2017年1月-6月雑誌記事

女性セブン2017年2月9日号
これまでの「御代がわり」は天皇が崩御されたことをもって新天皇が即位するので、
どうしても重苦しい雰囲気があった。
ところが今回は喪に服すことがない。
日本全国が新たな天皇皇后の誕生に沸き、祝賀ムード一色に包まれることになるのだ。
この冬、雅子さまの大きな変化をある宮内庁関係者は感じ取っていた。
その日、東宮御所に両陛下が足を運ばれる予定だった。
両陛下の訪問を控え、雅子さまは東宮御所に別の客人を招かれていたという。
客人が早めに帰路につこうとすると、雅子さまは「もっとゆっくりしていらっしゃって」と話されたという。
「両陛下がいらっしゃるとなれば、以前は雅子さまにはピリピリするほどの緊張感があり、
それが職員やお付きの人間にまで伝わるほどでした。
それがその日は大変余裕のある雰囲気だったそうです」(宮内庁関係者)
雅子さまと美智子さま、ひいては両陛下は長らく「途絶状態」にあるといわれてきた。
「1995年、雅子さまを慮って“国民はみな、あなたたちの子を期待していますよ”とお言葉をかけられた陛下に
雅子さまが“私の周囲には、そんなことを言う友人は1人もおりません”と
言い放たれる場面があったと報じられました。
また、2000年に香淳皇后が崩御され連日儀式が続いた折には、
美智子さまから行事の決まり事や服装のアドバイスを受けた雅子さまが、
大勢の皇族方や職員の面前で“叱責された”とショックを受けられたこともあったそうです」(皇室ジャーナリスト)
「皇室では、天皇と皇后は絶対的な存在。嫁と姑という関係性は変わらなくても、
即位の日に皇族としての雅子さまと美智子さまの立場が逆転するのです」(皇室記者)
早くに大正天皇を亡くした貞明皇后は皇太后時代、公の場では香淳皇后の下座に控え、
徹底的に皇后の立場をたてようとされていたという。

御代替わりに向け皇太子はアジア大会、秋篠宮は追悼式に
2017.02.02 11:00
1月17日、皇居では天皇、皇太子、秋篠宮の三者会談が、約1時間にわたり行なわれた。
生前退位にかかわる天皇家の最終的な意思を確認する話し合いだったといわれている。
三者会談の後、天皇家には「御代替わり(みよがわり=皇位継承)」に向けた新たな動きも始まった。
皇太子は今年2月19日に札幌で開幕するアジア冬季競技大会の開会式に
天皇の「ご名代」として出席し、開会宣言を行なう。
天皇・皇后はベトナム訪問(2月28日から約1週間)を控えていることから、
「極寒の北海道から10日足らずで熱帯のベトナムへのご移動となれば体調がご心配」
(宮内庁関係者)という判断があったとされる。
ただし、宮内庁OBの見方はやや異なる。
「両陛下のご体調への配慮があったのはもちろんでしょうが、主催者側が陛下の出席を依頼するなか、
病気療養や手術入院など日程的に支障が生じているわけではないのに名代を立てるのは異例です。
今回、陛下があえて皇太子に冬季アジア大会の開会宣言をお任せになるのは、
生前退位に向けてご公務を皇太子に託していくというお気持ちの表われと推察されます」
秋篠宮にも重要な公務が“委譲”された。3月11日に国立劇場で開かれる東日本大震災六周年追悼式典だ。
追悼式は昨年までの5年間、天皇、皇后が臨席し、「被災地の一日も早い復興を願われ、
被災地慰問を重ねてこられた両陛下にとって特に思い入れが深いご公務」(前出・宮内庁関係者)といわれる。
それをあえて欠席して次世代皇族に任せるという決断が、
「皇室は生前退位の準備を粛々と進めている」(前出の宮内庁OB)と受け止められている。
皇室制度に詳しい小田部雄次・静岡福祉大学教授が指摘する。
「皇太子が冬季アジア大会で陛下のご名代を務められるのも、“次の陛下”となられる皇太子の予行演習や
国際的な顔見せという意味を含めて、天皇家が退位に向けての“実績”を積み上げようとしているように見えます。
