皇后さまのピアノ、眞子さまの手話

(皇室トリビア)皇后さまのピアノ、眞子さまの手話
宮内庁担当 多田晃子、島康彦
2016年9月8日14時48分

「どうしましょう。困りました」
いつも優雅で冷静な皇后さまが珍しく動揺したように見えました。
8月27日、静養中に訪れた群馬県草津町で開かれたワークショップで、
ピアノレッスンをしていた時のことです。
練習曲として予定していたリスト編曲のシューベルト「セレナード」が、
行き違いでレッスンの相手2人に伝わっていなかったことが発覚したのです。
当然、2人の手元に楽譜はありません。現場にいた侍従や関係者はオロオロするばかり。
現場に緊張が走りました。
すると、皇后さまは自身の赤い花柄模様の楽譜を差し出し、こう続けたのです。
「これのコピーを取れば……」
皇后さまのとっさの機転でした。関係者が楽譜のコピーに走った後も、
迷惑をかけた2人に流暢(りゅうちょう)な英語でコミュニケーションを取る皇后さま。
さらに、レッスンの模様を取材・撮影するため待機している報道陣に向かって
「ごめんなさいね」とおっしゃったのです。
皇后さまからの思わぬ気遣いに、報道陣からは驚きと恐縮が相まった笑いが起き、現場は一瞬にしてなごみました。
楽譜のコピーが届き、練習を再開したのもつかの間、皇后さまの演奏の手が止まりました。
楽譜が一部、抜け落ちていることがわかったのです。
続けざまのアクシデントに皇后さまも「どうしたんでしょう」と思わず苦笑い。
しかし、すぐにレッスン相手の楽譜を確認する心配りを見せました。
どんな時も相手への気配りを忘れない皇后さまの人柄が表れたシーンでした。

皇后さまのピアノレッスンは、夏の静養中の恒例となっています。
皇后さまの生のピアノ演奏を間近で見られる貴重な機会として、
宮内庁担当の記者も楽しみにしている取材です。
この日は、世界的な音楽家であるチェロ奏者のウォルフガング・ベッチャーさん、
バイオリン奏者のウェルナー・ヒンクさんと一緒に、セレナードを含む計5曲を演奏。
ピアノを演奏する皇后さまの姿を初めて見ましたが、軽やかな指さばきで情緒豊かな音色を奏でる一方、
時に力強いタッチで迫力ある演奏を繰り広げる様子に驚きを隠せませんでした。
曲に合わせて体でリズムを取り、ほおを紅潮させて演奏する姿からは、気迫やすごみさえ感じるほど。
皇后さまは、持病の頸椎(けいつい)症性神経根症による肩や腕の痛みなどに加え、
冠動脈が細くなって心臓に十分な血液が行き渡らない「心筋虚血」の症状が判明していますが、
そうしたことを一切感じさせない姿でした。
また、熱心で努力家の一面も。ベッチャーさんからテンポに関する指摘を受けると、すぐに楽譜に書き込み、
「難しいわね」「何度か練習させて頂いて」などと話しながら、繰り返し練習する様子が印象的でした。
レッスン風景の撮影時間が迫っても、「まだ撮らないで頂いて」
「もう一度やってよろしい? ちょっと私がよく分かってないの」などと、
自身が納得するまで練習を重ねていました。完璧主義で知られる天皇陛下の影響もあるのかもしれません。

レッスン時間の終了が迫る中、撮影に臨んだ皇后さまの演奏は、練習の成果もあってか、
これまでで一番すばらしいものに感じました。
演奏後、ほっとしたような笑顔が印象的でした。
今回は思わぬアクシデントもあり、例年は20~30分の取材時間が、
練習時間の約1時間20分すべてを取材する幸運に恵まれた報道陣。
最後にさらなるサプライズが待っていました。
皇后さまが報道陣に近寄り、「失礼しました。ちょっと手違いがあって」と声をかけてくれたのです。
こういうところが、皇后さまが尊敬され、愛されるゆえんだと感じました。

天皇陛下が生前退位の意向をにじませるお気持ちを表明してから初の静養は10日間と例年より長めでしたが、
宮内庁幹部の「両陛下にはぜひごゆっくりして頂きたい」との配慮もあったと思われます。
静養中は、長野県上田市の養蚕の歴史に関する資料館や製糸場を訪れた両陛下。
毎年、皇居で養蚕に取り組んでいる皇后さまにとっては、大変有意義な静養となったことでしょう。

     ◇

8月27日には、秋篠宮家の長女眞子さまが東京・有楽町で開かれた
「第33回全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」に出席しました。
式典で、眞子さまは手話であいさつに立ちました。
スピーチは5分弱に及びましたが、すべて手話を交え、
堂々とした姿に観客は大きな拍手を送りました。全文を以下に紹介します。

