2009年1月-9月雑誌記事

女性セブン2009年1月15日号
12月19日羽毛田長官が皇太子に会った。東宮大夫を飛び越して皇太子に会った形。
本来は野村大夫と話し合うべきこと。
人格否定会見のとき湯浅元長官との話し合いを皇太子は拒否した。
部下である大夫には任せておけない、と長官は思ったのではないか。
例の「人格否定」発言の際、当時の湯浅長官も皇太子に会おうとしたが拒否された。

週刊朝日2009年1月23日号
雅子さま「5年ぶり祭祀ご出席」の舞台裏
式年祭名代の依頼は昨年末、両陛下から皇太子夫妻になされた。
宮内庁内部では常陸宮ご夫妻へ名代を依頼する方が安心、との声もあったが
常陸宮さまもご高齢でお願いするのは申し訳ないという意見もあり、
雅子妃の「決断」を息を潜めて見守る周囲、式前日の夜に出席という連絡。
「儀式の十数時間前、ギリギリで妃殿下は高い壁を乗り越えた」(宮内庁関係者)

週刊文春2009年1月22日号
■雅子さま5年ぶり宮中祭祀の「大騒動」
「雅子妃が式年祭に臨まれることが決まると、
担当の職員が“久しぶりだから、潔斎所を念入りに掃除しないと”と大わらわ」
式年祭に先立つ4日午後に、小和田ご夫妻、妹の池田礼子さんご夫妻を東宮御所に迎えて、
正月料理を召し上がった。お餅つきは、12月27日に両陛下と職員で行われた。
運動会の練習の時、愛子さまは席で一人ぽつんと座っていた。
去年のエルメスおそろいは「一卵性母娘」のよう。
愛子さまの登校時には事前に3人のSPが周囲をチェック。
愛子さまと養育係が並びその前後に3人のSP、さらにやや離れた前後に2人と
車道を渡った反対側にもう一人とトライアングルを組み合わせた形の警備が付く。
ほぼ毎日皇太子さまか雅子さまが見送りに来る。
学習院内でも愛子さまの在籍する教室のみに下校後施錠。
美智子皇后が皇太子妃であった頃は潔斎所はストーブと扇風機しかなかったが、
現在は皇后のご意向もあり冷暖房完備
潔斎を終えた雅子さまは十二単の略装をお召しになるが、
今回は久しぶりなので妃殿下も大変だっただろうが、女官も相当慌てたようだ。(宮内庁関係者)
■“「将来の天皇」秋篠宮 やんちゃ秘話”
中学から高校にかけて礼宮の家庭教師役を務めた元東宮侍従が語る。(中略)
中学時代は物理部に所属しながら、中学3年時に参加した東京都のテニス大会で523人中、
べスト8に勝ち進んだ。
「高校入学時にクラブを選ぶにあたって、陛下は礼宮さまに
『テニス部に入ってしっかり基礎から磨けば、もっと強くなる』とお勧めになったそうです」(同前)
ところが礼宮が選んだのは、なんと写真部だった。
「礼宮さまは『球拾いはイヤだ』と仰ってお入りにならなかった。
陛下は『そんなことでは何事もできない』と、少々ご立腹だったそうです(苦笑)」(同前)
だがその写真部で、部長だった秋篠宮を副部長として支えたのが、
後に妹・清子さんの結婚相手となる黒田慶樹さんだったのである。

週刊新潮2009年1月1・8日号
陛下の誕生日会見が中止になった直接の引き金として
「宮内記者会の質問“2月の長官発言について”」に答えるのを苦慮されたから。
「あの長官発言は、陛下の心情を代弁したつもりなのでしょうが、
結果的に皇太子夫妻の問題を殊更に焙りたてた格好になり、
当初から陛下ご自身が強い不快感を感じておられたそうです。
いわば、長官発言自体が陛下のストレスの原因になってしまったんです」(松崎敏弥氏)
「陛下は深く悩まれた。率直に答えれば皇太子夫妻を傷つけかねないし、
否定的に答えれば長官の立場を悪くする」(皇室関係者)

