福沢諭吉の皇室論を読み解く

月刊正論平成21年1月号
福沢諭吉の皇室論を読み解く
―混迷の今こそ賢哲の洞察の深さに学ぶ
平沼赳夫

■皇族に対する不当な差別待遇
平成17年11月な政府の諮問機関である「皇室典範に関する有識者会議」が、
それまでの皇室の伝統を無視して、女系天皇を認める報告書を出しました。
百二十五代にわたって守られてきた皇室の伝統を僅か十名程度の
「有識者たち」の議論によって変えることはおかしいと考えて、
「報告書」に対する反対運動を行いました。
平成18年3月7日には、日本武道館で「皇室の伝統を守る一万人大会」を開催しましたが、
このような私たちの活動を「右翼だ」とみなす人が多かったことは残念でした。
官僚たちも、国家公務員の上級試験を通ってきていますが、皇室のことをまともに学んできていません。
ですから、天皇陛下が国家の安泰と国民の幸福を祈られる皇居・宮中三殿の補修費用なども、
財政難を理由に極力削ろうとする。
宮中三殿の塀などがぼろぼろになってしまっていても、少しも気にしていない。
あまり知られてはいませんが、皇族に対する処遇もおかしいことばかりです。
ひげの殿下とよばれている寛仁親王殿下は九回も癌の手術をされていますが、
皇族は国民健康保険に入ることもできないため、医療費の負担が大変なのです。
宮様の場合、一般の人々との相部屋というわけにもいきませんから、入院費が一カ月に何百万とかかるわけです。
その費用を決して多くない皇族費から捻出しなければならない。
皇族は国民健康保険に入れないだけでなく、選挙権もありません。ところが税金だけはしっかりと取られる。
昭和天皇の弟宮にあたられる高松宮殿下は港区高輪にお屋敷があって、八千坪もありました。
その内、半分の四千坪はご自身の所有地でした。その四千坪の敷地をすべて国に寄付されたんです。
昭和62年の時ですから、バブルの時代で坪一億として時価四千億ですよ。
それでも高松宮様が薨去されたとき、税務署の役人たちが高松宮邸に来て、
相続税を算定するためにお蔵の財産に査定額の札を貼って莫大な相続税を課した。
やむをえず妃殿下は相続税を支払うために、葉山の別邸を売却されたわけです。
四千億も寄付された高松宮家から相続税を取り立てたんですよ。
選挙権もなく、国民健康保険もないのに、相続税などの税金は一般と同じく取られる。
現行憲法でも「国民統合の象徴」と規定されている皇室に対しては、
それにふさわしい処遇が整えられてしかるべきではないかと思います。
そもそもこんなおかしな法体系となっているのは、占領政策が原因です。
日本の敗戦後、アメリカの占領軍が皇室を「日本最大の財閥だ」と誤解して
財産を没収しただけでなく、最小限の経費しか使えないようにしたからです。
国民統合の象徴でありながら天皇陛下も皇族も不当な扱いを強いられてきた。
そうした「占領遺制」は戦後半世紀、ほとんど是正されずに今日に至っているわけで、
政治家として誠に申し訳なく思っています。

■「自由な政治論争がもたらす軋轢」を緩和する力
皇室に対して不当な扱いをしている戦後体制を是正するためにはまず何よりも、
政治家の見識と世論の支持が必要ですが、
現状でははなはだ心もとない。
私は若いときに谷口雅春先生の皇室論を読む機会に恵まれて皇室の尊さを理解することができましたが、
戦後教育しか受けていなければ皇室の尊さがわからないのも無理はない。
そこで現代の人々にも皇室のことを理解してもらうためにどうしたらいいのか、調べておりましたら、
私の母校の慶應義塾大学の創設者である福沢諭吉先生が皇室のことについて
立派な論文を残されていることに気付きました。
福沢先生と言えば、「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という言葉でも有名なように、
どちらかというと進歩的な開明思想の持ち主だというのが大方の印象でしょう。
その福沢先生が明治時代に「なぜ皇室は尊いのか」
「日本の将来にとって皇室がいかに重要なのか」を丁寧に論じていらっしゃるのです。
現代の評論家や政治家が主張するよりも、
福沢先生が皇室の尊さを力説されていたという事実に非常に価値があると思って、
このほど『福沢諭吉の日本皇室論』(島津書房)という本を出した次第です。
この本には、国会設立が決まったことを受けて明治15年(1882)に発表された「帝室論」と、
明治21年に発表された「尊王論」の、それぞれの原文とその現代語訳を収めていますが、
日本人なら必ず読んでおくべき近代皇室論の古典だと思います。
天皇陛下も中等科時代に、東宮職参与となった小泉信三博士とともに、
福沢先生の『帝室論』を輪読されておられます。
福沢先生はいわば西欧近代化、自由民権運動のオピニオンリーダーだったわけですが、
単純な自由民権論者ではありませんでした。
(中略)

≪政治の党派が生じて相互に敵視し、積年の恨みがだんだん深くなり、解決できないという状況の最中に、
外からの攻撃が生じて国の存亡にかかわる事態が到来したら、どうするのか。
自由民権が非常に大切であるとはいっても、その自由民権を享受させてくれた国が、あげて侵略され、
不自由で無権力ま有り様に陥ったなら、どうするのか。
…小さい者どうしがお互い争って勝敗が容易に決着せず、全身の力をすでに使い果たして残る力もない。
こんな状態で他国のことを考えて、それに対処する余裕があるだろうか≫

福沢先生がこの論文を執筆されたのは今から百二十年前のことですが、現代の政治の姿を彷彿とさせます。
驚くべき先見性だと思います。
続けて、このような「国会における自由な政治論争がもたらす軋轢」を緩和させるためにも
「一種特別な大勢力」が必要だとして、次のように述べていらっしゃいます。

≪民心軋轢の惨状を呈するときにあたって、その党派論にはいささかも関係するところのない
一種特別な大勢力があり、その力をもって、相争う双方を緩和し、無偏無党の立場から両者を安んじいたわって、
各々が度を過ぎないよう導くことは、天下無常の美事であり、人民には無上の幸福といえるだろう≫

そして、我が国において「相争う双方を緩和し、無偏無党の立場から両者を安んじ、いたわって、各々が
度を過ぎないよう導く」力をもっているのは、党派をこえて国家・国民のために祈られる皇室しかないと、
福沢先生はいわば西欧近代化、自由民権運動のオピニオンリーダーだったわけですが、指摘されているのです。

■マッカーサーとのご会見に見る「皇室の本質」
確かに福沢先生の指摘している通り、有史以来我が国は幾度しなく国難に出合っていますが、
そのときは必ず皇室が中心となって、しっかりまとまって危機に対応してきました。
元寇のときの亀山上皇、幕末・明治維新のときの孝明天皇と明治天皇、
そして占領軍が乗り込んできた昭和二十年のときの昭和天皇と、
いずれも皇室を中心にまとまってきました。
まさに皇室があるかに、国家は分裂せずに守られてきたと言えると思います。
日本の敗戦後の武装解除ひとつをとっても、天皇のご存在がなければ、絶対に失敗していたと思いますね。
皇室は常に国家・国民のことをお考えになっていらっしゃる。
その皇室に対する敬愛の念において国民がまとまっていなければ、
武装解除もあれほど平和裡に進まなかったでしょうし、
ゲリラ闘争が各地で頻発して現在の日本の繁栄もなかったと思いますね。
国家が分裂せずにまとまることの重要性は、イラク戦争後のイラクの復興の様子をみればよくわかります。
国民を統合する存在がなければ、イラクのように内乱が続いていたかも知れないのです。
では、なぜ皇室に国民を統合する力があるのか。
日本の歴史を見れば、源氏にしても平家にしても織田信長にしても、
その軍事力と権力によって皇室を無にすることはできた。
しかし、そうしなかったのは、神話の世界につながる日本最古の宗家としての重みを持ち、
国家の安泰と国民の幸福を日々祈られる皇室の権威を誰もおかすことができなかったからです。
しかも、いざとなれば国民のために捨て身の行動をとられてきた。
思い出すのは、日本敗戦後の昭和二十年九月のマッカーサー元帥とのご会見のことです。
(中略)

陛下は命乞いをされずに「自分はどうなってもいいから日本国民を救ってほしい」と
切々とおっしゃられて、マッカーサーは大変感動したわけですね。
ですから、最初はぞんざいな扱いであったのが、お帰りになるときは玄関まで見送りにでた。
国民のためならば命を投げ出される無私の行動をとられた昭和天皇だからこそ、
日本国民も戦争には負けたけれども、皇室に対する敬愛の念をいささかも変えなかったわけです。

■行政の限界と皇室の役割
福沢先生が皇室に期待した役割は、政治論争に伴う軋轢を緩和することだけではありませんでした。
(中略)
明治23年(1890)、政府は第一回帝国議会に、第一号法律案として「窮民救助法案」を提出しました。
障害者・傷病者・老衰者等で自活の力なく飢餓にせまる者と養育者のない孤児を対象に、
衣食住給与と医療、埋葬まで行うというものですが、
衆議院は法案をなんと否決してしまったのです。
「なぜ一部の困窮者を助けるために国民の税金を使うのか」という批判が多数を占めたというのです。
しかし、貧富の格差を放置し、飢え死に寸前の人々ょ見捨てるような風潮が蔓延すれば、社会は荒みます。
助け合い支え合うよき社会としていくためにも、親に孝行を尽くし、
困った人に手を差し伸べるような善行を讃える世論を高めていくことが重要ですが、
法令に基づいて行政を行う政府官僚がその役割を担うことは
なかなか難しい。では、どうしたらいいのか。皇室ならば、社会が荒むことを防ぎ、
助け合い支え合うよき社会の美風を高めることができると訴えているのです。

≪国会議員の政府は、道理の府であるために、情を尽くすことができない。
理を通そうとすれば情を尽くすことができず、情を尽くそうとすれば理を通すことができない。
この二者は両立できないものと知らねばならない。では、このような状況で、日本国中を見渡してみて、
こうした人情の世界を支配して徳義の風俗を維持することのできる人がいるだろうか。
ただ帝室(皇室)があるのみである≫

国家・社会の現実を見据えた福沢先生の「皇室論」は当時の指導者層にも支持され、
皇室は、貧民救済など福祉に尽力されるようになります。
例えば、明治44年、明治天皇は困窮者に対する無料の医療事業を起こすべく「施療済生の勅語」を出され、
御内帑金(ごないどきん ポケットマネー)をもとに恩賜財団済生会が設立され、
全国各地に貧しい人向けの病院や診療所が建てられました。
大正14年には、関東大震災を被災した老人を救済収容する目的で、
皇室の御内帑金と大震災に対する一般義捐金をもって財団法人浴風会を創設し、
病院を併設し五百人を収容する大養老院浴風園を設立しています。
この浴風園のおかげで全国の養老院の水準が大いに上がったと言われています。
明治新政府は、欧米諸国の軍事的脅威から独立を守るために富国強兵を最優先にせざるを得ませんでした。
いわば、能率を優先させ、採算重視の資本主義のもとで経済発展をしていかなければなりませんので、
資力が乏しい当時の政府は、福祉を後回しにせざるを得なかったわけです。
しかし、能率的採算本位の資本主義は、拝金主義を招き、格差を生み、国民精神を退廃させていくことになります。
そこで、富国強兵では切り捨てられる部分、つまり学術・文化の高貴さを保ち、
福祉を重視して格差を是正する役割を、皇室に担っていたたくべきであると福沢先生は考えられ、
実際に皇室はそのような役割を担ってこられたわけです。
もちろん、皇室が福祉や伝統文化の顕彰を行おうと思えば一定の財産が必要です。
ですから福沢先生の「帝室論」の結論も、福祉や伝統文化擁護のため、
皇室には一定の財産をお持ちいただきたいということでした。
幸いなことに明治の時代は、政権担当者たちも精神的分野で皇室が大きな役割を果たされるべきだと考えて、
ヨーロッパの王室とは比較になりませんが、一定の皇室財産をお持ちいただくことになりました。
行政ができることには限界があるからこそ、それ以外の精神的分野における皇室の役割は大きい。
この福沢先生のご指摘は平成の今でも立派に通用すると思いますね。

