2017年7月-12月雑誌記事

眞子さま婚約内定会見、雅子さまの重要公務と日程重なり波紋
2017.08.24 11:00
秋篠宮さま(51才)と眞子さま(25才)は、8月23日までハンガリー・ブダペストに足を運ばれた。
2007年のマダガスカル、2010年のラオス以来3度目の父娘旅行だった。
「表向きは、眞子さまは民族博物館を、秋篠宮さまは家畜の飼育施設など
それぞれの研究分野を視察されるためというのが今回の私的旅行の目的でした。
ですが、実際の所は父娘2人の“最後の思い出作り”といった側面も大きかったようです。
秋篠宮さまは18日にご出発。眞子さまは公務の関係で1日遅れの合流となりました。
民族博物館では、眞子さまは展示物などをスマホで撮影されながら熱心にご覧になっていました。
当初、その施設は眞子さまの合流前に秋篠宮さまがお1人でお出かけになる予定でしたが、
英国留学中に博物館学を学ばれた眞子さまのたっての希望もあり、
合流後の訪問に予定が組み直されたそうです」(皇室記者)
旅行に先立って、8月17日、宮内庁は眞子さまと小室圭さん(25才)の婚約内定会見を
「9月3日」に行うことを発表した。
会見は当初7月8日の予定だったが、九州北部を襲った豪雨被害のため約2か月延期された。
「9月3日になったのは、両陛下と秋篠宮ご夫妻のご予定や、
9月12日の佳子さまの英国留学へのご出発前という事情を考慮したからだそうです」(皇室ジャーナリスト)
だが「9月3日」は、皇太子さまと雅子さまが重要な公務で奈良を訪れる予定の日にあたる。
雅子さまは、9月2、3日に奈良県で行われる「国民文化祭」に、
皇太子さまとご一緒に臨席される方向で調整が進められている。
「国民文化祭は『皇太子の八大行啓』の1つに数えられるもので、大変重要な公務に位置づけられています。
雅子さまは7月に1泊2日で秋田県へお出ましになりましたが、
4月のマレーシア訪問や6月に石川県で行われた『みどりの愛護』のつどいへの臨席、
同月のデンマーク訪問といった“宿泊を伴う公務”を立て続けに見送られてきただけに、
大変注目が集まっています」(前出・皇室記者)
前出の皇室ジャーナリストはこう話す。
「眞子さまの伯父である皇太子さまは、婚約内定の手続きには直接的には関係しません。
会見が皇太子さまをはじめとした他の皇族方の公務と重なってはいけないという決まりもありませんから、
形式的には問題はないのです。
一方で、メディアや国民の関心の集まる雅子さまのお出ましとあっても、一生に一度の慶事ですから、
ニュースなどでの扱いは必然眞子さまの婚約会見のほうが大きくなるわけです。
まさにそれが問題で、皇太子ご夫妻の重要な公務の日に眞子さまの婚約会見が重なったことに、
“皇太子ご夫妻をないがしろにしているのではないか”という声が噴出しているのです」(前出・皇室ジャーナリスト)
撮影/雑誌協会代表取材
※女性セブン2017年9月7日号
https://www.news-postseven.com/archives/20170824_606876.html

週刊女性2017年9月19日号
8月30日の午後4時半ごろ、10日間の那須ご静養を終えた皇太子ご一家は、
那須塩原駅から新幹線に乗って帰京された。
愛子さまも「夏休み」の終盤をエンジョイされたようで、少し日に焼けていた。
「昨秋に体調を崩してからおやせになっていた愛子さまは、今年4月以降も学校を休みがちでした。
しかし現在は体調も回復されて体重も戻り、もう心配はないと聞いています」(宮内庁関係者)
一時期はその“激やせ”ぶりから「摂食障害」を疑われるほどだったが、もう心配はいらないようだ。
“快調”な愛子さまは那須に滞在中も積極的に活動されていた。8月24日の午後3時ごろには、