テーミス2009年2月号
歌会始の歌について、皇后陛下と紀子妃殿下は“民”を思う皇室の心を反映したもので、
“公”というものを 意識しておられた。
これに比べて雅子妃の歌には“公”の心が見られない。
雅子妃には次世代の皇室を担う“覚悟”がおありになるのか(皇族関係者)
軽井沢静養時には別荘から愛子さまの泣き声と雅子妃の怒鳴り声が聞こえた。別居の可能性もあった。
東宮御所に戻ってからの雅子妃は、一貫してマイペース。
天皇陛下のご体調に異変があっても変わらない。大野医師の治療方針と皇太子の深い理解がある。
秋篠宮ご一家はいまや東宮夫妻よりも、天皇皇后両陛下の志を継承するような活動をしている。

テーミス2009年3月号
雅子妃は1月7日に5年3ヶ月ぶりに宮中祭祀に出席した。
当初は安堵の声も聞かれたが、むしろ事態は正反対の方へ向かっている。
消えない宮中祭祀への違和感
潔斎、おすべらかし、中世から伝わる儀服も、雅子さまにはいまだによく理解できないようだ。
■天皇陛下の公務軽減に関連して
ほとんどの国家元首が天皇に会いたいを希望していたり、
一度会ったら再度会いたいと希望するのは、天皇陛下が日本国の元首だという通念があるから。
皇后様のお出ましは様々な角度から、皇后様もご一緒に天皇陛下や宮内庁、外務省と相談して決められる。
評論家の八幡和郎氏の意見:
雅子さまには妃殿下や将来の皇后の重責は酷なので、妃殿下とか皇后陛下という制度を考え直して、
皇太子様を良き配偶者として支えていければ十分なようにしてさしあげるべき
■皇太子のベトナム訪問記者会見打ち切りについて
もともとミニ宮内庁といえるほど独立性を持つ東宮職ではあるが、
今の本庁と東宮職との意思疎通のなさは異常事態。
さばききれなくなったオクの問題がオモテに出てきてしまったのでしょう。(『皇室手帖』編集長、山下晋司氏)

週刊ポスト2009年4月24日号
元女官は昭和50年代半ばに女官として仕え、80歳を過ぎた現在も、御所に参内し、側近として皇后の信望も厚い。
先日、元女官が御所にあがったが、美智子さまはとてもお元気なご様子。
天皇陛下も、昨年末は体調が悪かったようだが、今はきちんとした日々の生活で無理は一切せず
なるべく歩くことに努めていらっしゃる。
昭和58年のアフリカ三カ国を昭和天皇の名代で回り、
帰路タイに立ち寄ったとき美智子さは疲れが出たのか39度台の熱をだされた。
予定は無理だと思ったが、美智子さまは「誰にもこのことを話してはいけない」とおっしゃり、
全ての予定をこなされた。精神的に強い女性。
女官に上がりたての頃、大相撲観戦があったが美智子さまは風邪をひいていた。
自分が「お出ましを控えたら」と言ったら、美智子さまは「そういうのはとんでもない考え。
お相撲さんはじめ関係者や、見にくる人たちなど待っている多くの人たちがいる。
それを考えたら、休んでもいいでしょうというのはとんでもないことだ。
あなたは根本的に何もわかっていない」
自分が勤めていた当時の美智子さまは朝5時起き。
散歩をして子供たちのお弁当をお作りになる。
当直女官(4日に1度のシフト)がお手伝いをするのだが、
てきぱきしていらっしゃるので、ただ見ているだけのことも。
秋篠宮さまのご結婚は、兄より先に結婚するということで反対も多かったが
今上陛下と美智子さまが相談され「ふたりがともに歩もうとするのなら応援しよう」ということで、
お二人の結婚を後押しした。
入内後の紀子さまのご苦労は大変だったようだ。揶揄されたり、雑音が飛び交っていた。
しかし、美智子さまは「大丈夫よ」と常に暖かい眼差しで見守ってこられた。
美智子さまは、自分たちの前でも紀子さまのことを「紀子ちゃん」と呼ぶが雅子さまのことは「雅子さん」。
昨年末の羽毛田氏が会見で「皇室そのものが雅子さまのストレス」というマスコミの報道に
「両陛下が傷つかれた」と述べたが事実本当にショックを受けられている。
それを最も悲しいことだと考えていらっしゃるだろう。
「70歳までここにいる」と言っていた末綱氏が辞任したのは一つには雅子さまの病気の回復が遅れていること。
もう一つは、雅子さまとのコミュニケーションがとれなかったこと。
雅子さまとは話ができないので、何を考えているのかわからない。
雅子さまは、突然私的に外出することもあり、
そうなると警視庁と皇宮警察との間でトラブルが起こることになりやすい。
「末綱は何をしているんだ」と言われ、板ばさみになりかわいそうだった。
清子さんが結婚して2ヶ月ほどたったころ、両陛下は新居に遊びに行かれた。
レタスを手土産に携えられたのだが、清子さん曰く
「(マンションで狭いから)もうおくところがなくなっちゃったくらい」