■ハンセン病と高松宮殿下
現行憲法となって皇室に対する法制度は確かに変わりました。
しかし、福沢先生が指摘されたような、行政とは異なった立場から福祉や文化・芸術など精神的分野において
皇室が大きな役割を果たされるという点については、ほとんど変わっていないのではないでしょうか。
私がまだ若い代議士の頃、私の選挙区である岡山にハンセン病の療養施設がありまして、
高松宮同妃両殿下がお見えになりました。
私も随行させていただきましたが、ハンセン病の重い患者などは手も爛れているんですが、
高松宮殿下と妃殿下はしっかりと手を握られて激励されたんです。
当時はまだハンセン病に対する誤解も残っていて感染するのではないかと、
随行の知事や政治家は患者のそばに近寄らなかった時代ですよ。
そんな患者さんの手をしっかりと握られる殿下のお姿を間近に拝見していて、
やはり皇族というのは違うなと思いましたよ。
目が見えないその患者さんに看護師さんが
「いま手を握ってくださっているのは高松宮殿下ですよ」と話しかけると、涙が流れたんです。
何しろ爛れて手の形をしていない状態です。宮様はいやいやではなくて、本当に心をこめて手を握られる。
恐らく誰も手を握ってくれなかったんだと思うのです。
ハンセン病に対する社会の偏見を取り除く上で皇族が果たされた役割は本当に大きかったと思いますし、
青年時代に「帝室論」をお読みになっていらっしゃるためなのでしょうか、
現在の天皇皇后両殿下も障害者福祉など、時の行政の手が及ばない国民の重要事に
精神的な支援をなさっていらっしゃいますよね。
御即位十年のときに皇后陛下も、行政との関係を念頭に、次のようにおっしゃられています。
「この十年間、陛下は常に御自身まお立場の象徴性に留意をなさりつつ、
その上で、人々の喜びや悲しみを少しでも身近で分け持とうと、
お心を砕いていらっしゃいました。社会に生きる人々には、それぞれの立場に応じて役割が求められており、
皇室の私どもには、行政に求められるものに比べ、より精神的な支援としての献身が求められるように感じます」
実際、皇室の「より精神的な支援としての献身」によって救われた国民は多いと思いますが、
そうした「現実」を国民の側がどれほど知っているのでしょうか。
現在の皇室に戦前のように多くの財産があれば、もっと福祉や伝統文化振興のために
大きな役割を果たしていただけるでしょうに、いまはお気の毒で、乏しい予算ですので、
皇族の関係者が結婚される際に宮家が出されるお祝いは申し上げるのも憚られる金額だと伺っています。
もちろん、お祝いをいただく側は宮家からいただいたということで有難く思っていると思いますが、
一般の会社員並みのお祝いさえお包みになれない状況にあることは本当に申し訳ない次第です。
皇室が「福祉などのために基金を出されたい」とお考えの際に、
ある程度自由に使える財産をお持ちいただくことができるように、
せめて国民の側から皇室に寄付できるような制度があればいいのですが、
占領軍から強制された現行憲法では、国民からの寄付もほとんど認められていません。
ですから、一日も早く憲法改正を成し遂げ、国民からの寄付の道を開くとともに、
皇室には、自由な政治論争に伴う軋轢を和らげ、
行政ではできない精神的な側面でもっともっと大きな役割を果たしていただくようにしていくべきだと思います。
その際、現行憲法では、総理大臣も元首的な機能を持っているし、
天皇陛下も国事行為を始めとして元首的な役割を果たされている。
このため学界では厳密にはどちらが元首なのかという論争が行われていると聞いていますから、
「党派を超えた尊いご存在である天皇陛下こそ日本国を代表される元首である」
ということを明記すべきだと思います。
私の知り合いには慶応出身者が多いのですが、
ほとんどの人は福沢先生が皇室論を書いていらっしゃることを知りませんでした。
『学問のすすめ』だとか『福翁自伝』は知っていますが、『帝室論』と『尊王論』はほとんど知りませんでした。
慶応大学の塾長室を訪ねて安西塾長にも差し上げましたが、安西塾長も出版のことを大変喜んで下さったのです。
天皇陛下は御在位二十年を迎えられます。皇室と国民の絆をめぐり様々な議論が交わされてもいます。
なかには合点のいかぬ問題提起や心ないと思えるものもあります。
我が国にとって天皇、皇室がいかなる存在であるのか。
それを今を生きる国民としてしっかり見つめ直さねばならない。
しかしそのためには先哲の残された古典を繙き、その叡知に向き合うなかで
私たちの先人がどのように考えたのかを学び、自らを省みる営みはとても大切で忘れてはならないように思う。
福沢先生の『帝室論』と『尊王論』はこれまで長い間忘れ去られた論文だったわけですが、
「自由民主主義」を推進する立場から皇室の尊さを説く福沢先生の「皇室論」は
百二十年の歳月を経た今日でも、将来の日本を構想していく上で、大きな示唆と誇りを与えてくれると思います。

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平成24年
平沼赳夫メール通信 2月10日
明日は「建国記念の日」です。
各地で奉祝式典が開催されます。
ご家庭や職場等で国旗を掲揚し、国民こぞって日本の建国をお祝い致しましょう。
■「皇室典範」拙速な改変論議に反対する
世界に現在約200国ある独立国のうち、45の国が君主制をとっています。
日本は、「万世一系」の皇室をいただいている世界でも類を見ない歴史と伝統を有する立憲君主国です。
125代、ニ千年以上、男系の血統を護持し続けている君主国は、日本以外にはどこにも存在しません。
祖先が守り続けてきた日本の万世一系の歴史こそまさに『世界の至宝』です。
どこの王家・王室においても、女王の夫君が女王の父方の直系男子でない限り、
お二人の間に生まれた王子が即位すると、女王の父方の血統から、夫君の血統へと王統の交代が
行なわれたと認定されます。例えば大英帝国においてチャールズ皇太子が即位されれば、
エリザベス女王まで続いているウィンザー朝(1901~1917まではサクス=コバーグ=ゴータ朝、
1917に改称)が途絶え、女王の夫君のエディンバラ公爵フィリップ・マウントバッテン殿下の血統へと

王統が交替して、マウントバッテン朝が始まることになります。
現在安定した皇位継承が論議され、女性宮家創設や女系天皇容認なども検討されているようですが、
まず大前提としてわが国の歴史と伝統を踏まえ、男系を維持し続ける方法を検討すべきです。
幸いにも秋篠宮悠仁親王殿下が御即位されるまでには、まだ時間があります。女性宮家創設、
女系天皇容認を急がなくとも、男系を残す方法がないわけではないのです。例えば戦後にGHQ
(連合国司令部)によって皇籍離脱させられた11宮家があって、男系が続いているお家がまだ
いくつかあります。これらの旧宮家の皇籍復帰もひとつの方法です。
平成17年に小泉首相の私的な諮問機関でしかない有識者会議の吉川弘之座長は、皇族や政治家の関与を
一切否定し、『歴史は我々が作っていく立場で検討する』と述べています。

このとき三笠宮寛仁殿下が示された『世界に類を見ない我が国固有の歴史と伝統を平成の御世でいとも
簡単に変更して良いのかどうかです。万世一系、125代の天子様の皇統が貴重な理由は、
神話の時代の初代・神武天皇から連綿として一度の例外も無く、「男系」で今上陛下迄続いて来ているという
厳然たる事実です』というご指摘とご懸念についても、『それでどういうことはない』と発言していますが、
実に不遜なことである存じます。安易な女系天皇容認・長子相続優先などは、我が国の歴史の連続した
流れを断ち切ることに繋がります。
我々の祖先の守り続けてきた伝統を、現在だけの価値観で否定し破壊することは、断じて許されることではありません。
後世の日本と日本人ためにも決して認めるわけには参りません。

また皇室の問題を、一部の報道機関などが浅薄な世論調査などのパーセンテージによって論ずる姿勢も
不見識極まりないことだと思います。文化や伝統は、守り受け継ぐものであり、多数決の論理で安直に、
否定し改変すべきものではないと存じます。
当たり前のことですが皇室にかかわることを、決して政争の具にしてはなりません。
しかし現在の価値観だけに基づいた皇室典範に係わる結論ありきの議論や特定の意見以外を、
封殺しようとする可能性があることこそが懸念されます。
安易で拙速に過ぎる女性宮家創設論議や皇位継承論議に強く反対すするとともに、
神代から今日まで繋がる皇室の長い歴史と伝統に基づいた見識ある十分な論議が尽されることを強く求めます。
たちあがれ日本 代表 平沼 赳夫

日本を愛する者が自覚すべきこと

日本を愛する者が自覚すべきこと 八木秀次
PHPファクトリー・パブリッシング 2007年7月23日

第七章 皇室とは何か
■日本に危機がおとずれると頼られる存在
…しかし、興味深いことに日本の歴史を振り返ってみると、平和な時には日本国民は天皇の存在を忘れています。
少なくとも強く意識しない。天皇という存在が意識されないことはそれ自体、
必ずしも悪いことではありません。それだけ幸せな時代であるとも言えるからです。
しかし、いざ国に危機がおとずれた時には、国民は必ず天皇の存在を思い出し、最後は頼りにする。
…天皇という存在は大統領とは違って「能力原理」で成り立っているものではありません。
神話に由来する血の連続、すなわち「血統原理」に依拠したもので、
誰か他に能力がある者が取って代わることができる存在ではない。
血の正統な継承者だけが、その位置につける存在です。
その始まりは神話に由来し、歴史が客観的な記録で確かめられる以後も、一貫して同じ系統が続いています。
つまり、血の一貫した継承という「歴史の重み」故に、そこに尊厳性と神秘性が備わり、
またそういう存在を日本国民は建国以来、国に危機がおとずれた際には必ずと言っていいほど頼りにしてきたのです。
また天皇もその期待に見事に応えられてきた。 …

■祭祀王という天皇の独自性
天皇とは何かということを考えるうえで、見落とすことができないのは、
天皇が伝統的に祭祀王(プリーストキング Priest King)であるということです。
これはむしろ天皇の最も重要な役割です。国家の安寧を祈る祀り主であるということです。
古代の王は世界中どこでも祭祀王という性格を持っていました。カリスマという言葉がありますが、
それはもともと神を祀る存在としての王が持っている特別の超能力というほどの意味でした。
しかし、そのような祭祀王は日本以外ではすべて滅んでしまい、天皇は今や世界に唯一残る祭祀王です。 …