しかし、天皇家がそうしなければならないのは、政治が皇室の問題に真剣に向き合おうとしていないからではないでしょうか。
政権側に“退位の詳細は政府で決める”という意識があり、皇室とのコミュニケーションがとれていないように見える」
※週刊ポスト2017年2月10日号
http://www.news-postseven.com/archives/20170202_488682.html

哀しき皇太子さま57歳にして惑う 記者会見での「覚悟」に注目
(更新 2017/2/23 07:00)
2月16日。皇太子ご夫妻は、東京・上野にある東京国立博物館の「春日大社 千年の至宝」展を訪れた。
皇太子さまは、絵巻物などの展示物を指しながら説明するように、雅子さまに話しかけている。
「妃殿下が傍らにおられるとき、皇太子殿下はなんとも柔らかい表情をお見せになるのです」
公務を報じるテレビニュースを見ながらうれしそうに話すのは、夫妻と交流を持つ人物。
だが、すぐに真剣な表情に戻り、続けた。
「私たちが本当に関心を持っているのは、皇太子さまがどのような『覚悟』をお示しになるかです」
2月23日、皇太子さまは57歳の誕生日を迎える。昨年、皇后美智子さまと秋篠宮さまが、
お誕生日の文書回答や会見で天皇陛下の退位をめぐる報道に言及している。
とくに、秋篠宮さまは皇族方の高齢化と人数の減少を踏まえ、皇室の将来の在り方について明確に意見を述べた。
それだけに、「新天皇」となる皇太子さまの「決意表明」があるのではと
世間では期待する人も多いのだが、ある宮内庁関係者はこう語る。
「それが、宮内庁内では皇太子さまのことはあまり話題になっていないのです」続けて言う。
「いまの陛下は、皇太子時代から象徴天皇のあるべき姿について、会見などで言及されてきた。
しかし、皇太子さまは、陛下が『回答を待っている』と言及された『新しい公務』についても、
お示しにならないままでした」
加えて、皇太子さまを取り巻く状況も、安定しているとは言い難い。
まず、先日発表された雅子さまの「冬季アジア札幌大会開会式ご欠席」も波紋を呼んでいる。
そもそも大会は、天皇陛下のご名代として皇太子さまが出席する重要な行事だが、小田野展丈東宮大夫は、
「寒い時期であり2泊3日の日程の負担などを考慮」と欠席の理由を説明した。
だが、ある宮内庁OBはこう首をかしげる。
「来月には、皇太子ご一家で恒例の春スキーに行かれると聞いています。
かつても愛子さまが江戸川区のスケート場を貸し切って練習なさる際は、付き添いをなさってきましたが……」
公務だけでなく皇室の要である祭祀や伝統を紡ぐ養蚕など伝統行事へのハードルは依然として高い。
さらに、東宮ご一家に影を落とすのは、学習院女子中等科3年に通う愛子さまのご体調の問題だ。
体重が激減したまま、2学期は長期欠席が続いた。
3学期は、欠席まじりながら登校してはいるものの、回復の兆しは見えないという。
冒頭の人物は、こう話す。
「お立場上、悩みを人に相談することもできない。皇太子さまは孤独だと思いますよ」
※週刊朝日 2017年3月3日号
https://dot.asahi.com/wa/2017022200075.html

週刊新潮 2017年3月23日号
いま一度、8月の「おことば」を振り返ってみると、
〈既に80を越え(中略)全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、
難しくなるのではないかと案じています〉
そう吐露されながら、
〈天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、
その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます〉
また摂政を置くことについては、
