(プロメテウスの罠)震災と皇室

朝日新聞特集記事
(プロメテウスの罠)震災と皇室(すべてリンク切れ)

朝日(プロメテウスの罠)
震災と皇室:1 「御用邸を避難所に」(2014/04/17)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11088630.html

震災と皇室:2 秋篠宮家が絵を提供(2014/04/18)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11090496.html
◇No.893
宮内庁では、天皇皇后両陛下の意向を受けて那須御用邸の風呂を避難者に開放する作業が始まった。
2011年3月24日には、避難者の入浴用タオル約3400枚を宮内庁講堂で袋詰めした。
秋篠宮家から紀子妃(47)や眞子(22)、佳子(19)各内親王も参加した。
前日の23日、宮内庁管理課長の和地国夫(61)は秋篠宮(48)から呼ばれている。
秘書課長の和田裕生(わだひろお)(55)らと宮邸を訪れると、秋篠宮はすでに那須御用邸の件を知っていた。
「被災者の心のケアが大事です」との話があった。宮邸を出た後、
「心を癒やすには、絵があったらよいでしょう」との紀子妃の発案で、宮邸にあった絵が提供された。
和地が御用邸の風呂を開放する実施計画を長官の羽毛田信吾(72)に提出したのは、21日のことだった。
世話をするため、東京から宮内庁職員を2人、3泊4日ずつの交代で御用邸に派遣する。
皇室の護衛や警備を担当する皇宮警察も、皇宮護衛官2人ずつの派遣を決めた。
職員が泊まるための布団や毛布は宮内庁から運んだ。冬は使わないプロパンガスの復活や風呂掃除も手配する。
休憩室で提供する茶菓子や飲み物は、費用の寄付を職員から募り、
日ごろ皇族方の食事や宮中晩餐(ばんさん)会などの調理を担当する大膳(だいぜん)課に頼み、
業者への手配をしてもらった。
両陛下からは「バスタオルの費用を出しましょう」と寄付があった。
秋篠宮家から借りた絵は、避難者が風呂から上がった後、茶菓子を食べてもらう休憩室に掲げられた。
栃木県や那須町も協力した。町内の避難者に呼びかけ、町のマイクロバスで送迎することになった。
26日午前、那須御用邸供奉員(ぐぶいん)宿舎で和地はあいさつした。
「御用邸は温泉がいいので、ゆっくり入ってください。風呂は3カ所あります。飲み物もあります」
風呂は4月19日までに、延べ449人が利用した。
和地は再び、羽毛田に呼ばれた。
「御料牧場(ごりょうぼくじょう)の生産品を、避難者に配布できないだろうか」
栃木県内にある御料牧場では、牛乳や鶏卵が生産されている。
ふだんは皇族の食事や、賓客を招いた晩餐などで使われる食材だ。
それを避難者に提供できないかという。
両陛下のお気持ちだ、と和地は思った。
それは可能だ。ただ問題は、御料牧場の施設が地震で大きな被害を受けていることだった。
(北野隆一)

震災と皇室:3 「お気持ち」は続く(2014/04/19)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11092489.html

震災と皇室:4 石原知事自ら出迎え(2014/04/20)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11094256.html

震災と皇室:5 東北へ「私が行く」(2014/04/21)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11095623.html
◇No.896
2011年3月30日午後3時40分、天皇は皇后とともに東京都足立区の東京武道館を訪れた。
武道館は震災1週間目から避難所になっている。避難者288人のうち269人が福島からだった。
訪問直前には都職員や警察関係者が下見し、「動線」を確認した。両陛下が歩く経路のことだ。
職員が避難者に「明日、両陛下がお見舞いに来られます」と告げた。
「どうお迎えしたらいいのか」という声が出たが、職員は「ふだん通りでお願いします」と説明した。
武道館の管理者として両陛下を迎えた都スポーツ振興局長の笠井謙一(60)は、
00年の三宅島噴火のときは都報道課長。島から避難した人々のお見舞いに随従(ずいじゅう)した経験がある。
「両陛下がなるべく被災者のそばに行ける動線をつくろう。そう考えていました」
両陛下が話しかけやすいよう、お年寄りや子ども連れの近くを通れるように計画した。
到着すると、天皇と皇后は二手に分かれ、避難者に話しかけ始めた。
皇后と話している両親のわきで、遊んでいた女の子が、ぴょんぴょんとはねながら
「おばあちゃんだ、おばあちゃんだ!」とはしゃぎ、「おじいちゃんは?」と問いかけた。
さらに皇后が動線から外れ、茶髪の若者に話しかけたのを見て、笠井はぎょっとした。
ちゃんと話ができるだろうかと思ったのだ。しかしもっと驚くことが起きた。
若者は、皇后に家族のことを話しながら、ポロポロと涙を流し始めたのだ。
両陛下は一人ひとりにていねいに声をかけ続けた
。都知事としてそばに従った石原慎太郎(81)はのちに語る。
「後ろで聞いているだけでへとへとになった。
あれを聞き続けるなんて、とてもじゃないけど僕はダメだ、まねできない」
途中から少し距離をおいて見守るようにしたという。
休憩時間に、石原は東京消防庁や都職員が救援に入っている東北3県を視察したときのことを
「悲惨で、想像を絶するものでございますよ」と語った。そしてこう提案する。
「陛下もお疲れでしょう。被災地は若い男宮(おとこみや)を名代(みょうだい)に差し向けてはいかがでしょう」
天皇は黙っていた。見舞いを終えて武道館を出る際、見送りの石原に歩み寄り、こう告げた。
「石原さん。東北は、私が自分で行きます」(北野隆一)

