江頭豊の夢



雅子さま祖父が語っていた「愛子さまが天皇になる夢を見た」
記事投稿日:2020/03/16 06:00 最終更新日:2020/03/16 06:00
《女性・女系天皇、議論せず》
2月16日付の『読売新聞』には、こんな見出しが躍った。
驚くべきことに安倍政権が、女性・女系天皇について議論しない方針を固めたというのだ。
公の場で議論を行うための有識者懇談会すら設けない方向だという。
「昨年10月に実施された共同通信の世論調査で、女性天皇容認への賛成は8割を超えています。
歴史上も女性天皇は存在しました。このまま“男系男子”に固執すれば、
もっとも重要な伝統である世襲による皇位継承が危うくなるのは明らかです。
皇室の存続を真剣に考えるならば、女性・女系天皇についての検討は避けて通れないはずです」(皇室担当記者)
天皇陛下も’18年2月の誕生日会見で《その時代時代で新しい風が吹くように、
皇室の在り方もその時代時代によって変わってきていると思います》とおっしゃり、
伝統を重んじつつも、時代に応じて皇室のあり方は変わるとのお考えを示されている。
04年12月に薨去された宣仁親王妃喜久子さまも、『婦人公論』(’02年1月22日号)で、次のように綴られていた。
《女性の皇族が第127 代の天皇さまとして御即位遊ばす場合のあり得ること、
それを考えておくのは、長い日本の歴史に鑑みて決して不自然なことではないと存じます》
愛子さまがお生まれになった当時、皇室からも「愛子天皇」を期待する声があったのだ。
さらに、雅子さまの祖父・江頭豊さんにも、愛子さまにまつわる”秘話”があるのだという。
江頭豊・寿々子夫妻を知る人物が語る。
「江頭夫妻は、愛子さまのご誕生をたいへん喜んでいました。
あるとき豊さんが『愛子さまが天皇になる夢を見たんだよ』と、
とてもうれしそうに話していたことがありました。雅子さまも、お祖父さまの夢のことはご存じだと思います。
豊さんは、愛子さまの聡明さがもっと世間に伝わってほしいという気持ちも抱いていたようです」
豊さんが亡くなったのは’06年9月。
愛子さまがお生まれになったのは’01年12月であるから“夢”はその間に見たことになる。
「ちょうど15年ほど前は、女性天皇容認へという機運が高まっていた時期でもありました。
’05年、小泉内閣のときに『皇室典範に関する有識者会議』が招集されて、
愛子さまが皇位継承者となられるように、皇室典範が改正されようとしていました。
豊さんは、もしかしたら自分の夢が正夢になると思われたのではないでしょうか」
小泉内閣が’05年11月24日に国会に提出した有識者会議の報告書では
《我が国の将来を考えると、皇位の安定的な継承を維持するためには、
女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠》と、明確に結論づけられていたのだ。
しかし、この翌年に紀子さまが第3子をご懐妊。
皇室にとって実に40年ぶりの男子となる悠仁さまがお生まれになったのは、’06年9月6日のことだった。
江頭豊さんは、それからほどなくして、同じ月の24日に亡くなったのである。愛子さまは4歳でいらした。
悠仁さまご誕生まで雅子さまは、愛子さまを“将来の天皇”としてお育てになるつもりだったのだろうか。
「小泉政権は皇室典範の改正案提出直前までこぎつけていました。
当時の雅子さまも政府や国会の動きを注視されていたでしょう。
愛子さまが将来天皇になることも、ある程度想定していらしたと思います」(前出・宮内庁関係者)
初等科の一時期は雅子さまが登下校に付き添われるなど、登校できない時期もあった愛子さま。
しかし、たくましく成長された現在は、皇族としての自覚も芽生えているという。
「’17年に東宮御所にデンマークやスウェーデンの王族が招かれたときには、
愛子さまもご懇談に同席されたのです。愛子さまは通訳を介さず、英語で会話されました。
愛子さまの語学力は、天皇陛下がご自身以上の実力だと話されているほどです。
東京五輪では皇族方が各国要人を接遇することになります。
愛子さまがお迎えにあたることも十分に考えられます」(皇室担当記者)
4月、愛子さまは天皇陛下と同じ学習院大学文学部へ進学される。
元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは、
今後の皇位継承の議論において重要となるのは“両陛下のご意向”だと語る。
「平成の天皇退位の特例法は、上皇陛下のお気持ち表明が発端となり、
そのご意向を尊重した国民の声によって成立しました。
皇位の継承についても、国民は当事者である天皇陛下や皇族方のご意向を知りたいと思うでしょう。
それがわからないままですと、どういう結果であろうとも、わだかまりが残るだろうと思っています」
雅子さまは最愛の祖父の“夢”を胸に秘められたまま、
女性天皇問題が本格的に審議される日を待ち続けていらっしゃるのだろうか――。
「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載
https://jisin.jp/domestic/1841443/



