これが最後の皇太子さまへの御忠言

WiLL2008年8月号
西尾幹二 これが最後の皇太子さまへの御忠言 より 

天皇(ないし皇太子)は、このうえなく特別のご存在であった。しかしこの特別さは、
世界の王朝の例に多い豪華な宮殿、宝物や美術品の極致、
贅沢華美な王侯生活とはほとんどつねに無縁なたぐいの特別性、精神的特別性である。
それでいて、来世や超越神を期待させる宗教的礼拝の対象にならない。宗教原理主義的な特別性ではない。
しかるに、ここが一番のポイントをなすのだが、国民と共にあるという特色、国民が苦しいときには
一緒に苦しみ、外国への亡命などゆめにも考えられない国民共同体の中心でもある特別性である。
今上陛下は昭和天皇より以前の歴代天皇ほどではないにしても、
民主主義と平等の社会においてなお高く聳える位置に座しておられる。
それは国民が後押ししてのことではなく、天皇皇后両陛下のご努力ご研鑽に負うところが大きい。
はっきりいって不利な時代状況の中を両陛下は奮闘してこられた。
それに比べ、皇太子ご夫妻は国民の位置から高く聳えるご存在になられるよう渇望されていながら、
現実において国民はご夫妻をそのように仰ぎ見ていないし、またご夫妻の側でも皇室の伝統である
国民共同体の中心の地位にふさわしい「民を思う心」をお育みになっているようには思えない。
どの時代にも自分より若い世代の皇太子には手厳しい批判の心を抱きがちなのかもしれない。
戦後を代表した保守系知識人が皇太子(今上陛下)に失望し、まるで訓練ができていない、
国民から畏敬されそうにないと断定しているのを読むと、世は移り人は替わって
今は会田氏の代わりに西尾が同じような不平不満を述べ立てているにすぎないと人は思うであろう。
しかしあまりにも条件はあれから変わっている。私があらためて憂慮しているのはそのためである。
国民と皇室の距離もさらに動いてしまったし、皇室全体も世代交代のたびに威厳を失っていく。
マイホーム・パパを演じれば国民が喜ぶと一方的に思い込んでおられるご様子で、
皇太子の側に国民の期待に関する誤解がある。
愛子さまにご入学に際して一般の子どもと同じように育てたいというお言葉があったと思うが、
あまりにも不用意で国民の心が読めていない。
一般の子どもと同じなら、ディズニーランドに行ったときに長蛇の列にお並び下さい、
と今の国民は必ず応答するだろう。
今上陛下皇后陛下がもし悔恨の念をいま、持たれているとすれば、
ご自身のことはゆめゆめお迷いにならなかったとしても、皇太子殿下の養育に関して先例を変え、
お手元でお育てになったことではないだろうか。もちろん、その天皇ご夫妻の試みは
「開いてしまった皇室」の中で、より厳しく次代の天皇を育む試行錯誤を繰り返された末のもので、
私は責めるつもりはない。
しかしその結果、一般の日本人の生活の仕方に近づくことが皇室の理想なら、
皇室は一般社会との垣根をなくし、平均化された最大多数の日本人の中に埋もれてしまうことであろう。
皇室は自らの存在理由を失うことになる。
平成20年6月11日にブラジル訪問を妃殿下が取り止めたことに関連する皇太子殿下の記者会見があった。
その中で、他の国ならば妃殿下も将来行けるという含みで、
「いずれにしましてもそのような訪問が雅子の回復の上でも役立つものであれば、
ということを強く考えております」という。
外国訪問を治療に利用する考え、公務と私事を混同するお言葉を平然と述べられた。
ブラジル訪問は病気治療に役立たないから行かない、と仰っているのだ。
移民百年祭で湧くブラジルの日系人に対して失礼である。
ただ病気で行かれない、と言葉少なめに仰ればいいのに、
ご発言は公的意識に乏しいだけでなく、デリカシーにも欠けている。
今に始まったことではなく、こういう国家亡失のことばは繰り返されてきたし、これからも続くだろう。
悠仁親王殿下が順調にご成長になる今後20年の歳月に、国民もご皇室もよほど心してかからないと
物事はとんでもない方向に曲がっていかないとも限らない。
国民の生活と文化の中心に天皇がしかと座し、慈しみと慮りの心を注いでおられるしるしが
国民を勇気づけるという構造は古代日本以来のものだが、しかしここへきてそのリアルな実感を
皇室と国民の双方がかなりの程度に失っているのではないだろうか。
国民の若い層に期待と感謝が乏しいことと、皇太子ご夫妻に意欲と配慮がとかく欠けがちであることとは、
いわばパラレルである。
時代が「型」を失ったので、ご夫妻が「役割」を見失っているともいえる。