震災と皇室:6 廃校舎、急いで下見(2014/04/22)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11097436.html

震災と皇室:7 ひざ立ちで語りかけ(2014/04/23)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11099155.html

震災と皇室:8 地震や原発を勉強(2014/04/24)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11101040.html

震災と皇室:9 隊員の健康気遣う(2014/04/25)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11103072.html

震災と皇室:10 箸は持ち帰った(2014/04/26)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11104948.html
◇No.901
両陛下による東北3県の訪問は、2011年4月27日から始まった。最初は宮城県だった。
知事の村井嘉浩(むらいよしひろ)(53)はいう。
「震災直後の救助活動もやっと落ち着き始めていました。
被災地を見ていただくにはちょうどいいタイミングでした」
問題は交通だった。新幹線は25日に仙台まで開通したが、専用列車を用意できる状況ではない。
自衛隊機で羽田空港を出発し、松島基地(宮城県東松島市)で自衛隊ヘリに乗り継ぐことにした。
両陛下の地方訪問は、ものによっては1年以上前から日程が決まっている。
宮内庁と警察、自治体や交通機関が打ち合わせ、分刻みで日程を決める。
警察は他の車を排除し、信号を全部青にするのが通常だ。
しかし東北3県は、沿道警備に多数の警察官をさける状況ではない。
そこに宮内庁から「被災地に負担をかけないように」との両陛下の意向も伝わった。
そこで、ヘリが着陸するグラウンドに隣接した避難所を訪問先とすることにした。
選ばれたのは、南三陸町の歌津(うたつ)中学校と、仙台市の宮城野(みやぎの)体育館だった。
航空自衛隊松島基地司令の杉山政樹(すぎやままさき)(55)が両陛下の宮城県訪問を聞いたのは、
訪問の1週間ぐらい前だった。基地訪問は初めて。どうお迎えしたものか。
昼食については、宮内庁から天皇の意向として
「基地食堂で隊員がふだん食べているカレーライスでいいです」と伝えられていた。
基地の壊れたボイラーは3月24日に復旧し、温めたレトルト食品を食べられるようにはなっていた。
しかしその後、近くの旅館が仕出しを再開していたことが分かり、県が手配。当日は箱弁当が出された。
基地では女性自衛官3人を急きょ接遇役に仕立てた。
教官を呼び、お茶の入れ方などの作法についての訓練を3日間受けさせた。
杉山らは、両陛下の基地来訪を記念する何かを残したかった。しかし宮内庁は写真撮影はだめだという。
考えついたのが箸だ。前年にブルーインパルス50年記念で作った若狭塗り箸を用意した。
黒地に白く航跡が描かれた高級品だ。両陛下が使った後、記念に保存しようと考えた。
4月27日の昼食時、皇后が「これは何ですか」と尋ねた。ブルーインパルスについての説明を聞くと、
両陛下は「それはいいですね」と、箸を大切に持ち帰ってしまった。(北野隆一)

震災と皇室:11 思わぬアンコール(2014/04/27)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11106912.html

