辻元清美「ああいう一族がいる近くで空気を吸いたくない」

2017.6.8 11:54
「辻元清美さんは皇室を『生理的に嫌だ。同じ空気を吸いたくない』と書いた」
日本維新の会・足立康史氏が攻撃、辻元氏の“言い訳”は
民進党の辻元清美衆院議員が8日の衆院憲法審査会で、
過去に著書で皇室を「生理的にいやだ」などと批判していたことを認め、
「一面的だった」と反省の弁を述べた。日本維新の会の足立康史衆院議員が著書を取り上げ、追及した。
話題に上ったのは、辻元氏が民間国際交流団体「ピースボート」を設立し
政界進出する前の昭和62年3月に出版した
『清美するで!!新人類が船を出す!』(第三書館)。
辻元氏は著書で皇室について「生理的にいやだと思わない? ああいう人達というか、
ああいうシステム、ああいう一族がいる近くで空気を吸いたくない」
「天皇っていうのも、日本がいやだというひとつの理由でしょ」と記していた。
さらに日本のスポーツ界と関連させて
「人生訓とか道徳を押しつけたがる。天皇とあの一族の気持ち悪さに直結している」とし、
天皇制を「悪の根源」とまで断じていた。
足立氏は、天皇制廃止を訴えた辻元氏の過去の発言も挙げ、
「こうした発言を繰り返す辻元氏が憲法審査会の幹事なのは適当ではない」と批判した。
これに対し辻元氏は「30年ほど前、学生時代にご指摘の発言をした」と認めた。
その上で「日本国憲法の下、日本は生まれ変わり、戦争放棄の国になった。
憲法に規定されている象徴天皇を尊重しなければならない。
私は考えが一面的だったと痛感し、深く反省した」と述べ、著書の内容を撤回した。
http://www.sankei.com/politics/news/170608/plt1706080021-n1.html

枝野長官、今上陛下が第何代か「知らない」

枝野長官、今上陛下が第何代か「知らない」
2011.6.6 16:14

枝野幸男官房長官は6日の参院決算委員会で、
現在の天皇陛下が第何代なのかについて「知らない」と述べた。
天皇陛下は初代神武天皇から数えて125代目にあたる。
枝野氏は今年が皇紀何年(2671年)にあたるかも答えられなかった。
山谷えり子氏(自民)に対する答弁。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110606/plc11060616150015-n1.htm

平成「尊王」論―今こそ正気の光を

別冊正論Extra.14
(平成23年1月7日発行)
平成「尊王」論―今こそ正気の光を
皇學館大学教授 松浦光修

“憲政史上最悪”の不敬発言
昨年(平成22年)、11月29日の午前のことである。
参議院本会議場で、天皇皇后両陛下、秋篠宮殿下・同妃殿下のご臨席を仰ぎ、
「議会開設120年」の式典が行われている。
しかし、国会議員の、なんと約半数が「欠席」であった。
(衆参両院の国会議員721名のうち、出席したのは370名)。
それだけでも非礼の極みというべきであるが、この式典では、さらに信じがたいことが起きている。
式典中、秋篠宮殿下に対し、前代未聞の「不敬ヤジ」を飛ばした「民主党ベテラン議員」がいたのである。
その事実は、翌日の朝に更新されたみんなの党の参議院議員・桜内文城氏のブログによって明らかになった。
桜内氏は、こう記している。
「報道されてはいませんが、ある民主党ベテラン議員は、秋篠宮殿下御夫妻が入場された後、
天皇皇后両陛下の御入場をお待ちになる間、ずっと起立されていた。
(当初の式次第では、着席されることになっていた)
のに対して、『早く座れよ。こっちも座れないじゃないか。』と野次を飛ばす始末。
想像を絶するようなことが起こっていたのです」。
すぐにネット上で大騒ぎになり、早くも同日の午後には、その「民主党ベテラン議員」の名前が特定される。
国家公安委員長在任中、赤坂の議員宿舎のカード・キーを銀座のホステスに渡したり、
金賢姫を“国賓あつかい”の待遇で招いたりと…、
世間の顰蹙を買う話題にはこと欠かなかった衆議院議員・中井洽氏である。
(選挙区は、三重県第一区〔津市・伊賀市・名張市〕)
中井氏は、その後の報道を見るかぎり、どうやら、そもそも皇室に対する「敬意」がない人物のようで、
たとえば、その日の中井氏の行動について、
自民党の理事は、12月1日の衆議院議院運営委員会で、こう指摘している。
「中井氏は、天皇皇后両陛下、秋篠宮同妃両殿下のお迎えに際しても、
一人(モーニング姿ではなく)平服で、お迎え前にもポケットに手を入れ、まわりの民主党議員と雑談していた。
秋篠宮同妃両殿下のご入場の際も、一人着席のまま、数秒後に立つ対応だった」
(「産経ニュース」平成22年12月4日)。
(中略)
ちなみに、「不敬ヤジ」が世間で大騒ぎになり、中井氏への「懲罰動議」が出ると、
民主党は、同式典で携帯電話の着信音を響かせた自民党の衆議院議員・逢沢一郎氏への
「懲罰動議」を出して相殺をはかっている。姑息としかいいようがない。
「逢沢氏の着信音は、天皇陛下に聞こえたかもしれないが、
中井氏の発言は聞こえていない」というのが、その理由らしいが、
「過失の不敬」と「故意の不敬」の罪の軽重さえ、民主党にはわからないらしい。
たぶん「恥の上塗り」というのは、こういう態度のことをいうのであろう。
もしも民主党が「聞こえていない」などという理由で、
あくまでも中井氏の「不敬ヤジ」を不問に付そうとするのであれば、
民主党は、みんなの党の参議院議員・水野健一氏の次の証言に対して、どう釈明するつもりであろう。
「中井氏が殿下に対して『早く座れよ。こっちも座れないじゃないか』と言ったのが鮮明に聞こえた。
『聞こえるようにいわなければダメだ』とも言っており、
確信犯だ。独り言ではない大きな声だった」(『産経新聞』平成22年12月2日)。
中井氏の地声は(国会でのヤジなどで、周知の事実であろうが…)、きわめて大きい。
その中井氏が「聞こえるように」言ったのである。
あの静粛な議場内でのことであるから、秋篠宮殿下・同妃殿下に声が届いていた可能性は高い。
もし、殿下がなにかの機会に、さらりと、「ああ…あれ。聞こえていましたよ」などとおっしゃったら、さて…、
民主党首脳部は、どう責任をとるのであろう?
ちなみに、今回の一件で、民主党の非常識を象徴したのが、
中井氏と同じ三重県選出の民主党幹事長・岡田克也氏の対応である。
岡田氏は、「皇室がご関係になったような話を、軽々に取り上げるべきではない」などという、
意味不明な言い訳をしつつ、中井氏の謝罪の必要性を否定している(「産経新聞』平成22年12月3日)。
岡田氏といえば、かつて国会の場で、秋篠宮妃殿下の「紀子様」を、「のりこさま」と読んだ人である。
伊勢神宮御鎮座の三重県から選出された議員でありながら、
そろいもそろって、皇室に対する「不敬」な言動が目立つ。
それは、たぶん偶然ではない。なにしろ三重県の教育は、
戦後ずっと、反天皇思想をもつ職員団体の支配下にあるからである。
(中略)

