私家版 平成皇室10大ニュース

「文春オンライン」編集部
2018/05/03

なぜ私たちは「眞子さまと小室圭さんのご結婚」がこんなに不安なのか?
「私家版 平成皇室10大ニュース」座談会 #1

2019年4月30日で突如幕を下ろすことが決まった「平成」。今年は平成最後のゴールデンウィークです! 
3人の識者が平成皇室をふりかえり、ごく個人的に気になったトピックについて語りつくします。

「眞子さまのご結婚延期」に多くの人の関心が
──「生前退位」「女性宮家問題」「人格否定発言」など、平成皇室を揺るがした事件は数多くありましたが、
やはり今は「眞子さまのご結婚延期」(2018年)に注目が集まっていますね。

辛酸なめ子(漫画家、コラムニスト。毎年、新年一般参賀で皇居を訪れている皇室ウォッチャー)  
私、このあと2年間も悩み続けるのが本当につらいので、日本を出て行ったほうがいいのでは、と思っていました。

――えっ、眞子さまがですか?

辛酸 いえ、すみません。私がです。
私自身が「眞子さまのご結婚延期」や「皇室の将来」で思い悩むことに疲れてしまったので……。
どこか遠い所に行きたくなっています。眞子さまの婚約者である小室圭さんと、
母・佳代さんの写真を見続けていた今年のはじめ、何か不思議な波動が出ているのか、
精神的にどんどんつらくなってしまいました。

河西秀哉(神戸女学院大准教授。象徴天皇制を研究) 
眞子内親王と小室圭さんの2年の結婚延期については、多くの人が関心を持っているようですね。
私には大きな矛盾に見えるのですが、
男性皇族と結婚する女性の身辺はしっかりと調査をして選考に時間をかけるのに、
女性皇族が降嫁する場合は相手の男性のことをそれほど調査していないのではないでしょうか。
黒田清子さん(元・紀宮さま)と結婚した黒田慶樹さんは、
調査をしなくてもいいような人だったから問題はありませんでしたが(笑)。

辛酸 黒田さんは、本当に何も出てこない方でしたよね。
強いて言えば、車の選び方がヤンチャ系だったことくらいでしょうか。

S記者(皇室取材を担当して10年以上のベテラン) 
東京都庁勤務で、とても堅実そうな黒田さんは意外にもスポーツカーに乗っていたんですよね。
 
河西 黒田慶樹さんは秋篠宮の学習院時代の友人だったということで、
皇室の在りようや求められている振る舞いをよく分かっていたことが大きいのでしょう。

辛酸 小室圭さん以上に、母・佳代さんの言動には驚かされることが多いです。
週刊誌報道によれば、小室佳代さんは元婚約者の男性に「今月、苦しいからヘルプしてください」
「十万円ヘルプしてもらえれば」などと電話していたそうで、すごく手馴れています。

河西 ただ私が気になっているのは、小室家が反論できない分、
マスメディアによる報道の仕方が元婚約者の男性の証言に偏り過ぎているのではないか、
という点ですね。

辛酸 「週刊現代」の記事は特に面白かったです。まるで見てきたかのようなタッチで
「語気を強める紀子さまを、秋篠宮は、前髪の間から少し上目遣い気味に見つめていた」
(2018年3月17日号)などと書いていました。

S記者 確かに、週刊誌報道による小室家バッシングは過熱していますね。
しかしこの問題をただの借金トラブルとして片付けることができないのは、
「一時金」が関係しているからなんです。仮に、眞子さまが「一時金はいりません。
それでも私はこの人と結婚します」とおっしゃれば、報道する大義名分を欠くようになると思います。

眞子さまのご婚約に疑問を持つ国民の意見には2つの潮流がある
河西 私は、今回の場合、婚約に疑問を持つ国民の意見に2つの潮流があると思います。
1つは婚約者である小室圭さんの家庭が借金トラブルを抱えていて、
眞子内親王へ支払われる一時金が借金返済のために補填される可能性への不満。
「税金を借金返済に充てるのは許せない」という意見ですね。
もう1つは、女性宮家の問題です。眞子内親王が小室圭さんと結婚して男の子が生まれた場合、
何らかの法整備の後に、眞子さんを皇族に戻し、その子どもや小室圭さんが皇族になる可能性があるのでは、と。
もちろん眞子内親王が降嫁したら、
皇籍からは離れて一般国民と同じ扱いになるのですが、
皇族として行っていた公務を委嘱するという話もありますね。
そうすると、皇族に戻す話に現実味がないわけでもない。
だから、インターネットを見ていると、「小室さんとは破談にして、眞子内親王は
旧皇族の男性と結婚したほうがいいんじゃないか」という意見は根強いです。