■「民の父母」というもう一つの役割
…最後に国民が頼りにするのが「民の父母」としての天皇であり、
また歴代の天皇ご自身も最後は自分が立ち上がらなければならないという自覚を持っておられました。
大東亜戦争の終結時における昭和天皇のいわゆるご聖断はその一つの典型です。
昭和天皇はご聖断の際に、「自分は如何にならうとも万民の生命を助けたい。
此上戦争を続けては結局我邦が全く焦土となり
万民にこれ以上の苦悩を嘗めさせることは私としては実に忍び難い。祖宗の霊にお応へが出来ない
」(下村海南『終戦記』鎌倉文庫)とおっしゃっています。
このお言葉の中に「民の父母」という考え方が典型的に示されていると思います。
 
終戦時に詠まれたとされる四首の御製を紹介しましょう。

 爆弾にたふれいく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも

 身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて

 国がらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり

 外国(とつくに)と離れ小島(をじま)にのこる民のうえやすかれとただいのるなり

ここにも、自分の身はどうなろうとも国民の命を助けたいという、
まさに「民の父母」としてのお姿がよく表れています。
昭和天皇は「民の父母」としての立場を強く自覚され、「立憲君主」としての役割を逸脱されたとも言えるのです。…

■祭祀なき皇室はありえない
…先の『週刊朝日』は、宮中祭祀におけるこうした「伝統としきたり」が雅子妃殿下を苦しめ、
〈合理性を重んじる海外での生活を重ね、外交という現実の世界を生き抜いてきた雅子さま〉にとっては、
〈天皇家につながる神話性を信じることできるかというプレッシャー〉もあると想像しています。そして、
〈宮中祭祀を雅子さまが受け入れられるようにならない限り、問題は解決しない〉
〈皇太子は「宮中祭祀改革」の構想をひそかにあたためているのではないか〉
〈女性により負担のかかる祭祀を簡略化するか廃止するかすれば、雅子さまを救うことができる〉と述べるのです。
私はこれに重大な懸念を抱きます。これはまるで、雅子妃殿下のご病気を“人質”にして
「祭祀王」という天皇の本質的な性格を曖昧にし、
否定することを提言しているかのように読めるからです。
これは皇室制度を形骸化させようとい提言に他なりません。
さらに憂慮すべきことは、皇太子殿下までがその提言に賛成されているかのように読めることです。
…皇太子時代から宮中祭祀を行ってこられた天皇陛下だけではなく、
民間から宮中に入られた皇后陛下も宮中祭祀に深いご理解を持っておられます。
実は昭和天皇に宮中祭祀の重要性をお教えになったのは母宮である貞明皇后です。
宮中祭祀の継承において皇后の果たす役割は非常に大きいと言わざるを得ません。…

■敢えて問う、皇太子夫妻の離婚問題
…従来、主に二つの立場から皇太子夫妻の離婚説が唱えられてきました。一つは、キャリアウーマンとして
活躍してこられた雅子妃殿下らしい生き方を取り戻して欲しいという立場からの離婚説です。
もう一つは、皇位の男系継承を維持するために離婚していただき、
皇太子殿下が新しく迎える妃に男子を産んでいただこうという立場からのものです。
後者は、秋篠宮紀子妃殿下ご懐妊前に男系維持派の一部からよく聞かれた声です。
しかし、私は、別の立場から皇太子ご夫妻の離婚という事態を想定せざるを得ないと思います。
もしもこのまま雅子妃殿下が宮中祭祀を受け入れられないなら、皇后としての資質に疑念を抱かざるを得ず、
宮中祭祀、すなわち皇室の皇室たるゆえんを守るために離婚もやむを得ないということです。…
…現在、皇太子ご夫妻よりも秋篠宮ご夫妻のほうが、天皇皇后両陛下を深く理解し、
皇族としての強い責任感を抱き、将来の天皇、皇后にふさわしい資質を持つとの見方が広がっています。
とすれば、宮中祭祀を守る立場から、皇室典範第三条にある〈重大な事故〉を拡大解釈し、
皇位継承第一位の座を皇太子殿下から秋篠宮殿下に移そうとの議論が生じてもおかしくありません。
雅子妃殿下が適応障害から快復されない限り、今後、その原因が「皇室の伝統としきたり」、とりわけ
宮中祭祀nあることにますます焦点が集まるでしょう。
そして、雅子妃殿下を守るため宮中祭祀を簡略化ないし
廃止せよという声が起こってくると予想できます。
男系継承の重要性を理解せずに女系天皇容認論が出てきたのと同様の事態です。…
…宮中祭祀が簡略化ないし廃止され、なおかつ女系天皇が容認されれば、
皇室制度は形骸化され、その存続が危うくなることは確実です。…

■「皇位継承」に関する重要論点
「万世一系」とされる「皇統」は一貫して「男系」よる継承であった。
神武天皇を初代として、それ以降一貫して男系の血を継承している人のみが天皇の位に就かれました。
一貫して男系というのは非常に興味深い文化で、一般家庭と皇室との決定的な違いがここにあります。
といっても、必ず子供が生まれるというわけでもないし、男の子が生まれるわけでもありません。
現に私たちは、皇室に女子しか生まれないケースを長い間見てきました。
しかし、過去の例を見ると、そういった時にも必ず男系で継承してきたのです。
具体的には、何百年も前に分かれた分家の宮家の血筋から、男系の継承者をもってきて皇位継承者にしたのです。
そのことは歴代天皇の系図を見れば一目瞭然です。
遠い遠い血からジャンプして次の継承者になっている例が、何度となくあります。
(中略)
今の天皇家の系統は、江戸時代後期の光格天皇の流れで、閑院宮家の系統です。
閑院宮家の六男の祐宮皇子が光格天皇として即位されます。そこが今の天皇家のいわば初代です。
光格天皇は先代の後桃園天皇と七親等も離れています。後桃園天皇には男子が生まれませんでした。
その系統を探したけれどもやはりいないので、うんとジャンプして
曾おじいさんの弟の孫を継承者にしたというわけです。…

■男系男子の継承は決して譲れない
「皇統」には二つの系統があると考えるべきです。
閑院宮家の皇室の流れが存続しているので忘れられがちですが、
もう一つ、室町時代に分かれた伏見宮家の系統があります。
これが旧宮家の系統です。室町時代に分家して分かれた伏見宮家の系統は、
「保険」あるいは「血のスペア」としてずっとつなげていっているのです。
現に昭和21年までは皇族として扱われました。その時点での男系で言えば、
今の皇室とまるで他人と言っていいほど血が遠い関係です。
なにしろ、室町時代に分かれた系統同士の間柄です。普通の感覚で言えば赤の他人です。
しかし、それでも皇族だった。
お互いの血の遠さは関係なく、互いに初代・神武天皇以来の男系の血を
正しく継承しているということで皇位継承権があったのです。
さらに興味深いのは、この伏見宮家の系統の、旧宮家の方々が昭和21年に皇籍を離脱する際には、
次のような加藤進宮内次官の証言があったということです。
「『万が一にも皇位を継ぐべきときが来るかもしれないとの御自覚の下で身をお慎しみになっていただきたい』
とも申し上げました」(「戦後日本の出発-元宮内次官の証言」『祖国と青年』第七一号)
皇位継承資格が潜在的にあるので、その自覚でいてください、と言っているのです。
明治の皇室典範を起草する際には井上毅がこんな発言もしています。

「継体天皇の如きは六代の孫を以て入て大統を継ぎ玉へり。
不幸にして皇統の微継体天皇の時の如きことあらば五世六世は申す迄もなし、
百世御裔孫に至る迄も皇族にして在はさんことを希望せざるべからず」(『皇室典範皇族令草案談話要録』)

古代の継体天皇の場合は二百年前に分かれた分家から天皇になられました。
継体天皇は先代(武烈天皇)と十親等も離れています。
不幸にして皇統がこの先続かないという、かつての継体天皇の時のようなことがあったなら、
五代六代遡ることは言うまでもなく、百世、つまり百代遡っても
男系の正統な継承者が皇族となるべきだ、と言っているのです。
簡単に言えば、初代・神武天皇の男系の血を正しく継承している存在であればかまわないと言っているのです。
日本中世史の権威である北海道大学教授の河内祥輔氏は『神皇正統記』に言及して適切な喩えをしています。

「『正統』理念の系図は、すべての天皇が一筋に繋がっているというものではない。
〈幹〉とたくさんの〈枝葉〉に分かれ、しかも、〈枝葉〉の天皇の系統はそれぞれの所で断ち切られている。
『一系』として続いているのは〈幹〉の天皇だけである」
「〈幹〉は何によって作られるかといえば、それは血統である。皇位ではない」
「〈幹〉を作るのは男性のみである。『正統』は男系主義を特徴とする」
(河内祥輔『中世の天皇観』山川出版社)

ここで言う「枝葉」が閑院宮家の系統や伏見宮家の系統ということです。
お互いに「枝葉」同士は離れているけれども、同じ「幹」から生えたものです。
重要なのは「幹」であって「枝葉」ではありません。
現代人は「枝葉」である現在の皇室の血筋ばかり見ているのですが、
少し俯瞰して見れば「幹」が見えてくるはずです。
そして、その「幹」に別の「枝葉」が生えていることもわかってくるある「枝葉」が枯れれば、
別の「枝葉」が本流となる。
実際、そのようにして皇位は継承されてきました。このことに気づく必要があると思います。
そして、この幹の部分がまさに日本国家としての連続性の担保なのです。
これが古代の日本の建国以来変わらず、ずっと一貫してつながってきた、ということこそ、
「一系」の本質なのです。

■皇位は公のものである
…戦前、天皇は現人神だったという話がよくあるのですが、正確には現御神(あきつみかみ)ということです。
昭和21年1月1日のいわゆる「人間宣言」で、天皇は現人神であることを否定し
人間だと宣言したという理解が一般には広まっていますが、
真相はまったく違います。日本を知らないGHQに対して、いわば便宜的にそう言ったようなものなのです。
そもそも天皇は神として信仰の対象とされるような存在ではなく、「自らが神を祀る存在」です。
そこを間違ってはいけない。天皇は昔から人間です。神を祀る存在としての人間なのです。
あえてわかりやすく喩えれば、キリスト教におけるローマ教皇と似たような存在だと言っていいでしょう。
ローマ教皇は選挙で選ばれますが、天皇は世襲です。
そこの違いはありますが、天皇も宗教的にはローマ教皇に似た色彩を持っています。
ちなみにローマ教皇も、一度も女性がなっていません。
ユダヤ教もラビ(宗教的指導者)の家系は男系です。仏教も厳格な男系です。
皇室に話を戻せば、大切なポイントは「皇位は公のものであり、
決してその時々のロイヤルファミリーの私有物ではない」ということです。
現代の日本人は、この点をあまり理解していない。ある系統の男系の血が途絶えた場合、別系統の男系が継承する。
それは皇位というものが、歴代天皇からの預かり物だという認識が皇室自体にあるからです。
自分たちファミリーの私有物や独占物ではない。
たまたま自分の系統が預かっているのであり、
男系の血を自分たちが先に続かせていくことができないのであれば、別の系統いそれをバトンタッチしていく。
そうやって連続性を確保していく、という存在なのです。
この考えが理解できないと、皇室というのは今のロイヤルファミリーのことであり、
男系の継承者がいなければ愛子様やそのお子様である女系に皇位継承をすればいい、という
誤った意見が心地よく感じられるのです。
以上のことは歴代天皇の系図を見れば、すぐにわかることです。前に紹介した河内祥輔氏の言葉を借りれば、
これは〈幹〉と〈枝葉〉の問題であり、「皇室典範に関する有識者会議」は
枝葉だけを見て議論していたということなのです。
しかし、その枝葉がでている幹にこそ目を向けなければならない。
歴史を振り返ってみても、皇位継承は綱渡りをしている例が少なくありません。
たとえば大正天皇がそうです。
明治天皇にはたくさんのお子様が生まれましたが、それでも成長した男子は大正天皇お一人だけでした。
側室がたくさんいた時代においてもそうであり、しかも病弱であられた。
ところがその大正天皇には四人も男子がお生まれになり、それで一息ついたのですが、
実は歴史上ずっと綱渡り的にやってきているのです。
だから旧宮家がやはり何らかの役割を担っていかないと、この先もちょっとむずかしい。
できれば旧宮家の中から皇族に何人かがお戻りになるとか、
準皇族的な立場に就いていただくとか、そんな措置が必要です。
「皇族」概念を旧宮家の男系男子にまで拡大することは、早急な課題だと言わなければなりません。

