天皇の20年 加地伸行

【正論】天皇の20年 立命館大学教授、大阪大学名誉教授 加地伸行
2009年01月06日 産経新聞 東京朝刊 オピニオン面
「天子に争臣七人有れば…」
皇室のことについて書くのは、正直言って気が重い。
それと言うのも、私が古い世代であるからだ。
もっとも、敗戦のとき、私は国民学校(今の小学校)3年生であったので、戦前・戦中派の最末席を汚すにすぎない。
しかし、先日、久しぶりのクラス同窓会でわれわれは当時の唱歌を大合唱した。
「勝ち抜く僕ら少国民、天皇陛下のおんために、死ねと教えた父母(ちちはは)の…」と。
昭和20年8月15日-暑い日であった。2週間後の9月、始業式のあと、私は作文を書いた。
「日本は科学(注…原爆のイメージ)で負けたので、これからは科学を勉強してアメリカをやっつけきっと勝ちます」と。
子どもごころに復讐(ふくしゅう)を誓ったのだ。
当時、学校はクラスの級長を軍隊式に小隊長と俗称していた。
私は桜組小隊長としてそう書くのが正しいとしたのは当然であった。
この文を読んだ教師たちはおそらく慌(あわ)てたことだろうと思うが、私には記憶がない。
それから茫々(ぼうぼう)60年余、この老骨、皇室への敬意は変わらない。
変わったのは、いや変わりつつあるのは、逆に皇室ではなかろうか。

≪皇室は無謬ではない≫
昨年、西尾幹二氏に始まり、現在の皇室について論争があった。
その詳細は十分には心得ないが、西尾氏は私より1歳年長であり、〈勝ち抜く僕ら少国民〉の心情は同じであろう。
皇室への敬意に基づく主張である。
その批判者に二傾向、(1)皇室無謬(むびゅう)派(皇室は常に正しいとする
いわゆるウヨク)、(2)皇室マイホーム派(いわゆるリベラルやサヨク)がある。
私は皇室の無謬派こそ皇室を誤らせると思っている。
歴代の皇室では皇族の学問初めの教科書に儒教の『孝経(こうきょう)』を選ぶことが圧倒的に多かった。
なぜか。
『孝経』は、もちろん孝について、延(ひ)いては忠について教えることが大目的であるが、もう一つ目的があった。
それは臣下の諫言(かんげん)を受け入れることを述べる諫争章を教えることである。皇室は無謬ではない。
諫言を受容してこそ安泰である。そのことを幼少より学問の初めとして『孝経』によって学ばれたのである。
諫言-皇室はそれを理解されよ。
一方、皇室のありかたをわれわれ庶民の生活と同じように考え、マイホーム風に論じる派がいる。
だいたいが、皇室の尊厳と比べるならば、ミーハー的に東大卒だのハーバード大卒だのと言っても
それは吹けば飛ぶようなものである。まして外交などというのは、下々の者のする仕事である。
にもかかわらず、そのようなことを尊重するのが問題の解決となると主張するマイホーム人権派もまた皇室を誤らせる。

≪「無」の世界に生きる≫
折口信夫は、天皇の本質を美事に掴(つか)み出している。
すなわち、歴代の御製(ぎょせい)を拝読すると、中身がなにもないと言う。
例えば「思ふこと今はなきかな撫子(なでしこ)の花咲くばかり成りぬと思へば」(花山天皇)。
このような和歌は庶民には絶対に作れない。庶民は個性を出そうとするが、
天皇は個性を消し去る。それは〈無〉の世界なのである(折口説の出典名を失念、読者諸氏許されよ)。
折口の天才的文学感覚は御製の性格を通じて、〈無〉という天皇の本質を的確に示している。
〈有〉の世界にいるわれわれ庶民は、やれ個性の、やれゼニカネの、やれ自由の人権のなどと
事(こと)物(もの)の雁字搦(がんじがら)めになっている。
そして〈有〉のマイホーム生活を至福としている。
皇室は〈無〉の世界に生きる。それを幼少からの教育によって培(つちか)い、マイホーム生活と絶縁するのである。
なお、皇室を神道の大本とするというのは一面的である。皇室は同時に日本仏教と深く関わるからである。
京都の泉涌寺(せんにゅうじ)に安置されている歴代天皇の位牌(いはい)は仏教者であることを示す。
皇族は、神道・日本仏教さらには儒教に深く関わり東北アジア諸文化を体現する。
日本の核にして〈無〉である以上、可能な限り、皇居奥深くに在(いま)され、
やれ国際学会の、やれ国連なんとかの開会式などといった庶民のイベントにはお出ましにならないことである。
陛下御不例(ごふれい)が伝聞される今日、皇太子殿下の責任-〈無〉の世界の自覚が重要である。
もしそれに耐えられないとすれば、残る道は潔(いさぎよ)い一つしかない。
『孝経』に曰(いわ)く「天子に争臣(そうしん)(諫言者)七人有れば…天下を失わず」と。