皇太子は変わってしまった/秋篠はわかっている

週刊新潮2013年1月3・10日号
陛下が漏らした「皇太子は変わってしまった」-宮内庁関係者が重大証言

「常々、国民に向かって正しい情報を発信されることが務めだと考えていらっしゃる陛下には、
会見を取り止めたいというお気持ちは微塵もありません。
ですが、そのお気持ちを以てしても余りある“ご心痛”が、これまでの会見には伴ってきました。
それが、ひいてはご負担の増加へと繋がっていったのです」(宮内庁担当記者)
ご心痛を生じさせたのは、例年繰り返されてきた皇太子ご一家に関する“質問”に他ならない。

「雅子さまが「適応障害で静養されている」ことが発表されたのは2004年夏。
その年末に初めてご病状に関する質問が出てから、皇太子さまのとのやり取りや愛子さまの通学問題を含め、
同じような問いが毎年繰り返されてきました。
07年には、「私の意図と違ったように解釈される心配を払拭できない」として、
陛下のほうからお答えを打ち切られてしまったこともあった。
このような問いにも、じっくりと回答を考えねばならず、その作業もまた、多大なご心労となってきました」
そう解説するのは、さる皇室ジャーナリスト。先の記者も、こう振り返る。
「今回、記者会で事前に質問を練るにあたり、ご家族についてはやはりお尋ねするべきだとの意見が出ました。
ですが、トータルで3問という制約の中、単独で設ける余裕もなく、1問目に織り交ぜる形をとりました。
文言は「国民を勇気づけるような明るいニュース」として、
愛子さまがお付添いなしで登下校ができるようになったことなどを挙げ、
ご家族との交流を具体的にお尋ねしたのです」が、陛下はこの箇所には全くお答えにならなかった。
質問は11月中旬にはお手元に届いている。
陛下は毎年、すべての回答をご自分でお考えになり、
かつ徹底的に推敲なさることから、あえて触れないというご意志のほどが窺えるのだ。
「結局、ご家族のエピソードとしては、第2問で入院中に皇后さまが毎日お見舞いにいらしたこと、
そして3問目の最後に『私が病気になった時には皇太子と秋篠宮が代わりを務めてくれます』という部分のみ。
この1年間の、東宮家および秋篠宮家との交流についての言及は皆無でした」(同)
先の侍従職関係者も、同じく指摘する。
「今回は、震災の関連死によって犠牲者の数が増えたことを悼まれ、また五輪での活躍や
山中教授のノーベル賞受賞を讃えられるなど、ことさら社会の出来事に重点を置かれ、
意図的にご家族の話はなさらなかった。寛仁親王殿下が薨去されたことにも触れられていないことからすると、
『家族の話はもうよいのでは』といったお気持ちがおありなのでしょう」

