天皇ご一家 迎賓館へ

天皇ご一家 迎賓館を視察
5月30日 13時6分
天皇ご一家は30日、大規模な改修を終えて、
国宝に指定された東京・港区の迎賓館を視察されました。
明治42年に皇太子の住まいとして建てられた迎賓館は、戦後、国の施設として使われるようになり、
現在は国賓の宿泊先や首脳会談の会場などとして使用されていますが、
去年、大規模な改修が終わり、国宝に指定されました。
天皇皇后両陛下は、午前10時半すぎに迎賓館に到着し、
皇太子さまや秋篠宮ご一家とともに、改修を終えた内部の様子などを視察されました。
皇太子妃の雅子さまと長女の愛子さまは、体調を見ながら参加を検討し、途中から加わられました。
ご一家は、両陛下が国賓と会う際に使用する、最も格式の高い部屋とされる「朝日の間」をご覧になりました。
天井には、部屋の名前の由来となった「朝日を背に馬車を走らせる女神」が描かれているほか、
壁には京都の西陣織の装飾が施されています。
両陛下は、国賓の歓迎行事などで迎賓館を訪問することがたびたびあるものの、
建物の内部をゆっくり視察される機会は少ないということです。
30日は秋篠宮家の長男の悠仁さまも視察に加わり、この秋で4歳になる悠仁さまは、
広い室内に飾られた絵や工芸品などを珍しそうに眺めたり、母親の紀子さまに質問したりされていました。
http://www.nhk.or.jp/news/html/20100530/t10014776691000.html


両陛下:迎賓館を視察 皇太子さまや秋篠宮ご一家も同行
天皇、皇后両陛下は30日、東京都港区の迎賓館赤坂離宮を訪れた。
06年から約3年間の大規模改修工事が終わり、昨年4月から賓客の接待を再開したことを受け、視察した。
皇太子さま、秋篠宮ご一家も同行。皇太子妃雅子さまと長女愛子さまも途中から合流した。
両陛下や皇太子さまらは「朝日の間」「花鳥の間」などを一緒に見学。
両陛下はその後、赤坂御用地の秋篠宮邸に移り、皇太子ご一家、秋篠宮ご一家と昼食をともにした。
毎日新聞 2010年5月30日 18時16分
http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20100531k0000m040017000c.html

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【皇室ウイークリー】(135)
2010.6.5 07:00
天皇、皇后両陛下と皇太子ご一家、秋篠宮ご一家の計10方が5月30日、
東京都港区の迎賓館赤坂離宮を視察された。
皇居や赤坂御用地以外の施設に、陛下と、大勢の皇族方が集合されるのは珍しい。
【皇室ウイークリー(112)】で紹介したが、
昨年12月には横浜市の児童厚生施設「こどもの国」に黒田清子さん夫妻を含む天皇ご一家が集まっている。
このとき敬宮愛子さまは風邪気味のためお越しにならなかった。
今回の迎賓館には、愛子さまは皇太子妃雅子さまとともに、遅れて姿を見せられた。
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまは、車を降りると秋篠宮妃紀子さまと手をつながれて玄関へ。
出迎えの迎賓館関係者らに、小さい声で「こんにちは」とあいさつされた。
ホールでは、高い天井を興味深そうに見上げられていた。
国賓・公賓用のサロンとして使われる「朝日の間」に着くと、紀子さまがしゃがみ、
目線を合わせて何かを説明され、悠仁さまが「ふーん」と納得されている様子もみられた。
今春から幼稚園に通っている3歳の悠仁さまの興味の対象は広く、聞こえただけでも
「どーれ」「何の音?」「(絵を探しながら)チャボはどこ?」
「(花の絵を見て)つぼみ」などとおっしゃられていた。
満面の笑顔で走り出されて部屋から出て行ってしまい、
あわてて探しに行った紀子さまがだっこして戻られる場面もみられた。
朝日の間では、陛下と秋篠宮さまが、天井に描かれたニワトリを見ながら
「野鶏」(野生のニワトリ)か「家鶏」かを議論されていた。
皇后さまと皇太子さまは、隣あって腰を下ろして話をされていた。
眞子さまと佳子さまは視察全体を通じ、一緒に行動される場面が多かった。
終戦直後の一時期、迎賓館に住んでいた陛下は、各部屋を興味深そうに見ながら
「ここで朝食を食べました」「生活していたのはここです」などと話されたという。
「随員の宿泊用の部屋も見学された」というので同行記者らは「?」となったが、
実はこの部屋はかつての寝室だったそうだ。
なお、迎賓館では、報道各社の代表による写真撮影の機会が数カ所であったが、
雅子さまと愛子さまがお越しになったのは両陛下のご到着から約25分後で、撮影がすべて終了した後だった。
このため今回はお二方の写真を掲載していない。
東宮職では「ご体調などが整ったので、途中からお越しになった」と説明している。
愛子さまはピンクの服に白いバッグを持ち、腰までの三つ編みを左右に垂らされていた。
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/100605/imp1006050701001-n1.htm

