神風はなぜ吹いたか

日本会議HP
皇室の伝統を守ろう!日本武道館・一万名大会
平成18年03月7日

神風はなぜ吹いたか
金美齢(台湾総統府国策顧問)

私が今日ここでお話をする機会を与えられたのは、私が台湾人であると同時に
心から日本を愛している人間だからだということだと思います。
紀子様ご懐妊のニュースを聞いたとき、私は「神風が吹いた」と思いました。
あの大戦のとき、私は小学生でした。台湾にいましたが、私は日本人としての日々を送っていました。
紀元二千六百年という歌を歌ったり、「兵隊さんよ、ありがとう」という手紙を書いて慰問袋を出したりしました。
必ず神風が吹くと信じて日々それを祈っておりました。
しかしあのとき神風はついに吹きませんでした。どうして、今、その神風が吹いたのかな。
ひょっとしたらこの皇室典範改定というのは、あの大戦の敗北よりも
日本の根幹を揺るがす国家的危機なのではないかと思いました。
ひょっとしたら私のように歴史も浅い、神話も持たない国、
台湾の出身者である人間のほうが、一般の平均的な日本人よりも、
もっと天皇陛下のご存在、皇室のご存在がどれだけ大切なのかということを
身にしみて感じているのかもしれません。
数年前、講演をしたある会場で「
台湾には神話があるのですか。国の礎になる神話があるのでしょうか」と聞かれたことがありました。
台湾には神話はありません。
移民と植民、統治者がめまぐるしく変わった四百年の歴史しか持ちえません。
私はそのとき、「私が歴史であり、私が神話です」と大見得を切りました。
でも皆さん、私ごときが歴史であったり神話であるなんて社会は、
皆を束ねて心を一つにするなんてことはあり得ないのです。

日本には世界に稀なる皇室があります。これは日本の宝物なんです。
この宝物を壊すのは簡単です。一日で壊すこともできましょう。
けれどもそれを持つためには、皆が理屈を超えて納得して示すことができるそういう存在をつくるには
二千六百六十六年かかるのです。台湾はそういう存在が持てません。だから混乱の極みです。
どうぞ、そういう国の二の舞は踏まないで下さい。
どうぞ、皆さん、皆さんが持っている大切な宝物をしっかりと守っていってください。このたびの神風は、
日本人の一人一人に対してしっかりとそれを考えていくことを促したのだと私は信じております。

http://www.nipponkaigi.org/activity/archives/997

櫻井よしこ氏 週刊ダイヤモンド

「日本文明からの逆襲か 秋篠宮妃紀子さまご懐妊で証明された皇室典範改正の拙速さ」
週刊ダイヤモンド2006年2月18日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 629

秋篠宮妃紀子さまご懐妊の報は、性急に進められようとしている皇室典範改正に
強いブレーキをかけるもので、まさに、日本文明からの逆襲ではないだろうか。
皇統の継承者は男系男子という2600年あまり続いた伝統から180度の転換を図る女系天皇、
長子相続容認の基軸を打ち出した有識者会議の最終報告は、報告書作成のプロセスもその内容も、
わずか10人の有識者と小泉純一郎首相らによる専横だとしか言いようがない。
同会議の吉川弘之座長らは、皇室典範改正の基本的な視点として、(1)「伝統を踏まえたもの」、
(2)「国民の理解と支持を得られるもの」、(3)「制度として安定したもの」の三点を挙げた。
正論ではある。だが、その言葉とは裏腹に、最終報告書は三点すべてにおいて落第である。
まず「伝統」について、“有識者”たちがどのように認識しているか。最終報告書は「伝統とは、
必ずしも不変のものではなく、……選択のつみ重ねによって新たな伝統が生まれる」
「伝統の内容は様々であり、皇位継承についても古来の様々な伝統が認められる」
「伝統の性格も多様である」「皇位継承制度に関する様々な伝統の中で、
何をどのような形で次の時代に引き継ぐのか」などと書いている。
伝統とはくるくる変わるものだと言っているのだ。東京大学名誉教授の小堀桂一郎氏は、
有識者会議は「流行をもって伝統だと考えている」と喝破する。
吉川座長自身が「歴史観や国家観でこの案をつくったのではない」と述べたのも周知のとおりであり、
有識者会議は、自ら掲げた基本的視点と逆の立場で皇室典範を改正しようとしているのだ。
第2の国民の理解は、現段階ではほど遠い。
第3の制度としての安定性については、何をもって皇室とするのかという基本を問わなければならない。
かたちを優先し、どなたでもよいから皇位を継承する人物を確保する、というのでは、
皇室はやがて消滅する。皇室の皇室たるゆえんを守らなければ、制度としての安定性は確保されようがない。
皇室を皇室たらしめてきたのは、2600年あまり続けてきた皇統を男系男子が継承するという伝統、つ
まり、天皇家のお血筋だといってよい。
伝統は続いてきたことに意味がある。それはそのまま民族生成の物語なのだ。
だから、現代の合理主義に合わない面もある。有識者が示した男系男子誕生の統計学的確率からいえば、
男系男子で皇統を維持していくのには非常な困難も予想される。
しかし、だからといって十幾世紀も百幾世代も続いてきた伝統を180度変えてよいというものではない。
むしろ、しっかりと守っていかなければならないのだ。
無理な議論をおそらく承知で、有識者会議はあの最終報告書を作成したのではないか。
だからこそ、多くの反対論がわき起こってくると、女系天皇、長子相続の容認は
“天皇のご意思である”という情報が駆け巡り始めたのだ。はたしてそうなのか? 
その情報の真偽は判断のしようがないが、旧皇族の一人、
竹田恒泰氏が西郷隆盛の言葉を引用して非常に大事なことを発言している。
「大義のない勅命は勅命ではない。なぜなら天皇が間違ったことを言うはずがなく、
もし言ったとしたら、それがなにかの間違いである」
有識者会議周辺から流布されてきた「天皇のご意思だ」というゴリ押しの論法に、
最も心を痛めておられるのが、じつは、天皇家をはじめとする皇族の方がたではないか。
紀子さまのご懐妊は、天皇家が核として担ってきた日本の歴史、日本文明からの逆襲ではないのか。
皇室典範改正の拙速を許してはならないと、あらためて思うのだ。

「『悠仁親王』ご誕生でも低調な世論 皇室への無関心こそ最大の危機」
週刊ダイヤモンド2006年9月23日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 658

秋篠宮家にお生まれになったお子さまは、9月12日、悠仁(ひさひと)と名づけられた。
悠久の日本の伝統を継がれるのにふさわしいお名前である。
お印の高野槇は日本固有の常緑樹で高くまっすぐに育つ。
皇室の未来が、お名前とお印の示すように、悠久の歴史を偽りなくまっすぐに貫き、続いてほしい。