■愕然とされた紀宮さま
さる宮内庁OBは、「陛下が皇太子ご夫妻のお振る舞いに心を痛められた、
いわばエポックメーキングとなった事柄は、過去に2つあります」としながら、こう続けるのだ。
「1つは、言わずと知れた2004年5月の『人格否定発言』。この時、皇太子さまが仰った
「雅子のキャリアや人格を否定するような動き」というフレーズの“主体”が
両陛下を指していることは明らかでした。皇太子さまは直後に渡欧されましたが、
このご発言を大いに憂慮された陛下は、詳しいご説明をするよう皇太子さまに求められたのです。
ですが、帰国後、宮内庁幹部が真意を伺おうとしたところ、妃殿下はその求めを強く拒まれたのでした」
実はその頃、陛下と雅子妃との間で板挟みになっている兄の姿をご覧になり、
たまりかねた紀宮さま(当時)が動かれたことがあった。
「紀宮さまは「陛下も大変に心配なさっていますよ」と、
皇太子さまにお会いして懇々と話をされ、円満な解決を願ったのですが、
これに対し皇太子さまは何と「どちらを立てていいのか分からない」とお答えになったのです」(同)
この場合の「どちら」とは、むろん陛下と雅子妃を指すわけだが、これを聞いた紀宮さまは愕然とされたという。
「皇室の一員である以上、陛下のご意向に優先されるものなどあるはずがない。自明の理であり、
双方を天秤にかけているような皇太子さまの仰り方は、まさに耳を疑うような話でした。
ここで紀宮さまは、仲介の労も空しく、刀折れ矢尽きてしまったのです」(同)
もう1つ、これより遡ること数年前の出来事が陛下のお心を暗鬱にさせているという。
別のOBによれば、
「93年のご成婚以降、99年に雅子妃が第1子をご懐妊になり、稽留流産なさるまでの6年間、
お世継ぎに恵まれなかったご夫妻について、陛下は大いにお嘆きのご様子でした。
この間、言うまでもなく両陛下はご懐妊を心待ちにされており、
一時期は東宮側の担当医師が毎月、秘密裡に皇居に呼ばれ、
女性特有の体内周期を含む雅子妃のご体調について、両陛下にご報告をあげていたこともありました」
そのころ、周囲ではご夫妻に不妊治療を勧める声も出始めていたという。が、
「ご夫妻は一貫して「私達に任せておいてください」と、治療を拒み続けてきたのです。
ある時、御用掛だった産婦人科医の坂元正一・母子愛育会総合母子保健センター所長(故人)
がその話題を持ち出したところ、ご夫妻の不興を買ってしまい、
それ以来しばらくは直接お目にかかれなくなったこともありました」(同)
さらにこのOBは、次のような「重大証言」をしてくれたのである。
「こうしたご夫妻のお振る舞いをご覧になるにつけ、陛下はある時、明確にこう仰ったことがあります。
曰く、「皇太子は、結婚してから変わってしまった。あのような子ではなかったのだが…」と」

■いまだ学習院を許さず
落胆とともに、父子関係にも重大な亀裂を生じさせてしまった東宮家では、
この12月9日に雅子妃の誕生日にあわせて医師団の件かいが発表されたばかりだ。文書には、
〈9月以降、少しずつお疲れがとれてこられ、徐々にご自身のご活動に取り組まれるようになってこられています〉
と、好転の兆しを窺わせる表現も見受けられたが、一方で、その直後の12日にはこんな出来事が--。
「この日午後、皇居内の音楽堂では皇宮警察音楽隊創設60周年の記念演奏会が催されていました。
両陛下をはじめ秋篠宮ご夫妻、常陸宮ご夫妻、高円宮久子さまとお揃いになった中で、
皇太子ご夫妻だけがご欠席でした。丁度その頃、学習院初等科では愛子さまのクラスの
音楽発表会が行われており、ご夫妻はそちらをご覧になっていたのです。」とは、東宮関係者。
初等科のある保護者も、当日の様子をこう回想する。
「愛子さまの5年南組の曲目は、嵐の「ワイルド アット ハート」でした。
普段は管弦楽部でチェロを弾かれていますが、
この日の愛子さまはマリンバを演奏されていました。雅子さまと並んで鑑賞されていた皇太子さまも、
ニコニコしながらその模様をビデオ撮影されていましたね」
これについては14日、小町恭士東宮大夫が定例会見で、
「ご夫妻が皇宮警察の演奏会を欠席されたのは、「愛子さまの音楽会があったから」と明かしたところ、
複数の記者から「いかがなものか」といった質問が出ました。
小町さんは続けて、12月1日にあった管弦楽部の音楽会に、
愛子さまがウイルス性胃腸炎で参加できなかった経緯を挙げ、
「そういうこともあって、ご夫妻はこちらに行かれたのではないかと…」と、苦しい弁明をしていました」(先の記者)
音楽隊の演奏を「60周年おめでとう」と労られながら、長男夫妻のご不在には陛下もさぞ気を揉まれたことだろう。
「プライベート優先」というご一家の方針に、いまだ変化は見えず、
そのスタンスは愛子様の問題においても然りである。
ある学習院関係者が打ち明けるには、
「今年3月のある日でした。前東宮大夫で11年7月から御用掛に就いていた野村一成さんが、
現職の小町さんと連れ立って初等科にいらしたのです」
野村氏が3月末で御用掛を退任するため、その挨拶という名目ではあったが、
「通常であれば、学校側とのやり取りは愛子さまご担当の東宮侍従の職分。
いかに野村さんの在任中に“いじめ問題”が発覚したからといって、ことは既に解決し、
数ヵ月前からお一人でのご通学に戻られていた。
そんな時期に、新旧の東宮職トップが揃って来校するなど、きわめて異例のことでした」(同)
この訪問には、他ならぬ雅子妃のご意向が強く働いていたというのだ。
「妃殿下が11年秋まで続けてきたお付添い登下校は、いわば学習院に対するあてこすりでした。
“娘の学校生活を脅かしておいて、どうするつもりか”という抗議とともに、
先方に落ち度を認めさせたかったのです。今回は野村さんの方から、
妃殿下の現在の所感が伝えられましたが、そこには“私はまだ学習院を許しておりません”との
ご意思が込められていました」(前出・東宮関係者)
妻は依然として他罰感情を露わにし、夫はその制御さえ覚束ない--。
かれこれ10年近く、会見で陛下はひたすらお嘆きを抑えられてきた。
ご心痛が取り除かれる日は、果たして到来するのだろうか。