「第33回全国高校生の手話によるスピーチコンテストの開催にあたり、
みなさまにお会いできましたことを大変うれしく思います。
この手話によるスピーチコンテストは手話の普及と福祉教育の推進を目的として
昭和59年(1984年)に始まり、青少年の手話への関心を高める上で大きな役割を果たしてこられました。
これまでに出場された方々が医療、教育、福祉など、様々な分野で手話を使い、
聴覚に障害がある人々の生活を支えるために活躍されているとうかがい、コンテストの深い意義を感じております。
本年4月に熊本県を中心に大きな地震が起こりました。
このような災害のとき、被災地で聴覚に障害がある人々は避難所に行って
も場内のアナウンスが聞こえず、必要な情報が得られないこと、
外見からは聞こえないことが分かりにくいため支援の手が届きにくいこと、などがあったとうかがいました。
このような困難の中で手話通訳者や相談員、手話を学んでいる人々が
被災者のために活躍されたことは大変心強く思っております。
手話が広がることによって私たちの交流の幅が広がります。
このことはみなが安心して暮らせる社会を作り上げることにつながっていくのではないでしょうか。
このコンテストを含む様々な活動を通して大切な言葉である手話に対する理解が
より一層深まることを願っております。
本日全国より選ばれた10人の高校生が心に響いたことば、
または未来の社会へ、というテーマでスピーチをされます。
発表されるみなさまがご自分の思いや考えを豊かな手話で表現なさるのを楽しみにしております。
長年にわたりこの手話によるスピーチコンテストの開催に尽力された方々に
敬意を表しますとともにこの大会がみなさまのよい思い出となることを願い、私のあいさつといたします」

発表者に向けた後半部分では、眞子さまは10人の高校生に体を向け、
激励するかのようにメッセージを送っていたのが印象に残りました。

眞子さまは2014年8月の第31回コンテストにも出席しています。
この時、初めて手話を交えてあいさつし、「手話デビュー」として話題になりました。
この際は途中で手話通訳の女性にお願いして自身の手話を中断する場面もありましたが、
「しばらくの間、手話通訳にお願いします」と通訳者に頭をさげる姿にはやさしい人柄がにじみ出ていました。
あいさつは4分半に及びましたが、うち1分半近くが手話。
やり遂げた後のほっとしたような笑顔が印象的でした。
眞子さまの妹、佳子さまも手話を勉強しています。
2015年9月には、鳥取県米子市で開かれた「第2回全国高校生手話パフォーマンス甲子園」
(朝日新聞厚生文化事業団、朝日新聞社など後援)であいさつに立ち、初めて手話を披露しました。
「手話に対する理解と、聴覚に障害がある方々に対する理解が一層深まるとともに、
大会が素晴らしい思い出となりますことを願います」とあいさつし、すべて手話で表現しました。
9月下旬に開催される第3回大会でも、佳子さまは手話を披露する予定だそうです。
(宮内庁担当 多田晃子、島康彦)

http://www.asahi.com/articles/ASJ8X5G0RJ8XUTIL01C.html

玉体にメスを入れた後

文藝春秋2009年2月号
P323~324
玉体にメスを入れた後
北村唯一(きたむらただいち・あそか病院院長)