注目された皇太子と雅子妃は、オランダから帰国後、10日には愛子内親王を伴って大相撲を観戦、
雅子妃はお元気な笑顔を見せられた。その笑顔はオランダでの静養の“治療効果”を示すとともに、
悠仁親王ご誕生が雅子妃のお気持ちをも軽くする効果があったのではないかと思わせる。
ご自分が男子を生まなければ幾百世代も続いてきた天皇家の伝統が途絶えるかもしれないという事情に、
雅子妃ならずとも、重圧を感じられるのは当然であろう。
悠仁親王ご誕生で、ともかくも、現世代の次の世代への最小限の責任は果たされたことになる。
そのようにお考えになって、気分が軽くなったのかと思えたのが、10日の晴れやかな笑顔だった。
どの人にとっても、少しのあいだ息をつくだけの時間的余裕が、皇位継承問題について生まれたのだ。
しかし、9月6日以降の動きには、懸念材料も目につく。その一つは、皇室への無関心である。
むろん、紀子妃の男子出産という喜ばしいニュースを熱烈に歓迎した人びともいる。
けれど、どう見てもその喜びが全国民的慶事として盛り上がったようには見受けられないのだ。
皇室の求心力は明らかに落ちていると思わずにいられない。その大半の責任はおそらく国民の側にある。
戦後の国民教育の責任だといってもよいだろう。同時に、皇室の側にも努力が求められる。
皇室の歴史を見ると、時代によって天皇の果たされる役割は変化してきた。明治天皇は、天皇であるとともに
大元帥として君臨し、開国して欧米列強の力に直面せざるをえなかった日本国の求心力となった。
昭和天皇は大東亜戦争を戦い、敗北を受け入れ、戦後の復興に当たって国民を勇気づけつつ
立憲君主の立場を守ろうとなさった。今上天皇は国民とともにあろうと各地にお出かけになり、
国民のための祈りを大事にされてきた。次の世代の天皇は、どんなかたちで国民の信頼と尊敬を得、
どのように絆を深めていかれるのか。その答えは、少なくとも皇太子ご夫妻からは見えてこない。
ご夫妻について、ご成婚以来記憶に残るのは、ご結婚前の雅子妃のキャリアをどう生かすか、
妃の能力を皇室の伝統と責任のなかにどう織り込んでいくかという苦悩である。
その苦悩は、雅子妃のために皇室の伝統をどう変えるかという点から発しているかにさえ見える。
対して、皇室の伝統的な役割と存在意義を強調する議論のせめぎ合いが続いてきたのが、
ここ数年の現実である。雅子妃と同世代の、仕事を持つ女性たちを含めて幅広い人びとが
前者の考えを支持すれば、保守の人びとは日本国の基盤に天皇を戴く皇室があると見なし、
雅子妃の“人格”も重要ながら、日本には変えてはならない守るべき大切な価値観があると考える。
今、雅子妃がお元気な笑顔を取り戻されたことはなによりである。
だが、合理的な価値観の持ち主である雅子妃が、西欧風の合理精神では測れない皇室の伝統、
この国の文明としての皇室のあり方に、どこまで協調していけるのか、あらためて考えざるを得ない。
もう一つ、皇室全体にとっての問題は、悠仁親王誕生による皇太子と秋篠宮の力関係の接近である。
昭和天皇は弟宮たちを警戒し続け、高松宮にはあからさまな批判もなさった。
この種の皇室の人間関係をおおらかに乗り越えることも、皇族全員の重要な課題となる。
国民がその存在意義を前向きに大切に受け止めていくことが出来るような皇室であってほしいものだ。


「深くて重い皇室典範改正問題 眼前の問題解決のための安易な女性天皇容認は慎重に」
週刊ダイヤモン2005年7月30日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 602

日本の皇室はどのようなかたちで存続していくのか。
また、皇室は日本人と日本にとってどのような意味を持ち続けることが出来るのか。
グローバル化時代といわれ、人類の交流はすべての面において国境の壁を低くしつつある。
同時に、歴史や文化など民族の基盤の確立なしには、グローバル化時代の国際社会にのみ込まれ、
漂流する民族となりかねない。皇位継承者問題は、日本民族の基盤をどこに求めるかという問題と
ぴったり重なり、私たちに厳しい問いを投げかけている。
皇室に、男子の皇位継承者が今のところ見当たらないこともあって、
いったい誰方(どなた)が未来の日本の天皇になられるのか、私たち日本人はいったいどんなかたちで
この国を継承していきたいのかが問われているのだ。その問いかけへの答えは容易ではなく、
皇室と日本の将来には、いわく言いがたい不安がつきまとう。
そうしたなか、小泉純一郎首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(以下、有識者会議)が、
今月26日に正式に「論点整理」をまとめるそうだ。
現在、皇位継承者は、皇統に属していること、嫡出子であること、男系男子であること、
皇族であることの4点が条件である。吉川弘之・元東京大学学長が座長を務める右の有識者会議では、
皇位継承者は男系男子でなければならないのか否かが中心に論じられてきた。
同会議のメンバーは岩男寿美子、緒方貞子、奥田碩、佐々木毅氏ら、肩書を紹介せずとも
そのまま通用する人びとに加え、元最高裁判事の園部逸夫氏、前内閣官房副長官の古川貞二郎氏らが参加している。
いずれもひとかどの人物だが、気になることもある。
有識者会議の議論が、どこまで日本の有史以来の皇室のあり方について議論を深めてきたのかという点だ。
同会議は今年の1月下旬に検討を開始し、これまでに8回の会議を開き、8人の有識者の意見に耳を傾けたという。
皇室のあり方は日本のあり方そのものだ。一二五代続く皇室の伝統と、皇室という明白な血脈を
とにもかくにも守ってきた日本の価値観のあり方である。
皇室典範の議論は、そうした諸々のことを論じたうえで初めて出来るはずだ。
しかし有識者会議は、わずか半年間、8回の会議でそれらを掘り下げて論ずることが出来たのだろうか。
同会議が発表する論点整理は、これを基に議論を深めるためのもので、
女性天皇容認論を着地点として意図したものではないと政府は説明する。だが、これまでの状況を考えれば、
論点整理が女性天皇容認に向けての、いわば地ならしであるのは否めない。
万が一、女性天皇容認の方向で皇室典範改正がされるとしたら、
そのことが持つ歴史的意味は革命的に大きいだろう。あるいは次の比喩は適切でないかもしれない。
が、あえて言えば、戦後の占領下で、わずか一週間で日本の文化文明を真っ向から否定する憲法や
教育基本法がつくられていったことと、質的に似た、かつ同規模の変化を日本にもたらすと思えてならない。
皇室存続のためには女性の天皇を認めることも必要かもしれない。
しかし、それは、打つ手がなくなった段階での最後の手として考えるべき方策ではないだろうか。
一二五代にわたって「男系による継承」が不動のものとして続いてきた事実は、非常に重く、
文明的価値のあるものとして、尊重されなければならない。
女性天皇容認を優先するあまり、長く続いてきた男系継承の歴史と原則を軽視し、
眼前の問題解決のために結論ありきの姿勢に傾くようなことは、万が一にでもあってはならないだろう。
事は、日本の伝統の根本をなす文明の核の問題なのである。
今、ここで踏みとどまり、なお十分に論ずることが望ましい。