影絵約140点が展示されている『藤城清治美術館』を訪れ、藤城氏本人に案内されながら見て回られた。
美術館を出られたあとの午後4時半ごろには、『テディベア・ミュージアム』で
世界の有名作家が手がけたテディベアを楽しまれ、帰り際に紙袋いっぱいのお土産を購入。
午後6時ごろ、この日最後に向かわれたのは『ステンドグラス美術館』。
「愛子さまはステンドグラスをあしらったストラップや装飾品を作る体験をされました。
夕食は敷地内にあるレストランスペースで、ご一家のためにお出しした特別なフルコースと
洋菓子のパンナコッタを召し上がっていましたよ」(従業員のひとり)
ここには約5時間も滞在して、御用邸に戻られたのは午後11時近く。
4日後の28日には、午前11時ごろからご両親や数組のお友達親子とともに『那須どうぶつ王国』へ。
「レッサーパンダやペンギンを興味深くご覧になったり、馬ににんじんをあげるなど
園内の動物たちとくまなくふれあっておられました。
アシカショーでは、雅子さま(53)が小さな輪っかをお投げになって
アシカがうまくキャッチするのを見てとても喜ばれていましたよ。
ラクダの騎乗体験の際は、ラクダのこぶに触れて驚かれていましたね」(施設関係者)
皇太子さま(57)と雅子さまがラクダに騎乗されると、
愛子さまは写真に収めようと必死にデジカメを構えるなど、家族との時間を楽しまれていたようだ。
翌日は『東急ハーヴェストクラブ』で昼食をとり、
夕方ごろには遊覧船やアトラクションなどもある『りんどう湖レイクビュー』へ。
例年以上に夏休みをご両親と一緒に思いきり楽しまれていた愛子さまだった。

紀子さまの誕生会に異例の皇太子ご一家出席 その裏側
2017.09.15 11:00
東京・千代田区にある『喜山倶楽部』は、1931年創業の伝統ある大規模パーティー会場だ。
和会席からフレンチのコースまで専門スタッフが一流の腕を振るう同会場のケータリングが、
9月11日の夕方、皇族方が暮らす赤坂御用地へと次々と運び込まれていった。
その夜、御用地内にある秋篠宮邸で、紀子さまの51才の誕生日を祝う夕食会が行われた。
3日に眞子さまと小室圭さんの婚約内定会見が行われ、6日に悠仁さまが11才の誕生日を迎えられた。
誕生会の翌12日には、佳子さまが留学のためイギリスへと旅立たれた。
秋篠宮家にとって、立て続けに大きな転機が訪れた中にあって、紀子さまの誕生会にもまた異例の光景が広がっていた。
夜6時半、誕生会に出席されるため、天皇皇后両陛下を乗せた車が御用地内へと入っていった。
「皇太子ご夫妻の誕生会に両陛下が招待され、東宮御所に足を運ばれるのは毎年の恒例ですが、
紀子さまの誕生会に両陛下が顔を出されたというのは、過去に聞いたことがありません。
眞子さまの婚約を陛下がお認めになった『裁可』へのお礼や、佳子さまがしばらく日本を離れられるということもあって、
今回両陛下が出席されることになったそうです」(皇室ジャーナリスト)
誕生会には黒田清子さん(紀宮さま)と慶樹さん夫妻も参加していた。
「内親王から一般家庭に降嫁した“先輩”として、
清子さんから眞子さまへのあたたかい助言などもあったのかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)
およそ3時間にわたって楽しまれたという食事と歓談。
だが、さらに周囲を驚かせたのは、その場に皇太子ご一家も招かれていたことだった。
「当初、先に出席が決まっていたのは両陛下で、あとになって皇太子ご一家も参加される方向で調整されたそうです。
園遊会や新年一般参賀など公に皇族方が揃う機会を除いて、