「不敬装置」としての民主党
そもそも民主党は、日本人なら皇室に対して自然に生じるはずの敬意が、
党全体から、まったく感じられないという不思議な政党である。
ここで話を平成21年秋の「政権交代」の時点にもどし、
民主党政権の皇室に対する“不敬の歴史”を確認しておきたい。
まず平成21年10月23日、先の岡田克也氏(当時、外務大臣)が、
閣僚懇談会で、国会開会式での天皇陛下のお言葉について、
「(毎回)同じ挨拶をいただいている。国会に来ていただいているのだから、よく考えてもらいたい」、
「陛下の思いが少しは入った言葉がいただけるような工夫を考えてほしい」などと発言し、
宮内庁に対して陛下のお言葉の見直しを求めた。
陛下のお言葉に「注文」をつけるなど、前代未聞のことである。
そして、その二ヵ月後の12月、民主党政権は、言語道断の不敬事件をおこす。天皇陛下への「接見教養事件」である。
あたかも民主党幹事長(当時)・小沢一郎氏が、143名の一般参加者を引き連れ、12月10日から13日にかけて、
「朝貢外交」を行っているさなかの出来事であった。
外国の要人が天皇陛下への接見を希望する場合、通常は一ヶ月前に申し込むのがルールになっていたが、
官房長官(当時)の平野博文氏は、12月7日と10日に二度にわたり、電話で宮内庁に圧力をかけ、
中共の副主席・習近平氏との接見を、陛下に強要したのである。
結局…、接見は二回目の電話の五日後である15日に強行されたが、
あたかも、この日は、宮中では神聖な「賢所御神楽の儀」の日であった。
当時、私は民主党首脳部の何者かが、故意にそのような神聖な日に
接見をぶつけてきたのではないか、と疑ったものである。
いったい、この一件について、陛下は、どのような思いをいだかれたのであろう?
むろん、正確に知るすべはないものの、ある宮内庁関係者は、こう語っている。
「両陛下は、周囲に『昭和天皇の御代から大切にしてきた
“あらゆる国のその立場にある人に公平に分け隔てなくお会いする”ということが、
簡単にないがしろにされてしまった』と漏らされた、と聞いております」(『週刊文春』平成21年12月24日号)。
どのような大国であろうと、また、どのような小国であろうと、
「一視同仁」の立場で臨まれるのが、ご歴代の大御心である。
おそらく今上陛下は、“先帝陛下が守ってこられた大切な外交の作法を、
私は守れなかった”との思いで、御自身をお責めになったのではなかろうか。
恐懼のきわみである。
しかし、この言語道断の「接見強要事件」においても、そのころの民主党内から聞こえてきたのは、
幼稚な詭弁と、傲慢な答弁ばかりであった。
小沢氏にいたっては、「内閣が判断したことについて、陛下がその意をうけて行動なさるのは、当然のことだ」、
「陛下は、『手違いで遅れたかもしれないけれども会いましょう』と必ずおっしゃると思う」などと、
取りようによっては、陛下に対する「脅迫」まがいのセリフも吐いている。
いずれも、皇室に対する日本人らしい敬意のカケラも感じられない“もの言い”であり、
これらの言葉に、当時、強烈な嫌悪感を覚えた向きも少なくなかったはずである。
ともあれ私は、この一件によって、はっきりと「民主党は朝敵である」と確信し、
以来、いつでもどこでも、そう公言しつづけている。

ちなみに、秋篠宮悠仁親王殿下が、おすこやかに成長されているにもかかわらず、
「女性・女系天皇」の実現を諦めていない一部の官僚と宮内庁関係者のなかには、
民主党政権の成立に期待する向きがあったらしい。
平成21年9月15日、宮内庁長官・羽毛田信吾氏は、
「政権が変っても、皇室が安定的に続いていくかどうかという観点から、
問題含みの状態であるという意識は変わらない」、
「新しい政権が発足後、できるだけ早くこの問題について説明する場を持ちたい」などと述べているが、
じつは、これは、新しい政権下で、「女性・女系天皇」を実現させよう…との動きであったという。
そのことについて、八木秀次氏は、当時の「事務方の政府高官と宮内庁筋」の動きを、こう記している。
「宮内庁は、今年(平成21年)初めから非公式に女性天皇容認のための研究会を発足させ、
女系容認の研究者を呼んでいる。
さらに麻生政権が密かに進めていた別方向での皇位の安定的継承のための検討を妨害したのは、
事務方の政府高官と宮内庁筋だった。
最後は、内奏の際のありもしない御下問を持ち出し『大御心』を捏造までして潰しにかかった」
(『正論』平成21年11月号)。
「別方向での皇位の安定的継承のための検討」とは、
おそらく、旧皇族の男系男子の子孫の方々に皇位に復帰していただくための具体策の検討ではないか…と推測される。
また、「大御心」の「捏造」とは、おそらく、何者かが
「天皇陛下は、じつは女系容認のお考えをおもちなのです」などというデマを、
当時の政府首脳部に伝えたということではないか…と推測される。
そもそも、秋篠宮悠仁親王殿下のご誕生によって、いったん下火になっていた「女性・女系天皇」推進論が、
近年になって、ふたたび息を吹き返したこと自体、不思議な話である。
おそらくその背後には、「事務方の政府高官と宮内庁筋」の動きがあるにちがいない。
不幸中の幸いは、民主党政権の成立後、すぐに「接見強要事件」が起こり、
羽毛田信吾氏と小沢一郎氏の対立が表面化したことである。
それによって、両者が「女性・女系天皇」の実現で協力し、
国体を破壊するという最悪の事態は、当面、避けられたわけであるが、
今から考えれば、それもひとつの「神風」であったといえよう。
ともあれ、以上のような民主党政権の“不敬の歴史”の延長線上に、中井洽氏の“憲政史上最悪”の「不敬ヤジ」がある。
官房長官の仙谷由人氏は、平成22年11月18日の参議院予算委員会で、
自衛隊を「暴力装置」と言ったが、このように見てくれば、
民主党政権は、政権発足以後、ずっと「不敬装置」であったといえる。
それが、「国体破壊装置」にバージョンアップしてからでは遅い。早期の「政権交代」が望まれる所以である。
(中略)

高師直・師泰兄弟と小沢一郎の皇室観
(中略)
決定的なのは、師直の(別本では、師泰の)この発言である。
「京都に『王』というものがあって、多くの土地を領有し、
『内裏』とか『院御所』などというところがあって、前を通るにも、
一いち馬から降りねばならず、じつにメンドウだ。
『王』などいてもいなくても、政治は武家が諸事万端、うまく取り計らっている。
『王』などなくても、まったく不便はない。もし『いないと困る』という者がいるのなら、
木像でもつくっておくか、金属で鋳たものでも安置しておくか、
その二つのうち、どちらかをやればすむ話だ。
その上で、ほんものの上皇、天皇などは、どこへなりとも流して、捨ててしまえばよい。
それが、天下のためにもよいことで、そもそも公平というものであろう」
(小学館古典文学全集本『太平記』巻第二十六「師直師泰奢侈のこと・現代語訳は松浦)
近現代の天皇制廃止論者と、言うことが、じつによく似ている。
まるで日教組の教員のようである。そして、この師直の発言と
「接見強要事件」のさいの小沢一郎氏の発言は、よく考えてみれば、その思想構造が、まことによく似ている。
先にも引いたとおり、あの時、小沢氏は「内閣が判断したことについて、
陛下がその意を受けて行動なさるのは、当然のことだ」
と発言しているが、それは、つまり「主権者は国民であり、内閣は、その国民の負託を受けているのであるから、
内閣と与党の命令は絶対である。したがって天皇は、内閣に従わなくてはならない」という意味かと思われる。
たしかに「日本国憲法」には、「(天皇の)地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」との文言がある。
これを恣意的に解釈すれば、小沢氏の発言は、一見すると正論のように見えなくもない。
しかし、もしも、そのような解釈が可能であるなら、日本では、内閣の下位に皇室が位置する…、
つまり、“皇室は内閣の下部機関”という位置づけになってしまう。
もちろん、そんなことは、日本の歴史と伝統を考えれば、ありえない解釈であるし、
さらには「日本国憲法」のどこにも、そのようなことは書かれていない。
それに、そのような解釈が成り立つのなら、天皇の「政治利用」など、
いくらでも可能になってしまおう。民主党が、昨年の「接見強要事件」に見られたとおり、
天皇の政治利用を躊躇なく強行し、その後、党内から、反省の声一つあがらなかったことからすると、
あるいは小沢氏の天皇観は、民主党全体の天皇観を象徴するものなのかもしれない。
(中略)

