震災関連の皇室の活動 雑誌記事等

女性自身2011年4月5日号
美智子さま/雅子さま/紀子さま「切なる愛!」秘話3話
美智子さま/撮影3時間延長した陛下との「激励ビデオ」
3月16日、陛下ビデオでお気持ちを国民に伝えられたが、ビデオメッセージは初めてのこと。
「東日本大震災が発生したとき、陛下は美智子さまと宮殿にいらっしゃいましたが、
揺れが非常に大きく、宮殿の南庭に避難されました。
いまはお住まいである御所にいらっしゃいます。宮殿は非常に広く、
両陛下がいらっしゃるということになれば、暖房のための電気量もかなりのものです。
両陛下はその点も苦慮され、執務のほとんどを御所で行われているのです」(宮内庁関係者)
“国民と苦難を分かち合いたい”というお考えから、御所でも節電を実行されている。
「具体的には計画停電の第1グループの時間に合わせて、御所の電気のブレーカーを落としていらっしゃいます。
また御所では放射線被ばくなど災害に関する説明を熱心にお聞きになっているのです」(宮内庁関係者)
ビデオメッセージも御所の応接室で撮影された。
「撮影は、メッセージが流された16日の当日に行われ、美智子さまも立ち会われました。
もともとは午前中で終わる予定でしたが、実際に終了したのは午後3時だったのです」(宮内庁関係者)
陛下のお言葉がNHKで放映されたのは午後4時半ごろ。収録されてからわずか1時間半後のことだった。

雅子さま/“帰宅難民”の母子たちに届けた温もりの(美智子さま直伝)コンソメスープ!
大震災当日、東京では帰宅難民があふれたが、学習院初等科も例外ではなかった。
「11日には『6年生を送る会』が行われました。愛子さまはすでに東宮御所に戻られていましたが、
地震発生時は多くの初等科児童たちが学校に残っていました」(ある保護者)
登下校には電車やバスを利用している児童も多い。
交通網がストップしたため、初等科に戻ってくる児童もいたという。
「結局、帰宅を断念し、初等科に泊まり込むことになった親子もずいぶんいました。
彼らには学校から乾パンや水、それに毛布も配られたのですが、
不安もつのるばかりだったでしょう」(初等科関係者)
しかし、夜9時ごろになって突然、初等科に思わぬ“救援物資”が届いたのだ。
「温かいコンソメスープと、オレンジジュースでした。
雅子さまからの差し入れだと伺いました」(初等科関係者)
「皇室には、お見舞いとしてスープを届ける習慣があるのです。
特に美智子さまはオリジナルのスープ・レシピをお持ちで、体調を崩した知人などに送られています。
雅子さまも、この美智子さまのお心遣いをお手本にされたのでしょう」
3月18日には、皇太子夫妻のウィリアム王子の結婚式欠席が発表された。
“今は国民みんなと心を一つにして復興を目指したい”雅子さまはそう決意されたはずだ。

紀子さま/7歳年下“最愛の弟”の乗った電車が津波で横転事故の惨劇!
「紀子さまの弟さん(川嶋舟さん)が乗っていた電車は横転し、
彼も現場付近の病院に搬送されました」(川嶋家の知人)
3月11日、舟さんは、妻子の住む家に、仙台経由で電車に乗って戻る途中だったようだ。
幸い大きなケガもなく、人々の救助、そして獣医師として馬の治療に奔走したという。
「紀子さまは、二人きりのきょうだいということもあって、舟さんをとても可愛がっていました。
舟さんのお子さんは悠仁さまと同じ4歳です。
舟さんの被災については、紀子さまは、お母さまの和代さんから聞いて大変驚かれたそうです」(前出・知人)
紀子さまは小学3年生の時に、『私の弟』という題の作文を書かれた。
〈いつもいたずらをして、私を困らせる舟ちゃんですが、
ほんとうは、わたしの心の中には、舟ちゃんのことをだいすきという心があるのです〉
紀子さまは、最愛の弟が無事だったことをどんなに喜ばれたことだろう。
しかし、いまだに舟さんは妻子とともに相馬市にいる。
「舟さんは、一度東京に戻って来たのですが、それは相馬市で不足している
物資を取りに来るためでした。すぐに妻子のいる相馬市に戻って、
被災者たちの支援活動を続けています」(前出の知人)

週刊新潮2011年3月31日号
「朝日」は天皇陛下「お見舞い」全文をなぜ載せない?
3月16日午後4時半過ぎ、テレビ各局からほぼ一斉に天皇陛下のビデオメッセージが流されたが、
陛下のメッセージが配られたのはテレビ局だけではない。
「宮内庁記者クラブを通じて新聞各社にも配布されました。
全文は翌日の朝刊に、ビデオはホームページに掲載したのですが、
いずれも反響は大きかったですよ」(宮内庁担当記者)
ところが、だ。陛下のメッセージ全文を紙面に掲載しなかったところがある。朝日新聞だ。
朝日はおことばがビデオで発表されたという事実と、その内容をかいつまんで掲載。
全文はインターネットサイトでしか読めないという体裁なのである。これについて朝日新聞は、
「天皇陛下のメッセージについては、紙面に抜粋を載せ、
ウェブ版に全文を掲載しました」(朝日新聞広報)と、なんともそっけない回答。
だがある皇室ジャーナリストは各紙面を見比べてこう嘆息を洩らす。
「特に被災地の方が、インターネットで全文を見るなんて不可能に近い。
陛下のおことばを熟読したい人も多いはずなのに、回し読みも出来ない。
特別態勢で報道をしているのはわかりますが、陛下のおことばも震災報道のひとつなのでは」

女性自身2011年4月12日号
「3月21日には、大震災が発生して以来、初めての宮中祭祀が行われました。『春季皇霊祭の儀』です。
参集されたのは天皇皇后両陛下や皇太子さま、秋篠宮ご夫妻ら10人の方々でした」(ある宮内庁関係者)
実は今回、両陛下の祭祀ご出席に反対の声もあがっていたという。
「神楽舎の柱が地震で傾き、皇霊殿へ向かう廊下の天井板も崩れており、
側近たちは『余震も続いておりますし、非常に危険です』とお止めし
掌典長による代拝をお勧めしたのです。しかし、天皇陛下と美智子さまは、
“私たちに祭祀をさせて下さい”と、強くおっしゃったそうです」(宮内庁関係者)
結局、祭祀は建物の中には入らず、庭から皇霊殿を拝む『庭上拝』という形式で行われることになった。
当日の午前10時ごろは、東京では冷たい雨。通常なら陛下は衣冠束帯、
美智子さまは十二単風の古装束をお召しになるが、庭上拝ということで、
それぞれモーニングとローブモンタントの洋装でいらっしゃった。
「春季皇霊祭は本来、両陛下が皇室の祖先に五穀豊穣や国民の幸せを祈る儀式です。
今回は、“日本をお守りください”“被災者をお救いください”と必死に祈られたことでしょう。
いくら建物の倒壊の危険があるといっても、代拝ですませるお気持ちではなかったのだと思います」
(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
陛下と美智子さまは、特に’97年から’01年の間、頻繁に東北各県を視察されている。
今回の震災で壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町にも’97年10月に訪れている。
雅子さまが成婚ご初めて地方公務に訪れたのも岩手県。雅子さまのお祖母様の実家も岩手県にあった。
幼少期、お祖母様と二人で盛岡に旅行されたのも雅子さまにとっては忘れられない思い出だという。
「“陛下と一緒に巡った地である東北へ、すぐにでも飛んでいきたい”
そう美智子さまは願っていらっしゃると思います。(中略)
しかし救出活動は今も続いており、さらに放射性物質流出事故のため、
お見舞いの日程のめどが立っていないのが現状です。
両陛下もいたたまれない思いでいらっしゃるでしょう。
3月16日には史上初めて天皇陛下のビデオメッセージが発表されましたが、
ほかにも初めての試みが続いています。それらはすべて両陛下のご意向によるものだそうです」(松崎氏)
天皇陛下は宮内庁の幹部たちにおっしゃったという。
「ささやかでも宮内庁の施設を役立ててもらえないだろうか」
このご指示により、宮内庁は24日に次の3つの支援を発表した。
1那須御用邸の職員用の風呂を近隣地域にいる避難者に開放。
2御料牧場の食料を避難所に提供。
3東京都に避難している老齢の患者を宮内庁病院でも受け入れる。
実はこれらの施設のうち、栃木県にある御料牧場自体も甚大な被害を受けている。
「乳製品や肉加工品などの製造の施設に被害があり、各製品を製造できない状態であるほか、
貴賓館、集会所なども使用できない程度の被害を受けています。
また職員の宿舎も居住できない程度の被害を受けています」(宮内庁総務課報道室)
「まったく報じられていないのですが、御料牧場からの、御所や東宮御所、
各宮家への食材の提供は、震災後にストップしています。震災は皇室の食卓も直撃していたのです。
今回発表された御料牧場からの備蓄提供という支援は、両陛下の“私たちの食事より、
被災者を優先させて欲しい”という深いお気持ちも込められていたのです」(松崎氏)
3月11日以来、両陛下は連日のように、震災関連の専門家から被害状況や対策についての説明を受けられている。
17日に両陛下に救護活動について説明した日本赤十字社社長・近衛氏は、「(略)両陛下からの熱心な
ご質問の一つ一つに、被災者のみなさんへの思いがいかに深いものであるか、痛いほどに伝わってきました…」
日々の専門家からの事情説明に加え、両陛下が続けていらっしゃるのが“自主停電”である。
「執務を行われる宮殿は可能な限り使用されず、さらに15日以降は毎日、
お住まいである御所のブレーカーを一定時間落とす生活を続けていらっしゃいます。
1日に2回の停電をする場合は、合わせて4時間も電源を落とされています。
その間は、明かりや暖房を止めるだけではなく、電気を使わない暖房器具の利用も控えていらっしゃるのです。
夜にはそうそくや懐中電灯をお使いになり、暗い中で夕食を取られたこともありました。
計画停電は実際には直前になって中止になることもあります。
しかし両陛下はその場合でも停電をおやめになりません。
陛下や美智子さまにならい、皇太子一家や秋篠宮ご一家をはじめとする
各宮家も同様の生活をおくっていらっしゃるそうです」(前出・宮内庁関係者)
震災発生の3月11日から27日までの17日間で、両陛下の“自主停電日”は13日間、のべ36時間にもなるという。
「皇太子ご一家から秋篠宮家の幼い悠仁さまにいたるまで、皇室が一丸となり決行されている
“自主停電”は、天皇陛下と美智子さまが呼びかけられたものです。
“国民と苦しみを分かち合いたい”という強いお気持ちのあらわれです。
さらに言えば、美智子さまが自主停電にこだわられているのは、
この時間を“祈りのとき”とされているからに違いありません。(略)
灯火を消した闇の中で、両陛下がひたすら祈られているのは被災者の救済と、日本国民の幸せです。
皇太子さま、雅子さま、愛子さまも、震災以来は東宮御所からお出かけにならず、
お慎みに日々を送っていらっしゃいます。
雅子さまも、美智子さまと同じように、祈りのときを過ごしていらっしゃるのでしょう」(松崎氏)
天皇ご一家が心を一つにして捧げている“救国の祈り”は、きっと日本の未来を照らすはずだ―

週刊女性2011年4月12日号
「自主停電」お続けの天皇・皇后両陛下が、御用邸・牧場・病院を「開放」
15日から自主停電を始められている両陛下が、24日にさらなる支援を申し出られた。
那須御用邸の風呂の開放、御料牧場の食材の提供、宮内庁病院での被災者の受け入れだ。
「今回、開放される入浴施設は側近が宿泊する供奉員宿舎内にあるます。古い木造の建物ですが、
秋篠宮ご一家が御用邸にお泊まりの際はここをお使いになります。」(皇室ジャーナリスト・山下氏)
そんなご縁もあってか、秋篠宮妃紀子さまと長女の眞子さま、次女・佳子さまは、
浴場で使うタオルの袋詰めを手伝われたという。
一方、御料牧場は、皇室の方々が召し上がる農産物や畜産物が生産されることで有名。
さらに、宮内庁病院といえば宮内庁職員などの紹介がなければ外来診療は難しく、
ベッド数も27と、多くの被災者を受け入れることはできない。
「それでも、一人でも多くの人たちを救いたいという両陛下のお気持ちなのだと思います」(同)

週刊新潮2011年4月7日
戦時中のことを思えば、何でもない…御所のブレーカーを落とした天皇陛下の「自主停電」
被災し苦しんでいる人が大勢おり、電源すらない人もいるのだから。寒いのは服を着れば問題ない。
体調を懸念する職員にそんな言葉で応じられた陛下。
国民と困難を分かち合いたいという強いご意志で3/15から御所での自主停電を続けられている。
御所のある千代田区は計画停電の対象外だが
第1グループの実施予定時間に合わせて2時間の自主停電を決定(宮内庁担当記者)
第1グループの停電は28日まで20回予定されたが
実際には停電が回避された回も含めて多いときには朝晩2回必ず実行。
非常用電源以外はブレーカーを落とす。ろうそくの灯の下で食事。(事情通)
自主停電を行っていないときでも節電。執務室はスタンドのみ。
廊下ですれ違う人はよほど近く寄らないと誰だかわからない。
側近らは陛下の体調や警備の不安から案じるが「戦時中を思えば何でもない」と。(同上)
宮殿は事実上"閉鎖"。宮内庁舎も全域を原則消灯し暖房も原則使用しない、と
職員も陛下と共に"被災地の寒さ"を疑似体験。
東宮御所でも一部のブレーカーを落とす形で自主停電。事務棟でも。
3/18の定例会見でそのことを問われた東宮大夫が"コートを着ていてもきつい"と思わず本音。
普段は素っ気ないまでにシンプルな東宮の会見でこんな個人的感想が出るのは異例のこと。よほど寒いのでは。
秋篠宮邸は、ブレーカーを落とすと事務棟の電気まで使えなくなってしまう。
事務官の業務や殿下の公務に支障が出るためそこまではしていない。(高清水有子氏)
ただ、皇族の中でもとりわけ環境問題についての意識が高く、
日頃から節電・節水に心がけていらっしゃったのが秋篠宮ご一家でした。
宮内庁は、平成21年度から4年計画で太陽光発電用装置を、
宮内庁庁舎、東宮御所、皇居の吹上浄水場などに設置しつつあるが、
秋篠宮邸ではすでに平成12年から導入している。また、雨水を溜め、それをお庭の木々に撒いているそうです。
タオルの袋詰めに秋篠宮家が参加。
御所や宮内庁から指示が出るのではなく、陛下のなさりようをご覧になって宮家ごとに対応されているのだろう。
高円宮家も震災後は暖房を使用せず服を着込んで寒さをしのぐ。(久能靖氏)
皇室の節電・節約に対する取り組みは今に始まったことではなく、
平成20年度の電気料は約1億2600万円だったが、今年度は8700万円弱まで切り詰め。
皇室費も平成13年度の76億1800万円から22年度の64億7500万円まで9年連続で減少。
特に皇室の活動と財産の維持管理に当てられる「宮廷費」が減少。
財務省が大鉈を振るったわけでは無く陛下のご指示による。
皇室より、まず国民のためというお姿には本当に頭が下がる(財務官僚)
陛下は被災者の生活を疑似体験されている。そのことでたくさんの被災者・停電で生活に支障が出た人々が
陛下の"我、共にあり"メッセージを感じ取っているはず。自身の体調が万全でないなか
他人を慮ることができる、日本人の美しさを体現。総理も閣僚も頑張っているとは思うが、
彼らが束になってもかなわない励ましを陛下は国民に示している。(橋本明氏)

女性セブン2011年4月21日号
秋篠宮紀子さま-娘に伝える「袋詰め」の心
紀子様は'95年3月、7月、'96年10月に阪神淡路大震災の被災地を訪問、被災者を激励。
そんな紀子様の思いは美智子様の思いに通じている。
皇室に嫁がれて以来の紀子様は美智子様を敬愛し何事にもお手本とされてきた。公務に対する姿勢もそうだし、
"皇室は祈りでありたい"の思いをしっかり受け継ぎたいと願われている。(宮内庁関係者)
3月30日両陛下は東京武道館を訪問。4月2日、皇太子ご一家、秋篠宮ご一家が参内。
今回の大震災のことで話し合われたようだ。
両陛下から東京武道館の様子を聞き被災地への思いをことのほか強くされていた。
一刻も早く被災地へ行き励ましたい思いでいっぱいだが
両陛下より先へ行くわけにはいかないので"今は東京でやれることを"という(前出・宮内庁関係者)
那須御用邸の職員用浴室が解放された際、被災者に渡されたタオルセットは
紀子様が袋詰め作業を申し出られ、眞子様・佳子様も手伝われた。
これは美智子様から受け継がれた皇族としての心を伝えていかなければならないという
紀子様の思いが詰まった行動だったのではないか。(前出・宮内庁関係者)
両殿下が災害に関するご進講を受けた際には紀子様の取り計らいで
両内親王も同席し専門家のレクチャーに耳を傾けられた。