畏れ多くも、玉体の下腹部正中に皮切を置いたのは平成15年1月18日土曜日のことであった。
小生は東大病院泌尿器科医として、陛下の前立腺癌手術にあたった。
麻酔が醒めて、手術場のストレッチャーの上で仰臥されている陛下に、
「手術は無事終了しました」とお伝えすると、陛下は「有難う」と簡単に礼を述べられた。
麻酔がまだ完全に醒めていない段階での会話なので、多言を要さず、ごく簡単な会話であったがこれで十分であった。
陛下は大変素晴らしい患者さんで主治医の言うことをちゃんと実行され、約三週間後、無事退院された訳である。
小生は主治医として、両陛下と共に三度お食事をする光栄に浴した。はじめは、ご入院中、
大分お元気になられた頃に、病院の15階にある精養軒の食堂で両陛下と小生の三人で
御朝餐を頂いた。実は陛下は洋食がお好きなので、回復食として術後に食べる全粥の代わりに
パン粥を召し上がられたのだが、小生はこれを所望した。パン粥は、パンを細かく砕いて
牛乳に溶かしたこんだもので、これが案外美味しかった。こういうお粥もいいな、と思った。
また、陛下はご自分でリンゴの皮を丸ごと剥いて食されていた。
陛下の器用さを垣間見た次第である。
二度目は、陛下が手術後完全に回復された平成15年5月頃、治療グループの労いに麻酔の花岡一雄先生、
がんセンターの垣添忠生先生などと御所での御夕餐に招かれた。
確か和食だったと思うが、大変上等な御酒(賀茂鶴)が出た。
陛下は乾杯のご挨拶をされ、一口、杯に口をつけたかと見る間もなく、すぐに杯を置き、ご飯を召し上がり始めた。
小生は乾杯の賀茂鶴が非常に美味しかったので
二度三度お代わりしたが、陛下がどんどん召し上がられて御夕餐が終わりそうになったので、
少し恨めしい気持ちで杯を置き、ご飯を頂き始めた。ところが、陛下はご飯は一膳しか召し上がらない。
小生は痩せの大食いでお代わりしたが、急いで食べたのでどこに入ったか分からぬ始末であった。
三度目のお食事は昨年5月であった。これは小生が3月末日に東京大学医学部教授を退官し、
東京江東区のあそか病院院長に異動したため、そのお祝いを兼ねて御昼餐に御所に
招待されたのである。実は、お勤めを終わるに際して、
侍医長の大城秀巳先生に吹上御苑を案内いただけないかとお願いしていた。
しかし、当日どういう訳か両陛下にご案内して頂けることになった。
大変に光栄なことではあるが、これはリラックスして散歩できないな、と思った。
ところが両陛下は小生を気軽に散歩にお連れ下さった。
吹上御苑は何百年も経たと思われる巨木で鬱蒼としており薄暗く、
頭上ではカラスの大群がカーカーとうるさく鳴いていた。
両陛下が並んで歩くとちょうど一杯になるくらいの幅の小道を
お二人が代わる代わる後ろの小生に話しかけながらゆっくりと歩かれた。
その森のそこ此処にお茶室や東屋があった。その中で花陰亭が最もモダンで印象的であった。
これは昭和天皇の即位のお祝いに建てられたのだという昭和初期の建物だ。
寡黙とお思いしていた陛下が非常に詳しく小生に説明して下さる。
小道には所々に小さな石橋があり、石橋にかかると皇后陛下は陛下と腕を組んで歩かれた。
これは陛下が転倒しないようにとの皇后陛下の心配りと思われ、皇后陛下の思いやりが感じられた。
散歩の途中で、この吹上という名称に関して、お二人の意見が分かれた。
陛下は井戸から水が噴き上げたからこの名が付いたと仰せられたが、
皇后陛下はこのお庭は風が吹き上がるのでこう呼ばれているとの説であった。
いずれもそれらしいし、小生にはどちらとも判別できなかったので、黙って聞いていた。
その先にバラ園があった。プリンセスミチコとエンプレスミチコという名のバラがあり、
その他に紀宮様のバラもあった。
これらは特別に創作されたオリジナルだそうで、枝とか花が各々違っているのが見て取れた。
そうこうするうちに30分強の散策は終わり、御所に着いた。
裏玄関と思われる所に小型のホンダのセダンが停まっていた。
陛下にお伺いすると、20数年前に買った車とのこと。
これで宮殿まで運転していかれるのだそうだ。この車はギヤがマニュアルであった。
古いものを大切にしておられることがよく判った。
御昼餐は和食と中華を兼ねたような前菜や卵とじスープが出た。それに何と紹興酒も出た。
遠慮せず二~三杯飲んだ。陛下も少し飲まれた。
前回の「賀茂鶴」は口を付けたらすぐにご飯を召し上がられたが、今回は少しツマミを食しながら紹興酒を飲まれた。
小生が紹興酒を三杯くらい飲んだところで、ご飯が出てきたが、これが茶碗に半分ほどしかない。
小生は「痩せの大食い」なので今回もお代わりしたが、陛下はされなかった。
このため、さすがに三杯目はお代わりできなかった。
両陛下とは丁度、朝食、昼食、夕食を頂いたことになる。
この光栄を噛みしめながら、両陛下のご長寿を祈念して筆を擱く。

