平成皇室二十年の光と影

諸君!2008年7月号
平成皇室二十年の光と影
われらの天皇家、かくあれかし(一部抜粋)

■一体性の快復とご親善外交 五百旗頭真(防衛大学校校長)
…現天皇は「国民統合の象徴」としての天皇制を、もの心ついた若き日々に受容した最初の天皇であろう。
戦争の惨禍を消し去ることのできない原体験とした当時の皇太子は、この悲惨の克服を、心中深く課題とするに至った。
「戦後、日光の疎開先から東京に戻って、私が目にした光景」を、天皇は50年後にも語る。
おびただしい犠牲者と塗炭の苦しみを負った国民をいたわり、
国民的一体性を回復することが、平成の天皇の変わらぬテーマである。
広島、長崎、沖縄、東京大空襲の悲惨から天皇は目をそらさない。
あるべき国民共同体から弾き出され、踏みにじられがちな人々に、天皇と皇后はなぐさめと励ましを繰り返す。
障害者、病臥する人への慰問とともに、そこから立ち上がった障害者オリンピックの応援を欠かすことなく続ける。
突如、悲惨に突き落とされた被災地への旅は、天皇・皇后の国民的一体性回復を祈る巡礼である。
神戸の震災地の避難所で膝をつき、被災者と同じ目線になって手をとりいたわる姿は、
「国民統合の象徴」たる天皇を可視的に示すものである。
天皇は人々と苦楽を分け持とうと心を砕きつつ、行政と違って皇室は「より精神的な支援としての献身が求められている」と、
天皇即位十周年の記者会見において皇后は解説している。…

■戦中派への慈しみのお言葉 伊藤桂一(作家)
…平成19年の2月9日、戦中時代や戦記のことをお聞きいただけることになって、皇居に招かれ、
天皇皇后両陛下に、私の思うところを、あれこれと申し上げた。夕刻の短い時間であったが、
戦中時代を背負っている気持ちとしては、この上なく有益の時間をお恵みいただけることになった。
私はこの時、戦中世代の生き方や死に方の、潔さや心意気を、思いをこめてお話し申し上げた。
両陛下は私の話し終えたあと、サイパンで、軍人及び軍人とともに散華した民間人の霊に対して、
祈りをこめて海に花束を投げられたことをお話しくださった。
「花束には、海鳥がたくさんに寄ってきて、花束の上に群れて、
花束はいつまでも沈まず、わたしたちもそのさまをみまもりつづけたのです」
と、両陛下は、こもごもにお話しくださった。お言葉の終りに、「魂の呼び合いがあったのですね」といわれ、
人々へのこの上ないご仁慈のお言葉と思い、私もひそかに感涙に耐えなかった。
本来、国家と皇室の尊厳を保持することは、人々それぞれの責務であり、重要な命題である。戦後、日本人で
ありながら日本人を軽視し、日本国そのものを侮る風潮が、かなり続いてきた。この風潮はいまもある。
私たちはこれから育っていく青少年たちの中で目覚めてゆく、
民族それ自体の伝統につながる“智恵”そのものに期待を置くしかないのかもしれない。

■「平成流」逆風の中の船出 江森敬治(毎日新聞社編集委員)
…両陛下は分刻みの慌しい日程の中にあっても、その時々の国民との触れ合いを最優先されたのだった。
遠くから仰ぎ見られるのではなく、身近にあって親しまれる新しい皇室像を両陛下は築かれつつあった。
それを国民も熱烈に歓迎し、支持したのだった。
こうした「平成流」がすんなりと受け入れられたかというと、そうでもなかった。
激動の「昭和」を生き抜かれた昭和天皇を敬慕するあまり、
両陛下のやり方に馴染まない宮内庁職員らも少なからず存在していた。
皇太子ご夫妻が結婚された平成5年の秋ごろから、一部メディアで皇室批判報道が目立ち始めた。
両陛下のご公務や私生活のあり方を昭和天皇の時代と比較する形で「快楽主義的」などとして批判する内容だった。
この年の10月20日午前、59歳の誕生日を迎えられた皇后さまは、東京港区の赤坂御所で突然、倒れられた。
当時、私は宮内庁にある記者クラブにいた。夕刊の締め切りに時間直前に「皇后さま倒れる」の一報が伝えられた。
記者たちは総立ちとなり、本社への緊急連絡に追われるなど記者クラブは騒然となったことを思い出す。
その後、数カ月間、皇后さまは話せない状態が続いたのだった。
この事態にショックを受けた宮内庁関係者は次のように話していた。
「宮内庁のやっていることは両陛下の行動を通して国民に具体的に理解されます。
職員たちは両陛下への好き嫌いで仕事をしてはいけません。これまで、ともすれば
惰性になりがちだったことを変えようと両陛下は一生懸命に頑張っていらっしゃいます。
お二人をもっと守り立て、協力してほしい」
…皇后さまは講演で、「生まれて以来、人は自分と周囲との間に、一つ一つ橋をかけ、人とも、物ともつながりを深め、
それを自分の世界として生きています。この橋がかからなかったり、かけても橋としての機能を果たさなかったり、
時として橋をかける意志を失った時、人は孤立し、平和を失います」と述べられたことがある。
私はお二人のご即位後の歩みというのは国民と皇室とをつなぐ橋を
丁寧に架ける日々ではなかったのかと思うことがある。
橋はけして一方通行ではなく、両者が出会ったり、双方向から交流を深めあう場所でもあるのだ。…

■御為倒し(おためごかし)、慎むべし 遠藤浩一(拓殖大学教授)
…先帝陛下の御代は、皇統を断絶し日本国を解体しようと目論む「敵」の姿が、朧気ながらにみえてゐた。
敵が繰り出してくる反日攻撃を日本は辛うじて躱してきた。
しかし平成になると、欧州における共産主義敗北に幻惑されたか、東アジアでも「敵」の姿が見えにくくなった。
国内において「反日」を企図する勢力は地下深く潜行するやうになり、
気がついたら「保守」と呼ばれる党派にまで浸透してゐる。
仮に、平成の皇室について憂慮すべき問題があるとするならば、
それは、この地政学的、政治的、思想的環境の変化と無縁ではないと思はれる。
かうした環境の変化に付け入る形で、平成版「開かれた皇室」論が悪臭を放つているのである。
昨今、東宮周辺であれこれ取り沙汰される問題も、また、そのことを受けて、
最近一部で議論されるやうになつた宮中祭祀廃止論も、「開かれた皇室」論の影響もしくは変奏といつていい。
これが悪質なのは、その目的あるいは結末が明らかに皇室解体に向かつてゐるにもかかはらず、
表だつては敵対的姿勢を取らず、さも皇室の将来を慮るやうな口調で展開される点にある。
…昭和天皇の御代にも「開かれた皇室」論は折節に鎌首をもたげたが、先帝は泰然と祭祀を励行された。
今上陛下も、祭祀こそが最も重要なお務めであることを、身を以て示してをられる。
なぜなら、それは国家と国民の安寧慶福のための祈りにほかならないからである。
天皇皇族の無私の思ひは、その御製御歌にも、端的に表れてゐる。
そこで歌はれるのは国家の安寧と国民の慶福であつて、自らの幸福ではない。
その伝統を、今上両陛下は支へてをられる。
この上、われわれ民草に言ふべき言葉は見当たらないが、何かもの申すことがあるとするならば、
皇室伝統の本義をご継承いただくためには何が必要かといふ議論でしかあるまい。
本質を歪めるやうな御為倒しは、厳に慎むべきである。

■御遺徳に思いをいたして 大原康男 (國學院大學教授)
…このように波乱に満ち満ちた時代を経験された先帝とは大きく異なった境遇にあられながらも、
陛下の昭和天皇に対するお気持ちにはまことに深大なものがあり、とりわけ、即位後朝見の儀のお言葉の中で、
「大行(たいこう)天皇(昭和天皇)の御遺徳に深く思いをいたし、
いかなるときも国民とともにあることを念願とされた御心を心としつつ」とお述べになったことに
深い感銘を覚えた記憶は今も鮮やかに残っている。
ここには寸毫も「変化」はない、と。
このところに最も重要なメッセージがこめられているにもかかわらず、マスメディアは該部分をごく軽く扱い、
むしろ「日本国憲法を守り、これに従って」という別の一節をことさら取り上げ、
はなはだしきに至っては陛下をあたかも“護憲の旗手”に祭り上げようとする手合いまで現れた。
だが、「憲法ノ条章ニ由り之カ行使ヲ愆(あやま)ルコト無ク」(大正天皇)や、
「丕顕(ひけん)ナル皇祖考(祖父である明治天皇のこと)ノ遺訓ヲ明徴ニシ」(昭和天皇)という
朝見の儀の勅語を顧みれば、憲法遵守への言及が歴代の天皇に共通していることは明白であって、
別段珍しいことでも何でもないのだ。
為にする議論というほかない。平成は昭和と比較して一般に「守成の時代」と評されてきた。
それが当を得ているか否かはともあれ、今上陛下にとってのお務めの基調は、
先帝の示された天皇としての道を継承し発展させることに尽きていると
拝察する。何よりも注目すべきなのは、昭和天皇が始められたお田植えを
新たに播種の段階までさかのぼって受け継がれたことや、
昭和天皇の最晩年にご高齢を配慮して吹上御苑で斎行されていた元旦の四方拝を
宮中三殿の一角にある神嘉殿(しんかでん)南庭で行うよう旧に復されたこと、
さらに、あのご多忙な中で大嘗祭の修礼(しゅうらい)(儀式の予行演習)を六回も重ねられたこと等々、
祭祀を中核とする皇室の伝統を格別重視されるご姿勢である。
それこそが「御遺徳に深く思いをいたし」ということではないのか。…