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週刊文春2013年1月31日号
天皇「秋篠はわかっている」の衝撃
宮内庁関係者がついに洩らした「お言葉」

皇位継承問題
天皇の“生のお言葉”の重さに、普段は寡黙な宮内庁関係者は感激し、堰を切ったように語り出した。
「平成流じゃなくていいんです。その魂さえ継承していただければ。秋篠宮さまのように」。
天皇が口にされた皇太子への願いとは何か。揺れる平成皇室の深層に迫る―

(皇后陛下と長く親交を深める人物)
「皇位継承の在り方について、私がお尋ねしたときでした。次世代における新しい皇室の在り方が見えてこない。
このままでは国民が皇太子殿下に対して統合の象徴として
尊敬の念を持つことが難しいのではないでしょうか、と申し上げたのです。
すると、皇后さまは一瞬、キグッとした表情をされました。
そして、象徴たらんとする思いそのもの、その積み重ねが象徴であるということではないかしら、と仰ったのです。
この人物は思い切って、
「残念ながら、皇太子殿下がそういう思いで公務をなさっているようには見えませんが」と尋ねたという。
「すると皇后さまは、そのことをお話しできるのは私ではありません。陛下のお考えを話す機会がないのか、
あちら(皇太子)自身がそのことを考えていないかは判断がつきません、と仰せられたのです」

天皇が皇位継承について憂慮されているということは、小紙でも報じてきた。
それは昨今議論されている女性宮家創設といった皇室の制度設計的な問題だけにとどまらない。
次代の天皇である皇太子への、精神的な部分での継承についてのご懸念も大きいのだ。
今年六月、皇太子ご夫妻がご結婚二十周年を迎えられる。
だが、その歴史を振り返れば、約半分の期間、雅子さまは適応障害のために療養を余儀なくされ、
二年前までの愛子さまの不登校問題では、
雅子さまのお付き添いのかたちが「異常な母子に映る」と宮内記者会からも疑問視されていた。
東宮にとっては“逆風”の場面も多かった二十年。
それでも皇太子はつねにご自分の家族を尊重し、
ご自身はひとりで公務をこなされるなど、まさに“孤軍奮闘”されてきたと言える。