「愛子天皇はチッソ元社長の夢」衝撃の女性誌報道
2020年03月23日 06:01
八幡 和郎
『女性自身』2020年3月24・31日合併号のトップ記事は、
『独占証言:雅子さま 15年秘める祖父の夢 愛子を天皇に』というものであった。
記事は安倍内閣が女性天皇問題を封殺していると批判し、
「愛子さまを天皇に」は、雅子さま最愛のご家族の願いでもあったはずだ」とリードがついている。
記事によると、雅子さまの祖父で、
水俣病で知られるチッソ元社長の江頭豊・寿々子夫妻を知る人物が語るところによれば、
「あるとき豊さんが『愛子さまが天皇になる夢を見たんだよ』と、
とてもうれしそうに話していたことがありました」
「雅子さまも、お祖父さまの夢のことはご存じだと思います。
豊さんは、愛子さまの聡明さがもっと世間に伝わってほしいという気持ちも抱いていたようです」というのだ。

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天皇皇后両陛下も参列した江頭豊氏の告別式(当時のANNニュースより)

もしそういうことなら、江頭氏が亡くなったのは2006年9月24日だから、
悠仁さまがお生まれになって愛子様が皇位を継承される可能性が小さくなったのは、
直前の2006年9月6日のことだったので、落胆されて亡くなったのかもしれない。
江頭氏は、元日本興銀行専務で、1964年に新日本窒素肥料(チッソ)取締役社長となり、1971年に会長に就任。
1973年に会長を退任し相談役に就任していた。
水俣病が有機水銀が原因であることは1959年に熊本大学水俣病研究班が発表したが、
チッソが公式見解として、メチル水銀化合物 と断定し排水も止めたのは、1968年である。
たしかに、チッソが有害な排水を流したのは、主として江頭氏の社長就任以前であり、
だからこそ、宮内庁参与をつとめていた団藤重光元東京大学法学部教授は、
刑事訴追される立場にないことを理由にご成婚に問題なしとしたのだが、
被害者救済の遅れや不十分さの責任は第一次的に江頭氏にあることは疑う余地がない。
そうしたこともあって、江頭氏が死去したときに、当時の皇太子殿下夫妻が弔問に訪れたり、
陛下から供花があったことは、オランダで王妃の父親がアルゼンチンの独裁政権の閣僚であったことを理由に
結婚式や戴冠式への参列を拒否されたことなどと比較して疑問の声もあった。
小室家との問題でも当てはまると思うが、誰の子どもだから、子孫だからダメとはいわないが、
社会的に問題のある人物との距離は慎重にはかるべきだと思う。
いずれにせよ、「愛子さまを天皇とすることが、チッソ社長の夢を正夢にすることだから邪魔するな」
という言説をトップ記事にするとは、能天気にもほどがあるというものではなかろうか。
ついでに、記事では、盛岡タイムスの元記者で江頭夫人の壽々子さんの父親である
山屋他人元海軍大将の伝記を書いた藤井茂氏の話として
「雅子さまは以前、尊敬する人として祖父母を挙げていたこともあったそうです」と
言わずもがなな話までついている。
ジャーナリストとして、疑問が心をよぎることはなかったのだろうか。
まさか褒め殺しで皇室を貶めようというわけではあるまいが。
http://agora-web.jp/archives/2044988.html


