日本よ「祭司たる天皇」

石原慎太郎エッセイ 日本よ
産経新聞2006年2月6日 

「祭司たる天皇」
最近になってにわかに天皇の皇位相続についての議論がかしましいが、この問題を論ずる前に国民にとって
そも天皇なるものはいかなるものなのかを考えなおす必要があるような気がする。
敗戦後から今日に至るまでの時代において、日本国民にとっての天皇の意味を示したものは主に憲法だろうが、
その第一条に『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く』とある。

この起草者が日本の歴史と文化をどれほど確かに踏まえてこの文を綴ったのかは定かではないが、
象徴というわかるようでわからぬ言葉にこめられたもの、またこめなくてはならぬものについて、
今の日本という開かれた市民社会の中でもう一度確かめなおす必要があるのではなかろうか。

憲法に『国民統合の象徴』と唱われている限り、天皇制の存在は日本という国家社会にとってのいわば
アプリオリ(先天的)なのだろうが、ならば天皇は何ゆえに国民統合のための何の象徴なのか、
なぜに象徴足り得るのかを。

憲法には思想と信教の自由が保証されているが、国民の中には共産党やその共鳴者のように
天皇制そのものを否定してかかる者もいようがそれはさておいても、
個々人の信条に強く関わる信教に関しての自由が保証されている限り、
憲法の建て前からすれば天皇の存在は国民個々人の信仰の違いとは矛盾してはならない筈である。

しかしながら私は天皇こそ、今日の世界に稀有となったプリースト・キング(聖職者王)だと思っている。
人類の歴史の中に同じものを探せば、古代エジプトのファラオに例を見ようが、現今の世界には他に例がない。
さらにいえば天皇は神道の最高の祭司に他ならない。
ならば神道もまた宗教の一つではないかという反論があろうが、
私には神道は宗教というよりも日本人の心情、感性を表象する日本独特の象徴的な術だと思われる。

その根源は日本という変化の激しい特有の風土にまみえてきた古代人が、
自然への畏怖と敬意と賛仰をこめて編み出した、万物に霊性を認めるアニミズム(精霊崇拝)の上に
成り立ったシャーマニズム(予言など超自然的存在との交流による宗教現象)にあった。
そうした汎神論はたとえば那智の滝を御神体として祭った那智大社別宮飛滝権現神社であるとか、
三輪山そのものを祭った奈良の大神(おおみわ)神社の存在に如実に表れてい、その集大成が伊勢に他なるまい。

私はかつて、熱心なカトリック教徒である曽野綾子さんが伊勢を訪れた折の感動を記した文章に強い印象を覚えた。
彼女はその中で伊勢こそが日本人の感性、精神の原点だと悟ったと記していた。それは優れた芸術家の感性を証す、
宗派などという人間が後天的にものした価値観や立場を超えた、
人間たちの在る風土が育みもたらした人間にとって根源的なものへの真摯で敏感な認識に他なるまい。

日本の風土が培った独特の汎神論はその後伝来した、これまた他の一神教と異なり多様な聖性を許容する
仏教と容易に混交融和して今日の日本人独特の、決して宗教的なものにとどまらぬ、
いわば融通無碍(むげ)な価値観とさらにそれに育まれた感性をもたらした。

そしてそれについて、一神教がその大方を支配する今日の世界の狭量な価値観の対立と混乱を予測したのか
アインシュタインやマルロオのような優れた感性の識者は、日本人の価値に関する感性こそが
人類の救済に繋がるともいっている。そしてその感性の表象こそが神道なのだ。
その限りにおいて神道は宗教の範疇を超えた日本人の価値観の表現の様式であり、
民族としての自己表現の有効な一つの手立てに他ならない。

そしてさらに、天皇は本質的に宗教というよりも、宗教的しきたりも含めて
日本の文化の根源的な資質を保証する祭司に他ならない。過去の歴史の中で天皇はさまざまな形で
政治に組みこまれ利用もされてきた。武士台頭以前の時代には公家支配の核とされ、
近代にいたり軍閥跋扈の時代には大元帥として軍事の統帥者とされ、太平洋戦争時には人間ながら
現人神(あらひとがみ)にさえされてしまった。

それらの時代を通じて天皇に関わる事柄として日本人が一貫して継承してきたものは、
神道が表象する日本という風土に培われた日本人の感性に他なるまい。
そして天皇がその最大最高の祭司であり保証者であったはずである。

私がこの現代に改めて天皇、皇室に期待することは、
日本人の感性の祭司としてどうか奥まっていただきたいということだ。
戦後からこのかた皇室の存在感の在り方は、宮内庁の意向か何かは知らぬが、
私にはいささかその本質からずれているような気がしてならない。
たとえば何か災害が発生したような折、天皇が防災服を着て被災地に赴かれるなどということよりも、
宮城内の拝殿に白装束でこもられ国民のために祈られることの方が、
はるかに国民の心に繋がることになりはしまいか。
その限りで私にとって天皇が女性であろうとなかろうと関わりないことと思われる。

その故にも、以前にも記したが天皇陛下には是非々々とも靖国神社にお参りしていただきたい。
それは「靖国」が決して政治問題などではなしに、
あくまで日本の文化神髄の事柄なのだということを内外に示す決定的なよすがとなるに違いない。
http://www.sensenfukoku.net/mailmagazine/no44.html