S記者 女性宮家創設の議論は、悠仁さまがお生まれになって以降、ほとんど進展がなく、
眞子さまのご婚約によって立ち消えになってしまったようなものですもんね。
お二人の結婚式は、帝国ホテルで今年の11月4日に行われる予定だったじゃないですか。
私は、NHKの婚約報道を見たとき「これは眞子さまによる『女性宮家ご辞退宣言』だ」と思ったんです。
眞子さまが民間へ嫁がれる以上、秋篠宮家の中で佳子さまにだけ皇室に残っていただくことは難しい。
そうなると、残るは愛子さまお一人だけだと。でも結婚が2年延期になったことで、
もし万が一その間に女性宮家創設の議論が再燃すれば、事態がどう動くか分からないと今では考えています。

辛酸 こういうトラブルが繰り返されると、日本人の皇室全体への憧れというか、
尊敬の気持ちが薄らいでしまいますよね。

河西 小室家を護衛するためのSPにかかっている費用は多額にのぼる、という報道も出ています。

辛酸 まだまだ日本人の中には、天皇陛下や皇族方こそ素晴らしい
人間性をお持ちであってほしいと願う人は多いと思います。
小室圭さんの出現で、いろいろなことが揺らいでしまったように思いますね。
しかも眞子さまは、伊勢神宮祭主になられた黒田清子さんの後を継がれるであろう
「女性皇族のお手本」のような方だったので。

S記者 眞子さまご本人も、傷つかれているのではないかと思います。
最近話題になったのは、眞子さまがご勤務先の「インターメディアテク」の
ウェブサイトでお書きになった「キノコ」というタイトルのコラム。
「ところで、あくまで個人的な感想だが、この写実的なキノコ模型、見て美しいとは感じるものの、
美味しそうと感じないのが不思議である。
もっとも、本模型はすべて毒キノコとのことである」とちょっぴりシュールな文章を綴られています。

辛酸 毒キノコの模型を眺めながら、癒されていらっしゃるのでしょうか……。
見た目に惑わされていた、と遠回しにおっしゃっているようでもありますね。
平成を振り返ると、私にとっては「佳子さまブーム」(2015年)のインパクトも大きかったです。
今、イギリスのリーズ大にご留学中ですけれども、小学生のころからフィギュアスケート、
高校から大学にかけてはヒップホップダンスといった「ご自分の見せ方」をだんだんと身につけてこられました。

間もなく帰国される佳子さまがお召しになった「タンクトップ」
辛酸 学習院大を中退される前、2013年夏にボストンへ留学されたときは
一度ぽっちゃりされたんですけれども、気合いで元に戻られて。
さらにアイドル的な可愛さを獲得されて、おきれいになりましたね。
今年の6月以降に佳子さまは帰国される予定ですが、
眞子さまのご結婚延期問題もありましたから、佳子さまにもより注目が集まるのでしょうか。

S記者 佳子さまブームが巻き起こった当時、各週刊誌はこぞって佳子さまを追いかけました。
佳子さまがICUをAO入試で受験し直されて、無事入学された直後、
大学1年の「リトリート」という合宿で披露されたタンクトップ姿には驚きましたね。
どこのブランドか血眼で調べていたら、「アメリカンイーグル」のものと分かって、価格もとてもお手頃でした。
肩から背中が大きく開いたデザインの「マッチョタンク」で、ブラひもを見せるようなデザインだったんですよ。

辛酸 鎖骨が出るという意味では、佳子さまがお召しになっていたローブデコルテに通じるものが? 
「リトリート」で紺の上着を後ろ前にお召しになって腕を覆っているのも、ローブデコルテの長手袋のようでした。

河西 学生になぜ佳子内親王が人気なのか話を聞いてみると、
「安くもなく高くもないブランドを着ているから、そういういやみのない服装がいい」と言うんですよね。

辛酸 学習院大に入学された頃は、新宿のルミネでもお買い物をされていたんですよね。
ただ、今留学されているリーズ大の学生のインスタなどを見ていると、学区内にクラブがいっぱいあって、
お酒を飲んでいる写真がたくさんアップされているんですよ。リーズは街自体、クラブ文化発祥の地らしいですね。
皇太子さま・秋篠宮さまなどの皇族方が留学された名門校・オックスフォード大を選ばれないという点にも、
秋篠宮家流を感じます。
お子様方の意思を尊重するご教育方針が現れていると思います。

皇太子ご夫妻による愛子さまのご教育方針は?
──皇太子ご夫妻による愛子さまのご教育方針については、どうでしょうか。
S記者 お二人は「叱らない子育て」を実践されてきましたよね。
皇太子さまと結婚された当初は、国民にとって尊敬と憧れの的だった雅子さまでしたが、
2004年5月に皇太子さまが会見で「雅子のキャリアや、そのことに基づいた
雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」
とおっしゃった「人格否定発言」と、同年7月の「適応障害」という診断結果の発表を受けて、
国民の見方は大きく変わったと思います。