■異邦人が見た「天皇とは何か」
前にも触れた駐日フランス大使でもあた詩人のポール・クローデルは天皇という存在についても
実に正確に理解しています。
「天皇は日本では魂のように存在している。つねに存在し、持続するものである。
それがどのようにして始まったかは誰も正確には知らないが、
終わることはないであろうということは知っている。
天皇が何か特別の役目を果たさなければならないと考えるのは不適切であるし、敬意を欠くことになろう。
天皇は干渉しないし、国民の諸事に一々口を出したりはしない。
だが、もし天皇がいなければ、物事は同じようには進まないだろうし、
ただちにすべての調子が狂い、バラバラになってしまうだろうことは誰もが知っている。
それはやり直しなしにいつまでも続いていく楽音だり、
それに耳を傾ける他の音が勝手に変奏したり、ずっと不変のままであったりすることを
一時的に抑えたりもするのである。
それはずっと変わらないものであると同時に、他のものに対しては変化することを強制するものであり、
有為転変、時の流れに従いながら、根源と結びつき、国民に死に絶えてならないという義務を
永遠に課するものなのである」
(「明治」『朝日の中の黒い鳥』内藤高訳、講談社学術文庫)
日本人はあまり自覚していないことですが、クローデルは天皇こそが
日本という国をまとめているのだ、という指摘をしているのです。
西洋人から見れば、日本には通奏低音のように天皇という音楽がずっと流れている。
そういう非常に興味深く重要な存在が天皇なのだ、と彼は言っているのです。
日本人には気がつきにくい、異邦人ならではの正確な洞察ではないでしょうか。


同書 皇室関連部分以外

憲法の前文では「国家の連続性」「歴史的な連続性」に言及する国がほとんどなのです。
社会契約説の説明によれぱ、
「国家というものは、個々人がその生命、自由、財産を安定的に確保するために、
相互に社会契約説を結んでつくり上げました」ということになりますが、
そんなことを憲法で述べている国はどこにもない。そんなことを前文に掲げているのは日本くらいのものです。
憲法の前文では、必ずその国の歴史に言及する。それが世界の常識です。
なぜなら、まさに国の成り立ちなどというものは、合理的かつ理論的に説明ができないからです。
(中略)
歴史ある国であればあるほど正確にその国がどうやってできたのかということを説明などできやしない。
だから神話や伝説、物語などの文学的表現で、国の成り立ちを説明しているのです。
「いつ、どのようにしてできた国か、正確にはわからない。
しかし、今日あるこの国は、昔からずっと続いているものを継承したものだ。
そして今生きている私たちを経て、この国が、今度は将来の子孫たちに受け渡されていく」
そういう認識を、多くの国家は持っている。そういうものです。
ところが日本の場合、そのあたりの認識が特に戦後、決定的に足りない。
国家を「今生きている自分たちだけで構成されたもの」だと理解しがちです。
それは、社会契約説的な、つまり国家の成り立ちについて
合理的かつ理論的な説明が必要だと言う思い込みによるものです。

日本国憲法は「日本の憲法」でありながら、歴史的な存在としての「日本」というものは認めていないのです。
日本の長い長い歴史と伝統が否定されている。
歴史を切断し、「新しい日本」をつくったという説明になっている。これがこの憲法の最大の欠陥です。

日本国憲法は日本の歴史を断絶している。昭和二十年以前の日本を完全に否定しているのです。
実際、日本国憲法がわが国の過去について唯一言及した箇所は、こう書かれています。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し」言うまでもなく、
これは“否定の対象”としての歴史です。
肯定的に日本の過去を継承しようという趣旨はまったくありません。
そういったことは、日本国憲法のどこにも書かれていないのです。

「歴史ある国家」とは、自らの生命の根源と結び付く、運命共同体としての国家です。
だから自らを犠牲にしてでも存続を図るという、尊い「国防」という行為がでてくる。

比喩で言えば、アメリカがイギリスから独立したように、新しい日本は伝統的な日本から独立することになります。
アメリカの場合はイギリスから場所を移したけれども、
日本の場合は場所も同じところから「新しい日本」が独立することになる。
そういう恐るべき事態が、今静かに進行しているということを、私たちは知っておかなければならない。

世に護憲派といわれる人々の多くは社会主義や共産主義にシンパシーを持った人たちです。
彼らが日本国憲法の改正に断固反対するのは、憲法第九条を変えたくないということばかりではありません。
実は日本国憲法は、社会主義に移行させるにはもってこいのものだからなのです。
彼らにとって都合の良い条項がたくさん入っている「社会主義革命の理論を内包した憲法」だからです。

GHQによる占領時代の前半は、日本の過去を否定し、連続性を断ち切るという方針で一貫していました。
それは彼らの認識が「日本は侵略戦争をした。
これまでの日本の歴史はすべて侵略戦争につながる」というものだったからです。
つまり、日本の軍国主義や超国家主義の元凶として、過去の歴史や文化、
伝統や慣習といったものがあるという認識でした。
そうであれば、そういうものは全部否定するという政策になって当然でした。
そこで持ち出されたのが「日本の過去はとにかく否定の対象でしかない。
日本は戦後まったく新しい歴史を歩む。新しい国がここから始まる」という論理でした。
ロックの社会契約説も、マルクス・レーニン主義も、政治的な立場を越えて立脚点は似ています。
合理主義的な理性だけで論理を組み立てていく。そこに歴史や伝統、道徳といった、超越的なものが入っていない。
過去を否定し、新しい国の始まりを宣言する。
日本国憲法は西洋出自の様々な思想的文献のパッチワークであって、
そこにはいろいろな思想が入り込んでいると先に述べました。
しかし、入り込み方が「過去を否定し、連続性を断ち切る」という一つの方向にはっきりと向いているのは、
GHQの占領方針に即した結果であることは間違いありません。

昭和21年11月3日
日本国憲法公布日=明治節(明治天皇お誕生日)
昭和21年4月29日
極東軍事裁判起訴状提出=天長節(昭和天皇お誕生日)
昭和23年12月23日
「A級戦犯」処刑の日=今上天皇お誕生日

過去を否定するということについては、昭和20年12月15日の
「神道指令」(「国家神道、神社神道に対する政府の保証・支援・保全・監督
ならびに弘布の廃止に関する件)もそうです。
これはGHQが日本政府に発した覚書ですが、信教の自由の確立と軍国主義の排除という名目で、
国家神道を廃止し政教分離を果たすために出されたものです。
そこでは、たとえば「大東亜戦争」という言葉は使ってはいけないことにされました。
「太平洋戦争」という言葉を使え、と強要したのです。戦争の呼称はそのまま戦争の性格を表すものです。
アメリカは太平洋で戦ったので「太平洋戦争」でいいけれども、
日本は太平洋だけで戦ったわけではありませんから、それだけでも「太平洋戦争」は不適切です。
つまりアメリカ側の戦争観を日本に押しつけたということなのです。
ここでは神社神道に対する否定的な見方も示されましたし、「八紘一宇」などの言葉も禁止されました。
それからウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(War Guilt Information Program)。
GHQが占領政策の一環として行ったもので、「日本人に戦争についての罪悪感を持たせる宣伝計画」です。
情報操作などによって日本人を洗脳して、戦争への嫌悪感を植え付けようとした。

GHQによる占領の前半はこれまで述べたように、日本の過去を否定し、連続性を断ち切るという方針でした。
「これまでの日本の歴史はすべて侵略戦争につながる」と、過去の歴史や文化、
伝統や慣習といったものを軍国主義や超国家主義の元凶とみなして否定し、
切断しようとしました。しかし、その後に冷戦が始まってみると、
日本が行なった戦争の意味が、当のアメリカにもだんだんわかってきます。
特に朝鮮戦争(1950~53年停戦)を経験して、日本が中国大陸に
あそこまで入り込まなければならなかった理由がよくわかってきました。
日本の十数年後に、アメリカは同じ経験をすることになったのです。
結局、マッカーサーは、GHQ最高司令官を退任し、帰国してまもなくの1951年5月3日、
アメリカ上院軍事外交合同委員会公聴会で、日本の戦争に関して、
「彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」
と語らざるを得なくなった。日本の戦った戦争が侵略戦争ではなく、
安全保障の必要すなわち自衛によるものであったということを、マッカーサー自らが認めたわけです。
昭和25年6月に朝鮮戦争が始まると、日本に駐留していた米軍が朝鮮半島に出動せざるを得なくなります。
そのために軍事的に手薄になった日本列島を守るために、同年8月に警察予備隊が結成されました。
ここから日本の戦後の再軍備がはじまるわけです。
そして、増強されて保安隊となり、昭和29年7月に自衛隊が発足するに至ります。
それは、まさにニクソンの言うとおり(※昭和28年11月来日。日米協会での発言)、
日本を反共防波堤にするための措置でした。いずれにせよ、
日本国憲法は、それを制定させた当のアメリカでさえ、制定から何年も経っていない段階でもう、
その制定は失敗だったと悔いているような代物なのです。
それにもかかわらず、誤った認識でつくられた日本国憲法は、現在に至るまで一度の改正すら行われず存続しています。
のみならず、そこに内包された「革命」を国内で自己増殖させているのです。

明治憲法は、当時の西洋の最新の制度や理論を取り入れたものになっています。
したがって外見的には、極めて西洋的なものだと言えます。
しかしその受け入れ方が重要なのです。明治憲法の前文にあたる「告文(こうもん)」とという部分に、
「皇祖皇宗の遺訓を明徴にし典憲を成立し条章を昭示し……」とあります。
明治天皇の言葉として表現されてはいるものですが、
この憲法は皇祖皇宗すなわち歴代の祖先の残した教えを明らかにし、皇室典範や憲法として成立させ、
条章を明らかにしたものであるということです。かみくだいて言えば
「祖先代々伝わってきたことに表現を与えたものだ」ということです、
日本国憲法と異なり「過去を継承したものだ」と言っているのです。

