浜尾実氏

皇后美智子さま 浜尾実著
本書の最後にあたって、私が今後の皇室に望んでやまないことを、
あらためて記しておきたい。
それが、特に皇太子さまと雅子さまへの願いとなってしまうことは致し方なかろう。
現代にふさわしい皇室を築き、国民の興味だけでなく
心からの共感をより深いものにするために、皇太子さまと雅子さまには、
これから率先して皇室の先頭に立たれることを期待したいからだ。
皇太子さまと雅子さまに、私がまず申し上げたいのは、
福祉関係の施設などにお出かけになる機会を、
もっと増やしていただけないだろうかということだ。
~中略~
皇室のお努めのひとつは、疑いもなく、
災害地や社会福祉の現場に光のあたるきっかけをつくっていくことだろう。
皇太子さま・雅子さまには、老人ホームでもいい、養護施設でもいい、
国内にそれこそ無数にあるこれら社会福祉関係の施設を、
たとえ時間は短いものであっても結構だからなるべく数多く訪問なさっていただきたい。  
もちろん、音楽会に行かれるのも、美術展に行かれるのも、
また、折々に御用邸で静養 されるのも、それはそれでよろしいこと。
しかし、それだけが突出してマスコミに報じられることは望ましくない。


美智子さま 愛と心の小さな話  お側で伺った7758日の感動 浜尾実著
天皇ご一家の”壮絶な”百人一首大会
宮さま方というのは、本当に百人一首がお好きなのだ。
陛下、美智子さま、浩宮さまも百人一首はお好き。
天皇ご一家のお正月は、それこそ大変にお忙しいのだが、行事がない日には一家おそろいで、
私たち侍従が読み札を読んで、百人一首に興じられている。
一番お強いのは、美智子さま、次が陛下、そして浩宮さまの順だと私は拝見している。
天皇家の百人一首だから、おおらかで雅なものだろうとお思いになるかもしれないがそれは大まちがいだ。
真剣勝負、壮絶といってもいい。
ご一家が百人一首をなさるということが決まると、
私ども侍従は、御所内の広い応接間「日月の間」に畳を運び込む。


浜尾氏が皇室番組で語ったエピソード
紀宮様が生まれたとき、お母さまのお見舞いにいった礼宮様は「男の子だったね」という。
不思議に思った浜尾さんが「女の子ですよ。どうして男の子だと思われたのですか?」と聞くと
「だって頭にリボンつけてなかった」
紀宮様が東宮御所に戻ってきて、ベビーベッドで寝るようになったある日
紀宮様のベッドに赤いリボンが結ばれているのを浜尾さんは発見した。
礼宮様がリボンを結んだに違いないと浜尾さん。

浩宮様が「サーヤはそのうち僕たちと一緒に住めなくなるんだよ」礼宮様「!」
2人はお庭にサーヤのお家を作ってあげようと話し合った。
ある日来客があり、美智子さまは生まれたばかりの紀宮様を抱っこして
お客様と応接室で接客。普段はそういうとき別の場所で遊んでいる礼宮様がその日は何故か
紀宮様を抱く美智子さまの横に立って見つめていた。
いつもと様子が違うな、と思っていたらほどなくして礼宮様は
思いつめた表情で「サーヤを連れて行かないで!」と叫んだ。

浩宮様はご両親が外国訪問から帰ってきたときに喜びのあまり興奮して
室内のテーブルの上のものを落としたり、イスを倒しまくったりして叱られた。
そういうことがときどきあった。
浜尾さん、浩宮様に初めて体罰。どれだけ口で言っても聞かないので意を決しお尻をぶった。
すると、浜尾さんがびっくりするほどの大声で泣き喚き出した。
子どもの声はよく通るので御所中に響き渡り、
浜尾さんも「流石にこれはまずいのではないか」と思い始めた。
美智子様がやってきて「どうしたのですか?」
浜尾さん「こんなに泣かせてしまって、お叱りを受けるかも・・」と思いながら理由を話したところ
「そうですか。続けてください」と美智子様はおっしゃった。
とはいえ、こういうことがあるたびにお尻をぶって大泣きされても困る。
浜尾さんは、以後「幼稚園にいけなくなりますよ」という脅し文句を思いつきそれを使うことにする。
これはわりと効果があったが、ある日浩宮様が「ボク、幼稚園行くのやめようかな・・」と呟き、
浜尾さんは愕然とし「幼稚園に行けませんよ」などと言うべきではなかったと後悔した。
礼宮様が生まれて御所に戻ってきたときベビーベッドで泣いているのを見て、
浩宮様は「アーヤは泣いていいんだね」と言った。