天皇、皇后両陛下が自然観察会で見せた“神対応”

天皇、皇后両陛下が自然観察会で見せた“神対応”
永井貴子2018.5.21 07:00週刊朝日

ヒマラヤ杉やフウの巨木が空に向かって伸び、
足元には、寄り添うように伸びた二人静やノイバラが白い花を咲かせる。
都会のど真ん中に位置する、皇居吹上御苑。
皇居全体の面積は東京ドーム25個分の約115万平方メートル。
5千種の動植物が残る吹上御苑の自然を、「国民と分かち合いたい」という天皇陛下の意向を受けて、
一般の人びとを招いての自然観察会が毎年開催されている。
5月4日の観察会。コースを歩き終えた参加者が滝見口門で汗を拭いていると、宮内庁職員が明るい声で呼びかけた。
「皆さん。サプライズがあります」

天皇陛下と美智子さまがこちらに向かって歩いてくるではないか。
おふたりは素早く二手に分かれて、「どこからいらしたの?」「どんな花がありましたか?」と、
参加者に話しかけている。
「昔はここはゴルフ場があってね」
と陛下自ら皇居の解説までしてくださるではないか。
続けて陛下は中学生くらいの女の子に、「いつも何をやっているのですか?」と優しげに話しかけた。
「ブカツです!」
「……」
きょとんとした表情の陛下。どうやら、「部活」という単語になじみがなかった様子。
女の子の父親が、「クラブ活動です」と補足すると、
「ああ、そうですか」
照れくさそうな、恥ずかしそうな表情を見せる陛下。今度は、美智子さまの周囲が騒がしくなった。

「虫が……」「ほんと!」。おばちゃまたちが、美智子さまの肩に触れんばかりに手を伸ばして虫を追い払っている。
お付きの人も驚いたのだろう。慌てて虫よけらしき傘を持ってきた。
しかし、当の美智子さまは全く動じない。優雅な仕草で両手を胸に寄せると、
虫を避けるように肩をすくめて、にっこりとほほ笑んだ。
「ありがとう」

さらに神対応は続く。
参加者は2台のバスで門から窓明館へ戻ることになっている。
発車したバスから後ろを振り返ると、なんと両陛下がバスに向かって手を振っている。
おふたりのお手振りは、バスが見えなくなるまで続いたという。(本誌・永井貴子)

※週刊朝日 2018年5月25日号

https://dot.asahi.com/wa/2018051800014.html

頂上会議

陛下と皇太子さまのお集まり「昨春から」 宮内庁長官
産経新聞 2月28日(木)16時15分配信
天皇陛下と皇太子さま、秋篠宮さまが皇居・御所で定期的に意見交換をされていることについて、
宮内庁の風岡典之長官は28日の定例会見で、このお集まりが、心臓手術を受けた陛下が退院し、
元気になられた昨年春ごろから月1回程度のペースで行われていることを明らかにした。
風岡長官は具体的な内容は明かさなかったが、自らも事務方の代表として出席しているとし、
「皇室に関係する幅広い事柄」が話されていると説明。「有意義なことだと思う」と述べた。
皇太子さまは2月23日の誕生日を前にした今年の記者会見で、陛下、秋篠宮さまと
さまざまな意見交換をしていると説明し、
「大変有意義なひとときを過ごさせていただいております」と述べられていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130228-00000564-san-soci