■官僚の群れのなかの孤独 奥野修司 (ジャーナリスト)
…戦後の民主化を象徴したはずの「開かれた皇室」が、急速に「閉ざされた皇室」に変質しはじめたことだ。
記者会見で天皇や皇太子のお言葉を聞けるのは今も昔も同じだが、
美智子妃の時代には、そのほかにご夫妻のお気持ちを代弁する人たちがたくさんいた。
だから、お言葉が少なくても、なんとなく東宮の空気を忖度できたものだ。
ところが今は、皇太子ご夫妻のお気持ちを知ろうにも、語る人がいない。たとえそういう人物を探し出しても、
どんな「ご遠慮」があるのか、口を閉ざしてしまう。これは公的に接している方(侍従などの職員)も同じだ。
実際、二週間近く駆け回って、一人も取材に応じてもらえなかったこともあった。
どうしてこんなに言葉が少なくなってしまったのだろう。
数年前、ある元女官に会ったときだ。
「私がしゃべったことがわかったら、どんな仕打ちがあることやら…」
肩をすくめて、申し訳なさそうにつぶやいたのを思い出す。

■イデオロギーは不要 笠原英彦 (慶應義塾大学教授)
…両陛下は宮中三殿や山陵(みささぎ)などで、大祭、小祭、旬祭を執り行い、
国民の平和と安寧、五穀豊穣を祈られているのである。
宮中三殿には空調などないため、夏の暑さや冬の寒さはご高齢の両陛下にはいささか苛酷に過ぎる。
天照大神の声といわれる鈴が鳴らされる間、天皇は平伏の姿勢を解くことはできない。
憲法に政教分離の原則が謳われているため、宮中祭祀で陛下をお助けする掌典職らの人件費は、
天皇家の私費である内廷費で賄われている。
現行の皇室典範には、譲位や退位に関する条文はなく、旧皇室典範同様、終身制が採られている。
生涯現役が求められるとは、まさに命がけのおつとめである。
数年前、拙著『歴代天皇総覧』を上梓して初代神武天皇から第124代の昭和天皇までの事績を紹介したが、
今上天皇ほど国民を慈しみ、国民のために祈ってくださる天皇は少ない。
だが、平成の皇室にも一抹の不安がある。率直にいえば、東宮ご一家のことである。
かつて皇太子殿下が外国ご訪問に先立つ記者会見でいわゆる「人格否定発言」をされたのは記憶に新しい。
このときは、宮内庁がバッシングの矢面に立たされた。
その元凶は言わずと知れた、下世話な二流のマスコミ、三流のジャーナリズムが生み出す虚像である。
…月刊誌『WiLL』2008年5月号、6月号で皇太子殿下に諫言した西尾幹二氏の論考は大変な反響を呼んだそうだ。
筆者も拝読したが、西尾氏の皇室観は実に卓越したものである。同氏は天皇制(度)の意義を考察して、
「平等とか人権といった近代の理念のまったく立ち入ることのできない
界域(エリア)が社会の中に存在すること」を指摘した。誠に見事な洞察である。
私は天皇制論議にはイデオロギーを交えるべきでないと考える。
たとえ「天皇制」がコミンテルンのテーゼを起源とするとしても、空疎な左翼に「天皇制」を占有されたくない。
だから「天皇制」を左翼の手からもどし、イデオロギー・フリーなテーブルに据えて議論したいのである。
すぐれた見解や学説であれば、左右に関係なく評価すべきである。
西尾氏は皇室の現状を「学歴主義と人権意識が皇室に流れ込んで、
異質なものによる占拠と侵害が始まった」と論評された。
哲学者らしい卓見というべきであろう。だが、読み進むうちに、
だんだんイデオロギーがにじみ出てくるのには正直いって驚いた。
東宮をめぐる氏の論評の根拠となる情報源は何処に。
いつのまにか西尾氏まで次元の低いマスコミ情報に汚染されていないことを切に祈る。…

■郷愁と紙一重の執着 上坂冬子 (ノンフィクション作家)
…私とって特に感動的だったのは、かつて南方で戦犯に指定されて、
同僚は銃殺されたのに自分は有期懲役で帰国したため、こうして生き長らえていると語った人が悲憤慷慨の面持ちで
、昭和天皇は戦争の最高責任者として国民に詫びるべきなのに謝罪しなかったのは許せぬといわんばかりに語ったあと、
「しかし、もし謝罪されたら私はそのお言葉を聞いて号泣しただろうと思います」と補足したのを聞いたときです。
謝れ!といいつのりながらも、もし謝られたら感極まって泣き出してしまうにちがいないという思いは、
戦場にあった人の真情として私の世代でも手にとるように分かります。
十五年戦争下を生きた者によって、昭和天皇、皇室、天皇制には字づらだけでは表せないものがあるのです。
天皇の戦争責任を厳しく問い詰めながらも、その半面、ともに戦争を生き抜いてきた存在として、
昭和天皇に対する親近感を捨てきれません。…

■主治医として接した陛下 北村唯一 (あそか病院院長)
…入院先の病院を、がんセンターにするか東大病院にするかで少し揉めたが、
東大病院には前年新築したばかりの立派な新病棟があり、しかも14階には特別室があるので、
東大病院で手術を受けていただくことが決まった。
このことが広く報道されると、全国からいろいろな反応(おもに激励)があった。
その中で一人、忘れられない訪問客があった。後に危険な事をしたと本富士警察署に叱られたのであるが、
教授室で右翼とみられる人物の訪問を受けたのである。
小生もさすがに心配になり、身体頑丈な太田信隆助教授をボディーガードに付けた。
太田助教授は小生と右翼の間に何食わぬ顔で座った。後で聞いたところによると、太田助教授は用心のために
ワイシャツの下に厚紙を幾重にも巻いて会見に臨んだそうである。その人物は右肩に日の丸のある名刺を差し出した。
何を言われるのかと戦々恐々としているところへ、
「天皇陛下の手術を是非とも成功させてくれ」との言葉があり、
とくに脅されたりはしなかった。しかし、言外にもし手術がまずいことになったら
只では置かないぞ、というような凄みを感じた。
それだけ言うと、何事もなかったかのように付き人と共に帰っていった。
やれやれ、これで一安心ということで手術の準備に取り掛かった。
掛け替えのない尊い御方を手術するというので、東大病院の加藤進昌病院長を始め病院スタッフが何回も会合を重ねて、
いろいろな最悪のケースまで想定して準備に当たった。万が一の心停止に備えて人工心肺の用意までしたほどだった。
しかし、小生は比較的暢気に構えて、中村耕三副院長にお叱りを受けたほどである。小生としてみれば、
前立腺全摘手術は何百例としているし、ほとんど問題が起こらないだろうと高をくくっていたのである。
術後の心電図モニターなどもどうということはないと思っていたのだが、
無線で飛ばすと傍受されるかもしれないというので、急遽病室の床下に配線し直した。
また、陛下が手術を受けられるとき、病室からストレッチャーで手術場に入られるのだが、
その廊下にある窓ガラスが透明では外から盗撮されかねないというので、
ガラス窓にマジック・フィルムを貼ったり等々、対策に苦慮した。…

■「家族」と「公務」の両立 久能靖 (皇室ジャーナリスト)
「私にとって家族は大切でありましたが昭和天皇をお助けし、
国際儀礼上の答礼訪問を含め国や社会のために尽くすことは最も重要なことと考えていました。
私どもはやはり私人として過ごす時にも自分たちの立場を完全に離れることは出来ません」
「私は家族と云うものは社会の最小単位であると思います。家族を理解することによって社会を知ること。
これがとても大切だと思います。私は家族を思うことと国や社会に尽くすことは両立すると思います」
これらはわずか四ヶ月の間を経て語られた天皇と皇太子の会見での発言である。
時として子供心にも淋しく思うことがありましたとかつて紀宮が語ったように
公務は常に私事よりも先んずると云う陛下と、あくまでも家庭を出発点にしたいと云う
皇太子の考え方の違いが浮き彫りになった言葉ではあった。
…皇太子が「目まぐるしく変化する今の時代に公務として自分たちが何をするのが大切かを見極めたいし、
今迄の公務の含め、ここでもう一度そのような視点で考えてみたい」と発言されたことは理にかなっているし、
今上陛下も時代に合った公務のあり方には理解を示されている。ただこのように発言されてから五年が経過しても
その目指す方向が示されないことへの焦立ちを我々が感じているのは確かである。
極めて慎重熟慮型の皇太子が近いうちに明確な回答を示されることを信じたいが、公務に対する新しい姿勢が
示されただけで、皇室の将来についてすべても問題が解決するわけではない。それは宮中祭祀の伝承だ。
政教分離によって戦後宮中祭祀は天皇家の私的行事となったが、
皇室にとって祭祀が最も重要であることになんら変わりはない。
しかも現在国民の祝日とされている日の多くは宮中祭祀の日でもあり、陛下は多忙な一日を過ごされる。
初詣の人々で賑わう元旦の早暁から陛下は潔斎で身を清め、
斎服を召されて四方拝に臨まれ、国家国民の安寧を祈られるほか、
もっとも皇室にとって重要な新嘗祭など年間様々な祭祀をとり行われる。
しかしこれらの祭祀は形だけきちんとしていれば良いものではない。心が伴っていなければならないのだ。
それを今上陛下は毎週のように参内しては昭和天皇のなさりようから祭祀に臨まれるお心を学びとってこられたのだ。
宮内庁長官が皇太子に参内の回数が少ないと苦言を呈したのもそうしたお心の伝承を心配してのことだろう。
宮中祭祀については全て「雅子が完全に回復してから」とかばう皇太子もその重要性は十分認識されているはずだが、
皇室とは祈りだと云う皇后の言葉を重く受け止めて欲しい。