礼宮様は動物好きで、自分のほうから動物に近寄っていき、いつまでも撫でて可愛がっている。
相手は動物なので「何かあったら・・」と気が気ではなかった。
犬やウサギだけじゃなく亀やヘビも大好きで、
ときどき自分でヘビを捕まえてきて「はまおさーん」とポケットからだしてブラブラさせるので、
ヘビが大嫌いな浜尾さんはこれには閉口した。
礼宮様は美智子様にも「へびを撫でて」とおねだり。
浜尾さんはヘビに触れることすらしなかったが、美智子様はおそるおそるヘビを撫でた。



浜尾氏による浩宮さまのエピソード(出典不明)
「きのこ狩り等へ行ったら、宮様の目に付くところへ特大のきのこが事前に置かれている。
宮様は正義感の強いお方なので、そういうきのこには一切手をつけず、
自力で探し出したきのこのみお取りになっておりました」

「浩宮さまは何度も何度も反芻されて理解していくタイプ」

浩宮さまが浜尾さんの官舎へ遊びに行った時にこう言った。
「浜尾さんの家は地震になったらつぶれるネ。ぼくの所は鉄筋だから大丈夫だよネ」

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浜尾実氏逝去
2006年10月26日

浜尾実氏死去 元宮内庁東宮侍従で皇太子さまの教育担当
浜尾 実氏(はまお・みのる=元宮内庁東宮侍従で皇太子さまの教育担当)25日午後9時、
心不全のため長野県諏訪市の病院で死去、81歳。東京都出身。
自宅は諏訪市大和1の24の9。葬儀・告別式は近親者で行う。
追悼ミサを30日午後1時半から東京都千代田区麹町6の5の1、聖イグナチオ教会で行う。
喪主は長男昇(のぼる)氏。
2006/10/26 11:56 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/200610/CN2006102601000627.html

元東宮侍従、浜尾実さん死去
皇太子さまの教育係を担当した元・東宮侍従の浜尾実さんが亡くなりました。
81歳でした。
浜尾さんは1951年から20年間、東宮侍従として皇太子一家に仕え、
当時の浩宮さまの教育係として幼少時の宮さま教育にあたりました。
引退後は、テレビ出演や本の執筆など幅広く活躍、
著書では「ご両親から、浩宮さまを人間として立派に育てる様、厳しくあたって欲しい」と
言われたエピソードや、美智子さまの子育てメモ、いわゆる「ナルちゃん憲法」の存在を紹介しました。
(26日18:14)
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20061026/20061026-00000049-jnn-soci.html



週刊新潮2006年11月?日号
皇太子殿下に届いた浜尾氏訃報
浜尾さんは8年前から諏訪湖のほとりにある有料老人ホームに入居していたが
そこの運営母体の職員が天皇陛下と浜尾氏の入院後(今年の9月30日に入院)に面会する機会があり
「どうぞお大事になさるよう、お伝えください」と陛下からメッセージを頂いていた。
ただ、浜尾さんの体調がすぐれずメッセージは伝えられずじまい。
皇太子には26日の夜伝えられたそうだが、翌日の殿下に変わった様子はなかった。
浜尾さんは皇太子のことを最後まで心配していた。


週刊現代2006年11月18日号
10月30日にはカトリック信者だった浜尾氏の追悼ミサが、
東京都千代田区麹町にある「聖イグナチオ」教会」で行われた。
約400人が故人を偲ぶなか、パイプオルガンの音色が静香に流れ、
祭壇には両陛下と皇太子さま、秋篠宮ご夫妻から贈られた白菊の花カゴが飾られていた。