週刊現代2009年4月18日号
3月14日、皇太子さまがトルコを訪問するため、雅子妃、愛子内親王はじめ皇族の皆さんが
東宮仮御所に集まりお見送りしたのですが、そのあと、雅子妃はやや疲れを感じられたようで、
皇族の皆さんの前で少しの間、寡黙になってしまったということです。具合が悪くなると目が空ろになり、
うつむき、極端に寡黙になることがまだあるようですね」(東宮関係者)
皇太子も当初、伊東屋に同行するはずだったが急遽取りやめ。
陛下のご静養と重なったスキー旅行で批判がでるが、愛子さまが楽しみにしている。
雅子さまはスキーが終わるとホテル内で愛子さまに英語を教えていた。
愛子さまは既に100の漢字を習得、既に小学3年生の学力がおありになる。

女性自身2009年4月28日号
去年8月、両陛下が軽井沢でご静養なさった時に滞在された「ホテル鹿島ノ森」総支配人さん
この時は秋篠宮両殿下と悠仁親王殿下が合流。
「とても楽しくお過ごしで、ご一家がお帰りになるとき、
両陛下はお車が見えなくなるまで手を振られていました。
皇后さまが『寂しくなってしまいました』とおっしゃったのが心に残っています。
ある宮内庁関係者
両陛下のご成婚記念日の前日に、予定にはなかったが皇太子ご一家が突然参内した。
これこそサプライズ・プレゼント。急遽昼食を共にした。

会員雑誌「選択」2009年5月号
皇室の風 岩井克己
美智子皇后は勢津子妃の死の翌年の九六年元旦に妃を偲ぶ歌を発表した。
もろともに蓮<<れん>>華<<げ>>摘まむと宣<<の>>らししを君在<<ま>>さずして春のさびしさ
口さがないベテラン皇室記者は
「良子皇太后や高松宮妃らと一緒になっていじめられた相手なのに白々しいのでは」と陰口していた。
皇宮警察の定年間近の護衛官と雑談していてそのことを言うと、
彼は勢津子妃の側衛を数年間務めたことを明かし、思い出を語った。
「地方公務で宿舎に着くと、妃殿下が侍女長に『いいわね、このことは必ず東宮妃殿下にお伝えしてね。
でないと妃殿下がお困りになるから。必ずよ』とささやいておられた。
そんな事が何度かあった。皇后陛下はとても感謝しておられると私は思う」
勢津子妃とはそういう人だったようだ。ともに「平民」からの入内でもあった。

週刊女性2009年5月5日号
美智子さま3大危機  雅子さまと「ビジョンの違い」「お世継ぎ問題」
キャリアや人格を否定する動きとは、お世継ぎ問題の中で起こったのはまちがいない。
女性天皇をめぐる美智子さまと雅子さまの世代的な対立
愛子さま誕生後、雅子さまは第2子を事実上断念しているが、
これは女性天皇でもいいという考えの表明でもあった。
小泉首相が、制度改革に着手したのは皇太子の人格否定発言が契機となった
有識者会議の結論が出た(05年11月)直後、天皇家の家族会議で意思統一がなされたようだ。
皇太子も了承するしかなかったんでしょう
悠仁さま誕生は、04年の皇太子発言に対する両陛下の審判だったと言える。
将来悠仁さまひとりになってしまうので危機は去っていない、皇室の制度は改革すべき(女性宮家など)

週刊現代2009年5月23日号
4/8の会見で一瞬声を詰まらせた陛下。
普段は沈着な陛下があそこまで感情をあらわにされたのを初めて見た。
4/10のNHKの特番では皇太子ご夫妻の「影の薄さ」が話題になった。
この番組は宮内庁の"肝いり"で制作されたもの。
雅子さまは相変わらず服薬しているが、以前より体調は回復。
優美子さんが現在帰国中で、何度か仮御所を訪問し雅子さまを励ましている。