「雅子さま山中湖お付き添い事件」(2011年)は決定的でした。
学習院初等科4年の愛子さまの山中湖校外学習に、雅子さまが同行されたのです。
学習院では過去に、子どもが怪我や病気の場合だけ、親が近くの宿で待機するということはあったようですが、
雅子さまは、子どもたちと同じ「ホテルマウント富士」の1泊12万円するインペリアルスイートに宿泊された上に、
子どもたちが立ち寄る場所にほとんどついて行かれ、青木ヶ原樹海でハイキングもされました。

前週の東宮大夫による定例会見で雅子さまのご動静は明確にされなかったのですが、
常識的に考えて「まさか行かれないだろう」と私は信じていました。
ところが産経新聞がウェブ版で、山中湖へご出発されたことを報じて。
「これは取材に行かなきゃ」と思い日帰りで山中湖へ向かいましたが、
雅子さまは山ガールファッションに身を包まれて、行き交う人々に「こんにちは」とお手振りまでされている。
一方、警察関係者や東宮職がわんさかいて、
雅子さまの姿を撮影させまいとカメラマンの周りを男性数人で包囲。異常事態でした。

──この校外学習は、東日本大震災が発生してから約半年後のことでした。そのような時局にも関わらず、
皇太子妃がインペリアルスイートに宿泊されるというのは常識的に考えられない出費だ、
という雅子さまの行動を疑問視する声もあがりました。

河西 一方で、私が皇族の自由やプライバシーはここまでないのか、と驚いたのは
「雅子皇太子妃妊娠スクープから流産」(1999年)ですね。
確かに皇太子妃が子供を産むというのは大きな出来事なんですが、まだ安定期に入ってもいないのに報道されました。

──朝日新聞のスクープでしたね(「雅子さま 懐妊の兆候」、1999年12月10日)。
妊娠のごく初期であることを考慮してか、詳しい「兆候」については言及してしない短い記事でしたが、
この後各社が一斉に報じました。
河西 そうでしたね。そして雅子さまの「稽留(けいりゅう)流産」の後、
皇室報道はちょっと鳴りを潜めたように思います。
S記者 これは雅子さまが「適応障害」として療養生活に入られる前のことですが、
雅子さまにとってはメディアに報じられたくない、
子どもを守りたいという「プライバシー意識」を強く持たれるようになった原点ともいえる出来事だと思います。

河西 2000年代に入ると、宮内庁ホームページの「皇室関連報道について」というコーナーで
宮内記者会に所属する新聞やテレビ、そして週刊誌などが報じた内容について反論するようになります。

宮家のほうがベールに包まれている
──基本的なおさらいですが、天皇陛下や皇族方のお過ごしようを報道陣が知る機会としては、
どういった記者会見が行われているんでしょうか?

S記者 宮内庁長官(山本信一郎氏)や、宮内庁次長(西村泰彦氏)による定例の記者会見が行われています。
さらに天皇皇后両陛下の場合は、侍従次長(高橋美佐男氏)からオフレコで説明の場が設けられているそうです。
皇太子ご一家の場合は週1回、だいたい金曜日に東宮大夫(小田野展丈氏)の定例会見があります。
こういった記者会見には「宮内記者会」所属の記者のみが出席できます。
週刊誌の記者が所属する「雑誌協会」などは“排除”されているんです。
各宮家について、こういった定例の記者会見がありません。
次長会見で1週間のスケジュールについては説明があるようですが、
細かいお過ごしようについては分からない。たとえば秋篠宮家を取材しよう、と思っても
そう簡単に情報が取れるわけではないんです。

――学術的な研究のうえでも、宮家のほうが情報収集は大変ですか?

河西  難しいですね。宮家に関する資料は、古いものでも公表されていないものも多いですし、
そもそもどこに資料が所蔵されているのかすぐには分からないんです。
内廷皇族(天皇皇后両陛下、皇太子ご一家)に関するものであれば、
宮内庁のほうでもしっかりと把握しているのでしょうが、
宮家になると行動すら全体を把握していない可能性があります。
辛酸 ある意味で、宮家のほうがベールに包まれているんですね。
「承子さまミクシィ流出」(2007年)では、高円宮家のご長女・承子さまの奔放な留学生活が明らかになりました。
「ヒップホップダンサーを名乗る高円宮承子さま 20歳女性皇族『赤裸々ホームページ日記』」
(「週刊文春」2007年2月8日号)で、エディンバラ大に留学中の承子さまが
ミクシィに赤裸々な書き込みをされていたことが報じられたのです。