病室に届いた美智子さまの特製スープ

皇后の帽子デザイナー平田暁夫さん(89)逝く 病室に届いた美智子さまの特製スープ
(週刊朝日 2014年05月09-16日号配信掲載) 2014年5月1日(木)配信
皇后美智子さまを始め、皇族方の帽子デザイナーとして知られる平田暁夫さんが3月19日に亡くなった。
享年89。心臓病やがんなどと40年近く闘いながら、帽子作りへの情熱を最後まで失わなかった。
平田さんが最後に手がけた作品は、伊勢神宮参拝で美智子さまが着用した帽子であった。
(略)
一方、美智子さまの帽子は、デザイン性と同時にさまざまな配慮が求められる。
美智子さまは、皇太子妃時代を含めて3度も全米ファッション界による、ベストドレッサーに選ばれた。
昭和の時代は、つばの広いブルトンやターバンのように頭を覆うボネと呼ばれる帽子も愛用したが、
平成に入ると、小さな丸い帽子を載せるスタイルが定着した。
ほおを寄せる欧米式のあいさつでは、広いつばが邪魔になる。
小さな帽子であれば、移動の荷物がかさばらず、訪問先で洋服から和服に着替えても髪形が崩れない──。
美智子さまが試行錯誤の末、たどりついた装いだった。
生前、平田さんは本誌の取材にこう話していた。
「皇后さまは、訪問先に縁のあるモチーフをご希望になる。オランダならばチューリップ、
英国の場合はバラという具合です。県花や、土地の織物をあしらうこともあります」
美智子さまは、仮縫いした帽子をかぶりアイデアを練る。帽子を折り曲げ、
銀紙をつけて理想の型を追求することもあった。
美智子さまの配慮や気配りも含めて帽子に具現化するデザイナー、それが平田さんであった。
「平田さんのような才能を持つ人々が、両陛下のご活動を支えている」(宮内庁関係者)
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/asahi-20140501-02/1.htm

同級生は天皇陛下

文藝春秋2012年2月号
同級生は天皇陛下  扇千景

この年の12月23日、いまの天皇陛下がお生まれになった。
昭和天皇にとっては第五子だが初の男子とあって、国民の歓喜と祝福には熱狂的なものがあった。
宝塚から女優を経て国会議員となり、建設・運輸・国土交通などの大臣や参議院議長を歴任した
扇千影さんは、陛下のお人柄に近しく接する機会に恵まれた。

陛下ご誕生のときの『皇太子様お生まれなつた』という奉祝歌を、私なぜか歌えるんです。
同い年ですから覚えるはずないんですが、親が歌っていたんでしょうね。
お祝いの提灯行列のことも、よく聞かされていました。

各省の大臣や参議院議長を務めていたときには、直接お目にかかる機会がしばしばありました。
議長は国会が終わるたび、その会期中に成立した法案全部について陛下にご報告申し上げます。
一対一で長時間ですから、かなり突っ込んだご質問があります。
思わぬことをお尋ねになる場合もあるんです。平成12年の建設大臣時代に、三宅島が噴火した際のこと。
「浜辺に置いたコンテナに中で、海水を真水に変えて、住民の方に供給しています」と申し上げました。
すると陛下は、「そのコンテナはどこから持ってきたんですか?」とお尋ねになりました。
私は不勉強で、そこまで知らなかった。
「申し訳ありません。調べてご報告致します」。そうお答えするしかありませんでした。
お年を召されても、わからないことは素直にお尋ねになってわかろうとなさるその好奇心、研究心。
そうしたお心がけが、いまのご気力と、年齢とは思えない若さを保っておられる理由だと思います。