〈この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、
生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません〉
と、否定的なお考えを示されたのだった。
ご自身の「老い」について陛下が言及されたのは、一昨年のお誕生日会見においてである。
「同じ年の終戦記念日、全国戦没者追悼式で、正午の黙祷前に陛下がお言葉を読み始めてしまうハプニングが
ありました。そうしたことが念頭にあったと思われ、『行事の時に間違えることもありました』
『少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです』と述べられたのです。
また昨年末の会見でも、ご退出時に出口を間違われ、記者席の方へと歩み寄られる一幕がありました」(同)
陛下のなさりようを長年にわたって拝してきた、さる関係者が明かす。
「ご自身に不可逆性の現象である“老い”が着実に迫っていることを、陛下は正確に自覚なさっている。
だからこそお元気なうちに皇太子さまに譲りたいお考えなのですが、
もう1つ、おことばでは決して明かされなかった理由があるのです」
それは取りも直さず、皇太子ご夫妻の“お振舞い”だというのだ。
「皇位継承については、ご自身でしっかり見届けたいと強く思われています。というのも陛下からすれば、
やはり皇太子さまと雅子さまのお振舞いはまだ物足りなく、
もどかしさを覚えてしまうことが多い。ご心配のもとであるわけです」
とはいえ、世間でいうところの“親心”とは大いに趣を異にするようで、
「ご公務を減らしてその一部を譲り渡されたり、あるいは摂政を置いたりといった対処法では、
皇太子ご夫妻のご自覚は促せない。何より一日でも早く天皇皇后という唯一無二のお立場に就いてもらい、
そのご身位に相応しいはたらきをしてほしい、と切に願われているのです」(同)
続けて、「かりに陛下が『上皇』となられれば、そのご活動にも制約が出てくるでしょう。
それでも、実際に新天皇のお仕事を目の当たりにされた上で、
至らない部分は差し障りのない範囲で折々にアドバイスをしたいとのお考えも持たれています。
とりわけ陛下は、宮中祭祀について最も継承が難しいと考えていらっしゃる。
ご自身も大変苦労なさったとのことで、そうした思いを繰り返させぬように、とのお気持ちもあるのです」
次代を託される東宮ご一家について陛下は、お世継ぎの皇太子さまだけでなく、2004年から療養生活に入り、
なお快復の途上にある雅子妃にも、ことのほか心を砕かれてきた。
「一般紙やテレビのニュースのみならず、週刊誌からスポーツ紙に至るまで、陛下はくまなく目を通されている。
メディアを通じ、雅子さまのご病気が国民にどう映っているのか、大変お気になさっているのです。
譲位が成っても実際には皇后のお立場でご公務はなく、『準公務』という形になるわけですが、
陛下は雅子さまにもこれを全うする意識を持ってほしいと考えており、
いっそう強く生前退位を望んでおられるのです」(同)

雅子さま、美智子さまの「皇后としてのお姿」がかえって“重圧”に
週刊女性2017年4月4日号
2017/3/23
「おひとりで訪れた雅子さまは、一般の方が作られた身近で便利な発明品を興味深く見て回られていました。
優秀作品の受賞者ともリラックスされた様子でお話をされていましたよ」(東宮職関係者)
 3月9日、東京・有楽町の『東京交通会館』内で開催されていた
『第50回なるほど展』に“お忍び”で足を運ばれた雅子さま。
同展は'02年と'09年にも、ご公務で見学されているのだが、今回のお出ましに関しては公の発表はなかった。
「雅子さまは、公務などで周囲から注目されることに関しては、まだ苦手でいらっしゃるのかもしれません。