■妃殿下に我が名を呼ばれて 小池政行 (日本赤十字看護大学教授)
…フィンランド語を専門とする者として、国賓として訪日したフィンランド共和国の
コイビスト大統領夫妻の通訳を務めることになっていた。
…通訳という役割は本来、無人格なものである。
公式の会談の場合でも、途中に総理大臣や外務大臣が通訳に一寸、話しかける必要が生じた場合でも、
名前を呼ばれるなどということはほとんどなく、「おい通訳」とか「君」などと呼びかけられるのが普通だった。
ところが美智子妃殿下は「小池さん」と呼びかけられたのである。
その瞬間の驚きと戸惑い、そして、一瞬遅れて自分の中に沸き上がってきた喜び、
そしてそれは通訳という仕事に対する大きな励みとなったが、
私は、この美智子妃殿下から、名前で呼びかけられたことを、終生忘れることができない。…

■戦争遺族として抱く思い 古賀誠 (衆議院議員)

 国がためあまた逝きしを悼みつつ 平(たひ)けき世を願ひあゆまむ

これは、戦後五十年の平成7年、天皇陛下が日本遺族会へご下賜された宸筆の御製である。
この時、皇后陛下からは、御染筆で次の御歌をいただいている。

 いかばかり難かりにけむたづさへて 君ら歩みし五十年(いととせ)の道

この御製と御歌から、戦争で尊い命を失った戦没者への限りない鎮魂と、
遺族の安寧を願う両陛下の切なる思いを感じずにはいられない。
戦争で一家の大黒柱を失い、生活は峻烈過酷を極め、最愛の肉親を失った悲しみの中、
物心両面に苦悩しながら茨の道を切り拓いてきた遺族に対し、
両陛下は常に深く心を寄せられ、機会あるごとに励まし続けてこられたのである。
…陛下が戦没者へ哀悼の意を込めて慰霊の旅を続けられる姿を拝見した時、
わたしが感じた陛下に対する思いは決して「親近感」などではなく、やはり「畏敬の念」なのである。
日本遺族会の会長として幾度か両陛下に拝謁しているが、特に心に焼きついて離れないことがある。
それは三年前に開かれた全国の婦人部(戦争未亡人)代表の集いに、天皇皇后両陛下のご臨席を仰いだときのことである。
両陛下は、当時平均年齢八十七歳であった戦没者の妻ひとりひとりにご接見し、戦後の労苦に対し労いの言葉を
おかけになられた。そして、ご出立の際、見送るわたしにむかって陛下は「遺族のことをよろしく頼みます」と仰せられた。
その声は、あの御製に込められた陛下の心をそのまま表しているように聞こえた。
そして同時に、「他人を思いやる」という、今の日本人がどこかに置き忘れてしまった、
あまりに純粋で無垢な感情をわたしはそこに見たのである。

■祖神祭祀の再考察を 小堀桂一郎 (東京大学名誉教授)
…折から第六十二回の神宮式年遷宮の重儀を五年後(平成25年10月)に控へて、
日本人の文明と文化の基盤であり、核心でもある皇祖の神々の祭と、
国民統合の象徴である皇室の御存在との関係が又新たに世間の関心を惹き、
この重儀をめぐつての技術的・精神的財産の蓄積の豊かさに人々の眼が向けられる様にもなつてゐる。
今はまことに良き機会である。
持統天皇の御治定以来千三百年余の歴史を有する式年遷宮の例に徴してみても、
皇室に於ける祭祀の伝統が常に安定した直線的な継承を保つてきたわけではないことがわかる。
伝統と一口に謂ふが、それは最初からその様な形を具へたものとして創始され、
歴代平穏に相承されてきたといふ形のものではなく、
肇国以来二千年の歳月を経て明治・大正からつい最近の昭和の御代に至る迄、様々の試練に遭遇し、
それによる変容や盛衰をも経験して今日に至つてゐる。そして今日現在の瞬間にも、
時代の状況が突きつけてくる種々の難題や支障に対処しつつ伝統としての
不朽の生命の維持に自ら努めてゐる。さうしたものである。

■わが日本を論じてほしい 古森義久 (ジャーナリスト)
…イギリスには自国を守るため、さらに自国の利害のからむ国際秩序を守るための軍隊が存在する。
国民の範たる王室の人たちは率先して国を守るための戦いに加わる。
その基盤には国民をくくる有機体としての国家のため、という思考があり、価値観がある。
つまり王室はたとえシンボルだとしても国家を体現し、国家とともにあるのだ。
王室は国家という「公」のためにこそ存在し、存続する、ということだろう。
ところが日本の皇室は戦後、国家との関係を希薄にされた。国家との間に空間や距離を置かされた。
その大改革は民主化でもあったから、すべてネガティブとはいえないだろう。
だがその結果、昭和時代は皇室が日本の国家としての団結や国家へのアイデンティティーを語ることは少なかった。
日本という国の伝統や歴史、文化を正面から論じるということもまずなかった。
まして日本国への誇りや喜びを述べることも、ほとんどなかった。
…世界の平和を希求するというのも重要ではあるが、日本の国家の安全保障にもたまには言及してほしい。
日本の伝統や歴史も前向きに語ってほしい。皇室の若い男性に日本の伝統の柔道や剣道の稽古をしてほしい。
要するにもっと日本を論じ、もっと日本を表現することへの期待である。
戦後の憲法でも「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とされる。
戦前とは制度的に明らかに異なるとはいえ、日本の皇室が拠って立つのは
あくまで日本という国、日本という国家なのである。
しかし平成の皇室の言葉の発せられる対象は、日本の国民であり、日本社会であり、
その次には国際社会であり、世界であって、日本という国家の次元が往々にして抜け落ちているようにひびく。
対象はなにも必ずしも日本の国家なくてよい。日本という概念であってもよい。
日本の自己認識でも、日本の伝統と歴史でもよい。
とにかく当事者としてわが日本を取り上げ、わが日本を論じてほしいと思うのである。

■大正世代の魂の奥に 佐藤愛子 (作家)
…「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」とは敗戦の詔勅の中の国民へのお言葉だったが、
最も「堪え難きを堪え」られたのは昭和天皇ご自身だったと私は思う。
なぜ天皇は退位なさらぬかという批判の声が高い中で、
あえて昭和天皇は堪え難きを堪えて退位の道を退けられたのではなかったか。
天皇は国と国民のために退位するよりも堪え難い道に踏み止まれたのだとすると私は思っていた。
あの時に天皇が隠棲なさったら、この国の混乱は収拾がつかぬまでに広がったのではないだろうか。
それまで菊のカーテンの奥深くに閉ざされていた皇室は「開かれた皇室」を目ざし、昭和天皇崩御の後は愈々、
国民の身近に降りてこられた。週刊誌は平気で皇室について取沙汰するようになり、
今では災害地などへの行幸の際、まるで芸能人の対するように狎れ狎れしく、
写真を撮ろうと携帯をさし向けている人たちがいる。
…かつて皇室と国民は一体であった。天皇は常に国の安泰と興隆を願い、
民はそれを信じて天皇を仰ぎ見るという均衡でなり立っていた。
しかし次第にその均衡が傾きつつあるように思われる。
皇室と国民を繋ぐものとして、かつてはなかった「親しみ」があるだけになった。
皇室は範を垂れようにも、国民に気持がなければどうすることもできないのである。
今上天皇もご病軀を押して公務にお出かけになるお姿を見ると、
私には僭越ながらおいたわしいという気持ちが湧いてくる。
これからの平成皇室の課題は?と編集部から問われても、私に答はわからない。
これは皇室の問題でありながら、同時に国民意識の問題だからである。
天皇陛下のご意志を忖度せずに、政治家が女帝がいいの悪いのと
勝手な取り決めをしようとしたことも私の情としては許し難いことに思われる。
たとえ憲法上では許されること、必要なことであるとしても、だ。…