いつもご様子がお変わりにならないし、ものすごく記憶力がよくていらっしゃるし、ユーモアもおもちです。
ありがたいことに、歌舞伎俳優をしております主人の坂田藤十郎が人間国宝や文化勲章をいただき、
私も二度も勲章を頂戴致しました。
そうした際の午餐会や晩餐会では、陛下とお食事をご一緒させていただく栄誉に恵まれます。
すると陛下は、主人に向かって、「親子でラブロマンスを演じるのは、どんなお気持ちですか?」なんてお尋ねになる。
主人の当たり役が『曽根崎心中』のお初で、
最近は長男の中村●(習に元)雀が相手役を務めていることを、よくご存知でいらっしゃるんです。
春と秋に行われる園遊会も、夫婦同伴です。男性が招待される場合、奥様の名札は「○○様令夫人」となっていますが、
女性が招かれると、ご主人の名札には名前が書いてあります。
私が参院議長としてお招きいただいたとき、主人の立場はその夫ですから、
名札は「坂田藤十郎」ではなく「林宏太郎」という本名になっていました。
すると陛下は、主人に向かってこうおっしゃった。「今日はお名前が違いますね」
まわりは大爆笑になりました。そういうさりげないユーモアが、また素晴らしいんです。

園遊会には、二千人以上の人が招かれます。
それほどたくさんの人が並んでいる中で、名札を見るだけで、
どういう立場や業績をもつ人なのか全部おわかりになる。
下準備というか、私たちの見えないところで、すごいご勉強をなさっておられるからに違いありません。
同い年というのもおこがましいくらい、人間形成がまったく違う方です。
お手本というと失礼ですが、見習いたいところばかり。
私たちの世代は、戦中戦後のいろいろな厳しさを小学生で経験した者たちです。
耐えるということを自然に覚えて、食べられないことにも耐えるし、
恵まれないことにも精神的な苦しさにも耐える経験を経てきました。
そうした耐えるという精神を、象徴しているのが陛下です。
戦中戦後の苦しい時代の中、昭和天皇が立派にお育てになったということだと思います。
陛下はハゼの研究者としても有名ですが、御所にある陛下の研究室は実に質素です。
小学生が使うような小さいお机の上に、顕微鏡があるだけ。きっと陛下は、不満など何もおっしゃらないんでしょう。
美智子皇后とご結婚なすってからの陛下のありようは、さらにお変わりになったというか、
国民みなが陛下を敬う気持ちが自然に出るような神々しさが、とみに増したように思います。


皇居での万歳三唱
素晴らしい天皇を、私たちは戴いている。そのことは、外国の方にも伝わるようです。
各国の来旨が日本に赴任してきたとき、東京駅から馬車に乗って皇居へ入り、
元首からの信任状を陛下に捧呈するのがならわしです。
私も大臣として、何度かその場に立ち会う機会がございました。
初めて陛下と面会して、まだひと言も言葉を交わさないうちに、新任大使の手が震えているのをよく見ました。
陛下の発せられるオーラや神々しさが、そのお姿から伝わるためにほかなりません。
離任して帰国の際にも、大使は天皇にご挨拶をされます。
昭和天皇のとき、ご公務を減らす目的で、これを皇太子に替えたらどうかというお話が出ました。
しかし昭和天皇は、引き続きご自分でなさるとおっしゃった。
いまの陛下も同様に、ご自分でなさっていらっしゃいます。
昭和天皇の時代、特に戦争が終わるまでは、皇太子との距離がもっと大きかったように感じます。
いまの皇室のような、ご家族という感じではありませんでした。
それを立派に、いまの日本に合う皇室像をお作りになった。
これは、天皇と皇后両陛下が素晴らしいご夫妻でいらっしゃるためです。
反対もあったにもかかわらず、民間から美智子皇后を選ばれた陛下のお目の確かさと
勇気、信念が、結実したのだと思います。
私が一人の女として、また妻として見習いたいのは、
皇后陛下の、陛下に対する態度、陛下を思うお気持ち、そして夫婦の距離感です。
両陛下がご臨席になった式典を見れば、よくわかります。
天皇陛下がお言葉をお述べになる間、皇后陛下は決して視線を逸らされません。それが毎回のことなのです。
常日頃のそうしたお姿が妻の鑑であると同時に、
天皇陛下がそれほど尊敬される人物でいらっしゃる証なのだということでしょう。