『なるほど展』は、以前からお出ましになっていて思い入れの深いイベントだったからこそ、
人の目が少ない私的なお出ましにされてまでいらっしゃったのだと思います」
そう話すのは、皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさん。
ここ数年はご体調も回復傾向にあるとはいえ、13年にわたる『適応障害』の療養は続いている。
そんな雅子さまにとって4月中旬に検討されていた「海外訪問」は、やはりハードルが高かったようだ。
「4月13日から17日の4泊5日の日程で皇太子さまのマレーシア訪問が予定されていますが、
雅子さまのご同行は見送られることになりました。
もし実現すれば“初のアジア訪問”になっていました」(皇室担当記者)
'13年にはオランダ、'15年にはトンガを訪問されるなど、海外へ行かれる機会が増えていた雅子さま。
「国際親善」を志し皇室に入られたが、なぜ今回の訪問は断念してしまわれたのだろうか。
前出の渡邉さんは、4月の“一大行事”との関連性を指摘する。
「園遊会が差し迫っていることで、ご体調の面で大事を取られた可能性もあるのではないでしょうか。
その際は両陛下とご一緒にお出ましになることもあり、プレッシャーも大きいのだと思います。
皇后になられる日も目前に迫っていらっしゃるので、慎重に対応されているのでしょう」
4月20日に行われる『春の園遊会』は、両陛下をはじめ皇族の方々も参加され、各界の功労者約2000人が集まる。
一昨年の秋には12年ぶりに一部参加され、その後も続けてお出ましになっていることで、
欠席するわけにはいかない事情もあるのだろう。
さらに美智子さまの「皇后としてのお姿」が、近くでご覧になっている雅子さまにとって
「重圧」になっていることも考えられる。
2月末から3月上旬にかけて、約1週間にわたるベトナムとタイへの訪問から帰国された
美智子さまのお身体に“異変”が起こった。「3月14日の夕方、腹部に発疹が見られ、『帯状疱疹』と診断されました。
美智子さまはベトナム訪問前から背中に痛みを訴えられたり、『口唇ヘルペス』の症状が出たりと、
お身体は万全な状態ではなかったのです」(宮内庁関係者)
病気を患うほど今回のベトナム訪問を“懸命”に果たされた美智子さま。
雅子さまも、そのお姿に“皇后の気迫”を感じ取っておられるのだろう。
美智子さまが過去に3回、マレーシアを訪れていることも、雅子さまが訪問を躊躇された理由かもしれない。
「'70年2月には、昭和天皇のご名代として、ご夫妻で訪問されました。
気温が28度前後で立っているだけで汗ばむほどだったのですが、
着物をお召しになっている美智子さまは、立派にお務めを果たされました」(宮内庁OB)
身体障害者施設では、粘土細工セットやブロックのおもちゃを子どもたちにプレゼントなさり“
本当のお母さまのよう”と慕われたという。
平成に入って'91年に同国を訪れた際も着物をお召しになった。
「このときに美智子さまがお召しになったお着物を紀宮さまが大変お気に召し、
ご自身の結婚式のお色直しでご着用になりました」(渡邉さん)
'06年にも同国を訪れたのだが、'91年に山火事による視界不良のために
立ち寄りをキャンセルしたペラ州に“15年越し”の訪問を果たされ、地元住民も歓喜したという。
そんな美智子さまの「後継者」としてマレーシアを訪れることは、
雅子さまにとって相当なプレッシャーになっていたのかもしれない。
「再来年に雅子さまが皇后になられた際は、大変なお仕事がたくさんあります。
美智子さまは皇后として最高のお手本ですが、雅子さまは美智子さまのお姿を見ていらっしゃるからこ、
“皇后としてのカベ”が高いと感じていらっしゃるのかもしれません」(渡邉さん)
http://www.jprime.jp/articles/-/9309

女性セブン2017年4月20日号