宮内庁が両陛下の公務見直し

2009年
陛下の「おことば」原則なしに 宮内庁がご負担軽減策
2009.1.29 16:18
宮内庁は29日、昨年12月に75歳になられた天皇陛下のご公務、
宮中祭祀をめぐるご負担軽減策を発表した。
全国植樹祭などの各種式典では、ご臨席いただくのみで原則として陛下の「お言葉」をなしとする。
また、11月に行われる「新嘗祭(にいなめさい)」には時間を限って出席いただくなど、
宮中祭祀の行い方も見直すとしている。
それによると、これまで陛下がお言葉を述べられてきた全国植樹祭、
全国豊かな海づくり大会などの各種式典では、今後は基本的にご臨席のみでお言葉をなしとし、
ご出席時間も短縮する。
お言葉を作成する過程でのご負担も考慮しての判断だが、
「お言葉がなくなったとしても、関連する行事の中で陛下のお気持ちは示せる」(風岡典之次長)としている。
ただ、国会開会式や宮中晩餐会など、お言葉が不可欠な式典については従来通り行う。
また、宮中祭祀についても、毎年11月に行われる「新嘗祭」では、
深夜に行われる「暁(あかつき)の儀」には時間を限ってご出席いただく。
また、毎月1日の「旬祭」についてはこれまで陛下ご自身で拝まれてきたが、5月1日と10月1日以外はご代拝とする。
宮内庁では「祭祀については昭和時代にも必要な調整を行っている」(風岡次長)としている。
また、春・秋の勲章等受章者との拝謁も、これまでは勲章の種別ごとに行っていたが、
できるだけ一度に行うことで回数や日程を削減する。
首相級の外国賓客との面会は、原則として公賓や公式実務訪問賓客として訪日する場合に限ってお会いになる。
天皇陛下は昨年12月、不整脈や胃腸にストレス性の炎症が確認されたため、
宮内庁では年末年始のご公務の一部軽減を行っている。
また、これとは別に宮内庁では昨年から、今年1月に平成の時代が20年を超えることを契機に
ご負担軽減を行うことを検討していた。


2011年
天皇陛下:新嘗祭の拝礼短縮へ 負担を軽減
宮内庁は、毎年11月23日に皇居・神嘉殿(しんかでん)で行われる
新嘗祭(にいなめさい)への天皇陛下(77)の拝礼時間を、負担軽減のため短縮する方向で調整を始めた。
陛下は2月の東大病院での心臓検査で、ある程度の動脈硬化が認められた。
新嘗祭は宮中祭祀(さいし)の一つ。収穫祭にあたる最も重要な祭祀として知られ、
陛下は夕方から始まる夕(よい)の儀と、深夜にある暁の儀で拝礼する。
負担軽減からこれまで、暁の儀は時間を区切って拝礼していたが、
同庁は夕の儀も陛下の拝礼時間を短くすることを検討しているという。
昭和天皇は70歳ごろから、公務や宮中祭祀の見直しを始めている。
毎日新聞 
http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20111028k0000e040077000c.html

天皇陛下:新嘗祭の拝礼時間を短縮 医師の勧めで
宮内庁は1日、毎年11月23日に皇居・神嘉殿(しんかでん)で行われる
新嘗祭(にいなめさい)での天皇陛下の拝礼時間を今年から短縮すると発表した。
2月の検査で心臓に「ある程度の動脈硬化」が認められたことから医師の勧めがあり、短縮を決めた。
毎日新聞 2011年11月1日 19時18分
http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20111102k0000m040043000c.html

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文藝春秋2011年4月号
■天皇陛下をご多忙にしているのは誰か-祭祀が減り公務が増える
宗教ジャーナリスト・斎藤吉久
今上は推古天皇以降では後亀山天皇と並ぶ、歴代5位のご長寿となられたが、
ご不例後も公務は減るところか増えるばかり。
天皇千年の祈りが、今ほかならぬ側近達によってご負担軽減の美名に隠れて形骸化されようとしている。
敗戦後「皇室の私事」としてしのいできた宮中祭祀はS34年の皇太子ご成婚を契機に改善されてきたが、
S44年頃を境に再び揺り戻し。祭祀簡略化の張本人は入江相政侍従長。
S45,5月に香淳皇后から旬祭の親拝削減ついて抗議を受けたとき、猛反撃してねじ伏せ日記には「くだらない」。
しかし削減理由が「ご高齢」との記述は無し。
争わずに受け入れるのが古来、天皇の帝王学だがも、伝統より相撲観戦を優先するような
俗物侍従長の身勝手きわまる簡略化に陛下は最大限抵抗されたのでは。
祭祀王を自覚する昭和帝は「退位」を口に。
この年の入江日記からは幾度となく譲位・退位を表明されていることが読み取れる。
祭祀破壊の原因が「高齢」でないなら真因は何か。憲法の政教分離問題(当時を知る宮内庁OB)
保守派も革新派も憲法論議と言えば「九条」ばかりで第一条は考えていない。
その結果天皇はさしずめ名目上の単なる「象徴」に成り下がっている。
象徴天皇制について今上はしばしば触れられているが、(渡邉)前侍従長とはニュアンスが異なるのではないか。
前侍従長があくまで現行憲法を起点にした象徴天皇論なら、今上は歴史的背景を踏まえた、
祭祀の力で国と民をまとめ上げてきた長い歴史があるからこその象徴というお考えだろう。
昨年暮れの誕生日会見で陛下は「今のところこれ以上大きな負担軽減をするつもりはない」
頼みとする尊皇家達が沈黙する中、たった一人祭祀の伝統を守ろうとするかのように見える。
陛下は一人で国と民のために祈られている。その文明的価値の重みを深く理解する国民が
一人でも二人でも多くなることを心から願わずにはいられない。