震災と皇室:12 真っ先に自衛隊の名(2014/04/28)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11108344.html
◇No.903
両陛下が宮城県の松島基地に降り立った2011年4月27日、
出迎えたのは陸上自衛隊東北方面総監の君塚栄治(きみづかえいじ)(61)だった。
震災後、陸海空の統合任務部隊(とうごうにんむぶたい)の指揮官を務めていた君塚には、特別の思いがあった。
3月16日午後4時半、テレビ各局で天皇のビデオメッセージが一斉に放送された。
夜、録画でそれを見た君塚は、あっと思った。
天皇は救援活動に携わった組織を列挙して「その労を深くねぎらいたく思います」と語った。
その際「自衛隊、警察、消防、海上保安庁」の順で読み上げたからだ。
04年10月の中越地震のあと、天皇は文書を発表したが、そこでは「消防、警察、自衛隊」だった。
自衛隊に真っ先に言及していただいた――。君塚は感動した。
「今まで以上に自衛隊が頼りにされている、と感じました」
ビデオメッセージには思わぬ反響もあった。当時、天皇は放射能被曝(ひばく)を恐れ、
東京を脱出したといううわさが一部でささやかれていた。その疑惑が一掃されたのだ。
侍従長の川島裕(71)は、「陛下が皇居におられると確認でき安心した」という人がいることを聞いて仰天した。
「文芸春秋」11年5月号で、そのときのことを書いた。
4月27日、両陛下は南三陸町に入った。地元消防団長、海上保安庁、県警などの関係者が出迎えた。
海上自衛隊第1護衛隊群司令の糟井裕之(かすいひろゆき)(51)もその一人だ。
がれきのため歌津地区の岸壁にボートが接岸できず、ヘリで駆けつけた。
天皇は糟井に「ご苦労様。危険も多いでしょう」と声をかけた。
糟井「被災者の方々が大変な思いをされているので、危険だとかいっていられません」
天皇「たとえば、どんな大変なことがあるのですか」
津波のがれきで道路がふさがれているので、
海岸や海上で救助を待つ人々に近づけるのは海自のボートとヘリだけだったこと。
早く救助しないと津波に流された人が凍死してしまうので、暗闇でも危険を承知で出動したこと――。
4月下旬は、救命活動はほぼ一段落し、行方不明者の遺体を洋上から探し続けている時期だった。
天皇は「ご苦労様」、皇后は「被災した人のため活動していただいてありがとうございます」といった。
「被災者になりかわって」というように糟井は感じた。(北野隆一)

震災と皇室:13 気休めではなく(2014/04/29)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11109891.html

震災と皇室:14 窓は開けたままに(2014/04/30)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11111601.html?ref=reca
◇No.905
宮城県の次は岩手県だった。
連休明けの2011年5月6日、天皇と皇后は花巻空港で自衛隊ヘリに乗り継ぎ、釜石市に着いた。
もともとは宮城県の5日後、2日の予定だったが、悪天候で4日延期されていた。
自衛隊のマイクロバスで避難所の釜石中学校へ5キロほど移動する。
ふだんの地方訪問では、歓迎の住民を警察が事前に、数百メートルおきにまとめる
「まとめ奉迎(ほうげい)」をする。しかし県警は震災のため、その人手がなかった。
沿道の被災者は、思い思いの場所で手を振っている。
最前列に座る両陛下は、手を振る人々を見るたび、手を振り返そうとバスの席を立って左右に移動した。
窓から冷たい風が入ってくる。
すぐ後ろに座っていた岩手県知事の達増拓也(たっそたくや)(49)は、
両陛下が風邪など引くといけないと思い、窓を閉めようとした。
「すると天皇陛下が振り返られ、開けておいてください、といわれてしまいました」
釜石中でのお見舞いの最中、震度3の余震が起きた。県秘書課の総括課長、
小友善衛(おともよしえ)(57)は万一のことが起きたらと気が気でなかった。
皇后のそばにいた70代の女性が驚き、皇后の手を握ってしまった。
皇后はその手を握りかえし「大丈夫よ」となだめている。
両陛下は終始、平然としていた。
事前に「海岸近くで亡くなった人に黙礼したい」との両陛下の意向が伝えられていたが、
余震でまた津波がくる危険を考え、上空からのお見舞いということにした。
再びヘリに乗り、釜石市から宮古市へ三陸沿岸を北上する。
両陛下は、壊滅状態の街を上空から沈痛な表情で見つめていた。
大槌町上空で達増が「大槌では町長も津波で亡くなりました」というと、天皇は「役場はどこですか」と尋ねた。
1997年に「全国豊かな海づくり大会」で大槌町を訪れている。
そのとき泊まった「浪板(なみいた)観光ホテル」は、5階建ての3階まで浸水した。
地盤が沈下し、名物「鳴き砂」の海岸も多くが失われた。
皇后が天皇に「あの海岸を散策されましたね」と声をかけていた。
翌12年の歌会始のお題は「岸」だった。天皇は、釜石から宮古へ向かうヘリから見た印象を詠んだ。
「津波来し時の岸辺は如何(いか)なりしと見下ろす海は青く静まる」(北野隆一)

震災と皇室:15 「原発を見たい」(2014/05/01)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11113022.html

震災と皇室:16 放射能、次々と質問(2014/05/02)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11114728.html

震災と皇室:17 福島の野菜持ち帰り(2014/05/03)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11116716.html