■獄中で宮中祭祀に感謝した 佐藤優 (起訴休職外務次官・作家)
…獄中で、私は高天原が、いまの瞬間においても存在し、高天原で展開される出来事に対応して、
日本の歴史が動いていることを確信するようになった。
そして、高天原と現実の世界の秩序が正しく維持されているのは、
天皇陛下、皇后陛下が宮中祭祀を正しく執り行い、
祈りを中心とした生活をしておられるからであると心から感謝している。
皇室のあり方について、マスメディアで様々な議論がなされているが、
何か根源的なものが欠けているように思えてならない。
女帝論という形で皇統を内側から壊す危険性がある人権思想、
近代的範疇である遺伝子理論によって万世一系を解釈する試みなどの背景には、
人間の理性に対する全面的信頼を基礎として、皇室を「設計」し、「構築」しようとする思想が存在する。
このような設計主義、構築主義が日本国家と日本人を内側から蝕んでいるのである。
このような状況で重要なことは、高天原の存在をわれわれが再発見することである。
テキストは、『古事記』、『日本書紀』『神皇正統記』など、
日本国家のあり方の根源、伝統的言葉で言うならば国体を真摯に追究したものならば何でもよい。
これらのテキストを虚心坦懐に注意深く読むことによって、われわれは高天原を再発見することができる。
ここからわれわれが天について語るのではなく、天がわれわれについて何を語っているのかに耳を傾けるのだ。
…〈人はとかく過去を忘れがちなものだが、歴史のたどってきた道をふり返れば、
天は決して正理をふみはずしていないことに気づくだろう。
もっとも、「それならばなぜ天はこの世の現実をあるべき正しい姿にしないのか」という
疑問をもつ者があるかもしれない。
しかし人の幸・不幸はその人自身の果報に左右され、世の乱れは一時の災難ともいうべきものである。
天も神もそこまえはいかんともしがたいことに属するが、悪人は短時日のうちに滅び、
乱世もいつしか正しき姿にかえるのである。
これは昔も今も変わることなき真理であって、その理をしっかり身につけるための業(わざ)を稽古という〉
(「神皇正統記」『日本の名著9 慈円・北畠親房』中央公論社、1971年、454頁)
この稽古に励むことが南朝精神であると私は考える。
天皇は祭り主である。皇室について語る場合は、
いかにすれば宮中祭祀がつつがなく行われるかということを第一義に考えるべきと思う。
皇室を人知によって改革するなどという合理主義に冒された発想を捨て、
高天原の声に率直に耳を傾けることができるようにするために、
南朝精神を有識者がとりもどすことが喫緊の課題と思う。

■「国家千年の大計」として 篠沢秀夫 (学習院大学名誉教授)
…そして一部マスコミは、新帝陛下が、践祚の礼のあと、「憲法に従い」という意味の御発言をなさったのを、
それこそ鬼の首を取ったかのように喜び騒いだ。右も左も誤解しているのだ。
戦前戦中の天皇を専制君主とイメージし、戦後は憲法によって格下げされたと思い込んでいる。事実誤認である。
明治天皇が一兵でも勝手に動かしたりか。法律を勝手に作ったか。
今の憲法でも、国会可決の法律は天皇署名で発効するのは昔と同じではないか。
そして敗戦直後には一年先のことも予測がつかない。
皇室典範改正に当たって、何百年も皇位継承者確保の安全装置であった多くの宮家を廃絶しながら、
他に何の安全装置も考えなかった。
その時点では中学生と小学生であった今上陛下と常陸宮殿下と、二人の親王がおられたので安心だったのだ。
先のこと、「国家百年の大計」など思いもしなかったのだ。
平成に入って秋篠宮殿下と紀子様の御成婚、皇太子殿下と雅子様の御成婚と、
マスコミは沸き立ち、敬語使用は慣例となり、反対言論は沈黙した。
だが、次の世代の皇族男子出生がない状態となり、小泉首相の時期、
皇室典範改正が課題となった。これも目先ばかりで、女帝容認一直線。
秋篠宮家に男子出生となって、現行法による皇位継承者ができると、沈黙。
その段階の論議で世に示されたのは、世界最古の伝統の日本皇室は、
同じ家系を保っているばかりでなく、「男系継承」によって
男子の間だけで伝える遺伝子を保持していることである。守るべきだ。
そこで小生が提唱したのは「第三の道」である。百年どころでなく「国家千年の大計」として、皇室の伝統を守ろう。
皇族の範囲を天皇から四代とし、その範囲では男女ともに皇位継承権を認め、
「男系継承」維持のため、女子が皇位継承者となった場合、
配偶者を、廃絶された旧宮家の子孫「皇系族」の中から選ぶことを法制化するのだ。
行使の世襲は現憲法が認めている。恋愛の自由のレベルの問題ではない。
皇族になるとは、皇室に生まれるだけでも、皇室に嫁入るだけでもなく、
責任を自覚し皇族として覚悟することにある。
国民にそのことを理解してほしい。皇室内の論議を家庭内の揉め事と取るべきでない。
皇室を守ることは、右翼ではない。自分の文化を守ることだ。

■「子どもの本」へのエール 末盛千枝子 (すえもりブックス代表)
…戦後、苦しい人生を生きてきた人々に寄せる両陛下の思いの深さは、想像がつかないほどです。
特に天皇陛下の沖縄の人々に寄せる労りのお気持ちは計り知れないほどです。
平成5年に植樹祭で沖縄に行かれたときには、
沖縄の短歌の形式である琉歌を沖縄の言葉で詠まれたことを知り、心底驚きました。
また、硫黄島をお訪ねになったときには、そこが地熱と水不足という厳しい条件の島であることを思い、
そこで戦った人々の困難と遺族の悲しみに心を寄せ、その小さな島で日本人二万、アメリカ人七千もの人々が亡くなり、
いまなお、一万もの人々の遺骨が熱い地熱の地下に張り巡らされた坑道に眠っていることを悼み、
言いようのない悲しみを語られ、遺族たちに心からの慰めの言葉をおかけになり、日本の復興や発展がこの人たちの
犠牲の上に築き上げられたのだと繰り返し語っておられます。
一方、皇后さまは、天皇陛下とご一緒に慰霊地を訪ねられたときに、悲しみに満ちた美しい歌の数々を詠んで
おられます。なかでも硫黄島を訪問されたときの御歌は文学史に残るような素晴らしい和歌だと思います。
「慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲(ほ)りけむ」
そして、昭和46年に三浦半島の観音崎で、戦没船員の碑の除幕式が激しい雨の中で行われたときに、
「かく濡れて遺族らと祈る更にさらにひたぬれて君ら逝き給ひしか」
と詠んでおられます。
このような御歌に接した私の友人は私と同年代で、父親を戦争で失った人でしたが、
心の中に氷のように固まっていた恨みのような気持ちが、静かに解けていくのを感じたと語ってくれました。
しばらくして皇后さまにそのことを申し上げましたら、遠くを見るように少し首をかたむけ、
はにかんだご様子で「そう?」と言われ、心に暖かなものがぽっと灯ったと思いました。
また両陛下は戦争だけでなく、様々な困難のなかで生きている人たちを忘れないことも、
ご自分たちの生きる上での務めのように考えておられると思います。これは、特に今の両陛下に限ったことではなく、
日本の皇室には大昔から、そのような伝統があったと聞いております。

■皇后さまの印象は「修道女」 曾野綾子 (作家)
…私は皇后陛下が一度会われた人の名前や地名を記憶しておられるのに驚くことがある。
一度私は、アフリカや南米の各地で働く日本人の神父と修道女たちを皇后陛下にお引き合わせしたことがある。
皇后陛下は、病院、学校、スラムなどで働くこうした人々の話を、よく聞いてくださり、
ご自身がそれらの国を訪問された時の地名や人々のことを正確に語られた。
自分たちの仕事など、ほとんど日本の誰にも知られていないだろうと思っていた人たちにとって、
皇室がこうして辺境で働く人々も見ていてくださるということは、信じられないほどの励ましになるのである。
御所を出たところで、私はシスターたちに「皇后さまの印象はどうでした?」と通俗的な質問をした。
するとシスターたちは一瞬深く考えたあげく、中の一人が、「修道女みたいでいらっしゃった」と感想をもらした。
これは私にとって全く意外だったが、恐ろしく正鵠を得た表現だった。
両陛下は、数多い宮中祭儀を一つとして簡略にせず、大切にその伝統をお守りになっているという。
それが皇室の根幹の精神だからだ。
人々に会ってその言葉を聞く行幸の機会も、お体の負担になることがあっても両陛下は決してお休みにならない。
それが日本人が生きる日本という国体の基本を維持する大切な部分だと、はっきり考えておられるからであろう。
外部の人には会わず、一生閉ざされた修道院の中で働くトラピストなどの修道士たちのモットーも
「祈り、そして働け」であって、祈ることが最初であり、働くことは二番目の徳なのである。
皇后陛下の生きる姿勢の中には、こうした運命を受諾なさった決意の潔さがあって、
それがシスターたちに「修道女みたい」と言わせたのであろう。
昔、まだご結婚前の紀子さまに初めてお会いした時、
私は「皇后さまは陛下に惚れておられますから」と思わず口を滑らせ、紀子さまはおかしそうに笑われたことがある。
陛下の徳は、公私に亘って、徹底して手を抜かない誠実さだと多くの人が感じる。…