 「クラブイベントに行ってきました。初めて生でストリップショーっていうものを見たけどエグかったぁ…」
 「早い話が、三角関係(親友→彼氏→私)なのです」
 「好きな人がゲイ…。終わってる」
 「私も親さえ良いなら胸にヤモリの刺青入れたいんだけどなぁ~…間違いなく縁切られますからね(笑)」

「ヒップホップダンサーを名乗る高円宮承子さま 20歳女性皇族『赤裸々ホームページ日記』」
(「週刊文春」2007年2月8日号)

記事の中では、ミクシィを通じてメッセージを送信した記者に対する承子さまからのお返事も紹介されていて、
ご返信は「ごきげんよう…」から始まり、
「ミクシィや高校時代に制作したHPを日本の友人たちとの交流に役立てていること、
英国での留学生活は大変だが、よい勉強になっていること、などが綴られていた」そうです。

皇族もSNSをやっていらっしゃるのか
辛酸 承子さまは当時からすでにヒップホップ系のファッションを取り入れられていたので、
佳子さまにも潜在的な影響が……? 
女性皇族といえば、黒田清子さんのように華美でないファッションを好まれていて、
いつまでも清らかという印象があったので、
こうやって遊んでいらっしゃる方もいるというのが、当時本当に衝撃的でした。
承子さまは、一般参賀でもオーラを放たれていて、ついつい承子さまのほうを見てしまうんです。

S記者 わかります(笑)。平成皇室の中で、元祖・奔放な女性皇族といえるかもしれませんね。

河西 父である高円宮憲仁親王がスカッシュのプレー中に倒れて急逝し、
葬儀に参列している当時高校生の承子女王が、茶髪だったことをよく覚えています(2002年)。
皇族でも茶髪にしていいんだな、と。
三笠宮家にはもともと個性派の皇族が多く、祖父である三笠宮崇仁親王は、
例えば1946年、枢密院へ「譲位」に賛意を示す意見書を提出して、
「『死』以外に譲位の道を開かないことは新憲法第十八条の
『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』といふ精神に反しはしないか?」と
述べたような人でした。「赤の宮様」とか言われたり。
宮家のほうが宮内庁からのコントロールがきかないという側面もありますよね。
また、流出したのがLINEやFacebookではなく、ミクシィというのが時代を感じます。

辛酸 はい。皇族もSNSをやっていらっしゃるのか、というのがちょっと驚きでしたね。
『秋篠宮さま』(江森敬治、毎日新聞社、1998年)を読んでいたら、
「電子メールは自室のコンピュータで確認される」と書かれていたので、
「メールアドレスをお持ちなんだ」とは知っていたのですが。もしかしたら若い女性皇族方も、
LINEだけでなく、鍵付きでインスタなどをさりげなくやってらっしゃるんでしょうか。

S記者 眞子さま、佳子さまだけでなく、
高校2年になられた愛子さまもスマホを使いこなしていらっしゃいます。
先日も、お友達と一緒にスマホの画面をのぞきこんで、
とても楽しそうにはしゃいでいらっしゃるご様子を拝見しました。

辛酸 そういえば、愛子さまにも「のび太」似のボーイフレンドがいらっしゃいましたよね? 

S記者 いましたね(笑)。「女性自身」が「愛子さま手つなぎ&ハグも――
思い出と笑顔をくれた“のび太”似同級生BFとの4日間!」(2010年9月14日号)
というタイトルで報じました。一時期、いつも愛子さまのお出かけ先にこの男の子がいたので、
記者たちの間では「こども侍従」なんていうあだ名で呼ばれていたことが。
「結婚するんじゃないのかしら」というぐらい仲が良かったんです。

辛酸 小学生にしてすでに手つなぎ&ハグ。愛子さまは大胆でいらっしゃいますね。

S記者 今では大きく成長されて、とてもかっこいい感じの青年になっているそうですよ。

辛酸 そうなんですか! 愛子さまは、小学生のころから男の子を見る目を養われていたんでしょうか……。
2017年の「宮内庁職員組合文化祭美術展」で愛子さまは「ハーバリウム」
(須崎御用邸の海岸で拾った貝殻と東宮御所の庭で摘んだ植物をビンに詰め、
透明のオイルを注いだもの)を出品されていて、ものすごく女子力が高いと思いました。
将来、どんな方と結婚されるのか、今から楽しみです。

http://bunshun.jp/articles/-/7280


平成皇室は「皇太子への憂鬱」から始まった
「私家版 平成皇室10大ニュース」座談会 #2

「皇太子への憂鬱」
河西秀哉(神戸女学院大准教授。象徴天皇制を研究) 
今では「平成流」と広く呼ばれるようになった天皇皇后の在りようは、
多くの国民から支持を集めていますが、最初はあんまりうまくいっていなかったんです。
美智子皇后がメディアからバッシングを受けたことで起きた「美智子皇后失声症」(1993年)を、
私は大きな事件だと思っています。
「昭和天皇の時代はよかった」と懐古する人たち、とりわけ保守的な立場の人からの批判が、
明仁天皇だけでなく、女性という、より弱い立場の美智子皇后に向いた点が重要です。
バッシングについて「どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います。(中略)
しかし、事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます」(1993年10月20日、誕生日に際して)と
文書で述べたあとに美智子皇后が倒れると、世論は擁護ムードに傾きました。

S記者(皇室取材を担当して10年以上のベテラン) 天皇陛下の皇太子時代から即位された当初にかけて、
国民はお二人について、どういう受け止めをしていたんでしょうか?