両陛下、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻がプライベートの食事会などで一堂に会されることはほとんどありません。
日頃はそれぞれでご公務や宮中祭祀でお忙しく、今回のような私的なご会食は年に数度あるかないか。
それだけ貴重で珍しいことなのです。今回の実現の陰にはどうやら、両家の関係の将来を案じ、
皇室が末永く国民の心のよりどころとなることを願う美智子さまのお気持ちがあったようなのです」(宮内庁関係者)

◆秋篠宮さまだけ残られた1時間
誕生会から遡ること3日前の9月8日の昼頃、皇居では、
陛下が生前退位のお気持ちを抱かれた2012年頃から恒例となっている、
陛下、皇太子さま、秋篠宮さま3者による「頂上会談」が行われた。
月1回のペースで行われる会談後の昼食には、美智子さまが同席されることもあり、
皇室の行く末についてのお気持ちはご家族で共有されてきた。
その日、皇太子さまが皇居を後にされたのは午後1時半頃。
だが、秋篠宮さまが出てこられたのは、それから1時間も経ってからだった。
「眞子さまのご結婚までの今後の段取りなど、いろいろとお話しにならなければいけないことがあったのでしょう。
そしてもう1つ、眞子さまの婚約内定会見と皇太子ご夫妻の重要公務が
バッティングしたことへの言及もあったのではないでしょうか。
それが、紀子さまの誕生会に皇太子ご一家も出席されるという
珍しい事態につながったのかもしれません」(前出・宮内庁関係者)
本誌・女性セブン既報通り、眞子さまの婚約内定会見が行われた9月3日、
皇太子ご夫妻は「国民文化祭」へのご臨席のため奈良県を訪問されていた。
皇太子の「八大行啓」の1つに数えられる重要な公務で、
「ご体調次第」という前置きはあったものの、雅子さまの同行が期待される注目の公務だった。
「北九州の豪雨被害で婚約内定会見が7月から延期されるという予想外の事態があったので致し方ない面もあります。
しかし、否が応にも世間の注目を集める婚約内定会見が皇太子ご夫妻の公務とぶつかってしまったことに、
両家のすきま風を心配する声も聞かれました」(前出・皇室ジャーナリスト)
皇室内には、明確な序列が存在する。「大殿下」の愛称で親しまれ、
昨年100才で薨去された三笠宮崇仁さまは、昭和天皇の弟でありながら、
皇位継承順位が上位である皇太子さまやその妻である雅子さまにも常に敬語で接していらっしゃったという。
「ですが、皇位継承権をもつ悠仁さまを紀子さまが出産されたことは、
男児のいない皇太子家との“序列”を少しいびつなものにしてしまったのです」(前出・宮内庁関係者)
生前退位が来年末、あるいは2019年3月に迫る一方で、
「女系・女性天皇」や「女性宮家創設」といった皇室を巡る問題は、解決の糸口をみないままでいる。
眞子さまの婚約内定によって、再び浮き彫りとなった「皇族の減少」という喫緊の課題もある。
そんな状況にあって、皇室が一枚岩であるべきときに、
両家の関係を危惧されていらっしゃったのは他でもない陛下であり、美智子さまだった。
「会見と公務のバッティングという話だけではありません。
眞子さまのご婚約について、秋篠宮ご夫婦は両陛下には以前から丁寧にご報告されていた一方で、
皇太子さまには充分に情報が伝わっていなかったという話も囁かれています。
ご報告の“義務“があるかないかは別として、次の天皇への即位を目前に控える皇太子さまが
知っておいた方がいいこともあったかもしれません。
ご一家を紀子さまの誕生会にお呼びになったのは、そうした両家のバランスを正そうという
美智子さまのご配慮があったのではないでしょうか。
美智子さまと、雅子さまと紀子さまという“2人の嫁”との異例の夜が実現することになったのには、