■周囲から噴き出す懸念の言葉
だが、その皇太子の公務について、最近、宮内記者会から苦言を呈されるという一幕があった。
一月十八日、宮内庁庁舎二階の会見室で開かれた東宮大夫の定例会見でのことだ。
「会見では前後一週間の動静表が配られたのですが、そのペーパーを目にした、
あるベテラン記者が『殿下の公務が少なすぎるのでは』と指摘したのです」(宮内庁担当記者)
記された一週間先までの皇太子の公務は。学習院女子大でのご講義ほか、二件だけだった。
〈働き盛りの年齢で、どうしてこんなにもご公務が少ないのか〉というベテラン記者に、
小町恭士東宮大夫はしどろもどろ。
記者からは〈予定表の紙がもったいない〉という皮肉まで飛び出した。
実はこうした皇太子への疑問の声は宮内庁職員の間からも漏れ聞こえてくる。
「職員の中にも『こんなに公務が少なくて殿下はこの先どうするおつもりなのだろうか」と心配する者もおります。
ご高齢の両陛下は、ほぼ休まずに毎日働かれています。昨年の心臓バイパス手術後は、
手術前よりお忙しくされているくらいです。確かに国事行為など陛下にしかできないお仕事もありますが、
地方からの視察陳情などは皇太子殿下のところにも多く来ているはず。
そういったものに、いくらかでもお出ましになればよいのにと思うのです」(東宮職関係者)
とても一丸とは言い難い東宮職。そのトップである小町大夫についても、こんな気になる証言もある。
「皇太子ご夫妻との隔たりを感じているようで、自らの職について『疲れた』と知人に洩らしています。
就任当初からご夫妻、特にご療養中の雅子さまとのコミュニケーション不全を記者会見で露呈し、
記者との関係も良いとは言えない。本人もやりにくいでしょう。
雅子さまとの不和がもとで職を辞したと言われる末綱隆元東宮侍従長のように
なるのではと心配されています。(前出・宮内庁担当記者)
だが、こうした職員たちの思いを余所に、
最近の皇太子はご趣味の学習院OBオーケストラの活動に精を出されているという。(中略)
また東宮御所では、昨年秋に行われた東京駅新駅舎にCG映像を投影する
「プロジェクションマッピング」の様子を収めたDVDをお取り寄せになり、
ご一家でご覧になっているという。(中略)

さらに十六日の歌会始の儀、天皇は沖縄県でのご公務についてお詠みなったが、
皇太子が詠まれた歌はこれだった。
〈幾人の巣立てる子らを見守りし大公孫樹の木は学び舎に立つ〉
この歌の「大公孫樹」は学習院初等科の校庭にある大銀杏のこと。
「大銀杏の視線になり、学舎に流れた時間を懐かしんでいます。
ご自身の初等科時代の思い出や、現在初等科に通われている愛子さま。
そのときの隔たりを変わらず見つめているのが大公孫樹なのです」(歌会始の選者で歌人の三枝昂之氏)

■ご長男に独得の悠然たる構え
一方の雅子さまも、愛子さまの生まれた頃を思い出されて詠まれた。
「揃って我が子のことを詠まれた。ご夫妻の視線がいかにも内向きで、
ご家族のことばかりに思いを巡らせているように見えるのです」(皇室ジャーナリスト)
最近になって、記者や職員から噴き出している懸念の言葉は、
折々に垣間見える皇太子ご夫妻のご姿勢から立ち上がってきた正直な感想なのである。
そしてつい最近、ある宮内庁関係者が非常に重大な天皇の「お言葉」を賜ったという。
この宮内庁関係者も今月に入って、天皇にお目見えを許された。
「天皇陛下はこう仰ったのです。『皇后の言うような社会的弱者に光を当てて、
社会全体で支えていくということは、統合の象徴として継承されていくべきだし、
そうなることを願っている』と。そして陛下は続けて、『秋篠なんかは分かっているみたいだけどね』
と仰ったのです。さらりと仰いましたが、重い言葉だと思いました」

お言葉どおり、揺れる平成皇室にあって秋篠宮家は存在感を増し続けている。
一昨年の震災慰問では「被災地の負担にならないように」という秋篠宮のご配慮から、
移動を宮家の車でまかない、少人数の体制で多くの被災者を見舞われた。
「紀子さまは訪問先で聾唖者に出会うと手話でお話しなさいます。
皇后陛下も阪神・淡路大震災の際、被災者に『頑張って』と手話で激励されましたが、
実はその手話は紀子さまから教わったものなのだそうです。
あまり報道されませんが、弟宮のなさりようからは、ある種の懸命さが伝わってきます。
一方、皇太子殿下にはご長男に独得の、悠然たる構えをお見受けします。
公務内容を単純に比較するのは難しいのですが、
今後ますます秋篠宮ご一家への両陛下のご期待は膨らんでいくのでしょう」(同前)
そして取材の終盤、この宮内庁関係者は「千代田と東宮は未だに“途絶状態”なんですよ」と呟いた。
来月二十三日、皇太子は五十三歳の誕生日を迎えられる。
その会見の席、皇太子は今後の公務への思い、そして皇位継承について、どんな見解を述べられるのだろうか。