週刊朝日2011年4月22日号
「お見舞い」に行ったはずがアラ!?被災者に励まされちゃった雅子さま
4月6日、皇太子夫妻は約130人の被災者が避難している味の素スタジアムへ。
すべてのグループに声をかけ、ケータイの記念撮影にも気さくに応じる。
「津波で家も船も流された。夫が『漁師は陸に上がるとかっぱになっちまうんです』と言うと
ご夫妻は大爆笑。私が『ご病気なのに来ていただいて』と申し上げると雅子さまは胸の前で
手を左右に動かしいえいえと繰り返された」福島県浪江町から来た山形さん
「愛子様は大丈夫ですかと聞いてしまった。孫が5年生だというと皇太子様が『愛子は4年になります』
というのでつい…雅子様は『私も愛子も大丈夫です』と答えてくださいました」いわき市からきた70代女性
被災者に雅子妃の同行が知らされたのは、到着の直前。
「それからバタバタと花が飾られ、身の回りを片付け、
普通に会話するように注意を受けた」富岡町からきた20代女性
雅子妃の体調が万全でないことは、集まった近隣住民にも一目でわかった。
「車から降りた雅子様は顔色が悪く緊張しているようだった。
お帰りの時も私達に背を向け、すぐ車に乗り込まれた」近所の住民
「当日の雅子妃の体調はきわどかった」宮内庁関係者
「見知らぬ人と話さなくてはならず、雅子妃にはハードルが高い。だが未曾有の大震災で行かない訳にはいかず。
2日には夫妻で両陛下を訪ね、行きますと決意を表明されたと聞く」同じ宮内庁関係者
3月末に両陛下が被災者のお見舞いに赴くと、夫妻も素早く動いた。
警察庁長官から震災に関する説明を受けたのは、5日のこと。
両陛下や秋篠宮ご夫妻は放射線の影響などの説明を受けたが、これははしょった。
「ご夫妻にとって、両陛下が避難所を訪れたのは予想外だったのではとにかく早く、とのことで
東宮職も放射線についての知識は報道で間に合うと判断したのだろう」皇室担当記者
阪神・淡路大震災以来、16年ぶりに震災見舞いに出向いた雅子さまの心に、
被災者の励ましと心遣いの声は届いただろうか

女性自身2011年4月26日号
希望を届けに-ご静養中の雅子さまも、被災者と心を通わせられ
雅子さま、真心の「板の間」正座60分に被災者129人が涙した!
携帯電話しかないが、写真を撮ってもいいか?と尋ねる被災者に気軽に応じる皇太子ご夫妻。
当初の予定より45分もオーバーして被災者全員に声かけ。
「陸に上がったカッパのようです」福島第一原発から5kmの自宅が倒壊した
漁師の山形さんの冗談にほほえんだ雅子さま。
小学生の孫を持つ70代の女性は、愛子ちゃんは大丈夫ですかと尋ねたところ
雅子さんは大丈夫、と。顔色も良く元気そうだった。
最後の最後に「おばあちゃんもお元気でね」と声を掛けてもらい感激した。
被災者の中には中(畳)へどうぞと促したが夫妻は前に進まず、板張りの床に最後まで正座していた。

週刊新潮2011年4月21日号
「陛下は一日も早い被災地への訪問を望まれていたが、宮内庁は世情を見て4月20日ごろ解禁とした。
それが、大きな余震などの影響で月末にずれ込んだんです。」
「最初の訪問地が宮城県になったのは、村井知事自らが要請した結果です。
知事曰く“動ける職員は3分の2なのに、仕事は30倍もある。
だが、全国の警察の協力も得て、ぜひともお迎えしたい”。
それだけ県民が行幸啓を待ち望んでいるということでしょう。」(宮内庁関係者)
両陛下はそれに先立つ4月14日、千葉県旭市を訪れる。
「阪神や中越でも両陛下はマイクロバスで移動し、沿道に人が出ていれば、
窓を開け手をふってらっしゃいました。
広い避難所ではなるべく多くの方と話せるように、陛下が右回り、
美智子さまが左回りと手分けされることもありました。」(皇室ジャーナリスト高清水有子氏)
都内の避難所訪問がそうだったように、いずれは両陛下に倣って皇太子ご夫妻、
秋篠宮ご夫妻も順に被災地入りすることになりそうだが……
そこで心配されるのが、病気療養中の雅子さまの体調である。
「4月6日、皇太子ご夫妻は調布の味の素スタジアムの避難所を訪問されました。
雅子さまにとっては半年ぶりの公務でしたが、声も強張らず自然で、お顔も穏やか。
ご病気とは見えませんでした。ただ、気になったのは到着時の様子です。入り口には
両殿下の出迎えに大勢の人が集まっていましたが、車を降りた雅子さまは群衆を一瞥しただけで、
微笑みもなければ手も振らずに中に入ってしまわれた。
数十分前から待っていた人たちはガッカリしたでしょうね。」(宮内庁担当記者)

週刊文春2011年4月21日号
皇太子ご夫妻の味の素スタジアムの慰問。ご夫妻訪問の前日、被災者たちに向けて、
「(ご夫妻に対して)普通に話してください。プライバシーもあるので、
立ち入ったことは聞かないでください」とレクチャーがあった。
雅子さまの避難所訪問は、当日朝まで未定だった。
撮影は最初の5分間だけ、被災者2組だけ、の取り決めだったが、3組まで延長。
一家族5分以上話し込み始めたので、時間がずれ込むと予想。
実際45分も延長し、案内役を務めた都知事が東電副社長のブリーフィングを受けるために中座せざるを得ないほど。
東宮にしてはサービス満点。
「雅子さまの目はうるっとして涙ぐんでいるようでした。」
皇后陛下は、それこそご日程に発表されない知人、友人からも震災関連の情報を収集し、八面六臂のご活躍。
両陛下が訪問された埼玉では、御到着時に「キャー」「天皇陛下~!」と拍手や歓声が上がった。(地元住民)

女性自身2011年5月3日号 
美智子さま「東北の親友」明かした被災児への絵本プロジェクト
4月14日に両陛下が初めて被災地を慰問された千葉県旭市の避難所で、ショック状態の
21歳の女性が抱いているぬいぐるみを「これはウサギ?」と皇后陛下が訊ねられた。
女性は「ネコなんです・・・。」(「スイートプリキュア」のキャラ「ハミィ」)
皇后陛下はぬいぐるみを撫でながら「ぬいぐるみを“守り神”にしてね」
女性の母(46歳)「娘は地震以降、笑うことも話すこともあまりしなくなり、
医師にもみてもらったが変わりがなかった。が、皇后陛下にお会いした後から顔色も良くなって
笑うようになった。」
今回の大震災で傷ついた子供たちの心を癒す為に「3・11絵本プロジェクトいわて」という活動がある。
絵本を集めて被災地の子供たちに届けるという活動。
プロジェクトの代表、末盛千枝子さんは35年ほど前から皇后陛下と交流がある。
松崎敏弥「沖縄の宮古島が台風で大被害を受けた後、
皇后陛下は宮古島の子供たちの為にと皇太子さま、秋篠宮さま、紀宮さまが
幼少時に読んでいた本を図書館に寄贈された。
『私どもからだということは内緒にしてください』と指示されたそうです」

週刊朝日2011年4月29日号
負けないぞ!ニッポン/天皇ご夫婦が見せた「決意」と「象徴天皇」の形 岩井克己
「あの日」の公務を済ませた両陛下は直ちに御料牧場での静養・園遊会などの日程をキャンセルし、
警察庁長官・防衛大臣・放射線医学の専門家などを連日御所に呼んで説明聴取。
3月16日夕、ビデオメッセージ発信。今後長く被災者に心を寄せ続ける決意表明でもあった。
3月30日の東京武道館を皮切りに各地の避難所を見舞い、今後、茨城、GW前後には宮城・岩手・福島を訪問予定。
昭和天皇の玉音放送・全国巡幸を思わせる行動は、天皇として今回の大災害を「国難」と捉えたことを物語る。
羽毛田長官は4月13日の会見で国民を案じる陛下の様子を述べた後、「象徴天皇がどういう役割を担うか、
そして陛下がどういう形で(象徴天皇を)追求しておられるか、私どももひしひしと感じる」と続けた。
もちろん象徴天皇としての様々な制約下では関東大震災での昭和天皇のようにはいかない。
しかし両陛下は疎開生活に耐え東京の焼け野原を目に焼き付けた世代。
数々の災害に打ちひしがれた人々を励まし続けてきた歩みの「総決算」
「魂は細部に宿る」という言葉を大災害報道の中で報じられなかった小さな出来事に際して何度か思った、
として、帰宅困難になった勤労奉仕団に宿泊場所の提供。
那須御用邸の浴室開放に際して宮内庁関係者から浴用タオル3400枚に対してバスタオル437枚しか集まらず、
長期の提供にとても足りない報告を受けた陛下は500枚を提供。
袋詰めには紀子様・両内親王もお手伝い。悠仁様の着袴の儀も延期。
阪神大震災で焼け跡に水仙を手向けた皇后陛下は、桜が満開の東御苑に被災者を招き、
11日には両陛下が東御苑に足を運んで被災者を激励。
両陛下のお見舞いをいただいて、疲労の極みにあった町民達にやっと笑顔が戻った。
頑張ろうという気持ちに変わったと思う。(8日に訪問を受けた、福島県双葉町の井戸川克隆町長)
東京武道館で「そっちに行ってもいい?」と皇后陛下に話しかけられた幼女は「うん、いいよ!」と明るく答え、
ピョンピョンとはしゃいで「おばあちゃんだ!おばあちゃんだ!」と叫び「おじいちゃんは?」
物心つくかつかないかの女の子にとって両陛下は
「優しいおじいちゃん、おばあちゃん」として記憶されていたのだろう。
昭和天皇以来の「国民と共に歩む皇室」の姿から踏み込んで「親しく国民の中へ」を実践してきた
両陛下の長い道のりの一つの到達点ではないか、との感にうたれた。

週刊女性2011年5月10・17日号
愛子さまも悠仁さまも被災者へ天皇ご一家お子さま方の「祈り」
各地の避難所を訪問される両陛下。
避難所訪問後雅子さまはお疲れが出たのかしばらく咳がとまらなかった(元東宮職関係者)
皇太子ご夫妻の強い希望で、5月下旬東北の避難所を訪問することが東宮職で検討されている。
皇室ジャーナリストの山下晋司氏
東宮夫妻の慰問がいまだ一カ所なのは「避難所ではなく被災地を夫婦で訪問することを強く希望してる」から。
そうすると雅子さまの体調を考慮しなければならないので5月下旬頃で検討してるらしい。
愛子さまは地震に敏感で揺れると「今は震度3?」と尋ねる。5月中旬の課外宿泊も中止。
秋篠宮家でも、眞子さまはガソリン不足が懸念された頃から公共交通利用で通学に切り替え、
佳子さまはご両親と受けた専門家からの説明を元にレポートを出された。
4月11日には悠仁さまも4歳なりに「祈り」を考えて祈られたのだろう。
美智子様の「皇室は祈りでありたい」という心は受け継がれている。

週刊ポスト2011年5月6・13日号
天皇「被災地巡幸」の御心 文芸評論家・富岡幸一郎氏
■ビデオメッセージの意味
今回の大震災と原発事故はまさに国難。このような危機に瀕したとき国の指導者に求められるのは、
艱難と悲しみに打ちひしがれた人々、不安と焦燥の中にある国民に対して、沈着冷静、
そして大きな勇気を与える言葉を語ることだろう。
3月16日の陛下のお言葉はまさに国家元首が被災者と全国民に向けて語られたそのような言葉であった。
この異例ともいえるビデオメッセージが深い感動を与えたのは、その内容もさることながら、
天皇自身が国民へ向けて直接語りかけられているという、その声の力ではなかったろうか。
古代の日本人は固有の文字を持っていなかった。自分たちの風土と感性を表す声、そして大陸から渡ってきた
漢字を文字として表現し、日本語は「大和の国」の言葉となった。万葉の歌人が「言霊の幸ふ国」と言ったのは
文字の効力だけでなく、その本来の声の響きの木霊を含んでいたのだろう。
戦後の憲法によれば天皇は「象徴」であり、大日本帝国憲法4条に記されているような「國ノ元首」ではない。
しかし「日本国」および「日本国民統合」の「象徴」であるとは、哲学者・和辻哲郎が指摘した
「国民全体性の表現者」といってよい。首相が国家的危機に直面して、指導者としての毅然たる言葉を
ほとんど持ち得ていなかったのは国民の不幸としかいいようがないが、震災からさほど日が経たない
3月16日という時点で天皇が語られたメッセージは復興の大きな礎となろう。
「長く心を寄せ」る事。それは物質的・経済的な復興に止まらない。
亡くなった犠牲者を心に刻み忘れることがないようにとの願いであろう。
■被災者の前にひざをついて
3月30日午後、東京武道館を訪問された両陛下は床に膝をつき、被災者の話を熱心に聞かれるその姿は
困難と悲しみに沈む人々に寄り添う姿勢そのものだった。自ら身を低くして座っている人々と
同じ目線を合わせて声をかけられる。その言葉と姿勢は、国民と共にある皇室ということを常に日頃から
深く思い自覚されているからこそできるのであろう。
実は陛下のこうした姿は既に皇太子だったときから見られた。
昭和61年11月29日、三原山の噴火で千代田区の体育館に避難してきた大島島民を慰問されたとき、
自らが腰を落として膝を付き話を聞かれた。それはこの国の天皇、皇室の歴史上初めての光景だった。
しかしそこには(昭和61年5月に語っていたように)皇太子時代からの陛下の一貫した確たる信念があった。
この思いは天皇に即位されたときの誓いによって、平成の御代の皇室の根幹をなす姿勢を形作ってきたのである。
現行憲法下で即位された初めての天皇は戦後に占領下で作られたこの憲法を「遵守」しつつ、
同時にこの国の長い歴史を貫いてきた歴代天皇の伝統と精神を、時空間を越えて新しいスタイルによって
継承する道を築かれてきたといってもよい。
■昭和天皇から受け継がれたもの
陛下のこのような死者を悼み、艱難の中にある国民を思い見舞う姿には、昭和天皇の全国ご巡幸を想起させる。
陛下がこの昭和の先帝の思いを大切に継承されてきたのは言うまでもない。しかし平成の御代になって
「国民と苦楽を共にする」と言うことを一歩も二歩も進めてこられた。
昭和天皇は「臣民」を全国巡幸によって励まし、戦後の急速復興への道を先頭を切って開かれたが、
被災者の前に膝を付いて話を聞くことはなかった。
これはまさに「象徴」天皇制の御代において初めて実現できたことである。また昭和天皇は災害などによって
被災した人々の見舞いを直接することはなかった。そこに不平等が生じるとの配慮があり、
むしろ国民の災いに対しては自らの国民への思いが足らぬからであるという自覚のもと、
宮中にあって祈りを捧げたという。
これは帝国憲法下で即位された昭和帝と平成の天皇との相違であろうが
「国民」と「天皇」との関係の決定的な時代的違いがある。
保阪正康氏は「明仁天皇と裕仁天皇」でこう指摘する。
《昭和天皇にとっては、国民と接するということは
固有名詞を持ったひとりひとりの臣民が存在するのではなく、
「赤子(せきし)という臣民の全体像の代表が目の前にいるにすぎなかったからだった》
「恰も一身にして二生を経るが如く一人にして両身あるが如し」福沢諭吉の言葉である。
徳川時代と明治という時代の大きな時代の変化、断層を生きた人間の経験をして言わしめたものだが、
昭和という時代もまた敗戦によって戦前と戦後という時代の区切り、変化があり、
昭和天皇もまた皇統を維持されながら、まさしく「一身にして二生を経る」ともいえる経験をされた。
昭和天皇は戦後という時代を天皇として「ををし」く生きられ、復興へ邁進する日本人の精神的支柱になられた。
しかし昭和天皇にあっては「国民」はまた「臣民」であり「赤子」であった。
昭和天皇のこの祈りと思いとを、陛下は深く受け止められた。
平成の御代の象徴天皇による巡幸こそは、この国に再生の大いなる力となるだろう。
■「象徴」天皇としての巡幸
昭和天皇崩御の折、福田恆存は「象徴天皇の宿命」と題する文書を文藝春秋特別号(平成元年3月号)に
寄せている。戦後憲法下での天皇制のこのような矛盾と圧迫がもたらす「孤独、苦渋」を福田恆存は
昭和天皇の姿のうちに垣間見ていた。この指摘はけして誤りではなく、陛下も皇太子の位にあって、
この先帝の天皇としての、また一人の父としてのそのお姿を受け止めていたのかもしれない。
戦後憲法(天皇条項)についても様々な議論を呼び今日に至っている。しかし「象徴」とは
「どういう意味なのか」ということではなく「象徴はどうあるべきか」ということを天皇は
常にご自身で考えられ、判断され、それを実行されてきた。
「象徴」とは政治的には確かに不分明な言葉だろう。しかし比較宗教学のエリアーデが述べているように、
それは特定の「宗教」性ではなく、この世界にある人智を超えたもの、その超越的な感覚を
大切にするという意味での「宗教的象徴」であるというのである。今回の大震災と原発の災厄が示しているのは、
どんなに科学技術が進んでも、人間の力ではどうすることもできない超越的なものが
まさに存在しているということではないのか。
この国難、国民の災いの中で、天皇はその声を通して祈りの声を届けられ、皇后とご一緒に
被災地への巡幸を始められる。
昭和10年夏、過ごしやすい日が続くことを期待する側近を、冷害を案じる昭和天皇は叱責したが、
「稲作」が天皇の歴史・この国の文化にとってどれほど大切なものかはいうまでもない。
今回の巡幸は、象徴天皇としての今上がまさに「国民統合」の「象徴」であられることの、
その恩恵を示される旅になるであろう。