3月27~31日、皇太子ご一家は静養のため長野県に足を運ばれ、奥志賀高原スキー場で恒例のスキーを楽しまれた。
「愛子さまは白銀に映えるオレンジ色、雅子さまはピンクと白のウエアが印象的でした。
ご体調が心配された愛子さまもお元気そうで、雅子さまは念入りにストレッチされていました。
宿泊されているホテルのお部屋から、外でバーベキューをしていたスキー客に向かって
手を振ったりもされていました」(居合わせたスキー客)
雅子さまの妹・池田礼子さん一家も同行し、愛子さまが年下の池田さんの息子の面倒を、
“お姉さま”のように見られるシーンもあったという。
このスキー静養はこれまで何度も波紋を呼んできた。
初めてお出かけになられたのが愛子さまが3才だった2005年のこと。
前年に『適応障害』と発表された雅子さまの療養のためという目的もあった。
「ゲレンデで愛子さまとともに笑顔を見せられる雅子さまの姿が公開され安堵が広がった一方、
直前の国体を欠席されたほか、スキーから戻った後に体調を崩され、
知的障害者のスポーツ大会『スペシャルオリンピックス』の観戦を出発1時間前に急きょキャンセル。
“スキーはできるのに、公務には出られないのか”と批判されたんです」(前出・皇室記者)
2010年のスキー旅行は、“いじめ”による愛子さまの不登校問題のまっただ中。
2014年には、皇太子ご夫妻の務めではないにしろ、
皇室にとって重要な両陛下の伊勢神宮参拝(3月25~28日)と日程が重なった。
2015年にも、帰京翌日に行われたデンマークのフレデリック皇太子夫妻との晩餐会を欠席された。
度重なるタイミングの悪さに、「雅子さまは“公”より“私”を優先しすぎる」と囁かれるようになった。
だが、2005年から数えて13年目を迎えた“逆風旅行”には
まったく知られていない“公”の目的もあった。スキー場関係者が明かす。
「ゲレンデのスキー客に挨拶程度で声をかけられるだけでなく、
実は雅子さまは宿泊されるホテルで、人々と積極的に交流の場を持たれてきました。
ホテルは貸し切りなのですが、ホテルやスキー場の関係者のほか、地元の人、スキー客なども訪れて、
雅子さまは終始和やかに、外国のかたには、流ちょうな英語で話しかけられていました。」

「特別扱いはなし」 叱られても笑顔で学習院JKライフを満喫する愛子さま
(更新 2017/4/19 07:00)
愛子さまはこの春、学習院女子高等科に進学した。
4月16日に学習院目白キャンパス(東京都豊島区)で催された「オール学習院の集い」では、
母の雅子さまが客席で見守るなか、演奏会でチェロを披露。
その後は仲良しのお友達とプライベートな時間を満喫していた。
*  *  *
にっこり笑ってピースサインをする愛子さま。
顔を寄せる3人の女の子は、仲良しのお友達たち。
ひとりがデジタルカメラを持った手を伸ばし、4人組は自撮り写真をパシャリ。
高等科進学とともに紺から黒に変わったスカーフが、お姉さんらしい雰囲気を見せる。
愛子さまの頬にわずかに見えるソバカスは、春休みにご家族でスキー旅行を満喫した名残である。
今年2月、皇太子さまのお誕生日に公表された「激やせ写真」をきっかけに、
愛子さまの深刻な体調不良が明らかになったのはつい2カ月前のことだ。
「実際、私たちでさえ、おやせになったあの姿を目にしたときは、驚きましたよ」(宮内庁職員)
それでも3月22日の女子中等科の卒業式と4月8日の高等科の入学式には、
報道陣に笑顔で、学校生活の感想や抱負を語る愛子さまの姿があった。
「オール学習院の集い」が開かれたこの日。
2月よりはふっくらしたとはいえ、愛子さまの頬やあごに、思春期の女の子らしい丸みはまだ見えない。
膝丈のスカートから覗く脚は、標準よりもだいぶ細い。
それでも、ふくらはぎにうっすらついた筋肉は春スキーの賜物なのかもしれない。
そうした世間の心配など杞憂(きゆう)とばかりに、愛子さまはお友達とクスクスと笑い声を立てながら、