 ※平成皇室論(橋本明)2009年7月
 渡辺(※允)は宮内庁前侍従長という立場で平成二十一(2009)年四月に
 天皇皇后両陛下の結婚50年を記念して放送されたNHKスペシャルに出演、お二人の生活について解説した。
 珍しく肉声を積極的に取り入れた画像でお二人の日常が活写された内容だが、
 なかでも両陛下の使われる日本語の美しさは特筆に値する素晴らしさだった。
 「協力 宮内庁」と銘打ったこの特集に病の東宮妃は一切顔を見せなかった。
 東宮殿下も幼児期にほぼ限られていた。勘ぐりがすぎるといわれるかもしれないが、
 私は無言のメッセージ性を強く感じながらこのNHKスペシャルを見つめた。

女性自身2009年5月26日号
NHKスペシャルで秘儀とされてきた春季皇霊祭が撮影されたが、これは大変珍しい。
現在は天皇家の私事だが戦前は最重要公務であり、陛下は現在年間30ほどの祭祀に出席。皇后陛下は約15ほど。
昭和帝は地方公務と重なったときには祭祀を取りやめることもあったが、
今上は「時間があるではないか」と出席。
明治大正昭和と比べても、両陛下ほど厳格に祭祀に向かわれていないのでは(高橋紘氏)

週刊新潮2009年5月28日号
清子さんはスーパーで食材を買い込んで手料理を振る舞うほか、
美智子様が膝を痛められたときには 参内してサポートされたり、
両殿下不在中の秋篠宮邸も訪れては眞子様や佳子様と共に悠仁様のお世話を。

女性セブン2009年6月11日号
皇太子さまは雅子さまを大切に思っている。
「知り合いの音楽家三人と仮御所内で話しているとき雅子さまが入室。
とたんに皇太子さまの表情が明るいものに。
その後音楽家と皇太子さまが話すたびに皇太子さまは雅子さまへ詳しい説明を。」
愛子さまが幼稚園時代のとき、雅子さまは朝がつらいので週3日は皇太子さまが登園に付き添い。
幼稚園との電話連絡も皇太子さまが直接することもたびたび。
雅子さまが朝起きて来られないときも、彼女がひとりで食べるのは寂しいだろうと考え、
朝食を前に時間が許す限り待っている。
昨年末に羽毛田長官が「東宮夫妻の健康管理を両陛下は心配されている」とあったが、
雅子さまは様々な事情で検診を避ける。それに理解を示して皇太子さまも検診を受けないようにしている。
治療に役立つなら、と言うことで、雅子さまと小和田家やご友人との会食や私的外出に寛大。

女性自身2009年6月23日号
6/4の恐竜博、皇太子ご一家が会場に入ったのは17時過ぎ。2時間以上楽しんだ。
雅子様は子どものころ恐竜博士とあだ名されるほどで、
今回もいわば雅子様の趣味に皇太子様が付き合った形だが微笑ましい。
成婚16年を迎えた二人だが、今までに3度の危機があった。
ひとつは成婚直後。「私には、公務を大変難しく感じるのです」と漏らした(雅子さまに近い関係者)。
資料を読み込んでも皇太子様のそばで微笑んでいるだけとか、
地方へ行っても動線や食事はあらかじめ決定されている。
もっと国民と(気軽に)ふれあいたいと思っていた。
二つ目は1999年の流産。あまりに早い時期にマスコミが報道したが、
限られた職員しか知らないことだったのでリークしたのではないか、と不信感をもつようになった。
皇太子様が会見で、今までの天皇陛下や皇太子様自身が使ったことのない「遺憾」という言葉を使ったのは
それだけ雅子様を守ろうという気持ちが強かったからでは。
そして軽井沢籠城。愛子さま誕生で雅子さまには「これでプレッシャーから解放される」
「これで外国訪問が再びできる」という気持ちがあったと思う。
しかし、「お世継ぎを生んでいない」という「宮中の論理」
当時の長官の「皇室繁栄のため秋篠宮家には第3子を期待したい」発言により「心が折れてしまった」
病気のせいもあっただろうがこの時期の二人にはかなり心の距離があったらしい
この一ヶ月で皇太子様はそれまでどこかとまどっていた風だったのが心を決めたらしい。
愛子様が何かゴニョゴニョ言っていると、皇太子様が「いま歯が抜けているから聞き取りにくいでしょう。
愛子は○○○と言ったんですよ」とフォローし雅子様が娘を微笑みながら見守っている。