女性自身2011年6月21日号
皇太子夫妻は長らく被災地訪問を望んでいたがそれが叶ったのは6/4。宮内庁の反応は冷ややか。
両陛下が4/27、秋篠宮両殿下が5/10に訪問されている。
雅子妃の体調問題や愛子様の学校問題があったとはいえ、お見舞いが遅すぎるのではないか、の声も上がっていた。
同日、両陛下と秋篠宮両殿下悠仁様は葉山へ。意図して組まれた日程ではないだろうが、
皇太子夫妻の孤立や両陛下との距離を感じさせる。
宮内庁内での皇太子夫妻への批判や公室内での孤立は、雅子妃の長引く病気とは無関係ではない。
橋本明氏:「使命を果たせぬ皇太子妃を両陛下は嘆いておられます!」
被災地訪問スケジュールについて側近が「ご無理をなさらないように」と進言したとき
皇后陛下は即座に「今はそんなことを言っている場合ではない」とお諭し。陛下の体調を案じる皇后陛下も76歳。
それでもお二人は被災者と苦しみを分かち合い、復興の一助になりたい、と命がけのメッセージを込められていた。
しかし皇太子夫妻が両陛下の願いをきちんと受け止めているとは私には思えない。
久子妃、寛仁親王よりも遅い現地入り。月1回、週末のお見舞いだけではいかにも少なく、
とても両陛下の御心に沿う物ではない。皇太子・皇太子妃としての使命を果たしておらず失格と言わざるをえない。
雅子妃の病状については野村東宮大夫ら東宮幹部から聞いた。
一時期は、とても世間には発表できない面もあった。
国民の理解を得るためにもきちんと知らせるべきではないか、と野村氏に言ったが雅子妃が公表を望まなかった。
皇太子夫妻の被災地訪問が少ない理由が雅子妃の体調によるならば、
皇太子一人で被災地を回り使命を果たしていただきたい。
被災地訪問でも他の公務に関しても、両陛下が皇太子夫妻にああせよこうせよと命じることはない。
そのことに甘んじて公人としての義務を軽視し続けるなら両陛下のお気持ちに反している。
更に言えば夫妻のみならず、皇室全体が国民の信頼を失う姿につながってしまう。
今後も皇太子・皇太子妃のご使命を果たすことができないなら、その地位を、秋篠宮ご夫妻にお譲りになるべき
日本が未曾有の危機を迎えている今、皇太子夫妻にはもう一度ご自身の立場を厳しく見つめ直していただきたいと思う。
猪瀬直樹氏:「雅子様の真摯さが、逆に周囲を困らせる事態を…」
4/7、秋篠宮両殿下がビッグサイトの避難所を訪問された際、案内を務める。
実際の滞在人数に少数の差があったことを口頭で伝えたとき、お二人はほぼ同時に資料へ書き込み。
国難に立ち向かう、皇族のお覚悟を目の当たりにした気持ち。
4/6、皇太子夫妻が味の素スタジアムを訪問したとき、予定時間が40分ほどオーバー。
雅子妃に励まされたことで被災者に明るさが戻った一方で
40分の変更が大勢の人間に多大な影響を及ぼすことも理解していただきたい。

週刊女性2011年6月21日号
17ヶ月ぶり遠方本格ご公務で被災地・宮城ご訪問 雅子さま心配された「激務」と「悪臭」
宮内庁関係者が明かす。
「宮城を訪問されたのは4日の土曜日でしたが、前日の金曜日もお付き添いをされて6~7時間、
学校に滞在されてから遠隔地を日帰りされるとなれば、オーバーワークになってしまいます。
3月と4月のお見舞いのときは前後に愛子さまの学校はありませんでした。
実は今回のご訪問前日も、先生方の研修会で学校は休校だったのです。逆にいうと、
前日に確実な休みがあったからこそ、6月4日という日程が決められたのではないかと思います」
やはり連日の外出は、ご負担になってしまうということなのだろう。そして、
「宮内庁職員のなかには、“におい”を心配している人がいました」
と、もうひとつの障害を挙げるのは元・東宮関係者。
「被災地では津波による汚泥などがあり、雅子さまがにおいに敏感なようなので周囲は神経質になっていました」
確かに体調がすぐれない時の悪臭は、身体にこたえるかもしれない。
被災地の取材を続ける記者が説明する。
「地震直後はあちこちにプロパンガスのボンベがゴロゴロと転がり、飛散するにおいが強く、
海沿いに行くと鼻をつく生臭いにおいに変わりました。少し酸っぱい腐敗臭で、
被災した水産加工会社にあった魚の腐敗したものや、遺体の腐敗臭も混ざっていたのかもしれません。
最近はおさまっていますが、砂ぼこりは相変わらずひどいです…」
雅子さまは、お元気なころから、においや汚れに敏感だったといわれるが、
「当日、雅子さまは、においや周囲のことに敏感になっているご様子はありませんでした」
と、前出の宮内庁担当記者は語る。

テーミス2011年7月号
▼6月4日の宮城県お見舞い
東宮職は当日まで「ご体調次第では、妃殿下のご同行を取りやめるかもしれない」と含みを持たせる。
6月3日は学習院初等科が教員研修で休み。このため4日は前後を休日に挟まれる形になったので、
雅子さまの体調を考えると絶好のタイミングだった。
野村東宮大夫は定例会見で「(お見舞いが)月に1度のペースになっているのはたまたま」と発言。
しかし、雅子さまは愛子さまの付添登校が最優先事項
「天皇皇后両陛下を大切に…」と声を掛けた80代の女性に、「ありがとうございます。大丈夫ですよ」と雅子さま
▼4月11日のお楽しみ会
雅子さまが東宮御所に愛子さまの友達を頻繁に呼ばれているという話が絶えない。
11日は午前中から夕方まで開かれていた。昼ごはんやおやつがふるまわれる。
皇太子ご夫妻はビデオを回したり、ご自慢の一眼レフで写真を撮っていた。
野村東宮大夫は定例会見で「愛子さまもその日、黙祷を捧げた」と明かしていたが、皇室関係者から批判多数
当初は4月6日に予定されていたが、急遽味スタにお見舞いに行くことになったため、11日に延期。
▼6月14日芸術鑑賞会(学習院大学)
座席数の関係で4・5年生の父母は付添なしの事前通達があったが雅子さまだけが付き添った鑑賞会の後、
雅子さまと愛子さまの2人は電車で帰宅。帰宅後、皇太子さまも揃って皇居の厩舎へ

橋本明氏
「震災1カ月というタイミングでお楽しみ会開催してはしゃぐのは、国民の感覚とかけ離れているし、
愛子さまの教育上も好ましいと思えない。」
「皇太子1人だけでも両陛下のすぐ後に被災地訪問した方が良かった。」
「皇太子は公私の線引きがきちんとおできになった方、いまは両陛下の意を汲んでいるとは思えない。」
皇太子夫妻の“公務”と“私事”のバランスに、疑問の声が集まっているのはたしかである。

週刊女性2011年5月10・17日号
天皇ご一家 お子さま方の「祈り」
秋篠宮ご一家は震災以来、精力的に被災者のための活動をされている。
皇室ジャーナリストの高清水有子さんが解説する。
「秋篠宮ご夫妻は、すでに東京と新潟の避難所へお見舞いをされていますが、
ほかにも宮邸に専門家をお呼びになって、震災に関するご進講を受けられています」
3月末、那須御用邸のお風呂が開放されるときに紀子さまと眞子さまと佳子さまで、
タオルの袋詰めを手伝われたことはすでに報じられたが、さらに詳しいご活動を明かす。
「国際基督教大学2年生になられた眞子さまは、東京・三鷹にあるキャンパスまで車の送迎で通われていましたが、
震災でガソリン不足が深刻になった後、電車とバスで通学されるようになったそうです。
ご自分なりにできることをというお考えだったのだと思います」
次女の佳子さまは今春、学習院女子高等科2年に進級されているが、
「春休み中の課題が震災に関するレポートだったようなので、
ご両親やお姉さまと一緒に聞かれた専門家のお話も参考にされたのではないでしょうか」(高清水さん)
さらに、まだまだ小さい悠仁さまも頑張っていらっしゃるという。
「お茶の水女子大附属幼稚園の年中になられた悠仁さまは、
特に地震を怖がられているということもなく通常どおり通園されているようです。
震災から1か月後の4月11日にご一家で黙祷を捧げられたとき、悠仁さまも黙祷されたようですが、
4歳なりの解釈でお祈りしたのではないでしょうか」(同)
美智子さまのお考えが、4歳の男の子にまで伝わっているエピソードだ。

テーミス2011年6月号
皇太子ご夫妻へ届くか
天皇皇后両陛下「鎮魂の祈り」が齎す真意
―被災地へのご訪問で皇室の存在感が高まるなか次世代への継承が危ぶまれるが
▼警備が過剰にならないように
天皇皇后両陛下は、4月14日から5週連続で東日本大震災で大きな被害を受けた
太平洋沿岸の五つの県を訪問された。
両陛下はいずれの被災地でも、津波で大きな被害を受けた地区では黙礼して犠牲者に哀悼の意をささげ、
避難所ではひざをつき被災者の話に耳を傾け、手を添えて慰められた。
「警備が過剰にならないように」とのご配慮から、自衛隊機とヘリコプターを使われ、
日帰りの強行軍。両陛下の被災地訪問は、まさに「鎮魂の旅」だった。
仙台では、両陛下は臨時ヘリポートの仙台市民球場から、マイクロバスで移動。
およそ500人もの近隣住民は「両陛下、ありがとうございます。生きててよかったです」と、
涙交じりの歓声で迎えた。両陛下は中腰のまま窓から半身を乗り出して、手を振り続けていた。
だが、両陛下は相当お疲れだったようである。
「陛下のお顔がむくんでおられて…。皇后さまはスリッパも履かずにずっと裸足でした。皇后さまに
『冷えますからスリッパをお履きになってください』と申し上げても、『大丈夫よ』とおっしゃるばかり。
立ったり座ったりの連続で、皇后さまのお膝の痛みがぶり返さなければいいのですが…」(70代女性の被災者)
▼皇居に“帰宅難民”を受け入れ
両陛下が5月8日に岩手県を訪問された時、余震が襲った。
皇后さまは被災者に「落ち着いてください」と、不安を和らげられた。
11日には福島県を訪問され、原発から半径45㎞圏内の南相馬市をご視察。
帰京する際は風評被害を一蹴するように野菜や果物を私費で買い求められた。
「悲しいかな、平時に比べて今は皇室の存在感が非常に高まっています。
両陛下の『国民と苦楽をともに…』という姿勢は、皇太子同妃時代から変わりませんが、
国民もそのお気持ちを信じているからこそ『ありがたい』と感じるんだと思います。
こういう信頼関係は一朝一夕でできるものではありません。
皇室と国民がともに築いてきた長い歴史ゆえのことだと思います」(皇室ジャーナリスト・山下氏)
計画停電では、延べ130時間も自主的にブレーカーを落とされた。
震災当日は皇居に“帰宅難民”を受け入れた。
「宮内庁の施設を役立ててほしい」というご意向もあり、那須御用邸の風呂を近隣地域の被災者に開放するなど、
避難生活の不便さにも思いを馳せられたほどだ。
震災から5日後、原発事故の不安がピークに達するタイミングで出された
陛下のビデオメッセージは、政治家の発言よりも説得力があった。
▼皇室典範改正を再び議論せよ
皇太子ご夫妻も4月初旬の味の素スタジアムに続き、5月7日、埼玉県三郷市をご訪問された。
雅子さまにとって短期間のうちに2回連続で公務にお出かけになるのは稀有なことといえる。
だが、天皇皇后両陛下ご訪問に比べると、どうしても少ないと言わざるを得ない。
東宮職は「数の多寡ではない」と反論しているようだが、仙台の避難所では、「陛下が高齢でも
ハードなスケジュールをこなしているのに、皇太子さまと雅子さまはなんとも思っていないのだろうか」
といった厳しい意見を口にした被災者が複数いたことも事実である。

女性自身2011年7月19日号
東宮大夫異例の刷新…福島、岩手へ!
6年ぶり「夏の地方ご公務」“背水の陣”
雅子さま 愛子さま 夏休み「心の復興計画」!
「皇太子夫妻は7月下旬に福島県、8月上旬に岩手県をご訪問予定。
スケジュールは調整中とのことですが、2週連続の被災地お見舞いになる可能性も高い。
2県とも自衛隊機を利用され、日帰りの日程になるそうです。
雅子さまの夏の地方ご公務は、実に6年ぶりになります」(前出・宮内庁関係者)
前回の夏の地方ご公務は’05年7月の「愛・地球博」。雅子さまは療養中でのお出かけだった。
「久しぶりの地方でのご公務ということもあり、雅子さまもかなり無理をされていたのでしょう。
人々の前では笑顔をお見せしていましたが、ご緊張と暑さのために、
万博会場の控室では憔悴しきって横になられていたそうです。
このときの辛い経験がトラウマになってしまったのか、
これ以降、特に夏のご公務には苦手意識が強くなってしまわれたのです…」(東宮関係者)
6年ぶりに“トラウマ”に立ち向かわれる雅子さま。
その心境について渡辺みどり氏は、
「6月4日の宮城県訪問で、雅子さまは大勢の被災者と交流された。
被災者の中にはご体調を心配し、雅子さまを励ます人もたくさんいたのです。
雅子さまにとっても嬉しいことだったのでしょう。
この経験が、被災地ご訪問への強い意欲に結びついているのは間違いありません。
また、6月25日には愛子さまが1年4ヵ月ぶりに付き添いなしで登校されました。
このことも母としての自信になっているでしょうし、
“私も頑張らなければ”という前向きなお気持ちになられていると思います」
新東宮大夫の小町氏も、その復帰へのキーパーソンの一人ですね」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
「外務省の中でも、在モスクワの日本大使館での勤務経験者は非常に強い結束力を持っています。
小町さんは在オランダ大使として、ご静養中の皇太子ご一家に誠心誠意尽くしたのでしょう。
それで皇太子ご夫妻は、小町さんに非常に良い印象を持たれているのでしょうね」
(小町氏と同じ’69年に外務省に入省、現在外交評論家・天木氏)
08年9月、皇太子夫妻は各国に赴任する大使たちと東宮御所でお会いになった。
「もともとは皇太子さま一人の予定だったのですが、雅子さまも急きょ出席。
実はその中には、タイに赴任する小町氏もいたのです。
雅子さまの突然の出席の理由について、野村東宮大夫は、
“小町大使は、オランダご静養のときの在オランダ大使だから”と、
皇太子ご一家との関係の深さを強調したのです」(宮内庁担当記者)
小町氏は初めての海外静養の立役者だったが、今後は東宮大夫として、
皇太子夫妻の海外ご訪問にも取り組んでいくことになる。

女性自身2011年8月16日号
雅子さま「胸裂く落涙」止まらぬ30分間!-福島県郡山市原発&津波被災者へ
雅子妃が激励したのは避難所の年配の人だけではない。愛子さまより一学年下の小学校3年生の男の子もいた。
その男の子は二学期から別の町の小学校に転校が決まっている。
「友達と離ればなれになってしまうのが寂しいです」
「私にも小学校4年生の娘がいますからあなたの気持ちがよくわかります。
新しい学校でもきっとお友達が出来ますよ」母の顔になり、微笑む雅子妃。
家族を亡くしたり、C型肝炎の被災者などを涙ぐみながら背中をさするなど励ました。
長年雅子妃の"おっかけ"をしている女性が東京駅ホームに着いたとき、
夫妻は既に乗車しており、女性が手話で挨拶するとまず皇太子が気づき、雅子妃は手を振ってくれた。
雅子妃は"愛・地球博"のとき、余りの暑さに控え室で横になったこともあると聞いているが、
今回は大丈夫だったようだ。(松崎敏弥氏)
車に乗り込むとき200人近くが列を作って見送ったが、
一人が手を差し出すと次々に差し出され、雅子妃は50人あまりと一人ずつ手を握った。温かい手だった。
「雅子様は被災者の方達も喜んでくれたと思いで、皇太子妃としてのご自身の存在の再確認が出来た」(香山リカ)
仮設住宅を見舞う頃には西日が射し、薄手の雅子妃のベージュのジャケットの背中は汗でにじんでいた。

