夏ばてのようなご体調

平成12年(2000)年7月25日
香淳皇后の本葬である斂葬(れんそう)の儀を雅子妃が欠席。
宮内庁は「夏バテのような症状」と発表。


週刊文春2000年8月3日号 
宮内記者会が問い詰めた雅子妃「皇太后さま斂葬の儀」欠席の理由
宮内庁の古川清・東宮大夫が発表した欠席の理由は、
「雅子さまは暑さが続いて疲れがたまり、夏バテのような状態。
お体を大切にしていただくという見地から、お取り止めになった」
この前代未聞の事態に、宮内庁担当記者たちは、古川・東宮大夫の会見に押し寄せると、次々と質問をあびせた。
──ご懐妊の予定は?
「昨年末のようなことが今回の背景にあることは全くない。想像を逞しくしないでいただきたい」


皇太子妃殿下のお誕生日に際し(平成12年)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h12hn.html

問3 今年の夏には体調の理由から,斂葬(れんそう)の儀や地方でのご公務の日程を変更されました。
9月以降には那須御用邸や裏磐梯などでご静養の機会も設けられました。
この間のご体調やお気持ちをお聞かせください。

皇太子妃殿下
夏には体調を崩してしまい,香淳(こうじゅん)皇后の斂葬の儀に伺えなかったことをとても残念に思いました。
また,体調を崩したのは,その時一時的なことでございましたけれども,日程の変更などがありましたことなどから,
一部で誤解も生じてしまったように思いますけれども,その後は体調も戻り,お陰様ですっかり元気にしております。
いろいろご心配いただきありがとうございます。
9月には,福島県からの有り難いお申出によって,育樹祭の公務の後に裏磐梯で数日間を過ごす機会を頂き,
大変楽しく過ごさせていただきました。
また,今年も秋には,那須,そして御料牧場などで何日かずつを過ごす機会も頂き,
有り難いことでございました。
以前にもお話しましたが,広々とした自然の中で過ごすことのできる機会というのは,
私にとって大きな楽しみでございまして,
今年も那須や裏磐梯で皇太子様とご一緒に自然の中を歩き,美しい風景を眺めたり,
また,植物を眺めたりすることができましたことは,大変有り難いことでございました。


同年11月19日に行われた妹の結婚披露宴にはご夫妻で出席
寛仁親王家の彬子さま・瑶子さま、高円宮家の承子さま・典子さま・絢子さまも御陵で拝礼。
雅子妃はお見舞いに行った形跡もなし。


参考

■天皇陛下お誕生日に際し(平成12年)
吹上大宮御所は,私どもの住んでいる御所からすぐの所にあります。
週末には大抵皇后や紀宮,時には秋篠宮一家を交えて吹上大宮御所をお訪ねしていました。
皇后は,香淳皇后がお元気であったころと変わりなく心を込めてお尽くししていました。
また,秋篠宮の子供たちが一緒の時には,いつも子供たちを香淳皇后のおそばに連れて行き,
二人が皇后に倣いお手を一生懸命さすったりしているのが印象に残っています。
香淳皇后が崩御された時に,秋篠宮家の子供たちが,お見舞いしたいということを言ったことを,
秋篠宮が話していますがこのようなことから香淳皇后に親しみを感じていたことと思います。


■秋篠宮殿下平成12年のお誕生日に際し
質問 今年は、香淳皇后の大喪儀、新居への引越しなど、御家族にとって大きな出来事がございました。
これらの出来事を通じて、眞子様、佳子様の成長ぶりを示すエピソードや、
両殿下がお二人に対して心がけられたことがありましたらお聞かせください。

殿下 これは成長を示すエピソードになるのかどうかは分からないのですが、
六月に香淳皇后の崩御がありました。
その後に宮殿においていろいろな例えば殯宮の祀候とか、
それからこれは斂葬の儀の当日になりますけれども轜車発引の儀の時に玄関のところでお見送りをした。
このようなことは、本人たちにとっても貴重な経験であると思うんですが、私の方から見ますと、
そういうところにも出席できるぐらいの年齢になってきたんだなあという気持ちがいたしました。
おそらく殯宮の祀候をしたり、お見送りをしたりというのも、
私たちが子供たちを連れて時々大宮御所の方にごあいさつに行って、
そういうことから非常にその何と言うんでしょうか、自然な形で親しみがあったんだと思うんですね。
ですから亡くなる前日ですか、そのときもお見舞いに行ったわけですけれども、
こちらが行こうと言って連れて行ったというよりも、
子供たちの方から是非ともお見舞いしたいというようなことを言ってくれまして、
そのような辺りはやっぱり年齢が少しずつ上がってきているという印象になっております。


■週刊朝日2014年10月3日号
成の御代になりました。おひとりになった皇太后良子(ながこ)さまは、
皇居内の旧吹上御所にそのままお住まいになりました。
平成5(93)年に、天皇陛下と美智子さまもそれまでの旧赤坂御所から
皇居・吹上御苑に完成した新御所にお移りになります。
当時の美智子皇后をお側で支えた井上和子元女官長が先日、亡くなりました。
井上元女官長は当時、私にこう話してくださいました。
「明治の昭憲皇太后さま、大正の貞明皇后さま。
近代の天皇陛下の母君のお住まいはお堀を隔てて別のところにありました。
平成に入り、陛下と皇后さまは、良子さま(香淳皇后)に
『スープの冷めない距離』にお住まいになっていただきました。これは、すごいことなのですよ」