「女系天皇容認案の矛盾と危険 日本文明無視の一方的結論とその手法は、第二のGHQだ」
週刊ダイヤモンド2005年12月3日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 619

たったひと握りの人びとが、独善的にこの国の文明の土台を変えてよいはずがない。
わずか10人による、ほとんど公開されてもこなかった議論によって、
連綿と引き継がれてきた皇室のあり方を、革命的に変えてよいはずがない。
小泉純一郎首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」の出した最終報告を、
私は激しい憤りで受け止めざるを得ない。
最終報告は、かねて予想されたとおり、女性・女系天皇を容認し、
皇位継承は、男女にかかわらず、長子を優先する内容である。
女性天皇は、男系天皇制の下でも可能である。つまり、皇太子ご夫妻の長女の敬宮愛子さまは、
男系天皇制の下でも天皇に就くことは出来るのであり、私はそのことに反対するものではない。
今回の報告の問題点は、女性天皇を超えて、天皇制を根本的に変えることになる女系天皇制を容認していることと、
男女にかかわらず長子優先としたことの2点である。
右の問題点多き結論を導き出した有識者と呼ばれる人びとは、吉川弘之座長、
および園部逸夫座長代理を筆頭に、岩男壽美子、緒方貞子、奥田碩、久保正彰、佐々木毅、笹山晴生、
佐藤幸治、古川貞二郎各氏の10人である。
GHQでさえ手をつけることを憚った天皇制の本質に、10人の“賢者”は手をつけたことになる。
天皇制を天皇制ならしめてきた血筋の純粋性に踏み込み、異質のものに変えようという
今回の結論を導き出した人びとは、吉川座長が「私たちは歴史観や国家観で案を作ったのではない」
と述べたように、日本の歴史も文明も振り返ることなく、また、それらへの愛情も理解も反映させることなく、
日本文明の核である天皇制のあり方に手を入れたことになる。
その意味で有識者会議は、日本文明をばっさり切り捨てて現行憲法を押し付けた、あのGHQと同じである。
この“GHQ再来”の前に、私たちは今、本当にしっかりと天皇制の意味について考えなければならない。
神話の時代も含めて、日本の皇室は紀元前に始まる。神武天皇が大和を平定し橿原宮で即位したとされる
紀元前660年より現在に至るまで、2665年にわたって連綿と続いてきた皇室は、
古代から男系で一貫してきた。そのことに日本人は幾数十世紀ものあいだ、挙げて重要性を認めてきた。
他方、万世一系の血筋の純粋性を軽視する人びとは、有識者会議の10人の人びと同様、確かに存在する。
だが、男系天皇制も、万世一系も、時代によって異論を含みながらも、長い歴史のなかで、
日本民族が紡いできた精神的価値であり、日本文明の核となるものだ。
天皇制の論議は、これらの点をしっかりと認識したうえでなされなければならないはずだ。
だが、有識者会議では、「現実的な問題を見極めながら議論する必要性」
「皇室制度は日本独自のものではあるが(中略)
世界の王室の状況についても一応整理しておく必要がある」などと指摘され、
吉川座長は「神学論争は不毛」「歴史観は国会で議論すべき問題だ」とも発言した。
歴史、文明など、端から考慮しないのだ。だが、天皇は総理大臣などのように、役職を問われる存在ではない。
前述のように、第一義的にその血筋が問われる存在である。そのことを日本人は大切にしてきた。
だからこそ、天皇制はその神話的起源が示すように、抽象的、観念的議論こそが重要なのだ。
それを、「神学論争は不毛」として、それらすべてを省いて、いったいどこに日本を導こうとするのか。
男系天皇制維持に、先人たちは工夫を重ねた。私たちは歴史に学び、有識者会議の結論を白紙に戻し、
より深く天皇制を論じるべきだ。第二のGHQによる日本変革を許してはならない。

ご懐妊直後の雑誌報道

週刊ポスト2006年2月?日号
紀子妃が妊娠の可能性に気付いたのは1月半ば
主治医を誰にするかという打診を各所にしていた。
その動きをつかんだNHKが、愛育病院の医師の行動に気付きスクープ。
この時点では、宮内庁も把握していなかった
安倍官房長官は担当記者を前にオフレコで 「女系容認論の前提が崩れた」と話している
天皇皇后両陛下が女系天皇容認に賛成しているということが小泉の強気の根拠と言われてきたが、
両陛下がそんな思いを軽々ともらすはずはない。

文藝春秋2006年2月号
櫻井よしこ氏
…以前も似たケースがありました。
平成四年の天皇陛下の中国御訪問でした。この時も強い反対論があったのですが、
推進派であった当時の柿沢弘治外務政務次官や橋本恕(ひろし)中国大使らが、
「これは陛下のご意思である」と言って、反対論は消えていきました。
私はこれを大変不審に思いまして、取材して『文藝春秋』にレポートしたのですが、
陛下がいつ、どこで、誰に対してご意思を洩らされたのか、
柿沢さんはもとより、誰一人答えることが出来ませんでした。つまり実体のない話だったのです。

女性自身2006年2月?日号
秋篠宮殿下の「お許しが出た」発言を、非難する人がいるが、
皇室とはそういうところで、全ては陛下のお気持ちにより動くべきところ。
皇太子殿下も秋篠宮殿下もよくお解りで、皇后陛下、紀子様さまも初めは苦労されたが順応された。
ただお一人適応できないのが、雅子さま。
愛子さまが生まれた翌年の夏、皇后陛下が「秋篠宮も3人目が欲しいのだけれど、遠慮しているのよ」と知人に話した。