女性セブン2012年3月29日・4月5日号
「死んだ方がマシ」と思っていた被災者 天皇陛下に救われる
2012年03月18日07時00分
提供:NEWSポストセブン
東日本大震災の被災者、宮城県の菊地ふみ子さん(70才)は、昨年4月、天皇皇后両陛下が
仙台市宮城野区の避難所を訪問された際、両陛下と直接言葉を交わし励まされたひとりだ。菊地さんはこう語る。
「私の主人は50才のときに、天皇陛下と同じように心臓のバイパス手術を受け、
約3か月間の入院生活を余儀なくされました。ところが陛下は、手術後すぐに退院され、
しかも追悼式にまで出席してくださいました。
でも、きっと陛下はご無理をなさっているはずです。もう少しゆっくりとお体を休めていただきたいという
思いをどうにも打ち消すことができません。
1年前、私たち被災者が身も心もボロボロになっているときに、陛下のお言葉でどれほど勇気づけられ、
生きようという気持ちになったことか。あのお言葉があったからこそ苦しみを乗り越えられたのです」
菊地さんの夫は、震災のショックで心の病に陥ってしまった。両陛下が避難所を慰問されたとき、
夫は両陛下のお姿を見ても、ただ呆然と立っているだけだったという。
「おそらく陛下は主人の様子が変なことに気づかれたのでしょうね。“どうしました? どうしました?
どうしました?”と、陛下は3回も繰り返して主人に声をかけられ、心配してくださいました」
陛下に失礼と思い、菊地さんは事情を陛下にお話しした。すると陛下は幾度もうなずかれ、
「それは大変でしたね。どうぞ、お体を大事になさって、頑張ってください」と、菊地さん夫婦をいたわられた。
「主人がこんな状態になって、正直、私自身も疲れ果ててしまい、
一緒に死んだほうがマシだと思ったことがあったんです。
でも、陛下の優しい笑顔とお言葉によって救われたんです」
http://news.livedoor.com/article/detail/6379741/

女性セブン2012年5月31日号
仙台の国際会議臨席の両陛下 強いご意向で急遽被災者見舞う
2012.05.19 16:01
「陛下~!」
「美智子さま~!」
天皇皇后両陛下を乗せたお車が到着すると、沿道に詰めかけた大勢の人々から歓声が上がり、
手を振る人波が幾重にもできた。
気温は18度まで上がり、眩しい日差しが照りつけるなか、お車から姿を見せられた両陛下は、
笑顔を浮かべながら手を振って応えられた。
5月13日、両陛下は宮城県仙台市若林区にある荒井小学校用地応急仮設住宅を訪問された。
ここには、津波で大きな被害を受けた若林区荒浜地区の住民を中心に194世帯、381名が暮らしている。
両陛下は出迎えた被災者に歩み寄られ「冬は寒くて大変だったでしょう」、
「お体はいかがですか」と声をかけられると、
そのあと、若林区長の先導で仮設住宅を回り、被災者を励まされた。
当初、今回の仙台ご訪問は、同日の第14回IACIS国際会議ご臨席のためだったが、
直前になって急きょ仮設住宅への慰問も決まったという。
宮内庁の羽毛田信吾長官は、5月10日の定例会見で、
陛下が「仙台に行くなら、どうしても被災者を見舞いたい」
というご意向を示されたと述べたうえで、
「被災者を見舞わずに、お帰りになるという選択肢はなかったのだと思う。
それぐらい被災地への思いは深かった」と明かした。
今年2月、冠動脈バイパス手術を受けられた陛下が、手術後、宿泊を伴う地方での公務をなさるのは初めてのこと。
宮内庁としては陛下のご体調を鑑みて、今回は行事への出席のみと考えていたようだが、
両陛下の強いご意志を尊重し、約1年ぶりの被災者慰問が実現したのだった。
※女性セブン2012年5月31日号
http://www.news-postseven.com/archives/20120519_109002.html

SAPIO2013年2月号
震災後の天皇陛下は戦っていらっしゃると皇室ジャーナリスト
NEWS ポストセブン 1月20日(日)7時6分配信
今上天皇即位からちょうど四半世紀。79歳になられた天皇陛下は連綿と続く日本の伝統を守り、
震災で傷ついた国民を励まし、自らの病や老いと戦っている。そのお姿に日本国民は深い感動をおぼえ、
勇気づけられる。ジャーナリストの山村明義氏が報告する。
振り返ると、東日本大震災直後の平成23年3月16日にも不安に陥った国民のために、
「ビデオレター」という形式でお言葉を出された。
ちなみに、現代の「お言葉」とは、実はかつての「詔勅」や「宣命」を意味する。
そして陛下はご高齢にもかかわらず、被災者を励まし、慰めるために被災地へのお見舞いを始めた。
平成23年4月の千葉県旭市に始まり、岩手、宮城、福島の東北三県へはそれぞれ日帰りという強行スケジュールだった。
被災地の負担にならないようにというご配慮からである。
6月には大きな津波被害を受けた福島県相馬市にお出かけになり、慰霊の祈りを捧げられた。
お見舞いは翌年も続いた。ご健康を回復された5月には宮城県仙台市で開かれた国際会議にご臨席。
陛下の強い希望で、わざわざ会議前日から現地入りされて被災者をお見舞いなさった。
翌日午前中から仙台市若林区の仮設住宅を訪問されるためであった。
さらに10月、原発事故による放射能被害にあった福島県双葉郡川内村に足を運ばれ、
除染作業が行なわれる様子を視察され、仮設住宅も見舞われた。
皇室ジャーナリストの高清水有子氏はこう語る。
「(震災後の)天皇陛下は戦っていらっしゃいます。昨年5月の仙台市の被災地お見舞いから
皇居にお帰りになって、3日後には英国にご出発になり、世界各国の元首に震災支援への感謝のお気持ちを
直にお伝えになりました。さらに英国から戻られて6日後には、山口県の全国植樹祭にご出席になり、
7月の猛暑の最中には、長野県下水内郡栄村に(皇后陛下と)御行幸啓されています。
栄村は震災で甚大な被害を受けましたが、東北の震災の陰で見過ごされがちでした。
そのような状況で天皇陛下のご希望で実現したご訪問に、地元の方々は
『天皇陛下がお出で下さったことですごく救われた』と話しています」
※SAPIO2013年2月号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130120-00000013-pseven-soci


TV報道
■2011年12月22日
3月23日、美智子様は一人の女性を御所にお招きになります。久常節子さん(前日本看護協会会長)。
ところがお話の最中、地震が起きました。久常さんはそのとき美智子様のとられた行動に驚いたそうです。
突然すごく大きい揺れがあったんです。そしたら皇后様がすぐ何か出されまして
何してるのかなと思ったら手動のラジオをすぐつけられて、
どこで何が起こっているのかすぐ確認なさいましたね。
美智子様はそのときすでに「前を向いて歩こう」としておられたのです。そしてこうつぶやかれました。
「秋篠宮にも、妃殿下にも」と、独り言をおっしゃって・・・
皇室の関係者にはちゃんと知っておいてもらわないといけないと思ったのではないでしょうか

字幕(美智子様は)「秋篠宮妃殿下にも・・・」って独り言をおっしゃって
節子さん本人の語りでは→秋篠宮にも、妃殿下にもというような独り言をおっしゃって

翌3月24日には秋篠宮妃紀子さまと眞子さま、佳子さまが宮内庁庁舎でタオルの袋詰めをする姿があった。
両陛下が那須ご用邸の職員用の風呂を被災者のために解放することを決め、その準備を行われていたのだ。

震災関連 記事2

2011年5月
両陛下 岩手県の避難所を訪問
5月6日 18時42分
天皇皇后両陛下は、東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県を訪れ、
釜石市と宮古市の避難所で避難生活を送る人たちを励まされました。
自衛隊機で岩手県入りした両陛下は、ヘリコプターに乗り換えて、
午後1時すぎ、津波で大きな被害を受け、2100人余りが避難生活を続けている釜石市に到着されました。
両陛下は避難所の釜石中学校を訪れ、およそ100人の住民が生活する部屋で、
床にひざをついて、一人一人に声をかけて回られました。
天皇陛下は「後ろから津波が来て、逃げるのがやっとでした」と話す女性に、
「よくご無事で。どうぞお元気で」と声をかけられていました。
また皇后さまは、避難している男性に「お体を大事になさってください」などと優しくことばをかけられていました。
訪問の終了間際には、釜石市で震度3の揺れを観測する余震がありましたが、
皇后さまは避難所の人たちに「落ち着いてください。大丈夫でしょうか」と呼びかけたうえで、
「何ともなかったでしょうか」と声をかけながら、目の前の女性の手をそっと握られたということです。
両陛下はこのあと、岩手県内で最も多くの住宅が倒壊した宮古市に移動し、避難所の体育館を訪ねられました。
天皇陛下は、母親を亡くした39歳の女性から母親の写真を見せられると、
「本当に残念なことでしたね」と声をかけ、慰められました。
そして女性が「母も陛下とお会いできてよかったと思います」と涙を流しながら話すと、
「どうぞお元気で」と励まされていました。また皇后さまは、家を失った男性に寄り添い、
「つらかったでしょうね。よく助かって下さいましたね」とことばをかけられていました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110506/k10015731051000.html

皇太子ご夫妻、埼玉県の避難所お見舞い
2011.5.7 19:25
皇太子ご夫妻は7日、福島第1原発事故による避難者を見舞うため、
埼玉県三郷市の瑞沼市民センターを訪問された。
皇太子ご夫妻が避難所を見舞われるのは、4月6日の味の素スタジアム(東京都調布市)に続き2回目。
同センターには、福島第1原発事故の影響で、
町全域が緊急時避難準備区域となっている福島県広野町などの住民約200人が生活している。
皇太子ご夫妻は膝をつき、目線を合わせてお見舞いに。
予定時間を1時間以上超えて避難所に滞在された。
皇太子さまは製造業の坂本邦弥さん(31)に
「一時的にはお帰りになる機会はあったんですか」と長引く避難生活を案じられた。
皇太子妃雅子さまは、震災の当日、富岡町で道路工事をしていた建設業の坂本一光さん(37)から、
津波がくる直前、近くの民家の高齢者を数人、車に乗せたが、
多くの人が流されたという話をきき「心に傷が残るようで、大変ですね」と心配された。
坂本さんの母、光子さん(62)は
「妃殿下も体調がすぐれない中、おいで頂いてありがたかった。お会いして元気が出ました」と話していた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110507/imp11050719270002-n1.htm

秋篠宮ご夫妻、震災で被害を受けた青森・三沢漁港を訪問し漁業関係者らを励まされる
秋篠宮ご夫妻は10日、東日本大震災による津波被害を受けた八戸市と三沢市を訪問された。
ご夫妻が来県するのは、2008年7月に開催された「全日本高校馬術競技大会」へのご出席以来。
家や漁船を失った被災者を見舞い、爪痕が残る漁港も視察された。
ご夫妻はこの日午前、三沢漁港に入られた。三沢市漁協は、漁船が流されたり製氷施設が壊れたりし、漁を中断。
9日に水揚げを再開したばかりで、種市一正市長から説明を受けたご夫妻は、
避難時の様子や復旧具合について尋ね、何度もうなずかれた。
漁港に集まっていた漁業関係者にも声をかけてまわり、「みんなで力を合わせて頑張ってください」と激励された。
その後、住宅の浸水被害が激しかった八戸市市川地区の集会所「橋向生活館」を訪ね、
集まっていた被災者30人とお会いになった。 
主婦の板橋洋子さん(63)は津波で家が浸水し、「皆に助けてもらいました」と話すと、
紀子さまは「普段からそういうつきあいをしていたから、助けてもらえるのでしょう」と答えられたという。
ご夫妻は、イカ釣り船が打ち上げられたままの八戸漁港も視察された。
しめサバ生産を再開した水産会社「丸竹八戸水産」常務の島守信昭さん(66)は、
ご夫妻から「おいしいしめサバをつくって下さい」と励まされ、「よし、やらねば」と決意を新たにしていた。
(2011年5月11日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aomori/news/20110511-OYT8T00060.htm

天皇、皇后両陛下:福島産の野菜を購入 風評被害に心痛め
2011年5月12日 18時32分 更新:5月12日 18時40分
宮内庁は12日、天皇、皇后両陛下が11日に福島県を訪問した際、
地元で取れた野菜と果物を購入したことを明らかにした。
同県産の野菜や果物については東京電力福島第1原発事故による風評被害が出ており、
両陛下は心を痛めているという。
同庁によると、両陛下は福島空港を自衛隊機で出発する際、
箱詰めされたアスパラガス、シイタケ、ブロッコリー、イチゴなどを計3箱購入した。
県が用意したもので、それぞれ両陛下、皇太子ご一家、秋篠宮ご一家用という。
両陛下は11日に福島市で、地元産のダイコン、カボチャ、ワラビなどの食材で作った昼食をとった。
同市の瀬戸孝則市長は、両陛下が「風評被害が心配ですね」などと気に掛けていたことを明らかにしていた。
【真鍋光之】
http://mainichi.jp/select/today/news/20110513k0000m040028000c.html

宮内庁「両陛下 お疲れの御様子」
TBS系(JNN) 5月13日(金)9時21分配信
両陛下は11日、福島県の被災者をお見舞いし、津波の被害を受けた地域で犠牲者に黙礼されました。
宮内庁によりますと、原発事故による風評被害に心を痛めてきた両陛下は、
帰京する前に福島県産のアスパラガスやしいたけ、イチゴなどが入った詰め合わせを3箱購入されました。
このうち、皇太子御一家と秋篠宮御一家に1箱ずつ届けられたということです。
両陛下は、これで千葉・茨城・宮城・岩手・福島の被災地を訪問されるなど、
7週連続で被災者をお見舞いされ、予定されていた日程を全て終えられました。
宮内庁の羽毛田長官は、12日の会見の中で「これで1つの区切り」とした上で、
現在も多くの被災者が避難生活を続けているため、今後も状況とタイミングを見た上で、
被災地に訪問されることになるとの見通しを示しました。
また、両陛下は各地を相次いで訪問され「疲れている御様子」だということで、
宮内庁はできるだけ早く静養してもらうように調整したいと話しています。(12日20:21)
最終更新:5月13日(金)9時21分

東日本大震災:皇太子さまが見舞い…富山で被災者に
富山市で開催された第22回全国「みどりの愛護」のつどいに出席した皇太子さまは
14日、式典に招かれた東日本大震災の被災者15人に会い、見舞いの言葉をかけた。
地震発生時、防災指導員として東京電力福島第1原発4号機内にいたという古山嘉三(よしぞう)さん(68)は
「大変な揺れで、ここで死ぬのか、と思いました」と皇太子さまに話した。
一緒に富山市に避難した孫娘の暖乃(はるの)ちゃん(6)が
小学校のリレー選手に選ばれたことを古山さんが話すと、皇太子さまは
「愛子もリレーの選手なんですよ。練習大変だろうけど、頑張ってね」と暖乃ちゃんを励ました。
毎日新聞 2011年5月14日 19時44分(最終更新 5月14日 21時36分)
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110515k0000m040047000c.html

寛仁さま、宮城の自衛隊基地視察し激励
2011年5月23日22時15分
三笠宮家の長男寛仁さまは23日、宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地を訪れ、
東日本大震災で津波の被害を受けた基地を視察するとともに、被災地で救援活動にあたる隊員を激励した。
その後、同県石巻市の石巻総合運動場でも陸上自衛隊員らを激励した。
24日には寛仁さまが総裁をつとめる仙台市内の福祉施設などを見舞う。
http://www.asahi.com/national/update/0523/TKY201105230573.html

秋篠宮ご夫妻、岩手・大槌町をご訪問
2011.5.25 18:55
秋篠宮ご夫妻は25日、被災地の岩手県大槌町を訪問し、避難生活を続ける住民を励まされた。
ご夫妻は午後3時50分ごろ、被災した沿岸部を一望できる城山公園にご到着。
東梅政昭副町長の説明に何度もうなずきながら聞き入った後、犠牲者の冥福を祈られた。
この後、避難所になっている公園内の体育館にご移動。
秋篠宮さまは玄関前やロビーで住民と握手し「大変でしたね」と声を掛けられた。
団体職員の山陰洋子さん(57)は「うれしくて涙が出てきました」と話した。
紀子さまは、出産予定日が近いという主婦、越田弥美さん(32)に歩み寄り、
両手で優しく包み込むように越田さんのおなかを触られた。
越田さんは「感激しました」と笑顔だった。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110525/imp11052519000003-n1.htm