国家の歴史的な連続性を肯定する、過去を継承する。
そのような意味で重要なのは昭和21年元旦に出された「新日本建設に関する詔書」です。
この詔書は一般には「天皇の人間宣言」と称されているものです。
昭和天皇が後に記者会見の場で話されているように、
この詔書には冒頭に自らのご意思で「五箇条の御誓文」の全文を掲げました。
それに続けて、「頴旨公明正大、又何をか加へん。朕は茲(ここ)に誓ひを新たにして、
国運を開かんと欲す。須らく此の御趣旨に則り、(中略)新日本ほ建設すべし」
と述べられました。つまり「五箇条の御誓文に示されているのは公明正大であって、
これにもう何も付け加えるものはない。
私(昭和天皇)はここで誓いを新たにして国運を開こうと思うが、
それにあたってはこの五箇条の御誓文のご趣旨に則る。そして新日本を建設する」

――このようにおっしゃっているのです。
では昭和天皇は一体どういう意図で五箇条の御誓文を掲げられたのか。後に昭和天皇は記者会見の場で
「民主主義はこれからアメリカから入ってくると言われているけれども、
アメリカから今さら教えられるようなものではない。
明治の初めに、明治天皇が五箇条の御誓文で示したものがあって、これに則ればいい。
そういう意味では、日本人はもっと自信をもってほしい」という意味のことを述べておられます
(昭和52年8月23日、なお、引用は意味を取ったもので正確なものではない)。
昭和天皇は、戦前と戦後の連続性、国家の歴史的な連続性ということを明確に意識しておられたわけです。
国を守る、国を愛すると言った時の「国」とは何なのか、ということをきちんと押さえておくことが、
必要であり重要なのです。
そうでなければ、いったい何を守るのかが、まったく違ってはてしまうからです。
国防とは、「ある時代のある世代が自らの命を投げ出してでも国家の存続を図る行為」、
そのように意義づけることができます。
前に国家は歴史的に連続性を持つものだと述べました。
それゆえに、今の自分を犠牲にしてでも連続性を確保仕様という思いになるのです。
つまり国防を整合的に説明しようと思えば、「国家の連続性」ということを言わなければ無理なのです。
国家の歴史的な連続性に立脚しない限り、国防は整合的に説明できない。
日本国憲法が立脚しているロック流の社会契約説によれば、国家は個々人の生命、
自由、財産に関する権利を安定的に保障するためにこそあるということになります。
そのために国家はできたということです。
だから国家の役割は、国民の生命、自由、財産を安定的確保することにある、ということになる。
もちろん国家機関にはそのような側面もあり、それがなければ、国家として意味がない。
しかし、国防は国民が自らの生命、自由、財産を犠牲にする行為です。
自らの命を投げ出すこともあれば、自由も制限されるし、財産も犠牲にする。
そうやって国家の存続を図る。国家の歴史的な連続性を確保する。
だから社会契約説が言っていることと、国防に本来求められるものとでは、ベクトルの向きが真逆となります。
ロック流の社会契約説の国家観では、国民の生命、自由、財産に関する権利を保障するために、
たとえば外国から兵隊を雇おうということになる。傭兵の発想です。
そこには自らが犠牲になってでも国家の存続を図ろうという発想はありません。
では、ある時代のある世代が、自らの生命、自由、財産を犠牲にしてまで国家の存続を図ろうとするのはなぜなのか。
それは国家が、今そこに生きている自分たちの必要に迫られてつくったもの(=社会契約説)ではなく、
何代、何十代もの我々の祖先たちが築いてきたものであり、
それをまた自分たちの代を経て次の世代、さらにずっと先の世代に伝えていくものと考えているからです。
歴史的な連続性を認識するが故に、自らの生命、自由、財産を犠牲にできるのです。
今の自分たちがたとえ犠牲になっても、この国の存続を図らなければならない。
それゆえに、国防は古今東西、一貫して崇高な行為とされているのです。

戦争によって、ある時代のある世代の生命、自由、財産が犠牲になる。
それを後の政府が国の事業として感謝、顕彰、慰霊、追悼を行う。
それはどこの国でもしていることであり、国家が国家として存続する以上、非常に普遍的なことです。
社会主義国でも戦没者の供養は手厚く行っています。
実はそのことと戦争の性質とは、本来、関係のない話です。自衛戦争であろうが、侵略戦争であろうが、
国家の命令によって自己を犠牲らした人たちに感謝し、
顕彰し、慰霊、追悼を行うことは、後の国家の責任と言うべきものです。

国の成り立ちや歴史・伝統に言及せずに、国民に愛国心や国防の責務だけ求めることは
悪しき国家主義につながります。
国家を歴史的な共同体と捉えることがなければ、その時々の統治機構やそれを指導する権力者に忠誠を誓い、
そのために命を落とすことが愛国心や国防の責務になってしまうからです。

今の日本国憲法には「歴史的共同体としての日本」というものが決定的に欠けています。
それを取り戻す必要があるのです。
憲法に歴史の視点を取り戻し、国家の連続性を確認する必要があるのです。
(中略)
我々の愛する歴史と伝統の国・日本を、日本国憲法が骨抜きにしてしまっている。
そうなった核心が前文にある。またそこに描かれた国家観にある。
であれば、「歴史ある日本」という国柄を取り戻すことこそが、
憲法を改正するにあたっての最重要課題ということになります。
そのためには、前文において日本の歴史の連続性を取り戻すことが、絶対的に必要です。

そもそも国防の義務と参政権とは表裏一体の関係です。
自らの国を責任を持って守る存在である者のみが、国家の意思形成に参画する、ということなのです。
(中略)
国民国家においては、国民は潜在的にその国の兵士です。
したがって、国籍を有するということは、その人の好むと好まざるとにかかわらず
「その国の潜在的な兵士」であるという意味です。

全世界には朝鮮半島以外で育った韓国系の人が500万人ぐらい存在すると言われています。
そのうち自分が住んでいる国の国籍を取っていないのは、日本にいる人たちだけです。
それは、取らなくても済んできた、取らなくても不都合がなかったということでもあります。

外務省の発表によれば、昭和三十四年当時、関係各省で調査した結果、
登録されている在日コリアン六十一万人のうち、
戦争中に徴用労働者として来た者は、わずかに二百四十五名な過ぎないものでした。
それ以外は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者とその家族や、
鉄工業、土木事業の募集に応じてきた者で、戦後もそのまま住み続けた人たちだったのです。
(『朝日新聞』1959年7月13日付)
「強制連行」し主張されるようになった背景も、現在ではほぼわかっています。
朝鮮大学校の教師をしていた朴慶植という人が言い始めたのです。
それは在日朝鮮人へり北朝鮮への帰国事業と関わりがあります。
(中略)
そこで、では、自分たちが日本にいるのは一体どういう理由からなのかという話になった。
そのとき「自分たちは連れて来られたから、やむを得ずここにいる。
それは日本政府に責任がある」という理屈にしてしまったわけです。
だからいわゆる強制連行というのは事実ではない。まったくの虚構であって、
在日コリアン、特に北朝鮮に属する在日朝鮮人が日本にいることを正当化する論理なのです。
国籍が違う人たちがたくさんいることを正当化するために、
「自分たちは好き好んでここにいるのではない」と主張したのです。

「君が代」の「君」とは天皇のことですから、簡単に言えば
「天皇の統治する世が永遠に続きますように」という意味です。
つまり「日本が伝統的な国柄を維持しつつ永遠に続きますように」という意味で、実に平和的な歌です。
それを戦争の歌だと考えている一部の人たちがいますが、完全な言いがかりであることは、
他の国歌と比べてみれば一目瞭然です。
「君が代」は極めて平和な内容で、日本の国歌としては一番ふさわしい歌だといえると思います。

驚くこととに日本の教育界で依然として一番力を持っているのはマルクス・レーニン主義勢力です。
この点には強く警鐘を鳴らしておきたいと思います。日教組の彼らは、そもそもどんな価値観で行動しているのか。
日教組の本質は昭和二十七年につくった「教師の倫理綱領」に現れています。
そこには「教師は科学的真理に立って行動する」とあります。
社会科学的真理すなわちマルクス・レーニン主義に他なりません。
現在もそれは様々なところに現れていて、たとえぱ歴史教育は
歴史事実を客観的に教える純粋な歴史教育ではなくして、実際には「政治教育」となっています。
階級対立と権力への抵抗の姿勢を教えているのです。

平安時代の貴族政治を教えるにあたってのメインタイトルが「国司をうったえた人々」。
戦国時代のメインタイトルは「立ち上がる農民」。
信長・秀吉の時代のメインタイトルは「たたかう一向一揆」です。
権力に対して常に「うったえ」「立ち上がり」「たたかい」「抵抗する」、
これで一貫しています。さすがにこれには批判も多く、現在は多少表現が薄められています。

マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』の第一章冒頭に「今日までのあらゆる社会の歴史は、
階級闘争の歴史である」という有名な言葉がありますが、それをまさに地でいっている記述です。
階級闘争としての歴史教育……というより政治教育を行っているのです。
現在日本の六割以上の中学生が使っている東京書籍の歴史教科書は、
一番穏健だと言われているのですが実際は穏健どころかひどいものです。
根底の考え方を一貫して「持つ者と持たざる者との対立関係、抗争」に置いて歴史を描いています。
代表的な例を挙げてみましょう。
「文明の発生」の項目では国家の起こりについての説明がなされていますが、そこには、
「食料が富としてたくわえられると、それをめぐる争いが増え、
やがて強い集団が弱い集団を従えて、国ができました。(中略)
しだいに人々を支配し、税を取るようになり、支配する者(王や貴族)と、
支配される者(農民や奴隷)との区別ができました」
と、これまた『共産党宣言』そのままに階級対立が強調されます。
そしてそのことはこの教科書全体を貫く認識になっています。
同様の記述は各時代にたくさんあります。
その他、幕末も明治・大正時代も、幕府や政府に対する不満から一揆や反乱を起こす民衆の姿を強調しています。

一方、「支配する者」は自己中心的で暴虐であることを強調することも忘れていません。
たとえば、豊臣秀吉の朝鮮出兵は当時のスペイン、ポルトガルのアジア侵略という背景をまったく記述せずに、
「秀吉は、国内統一だけでは満足せず、朝鮮、インド、ルソン(フィリピン)、
高山国(台湾)などに手紙を送り、服属を求めました」とだけ書き、
「朝鮮侵略」と断定しています。
明治政府が身分制を廃止したことも「新政府は天皇のもとに国民を一つにまとめようと、
皇族(天皇の一族)以外はすべて平等であるとしたため、
それまでのきびしい身分制度はくずれました」と書いています。
ここでのポイントは「皇族(天皇の一族)以外は」との文言にあります。
そのことと明治憲法の記述すなわち、
「憲法では、天皇が国の元首として統治すると定められ、議会の召集・解散、軍隊の指揮、
条約の締結や戦争を始めることなどは、天皇の権限とされました。
また、外務省や大蔵省の各大臣は、天皇に対して個々に責任を負うとされたため、
内閣と議会との関係は不明確でした」という薄められた「天皇制絶対主義」に立つ記述が相俟てば、
天皇は不要という感情は容易に醸成できます。
ここでは学習指導要綱が求めている「天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること」
(小学校六年生社会科)は完全に無視されていることになります。
国家の存亡をかけた戦争であり、その後の世界地図を大きく書き換えた日露戦争についても、
「日露戦争での日本の勝利は、インドや中国などアジア諸国に刺激をあたえ、
日本にならった近代化や民族独立の動きが高まりました。
いっぽう、国民には、日本が列強の一員になったという大国意識が生まれ、
アジア諸国に対する優越感が強まっていきました」と否定的に書きます。
次のページりタイトルは「日本の朝鮮侵略」です。
日露戦争の記述に小村寿太郎や東郷平八郎、乃木希典の名前は出てこず、
幸徳秋水、内村鑑三の反戦論・非戦論が強調されるだけです。
しかも、その後の日本はアジアに対してひたすらマイナスの行為しかしていないという記述になっています。