天皇陛下には健康のために公務を減らす発想ないと文芸評論家
2011.09.06 07:00
8月29日、ひとときのご静養を軽井沢と草津で過ごされた天皇・皇后両陛下が還幸啓(ご帰京)。
午後からは早くも御所で執務にあたられた。
天皇陛下にとっても、3月11日の東日本大震災からの半年は激動の日々であられただろう。
皇居にあっては「国民と困難を分かち合いたい」と、自主停電を率先され、
ろうそくや懐中電灯で明かりを灯し、寒い中を厚着することで過ごされた。
また、3月16日には、被災者と全国民に向けて、自ら準備されたメッセージを力強く読み上げられた。
「国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、
被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています」
 このお言葉に、どれほどの被災者が励まされ、どれほどの国民が復興に向かう勇気を奮い立たせたことだろう。
そして自らは、3月30日に東京武道館に避難した被災者にお見舞いされたのを皮切りに、
美智子皇后とともに7週間連続で避難所や被災地への行幸啓を続けられたのである。
それだけではない。「執務」と呼ばれる上奏書類の決裁や宮中祭祀、式典出席や国際親善など
日々のご公務に加え、原発の安全対策や救援活動、放射線被曝に関するご説明を皇居で受けられてきた天皇陛下。
77歳というご高齢であり、ご病身でもあるだけに、激務に対して国民の間からは健康を案じる声も上がっている。
文芸評論家の富岡幸一郎氏は天皇陛下の御心をこう分析する。
「健康のために公務を減らすという発想は陛下にはないのではないか。むしろ激務であろうが、
その職責を果たすために、自らのご健康に非常に留意され、摂生に努めていらっしゃるのだと思います。
陛下は“何のための健康であるか”を自覚なさっています。自らの命は、国民の幸福を祈りつつ、
日本国および日本国民統合の象徴としての務めを果たすためにあるとお考えなのでしょう。
自分の体でありながら、自分だけの体ではない――さらにいえば、天皇の体、健康は歴史の継承、
歴史の神髄を、前の天皇から預かって、次の天皇に受け渡していく――
その容器であるとお考えなのではないでしょうか」
それはあらゆるものをコントロールできると考え、より快適な暮らし、より健康な身体、
より大きな幸せを手に入れたいという近代的な価値観とは正反対の、
「自分は生かされている」という考え方だ。
※週刊ポスト2011年9月16・23日号
http://www.news-postseven.com/archives/20110906_30252.html

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2016.5.9 19:11更新
両陛下、宮中行事の一部お取りやめ 「年齢にふさわしく」 宮内庁がご公務見直し
宮内庁は9日、天皇、皇后両陛下の公務のあり方を見直し、国や地方の行政機関のトップらが面会し、
懇談する「拝謁」など宮中行事の一部を取りやめられると発表した。
両陛下のご公務の本格的な見直しは平成21年以来7年ぶり。
取りやめられる行事の一部は皇太子ご夫妻が引き継がれる。
宮内庁によると、両陛下がともに80歳を超えたのを機に「年齢にふさわしいご公務のあり方」の検討を始め、
戦後70年の「慰霊の旅」と今年1月のフィリピン訪問を終えられてから具体化。
両陛下にもご相談した上で決定したという。
取りやめられるのは、年間約100回に上る拝謁のうち、都道府県警本部長、地家裁所長らとの10回程度。
都道府県知事との懇談・昼食会や、外国の元首クラスの賓客と会見後に催される昼食会もなくす。
隔年で行う小中学校の校長との拝謁などは皇太子ご夫妻が代わって面会される。
21年の見直しでは、式典でのお言葉を原則としてなくしたほか、宮中祭祀(さいし)の時間を短縮されるなどした。
http://www.sankei.com/life/news/160509/lif1605090025-n1.html