議員時代、天皇誕生日に皇居の祝宴にお招きいただきますと、
最後に私の発声で「天皇陛下万歳」を三唱するのが毎年の恒例でした。
宮中では万歳をしないしきたりがあるようですが、
同い年だから許されると思って、大臣のときと参院議長時代を合わせて六年間、務めさせていただきました。
祝宴が終わって陛下がお立ちになるとき、私が「天皇陛下」と大きな声を出します。
すると、ご出席のみなさんが「万歳」と三唱してくだすって、陛下もニッコリされる。
あとから聞いた話ですが、前の日に行われる予行演習で、
「ここで扇議長から、万歳三唱があるはずでございます」と、実は式次第に入っていたらしいです(笑)。
お立ちになったときに声を出すタイミングが難しいので、
前にいらっしゃる皇室の方々と首相が、私から陛下が見えやすいようにすれてくだすったり。
私が議員を引退したあとはどなたもなさらないようで、
ある首相経験者から、「なぜ後継を育てなかったのか」とお叱りを受けました(笑)
同い年の身近さを一番感じたのは、あの万歳三唱のときでしたね。

昨年秋にはご入院のニュースもありましたし、天皇の国事行為や宮中行事は本当にたくさんあるんです。
国民の一人としてありがたいと思いますけれども、できるだけお身体をいたわっていただきたいと願っております。
(構成・石井謙一郎)


天皇陛下の「ご意向」を振りかざす官僚達の危うさ

正論2014年2月号
八木秀次
天皇陛下の「ご意向」を振りかざす官僚達の危うさ
ここのところ、宮内庁が天皇陛下のお気持ちやお考えを披露することが続いている。
私は率直に違和感を感じる。
一つは、国民間でも意見が対立するテーマに陛下のお気持ちやお考えを提示することで、
陛下を政治的対立の渦中にお立たせするかもという懸念。
次に重要な点は、宮内庁の役人やOBが陛下のお考えであると発表してしまえば、
(国民がその真偽を確認する術がないまま)流通してしまう。
陛下の権威を借りて官僚が自分達を正当化する恐れのある、官僚による「天皇の政治利用」である。
オリンピック招致の久子妃出席の時点で、風岡長官より、「苦渋の決断だった」
「両陛下もご案じになっているのではないかと拝察している」と発言があり、
招致決定後には山本次長が、「両陛下が大変お喜びになったと側近から聞いている」と発言。
仮に一時的に陛下がご懸念を示されたとしても、
開催決定の喜びを国民と共にされたという発表だけで十分ではなかったか。
山本太郎手紙手渡し事件で山本に脅迫が届いていた事を心配していらっしゃるの発表も
公表する必要があっただろうか。
近年の宮内庁は、皇室の「演出」が稚拙。オモテもオクも官僚によって占められた結果、
表に出さなくていいお気持ちが出たり、官僚に都合よくお気持ちやお考えを披露することが利用される懸念。

ご葬儀と御陵発表への懸念
11月14日に宮内庁が発表した文書は昨年4月に羽毛田長官(当時)が定例会見で発表したものを検討、確定したもの。
今回異例な点は「今後の御陵及び御葬儀のあり方についての天皇皇后両陛下のお気持ち」
と題する文書が添えられていたこと。
天皇陛下は国民に負担をかけないように簡素化を望んでいらっしゃるという主旨。
両陛下のお気持ちはありがたく、仁徳天皇を彷彿とさせるが、問題は宮内庁の対応である。
一般にも子供に負担をかけたくないとの思いから自分の葬儀や墓を質素にしてくれという親は多い。
しかしそれを真に受けるのはどうか。
陛下のお気持ちはありがたいが、宮内庁はなぜ、「陛下、それはご心配にはおよびません」と言えないのか。
火葬にすることで経済的負担を軽減出来るという点にも疑問がある。
葬儀には多くの儀式があり、火葬となれば、大幅な見直しが行われる。
懸念するのは、陛下の「簡略化」のご意向をよいことに、儀式の簡略化が行われること。
未確認情報とし葬場殿の儀を新宿御苑でなく、皇居正殿松の間で行うという情報も。図面まで出回っている。
宮中祭祀を「政教分離」を盾にして簡略化を行ってきた。
さらに神道色の希薄化への懸念が。