週刊文春2006年2月23日号
紀子さまの掛かりつけである愛育病院の関係者がその内幕を明かす。
「次の子を考えています」と内々にご相談があったのが秋頃でした。
ただ、ご相談があったからといって何か特別なことをしたわけではありません。
大事にしましょう。自然なかたちでお生まれになるのを待ちましょうとお話ししました。
(中略)
年が明けて、紀子さまが妊娠検査薬で陽性反応を確認されたのが1月下旬。
超音波で胎児を確認できるのは妊娠6週目以降のため、約2週間後に宮邸で検査をお受けになることが決まった。
そして2月7日、超音波検査を担当したのは愛育病院院長の中林正雄氏。
検査の結果は中林氏から宮内庁長官の羽毛田信吾氏と皇室医務主管の金澤一郎氏に即刻伝えられ、
その内容をNHKがスクープした。
小泉純一郎以下、誰もがこのニュースに驚いたが、皇室にご慶事の兆候がなかったわけではなかった。
「葉山のお取り止めは、御所で報告をお待ちになりたいという両陛下のご希望だったのでしょう。
長官や皇室医務主管が連絡を受けるということは、
両陛下が吉報をお待ちだったということです」(宮内庁関係者)
(中略)
紀子さまのご懐妊が12年ぶりになったことについては様々な憶測がなされているが、
秋篠宮ご夫妻が「遠慮」された背景には、知られざるドラマもあった。
「佳子さまがお生まれになってからご懐妊がなかったのは、
おそらくあの「バッシング」の影響でしょう」(学習院関係者)
紀子さまが皇室内で激しいバッシングに遭われたのは、佳子さまをご懐妊になった直後のことだ。
「紀子さまが佳子さまを身籠られたのは94年。皇太子と雅子さまのご成婚の翌年のことでした。
世間では皇太子ご夫妻にいつお世継ぎができるかと、たいへん期待のあった頃です。
ところが、ご懐妊されたのは紀子さま。
その直後から皇室内のどこからともなく、
『あちらに遠慮もなく二人目をおつくりになるなんて、
もし坊ちゃんだったらどうするおつもりかしら』という声が上がったのです。
それが秋篠宮家にも伝わり、紀子さまは悩みに悩まれたようです」(同前)
紀子さまは苦しい心の内を美智子さまに打ち明けられ、美智子さまは紀子さまを励まされ、
庇い続けられたという。後年、美智子さまは親しい人物にこう打ち明けられている。
「普通は次の子が欲しいだろうに、紀子にはかわいそうなことをしました。でも何とか立ち直ってくれた」
紀子さまを襲ったバッシングはほどなく皇族たちの耳にも入る。
一昨年亡くなった高松宮妃喜久子さまも憂慮されていたお一人だ。
「何を遠慮することがあるのかしら。どんどんお作りになったらよろしいじゃない」
喜久子さまは秋篠宮にこんなお言葉をかけてお励ましになったという。
秋篠宮家に親しい関係者はこう話す。
「秋篠宮ご夫妻がお子様を欲しがっていたのは事実です。でもそれは天皇家のお世継ぎということではなく、
宮家の存続のためでした。男子がいなければ、秋篠宮家もご自分の代だけで断絶することになりますからね。
でも厳しいバッシングがあったので遠慮されたのでしょう。
佳子さまは『私が一番下だから、弟か妹が欲しい』とよくおっしゃっていましたが、
もし今回のタイミングより早くご懐妊されていたら、やはり『出しゃばりすぎ』と批判されていたかもしれません」
(中略)
「もし東宮に子どもがお生まれにならなければ、眞子がお世継ぎにならざるをえないのではないか。
そうなると紀子がかわいそうだ」
秋篠宮が眞子さまの将来について、こんなご懸念を漏らされたことがあったという。
まだ女帝容認の議論が出る前だったが、もしもの時には眞子さまが皇太子になるという、
秋篠宮家にとっては思いもよらぬ事態になることも予想された。
(中略)
天皇皇后が男子のお世継ぎをお望みであったかどうかはわからない。だが側近たちの中には、
天皇皇后のご意向はやはり男子のお世継ぎにあると汲みとる者が後を絶たなかったため、
雅子さまの苦悩はその後も続くことになる。
愛子さまがお生まれになったから二年後の2003年12月、宮内庁の湯浅利夫長官(当時)が
定例会見で行った「第三子発言」もその一例だと見られている。
「秋篠宮さまのお考えはあると思うが、皇室の繁栄を考えると、三人目を強く希望したい」
これほど踏み込んだ発言をした長官は過去に例がない。
皇室関係者の多くは、「あれだけの発言を長官一人の判断でできるはずがない。
天皇皇后のご意思を受け止めた上でのことにちがいない」と見ていた。
折しも帯状疱疹でお倒れになったばかりの雅子さまは、この発言に大変なショックを受けられたという。
だが、この「第三子発言」には前段があった。その一年前、雅子さまが宮内庁上層部に
危機感を抱かせるようなご発言をなさっていたのだ。
2002年12月、ニュージーランド・オーストラリアご訪問直前の記者会見で、雅子さまはこうえっしゃっている。
〈やはり国民の皆さんの期待というものが、いろいろな形での期待があって、
その中には子供という期待もございましたし、他方、仕事の面で外国訪問なども国際親善ということでの
期待というものもございまして、そういう中で、今自分は何に重点を置いてというか、
何が一番大事なんだろうかということは、随分考えることが必要だったように思います。〉
湯浅長官は雅子さまのこの発言に驚愕したという。
「『何が一番大事なんだろうか』という言葉を聞いて、湯浅長官は、
『妃殿下はまだおわかりになっていない』と危機感を募らせたのです。
お立場上、何よりもお世継ぎのことを考えなくてはいけないのに、
まだ外国訪問にこだわっていらっしゃる、と真っ青になっていたと聞きました。
お世継ぎこそ天皇皇后のご意思であり、外国訪問など二の次だというのが
上層部の考え方だったのです」(皇室関係者)
皇太子ご夫妻と天皇ご一家の間には次第に距離ができるようになっていた。
皇太子ご夫妻が御所から足が遠のきがちになる一方で、天皇皇后と秋篠宮ご夫妻とのご交流は頻繁になる。
元宮内庁関係者がご両家の違いをこう話す。
「秋篠宮さまも紀子さまも御所によくお食事にいらして、何でも両陛下にご相談になります。
皇后陛下は大変リーダーシップがあおりになる方ですから、ご相談があれば親身になられますし、
頼りにされるのがうれしいご様子でした。
秋篠宮さまは昔からお話好きで、皇后さまにべったりだったのを心配されたほどでしたから、
紀子さまもお話の輪に入りやすかったのでしょうね。皇后さまにとてもかわいがられています。
それに対して、皇太子ご夫妻はもともとあまり外出されず、けして社交的なほうではありません。
東宮御所でもお籠りがちでお二人でいらっしゃるのがお好き。
たいがいのことはお二人で解決なさるご夫婦ですから。御所を訪れる機会も少なくなっていったのです」
皇太子と秋篠宮はもともとは大変仲の良いご兄弟としてよく知られていた。ところが皇太子が結婚されてから、
秋篠宮ご夫妻とお過ごしになる機会がめっきり減ってしまわれたという。
「雅子さまは外国育ちということですが、意外にシャイでいらして、
気さくにどなたとでも打ち解けるタイプではありません。
秋篠宮さま、それに紀宮さまとはちよっと性格がお合いにはならなかったようですね。
皇太子さまはご交流が途絶えがちになってしまった秋篠宮ご夫妻にお気を使われて、
夜のお散歩の途中にお一人で秋篠宮邸にお寄りになり、
お酒などのお届け物をされたこともあったといいます」(学習院関係者)
昨年から今年にかけて、天皇ご一家の行事で皇太子ご夫妻の“遅刻”や“欠席”が相次いだ。
9月11日、紀子さまのお誕生日の夕食会にご夫妻が45分遅刻。
12月9日、雅子さまご自身のお誕生日の夕食会の突然の中止。
12月23日、天皇のお誕生日の夕食会に雅子さまが2時間47分の中座。
1月5日、天皇皇后との夕食会を雅子さまが欠席。
「両陛下と秋篠宮ご夫妻、黒田夫妻の親密さがどんどん深まるばかりで、
皇太子ご夫妻がますます孤立していくように見えるのが心配でした」(皇室関係者)
雅子さまが皇室という環境に適応されていないご様子は、ご欠席が続いている宮中祭祀にも見て取ることができる。
ご結婚当初はご熱心に取り組まれていらしたが、いつしか遠のくようになられたという。
「雅子さまのご欠席はご病気にんるずっと前から目立つようになっていました。
すでに何年もお休みですから、東宮の女官や女儒もお式の段取りがわからなくなっているのではないかと、
皇后さまもご心配されているそうです」(元東宮職)

