天皇家の亀裂

文藝春秋2007年3月号
天皇家の亀裂 雅子妃の孤独
美智子皇后から雅子妃への厳しい御言葉、憔悴する天皇。
鍵を握る皇太子の決断は――
岩井克己(朝日新聞編集委員)
福田和也(文芸評論家・慶應大学教授)

福田
まず、十二月の天皇誕生日の会見で
「残念なことは、愛子は幼稚園生活を始めたばかりで、風邪を引くことも多く、
私どもと会う機会が少ないことです」という文言がありました。
家族間の事情について言及されることが極めて少ない今上としては、異例といえる。
これは、皇太子家に対して、コミュニケーションが足りないという、お怒りを表明されたと考えるべきなんですか。

岩井
お怒りというのは言いすぎかもしれません。
その後に続けて「いずれは会う機会も増えて、
うち解けて話をするようになることを楽しみにしています」という結びになっています。
ただ、当初の文案はもっと厳しい表現だったという話もあります。
天皇陛下は毎年、生物学研究所周辺で稲などを育てられますが、
昨年四月の陸稲の種蒔きに、東宮家がはじめて愛子さまもご一緒に手伝いに来られたんですね。
そのご様子を見た側近が、「陛下と愛子さまが笑顔で言葉を交わされた」と、
涙ぐまんばかりに喜んだと聞きました。
私は逆にショックを受けました。
愛子さまが四歳半になるまでそのような場面がなかったのか、と。

福田
交流そのものがないのですか。

岩井
皇居に東宮ご一家がいらしてのお食事や、御用邸の中などは側近も入らない空間ですから、
祖父と孫の交流がなかったとは言えませんが、
少なくとも、側近が見ているような場面では初めてだったわけです。
十二月にも、こんな場面がありました。
宮内庁職員組合の文化祭に、愛子さまが、紙粘土に葉山で拾った貝殻を埋め込んだ、
宝箱と写真立てを出品されたのですが、
両陛下はご覧になれなかった。そこで東宮職がお手元に届けると、
両陛下は「良くできていますね」と喜ばれながらも
天皇陛下は「でも本人が持ってきて見せてくれればもっとよかったのにね」とおっしやったそうです。

福田
対照的に、秋篠宮家の眞子さまと佳子さまは、お二人だけで皇居をたずねることもあると報じられていますね。
昨年九月には、秋篠宮家に悠仁親王が誕生されました。
皇位継承問題に、ひとまず一世代の猶予が与えられたわけで、このぎりぎりのタイミングには
皇室の底力を見せられた思いですが、天皇のご心痛はずいぶん和らいだのではないでしょうが。

岩井
悠仁親王が誕生された日の、天皇陛下の笑顔は忘れならないですね。
ちょうど北海道で国際会議に出席され、会場からの「おめでとうごさいます」という声と拍手に、
「ありがとう」とお応えになった。長年の閉塞ん゛和らいだのでしょうか。風穴が開いて、
肩の荷がすーっと軽くなったような、二十年で初めてみるお顔でした。
ただ、秋篠宮家は、悠仁さまの誕生後は、皇居をお訪ねするのが減った印象があります。
悠仁親王を連れて来られる機会もけっして頻繁とはいえません。
生まれて間もないということもあるのでしょうが。

岩井
悠仁親王の誕生は、きわめてデリケートな問題を含んでいます。
四年前に、当時の湯浅利夫長官が「秋篠宮家に第三子を希望したい」と発言したときも、
私はとっさに「第三子が男児の場合、皇位継承問題が複雑化しますが」と質問しました。
今後、皇太子ご夫妻に男子誕生があった場合、
その親王は、悠仁親王はもちろんのこと、秋篠宮さまよりも皇位継承順位が上になる。
秋篠宮家は、この何年かは、いわば宙に浮いた状態なわけです。