美智子さまの強いお気持ちがあったのでしょう」(前出・宮内庁関係者)
撮影/雑誌協会代表取材
※女性セブン2017年9月28日号
https://www.news-postseven.com/archives/20170915_612980.html

「悠仁殿下」小笠原4泊はお忍びで 秋篠宮家の「帝王学」
週刊新潮2017年9月21日号
11歳になられる直前、母と子の二人旅だった。
6日、11歳の誕生日を迎えられた秋篠宮悠仁さまが7月下旬に小笠原諸島を訪れていたとフジテレビが報じた。
皇室担当記者が言う。
「紀子さまとお二人で小笠原の自然に触れるという私的なご旅行でした。竹芝から船に乗って24時間、
父島に4泊5日の滞在という日程だったそうです。
秋篠宮殿下は天皇陛下や皇太子さまよりも目立たぬようにという思いをお持ちで、
悠仁さまに関して非公表の日程が多く見受けられます」
周囲の目を気にすることなく、濃密な5日間だった。案内をした小笠原村の渋谷正昭副村長の話。
「初日はビジターセンターで島の自然や歴史についてのパネルをご鑑賞。
小笠原海洋センターにも出向き、標識をつけたアオウミガメを放流されました」
翌日以降はシュノーケリングや、船で片道2時間の母島の農家でパッションフルーツとマンゴーの収穫体験もされた。
中でも、「2日目にトレッキングツアーに行かれ、6時間半の行程を歩かれました」(同)
太平洋を望み、海抜260メートルにある千尋岩を目指すコースだ。
「基本的なルートはかつて軍道として旧日本軍が使用していました。
電波警戒機(レーダー)や乗り捨てられたトラックの残骸など今でも戦跡が残っています。
お昼はツアー側が用意したお弁当を召し上がったと聞いています」(同)
戦時中、硫黄島を含め2万人以上の犠牲者を出した小笠原諸島。
「別の日は同島内の戦没者鎮魂の碑に献花、黙祷をされていました」(同)
先の記者によれば、
「悠仁さまは学校で栽培委員を務めるなど、動植物への関心が高い。一方、秋篠宮ご夫妻はそれのみならず、
歴史や芸術、文化など広く見聞を深めてほしいと、8月には皇室ゆかりの滋賀の毛筆製造店を訪れました。
他にも、お忍びで美術館や地方にお出かけになっていて、今回のご訪問もその一環だったのでしょう」
メディアの目に触れない場所で“帝王教育”は進んでいる。
https://www.dailyshincho.jp/article/2017/09220559/?all=1

高麗神社参拝の天皇陛下を「反日左翼」と呼ぶ人たち
2017.9.29 07:00
9月20日から1泊2日。天皇陛下と美智子さまは、埼玉県へ私的な旅行に出かけた。
だが、訪問先のひとつ、朝鮮半島からの渡来人にゆかりのある日高市の高麗神社への参拝を巡り、
ちょっとした騒ぎが起きた。参拝の数日前から、ネット上には両陛下を「反日左翼」などと非難する意見や、
「反ヘイトメッセージでは?」と、その「ご真意」を臆測する書き込みであふれた。
そもそも高麗神社はどのような場所なのか。
「続日本紀」には、東国7カ国に住んだ高麗人が716年に武蔵国に移住し、高麗郡を建郡したと記される。
宮司の高麗文康(ふみやす)さん(50)がこう説明する。
「神社にまつられるのは、私の祖先にあたる高麗王若光(こまのこしきじゃっこう)。初代郡長です。
この一帯は朝鮮半島から渡ってきた高麗(高句麗)人によって栄えた土地。
昨年は建郡1300年の祝賀の年でした。境内に若光の石碑が建立され、
除幕式には高円宮家の久子さまも出席されています」
高麗宮司によれば、両陛下のご訪問が決まったのは3カ月ほど前。
両陛下の私的旅行先は、お二人の思い入れの強い場所であるのが常だ。
それだけに高麗神社参拝に意味を見いだそうとする見方が後を絶たないのだ。