両陛下の公務、拝謁など一部取りやめ 高齢による見直し
島康彦、多田晃子
2016年5月9日21時46分
宮内庁は9日、天皇、皇后両陛下の公務について、
皇居であいさつを受ける「拝謁(はいえつ)」など一部を取りやめると発表した。
両陛下ともに80歳を超えたことから「ご年齢にふさわしいご公務のあり方」
(宮内庁の山本信一郎次長)を検討した結果だといい、
両陛下の了承も得られたという。両陛下の体調に問題はないとしている。
宮内庁によると、年間約100回に及ぶ拝謁を中心に見直したという。
全国の警察本部長や検事正、市町村議会議長との面会など8件を取りやめ、
小中学校長との面会など4件を「未来を担う子どもたちに直接かかわる」などとして
皇太子ご夫妻に引き継ぐ。外国元首らが公式実務訪問賓客として来日した際は、会見だけにする。
両陛下が昨年皇居で面会したのは約270件、地方などへの訪問も75回を数える。
両陛下の公務をめぐっては、式典での「お言葉」を基本的に取りやめるなど、
2009年にも見直しをしてきた。(島康彦、多田晃子)

■天皇、皇后両陛下の公務見直し
【取りやめる公務】
●拝謁(はいえつ)
・警察大学校警部任用科学生(年3回)
・全国警察本部長等
・全国検事長及び検事正等
・地方裁判所長及び家庭裁判所長
・全国市議会議長会総会に出席する市議会議長等(隔年)
・全国町村議会議長(10年ごと)
・自衛隊高級幹部会同に出席する統合幕僚長等
●午餐(ごさん)
・総務大臣始め知事とのお話・午餐

【皇太子ご夫妻に引き継ぐ公務】
●拝謁
・小学校長会理事会に出席する小学校長(隔年)
・中学校長会総会に出席する中学校長(隔年)
●接見
・国際緊急援助隊(不定期)
・国際平和協力隊(不定期)
http://www.asahi.com/articles/ASJ595HX4J59UTIL04J.html

なぜ82歳の天皇陛下は自動車免許を更新されたのか

なぜ82歳の天皇陛下は自動車免許を更新されたのか
2016年01月20日(水) 16時00分
〈週刊女性2月2日号〉

1月8日に自動車運転免許を更新された天皇陛下について、
「高齢者講習にパスしたということで、陛下も自信をつけられ、美智子さまもお喜びになったことと思います」
と話すのは、皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡辺みどりさん。
「最近は陛下の物忘れのような症状が報じられることもありますが、80歳を越えてお忙しい日々が続けば、
うっかりミスは誰でも起こりうることです。
したがって、今回の免許更新は陛下の能力や技量を確かめる
“挑戦”という意味もあったのではないでしょうか」(渡辺さん)
休日に、皇居内のお住まいから1キロほど離れたテニスコートや、
散歩をする東御苑に出かける際に、美智子さまを乗せ運転される陛下。
「陛下は原則、公道では運転されないことにしていて、
皇居内は道交法で定める一般道路ではないので、厳密には免許は必要ありません。
しかし、必ず免許証を携帯していて、乗車してから免許を忘れたことに気づき、
御所に引き返したこともあるそうです」(宮内庁関係者)
'92年3月には、国賓として来日したペルーのフジモリ大統領を助手席に乗せ、
陛下のハンドルで当時のお住まいがあった赤坂御用地内を案内されたこともあったという。
天皇陛下をはじめ、運転免許証をお持ちの皇族方は少なくない。
「美智子さまは免許を取得されようとした時期がありましたし、長女の黒田清子さんは結婚の際に取得され、
今でもマイカーで皇居に里帰りすることがあるそうです。
皇太子さまはお持ちでないようですが、
雅子さまは皇室に嫁いだ後も静養先で『カローラⅡ』を運転されたことがありました。
秋篠宮さまは若いころに、黄色のフォルクスワーゲン『ビートル』に乗られていたことは有名ですよね。
次女の佳子さまが、お住まいの外の道路を、護衛車に囲まれながら
運転されていたところを目撃されたこともあります」(皇室ジャーナリスト)
昨年12月のお誕生日の記者会見で、
「年齢というものを感じることも多くなり、行事のときに間違えることもありました」
と、自ら老いを認める発言をされた陛下。
年始の皇室行事や1月26日からのフィリピン訪問のご準備などでお忙しいなか、
今回、免許を更新した「想い」とは─。

「美智子さまは20年以上前に、免許を取得しようとしましたが断念された過去もあるので、
その気持ちをくんだ陛下の思いやりを感じることができます」
そう話すのは、冒頭の渡辺みどりさん。
『週刊女性』でも、'92年9月に《美智子さま 赤坂御所に作られていた─専用“自動車教習所”》と題して、
当時57歳だった美智子さまが住んでいた赤坂御所の“ミニ教習所”で、仮免許まで取られたことを報じている。
「ご家族のおすすめもあって美智子さまは取得を目指しました。
公道を走るつもりはなかったようですが、那須御用邸内でUターンするときに脱輪したこともあり、
安全を考えて断念されたようです」(前出・ジャーナリスト)
美智子さまのそんな残念なお気持ちも胸に、陛下は免許の更新を続けられたのかもしれない。
渡辺さんは、さらにこんな見方もする。
「週末の御所内でのドライブは、両陛下にとって、とても楽しみにしている憩いのひとときだと思います。
そんな美智子さまとの楽しみを、失いたくない陛下のお気持ちもあったはずです」
3年後に免許証を自ら返納する「自主返納」をすれば、
身分証明となる「運転経歴証明書」が陛下にも発行されるはず。
その後は、これを持ちながら美智子さまと仲睦まじく徒歩で、テニスコートまで通われるつもりなのかもしれない。
http://www.jprime.jp/tv_net/imperial_household/22991