皇室の未来のため…天皇陛下と皇太子さまの”父子会談”
投稿日: 2013年02月22日 07:00 JST
「実は約1年半前から、天皇陛下、皇太子さま、そして秋篠宮さまのお三方が御所に集まって、
話し合いの場を持たれているのです。一昨年夏から月に1回ほどのペースですから、
すでに20回ほど開催されています」(宮内庁関係者)
まさに”頂上会議”と呼ぶべきものだが、非公式のため、宮内庁でもその存在を知る職員は少ないのだという。
「陛下も皇太子時代に、週に1回ご参内し、昭和天皇と食事をともにされていました。
しかし、父子の対話を会議として定例化させたのは初めてのことです。非公式の会合という性質上、
内容はつまびらかにされることはありませんが、テーマは今後のご公務など皇室の未来に関わることが多く、
さらにご家族の話題、たとえば雅子さまのご体調などについてもお話しされているそうです」
(前出・宮内庁関係者)
両陛下のご体調問題、雅子さまのご病気、そして現状の皇室典範では将来的には皇族が減少し続け、
皇室の活動が維持できなくなること……。ご家族はさまざまな憂悶を抱えている。
昨年12月のお誕生日会見で、ご負担の軽減について質問された陛下は、次のようにお答えになった。
「私が病気になったときには、昨年のように皇太子と秋篠宮が代わりを務めてくれますから、
その点は何も心配なく思っています」
前出の宮内庁関係者は、「天皇陛下も”天皇という立場”の重さを、皇太子さまと秋篠宮さまが
理解されていることを確信されているからこそ、あれほどきっぱりと断言したのでしょう。
また皇太子さまにとっても、雅子さまのご病状を天皇陛下に直接ご報告できる場があることを、
大変心強く思われているようです」と語る。
この”父子会談”が、やがて皇室に明るい未来をもたらすことを祈りたい――。
https://jisin.jp/domestic/1623554/


週刊新潮2013年3月7日号
皇太子誕生日会見。記者からの事前の5つの質問のほか、関連質問が3つ。
関連質問には皇太子がアドリブで答えた。
その中で天皇陛下、秋篠宮殿下、皇太子の「三者会談」の存在が明かされた。
この三者会談は皇太子とコミュニケーションが取れない陛下の
強いご意向を受けて羽毛田がセッティングしたのが始まり。
時代を見据えた陛下の強い御意思が窺える三者会談だが、
秋篠宮殿下の同席には「ご名代」のみならず陛下の「後任」という意味がある(宮内庁関係者)
これまで両陛下はどんな厳しい日程でも必ずお揃いで公務に臨まれた。
海外の賓客の接遇も妃の同席が望まれるため、秋篠宮両殿下の立場はますます重要。
皇太子殿下と雅子妃では,その伝統を引き継ぐことが困難。
皇太子誕生日会見で雅子妃について、セカンドオピニオンは考えていないと落ち着き払ってこう口にされた。
大野医師は妃殿下の説明だけに耳を傾け病状を秘匿し、一切の説明を拒んでいる(宮内庁関係者)
最大の問題は、陛下がもっとも大切にされている、「あらゆる場面において国民をミスリードしない」
というモットーと全く相容れないこと。(宮内庁関係者)


週刊文春2013年12月12日号
雅子さまと紀子さま「見えざる壁」
〈それぞれ意見が違うこともこれは当然ある〉
秋篠宮は「あえてこう述べられたのだ」と、ある皇室記者は思わざるを得なかったという。
天皇皇后がインドへ出発された11月30日は、秋篠宮の48歳の誕生日でもあった。
恒例の誕生日会見の中で、もっとも注目されたのは、天皇と皇太子、秋篠宮の三者で集まられ、
月に1回のペースで開かれているという“頂上会談”についての言及だ。
政府が皇位継承問題を一向に議論しようとしないなかで、女性宮家など、
皇室の将来像についても話が出る非常に重要な懇談の場だと言われている。
懇談について秋篠宮はやり取りの内容は〈控えたい〉とされながらも、こう述べられた。
〈いろいろな事柄について見解を共有するということは、私はそれ自体非常に意義があることだと思っています〉
だが、その直後に冒頭のような“留保”をつけられたのだ。
「殿下は敢えて〈皇太子御一家とは頻繁に行き来をするということではありません〉とも仰っていますが、
兄とは必ずしも同じ考えでないというご姿勢を強く感じました」(同前)
(中略)
懇談の後は、皇后も一緒になって御昼餐をとられることもあるようだ。秋篠宮もこんな話を披露された。
〈(懇談が)終わった後に今度は、この時は長官は外れますけれども、皇后陛下も一緒に四人でお昼をする、
これは非常にほっとするいい機会である〉
だが、実はその席に、紀子さまが合流され、ご一緒に食事をされることもあるのだという(宮内庁に
事実確認を求めたが、否定はせず「私的な事項については、従来より発表しておりません」とした)。
かたや雅子さまは参加されていない。