河西 昭和の時代から、たとえばジャーナリストの児玉隆也氏は
「皇太子への憂鬱」(「現代」1973年9月号、のちに『この三十年の日本人』新潮文庫、
1983年に収録)の中で、「皇太子に魅力がない」という意見を紹介し、皇太子は「“妻の持参金”で食べている。
だが、その“貯金”はもうなくなりかけていることに、周辺は気づいていない」と批判しています。
1989年に明仁天皇が即位した当時は、「開かれた皇室」と言って歓迎されましたが、
やはり批判的な意見を持っている人もまだまだ多かったんです。

――皇族はストレートなご発信ができないため、
特に女性皇族にとって「ファッション」は重要な要素といえそうですね。

河西 そうですね。美智子皇后が公務で身に着けている帽子から
思想を読み取ることができる、という研究もあります。

S記者 美智子さまはその時々によって、お帽子のデザインについても
ご希望をおっしゃると聞いたことがあります。

河西 服や帽子に、訪問国の国の色やゆかりのある花を取り入れるなど、細かい配慮がありますよね。
平成になって、美智子皇后という非常にカリスマ性の高い皇后が現れたことで、
女性らしさの中にも高度なセンスを兼ね備えた「発信」が増えたといえるのではないでしょうか。
しかし、美智子皇后はあくまでも自分が明仁天皇から支えられているように振る舞い、
必ず明仁天皇を立てていますよね。
並び立って歩くときも美智子皇后が半歩下がって、明仁天皇の右腕を持って歩きます。
少し演出のように見えなくもないのですが、これこそが平成皇室の在り方かなというふうに思いますね。

「訪れていない場所すべてに行きたい」という気迫
辛酸なめ子(漫画家、コラムニスト。毎年、新年一般参賀で皇居を訪れている皇室ウォッチャー) 
天皇皇后両陛下が、日本地図にご訪問された地が分かるようピンをたくさん刺していらっしゃるお写真からは、
「訪れていない場所すべてに行きたい」という気迫が感じられます。

河西 今年3月には沖縄県の与那国島も訪問しましたね。
昭和の時代、明仁皇太子(当時)が福祉施設を訪れたときの新聞記事を見ると、
立ったままで少しぎこちない様子に見える写真が載っています。
その一方で、ベッドに横たわっている人に顔を近づけて、
話しかけているのは美智子皇太子妃(当時)なんですね。
「雲仙・普賢岳被災者のお見舞い」(1991年)では、はじめて天皇皇后としてひざをついて、
避難所で生活する被災者に語りかけました。
この時はまだ手探りであったと思いますが、その後様々な場所への「お見舞い」を経る中で、
次第に現在のスタイルが確立します。
私は、お二人が一緒になって公務に取り組むうちに、
だんだんと明仁天皇が慣れていったのではないかと考えています。

辛酸 ちょっと話が逸れてしまうのですが、
昨年9月、天皇皇后両陛下が私的旅行で訪れられた埼玉県の高麗(こま)神社に私も行ってきたんですよ。
1週間くらい後に。

河西 7世紀に滅亡した朝鮮半島・高句麗からの渡来人をまつる高麗神社を、天皇皇后が参拝しましたね。
天皇は2001年の誕生日会見で「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、
続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と発言しています。
辛酸 高麗神社の近くにいたおばさんたちが、
「美智子さまは素敵な方よね、品があるわね」「ここを歩かれたのね」と彼岸花を見ながら話していて。
ああ、こういう風に噂話が広まるのかと思ったのですが、
さらに大きな声で続けて「美智子さまは飯能の合同庁舎のお手洗いをお使いになったらしいわよ」と。

S記者 すごい、そんなところまで(笑)。真偽のほどはさておき、
地元の人たちからしたら興味津々だったんでしょうね。

パラオへの慰霊の旅でお召しになっていたスーツ
S記者 あの日、美智子さまがお召しになっていた白いスーツは、
実はパラオへ慰霊の旅をされた折にお召しになっていたものと同じで、
少しお手直しをされていらっしゃるようですね。
天皇皇后両陛下が韓国ご訪問への強い思いをお持ちでいらっしゃることは、
週刊誌などでしばしば報じられています。
しかしお二人が実際に韓国を訪れられることは、なかなか難しいですよね。
高麗神社という場所へ、パラオご訪問のときと同じお召し物を着られたというのは、
最上級の慰霊のお気持ちを示されたのではないかと思いました。
やはり、身につけられているお洋服には、メッセージがあります。

