雅子さま 御歌について

和歌の“相談役”が驚く「雅子さまの歌人としての素質」
〈週刊朝日〉dot. 12月8日(日)7時19分配信
宮内庁御用掛で、昭和天皇や皇族方の作歌指南役を務めた歌人の岡野弘彦氏は
雅子さまの歌人としての恵まれた才能についてこう話す。
1983年に宮内庁の御用掛になり、93年にご結婚を控えた雅子さまの「お妃教育」の和歌のご相談役を務めました。
雅子さまは語学がご堪能ですが、「歌は初めてです」とおっしゃって、
語学の講義の時間を和歌に置き換えられたようです。講義は1コマ90分。
15分のティータイムを挟んで、1日2コマ。それを何日か受けていただきました。
まず、日本の和歌のルーツについてお話ししました。
「相手の心を感動させることがまず大切で、これが歌の伝統の原点です」とお話しすると、
「そうなんですの?」と興味深そうにお聞きになっていました。
雅子さまは、とても頭が良く、感性の鋭い方です。質問がとても鋭くセンスが良く、
作られる歌も初めてとは思えないほどお上手でした。歌人としての素質も十分お持ちだと思います。
雅子さまのお詠みになった歌で、私がいちばん心に鮮明に残っているのは、
最初の歌会始で琵琶湖の情景をお詠みになった一首です。
湖面を照らす澄明な月の光を皇太子さまとお二人で眺めておられるお気持ちが、
古典的な風格で調べ高く歌われています。大変、感心し、安心しました。
お妃教育が終了してからも月1回、東宮御所へお伺いして、
皇太子さま、雅子さまそれぞれに講義をさせていただいていましたが、
お二人の仲睦まじさに、何度も温かい気持ちにさせていただきました。
新婚当時の雅子さまはきらきらと輝いておられ、東宮御所の玄関先の階段を皇太子さまと手をつないで、
弾むような足取りで下りてこられたこともあります。
私は御用掛を2007年に退きました。10月、文化功労者の顕彰を受け、約6年ぶりに皇居で雅子さまにお会いしました。
お顔色が非常によく、表情もいきいきとされていて、本当にお元気になられていました。
大変、ほっとしました。皇太子さまと確かな信頼で結ばれておられる雅子さま。
50歳の節目を機に、お二人で新しい歩みを進めていかれるよう、心から願っております。
※週刊朝日 2013年12月13日号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131208-00000001-sasahi-soci


雅子さま「皇后」への覚悟 歌会始でうかがえた体調と心境
更新 2017/1/19 07:00
政府は新天皇の即位を2019年元日で調整しているが、
雅子さまの最近の好調は、「皇后」となる覚悟の表れなのだろうか。
1月13日の「歌会始の儀」では雅子さまの和歌も披露された。歌ほど詠み手の本音がにじむものはないと言われる。
雅子さまの心のひだを、和歌から読み解いていこう。
宮内庁の医療関係者からは、こんな案が出たことがあった。
「雅子さまはお妃(きさき)教育の頃から、和歌について熱心に勉強され、才能もおありだと聞いています。
歌を通じて体調を改善できないかと内部で検討したのです」
変化の兆しを周囲が感じたのは、3年前。14年の歌会始の場だった。
<悲しみも包みこむごと釜石の海は静かに水たたへたり>(14年、題「静」)
前年、東日本大震災のお見舞いで岩手県釜石市を訪れた際の情景だった。
この少し前から別の宮内庁関係者は
「ご家族のこともよろしいが、国民や社会の事象をお詠みになるほうが……」と、
じかにお話ししていた。当時、雅子さまが勧めに従ったのは、前年の成功体験が後押ししたに違いない。
その年の春にオランダへの公式訪問、秋には泊まりがけ地方公務である釜石市訪問を実現させた。
踏み出したこの一歩は、好循環を生んだ。
「11年ぶりの晩餐(ばんさん)会出席へとつながり、15年にはトンガをご訪問。
さらに12年ぶりの園遊会出席を果たされた。妃殿下の表情に明るい笑顔が浮かび、
『勝負カラー』と言われる白色の装いも増えたように感じます」(東宮関係者)
千代田関係者らによれば、天皇陛下から退位について皇太子さまと秋篠宮さまに話が伝わったのは、この時期だ。
