さまにおたずねします。皇族としての日々を振り返り、どのような思いをお持ちですか。
皇族の減少についてのお考えもお聞かせください。
学んでこられた福祉分野の活動を含め、今後どのような生活を思い描いておられますか

絢子さま
「皇族としての日々を振り返りますと、ありがたくも、さまざまなものに触れ、
学ぶ機会をたくさん頂いた27年間でございました。成年皇族として果たすべき役割を
私なりに果たしてきたつもりではございますが、それが十分であったかどうかは分かりません。
結婚により皇籍を離れるまでは、皇族としての責務を果たすよう、より一層努力をし、
結婚後には、これまで得てきたことを糧にさまざまなことに取り組んで参りたいと存じます。
皇族の減少は、事実として起こっていることではございますが、その先の制度を含め、
私がコメントする立場にはありませんので、発言を差し控えたいと存じます。
私は大学時代より、福祉分野を学び、研究して参りました。この『福祉』という言葉には、
幸せや豊かさという意味があり、福祉は自分が関わる人の幸せのために動くことであると、私は考えております。
ですので、学んできた児童福祉や高齢者福祉が今後どのように活かせるかは分かりませんが、
守谷さんやご家族を幸せにできるよう、努めて参りたいと存じます」

守谷さんにおたずねします。皇族の方を妻とすることをどのようにお考えでしょうか。
ご自身の性格や大切にされている事、座右の銘などをご紹介いただき、
お仕事やお二人の出会いのきっかけとなったNPO活動の展望もお聞かせください

守谷さん
「皇族の方を妻としてお迎えすることは、大変に恐れ多いことでございまして、
ただ一方で大変にありがたく、光栄なことと存じます。座右の銘といたしまして、
『日進月歩』といいますでしょうか。一歩ずつ、あるいは半歩ずつでもですね、
常に前向きにということを心がけておりまして、うまくいったことだけではなく、
自らの過ちや失敗、つらかったことを糧とし、時には反省をし、常に前に行けるように、
そのような心づもりで取り組んでおります。仕事にも同じ姿勢で臨みたいと思いますし、
またご質問のあったNPOの活動につきましても、助けを必要とされる方々に
少しでも貢献ができるようこれからも尽力して参りたいと存じます。以上でございます」
http://www.sankei.com/life/news/180702/lif1807020034-n1.html

ご婚約関連雑誌記事

高円宮家・絢子さま 12日に皇室の儀式「納采の儀」(2018/08/02 20:21)
高円宮家の三女・絢子さまと日本郵船の社員・守谷慧さんの
一般の結納にあたる皇室の儀式「納采の儀」が12日に行われます。
宮内庁によりますと、12日午前10時、守谷さん側の使者が赤坂御用地の高円宮家を訪れ、
絢子さまと母・久子さまに納采の品である酒やシルクの生地などの目録を届けます。
絢子さまが受け取り、承諾されると婚約が正式に決まります。
使者となる守谷さんの親族は、脳神経外科の医師で内閣府の参与なども務める近藤達也氏(76)です。
納采の儀を終えると絢子さまと久子さまは皇居を訪れ、天皇皇后両陛下にあいさつをされます。
また、午後には守谷さんと父・治さんも両陛下に面会する予定です。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000133205.html

2018.8.12 10:35
絢子さま「謹んでお受けいたします」 「納采の儀」で守谷慧さんとご婚約
高円宮家の三女、絢子(あやこ)さまと、日本郵船勤務の守谷慧(けい)さん(32)との結納にあたる
「納采(のうさい)の儀」が12日、赤坂御用地(東京・元赤坂)の高円宮邸で執り行われた。
これにより、ご婚約が正式に決まる。
今後は9月に結婚式の期日を伝える「告期(こっき)の儀」などを経て、
10月29日、明治神宮(東京都渋谷区)で結婚式が行われる。
儀式は午前10時から、絢子さまの父で、
平成14年に薨去(こうきょ)した高円宮さまの肖像画が飾られた宮邸の応接室で行われた。
守谷さんの使者を務める親族の元国立国際医療研究センター病院長、近藤達也さん(76)が、
久子さまと絢子さまに対し、
「守谷慧は結婚を約するために、絢子女王殿下に納采を行いたく存じます。
なにとぞ幾久しくお納め下さいますようにお願い申し上げます」と口上を述べた。
続いて納采の品として鮮鯛(せんたい)の代料(だいりょう)としての現金、
清酒、洋服地の目録を絢子さまに手渡した。
水色のワンピースに身を包んだ絢子さまは「謹んでお受けいたします」と応じられた。
儀式は約2分で終了した。絢子さまは宮内庁を通じ
「滞りなく納采の儀を終えられましたことをうれしく思います」と感想を示された。
守谷さんも「本日めでたく納采の儀が行われましたことをありがたく存じております。
賜りました御縁に感謝しつつ日々を過ごしてまいりたいと存じます」と喜びをかみしめた。
結婚式までの間、皇籍離脱される女性皇族に贈る一時金を決める「皇室経済会議」が開催されるほか、
絢子さまが皇居の宮中三殿で皇室を離れることを先祖に報告する儀式、
天皇、皇后両陛下にお別れのあいさつをされる「朝見(ちょうけん)の儀」が行われる。
10月29日の結婚式当日は、絢子さまを迎える守谷さん側の使者が宮邸を訪れる
「入第(じゅだい)の儀」の後、式に臨まれる。
http://www.sankei.com/life/news/180812/lif1808120014-n1.html