――最後までおっしゃらないけれども、何かメッセージを表すものとして、「歌」がありますね。

河西 歌は大きいですね。美智子皇后の御歌(みうた)は本当に上手いです。
言いすぎず、でも微妙なラインをついているように思います。
どちらかというと明仁天皇の御製(ぎょせい)のほうが、はっきりとメッセージを伝えています。

観音崎戦没船員の碑除幕式激しき雨の中にとり行はれぬ
かく濡れて遺族らと祈る更にさらにひたぬれて君ら逝(ゆ)き給ひしか
(皇后陛下御歌集『瀬音』より、1971年)

硫黄島
慰霊地は今安らかに水をたたふ如何(いか)ばかり君ら水を欲(ほ)りけむ
(同上、1994年)

S記者 2017年の歌会始のお題は「野」でしたが、美智子さまはこのような歌を詠まれました。
土筆(つくし)摘み野蒜(のびる)を引きてさながらに野にあるごとくここに住み来(こ)し

関係者のあいだでは、天皇皇后両陛下がお住まいの御所がある皇居を
「千代田」、皇太子ご一家がお住まいの東宮御所がある赤坂御用地を
「赤坂」という通称で呼んでいるのですが、この御歌からは美智子さまが「千代田」からも
「赤坂」からも出ていかれることを前提に詠まれているように思えて、
「東宮御所に移られるのではなかったかしら?」とちょっと疑問に感じたんです。
その後に高輪の旧高松宮邸へ一時的にお住まいになるということが報じられて、腑に落ちました。
美智子さまの御歌は何かを考えさせられますね。メッセージを読み取らねば、という感じで受け取っています。

河西 天皇や皇族というのは、どうしても直接的に自分の意思をはっきりと表現できないので、
その意思を知るために歌を分析することはとても重要だと思います。

――そう考えると、「退位」についての天皇陛下のお言葉は相当ダイレクトでした。

河西 そうですね。「退位に関するおことば」
(2016年、宮内庁HPでは「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」と記載)をめぐっては、
かなり難しい状況があったと思います。
憲法のもとでは、天皇は自分の意思を表明してはいけないということになっている。
しかし伝え聞くところでは、もう数年前から「譲位したい」というお気持ちだったのが、
政府との関係でなかなか事態が前に進みそうもないので、NHKがスクープするという形で公になりました。
あの「おことば」からは「疲れたから辞めたい」というよりは、
「今ある公務を減らすということは、自分が考える象徴としてのあるべき姿ではないから、
それならば全部譲りたい」という心理がにじみでていたと思います。
ただ、それは今の政府やそれを支える層の意向とそぐわないという事情もあったのでしょう。
それから「天皇のお気持ちをNHKがスクープした」という点については、
どういうプロセスを経て至ったのか、今後検証されなければならないと思います。

S記者 用意周到なシナリオでしたよね。2016年7月13日、
NHKが夜7時のニュースで「天皇陛下 『生前退位』の意向示される」と報じたとき、
天皇皇后両陛下はご静養で葉山にいらしたんです。皇居にはお二人ともいらっしゃらなかった。
翌日両陛下は帰京されるのですが、その頃には第1報による混乱はだいたい落ち着いている状況でした。
車の中から沿道の人びとに手を振られる陛下のお顔が晴れやかでしたよね。

河西 余計に、誰が考えたシナリオなのか気になるところです。
明仁天皇は2019年4月30日に退位して、5月から新しい元号が始まります。

なぜ5月から新しい元号が始まるのか?
辛酸 年度なんかは関係なく、4月1日という風にきっちりと決まっていないところを見ると、
陰陽道とかそういうものが関係しているんでしょうか。

河西 いやいや、そんなことはないです(笑)。「妥協の産物」と言っていいと思います。
当初、政府は改元を1月としたかったようなのですが、
宮内庁は年末年始の行事がたてこむ12月、1月が非常に忙しい。
そうすると、年度の変わり目がよいかということになりますが、
今度は政府が3月、4月は統一地方選で忙しいからダメだと。
4月末で平成を31年で終え、5月から新しい元号とすることになりました。
必然性はないですし、平成31年度が1カ月だけあることになります。

S記者 なぜ5月なんだろうかと皇室側の事情を考えたのですが、4月10日は両陛下の結婚記念日なんですよね。
この日は、ご結婚から60年、そして即位から30年という素晴らしく美しい節目なのです。
2月23日の皇太子さまのお誕生日の翌日に「在位30周年記念式典」が国立劇場で開催されるそうなので、
2月から「大団円」への序章が始まります。