■国民の中に亀裂はないか 園部逸夫 (元最高裁判所判事)
…しかしながら現在、皇室制度に関して様々な議論があり、解決すべき課題があると見られていることも否定出来ない。
この背景には、憲法や皇室典範が定める制度の前提の変化と、
制度を理解し支持する国民の側の変化があると私は考えている。
ここではこのような変化により生じた課題を次の二つに絞って見る。
第一は、皇位継承制度問題の議論を通じて象徴天皇制の方向性を巡り、
大げさに言えば国民の中に亀裂が生じているのではないか受け止められていることである。
言い換えれば、象徴天皇の正統性の根拠について、男系継承、直系継承、国民の支持、伝統、等々の、
何にどのような重みを置いて考えるかについて一致が見られず、
将来の皇位継承の在り方について問題が未解決のまま残されているということである。
第二は、国民が皇室制度の意義を理解する機会が少なく、
制度を解釈する基本的枠組みを持たない人が増えているのではないかという問題である。
例えば、なぜ皇室のために特別な財産や費用を国が用意するのか、
なぜ皇室の方々に特別な活動をお願いするのかということについて、
象徴天皇制度が期待する理解をしている国民の割合が時代と共に低下しているのではないかと懸念している。
我が国の歴史を背景に、国民が憲法を通じて皇室の方々に日本国と日本国民統合の象徴たる地位にあることを
いわばお願いしているということを前提に考えれば自然に理解されることでも、
国民の多くが自ら考える機会が少ない中で、皇室に関する様々な情報が大量に流され、
また不確かな情報も一人歩きしているような状況にあり、
国民が制度の意義を理解した上で制度を評価できる状態にあるのか-勿論、
国民の判断を信頼すべきであるが-心配である。 …

■「権威」なき国家は危い 田久保忠衛 (杏林大学客員教授)
…いくつもある皇室報道で、公表された事実は雅子妃殿下が
平成15年9月から現在まで4年8ヵ月にわたって宮中の祭祀には欠席されているということであろう。
ご公務は具体的に何を指すかわからないが、他の皇族方に比べてきわめて少ない。
それといかなる関連があるのかわからないが、私的な外出が多い。
原因は適応障害で、「絶対的に必要なのは環境調整」(斎藤環医師)だという。
とすれば雅子妃に環境を合わせるか、国民には実態がはっきりしない現状を続けるのか、
環境と御本人を分離するかのいずれしか対処方法はない。
胸が痛む。ましてや天皇、皇后両陛下の御心痛はいかばかりか。
『文藝春秋』4月号の座談会で、環境を変えるべしと主張したのは二人であった。
斎藤環医師は「やはり環境を雅子妃にとって過ごしやすいものにする以外、治療方法はないでしょう」と述べ、
原武史明治学院大学教授は「たとえば祭祀をすべてやめるような抜本的な改革をしなくては、
うまくいかないのではないかという気がします」
とより具体的な指摘をした。時代の要請とやらを考えているのかどうか知らないが、
二人の前提には神話の時代に生まれ育って現在に至った伝統の比類ない重さは感じ取れない。
ポツダム宣言の受諾にあたって鈴木貫太郎首相以下の関係者がどれだけ国体護持に執着したか。
結局は昭和天皇の御決断で終戦のケジメがつき、戦後の混乱を国民は天皇を中心として乗り切ってきた。
今上天皇と同年の私の実感である。
最近日本経済新聞社が報じて大騒ぎとなった「富田メモ」問題で、
一方の論者は「昭和天皇だからこうおっしゃるのは当然」と主張し、
対立する論者も「昭和天皇であるからそのようなおっしゃり方はしない」と反論した。
明治維新も天皇を中心に据えなかったら実現不可能だったろう。討幕も尊皇なら幕府も尊皇だった。
国民にとって掛け替えのない皇室の祭祀を廃止したらどういう結果んいなるのだろうか。
旧皇室典範は第十条で「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」、
第十一条「即位ノ礼及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ」と定めていた。
いまは第四条で「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」と書いているだけである。
祭祀王の性格は縮小されてしまった。誰が言い出したかは定かではないが、
皇室の側からも国民の間からも戦後に「開かれた皇室」への期待が高まり、
現在に至った過程で祭祀はどうでもいいとの議論が生まれるようになったのだろうか。
祭祀のない皇室は権威が消失し、国民の普通の家庭に限りなく近づいていく。国体は崩壊する。 …

■薄氷を踏むような二千年 竹田恒泰 (旧皇族・慶應義塾大学講師)
わが国は現存する国家のなかで世界最古の歴史を持つ。日本建国よりも前に存在した国はすべて滅び、いまはない。
天皇の歴史は日本の歴史であり、今年は建国から2668年にあたる。その数字には諸説異論もあろうが、
約1800年前の三世紀初頭、奈良県の三輪山周辺に前方後円墳が誕生したときまでには大和王権が
成立していたことは考古学的事実から明白である。そして、その後現在に至るまで、王朝が交代したことを示す
証拠はない。また、王権が成立した途端に巨大な古墳を造営する国力を有したとは到底考えられないので、
一地方政権として成立した時期は、さらに時代を遡ることになる。
やはり天皇の歴史は約二千年、もしくはそれ以上と考えるのが妥当だろう。
しかし、その後の天皇家の歴史は決して順風満帆なものではなかった。
時代ごとに様々な困難と出遭い、皇統は幾度も危機に瀕したが、
天皇はその度に底力を発揮し、数々の困難を力強く乗り越えてきた。
…悠久の歴史のなか、天皇のあり方は時代ごとに変化してきたが、
「祈る存在」という部分は決して変わることはなかった。
平成の皇室も、その本質は「祈る存在」に違いはない。
皇室が長年続いてきたのは、「祈る存在」であり続けたからではなかろうか
。毎日国民ひとりひとりの幸せを祈っていらっしゃる天皇を、
軍事的や政治的な力で消し去ることに、正義感を見出せるはずはない。
そのような尊い皇室を、日本人の先祖たちはいつの時代も大切に守り続けたのである。
故高松宮殿下のお言葉を拝借すれば、「皇室は国民によって守られてきた」ということになろう。 …

■日系人の心の支えとして 塚田千裕 (海外日系人協会理事長)
十年以上前のこと、ブラジルに勤務していた時、日本の経済界の首脳陣と
時のカルドーゾ大統領との懇談の機会に私も同席していた。
話題が日本の政治に及んで日本側が「どうも日本は総理がしばしば代わって対外的にも具合が悪い」と
半ば釈明口調になったところ、カルドーゾ大統領曰く、「日本には天皇陛下がおられるじゃないですか!」
これは大統領が日本の事情や憲法に通じている、いないというようなことではない。
大統領はその前年に日本を国賓として訪問し、何もかも承知の上での発言である。
若き日に左翼経済学者として鳴らし伯軍政時代には一時チリ等に
亡命生活を余儀なくされた経歴の持ち主だけに、一層含蓄に富む発言であった。
私は四十年以上になる外交官生活の中でブラジルには合計して三回、延べ十年勤務した。
今年は日本の対伯移住百年の年(日伯交流年)であるが三回の勤務中には偶然にも
「移住七十周年」「八十周年」「九十周年」に廻り合わせた。
「移住何周年」という行事は、戦後の1958年に「五十周年」を現地に日系人が祝い、
このために三笠宮殿下が訪伯なされたのが嚆矢である。
以後、節目の十年毎の祝いに皇室よりお出ましを願うのが現地移住者、日系人のまたとない喜びの慣例となった。
…一方、この五十年の間に各地の日系人を取り巻く環境も変わり、
代替わりも進み、よもやと思われた日系人の逆流現象迄も生じたが、
年一回の日系人大会は概ね十五から二十ヵ国、二百人程の参加者を得て盛会を維持している。
その最大の理由は私の見るところ皇室の御臨席である。父祖の地日本は常に変容を遂げて止まない。
その時、自らのアイデンティティを求める日系人の心の底にある変わらぬ日本、
根元的日本を最もよく体現しておられるのが皇室である。
皇室の存在、力の大きさは内なる日本人が想像する以上に外の人達も案外良く分かっている。 …

■春先の温かい小雨のように 徳岡孝夫 (ジャーナリスト)
…「普天の下、率土の浜、一人として君恩に浴せざるはなし」
私たちの世代には、これが平成の今日でも、すんなりと理解できる。
国のあまねきところ、いかなる辺土にいようとも、天子さまの御恩は雨あられと降り注ぐ。
まあ、そういう意味である。
これを言い換えれば御稜威(みいつ)である。国語辞典には「神、天皇などの威光、威徳」とある。
それは、どしゃ降りに降るわけではない。春先の温かい小雨のように音もなく降るから、民は気付かぬうちに、
しっぽりと濡れている。逃げようがない。また天長節の歌に「光遍(あまね)き君が代を」という通り、天から
やんわり射してくる光に似ていて、それは卒業式に国歌を歌わず国旗にも頑として
着席したままの教師の頭上にも射す。それが御稜威。
…天皇は国家鎮護と国民の安寧を祈願して、東大寺の大造営工事を行った。
天皇は日本の祭司として、神道だけでなく仏教においても、昔からそういう役割を果たしてきた。
民は千三百年の後も、遺徳を偲び過去帳を読み上げている。
奈良の東大寺で読むのなら、皇室の菩提寺である京都・東山の泉涌寺(せんにゅうじ)でも、
当然ながら歴代天皇の御名前か戒名を読み上げているはずである。
天皇家は日本の民が営んできた各自の家の筆頭の家として、一般の家と同じように葬祭を行ってきた。
千三百年の昔、すでにそうだった。
…天皇・皇后をはじめ国民が貴賤を問わず一堂に会し、古代いらいの詩形で詠まれた詩の朗唱を聞く。
広い世界に、これほど「開かれた」形で伝統文化を守っている国が、他にあるだろうか。
皇太子妃・雅子さんは、今年も歌会始を欠席された。
私は残念に思うが、さりとてジャーナリズムの報じる彼女の一挙手一等足を、いちいち咎める気にもなれない。
皇室の伝統は、その一員の行動によって乱されるほど短くも浅くもない。
多くの日本人は皇室を仰いで、そこに日本がずっと昔から続いてきたこと、
この先もずっと続くであろうことを感じて、自信を持つ。