一般に皇族は高い徳を求められて、窮屈な生活を強いられ、尊敬されること以外に見返りが乏しい。
尊敬されるといっても、個人の努力の達成感に対する尊敬ではないから、
「個」の価値で仕事をする一般社会から入っていった人間は当惑し、究極の満足を得られない。 
今上陛下が震災等の被災地や戦禍の旧跡地めぐりにご熱心であられることに、皇太子ご夫妻、
ことに雅子妃殿下は、なぜそんなことをするのか、実感としてどうしても共感できないのであろう。
陛下には「原体験」があるから、ご公務をやりすぎるくらいなさる。
若いご夫妻はちょっと待って欲しいという気持ちだろう。
そこはある程度、私も理解できるのだが、雅子妃の母方の祖父チッソ株式会社会長江頭豊氏の死に際し、
皇太子ご一家が弔問に赴いたのには驚いている。妃殿下ひとりが行くならわかるが、
水俣病問題の対応に当たった社長当時の江頭氏には被害者に対する暴言を吐いたなどの問題があり、
ご夫妻は葬儀に行くより被害者への謝罪に行くほうが当然、先であるべきだった。
皇太子が葬儀に出たのは一部に怒りの声さえ巻き起こしていて、当然まずい。
皇太子ご夫妻のケジメのなさは将来に災いの種子、大きな不安を残している。
しかも一番いけないのは、雅子妃は江頭氏の葬儀には出ながら、
一方、香淳皇后の斂葬の儀(ご葬儀)には夏バテを理由に欠席している。
一般家庭でもこれほどまでに婚家を無視し実家を重視する非常識は、とうてい許されないはずである。
私は雅子妃はいまだ皇室の内部にその一員として入っていないように思える。
ご本人が意識的に外に立っているようにも見える。
世襲は民主主義に反する。近代的平等の観念にもそぐわない。日本国憲法は第一章第一条で
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」と述べ、
第二条で「皇位は、世襲のものであって・・・・」とつづく。
第一条で国民主権をいい出し、民主主義と平等をいわば宣言していて、
第二条の早くも矛盾にぶつかり、論理的は破綻している。
それが日本国憲法である。
破綻をごまかすために元首ではなく「象徴」という曖昧なことばで逃げを打った。
実際に陛下が日々なさっているご公務、ことに外交に関わるお仕事は元首のそれであって、
外国の元首や使節は「象徴」に会いにくるのではない。
しかし、戦後の国内の議論は国内における「象徴」の語の安定と議論の鎮静化を成功させてきている。
古代以来の歴史を顧み、日本の天皇は精神的権威でありつづけ、まさにシンボルであって、
権力を握ってきたのは武家であった。「象徴」は天皇に対する最も適切な表現である、と、
自他ともにそう納得し、納得させてきた。
永い間「象徴」にばかり目がいって第一条と第二条の矛盾、
「国民主権」と「世襲」の概念の衝突には注意が払われないできた。
いま皇太子ご夫妻をめぐる問題としてにわかに浮かび上がってきたのは、
逃れられないこの矛盾が引き起こす危機にほかならない。
雅子妃の公務ボイコットはかなり意図的で、憲法の矛盾の穴をさらに大きくする挑戦といっていいかもしれない。
民主主義と天皇制度は決して相反していない。平等と世襲も必ずしも矛盾しない。
民主主義や平等を西洋の政治概念、近代理念、あるいはアメリカニズムとのみ見なすなら
必ず日本の伝統的な天皇の存在とは衝突してしまうだろう。
しかし、日本には日本の民主主義があり、日本の平等観念がある。
日本の古代の大化改新の頃から、この国には「公」という観念がある。
中国には昔も今も平等はないし、西洋やアメリカには平等の考えはあっても日本より平等ではない。
階級や人種に昔も今も仕切られている不平等は欧米社会の特徴でもある。
つまり、民主主義と平等は日本が本場である、と胸を張って考え直すなら、
国民主権と天皇主権(元首としての世襲天皇制度)の両立さえ不可能ではない、
とあえて大胆な言い方をしておきたいのである。
日本人には日本流儀があるはずなのだ。ところがどういうわけかこの国の人間は
外国の現実と自分の現実をきちんと比較しないで、最初から外国に対し劣等感を抱いてしまう。
奇異な言葉遣いだとして集中砲火を浴びてきた三発言
ご婚約会見(平成5年1月20日)
皇太子殿下がしばしお話しになった後、
「私の言葉で一言付け加えさせていただければ・・・・・」
愛子さま満一歳(平成14年12月5日)
「・・・・・・ゆったりと、どっしりとしておりますので、
その点健康に恵まれた子どもを持っているということは、そうでない方もたくさんいらっしゃるわけなので・・・・」
雅子さまとリズム体操を楽しむ愛子さまと題した宮内庁提供のビデオ公開に当たって