北畠親房の「種」と「徳」
悠久の歴史をふりかえれば、古代の日本には、広く国民のあいだに「尊皇」の心が横溢していたように思われる。
残念ながら、今の日本史学者のほとんどはサヨクであるから、
そのことを、なんだかんだといって認めたがるまいが、
たとえば、「防人」の一人である今奉部与曽布(いままつりべよそふ)は、こういう和歌を詠んでいる。
「今日よりは/顧みなくて/大君の/しこの御盾と/出で立つ君は」(『万葉集』巻第二十)。
歌意は、こうである。「今日から私は“私”を滅して生きよう。
なぜなら、これから私は、天皇をお守りする強い盾になるという、尊い任務につくための旅に出るのだから…」。
壱岐、対馬、筑紫い「防人」が置かれたのは、天智天皇2年(663)の白村江の戦いの翌年で、
わが国に迫るシナの軍事的脅威に備えるためである。(近年の東アジアの外交状況は、この時代に近い)。
その危機にさいして、はるばる東国から、「防人」として九州に旅立つ民間の一青年によって、
このような和歌が詠まれているのであるから、
やはり古代の日本では、官民を問わず、「尊皇」の心が共有されていたと見るべきであろう。
それにもかかわらず、数百年の歳月を経て、どうして日本では、土岐頼遠や高師直・師泰のような不敬の言動が
横行するようになったのであろうか?むろん、その原因を挙げはじめたら、きりがあるまいが、
その直近の大きな原因の一つとして、皇統が長く二統にわかれていたことがあるのは、まちがいなかろう。
二統とは、御嵯峨天皇(1220-72)の第一皇子・後深草天皇にはじまる大覚寺統と、
その第二皇子・亀山天皇にはじまる持明院統である。
後宇多天皇(1267-1324)から伍代(1288-1339)までの六代の天皇は、両党から交互に即位している。
このような危うい皇位継承がつづくことによって、
しだいに「正統」という観念が曖昧になっていくのは当然のことであろう。
そして、そのことが、南北朝の騒乱を招く最大の原因になるのである。
皇位継承とは、それ以上のものはない、と言っていいほどの国家の重大事であり、
あくまでも、建国以来の皇室伝統にもとづく原則にしたがって行われるべきものである。
その原則は、けっして、その時々の天皇や皇族、ましてや政治家などの意思で、勝手に変えてよいものではない。
したがって、「次の天皇はどなたか?」ということについて、
ある時代の人々の答えがバラバラである…ということは、基本的にあってはならないことで、
もしも、そのような状況であれば、すでにその時、伝統的な皇位継承の原則は“揺らいでいる”ということになる。
その“揺らぎ”は、ほかならぬ日本の“揺らぎ”であり、その振幅が大きければ大きいほど、
国は、しだいに乱世へと向かい、結果的に、国民は塗炭の苦しみを味わうことになる。
まさに南北朝がそのような時代であったわけであるが、
その渦中にあって、北畠親房(1293-1354)の書き上げた名著が、『神皇正統記』には、こういう言葉が散見される。
「わが朝の初めは、天神の種を受けて」・「天祖よい…ただ一種にまします」・
「(外国は)勢力あれば下劣の種も国王となり」近代以前においては、農業が主な産業であったから、
そのような社会において「種」は、「男系」などという言葉よりも、よりリアリティのある言葉であったろう。
「種を受けて」が、すなわち「男系」により継承を意味することは、
常識のある者なら、誰が見てもはっきりしている。
親房にとっての難問は、そのようなことではなく、同じく神武天皇の「種を受け」ながら、
なぜ、ある天皇の血統が絶え、別の血統に皇位が移るという現象が、
歴史上、何度も繰り返されてきたのか、ということであった。
その難問を、親房は「徳」というキーワードで解いている。たとえば、武烈天皇を評して、親房は
「不徳の子孫、宗廟の祭りを断たむこと。疑いなし」と記す。
仁徳天皇の子孫である武烈天皇は「不徳」であったがために、
その血統は絶えてしまい、次の天皇には、仁徳天皇の兄弟の子孫である継体天皇が即位した…と、
親房は解釈するのである。
同じような血統の「交替」は、他にもあって、親房は、文徳天皇からはじまる血統が陽成天皇という
「不徳」の天皇の出現によって絶え、
その次の天皇に、文徳天皇の兄弟である光孝天皇が即位したことも、その一例であるとする。
親房にとって、血統は偶然絶えるのではなく、「不徳」の結果として、いわば“必然的”に絶えるのである。
つまり、親房が言いたいのは、こういうことであろう。「皇統は、神武天皇より男系で連続している。
ただし、“不徳”の天皇があらわれれば、その系統は断絶し、
別の系統の神武天皇の男系の子孫が、天皇として即位する」。
そのようにして神武天皇を初代とする、いく筋もの男系の皇統が伴走しつつ、
「徳」の有無によって交代しながら維持されてきたのが、
親房にとっての「正統」なのである。これは、いわば「神武天皇の男系子孫内の易姓革命思想」といってよい。