河西 4月29日には昭和の日もあります。4月30日に平成が終わり、5月1日に新天皇が即位する。
昭和、平成、そして新時代へ。 来年はそういう形で、平成のフィナーレに向けて大きく盛り上がるでしょう。

辛酸 平成最後の一般参賀はものすごい訪問者数になりそうですね。

S記者 例年、新年一般参賀は5回のお手振りがあるんですよ。
最後の年だから回数を増やすのではないかと思うのですが、
来年の最終回にはサプライズを期待しています。
天皇ご一家だけがお出ましになる最終回には、わりとそういうことがよく起こるんです。
お手振りが終わったあと、陛下のほうへ他の皇族方が集まって、
全員が寄り添うようにまた手を振られるということもありました。

辛酸 なんとかして、最終回を目にしたいものです
。即位10年を祝う式典(「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」)では
YOSHIKIがピアノを弾きましたよね。あの意味はいまだによく分かりません……。

河西 即位20年を祝う式典(「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」)では
EXILEが皇居前広場でパフォーマンスしましたね。
このときは「天皇陛下御即位二十年奉祝委員会」と「天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟」が作られました。
元首相や財界人といったおじさんたちによる、若者ウケを考えたうえでの人選なのだと思います。
即位20年のときの議員連盟会長は森喜朗元首相でした。

辛酸 即位30年では三代目 J Soul Brothersなんかが出てきて、踊りまくるんでしょうか。

「乾通り」は歴史的に見ても、限られた人しか入れなかった
――「皇居の乾通り年2回公開」(2014年~)にも多くの人が詰めかけましたね。

辛酸 私は初年度のときに乾通りを歩いて、本当に感動したんですよ。
今までずっと閉じられ、秘められていた庭園にやっと入れた。
花、草、木にはものすごいエネルギーがありましたし。でも去年行ったとき、
水には藻が生えていて、紅葉もそれほど鮮やかな色合いではなくなっていたんです。
一般人を入れすぎて、空気というか、波動が悪くなっちゃったのかなと。

河西 私も初年度に行きましたが、すごく混んでいましたね。
たまたま私が行った日に、宮内庁の庁舎から天皇皇后がその様子を見ていたと報道があって、
お二人にとっては皇居を一部開放することで国民が喜ぶ姿を見られるのは、
とてもうれしいことなんだなと思いました。

S記者 通常、一般の人が訪れることのできる限界線は皇居前広場までだったのが、
もう一段階内側へ入れるようになったわけですから、大きな変革だと思います。

河西 そうですね。特に乾通りというのは、
歴史的に見ても本当にごく限られた人しか入れない場所だったんですよ。
ちょうど天皇皇后のお住まいのエリア(吹上)との境目でもあるので、なかなか入ることができませんでした。
一般の人でそのあたりまで入ることができたのは、皇居内を清掃する勤労奉仕団の人たちぐらいでしょうか。

辛酸 皇居内といえば、「天皇陛下がタヌキの糞を調査される」というトピックも外せないですね。
天皇陛下が、何年も何年もタヌキの糞を採取されて、タヌキの食性の長期的な分析を試みられました。
しかも糞に含まれる種子を、種または属まで識別され、その数は58に及ぶそうです。
2016年には5年間のデータを蓄積したアップデート版の論文も発表されています。

河西 天皇家は、代々いろいろなものを研究しています。昭和天皇の場合はヒドロゾアが研究対象でした。

辛酸 昭和天皇は「雑草ということはない」
「どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる」と
おっしゃったことがあるそうです(入江相政編『宮中侍従物語』TBSブリタニカ、1980年)。
小さい存在にも目を向けていらっしゃる。
S記者 さかなクンにも目を向けられました。天皇陛下は2010年の誕生日会見で、
絶滅したと思われていた淡水魚のクニマスが発見されたことを受けて
「東京海洋大学客員准教授さかなクン始め多くの人々」と言及して功績を称えられたんです。
また最近では『日本魚類館』(中坊徹次【編・監】、小学館、2018年)という図鑑の解説を、
陛下が他の魚類学者と分担して執筆されたそうです。
陛下ご自身が和名を付けられたハゼ科のシマハゼ類2種類と、
種類を分類されたチチブ類3種類について計4ページを担当されました。
2016年の夏に依頼があって、公務の合間を縫ってお書きになったそうです。
皇太子さまは水問題のご研究、秋篠宮さまは家禽類のご研究を続けていらっしゃいますね。