東宮職が雅子妃の言葉として
「愛子さまのプライベートな場面を本人の了解なしに出すことを気にされていた」(愛子さまは二歳児)
雅子妃はアメリカナイズされた民主主義にとっぷり浸った、自己主張の強いタイプで、
それ以外では少し配慮の足りない普通の女性、外国に憧れていて日本流儀を好きではないし、
信じてもいない、やや軽佻浮薄は進歩的知識人傾斜の価値観の持ち主である。
そういう方が皇室に入ってうまく行くはずはない。
彼女が平成15年9月から宮中祭祀にいっさい参加していないことはすでに知られている。
大嘗祭と新嘗祭の違いが天皇と公民との関係を象徴的に表している・
毎年恒例の新嘗祭で用いられる米は皇室の水田(屯田・官田)で収穫されたものであるのに対し、
大嘗祭では一般百姓の田、公民の耕作田で収穫された米が用いられるのを原則としている。
大嘗祭で天照大神と天皇が即位の儀の一つとして「神人共食」の神事を行うが、
そのときの新穀があらゆる階級を超えた国家全体の成員を
代表しているところの公民の奉仕という形をとっている(高森明勅『天皇と民の大嘗祭』)
武家や公家などの諸対立を超えた「公」の概念が存在する証拠である。
聖徳太子以来、天皇が土地と人民を『公」の名において統治する理想は、天皇の「無私」の精神、
質素と謙虚と控え目なご日常の中での神への祈り、そしてあの「民を思う心」の精進によって初めて達成される。
武家支配の時代には天皇は片隅に追いやられていたが、非政治的であるがゆえに、かえって強く、
階級対立を超え、社会全体の意思のいわば負託者でありつづけたのである。
以後の日本の平等への動きを考えるとき、西洋思想の影響は勿論受けているが、
大元の根っこのところが全然別だということを知っておく必要がある。
昔から我が国には「人間はみな同じ」という庶民文化意識が非常に強い。他人と同じでなくてはいやだ、
他人と違うことをしてはいけないという狭い村落文化メンタリティともつながる。
戦国時代に身分の差をひっくり返す下克上があったことが関係しているかもしれない。
太古の昔から変わらない日本社会の自己同一性、
外国人にもわかりやすくしてあげるならConformityの度合いの高さには、
西洋の「平等」とは別の日本社会に独自のものがあると考えるべきである。
人権対立や地域対立も少ないための温和な風土は一万年以上に及ぶ縄文時代からつづく民族性ともいわれているが、
勿論、階層差はあったし、いまもある。
ただ流動性の度合いが高く、明治の元勲や皇族や華族の末裔が、
三、四代目でプレステージを維持できない。「人間はみな同じ」に呑み込まれる。
そして戦後、社会主義を実現したのは日本ではないかとまでいわれた。
そのような自己同一性の著しく高い国柄で、万世一系の世襲天皇制度が百二十五代もつづいてきた。
「人間はみな同じ」であるがゆえに、同じでないものが一つだけは存在しなくてはならないとする合理を超えた心理。
一家系だけは別個でなければならないとする民族の習合意志。ここに我々は日本人の宗教観念を見る。
憲法第一条「国民主権」と第二条「世襲」は西洋かぶれの底の浅い人間には矛盾に見えるだろう。
日本流儀を信じている者には少しも矛盾に見えない。
国民主権を民主主義や平等と理解するのはかまわない。ただそれを西洋の政治概念、近代理念、
あるいはアメリカニズムと見なすなら、伝統的な天皇のあり方とは衝突するだろう。
この国は七世紀に中国の皇帝に対抗して、天皇号を掲げた。
以来、大陸とは別個の文明であることを宣言し、その精神を維持してきた。
日本の歴史は西洋史でも中国史でも測れない。
武力の支配や貧富の差や階層の区別は長い歴史には当然あった。
しかしそれらを超えて、「平等らしきもの」につねに対応し、これを意識し、
宗教的にこれを守り育んでいたもの、それが天皇である。
そしてその「平等らしきもの」に与えられた概念が、聖徳太子の公民、
大化改新の公地公民で表現された「公」の概念にほかならない。
公民はいまの言葉でいえば国民である。天皇は御一人者であってその中に入らない。
天皇には姓もないし、戸籍もなく、千代田城には住所もない。天皇は国民ではない。
ということは、天皇は仙人のように雲の上に一人で生きているわけではないのだから、
国民との関係で生きている。
国民との関係性が天皇そのものである。それを総称して「公」といってよいのかもしれない。
「平等」という言葉は中国だけでなく、西洋においても日本人が抱く
「人間はみな同じ」のあの素朴な感覚とは決して一致しない。