はたしてこのような歴史教育で学習指導要綱が言う
「我が国の歴史に対する愛情を育てる」(小学校社会科)、
「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てる」(小学校六年歴史学習)ことができるでしょうか。
むしろ政府や会社を憎悪したり。反抗する心を育てているのではないでしょうか。
また、改正教育基本法に示されている「我が国を愛する態度を養う」ことが可能でしょうか。
画に描いた餅だと言わざるを得ません。すみやかにこのような階級闘争史観を脱却すること
が必要であることは言うまでもありません。

マルクス・レーニン主義は下から権力を批判して、権力と戦い、
勝ち取って権力奪取するという手法をとってきました。
しかし今日、これをまともにやろうとしている人たちはもうあまりいません。
今起きていることは、いわゆるフランクフルト学派の手法です。
フランクフルト学派は、マルクス・レーニン主義を基に社会理論や哲学を研究しているグループの名称ですが、
マルクス・レーニン主義を批判的に継承しました。
思想内容はあまり変わらないのですが、戦って権力を勝ち取るのは野暮ったい。
それよりも権力の中に入り込んでしまえ、それで徐々に権力を取れ、という考え方です。
これを今、日本の左翼勢力が実践しているのです。たとえば、審議会に仲間をどんどん送り込む。
しかも保守政権の下で、です。それがとりわけ成功しているのは地方自治体です。
最近、思想的に怪しい条例がたくさんつくられています。
その事実に対して保守派は鈍感で、首長も議員もまるでわかっていません。
左翼勢力の美辞麗句にだまされて、気がついていない。
(中略)
行政に「市民」が参画できることを担保とする「自治基本条例」制定運動と相俟って、
新種の革命運動が静かに進行しているのです。
これらの条例に多くの人は無防備で、条例を制定した自治体の数はどんどん増えています。
地方だとマスコミにも出ませんし、地方の議員では勉強する機会も少ないため、
「住民参画」とか「市民参画」のような確信犯的な美辞麗句を使われたら、
まったくわからないまま進んでしまう。
(中略)
共産党・旧社会党系・新左翼を問わず左翼勢力は、権力に抵抗して
正面玄関から政権を奪取するという手法はとっくに諦めています。
彼らが今考えているのは、裏口からいかにして権力に入り込むかということです。

聖徳太子は607年と608年、隋の煬帝(ようだい)に対する書簡の中に、次のように書いています。
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」(607年)
(煬帝は無礼だと強い怒りを示した)
日本が君主号として「天子」を使った。
中華思想によれば世界の君主は「皇帝」を名乗るシナの支配者ただ一人であって、
その権威に並ぶ「日出づる処の天子」などというのは、そもそもあってはならない存在です。
聖徳太子の親書は「中華」的世界観への真っ向からの挑戦でした。
「東の天皇。敬(つつし)みて西の皇帝に白(もう)す」(608年)
東の「天皇」と西の「皇帝」。今度は天子と天子、皇帝と皇帝でぶつけませんでしたが、
天皇も皇帝に匹敵する称号です。
天子と名乗ったことで激怒されたが、冊封体制下の「王」に逆戻りするつもりはない。
そこで使ったのが「天皇」という称号だったというわけです。
二度の国書は日本が自立した王権であることを宣言したものでした。
自らシナ皇帝と対等な「天子」を称し、次いで「天皇」という称号を採用することによって、
シナ皇帝には臣従しないことを宣言したのです。
近隣諸国が次々にシナ皇帝に臣従し、シナ文明圏(中華文明圏)に組み入れられる中、
わが国は敢えて政治的自立を宣言したのです。
そして以後も日本は中国大陸から距離をおいて独自の文明を築いてきたのです。

大正末から昭和の初めにかけて駐日フランス大使を務めたポール・クローデルという詩人が昭和18年の秋、
パリのある夜会で述べた言葉です
(市原豊太『内的風景派』文藝春秋)。
「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族がある。それは日本人だ。
あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族は他にない。
日本の近代化における発展、それは大変目覚ましいけれども、私にとっては不思議ではない。
日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、
明治になって急に欧米の文化を輸入しても発展したのだ。
どの民族もこれだけの急な発展をするだけの資格はない。しかし日本にはその資格がある。
古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのだ」
昭和18年といいますから、そろそろ日本の敗戦色が濃くなろうとしているときです。
このままいくと日本は本当に滅びるかもしれない。
そういう危惧がクローデルにはありました。しかし、そうなってはならない。
日本が明治以降発展したのは十分意味があってのことだと述べながら、
最後にポツンと一言次のような言葉を付け加えます。
「彼らはまず貧しい。しかし高貴である」
「彼ら」とは日本人のことです。日本人は貧しいけれども高貴である。
クローデルはこう述べたのです。
幕末から明治大正昭和とずいぶん多くの外国人が日本を訪れました。
彼らに共通した日本人への評価は「日本人は高貴だ」というものでした。
日本人は高貴な民族であるとほめたたえられたのです。高貴というのは道徳性の高さを意味したものです。
しかも、上流階級のみならず、一般庶民に至るまで非常に高貴である。それが彼らには驚きだったのです。

ハーバート・G・ポンティングというイギリス人写真家は。とりわけ日本の女性に魅了されました。
一つは日露戦争の最中の松山捕虜収容所の病院の看護婦さんの話です。
彼は日本の看護婦さんが献身的で非常に優しい。
敵国ロシア兵が日本の看護婦にメロメロになっている、と書いています。
「松山で、ロシア兵たちは優しい日本の看護婦に限りない称賛を捧げた。
寝たきりの患者が可愛らしい守護天使の動作一つ一つを目で追う様子は、
明瞭で単純な事実を物語っていた。何人かの勇士が病床を離れるまでに、
彼を倒した弾丸よりもずっと深く、恋の矢が彼の胸に突き刺さっていたのである」
「日本の女性は賢く、自立心があり、しかも優しく、憐れみ深く、親切で、言い換えれば、
寛容と優しさと慈悲心を備えた救いの女神そのものである」
(『英国人写真家の見た明治日本 この世の楽園・日本』講談社学術文庫)
これは最高の賛辞です。皮肉を言えば、ロシア兵に対する日本の厚遇は、
第二次世界大戦に強制されたシベリア抑留と格段の違いです。日本はこれだけ厚遇しているのです。

大正時代に民芸運動を展開した柳宗悦の『手仕事の日本』という本にこんな記述があります。
柳宗悦は左翼の人々にわりと利用されているのですが、
彼自身はたいへんな愛国者で、保守主義的な考え方の持ち主です。
「彼らにも仕事への誇りがあるのであります。ですが自分の名を誇ろうとするのではなく、
正しい品物を作るそのことに、もっと誇りがあるのであります。
いわば品物が主で自分は従なのであります。それ故いちいち名を記そうとは企てません。
こういう気持ちこそは、もっと尊んでよいことではないでしょうか。(中略)
品物の中に、彼らがこの世に生きていた意味が宿ります。彼らはは品物で勝負しているのであります。
物で残ろうとするので、名で残ろうとするのではありません」(『手仕事の日本』岩波文庫)
職人の心意気、誇りというものをよく表現したものです。
この本の後書きに次のような文があって、これも非常に説得力があります。
「我々はもっと日本を見直さねばなりません。
それも具体的な形のあるものを通して日本の姿を見守らねばなりません。
そうしてこのことはやがて我々に正しい自信を呼び醒ませてくれるでありましょう」(同上)
「ただここで一つ注意したいのは、我々が固有のものを尊ぶということは、
他の国のものを謗るとか侮るとかいう意味が伴ってはなりません。
もし桜が梅を謗ったら愚かだと誰からも言われるでしょう。国々はお互いに固有のものを尊び合わねばなりません。
それに興味深いことには、真に国民的な郷土的な性質を持つものは、お互に形こそ違え、
その内側には一つに触れ合うもののあるのを感じます。
この意味で真に民族的なものは、お互に近い兄弟だとも言えるでありましょう。
世界は一つに結ばれているものだということを、かえって固有のものから学びます」(同上)

「佐久間艦長の遺書」という私の好きな話があります。
戦前の「修身」の教科書に載っていて、当時は小学校三年生が読んでいたものです。
明治43年の春、第六潜水艇は、演習のため山口県新湊沖へ出たが、事故で浮上できなかった。
まだ潜水艦になっていない潜水艇の時代です。結局、佐久間艦長をはじめ乗組員14人がなくなってしまう。
ちょうど同じ頃、イギリスで同じような事故が起きました。その時イギリスの潜水艇を引き上げてみると、
我先に逃げようとしてハッチのところに折り重なって乗組員が死んでいた。
きっとこの第六潜水艇も、引き上げてみると中は阿鼻叫喚の地獄絵図のようだろうと予想されていた。
ところが引き上げてみたところ、
乗組員全員が最後まで自分の仕事から離れないまま、その場で死んでいたということがわかったのです。
しかも、残された佐久間艦長の遺書を見て、人々の不安は解消されたどころか、みんな驚き、さらに感動します。
イギリス人のことがあったから余計そうでした。
佐久間艦長の遺書の内容は、次のように「修身」の教科書に書かれています。
「遺書には、第一に、陛下の艇を沈め、部下を死なせるようになった罪をわび、
乗員一同が、よく職分を守ったことをのべ、
またこの思いがけないでき事のために、潜水艇の発達をさまたげることがあってはならないと考えて、
特に沈んだ原因や、そのようすを、くわしくしるしてあります。/次に、部下の遺族についての願いをのべ、
上官・先輩・恩師の名を書きつらねて別れをつげ、
最後に『十二時四十分』と、書いてありました。/艇を引きあげた時には、
艦長以下14名の乗員が最後まで職分を守って、できるかぎりの力をつくしたようすが、ありありと残っていました。
遺書は、この時、艦長の上着から取り出されたのでした」
(『初等科修身三』文部省、1943年、原文は歴史的仮名遣い)

日本の場合、宗教は「高邁な理念」というものではない。
その点はキリスト教などと異なっている。日本の場合注目すべきは、やはり連続性なのです。
国家の歴史的な連続性ということについてはすでに述べましたが、
我々一人ひとりという存在自体も連続性を持っている。確かに肉体は死んでしまうけれども、
祖先の魂が残っていて、亡き祖先たちによっていつも見守られている。
そういう思いが日本人のどこかにある。