檀ふみに突然の電話「陛下と一緒に散歩を」

檀ふみに突然の電話「陛下と一緒に散歩を」〈週刊朝日〉
(更新 2014/6/16 07:00)
画家の安野光雅さんが、天皇、皇后両陛下の歌133首を選んで文章を綴り、
花のスケッチ30枚を書き下ろした作品『皇后美智子さまのうた』が6月6日に出版された。
これを受けて、安野さんが、女優の檀ふみさんと対談した。

*  *  *

檀:昨年は先生が描かれた「御所の花」の展覧会を、見せていただきました。
わが家にも咲いている野草なのに御所の花はずっと上品な気がしました。
全部で何枚ぐらいお描きになったのですか。

安野:全部で130枚だったと思います。御所には自然がいっぱい残っています。何回も行きましたが、
花は時間が経つと光の関係で、すぐに動いてかわるので、スケッチもしますし、カメラでも撮影します。
花を宮内庁の方に採集してもらって、ペットボトルに入れてアトリエに戻るのです。
しおれる前に水を補給するなどします。
東京の真ん中にあんな自然があるのは、不思議でしたが、
天皇陛下はじめ、たくさんの方々の努力の結果だと知りました。

檀:わたしも御所に伺ったことがあります。
数年前、NHKのBSで「日めくり万葉集」という番組があって、ナレーションを担当していました。
するとあるとき、宮内庁から電話があって、
「両陛下とお茶をご一緒に」と侍従を名のる方がおっしゃるんですね。
わたしは目覚ましいことをした覚えは何ひとつないのでわけがわからない。
でも「檀さんと作家のリービ英雄さんとで」とおっしゃるので、あ、これは「万葉集」がらみかな、と。
ひょっとして両陛下が「日めくり万葉集」をごらんになっているのかもしれないと、ワクワクして伺いました。
御所では、皇后美智子さまからお話がありました。「毎朝、陛下と一緒に散歩をしていますが、
(放映に)気がついてからは万葉集が大好きなので、始まる時間には急いで戻るようにしていますの。
檀さんは、歌によって区切り方を変えてらっしゃるでしょ。あれはどのようにされているのですか」
上品なお言葉でした。実は、歌の区切り方は、毎回、カンカンガクガクの末に決めているので、
そこまで深くごらんになっていらっしゃるのか、とびっくりいたしました。

安野:短歌の読み方は難しいけれど、檀さんはとても気品があります。
わたしがあの番組で挙げた好きな万葉集の歌は、
「石(いわ)走る垂水(たるみ)の上のさわらびの萌(も)え出づる春になりにけるかも」
「むささびは木末(こぬれ)求むとあしひさの山の猟夫(さつを)にあひにけるかも」の二つでした。

檀:安野先生はいちばんはじめの選者でしたから、本当にお好きな歌を選べたんです。
早い者勝ちで、あとの人はどんどん選ぶのが難しくなる。
長く続いたので、いつからか重複しても構わないということになりましたけど。
失礼かとも思ったのですが、皆さまのために蛮勇をふるって(笑)、
両陛下は、万葉集ではどの歌がお好きですかとお尋ねしてまいりました。
天皇陛下は少し考えられて、柿本人麻呂が歌った、
「東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」
皇后美智子さまは、いくつもおありのようでしたが、
「たまきはる宇智の大野に馬並(な)めて朝踏ますらむその草深野(ふかの)」
を挙げてくださいました。