福田
だから「ご遠慮」するしかなかったのですね。

岩井
天皇陛下の発言を聞くにつけ、愛子さまのことで気になるのは、
雅子妃のご実家の小和田家との距離が近いことです。
小和田さん夫妻はオランダ在住ですが、帰国時は東宮御所に来られますし、
妹さんやそのお子さんは、愛子さまの遊び仲間でもあり、ディズニーランドにも一緒に行かれた。
昨年のオランダ静養の折にも、女王のお城に小和田家が合流したり、
皇太子ご夫妻がハーグの小和田邸を訪れたりしています。
両陛下はこうしたことを聞いて、同じ東京で車で十分ほどの距離にいる自分たちに、
愛子さまが打ち解けない状況を、淋しく思われているのではないか。
雅子妃の小和田家との距離は、これまでの美智子皇后と正田家、
あるいは香淳皇后と久邇宮家にくらべても、かなり近い。
やはり「文藝春秋」で書かれたように、
「皇居に行くと具合が悪くなる」という雅子妃の状況があるからなのか、と思えてしまいます。

福田
東宮妃の実家に関していえば、これまでの皇室で問題がなかったわけではありません。
美智子皇后のご実家が悲痛なほど禁欲的だったのはよく知られていますが、
その前の香淳皇后の父、久邇宮邦彦(くによし)王は東宮御所に頻繁に来すぎるとか、
久邇宮家の別荘を建てるのに皇室に費用を求めたとかで、貞明皇后の怒りを買っている。
昭和天皇の即位後すぐに、邦彦王が亡くなったので、問題にならなかっただけでしょう。

福田
小和田家のケースも、雅子妃がご病気になってからの緊急措置という面もあるのではないでしょうか。
私は軽井沢の小和田家別荘での静養も、ごく自然なことに見えたんですが世代的なものかもしれません。

岩井
しかし、皇室の場合はいかがなものか。自分たちの言動が、
国民からどう見られるか、深く考えなくてはなりません。
たとえば、昨年十二月の誕生日に雅子妃が感想を文書で発表されましたが、
悠仁親王の誕生について「愛子にもかわいらしい従兄弟が
新たに一人できましたこともうれしく」という部分があった。
東宮大夫に「イトコの表記はこれでよいのですか。従姉弟では」と尋ねると、
平仮名も「いとこ」に訂正されました。
もし「従兄弟」のまま発表それれば、眞子さまと佳子さまを差し置いて、
雅子妃の妹さんの男の子のことしか念頭にないのか、と批判されかねない。
些細なことであっても、皇室は言葉を重んじるところですから、
いろんな角度から配慮を重ねるべきだと思うのです。

福田
昨年十月の、皇后陛下の誕生日に際しての文書回答も、危機が深まっていることを感じました。
たとえば雅子妃のオランダ静養に関して、「この旅行後、東宮妃の健康状態に改善がみられるように思う、
と語られるのを耳にし、安堵し、嬉しく思いました」という部分には驚きました。
「見られるように思う、と語られるのを耳にし」という、二重、三重の間接表現に、
雅子妃との距離感が感じられてしまいます。
美智子皇后はたいへん言語感覚に優れた方ですから、綿密に練られた末の文章だと思うのですが。

岩井
たしかに去年までとはトーンが変わっています。
「東宮妃の公務復帰については、専門医の診断を仰ぎながら、
妃自身が一番安心できる時を待って行なわれることが大切だと思います。
あせることなく、しかし、その日が必ず来ることに希望をもって、
東宮妃も、また東宮も、それまでの日々、自分を大切にして過ごしてほしいと祈っています」
ここには、もはや見守るしかないという、諦めのような響きが感じられます。
私たちはどうすることもできない。自分たちで乗り越えてきなさい、と。

福田
これまでは、雅子妃の一日も早い回復と公務復帰を願うと、と言われていましたからね。

岩井
注文すべきは「自分を大切に」という言葉です。これは単に心身をいたわって過ごすことではなく、
もっと深い含意がある。ジャズピアニストの秋吉敏子さんは、手の関節がうまく動かなくなった時に、
危険な手術に踏み切ったことについいて、「自分に厳しいのですね」と問われて、
「いいえ、私は自分を大切にしているだけ」と答えた。皇后さまはこの話に良い感銘を受けたそうです。
つまり「自分を大切にする」とは、わがままとか我を通すということではなく、困難に挑戦する
チャンスを自分に与えることなのでしょう。皇太子ご夫妻に、自分を大切にすればこそ、
自身の言動や考え方について厳しくあることを期待します、と言外にこめておられるのだと思います。