昭和20年10月、敗戦後間もない時期に柳田國男は『先祖の話』という本を刊行し、
その中でこんなことを書いています。
ここで「先祖」というのは戦没者のことです。
『私がこの本の中で力を入れて説きたいと思う一つの点は、
日本人の死後の観念、即ち霊は永久にこの国土のうちに留って、
そう遠方へは行ってしまわないという信仰が、恐らく世の始めから、
少なくとも今日まで、可なり根強くまだ持ち続けられて居るということである」(原文は歴史的仮名遣い)
この本の筑摩叢書版に柳田國男の弟子である桜井徳太郎という民俗学者が解説を書いています。
非常に的確な指摘です。
「現実に肉体は滅びても、必ず一家の先祖となって子孫の行方を見守ってくれる、決して犬死とはならない。
そこに日本人の祖先観が淵源していることを声を大にして叫びたくてならなかった。
その叫びが、本書全体の底流を形づくっていることは、
本書を通読したものの斉しく抱く読後感であろう。柳田はまた。
そのことを実証するために、全精力を投入して多くの民俗的事実をあつめてもいるのである」
(「『先祖の話』解説」筑摩叢書『先祖の話』巻末「解説」)
この本の直接の執筆目的は、戦争で亡くなった人たちの魂がどこに行くのかということです。
「彼らの戦った意義というものを、すくい取らなければ」という思いで書かれたものです。
このような命の「つながり」や「連続性」というものが、日本人にとっては非常に重要な感覚なのです。
祖先と共に生きているという認識。やがて自分も祖先になる。だから同時に子孫への眼差しというものもある。
そういうつながりの中で日本人の多くが生きている。
立場の上下を問わず、一般庶民にまでその感覚が浸透している。
そこがやはり日本文明の特色の一つではないかと思うのです。

“報道”を忘れた皇室番組の意義を問う

無知が生んだ日本最大のタブー! 右翼も訝しがる"報道"を忘れた皇室番組の意義を問う

──土曜日の早朝、放送開始から50年以上たつ長寿番組『皇室アルバム』が
ひっそり続いていることをご存じだろうか?
ニュース番組では、当たり障りのない事象のみを伝える報道がなされ、
深掘りして報道するはずの皇室番組も、鳴りを潜めている。
果たして、既存の皇室番組、そして皇室報道の存続意義とは?

近頃、皇室周りが何かと騒がしい。
今年11月に気管支肺炎を患って長期入院をされた天皇陛下の健康問題に、
未婚の女性皇族が結婚した場合に生じる"皇族減少"を防止するべく検討され始めた、女性宮家の創設。
さらには10月、皇太子夫妻が長女・愛子さまの通う学習院初等科の運動会に出席され、
その時の模様が一部週刊誌で「ほかの父兄が自分の子ども以外を撮影する際は、
相手の承諾を得ることを固く義務付けられていた中、
皇太子殿下は愛子さま以外の子どもも無断で撮りまくっていた」などと報じられたり、
皇室に対するバッシングも過熱している。
皇室ウォッチャーならずとも、ニューストピックとして気になっている人は多いだろう。

現在、テレビでは『皇室アルバム』(TBS)、『皇室ご一家』(フジテレビ)、
『皇室日記』(日本テレビ)という3つの"皇室番組"が毎週放送されている。
詳しくは次特集を参照いただくとして、いずれも基本的には皇室の一週間の動向を追い、
ニュース番組などの皇室報道では取り上げられない公務やプライベートの模様を垣間見ることができる。
しかし、放送の時間帯が日曜もしくは土曜の早朝に設定されているため、
社会人にはリアルタイムでチェックすることはなかなか難しい。
さらに3番組あるといっても、放送内容はどれも似たり寄ったりで、
制作側のモチベーションの低さが透けて見えるのも事実。
しかし、「女性自身」(光文社)で皇室記事を50年以上担当している記者の松崎敏弥氏いわく、
「昔はもっと報道を意識した作りになっていた」という。

「特に皇室番組の中で最も歴史のある『皇室アルバム』はすごかった。
制作元の毎日映画社は、皇室報道に定評のある毎日新聞社の系列会社だから、
毎日新聞の記者から撮影の際にアドバイスがもらえたんです。
『昭和天皇はご病気のせいで顔が麻痺しているから、
ご病状を伝えるためにお顔のアップを撮ったほうがいい』とか。
でも今は、各局、系列の新聞社とのつながりも薄くなってしまって、
自分たちで考えて撮るよりほかなくなった。
しかも、例えば同じ祭りごとでも、各局がその切り口を考えるにしても、そもそも知識がない。
結果、宮内庁の指示通りに撮って、『これでいいや』という感覚で作ってしまっている。
そりゃあ、内容のかぶった番組になりますよ(笑)」(松崎氏)

■宮内庁もわかってない? 曖昧なままの報道姿勢
では、皇室番組はなぜ、みな宮内庁の言いなりとなってしまったのか。
そこには、情報の引き継ぎをおざなりにしてきたテレビ局の制作スタッフの世代交代による、
皇室報道の変化があるという。

「例えば最近だと、10月23日に眞子さまの『成年式』、11月3日に悠仁さまの『着袴の儀』と、
ご皇族の儀式が立て続けにあったんですが、
それを報道する情報番組のスタッフが『この儀式はどんなことをするんですか?』って聞いてくるんですよ。
ちょっと調べたらわかるだろうに、それを教えてくれる人が現場にいない。
さらに、行事を取り仕切る宮内庁側ですら、最近は若い職員とか
、警察庁や外務省など外からの出向組が増えてきて、古くからの皇室のしきたりについて
ちゃんと理解している人が少なくなっている」(同)

皇室に関する職務を司る宮内庁側までそんな状況では、何が正しく、何を規制すべきなのか、
コントロールすることも難しいのだろう。前述の皇太子夫妻による運動会騒動をはじめ、
バッシングやスキャンダルにつながるような報道が増えているのも、
そのことが大きく関係しているように思えてならないのだが......。

「それは一理あるでしょうね。ただでさえ今の皇室は、
天皇陛下のご健康や愛子さまの付き添い通学など、さまざまな問題を抱えていることもあって、
ネガティブな報道を恐れた宮内庁がはっきりとした情報を出さなくなり、
それがまた悪循環を生んでしまっている。
天皇陛下が入院された時も、当初は『一週間ほどで退院できます』と発表しておいて、
予定日になったら『熱が上がってきたので、退院は延期します』とか、そんなことを3回もやってしまった。
ましてや病状もただの風邪だの、マイコプラズマ肺炎だのって二転三転して......。
宮内庁がそんなでは、メディア側や視聴者に
『天皇陛下のご容体、実は相当ヤバいんじゃ』と疑われても仕方ないですよ」(同)

 "重病説"にさらなる信憑性をもたらしたのは、
入院先が東京大学医学部附属病院(以下、東大病院)であったこと。
風邪なら宮内庁病院でも治療できるだろうに、わざわざ東大病院に入院されたことで、
疑惑を深めてしまったのだ。
それにしても、なぜ東大病院だったのだろう?

「これはあまり知られていない話なんですが、実は東大病院の最上階には、皇室専用の病室があるんです。
エレベーターも専用で関係者以外は立ち入れないようになっていて、警備も厳重。
ただ、皇室の方々は健康保険に加入できないので、入院すると1泊20万円近くかかるらしい。
なんでそんな大枚はたいてまで東大病院に入院するのかというと、
宮内庁病院に腕の良い医師がいないからなんですよ。
設備は充実していても、医師がいまひとつだから、重病が懸念される場合は利用されない。
じゃあ、宮内庁病院の存在意義は......と聞きたくなりますけどね(笑)。

天皇陛下は2003年に前立腺がんの摘出手術を受けて以降、
再発を防ぐためにホルモン治療を続けられているんですが、
その副作用で骨密度が骨粗しょう症レベルにまで低下してしまったため、
皇居内に新設したプールで運動されるなど、もともと健康面に注意しなければならない状態だったんです。
さらに今年は震災が起きたことにより、7週連続で被災地をご訪問されるなど、
イレギュラーのご公務がどっと増えて、お疲れも相当たまっていた。
だから大事を取って、今回は東大病院で検査しよう......というのが当初の来院目的だったはずで、
そういった説明を宮内庁がしないもんだから、
変に勘ぐられる結果になってしまったんですよ」(元皇室担当記者)

確かにそうした背景もきちんと説明されていれば、余計な憶測は呼ばなかったはず。
しかし、宮内庁が説明をしないのであれば、これまでの動向を見てきた担当記者が
先立って報じる手段もあったわけで、それがなされなかったことにもいささか疑問が残る。

「新聞や雑誌、テレビなどの宮内庁担当記者のうち、15社くらいは宮内庁の中にデスクを置いて、
常駐して取材をしているんです。でも、その『宮内記者会』という
記者クラブの中にも"お約束ごと"があるため、知っていても書けないことがある。
テレビ局の担当記者なら、各ニュース番組の担当者たちが
『これどうなってるの?』って聞けば答えるけど、自分たちからは積極的に話さないことも多いんだよ。
さらには、記者クラブ内のお約束ごとを破るわけにはいかないからと、プロデューサーに聞かれても
答えないこともあるらしい。言ったら誰が流したかバレるからね。
そうなったらもう、情報や写真などの資料が一切もらえなくなってしまう」(同)

■右翼におびえるテレビ局 スクープしない担当記者
報道の職に就いておきながら、情報発信に自主規制をかけまくるというのもおかしな話だが、
それが宮内庁担当記者の仕事だというなら仕方あるまい。
さらに記者たちをびびらせているものがもうひとつ、それは"右翼団体からの抗議"だという。

確かに皇室に関するネガティブな報道には、右翼団体によるクレームの不安がつきまとう。
とはいえ、実際に抗議活動は行われているのだろうか? 
新右翼団体「一水会」の代表を務める木村三浩氏に聞いた。

「街宣車を走らせるまでにはなかなか及びませんが、
テレビの報道に対しても、電話や書面で抗議している活動家はいますよ。
ただ、最近は事実が先行した上でネガティブな報道をされることが多いので、
発信元よりも現場に抗議がいくケースが増えているようです。
10年に愛子さまの不登校騒動が取り沙汰された時も、
学習院に『愛子さまをいじめたとされる児童は本当に存在するのか』とか
『ご皇室の子弟をお預かりする管理体制は万全なのか』といった抗議が殺到しました。
事実よりもネガティブな報道が先行した場合は、当然ながら発信元の報道機関に抗議がいきます。
そのため、フライング報道は危険と言わざるを得ません」

宮内庁にも右翼団体にも目をつけられずに皇室報道をまっとうするには、
宮内庁から正式に発表された情報だけを発信するのが一番。
前出の松崎氏によると、皇室にとって重要な情報については、
宮内記者会の中で「宮内庁より正式な発表があるまでは解禁しないように」
といった協定が結ばれることもあるという。

「現に雅子さまのご病気についても、協定が結ばれていました。
これによってスクープは絶対に取れなくなる半面、
他社に出し抜かれることも絶対になくなるし、
『正式発表があるまでは解禁できない決まりになっているから』と、
大義名分を掲げて安心していられる。
ただ、一方で宮内庁側から流してほしい情報が特定の記者にリークされ、
それがスクープとして報じられることもあるんですよ。最近だと、11月に読売新聞が報じた
『宮内庁長官が野田首相に女性宮家創設の検討を"火急の案件"として伝えた』というニュースがそう。
読売の記者はスクープが取れたと喜んでいたけど、
周りはみんな『どうせリークでしょ』と(笑)」(松崎氏)