※週刊朝日  2014年6月20日号より抜粋
http://dot.asahi.com/wa/2014061200116.html

天皇の20年 加地伸行

【正論】天皇の20年 立命館大学教授、大阪大学名誉教授 加地伸行
2009年01月06日 産経新聞 東京朝刊 オピニオン面
「天子に争臣七人有れば…」
皇室のことについて書くのは、正直言って気が重い。
それと言うのも、私が古い世代であるからだ。
もっとも、敗戦のとき、私は国民学校(今の小学校)3年生であったので、戦前・戦中派の最末席を汚すにすぎない。
しかし、先日、久しぶりのクラス同窓会でわれわれは当時の唱歌を大合唱した。
「勝ち抜く僕ら少国民、天皇陛下のおんために、死ねと教えた父母(ちちはは)の…」と。
昭和20年8月15日-暑い日であった。2週間後の9月、始業式のあと、私は作文を書いた。
「日本は科学(注…原爆のイメージ)で負けたので、これからは科学を勉強してアメリカをやっつけきっと勝ちます」と。
子どもごころに復讐(ふくしゅう)を誓ったのだ。
当時、学校はクラスの級長を軍隊式に小隊長と俗称していた。
私は桜組小隊長としてそう書くのが正しいとしたのは当然であった。
この文を読んだ教師たちはおそらく慌(あわ)てたことだろうと思うが、私には記憶がない。
それから茫々(ぼうぼう)60年余、この老骨、皇室への敬意は変わらない。
変わったのは、いや変わりつつあるのは、逆に皇室ではなかろうか。

≪皇室は無謬ではない≫
昨年、西尾幹二氏に始まり、現在の皇室について論争があった。
その詳細は十分には心得ないが、西尾氏は私より1歳年長であり、〈勝ち抜く僕ら少国民〉の心情は同じであろう。
皇室への敬意に基づく主張である。
その批判者に二傾向、(1)皇室無謬(むびゅう)派(皇室は常に正しいとする
いわゆるウヨク)、(2)皇室マイホーム派(いわゆるリベラルやサヨク)がある。
私は皇室の無謬派こそ皇室を誤らせると思っている。
歴代の皇室では皇族の学問初めの教科書に儒教の『孝経(こうきょう)』を選ぶことが圧倒的に多かった。
なぜか。
『孝経』は、もちろん孝について、延(ひ)いては忠について教えることが大目的であるが、もう一つ目的があった。
それは臣下の諫言(かんげん)を受け入れることを述べる諫争章を教えることである。皇室は無謬ではない。
諫言を受容してこそ安泰である。そのことを幼少より学問の初めとして『孝経』によって学ばれたのである。
諫言-皇室はそれを理解されよ。
一方、皇室のありかたをわれわれ庶民の生活と同じように考え、マイホーム風に論じる派がいる。
だいたいが、皇室の尊厳と比べるならば、ミーハー的に東大卒だのハーバード大卒だのと言っても
それは吹けば飛ぶようなものである。まして外交などというのは、下々の者のする仕事である。
にもかかわらず、そのようなことを尊重するのが問題の解決となると主張するマイホーム人権派もまた皇室を誤らせる。

≪「無」の世界に生きる≫
折口信夫は、天皇の本質を美事に掴(つか)み出している。
すなわち、歴代の御製(ぎょせい)を拝読すると、中身がなにもないと言う。
例えば「思ふこと今はなきかな撫子(なでしこ)の花咲くばかり成りぬと思へば」(花山天皇)。
このような和歌は庶民には絶対に作れない。庶民は個性を出そうとするが、
天皇は個性を消し去る。それは〈無〉の世界なのである(折口説の出典名を失念、読者諸氏許されよ)。
折口の天才的文学感覚は御製の性格を通じて、〈無〉という天皇の本質を的確に示している。
〈有〉の世界にいるわれわれ庶民は、やれ個性の、やれゼニカネの、やれ自由の人権のなどと
事(こと)物(もの)の雁字搦(がんじがら)めになっている。
そして〈有〉のマイホーム生活を至福としている。
皇室は〈無〉の世界に生きる。それを幼少からの教育によって培(つちか)い、マイホーム生活と絶縁するのである。
なお、皇室を神道の大本とするというのは一面的である。皇室は同時に日本仏教と深く関わるからである。
京都の泉涌寺(せんにゅうじ)に安置されている歴代天皇の位牌(いはい)は仏教者であることを示す。
皇族は、神道・日本仏教さらには儒教に深く関わり東北アジア諸文化を体現する。
日本の核にして〈無〉である以上、可能な限り、皇居奥深くに在(いま)され、
やれ国際学会の、やれ国連なんとかの開会式などといった庶民のイベントにはお出ましにならないことである。
陛下御不例(ごふれい)が伝聞される今日、皇太子殿下の責任-〈無〉の世界の自覚が重要である。
もしそれに耐えられないとすれば、残る道は潔(いさぎよ)い一つしかない。
『孝経』に曰(いわ)く「天子に争臣(そうしん)(諫言者)七人有れば…天下を失わず」と。