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新天皇の大嘗祭、ご即位と同一年 平安期の宮中儀式踏襲
2019.1.5 08:30
皇太子さまが新天皇に即位されることに伴う一連の儀式は、
前天皇の崩御の服喪期間を挟んだ明治以降と異なり、新元号元年に行われる。
一世一度の重要祭祀(さいし)である「大嘗祭(だいじょうさい)」も平安期からの前例にならい、
ご即位と同一年に営まれる。
今回の大嘗祭は、5月1日に新天皇に即位した皇太子さまが同8日、
皇居・宮中三殿でまつる先祖や神々に儀式の期日を奉告されることから始まり、
「亀卜(きぼく)」により、神前に供える新穀を収穫する水田(斎田(さいでん))の地域を決める
同13日の「斎田点定(てんてい)の儀」へと続く。
新天皇が神前に新穀を供えて自らも食し、五穀豊穣(ほうじょう)と
国家・国民の安寧を祈る主要儀式の「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」は、
皇居・東御苑に新設される「大嘗宮」で11月14日と15日に営まれる。
宮内庁によると、平安期の宮中儀式などを編纂(へんさん)したとされる
「貞観(じょうがん)儀式」や「延喜(えんぎ)式」などでは、
譲位に伴う即位が7月以前であれば、その年のうちに大嘗祭を行うと定めており、
5月即位の今回も千年以上にわたる前例を踏襲する。
直近の譲位例である江戸後期の光格天皇の後を継いだ仁孝天皇は、
1817年9月に即位。翌年4月に「文政」に改元、11月21日に大嘗祭を営んでいた。
一方、新旧の皇室典範で天皇の譲位を認めていない明治以降の大嘗祭は、
明治4年、大正4年、昭和3年、平成2年のそれぞれ11月に挙行。
前天皇の崩御で喪に服すなどしたため、新天皇即位の翌年以降にずれ込む形となった。
https://www.sankei.com/life/news/190105/lif1901050005-n1.html

天皇陛下、退位の儀式は4月30日夕に 政府決定
天皇退位 政治 社会2019/1/17 10:45
政府は17日午前、皇位継承に伴う一連の儀式を検討する「式典委員会」(委員長・安倍晋三首相)の
第3回会合を首相官邸で開いた。
天皇陛下が退位する4月30日の儀式を午後5時から開くと決めた。
参列者は三権の長や地方自治体の代表者ら330人程度を想定する。
皇位継承の証しを引き継ぐ「剣璽等承継の儀」は5月1日午前10時半からとする。
退位の儀式は1817年の光格天皇以来約200年ぶり。
「退位礼正殿の儀」は陛下が国民に感謝の意などの「お言葉」を伝える最後の場となる。
儀式は約10分間。皇居・宮殿「松の間」で開く。
天皇の政治関与を禁じる憲法に抵触しないよう自ら天皇の地位を退く趣旨は述べない。
天皇のお言葉に先立ち首相が陛下の退位を宣言する。
退位礼正殿の儀を午後5時に設定したのは、夕刻に陛下の公務が終わることを考慮したためだ。
皇位継承式典事務局は「当日も在位しており、早すぎない時間帯にすべきだと考えた」と説明する。
参列者は新天皇が三権の長らを前に即位後初のお言葉を述べる5月1日の「即位後朝見の儀」と同様で、
配偶者を含め338人とする。
即位日の剣璽等承継の儀は皇位継承の証しとして歴代天皇に伝わる三種の神器のうち剣と璽(じ=まがたま)、
天皇が公務に使う印章の御璽、国の印の国璽を引き継ぐ儀式だ。
首相や閣僚、衆参両院議長、最高裁長官らが参列する。
皇族は成年男性に限定し、女性皇族や秋篠宮家の長男悠仁さまは出席されない。
皇室典範は皇位継承権を男系の男子に限ると定めており、女性皇族が参加した例は現行憲法下ではない。
皇位継承権の問題とは関わりのない女性閣僚の参列は認める方針だ。
新天皇、皇后が10月22日に皇居周辺をパレードする
「祝賀御列の儀」で用いるオープンカーはトヨタ自動車の「センチュリー」を採用する。
提案は日産自動車、ホンダ、英ロールス・ロイス、独メルセデス・ベンツを含め計5社からあった。
国内で入手可能で安全面や環境面の性能など式典委員会が定めた要件を踏まえトヨタ車に決めた。
10月23日に外国首脳らを招いて開く首相主催の晩さん会会場は都内のホテルニューオータニを指定する。
前日の10月22日には新天皇が国内外に即位を宣明する「即位礼正殿の儀」を開く。
晩さん会は即位礼正殿の儀に参列する賓客を招く。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40103880X10C19A1MM0000/