震災と皇室:18 傘を閉じて黙礼(2014/05/04)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11118372.html
◇No.909
福島県で最後の訪問地は、津波被害を受けた相馬(そうま)市だった。
両陛下は2011年5月11日午後3時前、自衛隊ヘリで相馬光陽サッカー場に着いた。
ちょうど震災から2カ月だった。2人は、震災が起きた時刻の午後2時46分、
飛行中のヘリの中で黙祷(もくとう)をしている。
避難所となった中村第二小学校。被災者を見舞ったあと、
玄関ホールで警察や消防、ボランティア関係者らをねぎらった。
その中に、陸上自衛隊第13旅団長の海沼敏明(かいぬまとしあき)(57)もいた。
天皇は海沼に「このたびの大災害で尽力してくれてありがとう」と声をかけた。
第13旅団は広島の部隊だ。震災4日後の3月15日に相馬市に入った。
5月4日からは、第一原発から20キロ圏内の浪江(なみえ)町の警戒区域に入り、
津波被災地のがれきの撤去や行方不明者の捜索を始めたばかりだった。
宿営地から片道1時間かけて20キロ圏内に入り、2時間活動し、戻って被曝(ひばく)量をチェックする。
防護服を着ての活動は負担が大きく、しんどい作業だった。
質問はさらに続いた。
天皇「20キロ圏内に入る隊員のご家族は心配していませんか」
海沼「事前に家族説明会を開き、防護服を着ていれば大丈夫だと説明しました」
皇后「放射線の対策はいかがですか」
海沼「女性隊員については、母体保護のため累積線量の上限を決めています」
皇后「健康管理やメンタル面はどうしていますか」
海沼はこの質問を「隊員のことを思ってくださっている」という思いで聞いた。
隊員のメンタル面は大きな問題だったからだ。
若い隊員は遺体をあまり見たことがない。被災現場では損傷の激しい遺体や、
幼児の遺体も扱わなければならない。隊員が重い体験を背負い込まないよう、
医師や臨床心理士がチームを組み、カウンセリングのミーティングを重ねていた。
両陛下は時折降る雨の中、海沿いの原釜・尾浜地区を視察した。
津波により146人(5月11日当時)の犠牲者が出たと聞き、傘を閉じて黙礼した。
これがしめくくりとなり、震災直後の1都6県の連続訪問はひとまず終わった。
しかし両陛下は、翌年も被災地を訪れる。(北野隆一)

震災と皇室:19 「飯舘村に行きたい」(2014/05/05)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11120068.html

震災と皇室:20 にじみ出たお気持ち(2014/05/06)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11121482.html
◇No.911
2011年3月の震災当時、天皇は77歳だった。皇后は76歳。
その高齢の2人が震災直後、驚くほど積極的な行動を取った。
異例のビデオメッセージ発表。
専門家や政府指導者を次々と呼んでの情報収集。前例のない7都県の連続訪問で、被災者を直接見舞う――。
翌年の12年6月、宮内庁長官を退任した羽毛田信吾(72)は、退任の記者会見で、
在任中の印象深いできごととして東日本大震災での被災者見舞いをあげた。
「悲惨で深刻な震災において、被災者に寄せる両陛下の深い思いを、おともしていて感じました」
皇室は国内外を訪問するとき、地元や相手国が準備した場所を訪れるのを基本としてきた。
前侍従次長の佐藤正宏(さとうまさひろ)(72)はいう。
「自分が行きたい場所よりも、相手が『ここへ来てほしい』と用意した場所へ行く。
それが訪問先に対する誠意だ――というのが、これまでの陛下の基本姿勢でした」
しかし今度の大震災では、天皇の側からの強い意向が働いた。
被災地の訪問は、いずれも宮内庁側から打診して実現している。
近現代の皇室に詳しい明治学院大教授の原武史(はらたけし)(51)はいう。
「災害や戦災の被災者を見舞うことは、皇室の伝統でもあります。
1923年の関東大震災では貞明(ていめい)皇后が被災地を慰問した。
敗戦後には昭和天皇が全国巡幸で国民を励ました前例もあります」
原は、関東大震災のとき実業家の渋沢栄一(しぶさわえいいち)が説いた
「天譴(てんけん)論」を思い出すという。
天変地異は「天」が君主を叱り反省を促すため起こす、という考え方だ。
「天皇は、災害もまた自分の責任と考えているのかもしれない。宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)で
国民の平安を神に祈る熱心な姿と、災害地を訪れて被災者を直接に慰める姿は、
表裏一体といえるのではないかと思います」
被災地で救援活動に携わった自衛隊員や警察、消防、自治体職員の多くが、
両陛下から「ありがとう」と声をかけられている。
元侍従長の渡辺允(わたなべまこと)(77)はいう。
「被災した人々や全国民に代わって『ありがとう』とおっしゃったともいえる。
いろいろなお気持ちが全体からにじみ出るようなものではないでしょうか」
(北野隆一)
  