福田
ある意味で、頑張りなさい、といわれるより厳しく重いお言葉ですね。
それにしても、なぜ雅子妃が回復傾向にあり、部分的に公務復帰するようになってから、
両陛下ともに東宮家への距離感や諦めを表明されるようになったのでしょうか。

岩井
おそらく、治療が四年目に入るのにもかかわらず、根本的な見通しが立たないとわかったためでしょう。
主治医から詳細な報告はなく、何年経っても「良くなっておられますが、まだ治療が必要です」
としか説明がない。これまで両陛下は、雅子妃の回復を最優先として、皇室の作法から見れば
首をかしげるような事態にも眼をつぶってこられましたが、臨界点かもしれません。

福田
皇室としては異例の、オランダでの静養もお許しになりましたね。

岩井
海外静養の後はたしかに雅子妃の私的な外出が増え、
美術展や演奏会などの鑑賞系の公務には出席されるようになった。
だが、皇室の本来の重い公務への復帰の見通しはまだ立っていない。
このギャップが目立つようになり、わがままではないかという批判が強まっているんです。
国賓の歓迎や晩餐会を欠席した日に、皇居へ来て乗馬をするといった、配慮のない事態が度重なっています。
国民からも、宮内庁のホームページに批判のメールが増えてきているそうです。
一方で、雅子妃を苛み続ける「皇室の旧弊」というイメージが定着すれば、
いつしか皇室全体へのボディブローとなりかねない。
そうした危惧を、両陛下も、また宮内庁幹部も抱いていると思います。

岩井
結局、「治療の論理」と「皇室の論理」がぶつからざるを得ないのが、雅子妃のケースの難しさですね。
医師団のこれまでの治療方針は、私的なお出かけなどを重視し、
長年の希望であった海外滞在も試み、ご実家との行き来を優先させている。
これは雅子妃をいったん「小和田雅子さん」に戻し、本来の自己を回復させる試みなのでしょう。
しかしそれだけでは、皇太子妃としての回復がありうるのでしょうか。
いつまでも、皇室にかかわる活動を避け続けるわけにもいきませんから、
必ず摩擦がおきてくる。近ごろは、皇太子ご夫妻に対しての批判だけでなく、
「家長たる天皇がなぜこの状況を許すのか」
「身内に厳しくあらずに、どうして帝王としての敬愛がえられようか」という激しい意見までも、
ちらほら聞こえてくるのが心配です。

岩井
皇太子妃という立場を切り離して、一人の患者として治療させようとするだけでは、
結果的にご本人や皇室全体を傷つけ続けるのではないか。たとえご本人が望むことであっても、
時には「妃殿下、それは違うのではないですか」とお止めすることが、お守りすることにつながると思うのです。
本来ならば、東宮大夫や東宮侍従長が、治療の論理と皇室の論理のすりあわせをし、
御所と東宮の関係をも含めて総合判断して、責任をとる。それが役割です。
しかし、彼らも雅子妃と直接お話しすることがあまりできず、
皇太子殿下から間接的に状況をうかがうしかないので、なかなか難しいようです。

福田
皇太子殿下は、徹底的に伴侶の味方をするという基本姿勢を打ち出していますし、
「医師団の専門的な判断を尊重する」と会見で述べていますね。

岩井
お医者さまも苦しい立場なのではないかと思います。雅子妃の信頼を得ることは難しく、
現在の主治医である大野裕慶応大教授までに、何人かの医師が交代しているようです。
問題は、そのために医師が雅子妃の論理のながにつかり込んでしまい、
いわば「マサコズ・ワールド」の住人になってしまっているということではないか……。

岩井
側近も同様でしょう。かつて皇太子に添い寝するほど近くで仕えた老人が、
「いったいどうしてしまったのか。東宮御所にうかがったら、側近はみな、妃殿下の
顔色ばかりうかがってピリピリしている。あれでは駄目です」と悲嘆にくれていましたから。

岩井
しかしながら、皇太子夫妻のみならず、天皇皇后も必ずしもブレーンに恵まれてきたとはいえない。
記者会見や、公務での「おことば」も、夜更けにご自身で推敲し、いかに肉声を盛り込むか考えこまれています。