■定例御参内にお供して 中島宝城 (歌人)
…昭和55年4月29日、天皇陛下(昭和天皇)の御誕生日のお題は「木蓮」であった。
 木蓮の直(なほ)きつぼみを温めて この春の日も風は過ぎゆく
天皇陛下の御人柄が心にあって、自然に出て来た歌であった。
それから程なく、東宮御一家が吹上の御所に参内され、
両陛下と御夕食を共にされる「定例の御参内」(当時は、毎週一回行われていた)にお供した時のこと、
そのお帰りの車中、皇太子殿下が後の御席から、「今日は、とても嬉しいことがありました。お上(天皇陛下)が、
『今度、東宮さん(皇太子殿下)の侍従がこんな歌を詠進してくれた』とおっしゃって、
中島さん(今も、天皇陛下は、職員の名前を「さん」付けでお呼びになっている)の
歌の短冊を御部屋からお持ちになって、嬉しそうにお見せになった」と、おっしゃったのである。私は感激した。
天皇陛下が私の歌をしっかりと受け留めて下さった。それを皇太子殿下がこんなに喜んで下さっている。
そして、皇太子妃殿下もご一緒に喜んで下さっている。
…宮中の祭祀は、日本国憲法の政教分離の規定により、天皇の私的な行為として解釈運用されている。
しかし、宮中の祭祀は日本創世の神々と御先祖に畏敬と感謝の念を捧げ、
国の平安と国民の幸せをお祈りになる祭事(まつりごと)である。
決して、私の事ではない、公の事である。
そして、また、天皇がその祈りの心をもって歌(御製)をお詠みになることも。
この祈りと歌こそが、天皇の山谷なすいろいろの御務めの根本にあるものである、と私は思うのである。
…天皇の祈り、そして歌は、人類普遍の原理を謳う憲法や宗教や道徳とは異る、何か大きなもの、
日本の文化(日本人の生き方、その感性、美学)の根底に在るものではないのか。
これを外した「有識者」の皇室論や「数字」の世論には、不毛を感じるのである。

■あえて臣下の分を越えて 中西輝政 (京都大学教授)
…中でも、この二十年を通じて国民の眼に最も深く印象づけられてきたことは、
天皇・皇后両陛下が皇室の伝統を守り国家・国民の安寧をひたすら願い、
日々のお務めを果たしてこられた、まことに真摯な御姿ではないだろうか。
その、両陛下のひたむきな姿勢に感動を覚えない日本国民は、今や一人としていないだろう。
またそこには、わが国における天皇の伝統的な精神像が見事に体現されており、
「ああ、これこそ日本の天皇の本来の御姿だったんだ」と、戦後生まれの私の世代の多くの日本人にも、
理屈ではない素直な感動を呼び起こしてくださっている。
…ただ、近年、この慈しみ豊かな我々の天皇像のどこかに
「憂い」を含んだ陛下の御表情を重ね合わせ感じ取ることが多くなったのは私だけではあるまい。
そこには、やはり皇位継承の問題が横たわっているのでは、と拝察する。
たしかに一昨年、秋篠宮家に悠仁親王の御生誕を見たことによって、ギリギリのところで「女系天皇」という、
わが皇室始まって以来の危機状況は一旦は回避された。
しかしこの問題は、戦後の占領期に外国勢力によって皇位継承と皇族制度が
強権的に改変させられたことに源を発していると言わざるを得ず、
その基本的な解決にはやはり何らかの形で旧宮家の御復帰を願うしかない。
この点では、大局的に見て、解決の方向は今や明らかになりつつあると言ってよいのではないか。
勿論、この問題も最終的には天皇陛下と皇族の方々の御意思によって決せられるべきことであるが、
そのためのきっかけを提供するのは、現在の制度の下では政府と国民の責任にかかっている。
従って問題は我々の見識と自覚が問われていると言うべきであろう。
ただもう一つ、ここであえて臣下としての慎みを超えて直言申し上げたいことがある。
それは言わずと知れた「皇太子妃問題」である。
周知の通り現在、同妃の公務復帰について様々な問題が未解決のまま国民の不安と懸念の的となっている。
その原因と解決法については様々な議論があり、それはそれで、それぞれに考えがあってよい。
ただ一点、揺るがせにできない重大問題は、
同妃が宮中祭祀のお務めに全く耐え得ない事情があるかに伝えられることである。
もし万々一、このことが事実であるなら、ことは誠に重大であり、
天皇制度の根幹に関わる由々しき問題であると言わざるを得ない。
…すでに巷間の一部には、「これを機会に宮中祭祀を廃止したらどうか」という声すら挙っている。
勿論、それは皇室の伝統と将来を真摯に考えようとしない全くの暴論である。
しかし万一、事態がこのまま推移するなら、事は更に重大な局面に至る憂いなしとしない。
皇太子妃におかせられては、このことを是非深く御自覚頂き、特段の御決意をなされるようお願い申し上げたい。
もはや、平成の皇室の課題は、一に懸ってこの点にあると言っても過言ではない。
もし万一、皇太子妃をめぐる右のごとき問題が今後も永続的に続くのであれば、
今上陛下の御高齢を慮り皇室の永続を願う立場から敢えて臣下の分を超えて申し上げたい。
同妃の皇后位継承は再考の対象とされなければならぬ、と。
最後にもう一度、敢えてこのようなことを申し上げ、宸襟(おおみこころ)を悩まし奉ることになれば真に
恐懼(きょうく)の至りなのであるが、皇室の永続を願う一臣下として東宮家に是非共、諫言申し上げる次第なのである。

■福田内閣総理大臣閣下へ 西尾幹二 (評論家)
…皇太子妃殿下のご病気とそれに伴う平成15年9月からの宮中祭祀のご欠席、
他の皇族方がご出席になる一般のご公務の頻繁なるご欠席
――国民の間にも種々取り沙汰されているこの事実は、すでに妃殿下一個人の問題ではなく、
国家の問題、国家的レベルで解決されるべき政治問題であると考えられるが、閣下はそのような認識をお持ちであろうか。
…妃殿下のご病状については平成16年7月に「適応障害」との発表があったが、今もなお病名は同一のままであるのか。
「適応障害」の診断がついた場合、一般的には外出さえ億劫な体調になると聞く。
事実、妃殿下も当初はそのようであったが、現在の妃殿下の「私的外出」が
他の皇族がたよりも群を抜いて多いのはどうしてなのだろうか。
…また、医師の説明によると、「適応障害」を治すには患者の置かれている環境の解消が
なによりも必要であるとされる。とすれば、皇室に身を置くこと自体が病気の要因となっている。
病気の治療を優先させるなら、患者のご身分に並々ならぬ重大な変更を余儀なくされる場合も
可能性の一つとして想定せざるを得ない。総理大臣閣下が
一個人の治療の問題としてこれを考え、国家の問題として考えないとしても、
必然的に皇室会議の招集を求めざるを得ない国家レベルの課題に直面するより他に解決の道はないのである。
…雅子妃殿下の主治医大野氏は、妃殿下の妹夫婦の知り合いで、
妙なことに同氏に対し報酬が支払われていないとも聞く。
妃殿下の母親と妹夫婦の一家と大野氏は、皇太子一家のスキーなどの行楽に同行し、
病気治療の名において、皇族と一般人との垣根を取り払った遠慮のない交際が国民の目にさらされている。
若き日の今上陛下と美智子皇后のご一家が、皇后のご実家の方々との交際に
厳しい節度と垣根の枠をはめていたのと著しい相違をなしている。
そこで閣下にあらためてうかがうが、妃殿下のご病気は国家の問題であるのに、
まるで民間人のように、知り合いの主治医がすべてを私的に扱い、好き勝手な判断をしてすませていることに、
宮内庁長官も東宮大夫も責任を感じていない。これをどうお考えになるか。
彼らは全員がこぞって天皇制度という公的なものを傷つけているのである。
というのは、一人の主治医が情報を独占して他に秘しているのは、
何か伏せられた別のご病気があるせいで、宮内庁も東宮御所も承知で匿(かく)している共犯者ではないか、
という噂はすでに千里を走り、
ご病名までまことしやかに語られているが、こういうことは皇室を傷つける動きではないのか。
総理大臣のご処置をお願いする。 …