翌21日には、朝鮮日報が<高句麗の王子まつる高麗神社に天皇・皇后が初訪問>と高揚した見出しとともに、
<明仁天皇は日ごろから日本の過去について心から申し訳ないと考えて、
韓日古代交流史にも関心が高いと言われている>と書き、訪問の意義を熱いトーンで報じた。
周囲の熱視線とは裏腹に、当事者の反応はいたって穏やかだ。
高麗宮司は「反ヘイトメッセージですか。うーん。それはわかりませんが、
高麗ゆかりの地に関心を示してくださっただけで光栄です」と感想を述べ、
神社庁周辺も「特別な意図があるような話は出ていませんね」。
陛下は、「高句麗や百済などの国がどうして滅んだのか」などと歴史について熱心に質問された。
そして、美智子さまと神社周辺の山桜やしだれ桜の木をながめ、それは楽しそうに会話をされていたという。
※週刊朝日 2017年10月6日号
https://dot.asahi.com/wa/2017092700011.html

女性セブン2017年10月26日号
10月8日、明治神宮球場(東京・新宿区)に隣接する第二球場で、高校野球秋季大会の試合が行われた。
第1試合でぶつかったのは、学習院高等科と駿台学園高校。
学習院側の応援席に、愛子さまがお忍びで姿を見せられた。
デニムスカートに白い半袖のカットソー、足元は白のスニーカーという出で立ちの愛子さま。
トレードマークのポニーテールを若草色のシュシュで結ばれ、
首元には白い花びらがデザインされたネックレスをされていた。
「お友達とご一緒にいらっしゃったようで、
バックネット裏の前から8番目の“絶好ポイント”に着席されました。」(学習院関係者)
毎年6月、学習院と筑波大附属中・高の間で、野球や陸上競技、バスケットボールなどの試合が行われる
通称「附属戦」というイベントがある。愛子さまは今年の附属戦で、野球部の試合を観戦された。
2回に4点、3回に2点を奪われ序盤から苦戦を強いられる展開の中、
チャンスのシーンでは飛び跳ねんばかりにバッターにエールを送られていた。
「赤い双眼鏡を取り出されて終始熱心に応援されていましたが、一際声援が大きくなったのが、
愛子さまと同学年のA君がバッターボックスに立ったときでした。
デジカメをバッグから取り出され、パシャパシャと撮影をされていたのです。
終盤にA君がヒットで出塁し、続くバッターのヒットでホームに帰ってくると、
愛子さまは両手を上げられて大喜び。隣のお友達に笑顔で話しかけられ、
何度もうなずきながら拍手を送られていました。A君は学習院中等科出身。
もしかしたら、初等科で愛子さまと机を並べられていたのかもしれません。
年頃の女の子なら誰でも通る道と申しましょうか、大変おかわいらしいご様子でした」(前出・学習院関係者)
残念ながら、試合は学習院が1-11の大差で敗北。

女性セブン2017年11月16日号
雅子さまの「愛子さまファースト」に対し懸念の声出る
1年半後にやってくる次代の到来に向け、雅子さまへの期待は日を追うごとに膨らんでいる。
だが、皇太子さまに「おひとり公務」を託された雅子さまの、連日の私的お出ましが波紋を呼んで──。
10月最後の週末、愛子さまが通われる学習院女子高等科(東京・新宿区)で、
恒例の文化祭『八重桜祭』が開催された。
「終日雨でしたが、台風を吹き飛ばすくらい校内は活気に溢れていました。
各教室では書道や華道の作品が展示されていたほか、
愛子さまは高校3年生のダンスパフォーマンスなどをご覧になったそうです」(学習院関係者)
中等科3年だった昨年、長期欠席のさなかにあった愛子さまは文化祭を欠席された。
土、日の2日間にわたって行われた文化祭には、雅子さまも両日足を運ばれた。