平成7(95)年に美智子さまが詠んだお歌です。
 緑蔭
 母宮のみ車椅子をゆるやかに  押して君ゆかす緑蔭の道
天皇陛下が母君の車椅子を押し親孝行なさっている情景を詠まれたものです。
天皇家のお歌に車椅子が登場したのです。時代を感じ胸が熱くなりました。
皇后美智子さまも折に触れ吹上のバラ園で皇太后良子さまの車椅子を押してご一緒に散歩なさいました。
平成10(98)年6月。英国、デンマークへの外国訪問からお帰りになった時も、同じ光景がありました。
旧知の間柄でおられる英国のクイーン・マザーやエリザベス2世女王陛下の
近況をお話しになったのかもしれません。
毎週末、良子さまがお住まいの吹上大宮御所は華やいだ雰囲気に包まれたものでした。
それはお子様やお孫様方のお見舞いがあったからです。今上陛下と皇后美智子さま、
そして孫の紀宮さまは、お庭伝いに吹上大宮御所の良子さまを訪問されたのです。
秋篠宮ご夫妻と幼い眞子さま、佳子さまも、大広間でご一緒にビデオなどをご覧になりました。
昭和天皇が逝去されて10年余りの時が流れた平成12(2000)年6月16日に良子さまは逝去されました。
同年春には97歳のお誕生日をお迎えになり、歴代皇后のなかでは最長寿でした。
人生の最晩年を吹上大宮御所でお過ごしになったことは今上陛下と美智子さまのあたたかい親孝行でした。
黒田清子さんとなられた天皇家の一人娘、紀宮清子内親王は、良子さま逝去の折の印象をこう書かれています。
<陛下が、駆け寄られるように皇太后様のおそばにお寄りになって、じっとその御最期をお見守りになり、
そのお後で皇后様が、丁寧にお掛け布団などをお直しになりながら、「ご立派でいらっしゃいましたよ。」と
ささやくようにおっしゃったその時に、周りの人々の悲しみがふっとあふれるように感じられました。
(以下略)>(『ひと日を重ねて 紀宮さま 御歌とお言葉集』から)
美智子さまはご結婚以来、毎週、昭和天皇と香淳皇后をお訪ねになりました。当時、侍従に取材した限りでは、
お会いになった回数は、昭和と平成を合わせると千回を優に超えたと聞いています。


週刊新潮2000年8月10日号
雅子さまが、皇太后様(香淳皇后)の葬儀に欠席されると発表したのは
「斂葬の儀」前日の7月24日のことである。
理由は「暑い日が続いており、お疲れがたまっている」というもので、
要するに夏バテのためだというのだが、
「皇太后さまご葬儀は、その程度の理由で欠席できるような行事ではありません」と
皇室記者の一人は言う。
かつて雅子さまが勤めた外務省の幹部もこう話す
「葬儀に出席した各国の大使からも、84歳の三笠宮崇仁殿下が参列されているのに、
なぜ、プリンセス・マサコは夏バテぐらいでお休みになるのか教えて欲しいと言われて困りました。
しかも、その一週間後には、もうお元気になられて、岐阜の高校総体にご出席。
これでは、私たちも説明のしようがありません。」


文藝春秋2005年3月号
岩井克巳氏
母を失った天皇陛下の悲しみは深く、皇后さまは葬送を出来る限り手厚くと精魂を傾け不眠不休の日々だった。
それだけに皇太子妃雅子さまの葬儀欠席は驚きだった。
そしてその理由を東宮大夫が「夏ばてのようなご体調」と、こともなげに説明したことに二度驚いたものだ。
豊島岡墓地での斂葬(れんそう)の儀にご遺体が向かう朝、
儀式に出席できない車椅子の桂宮さまと幼い秋篠宮眞子さま、佳子さまが宮殿の車寄せに並び、
沈んだ表情で出発を見送る姿は印象的だった。しかしそこにも雅子さまの姿はなかった。
このような場合、事後には当然、宮内庁から
「皇太子妃殿下は東宮御所で慎まれ斂葬の儀は遥拝されました」との発表があると思っていたが、それも無かった。
年末の誕生日会見で雅子さまが「うかがえなかったことをとても残念に思いました」と語ったのみであった。