東日本大震災の被災地の岩手県を訪問している秋篠宮ご夫妻は、
津波や火災で大きな被害を受けた山田町を訪れ、支援活動を続けているボランティアをねぎらわれました。
秋篠宮ご夫妻は、25日、大槌町を訪ねたのに続いて、
26日は津波などで500人を超える人たちが亡くなった山田町を訪問されました。
ご夫妻は、初めに町役場の屋上から住宅の多くが津波で流された現場や、
火災で黒く焼け焦げた跡が残っている建物などを視察されました。
続いて、およそ90人が避難している近くの小学校に移動されました。
ここでは、震災後、紀子さまが総裁を務められている公益財団法人「結核予防会」の
看護師や保健師らが中心になってボランティアで被災者の健康管理に当たっています。
秋篠宮さまは、ボランティアの人たちに糖尿病などの病気を抱える被災者の健康状態を尋ねられていました。
また、紀子さまも保健師の女性に
「乳幼児健診はできていますか。長期にわたって大変ですね」などと声をかけ、ねぎらわれていました。
ご夫妻はこのあと、教室で避難生活を送る被災者を励まして回られました。
ご夫妻は26日夜、新幹線で東京に戻られる予定です。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110526/k10013121221000.html

常陸宮ご夫妻、原発避難者を慰問…大田原市
常陸宮ご夫妻は27日午後、東日本大震災や福島第一原発事故の影響で福島県南相馬市などから
69人が避難している栃木県大田原市ふれあいの丘青少年研修センターを慰問された。
食堂で50人と同じテーブルにつき、「何かお困りになっていることはありますか」
「学校は慣れましたか」などと声をかけられた。
さらに常陸宮さまは「日本中が心を一つにして、皆さんとともに復興に向けて頑張っています。
くれぐれも健康に気をつけてください」と励ましの言葉を述べられた。
(2011年5月27日18時46分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110527-OYT1T00871.htm

高円宮妃久子さまと承子さま、宮城を訪問
読売新聞 5月30日(月)22時29分配信
高円宮妃久子さまと長女承子さまは30日、東日本大震災の被災地お見舞いのため、宮城県を訪問された。
254人が死亡した亘理町では、
久子さまが名誉総裁を務められる海難救助ボランティア支援団体「日本水難救済会」の事務所も全壊した。
お二人は、同会の仮事務所近くの海辺で献花・黙とうした後、活動に協力している人たちを激励。
久子さまは「皆さまが力を合わせ納得のいく日常に戻れるよう願っています」と、
承子さまも「復興したらおいしい魚を食べに来ます」などと声をかけられた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110530-00000988-yom-soci

2011年6月
皇太子ご夫妻、被災地の宮城県を訪問し被災者を励まされる
皇太子ご夫妻は4日、東日本大震災の被災地の宮城県を訪問し、被災者を励まされた。
今回の大震災で、ご夫妻が被災地を訪問されるのは初めてのこと。
ご夫妻は4日午後1時半ごろ、自衛隊の飛行機で宮城県の仙台空港に入り、
津波で大きな被害を受けた空港近くの岩沼市の被災現場に訪れた。
岩沼市の井口市長が、ご夫妻に「42人が亡くなった集落です」と説明すると、
皇太子さまは「大変な状況でしたね」と話し、雅子さまは「寒い時期から今まで大変でしたね」と述べ、
お2人そろって被災現場に向かって黙礼された。
このあと、ご夫妻は山元町の小学校と中学校の避難所で、被災者を励まされた。
皇太子さまは「いろいろ大変でしょう」と声をかけ、病気療養中の雅子さまも、
「避難所での生活も何カ月にもなりましたね。お体いかがですか?」と体調を気遣われた。
被災者は「雅子さまの方から手を出して、握手してくれて、すごくうれしかった」と話した。
ご夫妻は、これまでに東京と埼玉の避難所を見舞っているが、
今回の大震災で被災地を訪問されるのは初めてのこと。
(06/04 18:14 仙台放送)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00200810.html

常陸宮妃華子さま、岩手で被災者をお見舞い
2011年6月6日20時1分
常陸宮妃華子さまは6日、岩手県を訪れ、雫石町のホテルに避難している山田町などの
被災者約50人を見舞った。
また「日本動物福祉協会」の名誉総裁として、被災地で保護した犬猫を含め計約250匹を世話している
雫石町の「動物いのちの会いわて」(下机(しもつくえ)都美子代表)を視察し、ボランティアをねぎらった。
http://www.asahi.com/national/update/0606/TKY201106060405.html

常陸宮ご夫妻 八戸、階上訪問
漁港など視察 被災者見舞う
常陸宮ご夫妻は15日、八戸市と階上町を訪問し、東日本大震災で被災した漁港などを視察された。
常陸宮さまは被災者を見舞い、「1日も早く、皆さんの町が、美しく、
安全で平和な町に戻るよう願っています」と声をかけられた。
ご夫妻は同日午前、津波被害にあった階上町の大蛇漁港に到着し、
浜谷豊美町長から防波堤や漁船などの被災状況の説明を受けられた。
被災者には「大変だったでしょう」などとお言葉をかけ、同漁港近くの自宅が流された西村きささん(82)は、
「頑張って下さいと声をかけられ、涙が出ました」と話した。
午後には八戸市市川町浜地区で、津波でなぎ倒されて枯れた防災林をご視察。
小林真市長、三村知事らとともに、防災林の復活を願ってクロマツの苗6本を植樹された。
付近でがれき撤去中の作業員にも「くれぐれも気をつけ、けがのないよう」とお声をかけていた。
自宅が全壊した同地区の吉田久子さん(66)は激励を受け、
「ありがたく、励みになります」と感激の様子だった。
県によると、ご夫妻がそろって来県するのは、2003年2月の「青森冬季アジア大会」以来となる。
(2011年6月16日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aomori/news/20110616-OYT8T00060.htm

住民に「お悔やみ申し上げます」=秋篠宮ご夫妻が被災者激励-福島
秋篠宮ご夫妻は17日、東日本大震災の被災地、福島県いわき市を日帰りで訪れ、被災者を励まされた。
ご夫妻の被災地入りは青森、岩手に続き3県目。27日と7月8日には宮城県を訪れる。
ご夫妻は津波で75人が死亡、10人が行方不明となった平豊間地区を訪れ、海に向かって手を合わせ一礼。
集まった約50人の住民に声を掛けて回った。
亡き父親(77)の骨つぼを持っていた金成大輔さん(37)は
「お悔やみ申し上げます」と声を掛けられ、「父が喜んでいます」と答えた。
続いて、被災した水族館「アクアマリンふくしま」を視察後、
58人が身を寄せる「いわき南の森スポーツパーク」内の避難所を訪問。
津波で自宅が流され、南相馬市小高区から避難している佐藤昌子さん(49)から、
タオルで作った象形のぬいぐるみ「まけないぞう」を受け取った紀子さまは
「とてもかわいいですね。大事にします」と笑顔を見せた。
(2011/06/17-20:49)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011061700472

漁船背に、海に黙礼=秋篠宮ご夫妻が宮城県訪問
秋篠宮ご夫妻は27日、東日本大震災の被災地、宮城県気仙沼市を訪れ、被災者らを見舞われた。
ご夫妻の被災地訪問は青森、岩手、福島に続き4県目。7月8日には再び宮城県を訪れる。
ご夫妻はJR鹿折唐桑駅前を訪れ、津波で打ち上げられた大型漁船や、見渡す限りがれきが続く光景を見た。
その後、漁船を背に海の方を向き、沈痛な面持ちで手を合わせて黙礼した。
続いてご夫妻は、被災した気仙沼魚市場で漁業関係者らと懇談した後、
避難所になっている市立気仙沼小学校を訪問。
秋篠宮さまは「少しでも早く仮設(住宅)に入らないと、
夏になって避難所も過ごしにくくなる」と避難者の体調を心配し、
紀子さまはご自身が総裁を務める結核予防会が派遣し、
同小学校で活動する看護師らに「皆さんに感謝いたします」とねぎらいの言葉を掛けた。
(2011/06/27-18:36)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011062700708

2011年7月
紀子さま涙 奇跡のユリ手渡され ご夫妻で石巻訪問
秋篠宮ご夫妻は8日、宮城県石巻市を訪れ、被災者約120人が避難する市立鹿妻小学校を見舞った。
娘一家が同校に避難している大津安子さん(77)が、黄色いスカシユリの花束を紀子さまに手渡した。
自宅1階が津波に見舞われ、2階で暮らす。庭にあった約100株のほとんどが流されたが、
残った鉢に「大きくなってね」と毎日話しかけて手入れしたところ、この朝最初の一輪が開花したという。
紀子さまは涙をこぼして「きっと言葉が通じたのですね」と話し、花束を持ち帰った。
http://www.asahi.com/national/update/0708/TKY201107080421.html

皇太子さま、山形で避難者お見舞い
2011.7.13 19:49
皇太子さまは13日、山形市で14日に開かれる「第47回献血運動推進全国大会」に出席するため、
新幹線で山形県に入られた。
13日は天童市のホテルで、東日本大震災の避難者約40人が出席して行われた、
名産の将棋駒に字を書く教室を視察された。
津波で死亡した3人の家族の名前を駒に書いた福島県南相馬市の佐藤敬子さん(60)の一家に対し、
皇太子さまは「早く戻れるといいですね」と気遣われた。
皇太子さまから「こちらの学校は楽しいですか」と話しかけられた長男の小学4年、
涼耶君(9)は「優しい人だと思いました」と話した。
皇太子さまはこの日、山形市の特別養護老人ホームもご訪問。宮城県石巻市で震災に遭った
佐藤あやめさん(88)に「たいへんな思いをされましたね」「お体は大丈夫ですか」などと声をかけられた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110713/imp11071319500002-n1.htm

皇太子ご夫妻が福島で仮設住宅お見舞い
2011.7.26 19:44
皇太子ご夫妻は26日、東日本大震災の被災者を見舞うため、福島県郡山市を日帰りで訪問された。
震災で被害が大きかった東北3県にご夫妻で入られたのは、6月4日の宮城県に続いて2回目。
県の仮設住宅316戸が集まる地域も訪問された。
仮設住宅には同県富岡町、川内村の人たち約700人が身を寄せる。
皇太子さまは富岡町で酒店を経営していた夫婦に「仮設の方はどうですか」と話しかけられた。
これまでに避難所などを3カ所回ったと聞くと、「原発の関係ですか」と尋ねられた。
皇太子妃雅子さまは「あの揺れは初めてでした」と振り返った富岡町の渡辺きん子さん(60)に、
「びっくりしますね。東京も揺れました」と返された。
ご夫妻はこれに先立ち、両町村などからの避難者が身を寄せる「ビッグパレットふくしま」もご訪問。
避難者だけでなく、入り口付近に集まった人たちに対しても丁寧に言葉をかけられた。
雅子さまが相手の手を握ったり、目に涙を浮かべたりされる場面もあった。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110726/imp11072619500003-n1.htm

2011年8月
皇太子ご夫妻、岩手見舞う=仮設住宅の被災者と懇談
時事通信 8月5日(金)18時55分配信
皇太子ご夫妻は5日、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県大船渡市を日帰りで訪れ、
仮設住宅で暮らす住民を見舞われた。ご夫妻の被災地訪問は宮城、福島に続き3県目。
ご夫妻は羽田空港発の自衛隊機で花巻空港に到着後、ヘリで大船渡市入り。
多くのがれきが残る大船渡町地ノ森地区で中心街に向かって黙礼した後、約190人が暮らす仮設住宅を訪れた。
皇太子さまから「これからどうやって生活をしていきますか」と尋ねられた中学2年の斎藤雄仁君(13)は
「救われた命を大事にしていきたい」と答えた。
雅子さまは、目の不自由な菅原とみ子さん(55)の両手を握り、「おつらかったでしょう」と励ました。
仮設住宅訪問に先立ち、ご夫妻が保育園児に歩み寄る場面も。
「(津波で)じいちゃんばあちゃん死んだ」と無邪気に話す男の子に、
皇太子さまは「残念だったね」と声を掛けた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110805-00000105-jij-soci

両陛下、都営住宅の被災者をお見舞い
2011年8月8日 12:09
天皇・皇后両陛下は8日午前、東日本大震災の被災者を見舞うため、東京・板橋区の都営住宅を訪問された。
板橋区成増の都営住宅には、福島県や宮城県から43世帯95人が避難している。
両陛下は、集会所に集まった被災者一人一人に「元気でね」「お大事にされてくださいね」
とねぎらいの言葉をかけて回り、 皇后さまが生後8か月の乳児の顔に触れながら、
やさしく話しかけられる場面もあった。
また、見舞いの後、被災者の生活を支援する地域の人たちとも懇談された。
http://news24.jp/articles/2011/08/08/07188168.htm

常陸宮ご夫妻が福島お見舞い
2012.1.17 17:19
常陸宮ご夫妻は17日、福島市松川町の仮設住宅を訪問し、
福島第1原発の事故で避難している飯舘村の人々を見舞われた。
東日本大震災以降、ご夫妻が福島県を訪問されたのは初めて。
常陸宮さまは「一番大変なのはどういうところですか」と被災者に声をかけ、菅野典雄村長に対しても
「田んぼの除染は難しいですか」と尋ねられた。
常陸宮妃華子さまは地元の漬け物の話をした荒サキイさん(74)に
「早く安心して故郷で料理を作れるといいですね」と話された。
常陸宮さまは別れる際、「この寒さに負けないで、明るい、平穏な暮らしができる日を待っていてください。
日本中、世界中の人も願っています」とお言葉を述べられた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120117/imp12011717190001-n1.htm

常陸宮様お言葉全文
みなさん、昨年3月11日の東日本大震災により、
想定をはるかに超える地震や津波で、福島県は大きな被害を受けました。
その上、原子力発電所の事故により、長年住み慣れた我が家に帰ることもできず、
不安と困難な避難生活の日々を余儀なくされています。
私は近いうちに、健康で、安心して故郷に戻れる日が来ることを心から願っています。
ご当地はいま、厳しい、寒い日が続いています。
どうかみなさんはこの寒さに負けないで、明るい、平穏な暮らしができる日を待っていてください。
日本中、世界中の人も願っています。きょうお会いできてうれしく思いました。

仮設の被災者を激励 常陸宮ご夫妻が訪問 多賀城
常陸宮ご夫妻は8日、東日本大震災の被災地見舞いのため宮城県多賀城市を訪れ、
市内の仮設住宅で暮らす被災者を激励された。
ご夫妻は、160世帯が入居する多賀城公園野球場仮設住宅団地内の集会所で約30人と懇談。
「寒くはないですか」「生活は不便ではないですか」と声を掛けた。
華子さまは、出席した女性に「仮設住宅で近所の方は、震災前と同じ近所の方ですか」と質問。
女性が「初対面の人ばかりです」と答えると「この集会所で知り合いや相談する人ができるといいですね」と励ました。 
津波襲来時の様子を尋ねられた沼田勝さん(68)は終了後、
「目の前で話ができ、うれしい。これからの生活の励みになります」と話した。
ご夫妻は仮設住宅訪問に先立ち、市内の被災状況を視察。
津波で境内にあった杉約1000本が全滅した八幡神社で、菊地健次郎市長から被害の説明を受けた。
神社総代の鈴木邦彦さん(67)は「直接言葉を掛けてもらい感激した。励ましを糧に復興に取り組む」と語った。
河北新報
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/02/20120209t15007.htm  

両陛下が被災者お見舞い 仙台の仮設住宅訪問
2012.5.13 13:16
天皇、皇后両陛下は13日、仙台市若林区の仮設住宅を訪れ、
東日本大震災の被災者にお見舞いの言葉を掛けられた。
訪問した住宅は194戸に約380人が入居。津波被害が激しかった同区の荒浜地区の住民が多い。
天皇陛下は集まった住民らに「どうですか。冬はずいぶん寒くて大変だったでしょう」と声を掛けた後、
約30分間、皇后さまと住宅を歩いて回った。
津波で両親と妹が亡くなったという住民の三浦洋子さん(35)は「亡くなった母が皇后さまを大好きで、
今日会えたらどれだけうれしかったか」と話すと、皇后さまは「たくさんの思い出があるのね」と慰めの言葉を掛けた。
続いて両陛下は、仮設住宅の集会所で町内会の役員らと懇談し、被災者の支援状況を聞いた。
両陛下は午後、仙台市内で化学分野の国際会議の開会式に出席し、帰京する。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120513/imp12051313170002-n1.htm

震災関連 記事1

皇太子ご夫妻、ウィリアム王子結婚式出席見送り
宮内庁の野村一成・東宮大夫は18日、皇太子ご夫妻が、
4月29日に行われる英国・ウィリアム王子の結婚式への出席を見送られたと発表した。
英国王室から招待を受けていたが、野村大夫によると、
東日本巨大地震の被害が甚大で、国内が未曽有の危機にあるためで、
ご夫妻は被災地の悲惨な状況に深く心を痛め、
「せっかくのご招待だが、お断りせざるを得ない」と判断されたという。
18日、英国王室に伝えられた。ご夫妻は、お住まいの東宮御所のブレーカーを
一定時間落とすなど節電にも協力されているという。
(2011年3月18日19時10分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110318-OYT1T00808.htm?from=main6

【東日本大震災】
那須御用邸の風呂を開放 両陛下のご意向で
2011.3.24 15:48
宮内庁は24日、両陛下や皇族方が静養に使われている那須御用邸(栃木)で職員が使用している風呂を、
近隣地域にいる東日本大震災の避難者に開放すると発表した。
また、同県の御料牧場で保管している卵約1千個や缶詰、野菜などを避難所に提供する。
いずれも、両陛下のご意向を受けて決めたという。
(後略)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110324/imp11032415490001-n1.htm