■武道館を覆った国民の熱 平沼赳夫 (衆議院議員)
小泉内閣の時、皇室典範に関する有識者会議が、首相の私的諮問機関として、官邸に設けられた。
私は新聞でその人事を見て吃驚(びっくり)した。十名からなるメンバーは、それぞれ立派な人々に違いないが、
長い伝統と文化と歴史の皇室を論ずるにはどうも相応しくないと感じたからである。
…有識者会議では議論が開始され、その結論が出た。それは女帝のみならず女系も認め、
皇室の養子も認めるという驚天動地のものであった。
われわれ保守の者達は大変な危機感を持ち、先ず憲政記念館で一昨年の一月、国民集会を開催し、
角界各層から断固伝統を守るべきだとの意見をいただいた。
有識者会議の結論に関し、小泉首相は「良い答申をいただいた。
来(きた)るべき通常国会で閣法で議決をしたい」と述べ、
記者からの質問に、「当然、郵政民営化法案と同じように党議拘束をかける」と言い切った。
われわれの心配はつのり、その年の三月に日本武道館で大国民集会を開き、世論に訴えることになった。
日本のご皇室はまか不思議なご存在で、二月には秋篠宮紀子妃殿下、ご懐妊の報道が流れた。
これは本当に大きな出来事であった。われわれの大国民集会に関し、
マスコミは武道館の四分の一位の四千人も集まれば上出来だろうと、大層ひややかであった。
だが当日、私は日本武道館の壇上に立って、身体中がうちふるえるのを覚えた。
一階のアリーナ席、二階、三階、すべて超満員で、その総数、一万三百人であった。
私は日本人は有難く、全く凄いと感嘆した。ことご皇室のこととなると全国からこれだけの人が集って下さる。
素晴らしいことだと思ったのである。
この大国民集会でも様々な意見の発表があったが、
私はイスラエルのヘブライ大学教授のベン・アミン・シロニ―氏のメッセージが最高だと思った。
確かに現代は男女同権が当り前で、女帝の議論もここから出て来ているに違いない。
シロニ―教授は先ず、全世界に十億を超えるカトリック信徒が存在するが、
ローマ法王が男子に限られることに誰も異を唱えない。
自分はイスラエル人でユダヤ教の信者であるが、ユダヤ教のラビは男から男に伝えられ、
これにもユダヤ教の信者は全員納得している。
男女同権は守るべきものだが、その存在が伝統であり、歴史であり、文化であれば、
当然、守るべきものは守るべきだ。
日本の皇室は、全世界、唯一、百二十五代続いているお家柄でないか、
この歴史、文化、伝統こそ日本人は守るべきだと力強いメッセージだった。
現在、改革をするのが政治家のごとくいわれており、改革すべきものは大胆にやるべきと思うが、
保守政治家ならば、守るべきものはしっかりと守っていくべきと私は思っている。
其後ご承知の通り、紀子妃殿下は無事、悠仁親王殿下をご出産、まことにお芽出度い限りである。
…戦後マッカーサー元帥によって十一の宮家が廃絶された。この元宮家には男系の血を引く元皇族の方々がいらっしゃる。
私はわが国の伝統、文化、歴史をしっかりと守っていくうえに、
男系の方々の養子を皇室典範上、お認めしても良いのではないかと考えている。
日本のあるべき姿をしっかりとお守りすることが、本当に大切なことと私は信じている。

■平成皇室は世界の最先端 広岡祐児 (ジャーナリスト)
…つまり、いまや西洋の国王は急速に国と国民統合の象徴の方向に進んでいるのだ。
その点で、軍事や政治を超越し、しかも巨万の富を持たず謙虚で、
国民とともに歩む平成皇室は、現代の世界の王室の最先端にあるといっても過言ではない。
もっともこれも故なきことではない。すでに千四、五百年前には「大王」から「天皇」にかわり、
律令制度で現代ヨーロッパの立憲君主制の国王に匹敵する存在になっていたのだ。
それを一気に「大王」の時代に戻したのが明治の日本だった。そうなると当時の西洋の国王のあり方と同じだから、
近代化もスムーズにいった。しかし、代償は大きかった。
つい忘れがちだが、天皇と皇室制度は明治時代に大きく変質したのだ。
この特殊な時代に終止符を打ったのは、ほかでもない、昭和天皇ご自身であった。
昭和21年の年頭詔書は、昭和天皇が人間になったのではなく、大日本帝国皇帝が天皇に戻った宣言である。
そして、五箇条の御誓文に立ち返って日本の皇室の伝統と近代化の融和をやり直す作業は皇太子(今上天皇)に託された。
今上陛下は、典型的な戦後のモダン青年で、英国型の帝王学で訓育されたが、けっして外国かぶれにならず、
打算のない対等の友人関係の中で長所のみをとりいれ、見事にそれを成し遂げられた。
しかも平和と民主主義と経済繁栄という日本が経験したことのない時代に。
一方、かつては昭和天皇や戦後の日本が範とした英国王室だが、伝統と近代化の融和という流れの中で、
無残な現状を呈している。翻って日本の平成皇室の功績は明らかである。
まさに世界に比類のない国の品格と国民統合の象徴であると言えるのではないか。

■サブカル化する平成皇室 森暢平 (成城大学准教授)
雅子妃の療養以後、皇室は大きく変質してしまった。
いや、もっと前に変わっていたのだが、それがだれの目にも明らかになった、と言い換えてもいい。
…こうした時代の皇室は、国民の規範であることが難しくなっている。
「私たち」のあるべき姿を皇室が象徴しなくなってしまったためだ。
天皇が何かを象徴した時代の終わりを、私は、あえて「象徴天皇制の終焉」と名づけた。
冒頭で、皇室の変質と言ったが、正確を期せば、皇室を受容する「私たち」の側の変質である。
両陛下と東宮夫妻をめぐる「確執」報道をみても、皇室の変質は実感できる。
外交の仕事や個人の暮らしを大事にしたい
東宮夫妻と、それに苦言を呈する両陛下の“対立”の構図。
それが、公式な記者会見において、公に露呈してしまう事態は、これまでならあり得ない。
むろん、世代の違いによる意見の相違はいつの時代にも、どこの家庭にもある。
現に、昭和天皇夫妻と、貞明皇后は、考え方の違いから、うまくコミュニケーションがとれなかった時もある。
嫁入り直後の美智子妃にも、嫁姑の確執はあり、それは、さまざまな経路で語られた。
だが、公式な情報伝達チャンネルを通じて伝わることはなかったのである。
これはメディア環境の変化という要因もある。少し前までは、
地方への行幸啓を、日の丸をもって大歓迎する地元道府県民の姿は、
新聞、テレビを通じて増幅された。歓迎しない人がいたとしても、
それはメインストリームメディアからは黙殺された。
「ないこと」か、あったとしてもごく一部の人たちの行動と受け止めることができたのである。
ところが、現在、ネット上では皇室をめぐりさまざまな言説が繰り広げられている。
地方訪問は「交通渋滞になるだけ」「過剰警備は税金の無駄」という批判から、
「諸君!」読者にはとてもお伝えできない「不敬」な語りまで…。
「それはけしからん」という立場もあろう。だが、そうした状況はすでに蔓延しており、
いかんともしがたいところまで来てしまっている。
こうした時代に皇室がどう対応するのかは、難しい課題である。現在の在り方を根本的に考えなおさないと、
ある時、一気に瓦解する可能性さえ秘めている。
だが、肝心な宮内庁はじめ政府が何も考えていないのが、非常に気にかかる。

■先帝ご不例の夜の慄き 谷部金次郎 (元宮内庁大膳課)
…闘病の最中、ご気分の宜しい時もおありになり、ある日、葛湯をご所望になりました。
その時も私が当番に当たっておりまして、吹上御所へ伺い、お作り致しました。
…その後、お見舞いに訪れた五女の島津貴子さんに
「おいしかった。葛湯の時間は何時だ」と尋ねられたというエピソードが報じられたことを思いだします。
私のような平社員では、なかなか陛下にお目にかかる機会はありませんが、御用邸ではその機会も少しだけあります。
御用邸でご静養されている時は、昭和天皇がとてもリラックスしておられる感じがしました。
つかの間の休息を御用邸で過ごされるのがお楽しみだったようです。
お食事の折、隣の部屋で控えておりますと両陛下の会話が聞こえてまいります。
その日散策なさった時の出来事や、お孫様のお話などお声も弾んでいたのを思い出します。
特に記憶力が優れている陛下は、「去年はまだ花は咲いてなかったのに、今年は咲いているね、少し早いね」
「あそこの木が枯れてしまったね。どうしたのだろう」などと、
次から次へと思い出しながら会話をされておられました。
時にはその日にお出しした料理のことなども話題にされ、「これはこんな風にした方が美味しいね」などと仰り
、脇で伺っていて、おおいに参考にさせて頂いたものです。
普段、お好みの味などはお口に出さない方なのでお好みの味を摑むまでは大変でした。
それでも、「今日のはおいしいね」というお言葉を伺うと、小さくガッツポーズしたことを思いだします。
今上陛下が皇太子時代に、御一家お揃いで毎週金曜日の夜、
吹上御所へ御参内されるのも、昭和天皇は大変楽しみになさっていました。
浩宮様、礼宮様、紀宮様たちもまだ小さかったので、とてもにぎやかにお食事を楽しまれておられました。
普段のお食事はどちらかというと、とても質素だったと思いますが、お子様もお見えになることから、
もう一品、お子様の好まれるような物を必ずお付けしておりました。
お子様方が小さなお土産などを持参されると、昭和天皇がことのほかお喜びのご様子であることが、
もれ聞こえるご家族の会話から想像出来ました。
たまにある食材の献上品などは数回に分けてお使いし、何回もお楽しみ頂けるように工夫をしておりました。
そんな時は、「まだあったの」と、大変お喜びになられました。
これも献上された方への心遣いかなと、勉強させられました。
陛下の御前で天ぷらを揚げるということも、しばしばありましたが、体が固まってしまい、上手く揚げることが
できなかったことや、ご飯の釜のスイッチを入れ忘れお待ち頂いたことなども懐かしく思い出されます。 …

