雅子さまは「菊の玉座の囚人」

週刊新潮2014年1月2・9日新年特大号
雅子さまは「菊の玉座の囚人」 欧州大衆誌の皇室報道とは
更新日:2013年12月20日

皇太子妃雅子さまが9日、50歳の誕生日を迎えた。
今月で雅子さまの療養生活も10年になるが、今年春にはマキシマ王妃からの誘いで、
ウィレム・アレキサンダー国王の即位式出席のためオランダ訪問を決断するなど、
体調は快復に向かっているという。
誕生日を機に、英仏の大衆誌が雅子さまを取り巻く環境を報じている。

【雅子さまは皇室の囚人】
 仏週刊誌『パリマッチ』は「雅子、とらわれたプリンスの運命」と題し、
「公式写真の中で彼女は笑っているが、皇室は彼女にとって牢獄のままだ」として、以下のように報じている。
賢く文化的で学歴もあり美しく、すべてを持ち合わせた雅子さまに、皇太子さまは恋に落ちた。
皇太子さまは5年間にわたって雅子さまを口説いたが、彼女は少なくとも2度その求婚を断った。
3度目に雅子さまはプロポーズを受けたが、何が彼女を変えたのは明らかではない。
さらに同誌は、「独立した現代の女性」が、日本の皇室で「無言の配偶者」にならねばならなかったと指摘。
加えて子供を長年出産できず、なおかつ男児を生めなかったこと、
精神的な圧力や国内外の噂が彼女をさらに押しつぶしたと事情をつづった。
雅子さまの皇室入りは誤った選択だったのではないかとまで評する。
そして、このような状況を「菊の玉座の囚人」と言うのは、日本ではタブーであると伝えている。

【雅子さまの気持ちが分かるオランダ王室】
同誌は、欧州王室の跡取りたちは国内外を駆け巡るのに、
日本の皇室の妃は東宮御所に閉じこもる生活だ、と報じる。
しかし、雅子さまにとって11年ぶりの海外公務となった今年のオランダ訪問は、
国内の各メディアも報じたように、状況を良くする手助けになったようだ。
英週刊誌『ハロー・マガジン』も、
「マキシマ王妃が雅子妃の健康改善にとって鍵となる役割を演じた」と冠し、
オランダ王室と日本皇室の親密さを紹介しつつ、少しずつ快復する雅子さまの様子を報じている。
同誌は、オランダのベアトリックス女王は、ドイツ人で夫の故クラウス殿下が、
周囲からの批判により鬱病を患ったこともあり、雅子さまの状況に同情しているという、
王室ジャーナリストたちのコメントを引用した
(編注:当時オランダは第二次大戦後でドイツへの感情は好ましくなかった)。
2006年にオランダ王室は皇太子ご夫妻を2週間のオランダ静養に招待している。
愛子さまがカタリナ・アマリア王女と親しげに遊ぶ姿が報じられたことは、まだ記憶に新しい。

【医師団は慎重姿勢】
誕生日に際し、東宮職医師団からは「ゆっくりとではありますが、着実に快復してこられました」
との見解が発表された。
ただ、「過剰な期待を持たれることは、かえって逆効果となり得る」と慎重な姿勢を示し、
「周囲の方々の理解と支援を受けながら、ご治療を続けられることが引き続き大切です」としている。
http://newsphere.jp/national/20131220-1/


12月14日『パリ・マッチ』のネット版の記事は、日本人が読んだら目を剥くようなもの。
皇太子さまの度重なる求婚の末に結婚したものの
雅子さまはあふれる才能を生かすことができない皇室という
牢獄に捕えられた囚人のようなものと評している。
ヨーロッパにおいては雅子さまは被害者という論調は珍しくない。
オランダ公共放送でも,男子出産を強制され、流産を3回経験などと報じられた。
「雅子さまは外務省に入省されてすぐお妃最有力候補としてメディアの取材攻勢にさらされた。
オックスフォードに留学したため、いったん縁談は立ち消えたが、
皇太子さまのご意向を受けた元外務省次官が92年8月に再会をセッティング、
その年の10月には皇太子さまがついに鴨場デートでプロポーズに至ったのです」(宮内庁元幹部)
雅子さまは一度は辞退したものの皇太子さまの熱意に動かされ、
翌年1月の婚約発表と相成って瞬く間に日本列島祝賀ムード。