西洋では平等は権利の主張と同じである。不平等を是正しようとする革命のための表現である。
他人の幸福を妬み、自分の低いレベルに他人を引きずり下ろそうというある意味で卑しい内容を内に孕んでいる。
日本に西洋流の「平等」の理念はなかったが、聖徳太子以来、「公」の概念があり、
有名な「和」の思想がこれを補っていた。
それを「平等らしきもの」と私は言い直したのだが、公民との関係で、
目の前の政治権力を超えて自己の存在理由を守りつづけてきた
歴代天皇は、日本社会の公正の守り神であり、政治的には無力なのだが、公平の祈り手であった。
第119代に光格天皇という方がおられた。明治天皇の三代前である。
第113代の東山天皇が皇統の途絶えるのを恐れて、
亡くなる前の勅命で自己の曾孫を始祖とする閑院宮家の新たな設立を言い置いていた。
それを新井白石が承けて建議し、新宮家が創立された。
ほどなく暗い予感は的中した。天皇家の継嗣断絶の危機が訪れたのである。
東山天皇と新井白石の共同の智恵はただちに役立ち、
新宮家の二代目の親王が皇位を継承することになり、光格天皇となった。
この光格天皇こそ、ほかでもない、今上陛下の直系の始祖である。
現在の天皇家は江戸中期に外から船に乗り移った新しい家系のご子孫なのである。
この光格天皇がご即位になったのが17歳、ときに世は天明の大飢饉の唯中にあった。
天皇は多数の餓死者が出ていることを不憫に思い、米の放出という窮民対策に心を労した。
しかしこれは当時の観念では幕府の専権事項で、朝廷が口出しすべき事柄ではなかった。
なのに光格天皇は民衆救済のために、内政上のことで幕府に命を発するというついぞ先例のないことをやってのけた。
そして最終的に1500石もの救い米を放出させることに成功した。
やがてこれが幕末につながっていく一つの転機となるのである。
「公正の守り神」であろうとする天皇の心構えは多分家訓となって、我々の知る歴史物語にもなっているようである。
高台に登って民の竈の煙の立たぬを見て「百姓貧しきは、即ち朕が貧しきなり」と言い、
宮殿の屋根が壊れても垣根が崩れてもそのままにした、という仁徳天皇の話は国民の間でもあまりにも有名である。
昭和天皇が戦後、皇太子(今上陛下)の小金井の仮寓所をつくるに当たり、
国民が防空壕暮らしをしているときに新築はまかりならぬ、と厳命した話にも通じるであろう。
亀山天皇は蒙古襲来の際、伊勢神宮に願文を捧げ、「朕が身をもって國難にかへん」と仰せられたが、
昭和天皇がマッカーサーに初会見した日に「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、
軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、
私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにお訪ねした」と、
生命と引き替えに国家と国民を守ろうとしたときの感動的な決意に通じるのである。
皇室が我が国と国の民の守り神であることへの国民の宗教的信仰心がまずあり、
民を思う天皇の「無私の精神」と相俟って「公」が成り立つのであって、
どちらか一方が欠けてもうまくいかない。
今年の3月、学習院幼稚園をご卒業になり初等科新一年生となられた愛子内親王に、
4月から特別教育係が配属されたというニュースがあった。
そのことはべつに不思議ではない。
ただ、新任の養育専任の東宮女官は昨日まで幼稚園の園長先生として父兄や子どもたちから仰ぎ見られていた方が
定年になったのを機に、皇太子ご夫妻の強い要望で任命されたと聞いて、
私はまずいな、東宮家はまたやったかと思った。
今の時代は情報化社会で、昔と違って隠すことができない。
それだけやりにくくなっていることには同情する。
学習院でさえ藩屏の子弟だけが集まる閉ざされた囲いではない。
けれども、外の社会が平等であれば―かつて外の社会が貧しければ天皇も貧しくしたように
―できるだけ平等であることに耐えなければならない。
特権濫用と思われてしまうことは、「人間はみな同じ」の我が国の庶民文化意識に逆らい、
そこから浮いて、人の嫌悪と反感を誘うだろう。
今後、天皇制度が無事安泰であることを祈る立場から申し上げるが、
天皇と公民、皇室と国民の関係がすべてで、どちらもが慎重さと努力を求められている。
皇太子ご夫妻に慎重さと努力が足りないことは明らかで、今のままで今後も何も変わらないとしたら、
「公」は無視され、国民の心は天皇家から離れていくであろう。