和歌の変化は、雅子さまがひそかに「覚悟」を固めた表れだったのか。
あまり知られていないが、雅子さまの心境を推しはかるうえで、重要な出来事があった。
15年の新年に、愛子さまが新しい御地赤の着物で皇居に参内したのだ。
皇室に着物を納める「銀座きものギャラリー泰三」店主、高橋泰三さんがこう話す。
「御地赤とは直系の女性皇族である内親王方が、数えで5歳の年から成人になるまで
元日など節目となる日に身に着ける宮中の伝統的な着物です。
上品な朱赤の絹地に、松や梅などおめでたい柄の刺繍(ししゅう)が金糸などで施されたもの。
愛子さまの1着目に配された鳳凰の意匠は美智子さまのご指示によるものでした」
秋篠宮家は、眞子さま、佳子さまの成長に合わせて2着目の御地赤を作った。
愛子さまの御地赤は成長に間に合わなかったのか、制服をお召しの年もあった。
雅子さまの体調の安定とともに、生活も落ち着き始めたのだろうか。
「13年に東宮家よりご注文があり、14年暮れには2着目を納めることができたのです」(高橋さん)
そして16年の歌会始。雅子さまは福島県の訪問先で出会った高校生に未来を重ねた歌を披露している。
<ふるさとの復興願ひて語りあふ若人たちのまなざしは澄む>(16年、題「人」)

雅子さまは4月、春の園遊会に姿を見せ、7年ぶりの宮中祭祀参列。6月は皇太子の8大行啓のひとつである
「全国『みどりの愛護』のつどい」への出席と、岩手県訪問で、1カ月に2回の地方公務を実現した。
秋には学習院女子中等科3年の愛子さまが体調を崩し、雅子さまの公務のペースも落ちたが、
無理のない範囲で続けている。
1月13日の「歌会始の儀」の前夜。雅子さまの順調な回復ぶりを示す、ちょっとした出来事があった。
皇居に、皇太子ご一家、秋篠宮家のご家族が集まり、両陛下を囲んで新年恒例の夕食会があった。
参内する皇太子ご一家が半蔵門を通過する際、なじみの記者に気づいた雅子さまは、自ら窓を開けて会釈した。
少し前まで、報道陣を見かけると車内のカーテンを閉めることも少なくなかった。会釈された記者は、
「雅子さまの取材を長く続けていますが、初めてのことに驚きながらも、幸せな気持ちになりましたね」
と喜びを漏らした。
天皇陛下が昨年8月に退位をにじませるメッセージを出し、政府は19年元日の代替わりを目指すと報道された。
となれば、平成の「歌会始の儀」も来年が最後である。
歌会始の選者を務める永田和宏さん(69)は、今年は御所の庭にある
季節の草花を詠んだ皇后美智子さまの和歌が強く印象に残ったと語る。
<土筆(つくし)摘み野蒜(のびる)を引きてさながらに野にあるごとくここに住み来(こ)し>
永田さんは、和歌には、様々な想いが込められているのでは、と見る。
ひとつは、御所の自然への愛着。二つ目は狭い居住空間で生活を送る都内の人びとに対し、
恵まれた環境にあることへの申し訳なさもかすかに伝わる。
三つ目は、御所での生活の横には、いつも陛下がおられたこと。その幸せへの感謝だ。
「両陛下は、つねに言葉に対する慎み深さがにじみ出るような和歌をお詠みになる。
『慎み』とは、言葉をおそれ、口にする行動への責任と自覚です。
和歌は自分の思いを表現する言葉の模索を続ける作業。だとすれば、
国民の象徴たる天皇、皇族方が和歌を詠む意味も、そこにあるのではないでしょうか」(永田さん)
平成の天皇、皇后両陛下は和歌を詠み、平和への祈りを捧げながら、ひたすら国民に寄り添い続けてきた。
2年後には新天皇、皇后のもとで「歌会始の儀」が催される見通しだ。
おふたりは、どのような和歌を詠むのだろうか。
※週刊朝日  2017年1月27日号より抜粋
https://dot.asahi.com/wa/2017011800020.html


雅子さまの歌に地元感激「復興後押し」…歌会始
皇居・宮殿「松の間」で15日に行われた歌会始の儀では、皇太子妃雅子さまが、
昨年11月にご夫妻で訪れた岩手県釜石市で釜石湾を目にした際の思いを歌にされた。
歌には東日本大震災の悲しみが癒やされるよう願いが込められ、
被災者からは「励まされました」などの声が聞かれた。
皇太子ご夫妻が昨年11月に訪問された同市平田の仮設団地。大槌町の自宅が流され、