本居宣長から井上毅へ
ところが江戸時代になって、社会が安定し、学問が広がるにつれ、親房の「種」と「徳」による「正統」の概念規定は、
きわめて問題を含むものに変質する。とりわけ、親房が「正統」と信じた南朝が滅んでしまったという事実が、
知識人たちの前には、悩ましい問題として横たわっていたであろう。親房の思想にしたがえば、南朝には「徳」がなかった、
ということになるからである。それのみならず。楠木、新田、名和などの「忠臣」たちも、
「不徳」の天皇に仕えた愚かな武将たちということになってしまう。
しかし、考えてみれば、そもそも、「徳」というのは―なるほど麗しい言葉ではあるものの
―むろん可視化できるものではない。
そのようなものによって「正統」が決定されるなら、
結果的に、江戸時代の、どの大名家であろうと、お家騒動が頻発する危険性が高まる。
これらの難問に解答を見出したのが、江戸時代初期の大学者・山崎闇斎(1618-82)と、
その学派の学者たちであった。
その解答とは、簡単に言えば、こうなる。
「徳」の君主に仕えることは容易であるが、「不徳」の君主に仕えることは容易ではない。
しかし、「不徳」の君主に仕える時こそ、「忠」の真贋があらわれ、真の「忠」が光を放つ…。
したがって、「不徳」の天皇に仕えた南朝の武将たちこそが、真の「忠臣」といえる。
そうであるなら、おそらく、もっとも後醍醐天皇の「不徳」を知りつつ、
しかし、もっともご確認に忠義をつくした楠木正成こそが、最高の忠臣なのである。
(詳しくは、拙稿「平成『臣民』論」〔『正論』平成22年1月号〕参照)。
こうして、闇斎とその学派の学者たちの学問的・思想的な苦闘によって、
必ずしも君主にとって、「徳」は必要不可欠な」ものではない…ということになった。
そして、闇斎が没して数十年の後のことであるが、江戸時代の日本に、ふたたび学問的・思想的な巨人が生まれ、
やがてはその人物が、親房以来の「徳」の議論に、はっきりと決着をつけることになる。
その人物こそが、本居宣長(1730-1801)である。宣長は、こう断言している。
「なるほどシナなどでは、徳によって君主の位につく者もあって、
そのこと自体を、貴いことだと思う者もいるかもしれない。
その気持ち、わからないではないが、それは、じつは悪いことなのである。
わが皇国は、神代より君臣の分が、きっちりと定まっていて、
君主は、何の理由づけをする必要もなく、そもそも尊い。
その尊さは、『徳」などとは、まったく関係がなく、もっぱら『種」のみを根拠としている」
(『葛花』・現代語訳は松浦)。
ここでも、「種」がでてくる。というよりも…、
もう宣長にとって、「正統」の条件は、「種」のみになっているといってよい。
現在の学会でも、宣長は「学者としては、最上級の、ほとんど不世出の天才」(城福勇『本居宣長』)と
評されている人物であるが、その宣長が、長年の研鑽の果てに、
君主の条件を「種」にしぼったことの意味は、きわめて重い。
その後、宣長の学統は、皇学(国学)の主流をなす巨大な学派を形成する。
そのなかに宣長の養子の本居大平(1756-1833)から、
その養子の本居内遠(1792-1855)へ、その内遠から小中村清矩(1821-94)へと受け継がれた学統がある。
そして、小中村の養子となったのが、熊本出身の皇学(国学)者・池辺義象(1864-1923)である。
この池辺は、同じ熊本出身の法制官僚・井上毅(1844-95)の「秘書」となる。
いうまでもなく井上は、「大日本帝国憲法」「皇室典範」の起草者の一人であり、
「教育勅語」の制定にも主導的役割を果たした
明治の忠臣である。井上は、池辺に学びつつ、日本の古典の精密な研究をもととして、
わが国の「国のかたち」を探求しつづけ、やがて、その研究成果を近代日本の「成文法」として確立する。
こうして「旧皇室典範」が、明治22年2月11日に制定される。
その第一条には「皇位は祖宗の皇統にして、男系の男子、これを継承する」とあり、その「義解」には、
「皇統は男系に限り、女系の所出に及ばざるは、皇家の成法なり」と記されている。
また、「義解」には「皇統にして皇位を継ぐは、必ず一系に限る。而して二三に分割すべからず」などともあるが、
これらは、むろん井上個人の思いつきなどで記されたものではない。
これまで記したところからも明らかなように、それらは日本史上に屹立する、
北畠親房、山崎闇斎、本居宣長など、学問的・思想的な“巨人”たちの、
数百年にわたる思索と経験を結晶化させたものなのである。
このように見てくれば、「女系天皇」などというものは、
しょせんは平成の、あるいは近代の「邪説」・「珍説」のたぐいにすぎないことがわかる。
それにもかかわらず、平成17年11月に「皇室典範に関する有識者会議」の「報告書」が発表されて以来、
神武天皇以来の皇位継承の原則を破壊しようとする人々の動きは、先にも記したとおり、いまだにとまらない。
「皇室典範」の改正が急がれることは、むろん確かである。
しかし、それは、あくまでも建国以来の皇位継承の原則を護るための改正でなければならない。
皇位継承の原則を無視する言論は、いくら「皇室を思うがゆえに…」などいう断り書きを入れたところで、
しょせんは、皇位継承の原則の“ゆらぎ”をもたらすだけである。その“ゆらぎ”をもたらそうとする者は、
結果的には、国を騒乱に陥れ、国民を塗炭の苦しみに陥れる「朝敵」である。
おそらく、そのような“揺らぎ”と、民主党政権という「不敬装置」の出現とは、無縁ではあるまい。
皇統が二統にわかれ、その結果、いつ果てるともない内乱がつづき、
土岐頼遠や高師直・師泰などという「逆賊」を生んだ忌まわしい過去を、私たちは、けっして忘れてはなるまい。
思えば、南北朝の時代は、それらの不敬を生んだ“闇の時代”であったが、
逆説的に言えば、そのような時代であったからこそ、楠木正成のような、
日本人にとっては“永遠の忠臣”と呼ぶべき人物が生まれたのであろう。
幕末の志士の“原型”とも呼ぶべき藤田東湖(1806-55)は、こう記している。
「時代によって、わが国は衰弱することもあるが、
そういう時にこそ、正気は、光を放つ」(『正気歌』)。
わが国の歴史とは、闇と光が交錯しつつ、結果的には、そのようなかたちで、
いわば「神の見えざる手」によって導かれてきたのであろう。
「不敬装置」の政権下にある今の日本も、たぶん、“闇の時代”のなかにある。
しかし、そうであるならば、なおさら私たちは、
「邪説」「珍説」に惑わされることなく、わが国の歴史上に屹立する“巨人”たちの叡知に学びつつ、
一人一人が“正気の光”を発すべく、今こそ、心を奮い立たせなければなるまい。

特例会見問題:小沢一郎


宮内庁、外務省…広がる懸念 「亡国」批判も 天皇特例会見問題
民主党の小沢一郎幹事長は14日の記者会見で、
羽毛田信吾宮内庁長官に辞任を迫るという激しい反発をみせた。
宮内庁だけでなく、外務省にも今回の決定への強い懸念が広がる中で
小沢氏が、異論を封じ込めようと、強気の姿勢を示したようだ。
複数の日中関係筋の証言によると、
鳩山政権は、中国側の度重なる申し入れに逡巡(しゅんじゅん)し、それでも抵抗できなかった。
こうした対応に外務省関係者からは「外交では筋を通してほしい」、
宮内庁幹部からも「問題を安易に考えている」と強い批判が出てきた。
実は、政府は11月30日、正式に中国側に「会見は無理」と通告した。
「1カ月ルール」と、75歳と高齢の陛下のご健康が万全とまではいえないことが理由だった。
ところが、駐日大使館を中心とする中国側の巻き返しが始まる。
政府・民主党だけでなく、野党・自民党の中曽根康弘元首相ら中国とパイプの太い政治家らにも
「なりふり構わず」(外交筋)働きかけた。
「日本が一度断れば、中国が必死に動いてくることは分かっていたことだ。
なのに、鳩山政権は中国側の動きに動揺してしまった」
別の外交筋はこう解説する。中曽根氏ら自民党の政治家は
「われわれが『ルール破りはダメです』と説明したら理解してくれたが、
民主党側は、まるで中国の走狗(そうく)となった」という。
平野博文官房長官は12月9日、
首相官邸を訪ねて重ねて会見実現を求めた中国の崔天凱大使に
「陛下の体もあって大変厳しい」と明言を避けていた。
だが、翌10日には小沢氏ら民主党議員143人の訪中団出発が控えており、
結局、同日中に宮内庁長官に2回目となる指示を出し、宮内庁を押し切った。
「官房長官から内閣府の外局である宮内庁の長官へという指揮命令系統を使ったということは、
実質的に陛下に直接指示するのと同じだ」
宮内庁幹部はこう指摘する。また外務省幹部の一人は、一連の政府・民主党の動きをこう言い切った。
「亡国政権。小沢氏の意向が背後にあるのだろう」
外交当局が、ときの政権を「中国の走狗」「亡国政権」とまで形容するのは極めて異例だ。
一方、政府筋は14日、「前政権のルールは知らないし、報道に違和感を持っている」と語った。
陛下の政治利用の重大性や外交の継続性は見えなくなっているようだ。
(阿比留瑠比)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091215/plc0912150007001-n1.htm