お二人のご成婚は、「小和田家」の意向も色濃く反映されていた。
「〔宮内庁元幹部談、ご成婚について〕実は、父親の小和田恒さん自身、
皇太子妃として雅子さまをプッシュしていたのです。
…例えば、皇室に幅広い人脈を持つ外交関係者と会食した折には、
「“娘が皇室に嫁ぐことになれば こんなに名誉なことはありません”と
暗に縁談をまとめるよう要請していたと聞いた。
宮内庁にパイプを持つ外務省職員を仲介役に立て小和田家が結婚に大乗り気であることを売り込んだ。
それについては皇后さまが仲介役の名前を洩らされたこともある。」(宮内庁元幹部)

小和田氏の評判
「有能な野心家。福田赳夫の秘書官に登用されたとき、
大臣演説の原稿を綴じ間違えるという大失態を犯した。
小和田氏は自殺も考えたそうだが、懸命に挽回に努めた甲斐あって
福田が総理になると秘書官に抜擢されたのです」(外務省OB)
条約局長や官房長、審議官などを経て、
1991年には外務省トップの外務事務次官の地位に上り詰めたのである。
そして、皇太子さまと雅子さまが結婚された93年に事務次官を退官し、
「次の転進先として念頭にあったのは次官経験者の指定ポストである駐米大使でした。
ですが、結局のところ、割り振られたのは国連大使。
ステップアップの志向の強い小和田さんにとって、それは不満以外のなにものでもなかった。
外務省が、“国際司法裁判所判事になりたい”という本人の意向を汲み取り、
03年にその仕事に就くことができたのです」(同)
なおかつ、09年から3年間は、国際司法裁判所の所長を務め、12年には判事に再任。
現在、81歳という高齢ながら、任期は21年まで残っているという。
「オランダにある国際司法裁判所の判事となれば、
欧州の王室や政財界などの上流階級と交遊することになる。
88歳までその地位を手放さないのは、言うなれば、名誉、名声を求める欲求が人一倍強いからです。
雅子さまを皇室に嫁がせることに熱心だったのも、
常に上を目指す精神構造を抜きにしては語れないはずです」)(同)
しかし当の雅子さまは結婚11年目に「適応障害」と診断され療養生活に。
「その3か月ほど前、雅子さまは小和田の別荘で1か月静養。宮内庁にとっては大変な驚き。
いくら肉親とはいえ,皇太子妃が民間人のもとに身を寄せるとはありえない」(宮内庁元幹部)
雅子さまはその後、公務も宮中祭祀も欠席。
しかしプライベートでは頻繁に「小和田家」と会い、
花火大会、ハロウィン、クリスマスパーティ等が恒例行事に。
ここ1年も、オランダ訪問の際に宿泊先ホテルで小和田夫妻と懇談、
さらに9月には万国国際法学会で帰国した小和田氏を東宮御所に招いた。
小和田家と常に比較されるのが正田家。
正田夫妻が東宮御所を訪れるのは,皇太子夫妻とお子様たちの誕生日祝いに限られ
ましてや両陛下から会食の席に招かれるなどということは、ついぞなかった。
西欧ではなぜ雅子さまばかり被害者と扱われるのか。
「日本の皇室はある意味、閉鎖的で不可思議な存在に映っている」
「小和田氏は国際的に活躍する人物。雅子さまはその娘で外交官だったとなれば
国際社会で活躍する力を持ちながら皇室に縛られて力を発揮できないまま病気になったと
同情的にみられるのも無理ない」 (在仏邦人ジャーナリスト)
西尾幹二氏
「国民に無私の祈りをささげる“祭祀王”としての役割が天皇陛下を天皇陛下たらしめている所以です。
皇室は、権威主義からは最も離れた無私の象徴です。
ですが、今なお要職に就き、頻繁に雅子さまに会う小和田さんは、無私の精神とはほど遠い方。
雅子さまが皇室を息苦しく思うのは、そんな小和田氏から影響を受けているからで
美智子さまも紀子さまも乗り越えられていることをしっかり踏まえて頂きたいのです」
西欧メディアが言うところの雅子さまが囚われているものは皇室でなく
ほかならぬ「小和田家」かもしれない。その呪縛が解けない限り、いつまで経っても苦難の日々。