女性セブン2009年6月18日号 
「天皇陛下の詩に美智子さまが曲を!」
両陛下が1975年沖縄訪問されたとき、ハンセン病患者が療養する国立療養所、愛楽園を訪れた。
その折、美智子さまは重傷者のベッドを一人一人回られ
「つらいこともあるでしょうが、一日も早く良くなってくださいね」と
手を握られ痛む患者の指を包帯の上からそっとなでられた。
在園者たちが両陛下がお帰りになるとき手拍子を交え、沖縄の古謡「だんじよかれよし」を合唱した。
陛下はその時の感動を琉歌 で御読みになった。
陛下の御歌に、在園者たちから「オリジナルな曲があれば」と声が上がった。
それを伝え聞いた陛下は美智子さまに作曲をお勧めになられた。
「皇后さまは陛下のご意見を伺いながら沖縄音階に近く、
園の人達が楽しく歌える曲をと、心をこめて作曲されたということです(宮内庁関係者)」

週刊現代2009年6月27日号
平成5年6月9日、マスコミはお祝いムード一色だった。
江藤淳はアメリカの新聞に雅子さまを「反米主義者江藤淳の従姉妹」と書かれたことに不機嫌だった
皇太子と雅子さまの出会いはエレナ王女の歓迎パーティーだったと言われ、
その後4回、東宮御所・高円宮邸で会ったが小和田家側が断ったと言われている。
しかし皇太子の強い要請により再び会うようになり、やがて鴨場でのプロポーズへと。
東宮ご夫妻の現在の問題の始まりは平成12年にあるということでは一致する向きが多い。
香淳皇太后のれんそうの儀を夏バテのようなモノで欠席しながら、直後のインターハイ開会式には出席したため。
前年12月の懐妊は宮内庁官房も把握しておらず、一部の東宮職員のみが知っていたはずであったにも関わらず
一部マスコミが報道したことに対して雅子さまは不信を抱いていたとされている。
しかし、東宮職員に不信を抱いていたとしてもれんそうの儀を欠席する理由にはならないだろう。
またこの頃から東宮ご夫妻と小和田家との距離が問題になり始める。頻繁に東宮御所に上がるため。
美智子様はご成婚後、正田家を(東宮)御所に7回しか招かなかった。
その禁欲無私的な心遣いはありがたいが雅子さまにも同じことを求めるのは酷かも知れない。
が小和田家とのつきあいを巡って両陛下と東宮ご夫妻との間に距離が出来たのは間違いないだろう。
愛子さま誕生で関係は好転したように見えたが、雅子さまが帯状疱疹で入院した頃から再び暗雲が。
「なるべく早く公務に復帰したい」として静養に入った雅子さまは「適応障害」と発表され
「治療の一環として」テニスや乗馬・皇太子へのご進講同席が行われるようになる。

女性自身2009年6月30日号
感謝のホームパーティ
6月9日の夜、東宮仮御所で開かれた夕食会には、両陛下、皇太子ご一家、秋篠宮ご一家、黒田ご夫妻、
池田礼子さん夫妻、渋谷節子さん夫妻の16人が出席。
両陛下が東宮仮御所に御到着された時、玄関で皇太子ご夫妻がお出迎えし、
愛子さまも可愛らしくご挨拶をなさったという。
雅子さまはホステスとしてメニューに腐心したがお疲れがでたようだ。

週刊現代2009年7月4日号 平成フラッシュバック
四十一年ぶりの男子皇族が最後の「小泉改革」潰した/ 福田和也
H16.12.27「皇室典範に関する有識者会議」が設置された。
私的諮問機関とはいえ、それまでの小泉改革の手法からすれば
形だけの会議を設けてある方針を既定のものとしてしまう、そのやり口を踏襲することは明らかだった。
その存念は「有識者」の顔ぶれのひどさによく現れていた。
「高い見識」を持っていたとされるのは笹山晴生氏ただひとり。
憲法学者や元最高裁判事がいたのはまだ理解できたが他の七人は門外漢ばかりだった。
最終報告は「このままでは愛子さまが天皇になれないんだぞ、わかっているのか」と
女系天皇を支持していた小泉氏の発言から予想される内容。
結局悠仁親王のご誕生で阿部官房長官(当時)の言うように「白紙」に。
個人的には予算委員会で紀子妃ご懐妊の報を受けた時の小泉氏の呆けた顔を見られたことは誠に痛快だった。
とはいえ、紀子妃のご負担にはただただ有り難い。
美智子様は18年の誕生日文書回答の仲で紀子妃とのやりとりを明かす一方、
雅子妃のオランダ訪問に絡めて雅子さまから直接健康状態を訊いていないこと、
余り顔を合わせていないことが伝わる。
美智子様にとって「自分を大切にする」という言葉の意味は
通例とはかなり異なる(朝日新聞記者・岩井克己氏)
NYで活動するジャズピアニスト秋吉敏子氏のエピソードから美智子様にとって
「自分を大切に」というのは困難に挑戦するという意味であり、
困難を避けたりするのとは対極に位置する言葉。

