絶対君主と立憲君主の間

別冊正論Extra.14
(平成23年1月7日発行)

絶対君主と立憲君主の間
竹田恒泰

戦後日本において、度々、天皇が政治的に利用されることがあった。
最近では小沢一郎氏を挙げることができる。
小沢氏は平成21年12月の習近平中国国家副主席の特別引見事件に深く関与したと見られ、
天皇を政治利用して中国を特遇したと言われている。
また、宮沢喜一元総理は、天皇を政治利用して天皇訪中を強行した人物として知られている。
小泉純一郎元総理も、女性・女系天皇を容認する皇室典範の改訂を、
総裁任期切れまでの最後の政治課題に定め、それをもって自身の政権運営の幕引きをしようとした。
これも、小泉氏の名声もしくは自己満足のために天皇の制度のあり方を政治的に利用された例だと私は考えている。

大御心を伝聞で語る人物はいても、今上天皇の謁を賜り、
政治的な御意見を直接聞いたという者はこれまで、一人も現れていない。
大御心を持ち出して政治に利用するだけでも大問題だが、
もし大御心が異なっていたら、取り返しのつかないことであって、これはまた別の問題である。

中国や西洋諸国の歴史と異なり、我が国において、君と民は一度も対立関係に入ったことがない。

大御心とは「皇統の意思」であるから、必ずしも天皇から直接伺う必要はなく、
皇統の歴史を眺めれば自ずと大御心を知ることができる。

君主が政治に関与するなら、すべての政治責任を君主が背負う覚悟。
もしくは君主に背負わせる覚悟が必要であろう。
皇統の問題について大御心を伺うとしたら、同様の覚悟がなくてはならないのである。
大御心を語って自分の意見の正当性を主張する者も、天皇に政治責任を負わせることになると自覚すべきだろう。
まして、大御心を読み違えていたなら、天皇に対してこれほど申し訳ないことはない。

日本では君と民は、何を以ても断ち切ることのできない、
強靭な絆によって結びつけられていて、君民一体を成している。
これは世界に類を見ない国の体であろう。
天皇は国民のことをまるで我が子のように大切に思し召され、
国民一人ひとりの幸せを、命を掛けて毎日祈っていらっしゃる。
そのような天皇の御姿を拝し、国民は天皇のことを深く信頼し、お慕い申し上げ、古代から現代に至る。
国難に当たり、一時的に天皇の元に権力が集中した時期もあるが、
通常、天皇が政治を執ることはなく、これを「天皇不親政の原則」と呼ぶ。
帝国憲法下の確立された慣行ににおいても、政府と統帥部が決定した国策について、
天皇はこれを覆す権能を持たなかった。
もちろん、現在の憲法体制においても、天皇は政治権力を行使する権能はない。
そのためか、現憲法における天皇は「ただの象徴」「もはや象徴に過ぎない」などと、
さも価値がないかのようにいわれる。果たしてそうか。
憲法には天皇の国事行為として、内閣総理大臣の任命、憲法改正・法律などの公布、
国会の召集、衆議院の解散をはじめとする、国政の中枢となる重要な行為の数々が明記されている。
比較憲法学では、このような役割を担う地位を「国家元首」と呼んでいる。
もちろん、それら国事行為は、あくまで形式的なものであり、天皇自らその内容を決定することはできない。
国会や内閣の決定に基づき、粛々と行われるのが天皇の国事行為なのである。
しかし、これらは形式的であるが故に貴いのではないか。
日本においては、国会が法律を制定し、天皇がそれを公布することによって、一つの法律が誕生する。
国民が法案を確定して国民が公布するのであれば、それは共和国と何ら変わることがない。
法律は天皇自ら起案したものではなくとも、天皇の名において公布されることに価値があるのだ。
ここに、国民が権力を担い、天皇が権威を担う日本の国の形を見ることができる。

天皇の存在は政治過程には本質的に形式的である。天皇が政治に関与かることが憲法に反するだけでなく、
天皇の大御心を持ち出して政治課題が議論されることも、
天皇の政治利用に当たり、これも憲法原理に反するのである。

憲法第一条は天皇が日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であると記すが、
歴史的に天皇は、広く国の事情をお聞きになることで、
自然に国民の気持ちが一つに統合され、一つの国を二千年以上保ってきた。
すなわち、天皇は存在することにより、自然と国を統合してきたのであり、
それこそが天皇が日本国民統合の象徴であることの意味である。

天皇の大御心を推し量ることを「忖度する」という。
国民が大御心を忖度して、大御心に叶うように振舞うことは、理想的な国民の姿であろう。
しかし、自分が大御心を忖度した結果、「天皇の御意思はこうに違いない」と主張して
自らの論を正当化することは、天皇の政治利用以外何のものでもない。
それでは小沢一郎氏が中国を特遇するために天皇を政治利用したのと何の違いもないのである。
忖度とは、大御心を推し量り、それを静かに自分の心の中に留め、自らの行動を律していくことであって、
大御心を語って天皇を政治利用するのとは似て非なるものである。
忖度の美名の下に、天皇の政治利用が許されるべきではない。