両陛下は毎日「自主節電」 東電の計画停電に合わせ
宮内庁は24日、天皇、皇后両陛下が福島第一原子力発電所事故に伴う東京電力の計画停電に合わせ、
皇居・御所で15日以降毎日、自主節電を続けていることを明らかにした。
羽毛田信吾長官らによると、御所では計画停電の第1グループに合わせて自主的に電源を切っている。
17、18、22、23日は1日2回実施。東電が停電を見送った場合も実施しているという。
羽毛田長官によると、天皇陛下からは「大勢の被災者、苦しんでいる人たちがおり、
電源すらない人もいる。私の体調を気遣ってくれるのはありがたいが、寒いのは厚着をすればいいだろう」
「いつこういう事態があるかわからないし、こういうことはやってみないとわからないから、
学ぶ機会ではないか」という趣旨の発言があったという。
[朝日新聞]2011年3月24日18時56分
http://www.asahi.com/national/update/0324/TKY201103240364.html

御用邸の風呂、被災者へ提供 秋篠宮さまらタオル袋詰め
2011年3月26日10時20分
那須御用邸(栃木県那須町)の職員宿舎の温泉風呂が
東日本大震災で同県に避難した人たちに26日から提供されるのを前に、
宮内庁職員と皇宮警察の護衛官から集まったタオル計約3400枚が25日までに運び込まれた。
同庁によると、タオルの袋詰め作業には、秋篠宮妃紀子さま、長女眞子さま、次女佳子さまも参加。
同庁本庁舎で24日午後、職員と一緒に1時間半ほどかけて1セットずつポリ袋に詰めたという。
http://www.asahi.com/national/update/0325/TKY201103250533.html

天皇、皇后両陛下が都内の避難所お見舞い
天皇、皇后両陛下は30日、福島県いわき市などから避難した
約300人が身を寄せる東京都足立区の東京武道館を訪れ、激励の言葉を掛けられた。
東日本大震災で、両陛下が避難所をお見舞いするのは初めて。
都によると、東京武道館では17日から被災者や原発事故から避難する人々の受け入れを始めた。
1995年の阪神大震災や2004年の新潟県中越地震で、
両陛下は発生の2週間ほど後に被災地入りし、避難所を回った。
今回の大震災は被災地が広範囲にわたり、甚大な被害の全容がまだ明らかになっていないことから、
被災地訪問の時期は決まっていない。
2011年3月30日 15:58
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/03/30/kiji/K20110330000530990.html

天皇皇后両陛下、東日本大震災の被災者が身を寄せる東京都内の避難所を訪問される
フジテレビ系(FNN) 3月30日(水)17時37分配信
被災者が身を寄せる東京都内の避難所を30日午後、天皇皇后両陛下が訪問された。
避難所では、直接、被災者に対して励ましの声をかけられた。
午後3時30分すぎ、天皇・皇后両陛下が、避難所となっている東京・足立区の東京武道館に到着された。
この避難所では、福島県などで被災したおよそ300人が、不自由な避難生活を余儀なくされている。
天皇陛下が「どちらから?」と尋ねられると、避難している人は「福島県いわき市からです」と答え、
天皇陛下は、「皆さん大丈夫だったんですね」と声をかけられた。
1人ひとりの前でひざをつき、声をかけられた両陛下。
天皇陛下が、「おうちの方は?」と尋ねられると、避難している人は「大丈夫です」と答え、
天皇陛下は、「ずいぶん心配されたでしょう」と声をかけられた。
両陛下は、長引く避難生活を気遣い、震災で心が傷ついた被災者の言葉に耳を傾けられた。
天皇陛下は、今回の大震災の甚大な被害に心を痛め、震災直後に異例のビデオメッセージを寄せられている。
天皇陛下は、ビデオメッセージで「被災者の状況が少しでも好転し、
人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません」と述べられた。
そして、「ささやかでもお役に立ちたい」という両陛下のお気持ちを受け、
宮内庁は栃木県の御料牧場でとれた卵や野菜などを避難所に提供し、
那須御用邸の職員用の入浴施設を被災者に開放した。
被災地では、復興作業などを優先すべきとのお考えから、都内の避難所を訪問された両陛下だが、
1日も早く被災地を訪れ、お見舞いすることを強く希望されているという。
最終更新:3月30日(水)17時37分
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20110330-00000309-fnn-soci

天皇・皇后両陛下に続き、皇太子ご夫妻も近く東日本大震災の被災者をお見舞いされることになりました。
宮内庁によりますと、皇太子ご夫妻は被災した人々を日々案じながら過ごし、
避難所をお見舞いしたいとの意向を持たれているということです。
先月30日には天皇・皇后両陛下が東京都内の避難所をお見舞いされていますが、
宮内庁は出来るだけ早く皇太子ご夫妻が都内にある別の避難所を訪問できるよう、日程などを調整しています。
また、秋篠宮ご夫妻も震災後は眞子さまや佳子さまと一緒に地震や救援活動の専門家から説明を聞いたり、
節電に協力されていますが、来週以降、東京周辺の避難所をお見舞いすることを検討されているということです。
(01日21:32)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4689540.html

読売新聞 日曜版 4月3日 2面「皇室ダイアリー」
No.90  両陛下
東日本巨大地震に伴う東京電力の計画停電は、管内を5グループに分けて3月14日夕から始まった。
首都機能が集中し、皇居もある東京都心は対象に含まれていないが、
天皇、皇后両陛下は御所を「第1グループ」とみなし、毎日、計画停電に合わせて自主的に停電を続けられている。
第1グループで初めて実施された15日は午後3時半~5時半、16日は午後零時半~2時半、
17日は午前9時半~11時半と午後5時~7時……。
この間、ブレーカーを落とし、照明も、暖房も消える。
1回2時間。暗い部屋で寒さをこらえ、夜の場合はろうそくの灯で夕食をとられている。
宮内庁の羽毛田信吾長官によると、周囲が「そこまでされなくても」と体調を案じても、
天皇陛下は「苦しんでいる人がおり、自分の気持ちとしてそうしたい。
寒さは厚着をすれば大丈夫」と話し、「災害時にどう対応すればいいかを学ぶ機会でもある」と、
前向きな考えも示されたという。
皇后さまも徹底している。停電が近づくと女官に教えてもらい、
腕にリストバンドをはめて、何かに集中して開始をやり過ごすことのないようにされている。
「困難を分かち合いたい」。日々の耐える時間をお二人は大事にされている。
(編集委員 井上茂男)


文藝春秋2011年5月号
天皇皇后両陛下の祈り 川島裕侍従長
3月11日午後。両陛下は蓮池参集所で3団体の奉仕団の労をねぎらい、
厩舎で伊勢神宮に献進される神馬をご覧後、今上は執務室で公務の準備、
皇后陛下は御座所・芳菊の間まで今上をお送りになり御所へ戻られるところ。
揺れを感じられた陛下はテレビのスイッチを入れ、
皇后陛下は廊下を隔てた前庭に面するガラス戸を少し開けて出口を確保。
部屋の棚に並べてある各国元首の写真立てが倒れ始め、陛下は皇后陛下を伴われて前庭中ほどへ。
ひと落ち着きして部屋に戻られた皇后陛下は女官や職員と手分けして
飾り皿や花瓶を床に下ろし始めたところ再び揺れ、お庭へ。
皇后陛下。御所へお戻り間際に勤労奉仕団、参観者の安否確認を侍従に依頼。
テレビをご覧の陛下。10メートルの津波警報に職員と共に息をのみ、H5年7月の北海道南西沖地震の際、
沖に出ていたイカ釣り漁船が無事戻ってきたことを思い起こされ
「沖合まで出られれば大丈夫」と祈るように述べられる。
11日夜、帰宅困難となった一部の勤労奉仕団約60名が窓明館に宿泊。
帰宅できずに二名態勢になった侍医ひとりが皇后陛下の依頼を受け館を訪問。
夕刻までには皇族・旧皇族全員の無事を確認。お子様方・各宮家からの電話。
同夜、スペイン・ソフィア王妃よりお見舞いの電話を皮切りに、各国元首からの電報が到着。
12日、両陛下6時起床。7時朝食。これまでの災害ではお見舞いの言葉は災害発生県の知事に
伝えていたが、今回は広範囲・甚大な被害であることから総理大臣へ伝えるご判断。
7時半、皇后陛下、窓明館訪問。8時頃出発予定だった大学生の一団を見舞い、
体調不良の学生1名が宮内庁病院で休めるよう手配依頼。
前日本看護協会会長、南祐子氏から電話報告。
午後3時36分。福島第一原発一号機爆発。両陛下のご意向を受け、今後お会いになる人々と連絡を取り合う。
13日。6時起床。散策後朝食。今後の対応をいろいろ検討するようご指示。
計画停電に御所でも遭わせてはどうかとご示唆。
庁内より発見された蝋燭立ては旧帝国海軍艦艇内で使用されたらしい。
被災地訪問についてはこれまでは知事の判断に信を置いてきたが、
今回は忙殺されている関係各所へのさらなる負担にならぬよう今後の日程調整。
行事予定についても警備当局に更なる負担を掛けぬよう見直し。
武蔵野陵参拝、御料牧場へのご静養、園遊会は取りやめ。
14日、羽毛田長官とともにお召し。ワーキングランチ。宮殿の原則閉鎖など3点を決定。
千代田区は計画停電区域外だが、ノルマが課されていないということは
逆に自分を厳しく律していくということ、また皆と分かち合うという意味でも自主的に停電を実施。
同夜、参与始め御用掛、長官、筆者の計7名と会食。
15日、6時起床。両陛下午前中、御所にて田中俊一前原子力委員会委員長代理より説明。
午後、安藤隆春警察庁長官より衛星写真も使っての報告。
同日、陛下はご自身の気持ちを国民に伝えたいお考えを長官、筆者に相談。
ビデオレターの作成を決定。皇后陛下と話し合われながらお言葉の作成。
午後3時半から5時半まで自主停電。
皇后陛下、陛下のご心労を案じて願われ、4時半からお二人で30分ほど戸外散策。
16日 午後2時頃、ビデオ収録時間のセット。3時、収録開始。4時半、各局一斉に放映。
収録後、宮川清東京大学院医学系研究科教授から放射線被曝についての説明。
陛下、放水作業のニュースを成功をご念じながら熱心にご覧。
久常節子日本看護協会会長、皇后陛下へ、被災地に赴く看護師が携帯する「緊急被ばく医療」に関する冊子お届け。
同夜、来日中の根岸英一夫妻と会食。
17日 両陛下、日赤社長・同副社長から報告聴取。
午後、5月の植樹祭日程ついて総務課長・担当侍従とご相談。大幅な短縮日程。
二度の自主停電。30分の散策。同夜、官房副長官任命式。
18日 6時半からの自主停電に合わせて両陛下は散策へ。
8時51分、ニュージーランド地震犠牲者への黙祷。午後、海上保安庁長官より報告聴取。
皇后陛下、国際日本語普及協会・西尾珪子氏に在日日系人の安否確認の現状について電話でお尋ね。
EPA関係で来日中の看護師研修生についても早くよりご案じ(23日、看護協会より全員無事との回答)。
両陛下はこれから長きにわたり、この厄災を被った人々に思いをお寄せになり、日々を送られることと思う。
本稿は、厄災発生からの一週間に絞って記すこととした次第である。


天皇陛下使用の車に2千万円=タイで競売、震災被災者に寄付
【バンコク時事】天皇、皇后両陛下が2006年、タイのプミポン国王即位60年記念式典に
出席された際に使用した車の競売が5日、バンコク近郊で行われ、
750万バーツ(約2000万円)で落札された。収益の3割は洪水被害のあったタイ南部、
残りが日本の震災被災者に寄付される。
時事ドットコム(2011/04/05-21:19)

皇太子ご夫妻、避難所で被災者を激励
皇太子ご夫妻は6日、東日本大震災の被災者約130人が避難している
味の素スタジアム(東京・調布市)を訪れ、被災者を励まされた。
お見舞いは約30分間の予定だったが、ご夫妻がそろって床に正座し一人一人の話に耳を傾けたり、
被災者の求めで写真撮影に応じられたりする場面もあり、1時間を超えた。
家族4人で避難している福島県浪江町の高松アイ子さん(83)は、
雅子さまに「お体を大切に」と声をかけられたといい、「優しい言葉がありがたかった」と話した。
同県富岡町の小林順子さん(39)は、
「これまでこらえていたものが、(ご夫妻に)話を聞いてもらってほぐれた」と涙を浮かべていた。
雅子さまは病気療養中で、今回のお見舞いは昨年10月以来の公的な外出。
ご夫妻で被災者を見舞われるのは、阪神大震災で兵庫県を訪問された1995年3月以来。
(2011年4月6日19時59分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110406-OYT1T00930.htm

秋篠宮ご夫妻が避難所ご訪問
2011.4.7 18:50
秋篠宮ご夫妻は7日、東日本大震災の被災者を見舞うため、東京都の避難所の一つ、
東京ビッグサイト(東京都江東区)を訪問された。ご夫妻は避難所の共用スペースで、
被災者一人一人に「体調はいかがですか」「早く落ち着いた生活ができることを願っています」と励まされた。
子供用のおもちゃがあるキッズスペースでは、
秋篠宮妃紀子さまが、子供たちと電子ピアノを演奏される場面もあった。
南相馬市の飲食店経営、斎藤祥市さん(32)は
「みんなで少しずつがんばっていきましょうと励ましてもらい、非常に勇気づけられた」と話した。
妊娠中の妻、早也香さん(26)は「紀子さまから、こちらでも産めるところはいっぱいあるので、
安心して産んでくださいと気遣っていただきました」と話していた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110407/imp11040718530003-n1.htm

東日本大震災 秋篠宮ご夫妻、都内の避難所ご訪問
秋篠宮ご夫妻は7日午後、東日本大震災の被災者のお見舞いのため、都内の避難所を訪問された。
また、ご夫妻は、那須御用邸の職員用の風呂を利用する被災者のためにタオルを寄付し、
紀子さまや眞子さま、佳子さまも、職員らとともにタオルの袋詰め作業に参加されたという。
(04/07 18:55)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00196860.html

両陛下が集団避難の町民お見舞い
天皇、皇后両陛下は8日、東日本大震災に伴う福島第1原発事故で、
埼玉県加須市の旧県立高校に集団避難した福島県双葉町の住民を訪ね、激励の言葉を掛けられた。
第1原発がある人口約7千人の双葉町からは大勢の町民だけでなく役場機能や議会も、
さいたまスーパーアリーナにまとまって避難。
3月末からは埼玉県の紹介で加須市の廃校になった校舎に移った。現在は約1400人が暮らしている。
東北から千葉にかけての被災地にもできるだけ早く足を運び、被災者を励ましたいとの強い意向が両陛下にあり、
宮内庁が各県と日程を調整している。皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻も6日から7日にかけ、
東京都内に避難する人々を見舞った。
[ 2011年4月8日 16:45]
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/04/08/kiji/K20110408000588040.html

秋篠宮ご夫妻、新潟の避難所へ=宮内庁
時事通信 4月8日(金)19時42分配信
東日本大震災で、宮内庁は8日、秋篠宮ご夫妻が14日にも新潟県内の避難所を訪問されることを明らかにした。
宮内庁によると、ご夫妻は不自由な生活を強いられている被災者を大変心配しており、
お住まいの秋篠宮邸ではできる限り節電を心掛けながら過ごしているという。
ご夫妻は7日、東京都江東区の東京ビッグサイトを訪問し、被災者を見舞っている。 
最終更新:4月8日(金)19時42分
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20110408-00000112-nnn-soci

両陛下が千葉・旭市を訪問 初の被災地入り
< 2011年4月14日 18:43 >  
天皇・皇后両陛下は14日、東日本大震災で被災した千葉・旭市を訪問し、
避難所でのお見舞いや津波被害を受けた地域の視察を行われた。両陛下が被災地に入られるのは初めて。
旭市では、今回の震災で13人が死亡、約250人が市内4つの避難所で生活している。
両陛下は、2か所の避難所を訪れ、被災者一人一人に声をかけられた。
また、津波の被害が大きかった横根地区を視察し、黙礼をささげられた。
両陛下は、ゴールデンウイーク前後には宮城、岩手、福島の各県を訪れることも検討されているという。
また、秋篠宮ご夫妻も14日、新潟・長岡市の避難所を訪問された。
ご夫妻は被災した人に声をかけ、避難所での作業や住民ボランティアの活動などを視察された。
http://www.news24.jp/articles/2011/04/14/07180946.html