週刊現代2006年2月25日号 
揺れる天皇家と小泉
「沈む小泉」と「昇る安倍」
政治ジャーナリスト・大隈誠治氏
小泉首相は、安倍官房長官は紀子様ご懐妊を事前に知っていたのではと疑念を抱いたようです。
皇室典範改正の背景には、羽毛田信吾宮内庁長官をはじめとする宮内庁で少数の改革派と、
多数の守旧派の争いがあると言われています。
小泉首相と羽毛田長官は、'96年に岡光序治次官が逮捕された厚生省汚職事件の際、
厚生大臣と老人保健福祉局長として二人三脚で乗り切った、いわば”同志”の関係です。
そのため、小泉首相が霞ヶ関改革を唱えた時、羽毛田長官主導で最も保守的な宮内庁改革を断行しようとしたわけです。
羽毛田長官のバックには両陛下の意思があると思い込んで、小泉首相はこれまで強気の態度を崩さなかったのでしょう。
改革を嫌う宮内庁の守旧派は、紀子様ご懐妊の兆候があることを早い段階で安倍氏だけに教えた可能性がある。
安倍氏は報告せずにいたために、小泉首相にとって最悪なケースである
国会審議の最中に報じられたのではと、首相は勘ぐったのです」

小泉首相の皇室典範改正にかける意気込み
1月20日の施政方針演説で「皇室典範改正法案を今国会で提出する」と宣言
6月18日に閉会する通常国会で法案を成立させるには、3月10日までに法案を国会に提出しなければならない
党幹部に準備を急ぐよう重ねて指示
閣僚たちや自民党内、出身派閥の森派からでさえ反対論や慎重論が飛び出す
焦った小泉首相は昨年の郵政民営化法案と同様、賛成か反対かの踏み絵を踏ませて突破しようとした
2月初め、側近にこう漏らす
「これはもう政局なんだ。3月までこちらがこのまま突っ走っていけば、
次期総裁候補で誰が反対派なのか、炙り出すことができるというものだ。
これは昨年の郵政法案と同じ、一種の踏み絵だ。
いま反対している人も、いずれは賛成に回るに違いない。いまに分かる」
安倍氏、呆れる
紀子妃懐妊の一報が入った後の国会答弁で
「将来『自分が天皇陛下にならない』ということで教育を受けられるのと
『自分はいずれ天皇になる』というご自覚のもとで教育されるのと、愛子様にとっても大変大きな問題だ」
答弁後、安倍氏に促されて別室へ
「安倍氏は『このままでは政局になるが、皇室問題は郵政法案と違うので、
絶対こちらに勝ち目はありません』と言って、
約15分にわたって必死に 説得しました。後に伝わってきたところでは、
自らの官房長官辞任までほのめかしたようです」(全国紙首相官邸担当記者)

週刊現代2006年3月?日号
有識者会議に疑問
元宮内庁の鎌倉氏がメンバーからはずされたのは、男系維持派だったから。
2月13日午後6時に皇太子が皇居に行った。
陛下との間が疎遠になれば国民も心が離れる、その批判を払拭するために最近よく皇居を訪れる。
だが、現れたのは皇太子一人で雅子妃は今回もドタキャンとなってしまったようだ。
秋篠宮は宮内庁にも懐妊の兆候があることどころか検診に行くことも知らせてなかった。
ニュース速報が流れた段階で羽毛田長官も知らなかった。
慌てて御所に「陛下にお目にかかりたい」と申し入れた。
しかしその時陛下はすでに懐妊の事実を知っていた。
この第3子懐妊はまさに天皇、秋篠宮、そしてその側近を中心に「奥」で極秘裏に薦められたことだったのだ。

週刊現代2006年3月4日号
皇太子「秋篠宮第3子は男の子を望む」-天皇家一致で男系維持-
天皇・秋篠宮・皇太子も含めて天皇家は全員男系天皇維持で意思は統一されている。
女帝・女系推進の有識者会議の皇室典範改正案には反対である。
陛下は営々と続いてきた伝統を自分の代で終わりにしたいなどと考えてない。
皇太子は紀子様の男児誕生を願っている。
理由は雅子様愛子様共々継承騒ぎから解放され、雅子様の負担が無くなるから。
皇太子は雅子様の病気を絶対治したいと思っている。
雅子様本人の見解は不明。