絢子さまと守谷さん 結納にあたる「納采の儀」
2018年8月12日 11時10分
高円宮家の三女の絢子さまと、東京の大手海運会社に勤務する守谷慧さんの結納にあたる「納采の儀」が行われ、
お二人の婚約が正式に決まりました。
「納采の儀」は、一般の結納にあたる皇室の行事で、12日午前10時前、
守谷さんの使いで親族の近藤達也さんがモーニング姿で高円宮邸に到着しました。
続いて、薄い水色のシルクのワンピースを着た絢子さまと、
母親の久子さまが待たれる故高円宮さまの肖像画のある応接室で、「納采の儀」が行われました。
室内には、結納の品となる絢子さまの披露宴用のドレスの布地や清酒などが並べられ、
近藤さんが、「婚約のため納采を行いたく思います。幾久しくお納めください」という趣旨の口上を述べると、
絢子さまは、「謹んでお受けいたします」と応えられました。
そして近藤さんが絢子さまに結納の品の目録を手渡しました。
このあと絢子さまは、久子さまと皇居にある天皇皇后両陛下のお住まいを訪ね、
婚約が正式に決まったことを報告されます。
夕方には、守谷さんと父親の治さんが両陛下のお住まいを訪ねてあいさつをする予定です。
納采の儀を終えた絢子さまと守谷さんは、宮内庁を通じて文書で感想をあらわし、
絢子さまは、「滞りなく納采の儀を終えられましたことをうれしく思います」と述べられました。
また、守谷さんは、「賜りました御縁に感謝しつつ日々を過ごしてまいりたいと存じます」と述べました。
結婚式は、ことしの10月29日に東京の明治神宮で行われます。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180812/k10011574131000.html

高円宮絢子さま、守谷慧さんと「納采の儀」
2018年08月12日
高円宮家の三女、絢子さま(27)と海運大手「日本郵船」(東京都千代田区)社員、
守谷慧さん(32)の「納采の儀」が12日午前、東京・元赤坂の高円宮邸で行われた。
一般の結納に当たる儀式で、お二人の婚約が正式に調った。結婚式の期日を伝える「告期の儀」などをへて、
10月29日に明治神宮で結婚式が行われる。
この日、宮邸を訪れた守谷さんの使者が、午前10時過ぎ、絢子さまと母・久子さまの前で
「納采を行いたく存じます。幾久しくお納め下さい」と口上を述べた。
続いて「鮮鯛料」、清酒3本、披露宴で絢子さまが着られるドレス用の白い絹地が、
納采の品として記された目録を手渡した。
絢子さまが「謹んでお受けいたします」と承諾され、2分ほどで終了した。
使者は、守谷さんの父方の親類で医薬品医療機器総合機構理事長の近藤達也さん(76)が務め、
儀式は、高円宮さま(2002年逝去)の肖像画がかけられた応接室で行われた。
https://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20180812-OYT1T50045.html

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2018.9.19 10:27更新
絢子さま「告期の儀」 守谷慧さんとの結婚式、10月29日に正式決定
高円宮家の三女、絢子さ(あやこ)まと、日本郵船勤務の守谷慧(けい)さん(32)の結婚式を行う
10月29日の期日を、守谷さんの使者が絢子さまに正式に伝える「告期(こっき)の儀」が
19日午前、東京・元赤坂の赤坂御用地にある高円宮邸で行われた。
守谷さんの使者として、親族で元国立国際医療研究センター病院長の
近藤達也さん(76)がモーニング姿で高円宮邸を訪問。
応接室で絢子さまと高円宮妃久子さまに対し、結婚式を10月29日に行いたい旨を述べ、
絢子さまが「ありがたくお受けいたします」と承諾された。
結婚式は明治神宮(東京都渋谷区)で執り行われ、久子さまや長女、承子(つぐこ)さまらが出席される。
翌10月30日には皇太子ご夫妻をはじめとする皇族方を招かれ、
東京都千代田区のホテルニューオータニで晩餐(ばんさん)会が催される。
結婚式までには10月26日に皇居・宮中三殿に参拝する
「賢所皇霊殿神殿(かしこどころこうれいでんしんでん)に謁(えっ)するの儀」と、
絢子さまが天皇、皇后両陛下に感謝の気持ちを伝えられる「朝見(ちょうけん)の儀」が宮殿で行われる。
宮内庁によると、絢子さまは結婚式や晩餐会、結婚後の住まいの準備で忙しく過ごされている。
新婚旅行のご予定はないという。
http://www.sankei.com/life/news/180919/lif1809190026-n1.html

絢子さま「告期の儀」 結婚式の日取り正式決定
2018年9月19日 10時35分
高円宮家の三女の絢子さまと東京の大手海運会社に勤務する守谷慧さんの
結婚式の日取りを正式に決める「告期の儀」が行われました。
「告期の儀」は結婚式の日取りを正式に決める皇室の行事で、
19日午前10時前、守谷さんの使いで親族の近藤達也さんが、モーニング姿で高円宮邸に到着しました。
続いて、絢子さまと母親の久子さまが待たれる、
故高円宮さまの肖像画のある応接室で「告期の儀」が行われました。
絢子さまは、久子さまが婚約の記者会見で使われた、
縁起がよいとされる「トンボの柄」をあしらったワンピースで臨まれました。
はじめに近藤さんが「結婚式を10月29日に行いたい」という趣旨の口上を述べると、
絢子さまは「ありがたくお受けいたします」と述べられ、
結婚式が来月29日に行われることが正式に決まりました。
結婚式は東京の明治神宮で、神式で仲人を立てずに行われ、
翌日には皇太子ご夫妻や三権の長などを招いた晩さん会が催されます。
宮内庁によりますと、最近の絢子さまは、守谷さんとともに
結婚式や結婚後のお住まいなどの準備を進められているということです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180919/k10011635471000.html

高円宮絢子さまご結婚