秋篠宮ご夫妻、原発避難住民を慰問 新潟の2市
秋篠宮ご夫妻は14日、東日本大震災や東京電力福島第一原発の放射能漏れ事故で、
新潟県長岡、小千谷両市に避難している被災住民を慰問に訪れた。
福島県南相馬市や浪江町など6市町の12世帯40人が生活する長岡市の健康福祉施設
「志保の里荘」では、被災住民が仮設住宅の屋根に使われる部品の組み立ての様子などを視察し、
紀子さまが「大事な部品を作っていただき、ありがとうございます」などと声をかけ、
一緒に組み立てる一幕もあった。
夫(72)ら5人で避難生活を送る福島県双葉町郡山の農業細沢政子さん(73)は、
自宅が流されたことを話しているうちに涙ぐみ、紀子さまからティッシュを差し出される場面も。
細沢さんは「両手で握手され、頑張ってくださいとやさしく声をかけられてありがたかった。
少し気持ちが落ち着いた」と話した。
53世帯115人が暮らす小千谷市総合体育館では、
被災者と一緒に押し花のはがきを作り、館内の避難者を回って生活ぶりなどを尋ねた。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104140291.html

両陛下・皇太子ご夫妻ら、発生時刻に黙とう
読売新聞 4月11日(月)18時53分配信
天皇、皇后両陛下は11日、東日本大震災が発生した午後2時46分に、
犠牲者への哀悼の意を示し冥福を祈るため、皇居・御所で黙とうされた。
皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻も東宮御所や宮邸で黙とうされた。

東日本大震災:秋篠宮ご夫妻 新潟の避難所を慰問
秋篠宮ご夫妻は14日、震災被災者が身を寄せている新潟県長岡市と小千谷市の避難所を訪れた。
長岡市では、福島県南相馬市民ら約40人が避難する健康福祉施設「志保(しお)の里(り)荘」を訪れ、
避難者らによる仮設住宅の部品組み立て作業を見学。
同県双葉町の女性(73)が被災時を思い出して涙を流すと、
紀子さまは背中をさすりながら「つらいでしょうが、頑張ってください」と励ました。
小千谷市総合体育館では、避難者と住民らによる押し花教室を見学。
秋篠宮さまは一緒に押し花づくりをした。【岡村昌彦】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110411-00000865-yom-soci

両陛下、被災現場の前で黙礼 初の被災地入り、住民慰問
2011年4月14日23時25分
天皇、皇后両陛下は14日、東日本大震災で津波の被害を受け、13人が亡くなった千葉県旭市を訪れた。
被災地の訪問は今回が初めてで、両陛下は犠牲者が出た場所の前に立ち、黙礼した。
今後、岩手、宮城、福島、茨城の4県の被災地を歴訪する。
両陛下はこの日、多くの家屋が全半壊し、死者・行方不明者が4人出た飯岡地区で視察のバスを降りた。
「ありがとうございます」と呼びかける住民に歩み寄り、「みなさんがお元気で良かったです」。
「お元気ですか」「怖かったでしょう」と声をかけられた同地区の磯村冨美子さん(64)は、
やり取りの後、「本当によく来てくださいました。余震が続き不安だったが、元気が出ました」と話した。
両陛下は、同市の2カ所の避難所も慰問に訪れた。その一つ、海上(うなかみ)公民館で
天皇陛下は、「生まれて初めて恐ろしい思いをしました」と話す八本千恵子さん(79)に
「お体の方は大丈夫ですか」と語りかけた。
皇后さまは、足が不自由で隅の方に一人でいた伊藤とみさん(84)に気づいて小走りで駆け寄り、
「よく無事でいてくださいました。おつらいでしょうね」と語りかけた。
明智忠直市長は「住民が元の生活に戻るための元気が出る思いがした。
被災現場で黙礼をしていただいたことにも感動しました」と話した。
秋篠宮ご夫妻もこの日、新潟県の長岡、小千谷両市に避難している被災者を慰問した。
12世帯40人が生活する長岡市の健康福祉施設・志保の里荘では、福島県双葉町から夫らと避難してきた
細沢政子さん(73)が自宅を流されたことを話しているうちに涙ぐみ、
紀子さまがティッシュを差し出す場面も。細沢さんは「両手で握手してくださり、頑張ってくださいと
優しく声をかけていただいてありがたかった。少し気持ちが落ち着きました」と話した。
http://www.asahi.com/national/update/0414/TKY201104140479.html?ref=any

皇室ウイークリー(175)
両陛下、膝をつき、手を握ってお見舞い 愛子さまもご黙祷
2011.4.16 07:00
(略)
14日、両陛下は東日本大震災の津波で13人が死亡した千葉県旭市を訪問し、
被災地をバスで視察するとともに、避難所2カ所を回って被災者を励まされた。
避難所ご訪問は3月30日の東京武道館(東京都足立区)、4月8日の旧騎西高校(埼玉県加須市)に続き3回目。
被災地に直接入られるのは初めてとなった。
秋篠宮ご夫妻も同日、新潟県を日帰りで訪問し、長岡市と小千谷市の避難所で被災者を見舞われた。
長岡市では仮設住宅の部品の組み立て作業を手伝われる場面もあったという。
避難所の居住スペースで両陛下は、側近からスリッパを勧められてもはかずに、
床に膝をついたり、正座したりしながら、一人一人に声をかけて回られた。
被災者の手を優しく握って励まされることも多く、涙を浮かべる人も少なくなかった。
過去の訪問では、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻も両陛下と同様、被災者と同じ目線になって、声をかけられた。
携帯電話のカメラで記念撮影に応じられる場面もたびたび見られた。
今週までに、両陛下と皇族方が避難所訪問に費やされた日数は、
両陛下3日(東京、埼玉、千葉)、皇太子ご夫妻1日(東京)、
秋篠宮ご夫妻2日(東京、新潟)の計6日を数えている。
皇太子ご夫妻の長女、敬宮愛子さまは小学4年生に進学し、
9日、学習院初等科(東京都新宿区)の始業式を迎え、式典にも出席された。
ほかのクラスの児童も集まる始業式、終業式などの学校行事に出席されたのは、
登校の不安が明らかになった昨年3月以降初めてとみられると報じたが、
宮内庁の野村一成東宮大夫の15日の定例会見によると、
愛子さまは、3月に行われた「6年生を送る会」には出席されていた。
野村東宮大夫によると、愛子さまは震災から1カ月となる11日、
皇太子ご夫妻と同様に黙●(=示へんに寿の旧字体)(もくとう)をささげられたという。
愛子さまは、ご自身でつけられている日程に「黙●(=示へんに寿の旧字体)」と書くなど、意識して臨まれたという。
書かれた文字が漢字かどうかは明らかになっていない。
また、野村東宮大夫は、皇太子妃雅子さまが避難所を訪問されたことについて、
雅子さまの担当医が「(雅子さまにとって)よかったのではないか」という感想を話していたことを明らかにした。
(略)
震災以降は、外出を伴う両陛下や皇族方の予定の多くが中止になった一方で、
現地に入った政府、医療、自衛隊などの関係者から説明を聞かれるといった、震災関係の予定が多数追加されている。
天皇、皇后両陛下は3月5日、国立劇場(東京都千代田区)で、琉球芸能公演「組踊と創作舞踊」の第2部として
上演された組踊「二童敵討(にどうてぃちうち)」を観賞された。
陛下は3月9日、セルビアのタディッチ大統領と皇居・宮殿で会見し、
午餐(昼食会)に臨まれた。午餐には皇太子さまと常陸宮さまが同席された。
宮内庁では今回から、会見と午餐の間に10分間の休憩を設けるようになった。
会見と午餐を合わせると2時間を超える“長丁場”となるが、これまでは続けて行われていたという。
皇室の国際親善を担当する式部職は「賓客のためにも調節時間が必要と判断したもので、
去年から検討していた。陛下のご負担軽減が主たる目的ではない」と強調した。
「調節時間」とは「お手洗い休憩」を意味するといい、
これまでもゲスト側から午餐の前に休憩したいという申し出がたびたびあったそうだ。
「余計なことを考えずに、心おきなく食事ができるように」との配慮だという。
宮内庁は3月14日、4月28日に東京・元赤坂の赤坂御苑で開催予定だった春の園遊会を取りやめると発表した。
震災を受け、主催する両陛下が決定されたという。
また、宮内庁は節電のために当分の間、信任状捧呈式と認証官任命式以外では
原則として皇居・宮殿を使用しないことを決めた。両陛下のお気持ちに沿った措置という。
陛下は3月16日、東日本大震災の被災者や国民に向け、ビデオを通じてお言葉を発表された。
陛下がビデオでお気持ちを述べられるのは初めてだった。
陛下は「一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています」と被災者を案じ、
東京電力福島第1原子力発電所の事故について
「関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています」と述べられた。
宮内庁は3月18日、皇太子ご夫妻に招待状が届いた英王室のウィリアム王子と
ケイト・ミドルトンさんの結婚式について、ご夫妻の意向で欠席されることになったと発表した。
宮内庁によると、ご夫妻は被災した国民に心を寄せ
「せっかくのご招待ではあるがお断りせざるを得ない」と考えられたという。
宮内庁は3月26日から、両陛下や皇族方が静養に使われている那須御用邸(栃木)で職員が使用している風呂を、
近隣地域にいる東日本大震災の避難者に開放した。
秋篠宮妃紀子さまと長女の眞子さま、次女の佳子さまは3月24日に宮内庁庁舎を訪れ、
宮内庁職員や皇宮警察職員から集まったタオルの袋詰め作業に参加されたという。
また、同県の御料牧場で保管している卵や缶詰、野菜なども避難所に提供した。
いずれも、両陛下のご意向を受けて決めたという。
一方、宮内庁によると、両陛下は東日本大震災の被災地に思いをはせ、
「国民と困難を分かち合いたい」として、
3月15日にお住まいの皇居・御所の電気を一定時間使わない「自主停電」を始められた。
今週も続けられている。
宮内庁によると、眞子さま、佳子さまは3月30日、宮邸で、秋篠宮ご夫妻といっしょに、
外務省国際法局長から東日本大震災に対する諸外国の対応について進講を受けられた。
翌31日にも、京都大学名誉教授から地震学全般について進講を受けられた。お二方は春休み中だった。
4月6日には、秋篠宮ご夫妻と眞子さまで、日本赤十字社社長らから説明を受けられた。
最後に、宮家のご動静を、今週分も含めて振り返る。
紀子さまは3月6日、学習院女子中・高等科(東京都新宿区)を訪れ、
「学習院女子中・高等科創立125周年記念式典」に臨まれた。
常陸宮妃華子さまも同席された。華子さまは新校舎の視察もされた。
紀子さまは3月6日、国立劇場(東京都千代田区)で、
琉球芸能公演「組踊と創作舞踊-おきなわ芸能の今、そしてこれからIII-」を鑑賞された。
秋篠宮さまは3月8~11日の日程でタイを訪問された。鶏と人との関わりの歴史を研究した業績などにより、
カセートサート大、チェンマイ大から名誉博士号が贈られた。
秋篠宮ご夫妻は3月18日、結核予防会の専務理事らから、
東日本大震災の被災地支援などについて説明を受けられた。
同日、恩賜財団母子愛育会会長らからも、東日本大震災への対応について説明を受けられた。
紀子さまは3月25日、宮邸で、「第14回秩父宮妃記念結核予防功労賞」の国際協力功労賞受賞者に、
表彰状を贈呈された。表彰されたのはハイチで活動しているクリスト・ロア宣教修道女会の医師。
表彰式のため一時帰国しており、急遽(きゅうきょ)、宮邸で表彰状が授与された。
その後、秋篠宮さまと眞子さま、佳子さまも加わり、医師から結核対策などの活動について説明を受け、懇談された。
4月11日、秋篠宮ご夫妻は宮邸で、インドネシアに赴任する大使夫妻と懇談された。
13日、秋篠宮さまは山階鳥類研究所(千葉県我孫子市)で、所員会議に出席された。
常陸宮ご夫妻は4月6日、宮邸で、エルサルバドルに赴任する大使夫妻とご懇談。
15日にも宮邸で、ペルーに赴任する大使と懇談された。
三笠宮ご夫妻は3月9日、赤坂御用地内の宮邸で、離任する駐日トルコ大使と懇談された。
寛仁親王殿下は3月6、7の両日、北海道をご訪問。第82回宮様スキー大会国際競技会に臨まれた。
勤務先の立命館大学衣笠総合研究機構の業務のため、1月下旬から英国を非公式訪問していた
寛仁親王殿下の長女、彬子さまは3月30日、成田空港に帰国し、
同日夜、引き続き米国ハワイへ出発された。4月5日に帰国された。
寛仁さまは4月10、11の両日、愛知県をご訪問。
「とよた光の里ウェルフェア・コンサートXVIII」に臨まれた。
寛仁親王妃信子さまは4月9日、56歳の誕生日を迎えられた。
高円宮妃久子さまは3月4日、ヒルトン東京(東京都新宿区)で、
「ジャパン・スイス・スプリング・ボール2011」に臨まれた。
久子さまは3月11、12の両日、
「2011フラワードーム プレミアム~あいち花フェスタ・名古屋国際蘭展」開会式ご臨席のため、
愛知県を訪問された。
昨年8月中旬から行われていた高円宮邸の改修工事が終了し、久子さま、長女の承子さま、
次女の典子さま、三女の絢子さまは3月30日、仮住まいをしていた赤坂東邸から宮邸に戻られた。
宮邸へのご帰還に先立ち、同日、故高円宮の霊代を赤坂東邸から宮邸に移す儀式が執り行われた。
承子さまは3月8日、25歳の誕生日を迎えられた。
典子さまは3月20日、学習院大学(東京都豊島区)を訪れ、卒業証書を受け取られた。
震災のため卒業式は中止になった。今後、成年皇族として活動されるという。
久子さまは4月6日、宮邸で、日本水難救済会会長らと懇談された。
11日には日本セーリング連盟会長と、14日には日本ホッケー協会会長とも、それぞれ宮邸で懇談された。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110416/imp11041607010002-n1.htm

産経新聞「論壇」5月号
論説委員の石井聡
「国民が再起する『仕組み』」平成23年4月17日
宮内庁のホームページに「両陛下『お見舞い』に胡座で応じた避難者に誰か礼儀を」という
週刊新潮の記事に関するコメントが載っている。
天皇、皇后両陛下は日頃から「正座のしづらい人には決して無理をさせないように」と指示されているという。
関係者が心苦しく思うことがないよう、宮内庁を通じて配慮が示されたに違いない。
未曾有の大震災や原発事故の全体像が見え始めた3月16日、天皇陛下はNHKを通じて
国民を励ますお言葉をビデオメッセージとして発せられた。
「苦難の日々を皆が分ち合っていく」とのお考えは、被災者を含む全国民の心の奥底に届いた。
この前後1週間のご様子を、侍従長の川島佑が「天皇皇后両陛下の祈り」(文藝春秋)に記している。
震災から4日後の15日、警察庁長官から受けた被害状況報告には
「いちいち胸が痛くなるような話ばかり」の説明もあった。
陛下はこの日のうちにビデオ収録による放映を決断され、皇后陛下とも話し合いながら、
お言葉の作成を進められた。16日午後の収録では「皇后さまも撮影者たちの邪魔にならないよう、
人々のずっと後ろで見守られた」という。
「両陛下にとり誠に胸が痛む、大変におつらい1週間であった」と川島は振り返る。
高崎経済大教授の八木秀次は「おそらく我が国の”本当の統治者”としてのご自覚のもとに
国民に直接訴え励ましたいというお考え」がお言葉で示されたと書いた
(「陛下を心の中心に据えて復興を」正論)。
さらに、コラムニストの勝谷誠彦は「あのお言葉は陛下ご本人が練りに練られたもの」で
「陛下の主観的な価値観が織り込まれている」と受け止めた(「これは『平成の玉音放送』だ」WiLL)。
お言葉が被災者の「雄々しさ」に触れられた点に注目し、終戦後の昭和天皇の御製
「ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ」にある鼓舞の言葉を思い起こした。
そこに「いまの日本民族にもっとも必要」な「言霊」を感じている。
被災者も日本全体もうちひしがれているときに
「たった数分の会見で、こうして国民に自信をとり戻させるような『仕組み』を持った国はどこにもない」
と勝谷は結論づける。
作家の佐藤優は「大震災と大和心のををしさ」(中央公論)で、大震災は終戦に続く
「日本民族にとってのカイロス」と位置付けた。ギリシャ語の「カイロス」とは
「運命あるいは神の意思によって決められた時間」という。
日本人である以上、東日本大震災を客観的に論じることは許されず、「わが国家とわが民族が
今後どのようにして生き残っていくか」を主体的に答える必要性を唱え、国民と被災者が
「相携え」て復興への希望をつなごうというお言葉こそ「東日本大震災というカイロスに対する
日本国家と日本民族の応答」だと位置付けた。佐藤は「雄々しさ」を日露戦争開戦時の
明治天皇御製「しきしまの大和心のををしさはことある時ぞあらはれにける」と結び付けている。
作家の竹田恒泰は「国民が一体となって国難を乗り越えようとするとき、まず天皇が率先して
行動をお示しになるというのが、日本の歴史の事実」としたうえで、
陛下が「あるべき姿を自ら実行していらっしゃる」と指摘した(「世界が感動した日本人の底力」Voice)。
「津波で我欲を洗い落とす必要がある」という東京都知事の「天罰」発言について、詩人の辻井喬は
「異人種の目で民衆を見下している」と断じた(「復興ニューディールへの提唱」世界)。
これに対し作家、曾野綾子と評論家、金美麗の対談(「ひるむなニッポン!」正論)では、
「われわれ全部に下った天罰でしょ」(曽野)と石原へのバッシングを疑問視する。
竹田もこの発言に「頷いた一人」(Voice)だと明かしている。