土曜は14時前に到着され、17時過ぎにお帰りに。日曜は、13時頃から16時頃まで滞在された。
「文化祭は子供たちの日頃の様子を間近で感じられるいい機会ですから、
これまで、愛子さまの学校生活を心配されたことのある雅子さまも、
愛子さまがはつらつと参加される姿にほっと胸をなで下ろされたことでしょう。
ですが“今回ばかりは、自重すべきだったのではないか”という意見も宮内庁内部には散見されるのです。
まして2日間連続でお出ましになられなくても、と」(前出・宮内庁関係者)
その“諫言”の理由は、東京から遠く離れた四国・愛媛にあった。
10月27~29日の2泊3日の日程で、皇太子さまは『全国障害者スポーツ大会』の開会式に出席されるため、
愛媛県で“おひとり公務”に臨まれていた。
皇室と障害者スポーツのかかわりは深い。
「もともとこの大会は、皇太子時代の天皇陛下のご意向で誕生しました。
1964年の東京五輪と同時開催されたパラリンピックを両陛下は連日観戦。
大会後、陛下が“このような大会を国内でも毎年行えないものだろうか”と述べられたのをきっかけに、
翌年前身となる大会がスタートしました」(皇室ジャーナリスト)
その後、両陛下はこのイベントに熱心に取り組まれた。
思い入れのある大事な公務を引き継がれたのが、皇太子さまと雅子さまだった。
今から1年半後には皇后となられる雅子さまへの期待は日を追うごとに大きくなっている。
「一方、その声に応えようと無理をされ、また病状が後戻りしてしまうことに不安を覚える声も聞こえてきます。
ですから、愛媛にお出ましにならないという判断は理解もできます。しかし問題は、その期間に私的外出として
愛子さまの文化祭に、しかも2日間とも足を運ばれるべきだったのかということです。
文化祭をご覧になることは“できることからする”という治療方針の雅子さまにとってプラスだったかもしれませんが、
このことを障害者スポーツ大会の関係者が知ったらどう感じるか。
“愛子さまファースト”の外出を自粛されるという選択肢もあったのではないでしょうか」(前出・皇室ジャーナリスト)
文化祭2日目の10月29日、天皇皇后両陛下は『全国豊かな海づくり大会』の式典行事や
7月の集中豪雨の被災地訪問のため、福岡県を訪れられていた。
大会の式次第が終わり両陛下が退場される際、ちょっとしたハプニングが起こった。
「壇上に、作文コンクールの受賞者の小学2年の男子児童がいました。
そのとき、席を立たれた陛下が児童の前を素通りしてステージ脇に向かわれてしまったのです。
美智子さまからお声があったようで、陛下はそこで踵を返され、改めて児童にお声掛けをされました」(別の皇室記者)
年間300件を超える公務は、80才を超えられている両陛下にとって大きなご負担であることは明白だろう。
対して、雅子さまの公務の数は50件前後に留まっている。

週刊女性2017年12月19日号
「愛子さまは、12月1日に16歳のお誕生日をお迎えになりました。
当日の午後6時ごろ、両陛下に挨拶するため皇居を訪れた際に、
周囲から“敬宮さま~、おめでとうございます!”と声をかけられると、
車の窓を開けて見えなくなるまで笑顔で手をふられていました」(東宮職関係者)
「11月に入って気温が下がった時期に熱を出して数日間、学校を欠席したこともありましたが、
2学期はほとんど登校してお元気に過ごされていましたよ」(同・東宮職関係者)

秋の園遊会で見せたご快復ぶり「雅子さま」15分の壁
社会・政治 2017.12.08
「この秋以降、地方公務を多数こなされて、ご快復ぶりが自信につながっているようでした。
そこで今回は『15分の壁』を越えるのではないかと期待されていたのです」(皇室ジャーナリスト)