福田
近代皇室の大きな柱は、ストイシズムにあります。明治帝は御用邸での静養もせず、
一年中同じ軍服で政務に励むという謹厳実直さがありましたし、
貞明皇后は体調不良の大正天皇に代わって、ハンセン病など慈善事業に邁進された。
昭和天皇も、敗戦後ずっと、国民生活が復興するまではと仮の「御文庫」に住まわれ、
麦飯を食べられている、ということが国民にとっての支えであった。

岩井
今上陛下の慰霊の旅や、公務の増加、祭祀への精励ぶりもたいへんなものです。

福田
いま、格差社会などといわれて閉塞感に覆われています。
そのなかで皇太子家が、ご一家でディズニーランドに行かれたとか、
表参道や恵比寿のイルミネーションをご覧になったとか、
そんな場面ばかり報じられるとつらいものがある。
もうすこし、雅子妃の苦しみの様子を率直に外に出してさしあげること、そのための回路が必要だと思いますし、
上手くいけば、国民との紐帯においてプラスになるのではないでしょうか。

岩井
御料牧場などでの静養中、皇太子が先に帰京された夜など、
雅子妃は一人、小高い丘まで出て行かれることがあるそうです。
そして真っ暗な闇のなかから、街の灯りを黙って眺めておられるという。
お淋しいんだろうなあ、ほんとうに閉塞感があるんだろうなあと思います。

福田
とにかく、これまでの東宮には、外部に対して上手く状況を伝えていくリテラシー、
つまり表現能力が足りない。それを補うべきブレーンもいない。
それが明らかになったのが、皇太子の「人格否定発言」だったという気がします。

岩井
あれは平成十六年、外国訪問に際しての会見でした。
殿下が緊張した面持ちで「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあった」とおっしゃられたので、
驚いた記者たちは当然、「どのような動きでしょうか」と質問した。
ところが、「そうですね。細かいことはちょっと控えたいと思うんですけれど、
外国訪問ができなかったことなども含めて、雅子もそうですけれども、
私も大変、悩んだことをひとことお伝えしようと思います」というお答えでーだったので、拍子ぬけしました。
「人格を否定」という最大級に激しい言葉を投げかけておいて「細かいことは控えたい」
というのは、あまりに説明不足で、事前に深く検討された発言ではないのかもしれない、と思ったほどです。

福田
同じ事態を、別の語り口から重ねて説明していくということが、あまり上手ではないですね。

岩井
それがさらに露わになったのが、「人格否定発言」のあとの説明文書でした。
天皇陛下に「国民も心配しているから説明したほうがいい」といわれてすぐ承諾されたのですが、
なかなか文書が出てこない。実は内容をどうすべきか、紀宮さまに相談していたようです。

福田
それは適役ですね。紀宮さまの言語能力はたいへん高い。
誕生日会見の文書もつねに、内容、表現ともに練りあげられた、読み応えがあるものでした。

岩井
しかし皇太子が発表された文章は、天皇皇后へのお詫びの表現が弱められるなど、
事前に相談したものが覆されていた。
紀宮さまは憮然とした表情だった。と聞きました。

岩井
思うに、「人格否定発言」は、机の上にドン!と匕首を突き立てて、喧嘩を売るたぐいのものだったんです。
あまり詳しく説明すると、威嚇効果が薄れてしまう。
当時、雅子妃が説明文書を出すことに難色を示しているという話も聞きました。

福田
皇太子ご夫妻あいだては、文書内容について相談されていると考えてよいのでしょうか。

岩井
そこが問題ですね。千代田側では「いったいどこまでが殿下のお言葉なんだろう。
キャリア、人格といった言葉は、皇室に育った人の語彙ではない」と訝る声もあります。

岩井
この発言に対する両陛下の嘆きは、きわめて深かったでしょう。
皇室では、誰かを責めるような発言があってはならない。
昭和天皇の時代ならば、たとえ悲惨な交通事故で大勢の死者が出ても見舞いの言葉は控えました。
もし「あの事故は大変不幸なものであった」と言ったら、運転手が自害してしまいかねないからです。
それほどの自制心をもって皇室が育んできた伝統を、ひとことで崩壊させてしまった。