  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


プロメテウスの罠〔46〕 震災と皇室「放射能学び、飯舘村に行きたい」
初出:2014年4月17日~5月6日
WEB新書発売:2014年5月30日
http://astand.asahi.com/webshinsho/asahi/asahishimbun/product/2014051400003.html

「できるだけ早く被災者を見舞いたい」「原発敷地に入った消防隊員の健康は大丈夫ですか」
――東日本大震災と原発事故では皇室も心痛を極めた。
天皇と皇后は震災直後から原発事故避難民らの御用邸利用や食材提供を申し出た。
東北各地の被災地では長時間、家や家族を失った避難民らの話を聞き、労りと励ましの言葉をかけた。
救援活動に汗を流す自衛隊員や自治体職員らには「ありがとう」と感謝した。
被災者に真摯に向き合い、勉強を重ね、子どもの放射線被害を気遣う両陛下の等身大の姿を、
立ち会った人々の多くの証言とともに追う。

◇第1章 「御用邸を避難所に」
◇第2章 秋篠宮家が絵を提供
◇第3章 「お気持ち」は続く
◇第4章 石原知事自ら出迎え
◇第5章 東北へ「私が行く」
◇第6章 廃校舎、急いで下見
◇第7章 ひざ立ちで語りかけ
◇第8章 地震や原発を勉強
◇第9章 隊員の健康気遣う
◇第10章 箸は持ち帰った
◇第11章 思わぬアンコール
◇第12章 真っ先に自衛隊の名
◇第13章 気休めではなく
◇第14章 窓は開けたままに
◇第15章 「原発を見たい」
◇第16章 放射能、次々と質問
◇第17章 福島の野菜持ち帰り
◇第18章 傘を閉じて黙礼
◇第19章 「飯舘村に行きたい」
◇第20章 にじみ出たお気持ち

戦後初、天皇陛下の全国民への語りかけ

岩井克己
2011年4月1日
【ビデオ・メッセージ】
未曽有の原発事故も伴い戦後最悪の大災害となった東日本大震災を受けて、
天皇陛下は3月16日夕、国民に向けて異例のビデオ・メッセージを発した。
行事などで読み上げる「おことば」や恒例の誕生日や外国訪問前の会見で
記者団の質問に答えているのと違って、天皇の側から全国民に直に語りかけたのは戦後初めてだ。
1945年8月15日に昭和天皇がラジオで「大東亜戦争終結ノ詔書」を読み上げた「玉音放送」以来である。
メッセージは、(1)大災害への心痛の念と状況悪化がくい止められることへの願い
(2)犠牲者への哀悼と困苦に耐える被災者への思い(3)救護・救援関係者への激励
(4)諸外国元首からの日本国民に対する心のこもったお見舞い電報の紹介
(5)海外も注目した「日本人の秩序ある対応」や国民の連帯といたわり合いで危機が
乗り越えられることへの願い――と続き、最後に「被災者のこれからの苦難の日々を、
私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切」
「被災した人々が決して希望を捨てることなく、
身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう」と締めくくった。
被災地で関係者の修羅場が続く最中の異例の放送には
「早過ぎないか」「震災報道を遮ることにならないか」との危惧(きぐ)もあるにもかかわらず、
あえて踏み切った。
敗戦の「玉音放送」は国民が初めて聞く天皇の肉声だったのに対し、
現天皇の映像と肉声は国民には日頃から慣れ親しんだものだ。
とはいえ、昭和天皇の玉音放送が4分余りだったのに対し、今回のメッセージは6分間近くに及んだ。
現天皇が今回の事態を「国難」と捉えたことは間違いないだろう。
また、東京電力福島第一原子力発電所で次々に水蒸気爆発が起きるなど、
事態はますます深刻化することが予想されており、
発信が遅れればタイミングを失してしまうとの側近らの状況判断もあったようだ。
ことさらに会見を開いて特定時間帯の報道を“占領”するのを避けてビデオ録画の形で配布し、
「緊急警報などがあれば遠慮なく中断するように」という条件をつけて、
扱いは報道機関の判断に委ねるという配慮もみせた。16日午後4時半、
がれきと化した被災地に立ちつくす人々、避難所、原発事故の現場に“平成の玉音放送”が流れた。