キャンパスを走り回る。15歳の春を満喫していた。
愛子さまは、午前中からお昼にかけての演奏会の出番が終わると、お友達とキャンパス内の食堂を目指す。
自動販売機で食券を購入するとカレーの列に並び、女子トークを展開しながらランチタイムに突入した。
お昼を終えた愛子さまたちは、思いたったようにキャンパスの南に茂る森を駆け下りていった。
目指したのは馬場だった。
そこでは馬術部による体験乗馬会が催されていたのだ。
30分ほど並んだあとに、愛子さまはヘルメットと赤いベストを着用。
部員が手綱を引くなか、7歳の雄馬「薫桜」にまたがり馬場を一周した。
「天皇陛下も高等科在学中は馬術部に在籍し、昭和26年には主将として関東リーグ戦に出場し
優勝を果たした実績があります。皇居に参内した際に、話題にあがるかもしれませんね」(皇室ジャーナリスト)
馬にまたがる愛子さまの周りにお友達が集まり、またまたカメラでパシャリ。
この日、都内の最高気温は26度まであがり初夏の日差し。
周りにいる護衛官らからは、やや疲れ気味の表情が見てとれたが、疲れ知らずのJK(女子高生)、
愛子さまたちは、軽快な足取りで坂道を上りキャンパス中央へ戻る。
愛子さまは、例年立ち寄る公益財団法人アイメイト協会による盲導犬体験のコーナーへ。
アイマスクをつけて盲導犬と10メートルほど歩く。体験を終えると係員の説明を聞いている。
東宮御所では猫と一緒に「由莉」という雑種犬を飼っている愛子さま。
しゃがみこむと、慣れた様子で、盲導犬の頭やおなかを何度も何度もなでる仕草を見せた。
そして、募金箱を持つ視覚障害のひとたちの前に行くと、愛子さまはピンクのお財布から千円札を出した。
すこしだけ恥ずかしそうにしながら、募金箱にそれぞれ、千円札を計3枚ほど、そっと入れたのだった。
午後4時。「オール学習院の集い」の終了時刻を回り、各コーナーは、テントをたたみ出した。
ゴミを清掃するワゴンが走り回り、お開きの空気が漂う。しかし、帰る気配を見せない愛子さまご一行。
後片づけに入った縁日コーナーに滑り込む。
学習院OGらしき上品な老婦人が、「もう終了時間よ。(皇族だからといって)特別扱いはなしよ!」、と
大きな声で叱り飛ばすものの、愛子さまとお友達は怯むことなく、射的のコーナーに挑戦。
愛子さまは、玩具の銃を勇ましく構え人型の標的を狙う。
と、夕方の風で的がパタパタと倒れるアクシデントに、苦笑いをしつつ数発を命中させる。
じっくりと、籠に入った景品を吟味すると、お友達と再び食堂の方へ。
お菓子らしき商品を手にして戻ると、キャンパス内をウロウロ。
どうやら、お菓子を食べつつ女子トーク第2部をスタートさせるための、場所を探している様子なのだ。
旧図書館の建物を覗いては、「やっぱりダメだあ」とばかりに出てきたり、ウロウロはしばらく続いた。
キャンパス内の後片付けはほぼ終わっている。
あとは愛子さまのお見送りをするばかり、といった様子で
学習院関係者や護衛官、東宮職員らが遠巻きに愛子さまご一行を見守っている。
お友達の一人は帰宅し、残る2人とジャンケン大会が始まった。
負けた人は、拳をマイクに見立てて何かスピーチしている様子。
そのたびに、愛子さまもおなかを抱えるようにして大笑いしている。
「箸が転んでもおかしい年頃」を地でゆくような光景である。
あまりの盛り上がりぶりに、周囲の護衛官や愛子さまの帰りを待つ学習院スタッフも苦笑気味。
午後5時すぎ。東宮職員に何度も促されたのだろうか。
名残惜しそうに、お友達にバイバイを繰り返したあと、やっと車でキャンパスを後にした。
この日、愛子さまは万華鏡のように豊かに変わる素顔を見せてくれた。募金箱に寄付をしたり、
地面に落ちていた学習院スタッフのジャンパーを拾う場面では、ちょっと恥ずかしそうな仕草を見せた。
一方で、友達とピースサインをして写真を自撮りし、クスクスと笑いながらキャンパス中を歩く愛子さまがいた。