小沢幹事長「謝罪すべき歴史的事実がある」
来韓中に相次ぎ「親韓発言」
13日日本の新聞が一斉に反応した。
毎日・読売・朝日新聞の3大全国紙が社説で「天皇を政治利用するな」と批判した。
安倍晋三元首相は「政権の暴走が危険水域に達した」と警告した。
14日に予定されている天皇陛下と中国の習近平国家副主席の会見をめぐってのことだが、
矛先は日本政界の最高実力者である民主党の小沢一郎幹事長の親中路線に向かっている。
天皇陛下との会見は中国側の要請によるものだった。
問題は、要請の時期が訪日1週間前で、
「1カ月前に要請しなければならない」という皇室の不文律を破ったということだ。
宮内庁は7日、この要請を拒否した。
しかし、9日に崔天凱駐日中国大使が小沢幹事長を訪問した直後、承諾が下りた。
小沢幹事長は翌日、国会議員143人を含む643人を引き連れて中国を訪問した。
北京では大型バス17台が一行を迎えた。
日本メディアは「大名行列」に例えた。
仕方なく会見を承諾した宮内庁は11日、記者会見を通じて「遺憾」を表明した。
小沢氏の露骨な親中圧力に対抗して、日本社会にある根深い反中感情に火を付けたわけだ。
日本は戦後、天皇外交の政治的利用をタブー視してきた。
小沢幹事長はこうした批判を見越しながら、不文律を破ったことになる。
小沢氏が国内の反発にもかかわらず「特例」を押し通したのは、大きな外交ビジョンがあるためだ。
小沢氏の考えは「東アジア共同体」を主唱する鳩山由紀夫首相の路線と似ている。
「アジア重視」に関しては、首相と幹事長が同じ考えを持っているということになる。
習近平副主席と天皇陛下の会見も当初、鳩山首相が強く推し進めた事案だった。

来韓中に相次ぎ「親韓発言」
読売新聞は13日、「民主・社民・国民新党の連立3党が
沖縄基地移設問題を米国と再交渉する方針を決めた」と報じた。
日本の政界では民主党政権による親中の動きを、強硬策で一貫する日米外交の関数としてみる見方がある。
親中カードを対米関係再構築のてことして活用するというものだ。
小沢幹事長は12日、韓国で「韓国国民が歓迎するなら(天皇訪韓も)大丈夫だと思う」と述べた。
天皇外交は首相・外相に属する事案で、幹事長が言及する事案ではない。過去の問題については、
「謝罪しなければならない歴史的事実がある」と述べた。
外国人参政権問題についても「日本が前向きに臨む必要がある問題」と述べた。
これも、日本では反対世論を軽視できない問題だ。
中国に対しそうしたように、批判世論をいとわず、
韓国が望む「リップサービス」を惜しみなく行ったというわけだ。
東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/news/20091214000012


小沢氏の「国事行為」発言が波紋 共産委員長「小沢氏は憲法読むべきだ」
2009.12.15 20:50
民主党の小沢一郎幹事長が、天皇陛下と中国の習近平国家副主席との特例会見を、
憲法の定める天皇の「国事行為」と断じた発言が注目を集めている。
14日の記者会見での「会見は政治利用ではないか」との質問に対し、
国事行為そのものをよく把握しないまま「マスコミの理解がおかしい」と決めつけた発言だ。
共産党の志位和夫委員長は15日、記者団に「外国賓客と天皇との会見は国事行為ではない。
小沢さんこそ憲法をよく読むべきだ」と述べた。
「陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだ、すべて」
小沢氏は14日の記者会見でこう断言した。
憲法は天皇が行う国事行為として、国会召集や衆院解散などを列挙している。
外交文書の認証や外国大使・公使の接受も含まれるが、外国賓客との会見は国事行為ではなく、
もっと天皇の意思を反映した「公的行為」に分類される。
公的行為は、国事行為ではなく純然たる私的行為でもない国の象徴としての公的な活動と解釈される。
(1)国政に影響を及ぼさないこと(2)天皇の意思が大きな意味を持つ-の2点を要点としており、
具体的には、国際親善活動のほか、全国植樹祭や戦没者追悼式へのご出席などがこの公的行為に該当する。
公的行為は、小沢氏がいう「内閣の助言と承認」を必要としない。
また、国事行為の場合は天皇に拒否権はないが、公的行為には憲法上の規定がないため必ずしもその限りではない。
皇室関係法令に詳しい大原康男国学院大教授は
「小沢氏は国事行為をよく理解せずに質問者を恫喝(どうかつ)しているようだ。
天皇は政権のいうことを聞けばいいと言っているようにも聞こえる。
いずれにしろ不勉強であり、政治利用そのものの発言だ」と指摘している。(宮下日出男)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091215/stt0912152055009-n1.htm


【産経抄】12月16日
2009.12.16 02:49
なんだかすっかりうれしくなってしまった。「自民党幹事長時代とは百八十度変わった」
「本当は腰の低い笑顔のかわいい人」とテレビのコメンテーターと称する民主党応援団が
はやし立てるので心配していたら、記者会見した小沢一郎さんは昔と何も変わっちゃいなかった。
▼天皇陛下と中国の習近平副主席との特例会見について批判的に聞いた記者を
「知らないんだろ、君は」 と一喝。
異議を唱えた宮内庁長官を
「憲法、民主主義というものを理解していない人間の発言としか 思えない」と切り捨てた。
▼ まるで江戸っ子のような歯切れの良さだと感心していたら、
文京区立六中と都立小石川高を卒業しているんだとか
(ホームページの略歴欄には書かれていなかったが)。
口癖になっている「東北人特有の口べた」 というのは謙遜(けんそん)だったようだ。
▼小沢さんは、慶応大学を卒業後、司法試験を受けようと日大大学院で勉強されたようで、
法律にも詳しい。ただし、憲法は苦手だったのかもしれない。
天皇陛下と外国要人の会見を内閣の助言と承認が必要な国事行為と思われているようだが、
憲法にはそんなことはどこにも書いていない。残念ながら「司法浪人」 確実とみた。
▼陛下の胸中を「手違いで(手続きが)遅れたかもしれないけれども
会いましょう、と必ずそうおっしゃると思うよ」と語るのも
法律家を志した割にはあまりに文学的だ。というよりはっきり言って不敬である。
▼小石川高の後輩でもある鳩山由紀夫首相は、
「幹事長、言い過ぎだよ」と注意すべきだが、その形跡すらなく、トップとして情けなさ過ぎる。
普天間問題でも何も決断できなかったが、
いっそのこと先輩に首相の座を譲ってはどうか。その方がよほどすっきりする。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091216/stt0912160251003-n1.htm