女性セブン2009年7月9日号
皇太子妃雅子さま「宮内庁病院検診拒否」10年越しの確執
宮内庁病院は建物こそ古いものの最新の機械をそろえているほか、入り口も皇族と一般の二つが設けられている。
昨年末、羽毛田長官が(天皇陛下は)皇太子のポリープの大きさや
長く検診を受けていないことを案じておられる旨を発言したが
野村大夫が反論した形で千代田と東宮の溝がかいま見えた。
6/19野村東宮大夫から皇太子ご夫妻の健康診断の予定が発表された。
皇太子は6/24と29に分けて検診を行うが、雅子さまは東大病院で25日の一日のみ。
何故宮内庁病院で受けないのか? 99年末の流産の診断をしたのが宮内庁病院だったから。
妊娠の兆候を両陛下に雅子さまが直接報告する前にマスコミが報じたのもショックだった。

週刊女性2009年7月14日号
宮内庁は両陛下の公務軽減を少しずつ実施しているが、皇太子ご夫妻のご名代などは期待していない。
国民は皇太子夫妻、ことに雅子様への不信感・不満を強く持っており、
彼らには任せられない、という気持ちが。
今の雅子様の状態こそ、かつて外国メディアが絶賛した「食欲妃」である。
皇太子ご夫妻の新しい飼い犬の名前が「ゆり」であることに、宮内庁の一部から反発の声。
今年に入ってから国連大学行きを再開した雅子様。
聴講中や留学生との会話では"じつに生き生きとした"表情を見せている。
このことから外国へ行くことが雅子様回復への足がかりになるのでは。
かつて皇太子は時代に即した新しい形の公務を、と発言した。
羽毛田長官が「皇太子様から相談を受けていない」と苦言を呈したがそれを皇太子様が考えるべきではないか。

女性自身2009年7月21日号
雅子さま感涙の5時間!旧友15人「極秘同窓会」のサプライズ
当日集まった15人は特に仲の良かった人、宗教合宿・林間学校で同じ部屋だった人。
雙葉関係者
「27日には15人の同窓生たちが母校に集まった。
当日は中・高では授業があったので会合が開かれたのは部屋が空いていた幼稚園。
子供を連れて来た人も数人いて、愛子さまも一緒に楽しく遊んだ。
昼食後も盛り上がって会は5時間以上に及んだ。」

テーミス2009年8月号
皇室ジャーナリストの山下晋司氏
「野村一成東宮大夫は雅子妃殿下がお出かけになると
『関心がおありだったので』という言い方をするケースがある。
宮内庁は皇族方のイメージをプロデュースする役目もあるが、これがうまい方法とは思えません」
公務に趣味の発露を求めるかのごとく、選り好みをしているように見える状態がどうしても続くのならば、
国民が皇室に感じてきた敬愛や尊敬は次第に薄れてゆく。
そうなる前に、橋本氏がいうように「離婚」や「廃太子」といった選択肢も本気で考えるべきである。

サンデー毎日2009年8月9日号
東宮御所10億円改修でわかった雅子さまの「もったいない」精神
省エネに優れた照明や給湯設備の電気工事を行った。
電化製品もこれを機に省エネタイプに買い換えられるようだ。
雅子さまは環境問題に大変関心があり、ご一家の中心になって
家具のレイアウトや引越しの段取りをなさっている(宮内庁関係者)
皇室ジャーナリストの神田秀一氏
(東宮御所の改装は)ほぼ、新築に近い形で内装関係を全部直したのではないか
「愛子さまに促され、雅子さまの外出が増えています。
公務も急遽参加することが出てきたので、宮内庁は時間割りを緩やかにして、
雅子さまが公務に出席しやすいように配慮しています」宮内庁担当記者
10億円をかけた快適な新居への引越しが、病気の回復に効果があれば、それに越した事はない。