■傷ついた心を癒す祈りの力 山内昌之 (東京大学教授)
いまの天皇と皇后は、皇室とは「祈り」であると考えておられるようだ。
これは、宮中祭祀が祈りに通じるといった一般的な問題からではない。
悲惨な戦争体験と犠牲者への痛みをもちながら、
現在社会において恵まれない立場に追いやられがちな障害者や孤独な老人など弱者への自然な共感が、
平和への願いをこめた「祈り」という言葉で表されるのだろう。
お二方の特質でいちばん目立つのは、おそらく公私の区別という意識がほとんどないことだろう。
公私がないとは、象徴天皇が法の矩(のり)を越えて政治行為に関わるというレベルの事柄を指すのではない。
公の義務を私の願望よりも自然に優先させる作法が身についておられるということなのだ。
いや、そもそも私の御関心を優先させるという発想そのものがないのであろう。
こうした感性の基礎にあるのは、深い良識と教養の広がりにほかならない。
…天皇と皇后のお二方における私という意識の希薄さは、善き日本人として際立った特質にほかならない。
憲法に定められた象徴天皇としての義務感、長年にわたる祭祀と伝統行事で培われた国民への責任感、
生得の御人格と日常の自覚的な御努力などが渾然一体となって、独特な存在感と挙措がつくられたのであろう。
…多くの人びとがもつお二方に対する敬愛の念は、
自分たち市民には欠けがちな無私を貫くお二方の姿勢に国民として誇りと尊敬心をもっているから自然に湧き起こるのだ。
未来の天皇と皇后になる皇太子ご夫妻にいちばん継承して欲しいのは、この「祈り」の意味と無私の価値なのである。

■「おしまい」派、敗れたり 山下晋司 (元宮内庁報道係・「皇室手帖」編集長)
…宮内庁は「お気持ち」という言葉をよく使うが、「お気持ち」は個人の感情であり、「私」に通ずる。だが、
陛下の「お気持ち」は本当の意味での「私」ではなく、天皇としての「公」から発せられていることは、
今や国民側は重々承知している。宮内庁もその「お気持ち」に頼っている面が多々ある。
しかし、天皇が常にそうだとは限らない。「私」を大きく感じさせたり、
信頼できない天皇の場合、国民はそれをどう受け止めるのだろうか。
皇室典範改正論議の際、女性天皇=敬宮殿下、のような目先の話になることを考えれば、
天皇として好ましくないという考えが天皇そのものが不要といった議論になりかねない。
「天皇」を陛下の人格に頼れば頼るほど、天皇制は皇位継承の問題だけでなく、
存在自体が困難になると思えてならない。
陛下は三歳でご両親から離されてお育ちになった。その後、ご結婚されてお子さま方と一緒に過ごす「家族」を持ち、
それを大切にされた。昭和時代はまさしくその種の報道が多かった。
しかし、陛下は皇太子時代も、天皇となっても、「公」を重んじ、庶民レベルの「私」はなかったといってもいい。
平成16年5月に皇太子殿下のいわゆる人格否定発言があった。
その年の12月のお誕生日会見で陛下は殿下から発言内容について何回か話を聞いたが、
理解しきれないところがあるとおっしゃり、
殿下のいう新しい公務についても無責任でない形で行わなければならないとおっしゃった。
また、「時代に即した公務」が具体的にどのようなものを指すかを示し、
少なくともその方向性を指示して、周囲の協力を得ていくことが大切だとおっしゃった。
公の場でのご発言なので、お話し振りは柔らかく、殿下への気遣いも感じられるが、内容自体は厳しいものである。
こういったご発言が陛下の「公」を重んじる姿勢を皮肉にも証明したのではないだろうか。 …

■絶妙のバランス感覚 八幡和郎 (評論家・徳島文理大学教授)
…こどもたちの歴史教科書でも「邪馬台国」とか「卑弥呼」などが国の始まりのように書いているが、
「日本国家」はそんなものの存在を記憶さえしなかった。
邪馬台国は日本民族がつくり、日本列島のどこかにあったクニかもしれないが、
日本国家はその外交も内政も継承していないのだ。
日本国家は、のちに神武天皇と呼ばれる人物が九州からやってきて
大和の地に建てた小さなクニが成長してやがて統一国家に発展したのであり、
外交世界への初登場はやはり後世の人が神功皇太后と呼ぶ女性に導かれた朝鮮遠征であって、
それ以降の外交についてのみ、現在の日本国が権利も責任も継承しているのである。
「万世一系」などというと時代錯誤に思う人もいるが、日本国家の歴史が皇室の歴史とイコールだという強固な
正統性に裏付けられた高い安定性を日本国家が持つことは軽いものではないし、
歴代天皇は必死の思いでこの正統性を護ってこられたのである。
…今上天皇は即位に際して「日本国憲法の規定に則り」という言葉を使われた。
FIFA日韓ワールドカップに当たっては、桓武天皇の母である高野新笠を通じて百済王室の血を受けているという
「ゆかり発言」が韓国で好感を持って受け取られた。
あるいは沖縄について「島津の血」を引く者として内心忸怩たる思いがあることを語られた。
「君が代」斉唱を強制することへの疑問を投げかけた発言も話題を呼んだ。
こうした一連の姿勢に、違和感を感じる人もいるかも知れないが、
アジア諸国民などの間に存在する皇室に対する反感を和らげるものとして大きな意味を持った。
だが一方で、今上陛下が「祈り」を重視され、伝統的儀式に熱心に取り組まれているのも周知の事実である。
あまり知られていないが、歴代天皇の御位牌がある泉涌寺に代表される皇室との関わりの深い寺院を訪問される
ことも多い。また、被災地への訪問なども好感を持って迎えられているし、
公務についてのストイックな姿勢は一貫したものである。
おそらく、陛下ご自身、皇太子としての長い準備期間のなかで、
いかなる天皇であるべきか熟慮を重ねられたうえでの、
まさに満を持しての即位であったことにふさわしい立派なお振る舞いというべきであろう。
だが、こうした陛下自身の個人的資質に寄りかかった皇室制度には不安がある。皇位継承問題にしても、
もっと早くからあらゆる状況を想定しての検討と準備をすべきなのに、
いきなり具体的な議論に入ったために混迷してしまった。 …

■問題は「象徴性」の欠如 ケネス・ルオフ (ポートランド州立大学助教授)
…皇位は、男子によってのみ継がれる。法の上ではそうだが、
現代の皇室には、その制度の維持を可能ならしめる仕掛けが存在しない。
男の嗣子を何人も用意しておくための王子グループが少ない。
さらに男子誕生を補佐するための側室、または豊かに枝分かれした皇族がない。
…日本の皇室は、維新いらい一貫して、傷病者を救う慈善事業を支援してきた。だが、その支援は、取り残された
人々を収容する施設を建てるなど、結果的には社会の主流から隔離する方向に向かうものが多かった。
天皇・皇后はそういう人々を、なるべく主流の中へ取り込み、包み込む努力をしたのである。
天皇と皇后は、公務を通じて、何本もの象徴的な糸で国民と結ばれてきた。
ところが皇太子と皇太子妃は、男子皇統を得ないトラウマを抱きつつ、座したまま中年になった。
敢えて皇太子徳仁の「独創性」を探せば、それは史上初だが今日の世間一般の風潮とピタリと一致する行為
――つまり愛子さまを育てる仕事に没頭する父親像を生きたことだろう。
気の毒なことに彼の生活は「男の子が生まれない」という最大問題によって、完全に包摂されてしまったのだろう。
皇太子妃雅子は、宮内庁にいじめられる可哀相な被害者、
公務より私生活を優先するエゴイストと、二通りの見方をされてる。
いずれにせよ彼女の象徴性は、天皇家が信念を持って果たしてきた明確な社会的役割とは、似ても似つかぬものである。
皇太子夫妻は、皇族の歴史に自らの存在証明を刻むまでに、あと四十年から五十年かかるだろう。いずれにせよ
彼らが次の天皇・皇后であることは間違いない。
お二人は思い切って、社会的に有意義な仕事に皇太子・皇太子妃としての努力を注ぐ道を決心なさるべきだろう。 …