【宮中の対応】
大震災が発生した3月11日(金)、天皇陛下は皇后さまとともに午前中は勤労奉仕団に会釈し、
午後は皇居内の宮内庁車馬課の厩舎で伊勢神宮に神馬として贈る「笑智号」を視察した。
そして公務のため宮殿に向かい、到着したとたんに激しい揺れに遭遇した。
宮殿の南庭に一時避難したが、揺れが収まると、予定通り宮殿の執務室「表御座所」で執務を済ませた。
その後は災害のニュースに釘付けの日々という。
13日は日曜日だったが、午前も午後も御所で執務した。
激甚災害指定の政令への署名など災害関連の執務だった。
普段の表御座所ではなく御所で執務したのは、余震などの心配もさることながら、
電力消費量の大きい宮殿を原則として閉鎖するよう同庁に指示したからだ。
被災規模は刻々拡大し、原子力発電所の状況も悪化するにつれ、天皇の週明けからの公務は
軒並み中止または延期された。14日の宮内庁部課長との昼食、警察大学校警部任用官の
拝謁、外国大使の信任状捧呈、15日の皇后さまの美術展鑑賞……。26日から29日まで
予定されていた御料牧場での静養、4月28日の両陛下主催の春の園遊会も中止された。
代わりに震災関連の説明聴取などが次々と入れられている。
15日、原子力委員会の田中俊一前委員長代理の原発の安全対策についての説明。
同日、安藤隆春警察庁長官の被災状況と救助活動についての説明。
16日、東大大学院医学系研究科の宮川清教授による放射線被曝についての説明。
17日、日本赤十字社の近衛社長の現地の救護活動についての説明。
18日、海上保安庁の鈴木久泰長官から救助・救援活動についての説明……。
また皇后さま単独でも、23日に日本看護協会の久常節子会長から救護活動について、
24日には同協会の草間朋子副会長から放射線健康管理などについて、
28日にも東大医学部附属病院の武谷雄二院長から乳児と放射線被曝について話を聞いた。
さらに天皇陛下からは宮殿閉鎖以外にも矢継ぎ早に指示が出たという。
まず計画停電が始まると、東京23区は対象外だったにもかかわらず、
御所では第一グループに合わせて自主停電へ。
寒さに体調を気遣う側近には… (続きは有料記事)

http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/2011032900008.html

東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば

東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(平成23年3月16日)

この度の東北地方太平洋沖地震は,マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり,
被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し,
犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。
また,現在,原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ,
関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。

現在,国を挙げての救援活動が進められていますが,厳しい寒さの中で,多くの人々が,
食糧,飲料水,燃料などの不足により,極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。
その速やかな救済のために全力を挙げることにより,被災者の状況が少しでも好転し,
人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。
そして,何にも増して,この大災害を生き抜き,被災者としての自らを励ましつつ,
これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。

自衛隊,警察,消防,海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々,諸外国から救援のために
来日した人々,国内の様々な救援組織に属する人々が,余震の続く危険な状況の中で,
日夜救援活動を進めている努力に感謝し,その労を深くねぎらいたく思います。

今回,世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き,その多くに各国国民の気持ちが
被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。

海外においては,この深い悲しみの中で,日本人が,取り乱すことなく助け合い,秩序ある
対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え,
いたわり合って,この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。

被災者のこれからの苦難の日々を,私たち皆が,様々な形で少しでも多く分かち合っていく
ことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく,
身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう,また,国民一人びとりが,
被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ,被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを
見守り続けていくことを心より願っています。


宮内庁HP(ビデオ視聴可能)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/tohokujishin-h230316-mov.html
関連記事

震災関連 宮内庁HPより

東日本大震災関連
http://www.kunaicho.go.jp/activity/daishinsai2011/index.html

東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば


平成23年東北地方太平洋沖地震に関する天皇皇后両陛下のお気持ちなど(平成23年3月14日)