女性セブン2009年7月16日号
皇太子ご一家は3日に東麻布の高級中華料理店へ
午後6時45分頃、モノモノしい警備の中ご到着
改修した新居
雅子さまは合理的なL型キッチンを希望されていたが、予算の関係で却下された。
今回は配管工事の関係で出来なかった。
元女官「それほど費用が掛かるものでもないのに、どうして?雅子妃はショックを受けられた」
女性自身2009年9月8日号
8月13日から那須で静養中の皇太子ご一家。17日には3人揃って登山に。
登山客の女性:登山途中で会った時、こんにちはと挨拶をしたら、
皇太子さまと雅子さまが「笑って応えてくださいました」
別の登山客:茶臼岳周辺のルートは大きな岩だらけで急な勾配の所もある。
皇太子さまが愛子さまの顔をのぞきながら‘大丈夫だよね’と言うと
愛子さまはコックリと頷かれてお元気に歩かれていました」
途中で高山植物を見つけた雅子さまが、その写真を撮ると、
その雅子さまを皇太子さまが自分のカメラで撮るなど夫婦の仲の良さがうかがえた。
20日には一家で那須ステンドグラス美術館へ。
売店では愛子さまがお付きの女性の手を引いて楽しそうだった。(美術館に来ていた観光客)

WILL2009年9月号
渡部昇一氏
「小和田氏のこの答弁を聞いていると、現在国際司法裁判所所長に就任し
国際法の権威とみられているのことが、いかにいい加減な評価ということが分かります。」
橋本明さんのいとこの大二郎氏が末綱さんと知り合いで、その縁で食事。
野村大夫もきて、「雅子妃は症状が悪い時は外に出したら大変なことになる」と発言。
西尾氏、
「民間妃だからダメだったのではない。美智子皇后をご覧下さい、紀子妃殿下をご覧下さい。
本当に賢明な方々は家庭での務めを果たされながら仕事もなさっておられるのです」
橋本氏
「皇太子殿下は、『(雅子妃が)外交官という仕事を捨てて、皇室に来てくれた』
といつもおっしゃっていますからね。」

SAPIO2009年9月30日号
「美智子皇后論」
交流-埴輪をめぐる一通の手紙がもたらした奇跡の出会い-
「優しさと励ましに生きる勇気をいただきた」ある知的障害者施設との「交流37年秘話」
現在岡山県にあるNPO法人「たけのこ村」は知的障害者達が開墾による自給自足の他、
埴輪と備前焼の製作販売により経済的にも自立した福祉施設。
その主催者である藤岡氏がまだ特殊学級の教師であった頃、
そのクラスは「たけのこ学級」と呼ばれ、実践教育の一環として埴輪作りがあった。
71年、偶然教室のテレビで浩宮が埴輪を作っているところを見たことで、
親近感を覚えた子ども達が浩宮に埴輪と手紙を送る。
一年後、東博での埴輪展に招待されて上京する藤岡と生徒のことを新聞でお知りになった
当時の皇太子ご一家が、東宮御所にお招き下さる。
参内した折にはお言葉の他、美智子様お手製のアイスクリームまでご馳走に。
以後、たけのこ学級→たけのこ村(卒業生の為に藤岡氏が建設)との交流は続く。
「即位後は主に秋篠宮ご夫妻が交流を引き継いでいるが、天皇皇后両陛下にも3回拝謁している。」 

フライデー2009年9月25日号
宮内庁幹部が頭を悩ます「平成皇室の危機」
人格否定発言は国民・宮内庁・皇室に大きな衝撃を与えた。
今上陛下に「国民が心配するから早く説明を」と言われ、約束をした皇太子だが、
直後にヨーロッパへ行ってしまい、結局一ヶ月近く経ってから文書で説明。
文書が発表される寸前に雅子さまから宮内庁に
「そんなこと(内容の文書)になるなら、私は離婚します」と電話。この電話の件は封印された。
雅子さまの軽井沢籠城後まもなく、参内した皇太子は泣き出したとも。
皇太子はとてもやさしい、争いを忌避される人。