夫婦でこの仮設に住む岩崎敬子さん(77)は当時、雅子さまと言葉を交わし、被災した状況などを伝えたという。
「とても気さくで話しやすかった。釜石を忘れないでいてくれたことは本当にうれしいし、
ありがたいこと。励まされました」と笑顔で話した。
野田武則市長は、「来ていただくだけでもありがたいのに、歌に釜石を織り込んでいただいて
大変感激している」と話す。
「新しい年の始まりに歌は大きな復興の後押しとなる。今年は本格復興の年と位置づけており、
歌を大切に復旧復興に努めていきたい」と決意を新たにしていた。
2012年の歌会始の儀でも、天皇、皇后両陛下や皇太子ご夫妻は、
被災地をはじめ東北地方に関連した歌を詠まれている。
(2014年1月16日14時32分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140115-OYT1T01272.htm


雅子さまの特別な思い
2014年1月24日19時15分
〈悲しみも包みこむごと釜石の海は静かに水たたへたり〉
1月15日、皇居・宮殿松の間で開かれた新年恒例の「歌会始の儀」。
皇太子妃雅子さまの歌が、読み手の朗々とした声で詠み上げられました。
実は、この歌には、雅子さまの特別な思いが込められていました。
昨年11月、雅子さまは皇太子さまとともに東日本大震災の被災地・岩手県釜石市を訪れました。
雅子さまにとって、3年9カ月ぶりとなる国内での泊まりがけの公務でした。
仮設住宅を訪れ、被災者を激励。予定になかった場所でも被災者に声をかけ、
「(津波で)兄を流されました」という男性を「つらい思いをされましたね」といたわりました。
津波で工場を流されて再建した水産加工会社にも足を運び、従業員を激励しました。
この日、雅子さまは目の前に広がる釜石湾に、心を打たれたといいます。
釜石湾はリアス式海岸の造形美と、穏やかな水面が古くから地元民に愛されてきました。
「長年海とともに歩んできた地域の人々の悲しみが癒やされますように」
「海が穏やかに人々の暮らしを守り、豊かな恵みをもたらしていってくれるように」。
雅子さまは、そんな思いを歌に込めたそうです。
 昨年は、雅子さまにとって節目の年でした。
皇太子さまとの結婚20年、そして40代最後の年でもありました。
2012年12月の誕生日に際して
「40代最後の年となるこれからの1年の日々を大切に過ごしていくことができればと思っております」
と文書で語っていたように、2013年、雅子さまは積極的に活動しました。
4月下旬から5月初旬にはオランダを訪問。
11年ぶりとなる公式の海外訪問に自信をつけ、夏から秋にかけて東日本大震災の
被災3県を訪問。お疲れが蓄積するために避けてきた2日連続の公務もこなしました。
「式典出席は○年ぶり」「地方訪問は○○以来」。
そんな注釈付きで報道されることもめっきり減りました。
長期療養に入る前の、本来あるべき姿に戻りつつあります。
雅子さまが復調傾向にある今だからと、これまで取材拒否だった複数の関係者が話を聞かせてくれました。
長期療養の原因としては、日常生活や皇室行事の中で、思うようにいかなかったり、
疎外感を感じたりする出来事が続いたことがあげられるといいます。
皇室行事は毎年同じような所作が繰り返されます。自信を失うきっかけとなった行事に再び出席しようとして、
心を痛めた過去の記憶がよみがえって体調を崩してしまう。
その繰り返しだったようです。
でも、雅子さまが周囲に悩みを打ち明けたり、誰かを恨んだりした様子はうかがえません。
雅子さまに近い人物は「皇太子さま、愛子さまに支えられ、
つらい体験を自分で乗り越えたのでしょう」と話していました。
ご一家を支える東宮職も、雅子さまが元気だった頃を知る職員を中心に明るくもり立てているようです。
関係者によると、雅子さまは昨年12月、
自身の誕生日について報じた新聞記事に久々にゆっくりと目を通したそうです。
長期療養に入った後、バッシングともとれる報道が続き、
雅子さまは体調がすぐれない時期には新聞や雑誌を遠ざけていたと聞いていました。
側近の一人は「精神的に余裕がおありになる証しでしょう」と分析していました。