福田
素朴な疑問ですが、天皇と皇太子が直接に語りあうわけにはいかないのでしょうか。

岩井
親子とはいっても、天皇が言葉を発するということは、抜き差しならない状況になってしまうので、
陛下としては発言は慎重にならざるをえない。
それにどうも、皇太子さまはちょっと難しい話になると、すっと引いてしまうところがあるようですね。
この年の天皇誕生日の文書回答には、
「皇太子の記者会見の発言を契機として事実に基づかない言論も行われ、心の沈む日も多くありました」とある。
両陛下が、「人格否定」の犯人と取り沙汰されるような局面もあったわけです。
そうした言論に接するのは「苦しいことでした」と、さらりと述べられていますが、
これは天皇陛下としては最大級の表現だと思います。
いわば、刀は抜かないが、鯉口をかちんと鳴らした、というところでしょうか。

福田
ただ、皇室内に不和があると喧伝されると、著しく権威を損ねますね。
昭和天皇と秩父宮が激論をして対立されていると噂されたために、
秩父宮を尊奉していた陸軍では、天皇を軽視する流れが出てきたわけです。
やはり「人格否定発言」は、あってはならないものでした。

福田
美智子皇后は皇室入りするに際しての覚悟が深かったのでしょうね。
もちろん、時代状況も今とは違います。
昭和三十四年りご成婚は、国家的なプロジェクトでした。
敗戦と占領によって、ある種の蟄居状態に置かれていた皇室が、
民間妃とのご成婚しいう清新さで、地位を巻き返すきっかけとなりました。
昭和天皇のイニシアチブも大きかった。
美智子妃はそうした状況をすべて承知の上で、
しかも姑どころか、貞明皇后の世代の女官もいるような宮中に、民間人として入って苦労されたわけです。
平成五年の皇太子と雅子妃のご成婚も大きなプロジェクトでしたが、
皇室の浮沈をかけるというような、歴史的意味付けはありませんね。

岩井
そこは大きな違いです。
皇太子は結婚前に「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りします」と約束された。
しかし皇太子妃時代の美智子さまは、「人格が否定された」などといえるはずがない状況で、
かつ、将来の天皇という重い責務に向かう明仁皇太子に寄り添う決意をしておられた。

福田
美智子妃は「ミッチーブーム」で、時代のイコンとなったけれど、
同時に決死の覚悟で宮中に赴くという、一般人からはかなり距離のある存在でした。
ところが雅子妃については、雇用機会均等法世代のキャリアと出産の両立とか、
あるいは夫の実家に行きたがらないなど、自分たちの家族関係に引き寄せて理解できてしまう。
私自身もそうですが、皇室が自分たちの世代にありがちな形になっていることは、必ずしもよいとはいえない。

岩井
このままでは、次の代替わりがあったときに、雅子さまが皇后として儀式や祭祀をこなすことは
無理だといわれても仕方ないでしょう。昭和から平成の代替わりの時に取材しましたが、
大喪、即位の礼、そして大嘗祭と、常人には考えられないほど複雑で身体的にも厳しい儀式のオンパレードです。
一月には、東宮御所の清掃をする勤労奉仕団への「御会釈」に、三年二ヶ月ぶりに
雅子さまがお出ましになった。ただ、以前から馴染みのある高校の生徒たちでした。
完全復帰の見通しは立ちませんし、祭祀はなおさら先になりそうですね。

岩井
「人格否定発言」と同じ会見で皇太子殿下が言われて、いまだに解決されていないのが、
「公務の見直し問題」なんです。「時代に即した新しい公務を」と強く求められたので、
どういったものをお考えなのか、長官や参与や東宮大夫がうかがいに行くわけですが、
どうも要領をえない。「丸投げにされてもなあ」とボヤく人もいました。

福田
世界水フォーラムなど、環境問題がテーマなのかと思っていましたが、具体案があるわけではないんですね。

岩井
そのうち、秋篠宮から「公務は受け身のもの」と反論されたり、天皇陛下から、
「これまでの公務を縮小するならばよく関係者の理解を得て、無責任でない形で」とも言われました。
すると昨年二月の誕生日会見で、皇太子殿下は「今までの公務をやめるように一部で
誤解された節がありますが、そのようなことはない」とおっしゃられた。
正直いって拍子抜けしました。
「前の時代からの公務を整理して、今の時代に合った新たな公務を」との趣旨の発言は
何だったのか。首をかしげる宮内庁関係者は多いです。「誤解」と片付けるには
余りに重大で、ご自身の言葉を裏切ることにはならないでしょうか。