親王殿下御誕生1

平成18年(2006年)1月12日
歌会始

文仁親王殿下お歌
人々が笑みを湛へて見送りしこふのとり今空に羽ばたく

文仁親王妃紀子殿下お歌
飛びたちて大空にまふこふのとり仰ぎてをれば笑み栄えくる 


2月7日
秋篠宮妃紀子さま懐妊、秋ごろ出産予定
秋篠宮妃紀子さまが懐妊されたことが7日、分かった。
宮内庁関係者によると、経過は順調とみられる。秋ごろ出産予定という。
秋篠宮ご夫妻にとっては、91年10月に誕生した長女眞子(まこ)さま(14)、
94年12月誕生の二女佳子(かこ)さま(11)に続くお子さまとなる。
男子誕生ならば、皇位継承順位は皇太子さま、秋篠宮さまに続く第3位。
天皇、皇后両陛下にとっては、皇太子ご夫妻の長女愛子さま(4)に続く、4人目の孫となる。
今国会にも法案が提出される予定の皇室典範改正の論議にも影響しそうだ。
秋篠宮ご夫妻は、今年1月の歌会始で、ともにコウノトリを題材にした歌を詠まれていた。
天皇家の二男秋篠宮さまは現在、山階鳥類研究所総裁など、紀子さまは結核予防会総裁などをそれぞれ務めている。
眞子さまは学習院中等科2年在学中、佳子さまは学習院初等科5年に在学中。
2006/2/7/15:11


文仁親王(秋篠宮)妃殿下に関しての宮内庁長官記者会見要旨
文仁親王妃殿下には,本日,拝診の結果,ご懐妊の兆候がおありになるとのことであります。
本日,このことについて,思いがけない形で報道がなされましたが,
これは,妃殿下が,山階鳥類研究所の会議のために千葉県にお出まし中の文仁親王殿下に,
拝診の結果をご報告になる時間さえない時点で行われたもので,
妃殿下にお与えした動揺やご負担を考えると,極めて残念に思わざるを得ません。
文仁親王殿下から天皇皇后両陛下,皇太子同妃両殿下に直接ご報告をなさったとうかがっておりますが,
両陛下には,ここに久々に皇室が再びお小さい宮様をお迎えになることをお聞きになり,
心よりお喜びのご様子でございました。
本日は,とりあえず,以上のことをお話しますが,後日,その時期が来れば,正式に発表いたします。
それまでの間,文仁親王妃殿下が静かにお過ごしになれるよう,
配慮されることが極めて大切であると思っております。
平成18年2月7日:宮内庁


朝日新聞 岩井記者
「東宮さまに遠慮していたが…」秋篠宮さま
2006年02月08日08時13分
「東宮さまのほうに遠慮していたが、『もうそろそろいいよ』とのお許しがあったので……」
秋篠宮さまは、親しい人にこんな話をもらしたことがあるという。
03年12月、当時の湯浅利夫宮内庁長官が記者会見で
「皇室の繁栄を考えると、(秋篠宮ご夫妻に)3人目を強く希望したい」と述べた後のことだった。(※)
会見の翌日、体調を崩して公務を休みがちだった皇太子妃雅子さまの静養が発表された。
突然の第3子発言は、天皇、皇后両陛下の意向を受けたものだったと見られている。
その後、紀子さまは、東京都港区の愛育病院を訪れ、検査を受けたり体調管理を相談したりしていた。
「なるべく自然に」とのご夫妻の意向で、特別な医学的な手だてはとられなかったという。
「できるだけ早く発表したほうがいい」との両陛下、ご夫妻の意向もあって、
これまでにない異例の早い発表となった。
http://www.asahi.com/national/update/0208/TKY200602070607.html

※2003年12月湯浅長官発言
「秋篠宮さまのお考えはあると思うが、皇室の繁栄を考えると、3人目を強く希望したい」
「姉妹との年齢差を考えるとできるだけ早い時期にと思う」


紀子さまご懐妊/その日を静かに待ちたい
2006/02/09 神戸新聞
秋篠宮妃の紀子さまにご懐妊の兆候がみられると、宮内庁が発表した。
妊娠約六週間で、経過は順調とみられる。今年九月か十月の出産になる。
秋篠宮家にとっては三人目のお子さまになる。
天皇、皇后両陛下は御所で秋篠宮さまからの連絡を受け、
心から喜ばれている様子だったという。心からお祝いを申し上げたい。
秋篠宮さまは以前、次のお子さまについて「子どもたちが妹なり弟なりがいて、
その世話をしてあげたいという気持ちがある印象があります」と話されていた。
眞子さま、佳子さまは、お姉さんになる日を心待ちにされていることだろう。
秋篠宮さまと紀子さまは、今年の歌会始でそろってコウノトリを題材にした歌を披露された。
「人々が笑みを湛へて見送りしこふのとり今空に羽ばたく」(秋篠宮さま)
「飛びたちて大空にまふこふのとり仰ぎてをれば笑み栄えくる」(紀子さま)。
昨秋、豊岡市でのコウノトリ放鳥式に出席された時の様子を詠まれたものだが、
ご夫妻はすでに予感されていたのかもしれない。
それだけに、これからの日々を大事に過ごしていただきたい。ご出産の無事を祈りながら、
その日を待ちたい。男子か、女子か、で騒ぐことは、ご夫妻に負担をかけることになる。
静かに見守りたい。
新しい事態を受けて、小泉首相も姿勢を変えたようだ。きのうの衆院予算委員会で
「慎重に審議することによって、政争の具にしないように慎重に取り運んでいきたい」と述べ、
皇室典範改正案の今国会提出を見送る可能性を示唆した。
賛否が対立する状況での国会審議は、ふさわしくないと判断したのだろう。
妥当だと思う。
同時に、将来にわたって皇位の安定的な継承を考えておくことは必要だ。
次のお子さまが男子である場合、皇位継承順位は、皇太子さま、秋篠宮さまに次いで三番目になり、
当面は問題ないが、若い世代の男子が少ないという点は変わりがないからだ。
昨年、首相の私的諮問会議である有識者会議は、女性、女系天皇に道を開くことと、
継承順位は男女を問わず直系の第一子とすることを柱とした報告書をまとめた。
これに対し、男系による継承という皇室の伝統に反するとして反対論が出ていた。
皇位の継承という重い課題は、冷静に、腰を据えて議論していくべきだろう。
その議論を通じて、国民の理解と共感を集めることが大事だ。