昨年12月の雅子さまの誕生日当日。皇太子さまは南アフリカ共和国の
故ネルソン・マンデラ元大統領追悼式に参列するため日本を離れました。
外国の王室関係者以外の葬儀や追悼式への日本の皇族の参列は初めてでしたが、
政府や宮内庁が出席をめぐって議論を尽くしたか疑問を残したままです。
皇太子さまの不在による影響も心配されましたが、雅子さまは誕生日行事の準備などを積極的にこなし、
周囲を安堵(あんど)させたそうです。
「歌会始の儀」は、天皇、皇后両陛下や皇族方をはじめ、
入選した一般の人らの歌が披露される宮中行事です。毎年1月中旬に開かれ、
元旦から始まる皇室の新年の諸行事の締めくくりとなるものです。
「歌会」とは、人々が共通の題で歌を詠み、集まって披講することで、奈良時代にはすでに行われていました。
このうち天皇が催す歌会を「歌御会(うたごかい)」といい、
少なくとも鎌倉時代中期には、年の初めに天皇が歌御会を主催していたことが、当時の文書からわかっています。
これが明治時代に入り、一般から広く歌を募り、入選歌は天皇の前で披講されるようになりました。
今年のお題は「静」。広く国民からも歌を募るため、例年こうした平易な題が選ばれます。
儀式は、両陛下や皇族方のほか、「選に預かった」という意味から
「預選者(よせんしゃ)」と呼ばれる入選者や各界で活躍する人たちが見守る中で進みます。
司会役の読師(どくじ)、節をつけずに読む講師(こうじ)、第1句から節をつけて歌う発声(はっせい)、
第2句以下を発声に合わせて歌う講頌(こうしょう)が松の間中央に置かれたテーブルを囲み、
次々と歌を詠み上げていきます。
儀式はNHKで中継されますから、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。
「預選者」として招かれた方々は、終始緊張した面持ちでした。
終了後には両陛下と懇談したそうです。最後に宮内庁庁舎で記者会見に臨み、
頬を紅潮させながら喜びを語りました。
今回、最高齢となったのは愛知県の伊藤正彦さん(83)。
3年前に交通事故で妻を亡くし、1人住まいの様子を詠みました。
皇后さまから「おさみしいですね」と声をかけられたといい、
「(1人でも)さみしくねえやい、と意地を張ってましたが、
皇后さまに温かく声をかけられ、胸がじんとなりました」と語っていました。
 都内の広告会社員、樋口盛一さん(29)は、詰めかけた記者やカメラマンを見渡して
「ドラマや映画でしか見ることがない風景を見ているよう」と一言。
大学4年のときに俳句の授業を受けたことがきっかけで、歌を詠むようになったそうで、
今回、2度目の応募で見事選ばれました。
中島梨那さん(20)は、皇后さまの母校・聖心女子大の2年生。
大学の制服姿で出席しましたが、皇后さまはすぐに気づいたといいます。
皇后さまは自身の頃の制服と「似ているわね」と話したといい、
中島さんは「皇后さまの後輩といううれしさを意識できました」と笑顔で話していました。
大阪市の前田直美さん(52)は、姉の着物と母親の草履姿で出席。
そして、着物の帯には、亡き父の写真を入れていました。
天皇陛下に「家族と一緒に来ました」と伝えると、陛下は写真を見たいと希望。
両陛下に写真を見せたといい、「(父は)喜んでいると思います」と話していました。
あまり知られていませんが、読師の手元にある半紙には、それぞれの歌が毛筆で書かれていました。
これはすべて、両陛下や皇族方がご自身で書いたそうです。
取材席から目をこらして半紙を見てみると、天皇陛下や皇太子さまはくっきりと太く、力強い文字。
皇后さまは細く流麗な文字でした。雅子さまの字は、伸びやかで端正な筆致だと感じました。
しかし、儀式の場に、雅子さまの姿はありませんでした。
長期療養に入って以降、欠席が続いています。
今回、同じく療養を続けている寛仁親王妃信子さまが7年ぶりに歌を寄せました。
来年の儀式ではそろって出席されることを期待しています。
(宮内庁担当 島康彦、中田絢子)
http://www.asahi.com/articles/ASG1H7DD5G1HUTIL069.html

雅子さま 歌会始