小和田家系図でチッソ社長の肩書きを隠した週刊誌
2020年03月28日 16:00
八幡 和郎
「『愛子天皇はチッソ元社長の夢』衝撃の女性誌報道」という記事を
3月23日に掲載して大きな反響をいただいた。
『女性自身』2020年3月24・31日合併号のトップ記事で、
「『愛子さまを天皇に』は、雅子さま最愛のご家族の願いでもあったはずだ」とリードして、
雅子皇后陛下の外祖父で、かつて雅子様がもっとも尊敬する人と仰っていたこともあるという江頭豊氏が、
愛子天皇を待望されていたのだから、その願いをかなえてあげるべきなのに、
安倍内閣がじゃましてけしからんという記事だった。
そこで、私は自分の曾孫を天皇にして欲しいという民間人の願いを
政治がかなえなければならないというのは不見識であり、
しかも、その民間人は水俣病のチッソの社長であり、
被害者救済の遅れや不十分さの責任をもっとも問われている人であって、いかがなものかと書いた。
そのアゴラ記事の中では書かなかったのだが、実は『女性自身』は4ページにも及ぶ長文の記事の中で、
記事の主人公である江頭豊氏がチッソ社長であったことには、まったく触れていないのである。
また、記事に掲載されている小和田家の系図のなかでは、江頭氏の父が海軍中将だったこと、
その夫人の父の山屋他人氏が海軍大将だったこと、
小和田恆氏が国連大使・国際司法裁判所に勤めていたことは記されているが、江頭豊氏は職業なし扱いだ。
まことに奇妙な忖度記事である。誰がどういう意図でこんなばからしい記事を載せようとしたのか不明だが、
途中で江頭豊氏がチッソ社長であったことを
隠した方がいいという意見が出て消したのでないかと推察される。
それなら、記事そのものをやめればいいものを出したので奇妙な記事になってしまった。
マスコミの歴史でも汚点というべきだ。
私は先の記事でも書いたように、誰の子だったとか孫だったからといって
ただちに皇族や天皇としてダメだとは思わない
(小室氏の場合は圭さん自身が怪しげな借金問題にかかわっているのだから別である)。
ただ、問題のある人物がいた場合に、ある種の距離はとるべきだし、
場合によっては、なにか婉曲にでも心を痛めていることについて触れたほうがいいこともあると思う。
オランダの王妃は父親と政治的な見解をともにしないと宣言し、結婚式にも戴冠式にも呼ばなかった。
江頭氏については、公害を出したときの社長でないから構わないという人もいるが、
チッソが批判されているのは、公害を出したことだけでなく、
真相隠し、被害者に対する救済の遅れ、被害者に対するおぞましい排除行動などもあるわけで、
その時期の社長・会長であった江頭氏の責任は大きいのである。
また、小和田恆氏の自宅は、江頭家の敷地内に建てられたものであり、
普通の夫人の実家というよりは、まさに家族であり、なかば婿養子に近い立場である。
美智子上皇后が水俣病に格別の関心を持たれ、被害者への配慮をされ、
勇気づけられていたことはよく知られていた通りである。
雅子皇后も愛子様も、雅子様の場合には、体調が万全になられたあとだろうが、
この重苦しい問題にどこかできちんと向かい合われるであろうと思うのである。
そうしたことをスルーして、「尊敬する祖父母の言葉を大切にされて」とは被害者はもちろん、
皇后陛下や愛子様を困惑させるもの以外の何でもないのではないかと思う。
http://agora-web.jp/archives/2045096.html


チッソと江頭豊