薄桃色の桜の花びらが、カーテンのように風に舞い上がった。
それは、愛子さまの笑顔を祝福しているかのようだった。(本誌・永井貴子)
※週刊朝日オンライン限定記事
https://dot.asahi.com/wa/2017041800074.html

雅子妃が思い描く「愛子さま」お相手のお家柄
25歳の眞子さまが来年にも嫁がれ、22歳の佳子さまに熱視線が注がれる。
となれば、残る内親王は東宮家の愛子さま(15)のみ。おめでたはお代替わりの後となろうが、
その日に向け、雅子妃もお気持ちを新たにされたのは想像に難くない。
宮内庁関係者が言う。
「今回、雅子さまはご心中、穏やかでなかったはずです」
昨夏、陛下が生前退位のご意思をお持ちであると分かって以降、
将来の皇統の起点となる悠仁さまを擁する秋篠宮家の存在感はいや増し、
「皇嗣職」の創設や予算の大幅増などが予定されているのはご存知の通りだ。
「ただでさえ秋篠宮ご一家の話題ばかりのところ、東宮家では愛子さまのご体調などもあり、
雅子さまのご気分は決して晴れやかではありません。そうした中、今回のおめでたをどう捉えていらっしゃるのか。
拝察するに余りありますが、愛子さまに思いを致されたのは間違いありません」(同)
というのも、「雅子さまはやはり、お父様の小和田恒さん譲りで、
周囲に対していささか峻厳なお振舞いを見せられることがあるのです」
とは、さる外務省OBである。そもそも93年に成婚なさった経緯としては、
皇太子さまが初志を貫かれ、決心しかねている雅子妃と小和田家がその熱意にほだされた。
巷間そう伝わっているのだが、
「実際はあべこべで、雅子さまがお妃候補に挙がるや、
小和田さんは『光栄この上ない。ぜひお願いしたい』と大乗り気で、
関係者を通じて縁談の取りまとめを依頼していました」(同)
この時点で“将来の皇后”との立場を見定めていたのは言うまでもなく、
「そうしたストラテジーを備える小和田さんの血筋ですから、
おのずと愛子さまの“お相手のハードル”も上がるわけです」(同)
■経済力も必要
再び先の関係者いわく、
「同じ内親王である眞子さまのケースは一つの目安となるでしょう。
すなわち出身大学は、東大や京大をはじめICU以上、お仕事もキャリア官僚や医師、
ないしは財閥系企業の御曹司などが相応しいとお考えになるのではないか」
皇太子さまが即位されたのち愛子さまが結婚なさる場合、
支払われる一時金は黒田清子さんと同額の1億5250万円とみられる。
「こうしたお金を使わずとも新居が購入できる経済力の人を、婿に据えるはずです。
さもなければ面目が立たないとお考えになっても不思議ではありません」(同)
つくづく、波紋の止まない慶事なのである。
https://www.dailyshincho.jp/article/2017/06050556/?all=1

女性セブン2017年6月29日・7月6日号
皇太子さまは1泊2日の日程で、「みどりの愛護」のつどいへのご臨席のため石川県に足を運ばれた。
当初はご一緒される予定だった皇太子妃雅子さまだが、
熱や扁桃炎による咳といった風邪の症状を訴えられ、お取りやめになった。
5月25日の全国赤十字大会、31日の認定こども園の訪問も同様の理由で取りやめられており、
これで5月14日の大相撲五月場所の観戦を最後に、雅子さまは約1か月間、公の場にお姿を見せられていないことになる。
2004年以降、長期療養中にあって、雅子さまの体調は一進一退を続けてきた。
「かつてはなかなか判断がつかず、お出かけの直前になって“ご体調を総合的に判断”という
曖昧な理由で欠席されることがほとんどでした。
そう考えると、最近の取りやめは熱や咳という具体的な理由が示されていますから、
決して長年の療養の成果が後戻りしてしまったわけではないということなのでしょう」(皇室記者)