こどもの国ご訪問

2009年12月19日
天皇皇后両陛下、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご一家、黒田清子さん夫妻と「こどもの国」ご訪問


12月19日12時35分配信
フジテレビ
天皇皇后両陛下は19日午前、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご一家、黒田清子さん夫妻とともに、
神奈川・横浜市にある「こどもの国」を訪問された。
天皇ご一家は19日午前11時ごろ、横浜市の「こどもの国」に到着し、
秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまは、出迎えた関係者に「おはようございます」とあいさつをされた。
「こどもの国」は、50年前の両陛下の結婚を記念して建設された公園で、
皇太子さまなどお子さま方の幼少時にもたびたび訪れた、家族の思い出の場所となっている。
愛子さまは風邪気味で不参加だったが、結婚から50年を迎えた2009年、
両陛下の声かけにより、11人でのお出かけとなった。
園内にある牧場では、悠仁さまが、雅子さまの手助けを受けながら、
子牛に餌を与え、家族そろって動物とのふれあいを楽しまれていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn/20091219/20091219-00000683-fnn-soci.html


天皇陛下:ご一家で横浜・こどもの国訪問 結婚50年機に
2009年12月19日 11時6分 更新:12月19日 13時31分
天皇、皇后両陛下は19日、1959年の両陛下の結婚を記念して作られた自然公園
「こどもの国」(横浜市青葉区)を訪れた。
両陛下は、今年結婚50年となったことを機に来園。
皇太子ご夫妻、秋篠宮ご一家、黒田慶樹さんと清子さん夫妻も姿を見せた。
宮内庁によると、皇太子ご夫妻の長女愛子さまは風邪気味のために来園を見合わせたが、
天皇ご一家がそろって行楽地を訪れたのは初めてという。
ご一家は午前11時ごろ到着。バスに乗り込み、牛舎や動物園がある牧場や自転車乗り場に移動した。
牛舎では秋篠宮家の長男悠仁さまが竹べらに干し草を乗せて子牛に餌をやったり、
ポニーにニンジンを与えたりした。
さまざまな自転車がある「おもしろサイクル」のコーナーでは、
黒田慶樹さんが3人乗りの自転車に紀子さまと悠仁さまを乗せてこいだり、
皇太子さまと秋篠宮家の長女眞子さま、次女佳子さまが一緒に乗り物に乗る場面があり、
ご一家は和やかな雰囲気で一日を過ごした。【真鍋光之】
http://mainichi.jp/select/today/news/20091219k0000e040023000c.html?link_id=RTH03


天皇ご一家、思い出の場所に勢揃い
12月19日18時28分配信 TBS
横浜市の「こどもの国」に、両陛下と皇太子ご夫妻、
秋篠宮一家、黒田清子さん夫妻の総勢11人が大集合しました。
「“まだ食べたいよ”って」(悠仁さま)
牧場では、悠仁さまと雅子さまが子牛や羊たちに餌をあげながら会話をかわされる場面も。
愛子さまは風邪ぎみで来られませんでしたが、
両陛下がこうした形でご家族と外出するのは初めてのことです。
ご一家はたまたま居合わせた来園者たちとと一緒に、昆虫の観察もしました。
「ああてんとう虫がね、これがてんとう虫ね」(天皇陛下)
 最近、虫に興味を持ち始めたという悠仁さま。今度は皇后さまと・・。
「悠ちゃん、これがてんとう虫ですよ」(皇后さま)
今回、一家揃ってのお出かけが実現した理由。
そこには、両陛下の「家族でゆかりの場所へ」という思いもありました。
この「こどもの国」は、両陛下がご成婚の際に寄せられたお祝い金を、
「子どものために使ってほしい」と希望し、建設された施設。
皇太子さまたちが子どもの頃から、度々一家で訪れた思い出の場所なのです。
最後に楽しまれたのはミニSL。両陛下を先頭に全員揃っての乗車。
休日の楽しいひと時を、両陛下はご家族水入らずで過ごされました。
(19日17:40) 最終更新:12月19日18時28分