1 計画停電に対する宮内庁の対応
千代田区については計画停電は実施されない旨発表されているが,停電が実施されなくとも,
従来同様の電力使用を続けるべきではなく,停電に伴うさまざまな困難を,停電が実施されている
地域の人々と共に分かち合いたいという両陛下のお気持ちに沿って,以下の措置を取ることとした。
(1)当分の間,宮殿を閉鎖し,国事行為及び国事関連行為である信任状捧呈及び認証式の
際に限って宮殿を開けて儀式を執り行うこととし,記帳については,宮内庁庁舎で行うこととする。
(2)御所においては,両陛下のお気持ちを体して,従来から節電の励行に全力を挙げてきた
ところであるが,今般の計画停電の開始に際し,しかるべき地域の停電の時間帯に合わせて,
御所においても電力使用を停止する。
(3)宮内庁庁舎においても,上記(2)を踏まえて徹底した節電措置を至急検討する。
2 両陛下の被災地ご訪問についての考え方
これまでも,大災害に際しては,両陛下は被災した人々を慰め,また救援活動に従事している
人々を労うなど,いわば人々の心の支えになればと,災害発生後ある程度の時間が経過してから,
被災地に赴かれておられるので,今次大災害についても,いつでも現地を訪ねるとのお気持ちであるが,
現在の被災地の状況は,まずは救助活動に全力を挙げるべきであるとのご認識であり,
両陛下の現地ご訪問の時期などについては,内閣や県知事など関係者の判断を待って,
考えることとしたい。
3 両陛下のご様子,これからのご日程などについて
ご様子については,発生直後より災害のニュースをご覧になり続けておられ,いくつかの
地域で安否確認ができない方が一万名を超えると伝えられていること,あるいは原発が
案じられる状況にあることなど,報じられる被害状況がますます増大し悪化していることに
深く心を痛めておられると承っている。
また,諸外国からの救援チームの派遣など,多くの国々から今般の大災害に同情と
お見舞いの気持ちが寄せられていることについて,心から感謝しておられると承っている。
ご日程については,これまでも,こうした大災害に際しては,被災県の知事を始め
関係者から被災地の状況などの報告をお聞きになっておられるが,今次大災害に際しても,
大災害への対応に忙殺されているさまざまな関係者に更なる負担をかける結果にならないよう
十分に意を用いつつ,適切なタイミングを選んで,逐次,関係者の報告をお聞きになる
機会を設けるお気持ちである。また,既に予定されているさまざまなご日程の内,
先延ばしにしても支障がないものについては延期をすることとし,目下ご日程の見直しを
進めている。両陛下の行幸啓については,現下の大災害に関連する諸々の対応に忙殺されている
警備当局に更なる負担をかける結果にならないように配慮するという観点から考えて参りたい。
この関連で,例年この時期には,両陛下は武蔵野陵,武蔵野東陵にご参拝されておられるが,
計画停電に伴い,現地では信号機の滅灯などが予定されており,ご参拝された場合には,
相当の交通渋滞を招く可能性があるので,これを取り止めることとした。また,今月末に
御料牧場へ行幸啓なさることが検討されていたが,これについても取り止めということになった。
更に,四月末に予定していた園遊会も取り止めることとした。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/tohokujishin.html



ご日程(3月11日~4月末までの東日本大震災以降の震災関連のものだけを抽出)
(宮内庁HPより)

【天皇皇后両陛下】
3月15日
ご説明(前原子力委員会委員長代理(原子力発電所の仕組みと安全対策について))(御所)
3月15日
ご説明(警察庁長官(東北地方太平洋沖地震被災状況及び救助活動等について))(御所)
3月16日
東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下おことばのビデオ収録(御所)
3月16日
ご説明(東京大学大学院医学系研究科教授(放射線被曝について))(御所)
3月17日
ご説明(日本赤十字社社長,同副社長(東北地方太平洋沖地震に対する日赤の救護活動等について)
3月18日
ご説明(海上保安庁長官(東北地方太平洋沖地震被災地の救助,救援活動等について))(御所)
3月23日
活動状況ご聴取(日本看護協会会長(東北地方の災害に対する救護活動等について))
3月24日
活動状況ご聴取(日本看護協会副会長(東北地方の災害に対する救護活動(放射線健康管理等)について)
3月28日
ご説明(宮内庁総務課長(東京武道館における避難者お見舞いにつき))
3月29日
ご説明(東京大学医学部附属病院院長(乳児と放射線被曝について))(御所)
3月30日
説明(外務事務次官(東北地方太平洋沖地震と国際社会-支援その他-について)
3月30日
東北地方太平洋沖地震に伴う避難者をお見舞(東京武道館(足立区))