11月、東京・元赤坂の赤坂御苑で催された秋の園遊会。皇太子妃・雅子さま(53)は、またも途中でご退席された。
14時15分ごろ、三笠山と呼ばれる丘に皇族方と整列された雅子さま。
式典行事を終え、数十メートルの距離を歩いて招待客と懇親されたが、
皇太子さまが「そろそろ……」と合図なさると、
名残り惜しそうな笑顔を見せながら、浅黄幕の切れ間に消えていった。
雅子さまは、2004年7月に「適応障害」というご病名が発表されて以降、長らく園遊会に出席されなかった。
2015年秋のご出席は、じつに12年ぶりのこと。
以来、4回連続(2016年秋は三笠宮殿下薨去により中止)の園遊会ご出席となるが、
いずれも15分以内で中座なさっている。だが2017年、宮内庁関係者には、たしかな兆しが感じられたという。
「ご退席までの時間は長くなっている。雅子さまが招待客とじっくりお話しなさっていたためだ。
参議院議員の朝日健太郎氏の前では、
雅子さまが手を挙げて “身長が高いですね” と示されたようで、和やかな雰囲気が見て取れた。
また、退席場所付近で皇太子殿下が合図を送られた後、雅子さまはさらに招待客に声をかけていた。
皇太子ご夫妻の前を進まれる両陛下との距離が、最大で30メートル近くも空くほどだった」
じつは開催前日まで、雅子さまの完全出席が検討されていた。皇室ジャーナリストの山下晋司氏が解説する。
「今回、退出されたのは過去3回と同じ場所。ここを越えると50メートルほど先の取材カメラの前を通り過ぎるまで、
退出する機会はありません。無理はされないように中座されたのでしょう」
園遊会での女性皇族の装いを決めるのは皇后陛下だ。春が和装の場合は、秋は洋装をお召しになるのが定例。
労力がかかり、体を締めつける和装を、雅子さまは苦手とされている。しかし、今回は春に続き和装が選ばれた。
「和装が予定されていた昨年秋の園遊会が中止になったことで、今回和装が続いたとの見方がある。
だが、装いを決めた美智子さまの思いもこめられていたのではないか。雅子さまの体調を慮りながら、
皇后となるまでに皇族として人前で振る舞うことに少しずつ慣れていけるように、
雅子さまの快復を後押ししようとされたのかもしれない」(前出・宮内庁関係者)
2019年の皇后となる日へ向けて、ご快復の道を進んでいる雅子さまは、園遊会のみならず、
今後も「皇后への壁」を越えていかなければいけない。
「雅子さまは、皇族と接する機会の多い人との接触に、特に重圧を感じるようだ。
繰り返し参加する人の多い皇居の勤労奉仕団へのご会釈や、記者会見には現在参加されていない。
今後これらに復帰されれば、大きなご快復の目安になるだろう」(皇室ジャーナリスト)
行事を欠席しがちな雅子さまが、美智子さまと同様に振る舞えるのかーーそんな疑念の声もある。
だが皇室研究家の高森明勅氏はこれに異を唱える。
「たしかに雅子妃殿下のおつとめのなかで、宮中祭祀は身体的にも精神的にも、
もっともハードルが高いと理解していいでしょう。
ですが、皇后におなりになったら、ご公務や祭祀が増えるかというと、そうではないのです。
地方公務は皇太子殿下のほうが多いですし、祭祀の回数は皇后陛下と皇太子妃殿下は同じ。
そもそも、美智子さまと同じように振る舞う必要はありません。
雅子さまの新しい皇后像を求めていかれればいいのです」
「壁」は必ず越えられる。
(週刊FLASH 2017年11月28日号)
https://mart-flash.jp/sociopolitics/29566

雅子さま 美智子さまに直訴!「外国元首とお忍び懇談」
「政府は、新しい天皇陛下となられる皇太子さまの『即位の礼』を19年秋に行う方向で調整を進めています。
外国からの賓客も大勢招かれ、盛大なものになることでしょう」