常陸宮ご夫妻、避難所を訪問 川崎市とどろきアリーナ
2011/4/20付
常陸宮ご夫妻は20日、福島第1原発事故の影響で福島県南相馬市の住民ら
約100人が避難している川崎市とどろきアリーナを訪問された。
常陸宮さまは「今、日本中が心を一つにしてみなさんとともに頑張っています。
くれぐれも健康に気を付けてください」と、励ましの言葉を述べられた。
ご夫妻はアリーナ内の喫茶室で避難者と同じテーブルに着き
「食事など足りない物は?」「夜は寝られる?」と声を掛けて回られた。〔共同〕
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2003Y_Q1A420C1CR8000/

両陛下 海に向かって黙礼 北茨城を訪問
毎日新聞 4月22日(金)20時38分配信
天皇、皇后両陛下は22日、東日本大震災で被害を受けた北茨城市を訪問し、
同市大津漁港では、行方不明者が1人いるとの説明を受け、海に向かって黙礼をささげた。
豊田稔市長によると、両陛下は漁業の風評被害も心配している様子だったという。
両陛下の被災地入りは千葉県旭市に次いで2度目。同漁港は震災で防波堤が決壊し
漁船約120隻のうち半数以上が損壊した。
両陛下は、津波で犠牲になった女性(52)の遺体が見つかった場所でも静かに頭を下げた。
漁港には約500人が集まり、両陛下は「被害はどうでしたか」などと声をかけて歩いた。
引き続き、約40人が避難生活を送る北茨城市民体育館も慰問した。
同行した豊田市長によると、同市役所での昼食には、
同漁港で前日水揚げされたカレイやアナゴの煮付けが入った弁当が出された。
現地では、風評被害による魚の値崩れが起きているといい、天皇陛下は、原子力に対して理解を深め、
しっかりした知識に基づいて行動すべきだという趣旨の発言をしたという。
【真鍋光之】 最終更新:4月22日(金)20時38分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110422-00000029-maip-soci

皇室ウイークリー
2011.4.23 07:00
常陸宮さまは、福島第1原発事故の影響を案じられた。
第1原発から20キロ圏内に住む福島県南相馬市の菅野妙子さん(53)に、
「一時的には帰れるの?」とご質問。
菅野さんが「少しだけ荷物を持ち出したが、もう戻れない…」と話すと、心配そうな表情を浮かべられた。
常陸宮妃華子さまは母親や小さな子供たちに優しく話しかけられた。2人の子供と避難している、
いわき市の深澤尚美さん(30)に華子さまは「2人だと大変ね。夜は眠れる?」とお声がけに。
長男の利玖くん(5)にも、「地震、怖かったわね」「ここではお友達はできた?」と話しかけられた。
常陸宮さまは最後に、胸ポケットからメモを取り出し、お言葉を述べられた。
宮内庁によると、予定していたことではなく、常陸宮さまの“お気持ち”だったという。ここで全文を紹介したい。
「この度、皆さまには東日本の大地震と津波によりご家族や家を失い、
さらに原子力発電所の事故により避難所生活を余儀なくされておられます。
皆さまの避難所での不安やご苦労は、私どもの想像をはるかに超えています。これからしばらくの間、
困難な日々を過ごされると思いますが、厳しく寒い冬の後に暖かい春が来るように、
また蒸し暑い夏の後には涼しい秋が来るように、皆さまがお元気で地元に帰られて、
静かで平和な暮らしに戻られることを願っています。今、日本中が心をひとつにして
皆さんとともに頑張っています。皆さんには、くれぐれも、健康に気をつけてください」
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110423/imp11042307010001-n3.htm

秋篠宮夫妻、群馬の避難所慰問「ずっと思っています」
秋篠宮ご夫妻は25日、東日本大震災の被災者を受け入れている群馬県東吾妻町の町営施設
「岩櫃(いわ・びつ)ふれあいの郷(さと)」、
保養施設「コニファーいわびつ」の2カ所の避難所を訪れ、計約130人を見舞った。
お二人は床にひざをつき、お年寄りら一人一人に「夜は眠れますか」などと話しかけた。
両施設とも、福島第一原発から20キロ圏内の福島県南相馬市や浪江町からの避難者が大半を占める。
「岩櫃ふれあいの郷」で紀子さまは、地震のショックで声が出なくなっている南相馬市の
美容師、佐藤和香子さん(25)に「声が出なくてもいろいろな方法でお話しできますよ」
「ずっと思っていますね」と手話をまじえて語りかけ、抱きしめた。
秋篠宮さまは「身体が硬くなってきたので運動を始めた」という同市の農業、
木幡清治さん(83)を「お元気で早く帰れることを願っています」と励ました。
両施設の避難者らは「避難で家族がバラバラになった」「豚700頭を家に残してきたのが悲しい」
「小鳥を家に置いてきて死なせた」と涙を流しながら話し、お二人は背中や肩をなでながら耳を傾けた。
http://www.asahi.com/national/update/0425/TKY201104250471.html

秋篠宮ご夫妻 東吾妻の避難所訪問
秋篠宮ご夫妻が25日、東日本大震災による家屋被害や福島第1原発事故の影響で
福島県から避難してきた約290人が暮らす東吾妻町原町の避難所2カ所を訪問し、
避難している人たちに励ましの言葉を掛けられた。
ご夫妻は、県中之条合同庁舎で大沢正明知事から本県の避難者受け入れの状況について説明を受けた後、
ホテル「コニファーいわびつ」をご訪問。輪投げや玉入れなどのレクリエーションを
楽しむ避難者の輪に入って「大変でしたね」「お体を大切にしてくださいね」と声を掛けて回られた。
続いて訪れた温泉施設「岩櫃(いわびつ)ふれあいの郷(さと)」でも、ホールで体操をしていた
約40人と約1時間にわたって言葉を交わし、体調や被災地の状況などを尋ねられた。
震災のショックで声が出なくなったという南相馬市の佐藤和香子さん(25)に紀子さまが
「声が出なくてもいろいろな方法で話せますね」と手話で語りかけ、抱き締められる場面もあった。
浪江町から両親と3人で避難している若月芳則さん(61)は「足を運んでいただいて感謝です」と
笑顔を浮かべた。南相馬市の木幡トシ子さん(74)も
「うれしくて涙が出てきました。心が落ち着きました」と話していた。
大沢知事は「避難生活が1カ月以上になるが、皆さんも非常に元気づけられたのではないか」と語った。
http://www.jomo-news.co.jp/news/a/2011/04/26/news01.htm (上毛新聞)

両陛下、宮城県入り 南三陸町などお見舞いへ
産経新聞 4月27日(水)11時10分配信
天皇、皇后両陛下は27日日午前、東日本大震災の被災者を見舞うため、自衛隊機で宮城県に入られた。
午後に津波で甚大な被害を受けた南三陸町を視察するほか、同町と仙台市の避難所を訪問される。
両陛下が東北地方の被災地に入られるのは初めて。
両陛下は午前9時半ごろ、自衛隊機で羽田空港をご出発。
航空自衛隊松島基地(東松島市)に到着後、基地内で、村井嘉浩知事から被災状況について説明を受けられた。
宮内庁によると、両陛下は同庁の羽毛田信吾長官を通じて、
村井知事に、被災者支援のためのお見舞い金を渡されたという。
被災地に配慮する両陛下のご意向を踏まえ、宮内庁は両陛下の随員を最小限の7人としたほか、
過去の被災地訪問と同様、日帰りの強行軍の日程を組んだ。
両陛下は3月30日に東京都内、今月8日に埼玉県加須市の避難所をご訪問。
「1日も早く被災地に入りたい」というご意向のもと、
震災1カ月の節目が過ぎた14日には、津波で被災した千葉県旭市へ。
22日も茨城県北茨城市を見舞い、両陛下は5週連続で避難所や被災地に足を運ばれている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110427-00000514-san-soci

両陛下 南三陸町と仙台を訪問
4月27日 19時32分
天皇皇后両陛下は27日、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県を訪れ、
南三陸町と仙台市の避難所で避難生活を送る人たちを励まされました。
27日午前、自衛隊機で宮城県入りした両陛下は、
ヘリコプターに乗り換えて午後1時に津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町に到着されました。
両陛下は、町の沿岸部が見える高台に立ち、住宅が流され、
がれきだらけになっている様子を見ながら、当時の状況について
町長から説明を受けられました。そして、被災した現場に向かって静かに頭を下げ、
犠牲となった大勢の人たちを悼まれました。
続いて両陛下は、近くにある歌津中学校の体育館を訪ねられました。
ここでは200人ほどが避難生活を送っていて、天皇陛下は、母親と弟を亡くしたという
女性に「残念ですね。さみしくなったでしょうね」と声をかけ慰められていました。
さらに、小学校の教師の男性から親を亡くした児童もいると聞かされると
「子どもたちはずいぶん大きな痛みを負っているでしょうね」と話されていました。
このあと、両陛下は、津波で大きな被害を受け、
およそ270人が避難生活を送っている仙台市宮城野区のスポーツ施設にも足を運び1人1人を励まされました。
このうち、津波で自宅が流されたという女性は、両陛下の訪問のお礼にと、
自宅の庭があった場所に咲いていた水仙の花を、皇后さまに贈りました。
皇后さまは、かつて阪神淡路大震災の被災地を見舞った際、
お住まいの御所の庭に咲いた水仙の花を崩れ落ちた建物の上に手向けられたことがあり、
被災者からの思わぬ贈り物に笑顔を浮かべられていました。
また、天皇陛下は、津波で妻を亡くした男性に話しかけ、男性の足もとにあった遺影を手にとって静かに見つめたあと、
「津波でお亡くなりになったのですね。大変でしたね。お体を大事にしてください」と声をかけられていました。
避難所では、最後に避難生活を送っている人たちが列を作って拍手で両陛下を見送り、
両陛下も笑顔で応えられていました。両陛下は、27日夜、東京に戻られることになっています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110427/k10015597291000.html

産経抄
5月8日 2011.5.8 03:40
今日は「母の日」ということで、「国母(こくも)さま」という古い言い習わしを思い出した。
天皇の母、つまり皇太后を指す場合のほか、国民の母という意味で皇后のことも言う。
かつては慈愛にあふれたお姿を親しみをこめ、そう表現することが多かったのだ。
▼以前、歴代の天皇に国民の生活を思いやる「民のかまど」の精神が受け継がれていることを書いた。
一方では悲田院などで知られる奈良時代の光明皇后以来「国母さま」の伝統も生きている。
近代では、後に昭憲皇太后と呼ばれる明治天皇の皇后がそうだ。
▼明治37年、明治期最大の国難といえる日露戦争が始まると、その行方に心を砕かれた。
自らは包帯を戦場に送ることに専念される。産経新聞連載の『教科書が教えない歴史』によると
「宮中の一室は包帯製作室と化し夜を徹して包帯作りに精励された」という。
▼天皇陛下とともに大震災の被災地を訪問されている皇后陛下にも「国母さま」の言葉が
ピッタリという気がする。ご体調は必ずしも万全ではないはずだが、ヘリコプターで各地を回られる。
律義に両膝をついて、見舞いや励ましの言葉をかけられる。
▼一昨日、岩手県釜石市の避難所で震度3の余震があった。近くにいた松田節子さんは
思わず皇后さまの手を握ってしまった。皇后さまはしっかり手をとったまま周囲に
「落ち着いてください」と声をかけられたという。松田さんにとって生涯忘れられないぬくもりだろう。
▼「母の日」は米国で母に感謝する日として始まった習慣を戦後、取り入れたものだ。
だが日本人も古くから慈悲深い母の理想像を抱き、母親を大事にする心を養ってきた。
「国母さま」の表現がそのことを教えてくれる。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110508/imp11050803410000-n1.htm

被災地を勇気づける陛下のお心

産経・正論
高崎経済大学教授・八木秀次 被災地を勇気づける陛下のお心
2013.3.13 03:20
天皇陛下は皇太子時代から、「日本人として忘れてはならない4つの日がある」として、
終戦記念日(8月15日)、広島・長崎原爆投下の日(8月6日、9日)、
沖縄戦終結の日(6月23日)を挙げられ、その日は戦没者の慰霊のためにお慎みになる。

≪忘れてならない5つ目の日≫

平成6年の米国訪問で、サンフランシスコに到着されたのが日本時間で6月23日、
ちょうど沖縄戦終結の日だった。渡邊允前侍従長は次のように回想している。

「陛下は『ちょうど重なってしまうが、沖縄で慰霊式典が行われる時間はこちらでは何時ごろだろう』と
お尋ねになった。調べたところ公式晩さん会の始まるころでした。
『それでは少し遅らせてもらえないだろうか』とおっしゃって、
両陛下はその時間にはホテルの部屋で黙とうをされていたようです」
(2008年1月31日付日本経済新聞夕刊)

4つの日はいずれも先の大戦に関わる日であるが、東日本大震災の起きた3月11日も
陛下は同じように「忘れてはならない日」と考えておられるに違いない。
いや、その当日だけではない。陛下は皇后陛下とともに2万人を超す死者、行方不明者、
また被災者にずっと心を寄せ続けておられる。

11日に行われた政府主催の東日本大震災2周年追悼式でも、被災者の身の上を案じながら、
「この人々のことを、私どもはこれからも常に見守り、
この苦しみを、少しでも分かち合っていくことが大切だとの思いを新たにしています」と述べられている。

両陛下は震災の起きた平成23年3月末から5月にかけて、7週間連続で1都6県にわたって
被災地・被災者を見舞われた。瓦礫(がれき)の前や海に向かって黙祷(もくとう)され、
避難所では正座されたり床に膝をつかれたりして被災者一人ひとりに声を掛けられ、話を聞かれた。

お出ましはいずれも、車や航空自衛隊輸送機、ヘリコプター、ミニバスを乗り継ぐ日帰りの強行軍で、
往復7時間という長時間のドライブもあった。御所への到着は夜8時を過ぎることもあり、
天皇陛下はその夜もご公務をなさったという。過密なご公務の中での被災地ご訪問であった。

≪悲しみの「気」を擁しつつ≫

川島裕侍従長は、ご訪問に随行した感想を以下のように綴(つづ)っている。
「穏やかに人々に対されていても、こうした人々の悲しみを受け止められる両陛下御自身も、
悲しみの『気』を心の中に擁したまま、その後の生活を続けておられるものと思う。
そしてまた御二人の中には、被災者の悲しみを、被災しなかった者が理解できるのかという恐れにも似た
控えた気持ちが常におありになるようだ。それ故に、慣れるということの決して出来ない辛いお仕事を、
それでも、そこに行って、その人たちの側にあることを御自分方の役割としてなさっているように拝察している」
(文芸春秋2011年8月号)

天皇皇后両陛下のご長女の黒田清子さんがご結婚前に、皇后陛下がこれまで体現されてきた
「皇族のあり方」の中で深く心に留めているものとして、「皇室は祈りでありたい」というお言葉と、
「心を寄せ続ける」という変わらないご姿勢を挙げられたことがある
(平成15年4月18日のお誕生日に際しての文書回答)。

「皇室は祈りでありたい」-。「祈りである」と言い切り、しかし、それを周囲に押し付けるのではない。
「祈りでありたい」と願いつつ、それができていないのではないか、とご自身を問う姿勢が、そこにうかがえる。
「心を寄せ続ける」にも同様に、一時にとどまらず、ずっと心を寄せ続けているだろうか、
その人たちの身の上を自分は本当に理解できているだろうか、というご苦悩がうかがえる。

≪被災少女への皇后さまの視線≫

「心を寄せ続ける」ことは簡単ではない。一時はできても、続けることは難しい。
しかし、両陛下はそれをなさっている。人々の悲しみを受け止め、
その「気」を心の中に擁しながら生活をされている。しかも、果たしてそれができているのか、と
「恐れにも似た控えた気持ち」でご自身を問われている。これがどれほど被災者の心を慰め、
勇気付けるものになっていることだろうか。

皇后陛下が平成23年の大震災後に発表された「手紙」と題する御歌がある。

「生きてるといいねママお元気ですか」文(ふみ)に項傾(うなかぶ)し幼な児眠る

宮内庁が付した解説には、「東日本大震災に伴う津波に両親と妹をさらわれた四歳の少女が、
母に宛てて手紙を書きながら、その上にうつぶして寝入ってしまっている写真を新聞紙上でご覧になり、
そのいじらしさに打たれて詠まれた御歌。
なお、少女の記した原文は、『ままへ。いきてるといいね おげんきですか』」とある。

両陛下とともに被災地に心を寄せ続けたい。(やぎ ひでつぐ)

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130313/imp13031303220001-n1.htm