【主張】天皇との特例会見 政治利用まだ気づかぬか
2009.12.16 02:50
天皇陛下は来日中の中国の習近平国家副主席と会見された。
陛下は「両国の理解と友好関係が一層増進される」ことを希望され
「(胡錦濤主席が昨年、日本から帰国された直後に)
四川大地震があり、大変だったと思います」と地震被害を気遣われた。
首相官邸の理不尽な要求にもかかわらず、誠実に務めを果たされた陛下に改めて感謝の念をささげたい。
一方、鳩山由紀夫首相は天皇と習氏の特例会見への批判が強まっていることについて、
「中国の副主席においでいただき、日本で活動されている最中に
こういう状況になったことは大変残念だ」と不快感を示し、
「国民挙げて、将来のリーダーになれる可能性の高い方をもっと喜びの中でお迎えすべきだ」と述べた。
まるで人ごとのような発言だ。
希望日の1カ月前までに申請が必要な「1カ月ルール」を無視して宮内庁に強引に天皇との会見を設定させ、
それが批判されていることへの責任と反省の気持ちがみじんも感じられない。
日中どちらの国民に向けて話しているのか、疑いたくもなる。
中国国営新華社通信傘下の国際情報紙は
「鳩山由紀夫首相は中国のために天皇の慣例を破った」と会見を手配した首相を擁護した。
ここまで宣伝され、会見が胡政権の権力基盤強化のために利用されたことに
鳩山首相らが気づかないとすれば、鈍感である。

平野博文官房長官は2度にわたり、
羽毛田信吾宮内庁長官に「日中関係は重要」として、特例会見設定を指示した。
日中関係強化のために天皇との会見を政治利用したといえる。
羽毛田氏は特例会見が政治利用されることに懸念を示し、小沢一郎民主党幹事長から辞任を求められた。
小沢氏は「国事行為は『内閣の助言と承認』で行われる。
それを政治利用と言ったら、陛下は何もできない」とも述べた。
だが、天皇と外国要人の会見は国事行為でなく、公的行為だ。
憲法の天皇に関する規定は、象徴としての天皇が政治利用されることを防ぐのが趣旨である。
小沢氏は憲法を恣意(しい)的に解釈している。
宮内庁などに寄せられたこの問題に関する1000件以上の電子メールでは、
会見実現までの経緯を疑問視する意見が目立ったという。鳩山政権はもう少し国民の声を聞くべきだ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091215/stt0912152146012-n1.htm


進次郎氏「権力の怖さ感じる」…陛下会見騒動で民主党を猛批判
自民党の小泉進次郎衆院議員(28)は15日、民主党が特例として実現させた
天皇陛下と中国の習近平国家副主席(56)との会見について
「一言で言えば与党の持つ権力の怖さを感じます」と不快感をあらわにした。
本来なら陛下と外国要人との会見希望は1か月前までに宮内庁に申し込むという政府慣例があるが、
進次郎氏はこの“1か月ルール”の無視を強く非難。
「今回のことで自民党と民主党の違いが出たのではないか。
皇室の国際親善と政府の外交との違いを踏まえる常識が自民党にはあったのではないでしょうか」と話した。
民主党の“ルール無視”を受けて自民党では14日から緊急の外交部会を開催。
若手エースの進次郎氏は部会に出席した宮内庁長官官房審議官に対して
「『中国との外交が大事だから』と言うが、大事じゃない外交はない。
今後1か月ルールをどうやって守っていくのですか」と厳しく追及した。
部会は15日にも行われ、進次郎氏が司会を務めた。
羽毛田信吾宮内庁長官(67)が、天皇の政治利用という観点から懸念を示したのに対し、
民主党小沢一郎幹事長(67)が「辞表を出した後に言うべきだ」と強権的に言い放ち波紋が広がっている最中。
進次郎氏は「今回の小沢幹事長、民主党の姿勢をマスコミの皆さんも監視してほしい」と訴えた。
2009年12月16日06時02分 スポーツ報知
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20091216-OHT1T00033.htm


特例会見問題 閣僚は“小沢擁護”
2009年12月16日(水)08:05
天皇陛下と習近平中国国家副主席の特例会見問題で、民主党の小沢一郎幹事長が前日に続き
15日も、羽毛田信吾宮内庁長官の辞任を要求するなど問題は拡大している。
鳩山由紀夫首相は「こういう状況になったことは大変残念だ」と、
自身の指示が問題を起こしたことを棚に上げ宮内庁に不快感を表明。
各閣僚からも、小沢氏らに同調する声が相次いだが、
菅直人副総理・国家戦略担当相は羽毛田氏に一定の理解を示した。
小沢氏の政治資金パーティー出席者によると、小沢氏は席上、怒りの矛先をマスコミにも向けた。
「おれはまったく正しいことを言っているのに、なんで新聞に書き立てられるんだ。誤解されている!」
小沢氏の強気が伝染したのか、鳩山首相は15日朝、
「(習氏は)将来のリーダーになる可能性の高い方だ。
もっとお喜びの中でお迎えすべきでは」と不満を表明した。
長妻昭厚生労働相も「政治利用でなく適切な判断だ」、
亀井静香郵政改革・金融相も「次の主席にお会いするのは当たり前」と述べた。
仙谷由人行政刷新担当相は「政治利用をうんぬんするのも政治利用になる。
皆さん(マスコミ)もしてほしくない」とした。
一方、前原誠司国土交通相は同日、「元首相から要請が官邸に届いたと聞いている」と述べた。
自民党にも責任があることを示す意図のようだが、関係者によると、
元首相は1カ月前に会見を申請する「1カ月ルール」に納得して、
それ以上の要請をしておらず、官邸のごり押しと同列に論ずるには無理がある。
自民党の谷垣禎一(さだかず)総裁も「責任転嫁」と反論している。
また、菅氏は「陛下の体調に気をつかうのは宮内庁長官の仕事の大きな部分だ。
陛下のそばにおられ、他の行政庁(の事務次官)とはやや性格が違うところもある」と述べた。
(榊原智)
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/m20091216042.html


習副主席“特例会見”要求のわけは 胡氏踏襲、ライバルに差
2009年12月16日(水)08:05
【北京=矢板明夫】中国の習近平国家副主席が15日、
特例扱いを受けて天皇陛下と会見し、日本国内で波紋を広げた。
会見は習氏周辺による強い要請で実現したと北京でいわれるが、
国家元首ではない習氏は今回そもそも、天皇陛下と会う外交上の必要性はなかった。
にもかかわらず、こだわった背景には、2012年の党大会に向けて自身が、
胡錦濤国家主席の最有力の後継者であることを内外に印象づけ、
ライバルを抑えて権力闘争で優位に立ちたいという思惑が絡んでいるとみられる。
◆ 日本の反発は静観
中国外務省の姜瑜報道官は同日の定例会見で、習氏と天皇陛下との会見に関し
「日本側は周到な手配をしているため訪問は順調。中日関係の発展を推進できると確信する」
と述べた。国営新華社通信など中国メディアも会見のやり取りを詳しく伝えたが、
特例扱いをめぐり起きた日本国内の反発をほとんど取り上げず、
「日本の国内問題」として静観する構えのようだ。
習氏は現在、共産党政治局常務委員会で序列6位の地位にある。
50代の若手指導者で最も高位にあり、次期国家主席・党総書記に一番近いといわれるが、
中国では指導者人事は密室で行われ、最後に逆転することも珍しくない。
かつて林彪元国防相、王洪文元党副主席など後継者といわれながら、失脚した例もあった。
◆ 人事見送りに焦り
昨年8月の北京五輪で責任者として陣頭指揮をとるなど、
「ポスト胡錦濤」の道を着実に歩んできた習氏だが、今年9月の党中央委員会総会で
確実視された中央軍事委員会副主席選出の人事が見送られたことが“異変”といわれた。
中国の最高指導者になるには軍の掌握が不可欠とされ、選出見送りで
「後継者レースが一気に不透明となった」と断言する香港メディアもあった。
「ライバルの李克強筆頭副首相を支持するグループによる巻き返しがあった」
など見送られた理由について諸説はあるが、習氏周辺に焦りが生じたのは間違いない。
◆ メンツかけて実現
胡氏も国家副主席だった1998年に日本を訪れ、その際も天皇陛下と会見した。
北京の外交筋は、今回の習氏の訪日は11年前の胡錦濤訪日を強く意識しているという。
同じような日程を組み、メンツをかけて天皇陛下との会見を実現させることで、
「後継者はやはり習氏」との印象を植え付け、
ライバルたちに「権威の違い」をみせつける狙いがあったとみられる。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/world/m20091216032.html