首相、皇室典範改正案「慎重に議論」 衆院予算委
小泉首相は8日午前、政府が今国会への提出を準備している皇室典範改正案について
「慎重に議論して、だれもが改正が望ましいという形で成立するのが望ましい。
じっくりと時間をかけて慎重に議論することで、政争の具にしないように
慎重に取り運んでいきたい」と語り、議論を尽くすべきだとの考えを示した。
秋篠宮さま手植え「プリンセス・キコ」偶然の開花
名古屋市中区の市立「ランの館」で一昨年、秋篠宮さまが手植えされた
ラン「プリンセス・キコ」が紀子さまの第3子ご懐妊の報道があった直後の7日夜から
8日朝にかけて開花した。職員らは「こんな偶然があるとは」と驚いている。
プリンセス・キコは中南米原産で高さ約30センチ。
花は、紀子さまをイメージしたような清楚(せいそ)な姿で、
白色で縁に薄紅色がほんのり入っている。2鉢あるうち、横地修館長が植えた1鉢は、
昨春から咲いたのに対し、秋篠宮さまが植えられた鉢は開花が遅れていた。
9日から同館アトリウムで特別展示される。
(読売新聞) - 2月8日22時24分更新


SPA!
2/21(2006)
勝谷誠彦ニュースバカ一代 VOL.174
天皇家という存在の不思議さは、この国が我を失って右往左往している時に、
しかと何かの「兆し」をもって 結果として国の行方を確かにしてくださることだ。
(中略)
はたしてこの慶事によって、皇統を巡ってうろたえていた政治家や国民たちはハッとばかりに目覚めた。
お生まれになる皇孫が親王殿下であれ内親王殿下であれ、
何もこの何ヶ月かで拙速に継承という大事を決める必要はないという当たり前のことに気付いたのである。
そして冷静になって見回してみると
そこに見えてきたのは「陛下のご意志」を僭称して立ち回ってきた宰相とその側近の姿だった。
小泉首相は予算委員会中にメモが入った時に仰天の表情を見せた。
彼は「知らなかった」のだ。
一方で一月中旬からこの慶事を漏れ聞いていた人々もいたと言われている。
となれば国家の大事を宰相が知らなかったのは恥辱であり、
そんな人物がどうして「天皇のご意志」を漏れ伺うことができたろう。
とりわけそう言って歩いていたという武部幹事長にたいしては野党は国会の場で糺すべきであろう。(後略)

週刊現代2006年2月25日号
2003年12月の湯浅発言は、雅子妃に対しあまりに非礼だとの批判が上がり、大いに物議を醸すこととなった。
しかしこの発言は現実のものとなった。
■宮内庁幹部
「当時、湯浅長官は世間から『何様のつもりか』と批判の集中砲火を浴びました。
しかし、宮内庁長官といえども、個人の判断で皇族に子作りを期待する発言はできるわけがない。
宮内庁職員の間では湯浅長官の発言は、天皇陛下のご意向を汲んだものだと言われていたんです。
そして、皇室典範改正論議が盛り上がり、『女性・女系天皇』が 容認されようとする
このタイミングで紀子さまが第3子を懐妊した。なぜ今なのか庁内は騒然となっています」
■小泉首相の衝撃度
午後2時13分頃、衆議院予算委員会に出席中の小泉首相に秘書官がメモを手渡した。
メモに目をやった小泉首相は「秋篠宮さま?」とつぶやき 、
一瞬「えっ」という驚きの表情を浮かべた。うわの空となった首相は、
予算委員長から「総理、総理」と二度、三度呼びかけられて、ようやく我に返ったほどだった。
■全国紙宮内庁担当デスク
NHKは7日の午前中には情報を掴み、宮内庁関係者に確認を始めました。
知っていたのは宮内庁でもごく一部だったため、NHKからの問い合わせを受けて庁内は大騒ぎになった。
そしてすぐにニュース速報が出たんです」
この時点で紀子妃はまだ、秋篠宮に対し懐妊の報告をしていない。
もちろん、天皇・皇后、皇太子も同様。
これほど性急な懐妊情報を一体誰が漏らしたのか。
懐妊を知りうるのは宮内庁でもほんの一握りの職員だけのはずで何らかの意図を持ったリークとも思える。
別の宮内庁職員
「皇室典範改正論議を沈静化させる意図があったとも考えられるのです。
懐妊となれば男児が生まれる可能性もあり、今国会での改正案上程は難しくなる。
宮内庁は女系天皇容認の改正案に熱心に動いてきたように報じられているが、
職員全員が同じ考えではありません。小泉首相が打ち出す改正案に反対の人間も少なからずいるのです」
翌8日午前の衆院予算委員会で小泉首相は大きくトーンダウン。
政界を真っ二つに分けた皇室典範改正論議は一気に沈静化した。
■孤立する皇太子一家
秋篠宮ご夫妻は以前から第三子を望む発言を公にしていた。
'02年11月の秋篠宮誕生日会見
「子どもたちが妹なり、弟なり何かその世話をしてあげたいという気持ちがあるような印象があります」
宮内庁職員
秋篠宮さまはお二人の内親王を授かった後も、さらに子どもを欲しがっていた。
しかし皇太子ご夫妻を気遣い、第三子の出産を遠慮していたと聞いています。
『お許し』とは、天皇・皇后の意向を汲んだという湯浅長官の『第3子発言』だったのです」
この「第3子発言」をきっかけにして皇太子家と、天皇・皇后、秋篠宮家との関係が
以前より疎遠になっていったことは宮内庁関係者の間では否定しがたいこと。
皇族関係者
「病気のこともあり、皇太子さまも雅子さまもほとんど御所には顔を出しません。
そのため、両陛下が愛子さまに会う機会は本当に乏しい。
現状では愛子さまはどう見ても小和田家の孫であって、両陛下の孫じゃないみたいです。
皇室担当者が両陛下に愛子さまの様子を尋ねても、『会ってないのでわかりません』とお答えになるそうです」
皇室ジャーナリスト
外務省のキャリアウーマンから皇室入りした雅子妃と、
大学を卒業してすぐに皇室に入った紀子妃とでは、ライフスタイルからしてまるで違います。
雅子妃は以前の会見で『皇室に慣れるということが難しかった』と口にしているが、
紀子妃は『皆様のおかげさまで 慣れることができた』とかわしている。
紀子妃は頻繁に御所へ行き、皇后や紀宮とお菓子作りなどをしていたが、
雅子妃はそういった付き合いが苦手。それがストレスとなってしまったのです。
自分と意見が異なれば、相手が陛下であっても皇太子であっても反論するのが雅子妃流
秋篠宮ご一家は、公務や行事など精力的に活動して天皇・皇后と 関係を深め、存在感を増してきた。
紀宮さまと黒田慶樹氏の間をとりもち、紀宮さまの無二の親友と皇后の甥の結婚のキューピッド役まで務めている。
'04年の誕生日会見では「本来の公務はすべて受け身である」という趣旨の発言をしたことで、
宮内庁関係者などから「すばらしいご意見だ」と支持されたこともあった。
宮内庁幹部
秋篠宮ご一家は、頻繁に御所の両陛下を訪ねています。
眞子さま、佳子さまもご一緒です。両陛下から食事の誘いなどがあればすぐに行くし、
(皇后の)蚕の桑取りや世話にも度々訪れている。
御所では両陛下が行う稗や粟、米の収穫のお手伝いにも行っています。
両陛下はお知り合いの方との会合でも皇太子ご一家の話はほとんどされませんが、
秋篠宮ご一家についてはよくお話されるようです」