週刊新潮2010年1月?日号
こどもの国行きはご結婚50周年を機に公園側がご訪問を打診した(宮内庁担当記者)。
悠仁さまはガチョウの前を動かず、紀子さまに促されると名残惜しそうに柵から離れられた(居合わせた入園者)。
皇后陛下は悠仁さまがモルモットを抱き抱えると側に寄って「この前も抱っこしてたわね」と話し掛けられた(同)。
雅子さまは九官鳥に話し掛けると九官鳥は返事をしたが、眞子さま佳子さまには九官鳥は返事をしなかった。
それを聞いて雅子さまは「えー本当?」と大笑い(同)。
帰り際、バスに乗るとき悠仁さまが、少し離れた所にいる人達にも聞こえる声で
「さようならー」とぺこりと可愛いらしく頭を下げられた


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こどもの国について
文藝春秋1989年1月号
皇位継承者 明仁親王に何を望むか 吉岡 忍
皇太子・美智子妃の結婚を記念して、横浜市緑区に「こどもの国」が開園したのは一九六五(昭和四十)年だ。(略)
ここを作るきっかけになったのは、ふたりの結婚を祝して一般人から寄せられたお祝い金、一千七百万円である。
都市サラリーマンの平均月収が二万六千円の当時、これはかなりの額だった。(略)
「殿下は工事の途中にも視察にこられ、牧場を作ろう、と提案されたり小鳥の巣箱をご自分で取りつけたり、
とても積極的でした。寄贈していただいたものもかなりあるのですが、『皇太子殿下寄贈』と書かないように
言われておるんです。お目立ちになられるのが嫌なようで」
夫妻は浩宮、礼宮などを連れて、しばしば遊びにきた。警備上からは貸し切りにするなり、
園内を車で回ってもらったほうが楽なのだが、そういうことは一度もないという。
子供たちがゲーム用乗物に乗るときも、一般客に混じって順番を待つように言う。


こどもの国
http://www.kodomonokuni.org/tanbo/tanbo3.html
■天皇陛下のポニー
(略)
2009年12月、天皇ご一家がこどもの国を訪問された際、動物園でポニーとお会いになりました。
その際、紀子さまがニンジンを手渡す役をされ、みなさん順番に楽しそうにニンジンをやったり、
頭をなでたりしていました。紀子さまの長男の悠仁(ひさひと)さまは3歳でしたが、
ポニーをまったく怖がらず、鼻をなでたり、何度もニンジンをあげたりしていました。
秋篠宮さまは「(悠仁さまと)同じくらいの時に、ポニーに会った」と話されていました。
説明役の飼育員に対し、天皇陛下は「いつも世話してくれてありがとう」と声をかけられ、
皇后陛下も「みなさんがしっかりお世話してくれているので、こんなに元気なんですね」とねぎらわれました。
ポニーが食べこぼさないように、よだれが付くのも構わず、
両陛下はポニーの口に手を添えてニンジンをあげていました。
飼育員は「動物が本当に好きなんだと思いました」と話しています。
こどもの国では、この2頭の前にも、大阪万博を記念して1970年にアルゼンチンから贈られた
ファラベラポニー2頭を飼っていました。うち1頭は22歳で死にましたが、
もう1頭は2000年、32歳の大往生をとげました。
こどもの国の豊かな自然が、ファラベラポニーの健康に合っているのかもしれません。



「陛下のポニー」死ぬ 両陛下「園の皆さん、よくお世話してくださいました。ご苦労さまでした」
2014.7.28 17:57
横浜市青葉区の自然公園「こどもの国」は28日、
天皇、皇后両陛下が昭和54年に当時のアルゼンチン大統領から贈られ、
園が飼育していた雄のポニー「ガルーチョ」が死んだと発表した。老衰とみられる。
人間の年齢に換算すると160歳ほどだった。
一緒に贈られた別のポニーも昨年8月、老衰とみられる症状で死んでいた。
2頭のポニーは、皇太子さまらへのプレゼントとして両陛下に贈られた。
両陛下が最後に2頭と対面したのは皇太子ご夫妻や秋篠宮ご一家らと園を訪れた平成21年12月で、
ニンジンを与えるなどして触れ合われた。
園によると、ガルーチョは28日早朝、馬房で死んでいるのが見つかった。
「暑さが厳しくなり、こたえたのだろう。2頭とも大往生」と担当者。
宮内庁によると、両陛下は侍従を通じ「昨年に続いての知らせに接し残念ですが、
園の皆さんが長きにわたり、よくお世話をしてくださいました。ありがとう。ご苦労さまでした」と園長に伝えた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140728/imp14072817570004-n1.htm