会見要請、当初通常使われない交渉ルートで
天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会見が特例的に行われた問題で、
当初の会見要請が、外務省の中国担当部局から宮内庁という、
通常使われない交渉ルートで行われていたことが分かった。
今回の問題で同庁の羽毛田(はけた)信吾長官は、外務省から最初に会見申請があったのは11月26日と説明。
だが、外務省で調べたところ、7日前の同19日、中国政府から同省に
「12月14日来日」の日程が非公式に伝えられ、同日中に同庁に会見実現を打診したという。
同省によると、この際、中国政府からは「内政上の理由で遅れた」と説明があったという。
19日でも来日予定の1か月前を過ぎており、同省も当初から「例外扱い」を前提に会見の可否を打診。
しかも、通常ルートである皇室担当の同省儀典官室経由ではなく、
同省中国・モンゴル課から同庁という、異例ともいえるルートで交渉が行われていた。
結局、同庁から「ルールに照らして応じられない」と断りがあり、
同省は同30日、正式に「会見は無理」と中国側に伝えていた。
宮内庁幹部は、「外務省から期限を過ぎた要請が届いたこと自体も異例だ」と話している。
(2009年12月16日04時14分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091216-OYT1T00091.htm


小沢氏、宮内庁長官を「あいつこそどうかしている」特例会見問題で
民主党の小沢一郎幹事長が17日、天皇陛下と中国の習近平国家副主席との特例会見を
「天皇陛下の政治利用」にあたると懸念を表明した羽毛田信吾宮内庁長官を
改めて激しく批判したことが明らかになった。
小沢氏は同日、羽毛田氏について「あいつこそどうかしている。
天皇の権威をカサにきている」と批判した。国会内で関係者に語った。
記者会見など公の場での発言ではないが、天皇陛下に仕える宮内庁長官を「あいつ」呼ばわりし、
羽毛田氏が天皇陛下を後ろ盾に使っているかのような認識を示した小沢氏の言動は、
与党実力者としての良識が問われるものだ。
小沢氏の羽毛田氏批判が明らかになったのはこれで3回目。
小沢氏は14日の記者会見で「もしどうしても反対なら、辞表を提出した後に言うべきだ。
当たり前でしょ、役人なんだもん」と述べて辞任を要求したが、羽毛田氏は応じない考えを示している。
15日にも小沢氏は自身の政治資金パーティーで
「内閣が決めたことを一官僚が記者会見まで開いて言うものではない。
言うのなら、辞めてから言うべきだ」と羽毛田氏を批判していた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091218/stt0912180138000-n1.htm


中国「天皇陛下の健康配慮なら、やむを得ない」会見をいったん見送り容認していた事が判明
天皇陛下と習近平・中国国家副主席の特例会見をめぐり、会見が正式に設定される2日前の今月9日ごろ、
中国高官が「陛下のご健康に配慮し会見を見送るなら、やむを得ない」と
日本側に伝えていたことが17日、分かった。複数の中国関係者が明らかにした。
11月下旬から特例会見を求め続けてきた中国側が、
交渉終盤で見送り容認姿勢を示していたことが判明したのは初めて。
10日からの訪中を控えた小沢一郎民主党幹事長の意向を受け、
首相官邸による政治判断で方針転換し、特例会見が実現した実態が裏付けられた。
中国筋によると、この中国政府高官は9日ごろ、日本側と中国国内で協議。
日本側が「陛下はご高齢であり、健康状態を勘案してほしい」と説明したところ、
高官は「そういう話なら会見見送りは理解できる。共産党指導部を説得できる」と受け入れた。
中国側は同時に、宮内庁の「1カ月ルール」を守らなかった事実を認める一方で
「前向きな対応を求めたい」と主張。
「1カ月ルール」を理由とした会見見送りには難色を示したという。
この中国高官は日本大使館勤務を重ねた日本通として知られる。
岩手日報


天皇陛下と中国副主席の突然の面会設定に宮内庁困惑
来週、訪日する中国副主席と天皇陛下の面会が、政府の強い要望によって急きょ、設定されました。
これについて宮内庁の羽毛田信吾長官は、陛下の政治利用につながる危険性を指摘しました。
陛下と海外からの賓客との面会は、
1カ月前までに調整を始めることが2004年から政府内での取り決めとなっています。
宮内庁によると、習近平副主席との面会については先月26日に突然、打診があり、
政府の「日中関係の重要性にかんがみ」という強い希望で従来のルールを適用しないことになりました。
羽毛田長官は、会見で「ルールは、国の大小にかかわらず実施してきて、
政治的重要性で変わるべきものではない」と話し、
陛下の政治的利用につながる可能性を指摘しました。
「こういうことは2度とあってほしくない」としています。
更新: 2009/12/11(17:55)
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/soci_news4.html?now=20091212001309


「二度とあってほしくない」=陛下と中国副主席の会見設定で宮内庁長官
天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会見が通常の手続きを踏まずに決まったことについて、
宮内庁の羽毛田信吾長官は11日、記者団に急きょ経緯を説明し
「誠に心苦しい思いで陛下に(会見を)お願いした。
こういったことは二度とあってほしくないというのが、私の切なる願いだった」と述べ、強い不快感を示した。
羽毛田長官は「陛下の政治的利用につながるのではないかという懸念を持っているか」との質問に
「大きく言えばそういうこと」と述べた。
同長官によると、会見要請の打診が宮内庁にあったのは先月26日。
陛下と外国要人との会見は1カ月前までに申請する慣行に反していたため、
同庁は翌日、外務省に断る意向を伝えた。
しかし、平野博文官房長官から今月7日、
羽毛田長官に「ルールは理解するが、日中関係の重要性にかんがみてぜひお願いする」と電話があった。
羽毛田長官は「陛下をお守りするためにつくられ、政府内で順守されてきたルール。
国の大小とか政治的に重要な国かといったことにかかわらず、尊重してやってきた」と慣行を守るよう求めたが、
10日夕にも「総理の指示を受けての要請」と電話があり、了承したという。(2009/12/12-01:06)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2009121100936