産経新聞2006年2月9日朝刊
紀子さま懐妊一報後に官邸に戻ってきた小泉、安倍との会話にて
小泉「(懐妊は)本当なのか」と何度も繰り返す
安倍「総理、改正には慎重にならないと」
小泉「なぜだ?」
安倍「生まれてくるお子さまが男子だったら、
   今改正するとその方の継承権を奪うことになります。
   そもそもこの改正は皇太子さま、秋篠宮さまに続く次の若い皇位継承者が
   いなくなってしまうことが 改正するための趣旨ではなかったのですか」
小泉「・・・・(しばらく考えた後に)・・・そうか」

ニュース速報が流れた段階で羽毛田長官も知らなかった。
慌てて御所に「陛下にお目にかかりたい」と申し入れた。
しかしその時陛下はすでに懐妊の事実を知っていた。
この第3子懐妊はまさに天皇陛下、秋篠宮さま、
そしてその側近を中心に「奥」で極秘裏に薦められたことだったのだ。

俵孝太郎の辻斬り説法2006年2月9日
「国民統合の象徴」とはどういう意味か
(一部抜粋)
侵略にあって危急存亡の淵に立つかもしれない。
そのとき国民の歴史とともに続いてきた「総本家」ではない「だれかさんちの内孫」を中心に
日本が結束できるか。
女性天皇はまだしも、女系天皇の出現には、この点に根本的な疑問がある。
秋篠宮妃の親王ご安産を祈るや、まことに切なるものがある。

反応(他サイトより・一部)
http://jjibba.web.fc2.com/kinen/353.htm
http://jjibba.web.fc2.com/kinen/356.htm
http://jjibba.web.fc2.com/kinen/358.htm


紀子さまご懐妊 宮内庁発表要旨
秋篠宮妃紀子さま(39)のご懐妊に関し、現在妊娠3か月目で経過は順調であることが
24日、宮内庁から発表された。
同庁の金沢一郎・皇室医務主管と、主治医の中林正雄・愛育病院院長による記者会見の要旨は次の通り。

 ――予定日は?
中林院長 9月下旬です。

 ――拝診の経過は?
同 妃殿下は基礎体温をつけられていて、このような温度が数日間続いております、
つわりの症状があります、と私の方に電話があり、「妊娠であろう」と申し上げました。
その1週間ほど後の2月7日に拝診しました。
数日前に再度、拝診し、総合的に分べん予定日などを決定しました。

 ――男女の性別の検査は?
金沢医務主管 もともと両殿下は生まれるまで性別などは一切知りたくないというお考えです。
一般の社会でも、それを知りたくないという人に、医者が教えるはずはありません。

 ――ご懐妊は自然なものか、男女産み分けか?
同 2人のお子さま(眞子さま、佳子さま)が生まれた時も、
お兄さまの方にお子さまが出来ていないのにどうするんだ、という批判や
プレッシャーがあったと感じています。
けれども、お年も40に近づき、状況も当時とだいぶ違うということもあって、
やはり子どもが欲しいとお思いになったんじゃないかと思います。
特別に何かやったということではありません。

 ――医療チームは?
同 中林先生にチーフになっていただいて、全面的に指揮していただきます。

(2006年2月25日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/impr/0609article/fe_im_06022501.htm


平成18年2月24日 「心なき報道」に遺憾の意
「秋篠宮妃紀子殿下にはご懐妊の模様につき拝診したところ、
妊娠3か月目の診断であり、経過は順調であります。」
午前11時から宮内庁内で金沢一郎・皇室医務主管と主治医の中林正雄・愛育病院院長が記者会見し、
紀子さまのご懐妊を正式発表した。
皇室典範の改正議論で親王の期待が高まる中、
金沢主管は男女の産み分けなどの医療行為について「特別なことはしていない」
「(ご夫妻は)お生まれになるまで性別は一切知りたくないとの考え」と説明し、
性別の事前検査は行わない考えを示した。
金沢主管らによると、紀子さまは1月下旬、つわりの症状があることなどから
次女の佳子さまを出産した際に主治医を務めた中林院長に電話し、
2月7日に初めて宮邸で超音波検査を受けられた。
2月下旬に2度目の検査があり、順調な経過が確認されたという。
関係者によると、紀子さまは医師と話をしているうちに流れた速報や、
「皇太子家vs秋篠宮家」「紀子妃覚悟の懐妊」などとする週刊誌の記事にショックを受け、
知人らに泣きながら電話されることもあったという。
会見で金沢主管は「懐妊された一女性に向けられたとは到底思えぬ心無い報道が毎日のようになされています。
こうした事態によって妃殿下に無用な精神的なご負担をお与えしていることは誠に遺憾」と述べるなど、
懐妊の正式発表も異例だった。
(読売新聞「悠仁さま」より)

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

★2月10日 唐突に東宮家から「コマツナ」ニュース
皇太子ご夫妻も「お喜び」 紀子さま懐妊で
宮内庁の林田英樹東宮大夫は10日、定例記者会見で、
秋篠宮妃紀子さまが懐妊されたことに、皇太子ご夫妻が「大変お喜びでいらっしゃいました」と述べた。
林田氏によると、皇太子さまは、秋篠宮さまから妊娠の兆候について電話で直接連絡を受けた際のやりとりに触れ
「秋篠宮は報道先行で戸惑っていたようだ」と語り、
紀子さまには体を大事にしてほしいとの気持ちを持ったようだったという。
また、東宮御所の畑で愛子さまが水やりなどをして育てていたコマツナを収穫し、皇太子ご一家で食べた。
(共同通信) - 2月10日17時58分更新
http://www.47news.jp/CN/200602/CN2006021001002232.html


週刊文春2006年3月3日号
新宮ご誕生で「皇室」はどうなる
紫門ふみ(漫画家)
今回のご慶事によって、ここ数年間における皇太子さまと秋篠宮さまの対照的な生き方が、
よりはっきりしたと思います。
秋篠宮さまは、紀宮さまの結婚相手を探してきたり、皇太子さまの「人格否定発言」をたしなめたりと、
皇室に対して一所懸命に尽くされている印象を受けます。
一方、皇太子さまはただ一人、妻だけに気を遣っている印象を受ける。
それはお二人とも、自分にとって大事なものを守ろうとしているのでしょうね。