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週刊文春2006年3月23日号
千代田(皇居)と赤坂(東宮御所)の隔たりが誰の目にも明らかになったのは、
2000年7月、香淳皇后のご葬儀のときである。
豊島岡墓地で行われた「斂葬の儀」は横殴りの強い雨のなかで行われたが、
その場に雅子さまのお姿はなかった。
ご欠席の理由は「夏バテ」誰もが耳を疑った。
・皇室関係者J氏
「陛下のお許しがあったとはいえ、皇太子妃がご欠席とは前代未聞のことだと驚きました。
体調不良でも入院するレベルではない限り、
皇族は出席するものと考えておりましたので…。
せめて御所の南車寄せでの御棺のお見送りは可能だったのではと思いました。
しかしバスの車中では、この件については一切触れられない雰囲気でした」
・元宮内庁関係者K氏
「東宮職の側近たちは唖然としていました。
本番までの一週間、連日炎天下で黒い服に身を包み、
服に塩を吹くほど汗をかいて、リハーサルを繰り返していたからです。
職員は事前に皇居から移動して多摩の御陵までの段取りを何度となく確認し、
玉砂利の坂を上ったり、大テントに何百人と並ぶ練習を何回も繰り返しました。
そんなリハーサルに妃殿下はお出にならないけれど、
一番最後のリハーサルにはきちんと参加されていたのです。
ですからご欠席と聞いたとき、職員たちは「まさか」と言葉を失っていました。
その後、妃殿下からは東宮職に何のご説明もなく、労いのこと言葉もいただけなかったそうです。
妃殿下は普段から側近にあまりご相談をされません。
そのため側近たちは妃殿下の真意がわからず、気を利かせたつもりがかえってお叱りを受けてしまったりして、
次第に“指示待ち”になっていったようです。
そのことがご夫妻と東宮職の間に様々な齟齬を生じさせていったのです」
天皇皇后にとっても、雅子さまがご欠席されたことは大きなショックであったはずだと側近は言う。
・旧皇族で実業家に嫁いだ夫人
「前代未聞の皇太子妃。せめて棺だけでも皇居宮殿南車寄せでお見送りになったらよいのに。」


美智子皇后と雅子妃・平民妃十年の苦闘 渡辺みどり 2005年6月 講談社
心配した池田厚子氏が早くよくなって欲しいと、岡山の白桃を贈る。
後日「ご心配おかけして申し訳ありません。少しお腹をこわしてしまいました」と雅子さまから電話


文藝春秋2009年5月号
「雅子妃すべての悲劇の始まり」友納尚子
平成12年の皇太后葬儀。なぜ欠席を余儀なくされたのか
元宮内庁関係者談
「ご欠席の本当の理由は、ご懐妊の可能性があったため医者に無理をしないよう止められていたのだ」
その後も遠方への公務などを控えられたが、結果的に胎嚢が発見されず科学的流産になったという。


週刊新潮2013年5月2・9日号
「2000年6月16日、皇太后さまが崩御されましたが、その際のことです」
そう振り返るのは、さる宮内庁の古参職員だ。
7月25日には豊島岡墓地で、一般の本葬にあたる「斂葬の儀」が営まれたのだが、雅子妃はこれをご欠席。
「前日には東宮大夫の会見で、妃殿下は『暑さが続き、夏バテのような状態』で体調を崩され
『お体を大切にしていただく見地からお取り止めになった』との発表がありましたが、
案の定、懸念や批判の声が相次ぎました」(同)
これに先立ち、皇族方や宮内庁職員らが24時間交代でお棺の側に詰める「殯宮祗候(ひんきゅうしこう)」が、
40日間にわたって続けられていた。
実はこの時期に、今に至るまでトラウマとなっている「出来事」が、雅子妃に起きていたというのだ。
「殯宮祗候と並行し、斂葬の儀当日までは連日、さまざまな儀式が続きました。
その際、妃殿下は現場で行事におけるきまりごとについて、
皇后陛下からごく簡単なアドバイスを受けたのですが…」(同)
それは、お召し物のベールの長さなど、これまで営々と続けられてきた、
しきたりに関するものであったという。が、
「妃殿下は、この皇后陛下とのやりとりを『叱責』と受け止めてしまわれたのです。
大勢の皇族方や職員の前で自分だけが咎められたのだと解釈なさり、
ショックを受けてしまいました」(同)
こうした“アクシデント”もあり、斂葬の儀だけでなく、
前日に吹上大宮御所で営まれた儀式なども、雅子妃は欠席された。
実際には「叱責」の事実などなかったのだが、
「後に妃殿下はこの一件を、主治医である大野裕医師のカウンセリングを受けた際、お話しになっています。
そして、この時の体験が大きな心の傷となり、御所への参内もままならないという趣旨のご説明をされている。
御所の側にもそうした“思い込み”は漏れ伝わっており、念のため儀式に携わった人たちに
当日の様子を確かめたところ、そうした場面は一切なかったことが分かったといいます」(同)
一方的な思い込みがあらぬ誤解を生み、ご自身の中でも大きなわだかまりとして燻っているというのだ。 


香淳皇后ご例祭で雅子妃の出席が確認できるのは、三年式年祭出席の1回のみ。
2005年、香淳皇后例祭を欠席して、翌日オペラ鑑賞。


週刊文春
オペラ鑑賞の前日は香淳皇后のご命日の「例祭の儀」がありましたが
雅子様はご体調を理由に欠席されました。
でも翌日オペラに出かけたと聞きがっくりと力が抜けた。
これは絶対出なければいけない大切な祭祀。
両陛下は15日の夜8日間にわたるご公務から長旅の疲れをおしてご出席されている」(元・宮内庁関係者)