「懸念伝えたが聞き届けられず」宮内庁長官
天皇陛下が中国副主席と会見することになったことについて、
宮内庁の羽毛田信吾長官の説明要旨は以下の通り。
陛下の外国賓客との会見で希望日が迫って願い出が来ると、
陛下の日程調整に支障を来し、繁忙を極める陛下に想定外の不安をおかけするため、
1か月以上前に外務省から願い出をいただくルールを設けてきた。
官房長官から日中関係の重要性にかんがみ、ぜひ会見をお願いするという話があった。
総理の指示で、大変、異例ではあるが、曲げて陛下に会見をお願いした。
事務的に作ったルールにすぎないとの考え方もあるが、陛下をお守りするため、
政府内で重視されてきた。ルールの理念とは整合性が取れないし、残念なことをせざるをえなくなった。
陛下の国際親善の活動は、政府のやる外交とは異なり、国の大小や政治的な重要性とは別な次元で行われてきた。
憲法下における陛下の基本的なあり方にもかかわる。
陛下を政治懸案の打開役にとなったら、今の憲法下の陛下のなさりようと大きく狂うことになる。
その懸念を伝えたが、聞き届けられなかったのは甚だ残念。
苦渋の思いで、もう二度とこういうことがあって欲しくない。
(「天皇の政治利用に当たる懸念があるということか」との記者の質問に)
大きく言えばそういうことだ。
(2009年12月12日01時41分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091212-OYT1T00160.htm


11月に「陛下の体調」を理由に拒否 中国副主席の特例会見で政府
12月14日13時22分配信 産経新聞
鳩山由紀夫首相が天皇陛下と中国の習近平国家副主席との15日の会見を
特例措置として認めさせた問題で、日本政府が11月末時点で中国側に
「陛下のご健康がすぐれない。無理だ」として 会見は困難との意向を伝えていたことが
14日分かった。日中外交筋が明らかにした。
これに対し、中国側が民主党をはじめとする関係各方面に巻き返し工作を行った結果、
平野博文官房長官が今月7日と10日の2度にわたり宮内庁に会見の設定を指示し、
日本政府は11日に会見を行うことを正式発表した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091214-00000549-san-pol


宮内庁に意見1千件超、羽毛田長官支持が多数
(2009年12月15日3時6分配信 読売新聞)
天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会見が特例扱いで決まった問題は、
「二度とあってほしくない」と苦言を呈した宮内庁の羽毛田(はけた)信吾長官に対し、
民主党の小沢幹事長が14日、「辞表を出して言うべきだ」と応酬し、さらなる波紋を広げている。
同庁には羽毛田長官を支持する声が相次ぎ、識者からは小沢幹事長の発言を疑問視する意見も聞かれた。
羽毛田長官は14日夜、天皇陛下のお住まいの御所から宮内庁の長官室に戻った後、
待ち構えていた報道陣に応対。
「これまでの(1か月)ルールで会見をお断りした国に、
『うちは政治的に重要でないのか』と言われた時、どう答えたらいいのか」と、
改めて陛下と習副主席の会見の設定に苦言を呈した。
同庁によると、政府内で申し合わせて「1か月ルール」を厳守することになった2004年以降、
例外が認められたのは1度だけ。
05年1月にタイから上院議長の会見希望が寄せられた時で、
1か月前という期限を1日過ぎていたが、同国は直前のインド洋大津波で被災していたため、
「やむをえない」と政府が判断して会見が実現した。
天皇の政治利用という観点から、今回の会見に羽毛田長官が懸念を表明した11日以降、
同庁には、電話や電子メールで1000件以上の声が寄せられているという。
その多くは「特例扱いはおかしい」として羽毛田長官に賛成する意見で、
長官を激励するものも目立つという。
「国家の品格」などの著書がある藤原正彦・お茶の水女子大名誉教授は、
「小沢幹事長は衆院選で圧勝したので、何をしても『民意』で通ると思っているが、間違い」と指摘。
「民主党政権の官僚バッシングの中、あえて苦言を呈した宮内庁長官の勇気を国民は支持するのでは」と話す。
現代史家の秦郁彦さんも「1か月ルールの背景には天皇陛下の健康問題もある。
小沢幹事長の『優位性の低い行事はお休みになればいい』との発言には、
敬意が全く感じられない」と批判している。
最終更新:12月15日3時6分
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091214-OYT1T01153.htm


特例会見問題で首相「喜びの中でお迎えすべき」
鳩山由紀夫首相は15日午前、天皇陛下と中国の習近平国家副主席の特例会見への
批判が高まっていることについて、
「中国の副主席がおいでいただき、日本で活動されている最中にこういう状況になったことは
大変残念だ。国民挙げて、将来のリーダーになれる可能性の高い方を
もっと喜びの中でお迎えをすべきだ」と述べた。首相公邸前で記者団に語った。
民主党の小沢一郎幹事長は14日、特例会見が「天皇陛下の政治利用」に当たると
懸念を表明した羽毛田信吾宮内庁長官の辞任を要求したが、
首相は記者団から辞任の必要性について聞かれ、
「そのご質問には今、お答えできない」と回答を留保した。
首相はさらに、中国が1カ月前に文書で申請する「1カ月ルール」に従わず会見を求めてきたことに関し、
「何日間か足りなかったからと言って、お役所仕事のようにスパッと切るようなことでいいのか。
(特例会見は)過去に何回もあった」と主張した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091215/plc0912151024009-n1.htm


テーミス2010年1月号
「皇室の危機―政治利用・皇位継承―は国家崩壊を誘発する」
「特例会見」問題について「小沢氏は“国賊もの”」 
皇太子さまオペラ鑑賞は 事前工作。2012年の陛下訪中が狙い。
雅子さまは赤十字関係の公務に長年出席しておらず、皇室ゆかりの展覧会にも行かないが、
国際関係の公務は熱心。しかし、欧米偏重であり、外務省国際情報統括官のご進講にはほぼ毎回出席。
学習院初等科祭に夫妻で3時間以上滞在。違和感を感じるとの声も。
国連・児童の権利委員会の李亮喜との接見について、日本ユニセフ協会との関係、
さらに小和田優美子さん、池田礼子さん。「東宮家への小和田家の影響力は大きすぎないか。」
西尾幹二氏「代が変わって…国民投票をやったら…あっという間に皇室はいらないという話になる」
平田文昭氏「陛下の日本国憲法を重んじるようなご発言は護憲派を調子づかせ、保守派を及び腰にしてしまう。
また皇位継承について国会の審議に任せるべきとのご発言は
政治の現状を考えると女系容認ともとれるものであり不適切では。」
秋篠宮様の「皇族の数が少ないのは決して悪いことではない」ご発言は
将来の天皇は悠仁ですという明確なアピールであり、幼稚園の件はほかの学校にもお妃候補を求め、
自分たちが元気なうちに結婚させたいというお気持ちでは(皇室関係者)
こどもの国ご訪問について。悠仁さまを見守る“天皇ご一家”のシーンは印象深かった。
「民主党や小沢一郎、中国やアメリカ。外務省や小和田家など…。
今後あらゆる 勢力が皇室弱体化を狙ってくる。行き着くところは日本国の崩壊とならなければいいが。」

「小沢一郎司令官」と中国が連携して天皇陛下「南京ご訪問マル秘計画」動き出す
習近平中国国家副主席と天皇陛下の特例会見の日は、実は重要な神事「賢所御神楽の儀」の当日だった。
中国はそこに敢えて会見日程をぶつけてきたのだ。
そこには「日中友好」の美名のもと、天皇陛下を巡り日中の力関係を
力ずくで逆転させようとする中国の思惑があった…