新天皇皇后は、どのような道を歩まれるのか
――お代替わりまであと1年。あまり実感がわきませんが、
新しい天皇皇后両陛下はどのような道を歩まれるのでしょうか。

S記者 私は、今後雅子さまのお出ましが増えることを前提として、東宮女官が増員されていると思います。
やはり女性皇族の「発信力」は絶大で、現状では雅子さまが病気療養中ですから、
皇太子さまがどういう方なのか、国民が深く知る機会は限られていたように思うんですよ。
今上陛下が象徴天皇として国民から受け入れられているのは、
美智子さまが常に左隣にいらっしゃって行動を共にされていることも大きいのでは。
美智子さまの柔らかい雰囲気が陛下の威厳とミックスされて、
両陛下ならではのいい雰囲気を生み出してこられたように思います。
美智子さまは国民とのクッション役を果たされていて、
平成皇室が国民からの絶大な支持を得た基盤となっていると言っても過言ではないと思うんです。
それを考えると、これまで皇太子さまはお一人で苦労されたと思います。

辛酸 お代替わりされたら、雅子さまがすごくお元気になられるのでは、という説もありますね。

S記者 お元気にならざるを得ないんじゃないかと思うんですよ。
「即位礼正殿の儀」で、皇后は十二単をお召しになって御帳台へお立ちになります。
そして「大嘗祭」でも装束をお召しになりますし、伊勢神宮へのご参拝にもいらっしゃる。
雅子さまは宮中祭祀がお苦手だと言われていますが、数々の儀式が続きますから
「皇后さまのご体調が整いません」というわけにはいかないのではないでしょうか。

河西 私は、国民からの支持を得ている「平成の在り方」を否定はできないと思うんです。
今年3月、静養のために長野県を訪れたとき、
雅子皇太子妃が長野駅でまっさきに車椅子の人へ声をかけた一幕があったそうですね。
「国民の中に分け入る」というのが平成の在り方だとすれば、
こういった行動はまさに「平成の在り方」そのものなんですよね。

S記者 そうですね。皇太子ご一家の公務の3本柱は環境問題、
障害者・高齢者の福祉、戦争慰霊だと私は考えています。
特に環境問題は皇太子ご一家のご活動のカラーが出てくるものになるのではないでしょうか。
環境問題は、国内のみならず世界的なテーマです。
皇太子さまは水問題のご研究に取り組まれていて、国連などで何度も講演されています。
しかし、いきなりとってつけたように環境問題にご関心をお持ちになったわけではなく、
大きな自然災害が起きると被災地に足を運ばれて被災者を見舞ってこられた両陛下のなさりよう
がベースになっているのではないかと思っています。

河西 美智子皇后は、ちょっと超人的な方なので……。すべてを真似することはできないと思いますが、
新しい天皇の代の皇后の行動はソフトランディングするのではないでしょうか。
雅子皇太子妃は、国際親善など、対外的に出ていくことをどんどんやっていかれたらいいと思いますね。

辛酸 やはり雅子さまは、ご自分の時代が来た、という
内側から湧き上がってくる力をお感じになっているのでしょうね。

S記者 最初のうちは、「平成の天皇皇后両陛下とは違う」と比較されて、批判されると思うんですよ。
でも、私は現場で雅子さまがフランクに国民とお話しになるご様子をたくさん見てきました。
一昨年の岩手県行啓では、雅子さまが「どちらからいらしたんですか?」とお尋ねになると、
「あんたはいつから?」みたいな感じで答えているおばあちゃんがいてびっくりしたんです(笑)。
「昨日からです」とお答えになると、「病気は治ったの?」とか聞いちゃうんですよ。

――雅子さまはどんなご反応なんですか?

S記者 「ご心配おかけしまして」という風におっしゃっていましたよ。
お二人は、国民にとってより身近な天皇皇后両陛下になられると思います。
皇太子さまが、気さくにセルフィーに写られるほどですもんね(笑)。

河西 「天皇皇后写真ツイート炎上」(2014年)はまだ4年前のことです。
女子高生が、天皇皇后の写真をツイッターにアップして、不謹慎だと批判を浴びました。
天皇皇后が私的旅行で栃木県小山市を訪れたときに撮影されたもののようです。
あの頃に比べても、「皇室」に対する国民の受け止めはずいぶん変わったなと思います。
桜を見に、皇居の外を歩く天皇皇后を、皇居ランナーがスマホで撮影することは今や普通ですよね。

辛酸 そして気になる新元号。どんな漢字が選ばれるのでしょう。
新元号の候補をメディアで取り上げると、それはもう使えなくなると聞いたことがあります。
竹田恒泰さんがネット番組でそれっぽい新元号を予測していましたが、
さすが深い知識をお持ちなだけあってあり得そうなものばかり。
政府は使える数が減ってしまって困っているのでは、と心配です。

河西 平成がどんな形で幕引きをして、次はどんな時代を迎えるのか。
これからも変わらずに注視していきたいですね。

http://bunshun.jp/articles/-/7281