福田
即位の礼のときに「皆さんとともに日本国憲法を守り」と述べられたこともあって、
今上陛下は平和憲法的な君主だというイメージが一部にありますが、決してそれだけにはおさまらない。
岩井さんがお書きになっていますが、即位前に、天皇と国民の関係を問われて
「朕、民の父母となりて徳覆うこと能わず。甚だ自ら痛む」という後奈良天皇の写経の奥書を引用するなど、
歴史的認識に基づいた「皇室像」を明確にもっておられる。
そうした皇室の存在感を、国民のなかにふたたび位置づけるために、超人的な努力をされてきたんだと思います。
昭和天皇も即位から十五年間は、優秀なスタッフがいたにもかかわらず、原理原則がないために、
理想を求めようとしすぎて過剰になったり引きすぎたりというブレがあった。それを考えると、
平成になってすでに十八年、陛下は強い自制心と、追悼というモチーフによって
かなり上手く乗り切ってこられたのではないでしょうか。

岩井
皇太子さまの歴史観や、戦争体験の継承は、史学研究をされているのに今ひとつ掴みどころがありません。
四十四歳の誕生日会見のときに、
「昭和天皇が終戦の御前会議をされた時と同じ年齢になられた。感想をお聞かせください」と質問したところ、
一生懸命に答えてくださったのですが、つまるところ
「昭和天皇は大変なご苦労をなさったと思います」ということに尽きてしまったのは残念でした。

福田
山口県防府の毛利邸附属の博物館に、毛利家が所有していた、
明国から足利義満に送られた「日本國王之印」という重要文化財があるのですが、
館長によると、皇太子殿下がその金印にたいへん興奮され、詳細にご覧になったそうです。
やはり皇室は歴史とともにあります。
これまでほとんど歴史観を語られていないのは残念です。

福田
皇太子が示しているのは、無私の「仁慈」ではなく、私的なものをとおして、公的なものへつなげていく
「愛」の論理ですね。皇太子が会見で読み上げてベストセラーになった、
ドロシー・ロー・ノルトの詩は、それを体現しています。
これもまた、私たちの世代にはよくみられる傾きではあります。
皇太子はこの「愛」の論理に基づいて、伴侶である雅子妃が苦しんでいるときは、
徹底的にかばうという姿勢を選ばれたのでしょう。かなり不器用なやり方かもしれないし、
皇室という「公」との板ばさみになっているけれども、その苦しみを引き受けることでしか、
皇太子の考える新たな皇室像にたどりつけないのではないでしょうか。

岩井
たしかに、皇太子殿下にはこれまで板ばさみになる経験は少なかった。
阪神大震災の直後に、中東訪問に予定どおり出発されるかどうか悩まれた時ぐらいではないでしょうか。
昭和天皇の戦争でますさまじい板ばさみか言うまでもなく、
今上陛下も、広島、長崎、沖縄や海外でも、昭和の負の遺産に向き合わされてきました。

福田
近代皇室には、皇族こそがもっとも弱き者たちに寄り添うという「垂直の原理」があります。
美智子皇后のあり方を考えるとよくわかりますが、皇室が困っている人の側にあるというのは、
なにも寄付を募るとかスピーチをするだけではなくて、そういう人たちの心の支えになるような
生活をすることが大事なのです。そのときに、皇太子も雅子妃も、いま苦しみを味わっていることが、
必ず糧になる。同時に、その苦しみのなかから築きあげていくお二人の世界を、国民に
上手く示す必要があります。内省的なご性格なのだと思いますが、ご夫妻で閉じこもっていては困ります。

岩井
皇太子殿下は、黙々とお一人で公務や祭祀をしておられますけど、もう少し、ご夫妻で
悩みながらも自分たちの人生を前向きに努力しているという姿勢を、
はっきりと滲ませていかないと、国民の共感は得られない。