もし本当にリークまでしたのであれば、現在の宮内庁にとって一番の問題は、
やはり女性宮家の創設なのかもしれない。
ただ、確かにそれも気になるものの、どちらかといえば、
天皇陛下のご容体のほうが気がかりになっている人も多いはず。
一部情報によると、11月中に読売テレビが、天皇陛下が万が一崩御された時に備え、
緊急体制に入った日もあったと聞くが......。

「その話は僕も聞きましたよ。『陛下のご容体が危ないらしい』と聞いた局側のスタッフが、
宮内庁担当記者に電話で確認しようとしたら、『今それどころじゃない』なんて言われたもんだから、
すっかり勘違いしてしまったらしくて。
まぁ、78歳といったら、一般的にいえば"何があってもおかしくない年齢" ですからね......。

実はXデーに向けてのシミュレーションは、すでに各テレビ局で始まっていて、
陛下がお生まれになってから現在に至るまでの映像をまとめた番組などが制作されているんですよ。
昭和天皇の時も公にしていなかっただけで、局内では事前に特別番組の制作が行われていた。
僕も携わっていたんですが、いつでも放送できるように、週1ペースで頻繁に準備して、
いろんなパターンをそろえて......。さすがにまだそこまで差し迫ってはいないですが、
各局で内々に準備は進められているはず」(同)

崩御に向けた準備なんて、不謹慎極まりないと思われるかもしれないが、
これは常にリアルタイムで世相を報じなければならないテレビメディアの宿命ともいえる。

最後に松崎氏が「09年、NHKが両陛下のご成婚50周年の記念番組で宮中の朝の散歩のご様子を放送し、
お2人のプライベートな会話も流れました。これからはもっと若い世代が皇室に関心を持てるよう、
こうした踏み込んだ取材をしてほしい」と述べたように、さまざまな問題が提示されている今こそ、
皇室番組の真価を見せてもらいたいものだ。
(文=アボンヌ安田/「プレミアサイゾー」より)

http://www.cyzo.com/2012/01/post_9580.html

「村山談話」は「外務省談話」だ

「村山談話」は「外務省談話」だ 渡部昇一(上智大学名誉教授)
WiLL2009年1月号・WiLL2009年8月号

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西村眞悟氏

西村眞悟の時事通信バックナンバー

中川昭一さん、心からご冥福をお祈りします
平成21年10月 4日(日)
本日朝、地元堺市深井にある野々宮神社入り口で、
宮入する各村のだんじり(地車)を迎えていた。
すると、秘書の辻林君の携帯に中川昭一死去の知らせが入った。
その報告を受けた時、えー!という驚愕と共に、「しまったー!」と思った。
そして、何故、あの時彼に手紙を書かなかったのか、という痛恨の思いがこみ上げた。
また、七月の先の国会の終わりの頃、
本会議場で私の席まで話をしに来てくれた彼のことを思い出した。
あの時、何故もっと丁寧に話しの相手をしなかったのだろうか、と悔やんだ。
思えばこれが、中川昭一君との最後の会話になってしまった。
この度の選挙が終わってから、中川君はどうしているかなーと、
手紙を書こうと度々思っていて、
四、五日ほど前には、まさに手紙を書くところだったのだが、雑用に逐われて書けなかった。
だから、彼の訃報に接し、数日前に手紙を書いておけばよかったと、とっさに悔いたのだった。
「しまったー!」という思いは、ここからくる。
また、私が手紙において彼に伝えたかったのは、
この日本が日本で無くなるような国家の危機に際して、
共に皇室を守り日本再興、大和魂回復のためにがんばろうということであった。
我が国政界は、この日本再興の為のかけがえのない若き人材を失ったのだ。
かけがえのない同志を失ってしまった。
これらの思いが入り交じって、「しまったー!」という声にならない叫びがこみ上げたのだった。
次に、辻林君に、この度の総選挙において私の中川さんへの「激励ビラ」をもって、
堺から北海道帯広まで中川さんの選挙応援に行ってくれた同志に、
中川さん死去のことを知らせるよう指示した。
そして、秋祭りの野々宮神社を辞去した。
だんじりの宮入に際して、喪中のような気分でいることはふさわしくないからだ。

例のイタリアでのサミットにおける「酩酊記者会見」で中川さんが閣僚を辞任した後、
拉致被害者救出集会で彼と同席したときに彼に言った。
「僕のところにも、中川さんを励ましてください、という手紙が多く来るんですよ。
僕は、大賛成です、どうかみんなで中川さんを励ましましょう、と返事を書きましたよ。」
すると、中川さんは、本当にうれしそうな顔をした。その素直な笑顔が思い出された。
ひょっとすると、七月に本会議場で私の席まで来てくれたのは、この中川さん励ましの手紙が、
どのような暖かい反響をもたらしたのかという報告だったのかもしれない。

マスコミの執拗な報道に対する怒りが甦った。
彼のサミットにおける記者会見の報道は、誇張・偽装である。
彼の「酩酊」しているかの如き数秒の場面を連続して何十回となく繰り返して編集し、
これでもかこれでもかとマスコミは各家庭に流した。
これでは、全記者会見中、彼はこの「酩酊」した調子だったと印象付けられてしまう。
同じイタリアでの十二年前のサミットで、
「体調不良」の為、サミットの首脳会議を欠席した総理大臣がいた。
これに対して、中川大臣は、本来の任務である会議は立派にこなした。
日本のために実に立派にこなした。
その任務を終えた後の記者会見だけが「体調不良」だった(「酩酊」も「体調不良」の内だ)。
この点で中川大臣は、会議に出席できずに
何のためにサミットに行ったのか分からない社会党の総理大臣とは全く違う。
しかしマスコミは、「体調不良」で会議に出席できなかった総理大臣のことは何も言わず、
中川さんの出席した会議での功績と成果のことは無視して、
記者会見における「体調不良」だけを執拗に非難し続けた。
このことを考えると、急に、あの素直なナイーブな感性をもつ中川昭一さんが
かわいそうでかわいそうで仕方がなくなった。
彼の内面は、どれほどこのマスコミの報道の仕方で傷を負わされたか計り知れない。
マスコミは、社会党と社会党的なもの、左翼と左翼的なもの、の偽善は報道せず、
祖国日本に忠誠を誓い日本的なものに愛着を感じ、
それを保守しようとする魂を執拗に攻撃する。
中川昭一さんは、この攻撃対象になっていたのだ。
何故亡くなったのか、今の時点では分からない。
分かっているのは、このマスコミの攻撃のなかで中川昭一さんは亡くなったということだ。

五年ほど前か、私と飲んでいて、中川さんは亡父中川一郎氏のことを語り泣いたことがあった。
民社党の私の親分である春日一幸は、中川一郎を高く評価していて、
選挙になるといつも北海道の中川一郎の応援に行ったという話の後だった。
「僕の親父は自殺したんです」と言って彼は泣いたのだ。
 
中川さん、つらいときに、いつも心にあった父上と久しぶりに再会したんだ。
永遠の安らぎのなかで、親子ゆっくりと語り合ってください。
祖国日本の為に殉じようとする魂をもった中川昭一さんのご冥福を心よりお祈りします。

http:// www.n-shingo.com/jijiback/455.html


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中川昭一氏の功績
農林水産大臣としてポジティブリストを導入し、
中国等から無差別に輸入される毒菜に一定の歯止めをかけた。

財務大臣として金融援助をIMFに一本化し、
韓国やアイスランドなどから申し込まれた二国間融資は全て断った。

政調会長として、自民党内の人権擁護法案推進派の意見を断固として撥ね付けていた。

拉致問題に早くから取り組んできた政治家の一人であり、拉致議連の会長もつとめた。

経済産業大臣の時、親中派の二階俊博が打ち出した「東アジアEPA(経済連携協定)」構想に意義を唱えた。

毎年靖国神社に参拝。

非核三原則の堅持は当然”としながらも
日本の核武装の是非について繰り返し“論議すべし”と言及した。

日教組に対し
「日教組の一部活動家は(教育基本法改正反対の)デモで騒音をまき散らしている」
「(デモという)下品なやり方では生徒たちに先生と呼ばれる資格はない。免許剥奪だ」と、その活動を強く批判している。

官憲(役人、特に警察関係)による慰安婦募集の強制性を認めた
1993年の「河野談話について早期に見直しを検討・すべきだとの考えを示した。

中国の脅威に対抗するために、インドやオーストラリアとの連携を促進するための議員連盟
「価値観外交を推進する議員の会」の旗揚げに貢献した。

勉強熱心で官僚にとっては渡した原稿をそのまま読んでくれない、扱いにくい大臣だった。

郵政解散後の造反組リーダーであった平沼赳夫とは銀行員時代から兄弟のような間柄で、
郵政民営化には賛成ながらも、造反組には半ば同情的だった。

政界きっての親台派として知られている。
農水大臣再登板の際には、中華民国総統であった李登輝から祝意が寄せられている。
今回の辞任についても、台湾メディアは同情的である。

2007年に保守派の議員で集まる勉強会「真・保守政策研究会」を設立するにあたっての
まとめ役となった。
ご冥福をお祈りします
(2009年10月)

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皇族の芸能人化について

大阪国体に天皇陛下と皇后陛下が来られた際、
ロイヤルホテルで各都道府県の国体参加者が出席してパーティーが開かれた。
参加者は、ほとんどトレーニングパンツにシャツのいでたちで、
ビールやウイスキーを飲んでざわついていた。
そこに、天皇皇后両陛下が入ってこられた。
参加者の多くは、アルコールが入っていて1メートルくらいの至近距離で
両陛下をパチパチとカメラで写してお迎えしていた。
なんと無礼なことだと思ってしばらくいると、今度は場内マイクで、
両陛下が各テーブルを回られますのでよろしくお願いしますとの放送があった。
ここにいたって私は、衆議院の委員会で、
各地方を回られる天皇陛下を酒席を回るタレント並みに扱っているこの現状に
義憤を感じて問題を提起しようと決めたのだ。
そして、宮内庁に質問通告をすると、早速職員数名が部屋にやってきて、
「そのような、天皇陛下に各テーブルを回っていただくようなことは
絶対にやっていません」と粘り強く繰り返し始めた。
「いや、君達は大阪に行っていないではないか。
僕はまさに大阪で天皇陛下がテーブルを回られるのを見たのだ」と言っても、
「そんなことは、ありません。どうか、質問しないでください」の一点張りであった。

翌日の質問日当日は朝から5名ほどの宮内庁職員が私を取り囲み、
自室から質問する委員会室まで、国会の廊下で団子になってついて来て
「そんなことはありません。そんなことはありえません。
陛下の随行者は県警本部長出身です。彼を信じてください。質問しないでください」と繰り返すのである。
この目で見たという私の言うことを、その場にいない者が、ひたすら否定する。
平気で、白を黒と言い換える異様な人間の集団だと思った。

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皇室と創価
皇后様の五反田のご実家の取り壊しを皇后陛下が望んでいらしと宮内庁が発表したが、
創価の宮内庁官僚が勝手に推し量ったという形で公表した