4月1日
ご説明(防衛大臣,統合幕僚長(東北地方太平洋沖地震及び福島原子力発電所に対する自衛隊の活動状況について)
4月4日
ご説明(文部科学省研究振興局長,京都大学名誉教授,名古屋大学医学部保健学科教授,
学習院大学理学部化学科教授(放射性物質の環境影響について))(御所)
4月5日
ご説明(宮内庁総務課長(旧騎西高等学校-埼玉県加須市-における避難者お見舞につき))
4月8日
埼玉県加須市の避難所をお見舞
4月11日
東日本大震災に伴う都内避難者(皇居東御苑見学会参加者)にお会いになる(皇居東御苑)
ご説明(宮内庁総務課長(東日本大震災被災地-千葉県旭市-お見舞につき))(御所)
ご黙祷(東日本大震災から1か月目に当たり)(御所)
4月12日
ご説明(東京工業大学原子炉工学研究所所長(福島原子力発電所について))(御所)
4月13日
ご説明(農林水産大臣(東日本大震災による農水産物被害と原子力発電所事故に伴う
農水産物への影響について))(御所)
4月14日
千葉県行幸啓 東日本大震災被災地(千葉県旭市)お見舞
4月15日
活動状況ご聴取
(日本看護協会会長,日本看護協会常任理事(東日本大震災における保健師の救護活動等について))(御所)
東日本大震災に伴う都内避難者(皇居東御苑見学会参加者)にお会いになる(皇居東御苑)
4月18日
ご説明(宮内庁総務課長(東日本大震災被災地-茨城県-お見舞につき))(御所)
4月20日
ご説明(東京大学地震研究所地震火山情報センター長
(地震のメカニズムと東北地方太平洋沖地震等について))(御所)
4月21日
ご説明(宮内庁総務課長(東日本大震災被災地-宮城県・岩手県-お見舞につき))(御所)
4月22日
茨城県行幸啓 東日本大震災に伴う被災地(茨城県)お見舞
4月25日
ご報告(宮内庁管理課長(被災者へ那須御用邸入浴施設提供の状況につき),
宮内庁庭園課長(宮城県でのボランティア活動の体験につき))(御所)
ご説明(消防庁長官(東日本大震災における消防の活動状況につき))(御所)
4月26日
ご説明(宮内庁総務課長(東日本大震災被災地-宮城県・岩手県-お見舞につき))(御所)
ご説明(厚生労働副大臣(東日本大震災に伴う医療・看護等厚生労働関係業務への影響と
対応策につき))(御所)
4月27日
宮城県行幸啓 東日本大震災に伴う被災地(宮城県)お見舞
4月28日
ご説明(宮内庁総務課長(東日本大震災被災地-福島県-お見舞につき))(御所)

【皇太子同妃両殿下】
3月 なし

4月5日
ご説明(警察庁長官)(東宮御所)
4月6日
東日本大震災に伴う避難者をお見舞(味の素スタジアム(調布市))
4月11日
ご黙祷(東日本大震災から1か月目に当たり)(東宮御所)
4月15日
ご説明(防衛事務次官,統合幕僚長)(東宮御所)
4月25日
ご進講(大分県立看護科学大学学長)(東宮御所)
4月26日
ご進講(東京工業大学原子炉工学研究所教授)(東宮御所)


【文仁親王同妃両殿下・秋篠宮家】
3月18日
公益財団法人結核予防会専務理事,同事業部長ご説明(東北地方太平洋沖地震における
被災関係支部の状況及び被災地支援について)(宮邸)
3月18日
社会福祉法人恩賜財団母子愛育会会長,同理事長ご説明(東北地方太平洋沖地震における対応について)
3月24日
公益財団法人結核予防会事業部長ご説明(東北地方太平洋沖地震に関連する結核予防会の活動について)
3月25日
外務省国際法局長ご説明(東北地方太平洋沖地震における諸外国の支援について)
3月25日
公益財団法人結核予防会第一健康相談所総合検診センター所長ご説明
(東北地方の災害に対する健康に関わる支援活動等について)
(両殿下、眞子内親王殿下及び佳子内親王殿下)
3月31日
京都大学名誉教授ご説明(東北地方太平洋沖地震について )

4月4日
(財)全日本ろうあ連盟理事長ご説明
(東日本大震災において被災した聴覚障害者と支援活動について)
4月5日
社会福祉法人恩賜財団母子愛育会 総合母子保健センター 愛育病院院長,北里大学教授ご説明
(東日本大震災における産科医療の状況と支援活動等について)
4月6日
日本赤十字社社長,同副社長ご説明(東日本大震災における日本赤十字社の救護活動等について)
(両殿下、眞子内親王殿下及び佳子内親王殿下)
4月7日
東日本大震災に伴う避難所をご訪問 (東京国際展示場(江東区))
4月11日
文仁親王同妃両殿下,眞子内親王殿下,佳子内親王殿下並びに悠仁親王殿下
ご黙祷(東日本大震災から1か月目に当たり)(宮邸)
4月12日
文仁親王殿下(社)日本動物園水族館協会会長他ご説明(東日本大震災関連)(宮邸)
4月14日
新潟県ご訪問(東日本大震災に伴う避難所をご訪問)
4月18日
妃殿下 公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン事業部日本マネージャーご説明
(東日本大震災関連)(宮邸)
両殿下 社会福祉法人全国社会福祉協議会会長,同地域福祉部長ご説明(東日本大震災関連)(宮邸)
4月19日
妃殿下 公益社団法人日本看護協会会長ご説明(東日本大震災の支援活動について)(宮邸)
4月25日
群馬県お成り(東日本大震災に伴う避難所をご訪問)
4月27日
独立行政法人国立成育医療研究センター関係者ご説明(東日本大震災関連)(宮邸)