「ご意向」推測の危険
松崎敏弥氏が「今回の葬送に関する発表で、天皇ご自身が皇室改革について
強い覚悟をもっていることがはっきりしました。
女性宮家に向けた皇室改革を進めてほしいという陛下の意思表示だと思います。」と週刊ポストで述べる。
これまでも宮内庁関係者は女性・女系天皇の容認が、女性宮家の創設について陛下のご意向だと触れ回っている。
陛下のお気持ちを持ち出すには慎重の上にも慎重を。
国民統合の象徴であり、特定の立場に立たないことが必要。
宮内庁には「陛下のお気持ち」を持ち出すのはこれを限りにして欲しい。
それが両陛下の尊厳を守る道だからである。

天皇陛下が愛する駅弁は「チキン弁当」

庶民的な味がお好き? 天皇陛下が愛する駅弁は「チキン弁当」
天皇、皇后両陛下の知られざるエピソードを皇室担当記者がお伝えする。
◆天皇陛下の「しっぽ」
数年前のことですが、天皇陛下が車に乗り込む場面で、護衛官がドアを閉めた際、
モーニングコートの後ろの裾を挟んでしまいました。
天皇陛下は自らドアを開けながら、「しっぽが」と笑顔で話されたそうです。
両陛下の取材を続けていると、ふとした場面で「気遣いの人」であると感じます。
あるとき、皇宮警察官がテニスのお相手をしていると、打ち返した球のバウンドが変わって、
皇后さまの顔に当たってしまったことがありました。
でも、皇后さまは「大丈夫よ。手を当てていると治るの」と気遣ってくださったそうです。

◆エスカレーターを使わないわけ
両陛下はエスカレーターを使いません。エレベーターは利用しますが、
エスカレーターがある場所でも階段を使います。理由ははっきりしませんが、昔から利用されないそうです。
東京駅の場合、新幹線ホームに上がる階段は段数が多く、高さもあります。
両陛下は支え合うように階段を上り、励まし合うように声をかけ、一段一段ゆっくりと歩みを進めます。
途中、陛下は皇后さまの負担を気遣ってか、一緒に足を止めて休憩することもあるそうです。

◆天皇陛下の駅弁
両陛下が新幹線を利用される際の楽しみの一つが、駅弁です。鉄道関係者によると、
陛下は東京駅などで販売しているチキン弁当が好物のようで、皇后さまと一緒に召し上がることもあるそうです。
伝統ある駅弁で、ケチャップ味のチキンライスに鶏のから揚げが入り、
家庭的な味だと幅広い世代に人気の商品です。
陛下がカレーライスを好むのは有名な話ですが、庶民的な味がお好きなようです。

◆ご夫妻としての一場面
文化や芸術を大切にされる両陛下は時々、都内の美術館に視察に出かけます。
今年5月4日には、都内のブリヂストン美術館の「ベスト・オブ・ザ・ベスト」展を訪れました。
国の重要文化財4点を含む洋画など153点が展示された会場に足を踏み入れると、
陛下はおもむろにめがねを取り出しました。寄り添ったお二人は、それぞれの絵の前で話が弾んでいます。
ゴーギャンの風景画の前では、天皇陛下が、皇后さまのお印である白樺の木が描かれていることに気付き、
「これは白樺かしら」とほほえみます。皇后さまからは「ふふふ」と、かすかな声が聞こえました。
青木繁の「海の幸」や藤島武二、安井曾太郎らの名画が並んだ部屋で、
皇后さまは「こんなに、一部屋の中で見られるなんて」と感激したようにつぶやいていました。
天皇陛下が、芸術に詳しい皇后さまを楽しげな笑顔で見つめていたのが印象的でした。
折しもゴールデンウィーク中。休日を過ごすご夫婦のような一場面でした。
※ 週刊朝日  2015年8月28日号より抜粋
http://dot.asahi.com/wa/2015081900074.html