そう語るのは、宮内庁関係者。政府は年明けにも菅義偉官房長官をトップとする準備組織を設置し、
譲位・即位に向けた準備を本格化させていくという。
12月9日、雅子さまの54歳のお誕生日に発表されたご感想には、こんなご心境がつづられている。
《これから先のことを考えますと、身の引きしまる思いが致しますが、両陛下のお導きをいただきながら、
皇太子殿下をお支えしつつ務めを果たしていくことができますよう、努力を重ねて参りたいと思っております》
このお言葉通り、雅子さまは“新皇后”に向けての努力を密かに重ねられている。
本誌は、それを裏付けるエピソードをキャッチした。ある外務官僚は、本誌にこう明かした。
「まったく報道されていませんが、実は皇太子さまと雅子さまは11月30日に、
千代田区にある在日ルクセンブルク大公国大使館をお忍びで訪問されたのです」
ルクゼンブルクのアンリ大公と長女のアレクサンドラ王女が、国賓として日本に滞在していたのは、
11月下旬のことだった。
「基本的に、アンリ大公のおもてなしは、“同格”である天皇陛下と美智子さまがなさいました。
もちろん皇太子さまと雅子さまも宮中晩餐会には出席されましたが、その場では、ご挨拶程度しかされず、
親しくお話しする機会はほとんどなかったと思います」(前出・宮内庁関係者)
皇太子ご夫妻がルクセンブルク大使館を訪問されたのは、宮中晩餐会の3日後。前出の外務官僚が続ける。
「ご訪問の目的は、離日直前のアンリ大公と懇談されるためでした。ご到着は午後3時ごろ。
大公と王女に迎えられた皇太子ご夫妻は、まず大使館の1階に飾られている写真をご覧になったのです」
写真は、写真家やエッセイストとしても人気があり、
国際的に活躍するハービー・山口氏が、ルクセンブルクの街並みを撮影したものだった。
「明るい雰囲気で写真をご覧になった後、皇太子ご夫妻と大公と王女は、
お茶とお菓子を楽しまれながらお話しをされたそうです」
宮内庁のHPには、皇太子ご夫妻の日程も記載されているが、
ここに11月30日の大使館ご訪問についての記載はない。だが、前出の宮内庁関係者は言う。
「その情報を聞いてから該当部署などに確認したところ、確かに皇太子ご夫妻は、
アンリ大公とお会いになっていたことがわかり、私も非常に驚きました。
皇太子ご夫妻が、お忍びで大使館を訪問され、相手国の元首と会談をされたわけですが、
こうしたケースはこれまでにはなかったことだと思います」
この“前例なき会談”は、皇太子さまと雅子さまが強く望まれたことだったという。宮内庁関係者が続ける。
「皇太子ご夫妻はお代替わり後を見すえられ、『私どもも、日本の皇室とご縁の深い、
ルクセンブルクの王室との関係を大事にしたいと考えています』と、
天皇陛下と美智子さまに相談され、お許しを受けたそうです」
いわば“直訴”によって、実現したものだというのだ。
「ご婚約以来25年、雅子さまにとって“皇室外交”は夢であり続けたと思います。
そして皇位継承が目に見える時期になったいま、ついに動き出されたのではないでしょうか。
これまでのご活動から、雅子さまの目指されている皇室像も、おぼろげながら見えてきます。
その未来の構想の1つが、世界の恵まれない子どもたちを救うというものなのです。
先日のお誕生日にも《広く世界に目を向けても、困難な状況に苦しんでいる人々が数多くいることに心が痛みます》
と、国際的な協力が大切だと訴えられました。
ルクセンブルク大公国との絆を深められることも、その第一歩とお考えになられたのでしょう」
きっと大使館での懇談では、国民との関係の両国の差についても語りあわれたに違いない。
https://jisin.jp/serial/社会スポーツ/imperial/32048