日本会議が首相に「遺憾」 新元号事前公表へ不満
2019.2.3 02:00
保守系団体「日本会議」が、皇位継承に伴う新元号を4月1日に事前公表する首相方針に
「遺憾の意」を示す見解を機関誌に掲載したことが2日、分かった。
天皇代替わり前の公表は「歴史上なかった」として、先例としないことも求めた。
見解は機関誌「日本の息吹」2月号に掲載された。歴代天皇が即位後に改元してきた「代始改元」の伝統と、
天皇一代に一つの元号とする明治以来の「一世一元」の制度を踏まえ、
新天皇即位後の新元号決定と公布が「本来の在り方だ」と批判した。
https://www.sankei.com/politics/news/190203/plt1902030002-n1.html

新元号選定は平成改元を踏襲 4月1日公布
2019.2.8 11:42
政府は8日、5月1日の皇太子さまの新天皇即位に伴う新元号選定について、
平成改元時の手続きを踏襲すると正式に決めた。
有識者懇談会などに原案を示して意見聴取し、閣議で新元号を決める。
菅義偉(すが・よしひで)官房長官は記者会見で、新元号の改元政令は4月1日に閣議決定し、
同日中に公布する方針を明らかにした。
菅氏を議長とする元号選定手続きの検討会議を持ち回りで開き、平成改元時の踏襲を確認した。
政府は今後、選定手続きを本格化させる。
菅氏は「新元号が広く国民に受け入れられ、日本人の生活に根ざすものとなるようにしたい。
準備に万全を期す」と述べた。
新元号の選定に当たっては、まず首相が専門家を数人選び、それぞれ2~5の候補の考案を委嘱。
その後、官房長官が新元号の原案として数個に絞り込む。
さらに、4月1日に開く有識者懇談会で意見を求め、衆参両院の正副議長から意見聴取した後、
閣議で改元政令を決める。
有識者懇談会のメンバーは、平成改元時はメディアや教育界などから起用したが、
菅氏は「時代が変わっており、必ずしも同じではない」と語った。
新元号の基準は(1)国民の理想としてふさわしい(2)漢字2文字(3)書きやすい
(4)読みやすい(5)過去に元号やおくり名として使用されていない
(6)俗用されていない-の6項目を掲げた。
元号の選定手続きは昭和54年の元号法成立を受けて定められた。
平成改元の際には、有識者懇談会の開催を新たに加えている。
https://www.sankei.com/life/news/190208/lif1902080026-n1.html

昭和からの改元日5案 逝去前に政府検討
毎日新聞2019年2月10日 00時00分(最終更新 2月10日 00時38分)
昭和天皇が逝去した時に元号をいつ改めるかについて、政府が事前に五つの案を検討していたことが、
内閣法制局が毎日新聞の情報公開請求に基づいて開示した当時の内部文書で判明した。
案の中には、昭和天皇が1988(昭和63)年末に逝去した場合は
翌89年元日から新元号を施行する「踰年(ゆねん)改元」なども含まれていた。
実際は、昭和天皇は89年1月7日に逝去し、翌8日から平成に改元された。【野口武則】
文書は「改元政令案の内容と問題点」と題し、内閣法制局の内部での検討経緯が記されている。
作成・取得日が89年1月7日のファイルに保存されている。
改元の手続きは、元号を改める政令を閣議決定した後、天皇が政令に署名して国民に周知する公布を行う。
新元号の施行日は、政府が決めて政令に書き込む。当時、政府内で検討された改元のタイミングは
(1)逝去日の午前0時やその年の元日などにさかのぼる(2)改元政令の公布時
(3)翌日(4)翌月1日(5)翌年元日――の5案。
このうち、昭和天皇が大量吐血後の88年9月下旬の段階で、
(3)が元号担当の内閣官房内政審議室(現内閣官房副長官補室)の案とされ、
内閣法制局も「(3)を基本的立場とすることが了解されていた」とした。
ただし天皇逝去の時期によっては(4)(5)も検討された。
昭和改元時は、大正天皇が逝去した26年12月25日に「昭和」へ改元している。
これを参考に、88年12月25日以前に昭和天皇逝去の場合は「既定方針どおり」の翌日改元とし、
26日以降の年末の場合は「崩御が現実のものとなる直前にいかにすべきかを決する」と判断を保留した。
文書では「その『現実』がまだ生じないうちに昭和63年が暮れた」と記している。
一方、(1)は、例えば公布日の同日午前0時に新元号の適用をさかのぼると、
「政令の公布文に付すべき日付が(前の元号になり)書けない等の根本的な論理矛盾あり」、
(2)の場合は公布の時点を境に1日が二つの元号に分かれ、
「法律生活上の事実の特定表記(例、戸籍簿等)に混乱を生ずる」と退けた。
今回の改元では、自民党内外の保守派が、新天皇が5月1日の即位後に改元政令に署名、公布するよう求め、
同日から新元号の施行も可能だと主張した。
これに対し、内閣法制局は前回に(1)(2)を退けたのと同じ理由で、保守派の主張を採用しなかった。
https://mainichi.jp/articles/20190209/k00/00m/040/227000c