1999年 ご懐妊の兆候 ベルギー

1999年12月3日~7日 皇太子ご夫妻ベルギー公式訪問
1999年12月10日 朝日新聞が雅子さま「懐妊の兆候」と掲載
1999年12月13日 宮内庁病院にて検査、確認できず
1999年12月30日 繋留流産と診断(妊娠7週目)

週刊現代2000年1月1・8日新春特大合併号
ある宮内庁関係者によると、朝日新聞の記事が出る前に、
宮内庁内部ではかなりの人間が「ご懐妊の兆候」に気づいていたという。
「侍医はもちろん、皇太子や東宮女官も知っていた。
古川東宮大夫は会見で『知らなかった』といいましたが、本当に知らなかったとしたら管理者失格です。
おそらく最初に気づいたのは東宮女官でしょう。
女官が気づいたのは、雅子さまがベルギーを訪問した期間(12月3日~7日)の直前だった可能性が高い。
ちょうど生理の時期にあたるのに、そのご様子がなかったという。
それに気づいて、ハッと驚いた女官がいたと聞いています」(宮内庁関係者)
全国紙社会部記者もいう。
「雅子さまはベルギー訪問の直前、女官に妊娠検査薬を買いに行かせたそうです。
こういった事実が伝わって朝日新聞の第一報になったのでしょう。
雅子さまはこの薬を使って2回検査した結果、妊娠が確認されたと聞きました。
皇族が捨てたものを調べる皇宮警察が、妊娠検査薬が捨ててあったのを見つけたという情報もあります。


天皇家の宿題(朝日新書)岩井克己
宮内庁は医師の意見を聞き、「黄体ホルモンを注射したりして気をつければ大丈夫」
と判断してベルギー行きを強行。(知ったら止められるので)両陛下には報告せず。
帰国後に流産という結果になると、宮内庁は両陛下に報告していなかった気まずさもあり、
先手を打って朝日新聞を批判。


週刊文春2006年3月23日号
元宮内庁関係者I氏
「ベルギーへのご出発前に基礎体温が上がるなど、ご懐妊の兆候があったのですが、
そのことを両陛下に報告されずにベルギーへ行かれたと聞きました。
ようやく外国へ行く機会が出来たのに、いま報告すれば止められるのではないかと東宮側が恐れたというのです。
さらに後でわかったのですが、ご夫妻はこれまで外国へ訪問できなかったことをベルギー王家の方々にお話しになり、
しばらくして王室関係者から皇居のほうに伝わったようです。
天皇皇后がご不快に思われたのは想像に難くありません」
流産の診断をした医師は会見で「ベルギー訪問や報道によるストレスが原因ではない」と明言したが、
念願の外国訪問と流産が重なったことは、雅子様にとって不運だったとしか言いようがない。


皇室報道の舞台裏 角川新書 皇室担当記者OB編 2002年12月
雅子妃はベルギー訪問直前の11月下旬に懐妊の兆候があらわれ、
高木みどり東宮女官長から古川大夫ら東宮職幹部に伝えられた。
両陛下と宮内庁長官には帰国後の12月12日に報告に上がることを決めた。
雅子妃の最初の妊娠は宮内庁トップも両陛下もスクープされるまで聞いていなかった。
朝日新聞が第一報で報じた「既に両陛下にも内々に報告されている」は誤報で
両陛下は12月10日朝6時のニュースで初めて知った。
流産手術後の会見で古川清東宮大夫が
「(詳細を聞こうとする記者に対して)あまり細かいことを追求するのは控えてください。
医学的な検査結果が出る前に懐妊の兆候という記事が出て、
妃殿下にどれだけ大きな負担を与えたか・・」とコメントしたが
実はスクープ3日後に初めて雅子妃が宮内庁病院で診察を受けた後に既に、
「両殿下は、このような記事が流れたことについて、大変ショックを受けているということです。
大変なプレッシャーも受けておられる」とコメントしている。
午後10時過ぎ 東宮大夫会見 前述のコメントを踏襲しつつ、朝日新聞の記事を名指しにして
「両殿下はこのような記事が流れたことについて大変ショックを受けている。大きなプレッシャーも受けておられる」
「ご懐妊の可能性は続いている。明確に確認できないだけ。確認できなければご懐妊とはいえない」
会見で雅子妃主治医の岡井崇愛育病院産婦人科部長は
「ベルギー行きもマスコミに報道されたストレスも流産には関係ない」と明言。


皇太子妃殿下のお誕生日に際し(平成12年)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h12hn.html

問2 昨年末には残念な出来事がありました。これまでのお気持ちをお聞かせください。
皇太子妃殿下
国民の皆さんの期待もある中で,昨年の暮れの結果は私も残念に思っております。
そしてまた同時に,非常に早い段階から報道が過熱してしまったということについて,
正直申しまして戸惑いを覚えたことも事実でございます。
その間,皇太子殿下には常に深い思いやりをもって私を包み支えてくださいました。
また,両陛下にもこれまでずっといつも変わらず温かく支えお励ましいただきましたことを
心より感謝申し上げております。
お陰様でお医者様方に大変良くしていただきまして順調に快復することができましたことを深く感謝しております。
そしてまた,国民の皆様からも大勢お便りを頂きましたり,
温かい励ましを頂きましたことも忘れられない事でございます。
どれほど多くの方々の善意に支えられて自分があるのかということを身にしみて感じました。
国民の皆さんの温かいお気持ちにこの場をお借りして深くお礼を申し上げたいと思います。



参考1
Durbuy (デュルビュイ)にあるレストラン「Les Sanglier des Ardennes」での記念写真
brg.jpeg
「プリンス・ヒロ&彼の妻オワダマサコ」


週刊朝日1999年12月24日号「雅子さま幸せのご懐妊」
当時の駐ベルギー大使・兵藤長雄氏。
滞在中は、兵藤長雄大使の公邸に泊まったが、兵藤大使はこう驚く。
「ワインも普通に飲まれていたし、まったくそんなそぶりはなかった。
いま考えれば、侍医がついてきていたのはそういうことだったんですね」


文藝春秋2002年1月号
東宮夫妻を現地で案内した在ベルギー大使・兵藤長雄氏<雅子妃ベルギーの秘話
ここで小さなエピソードをご披露したい。当初、お召しのスーツは深紅のものを予定されていた。
ところが実際に教会に到着されたときは、目の覚めるようなブルーのスーツに変わっていた。
それは、雅子妃のとっさのご判断であったことを後から知った。
式場に行かれる前、妃殿下はテレビに映し出されていた教会の模様を御覧になっていて、
式場に深紅の絨毯が敷き詰められていることを御覧になった。同色のスーツではと思われた妃殿下は
即座に鮮やかなブルーのスーツに変えられることを決断された。このご決断は大成功で、
教会に御到着時からテレビに大写しになった両殿下は、深紅の絨毯、黒のモーニング姿の殿下、
妃殿下のロイヤルブルーのスーツで一際冴えた印象を与えたのであった。私も妃殿下の御判断に感服した。
式典の翌日、ヨーロッパで一番小さく美しいデュルビュイというアルデンヌ地方の山荘に御夫妻を非公式に
御案内した時には、レテビでこの両殿下のお姿を拝見したという村民総出の大歓迎を受けられた。
両殿下も気軽に歓迎にお応えになったが、村長さんに案内されて村の市場の横を通った時、
地酒のリキュールを露店で売っていた老人が歓迎の印に一杯献上したいと杯を差し出した。
すると殿下はそれを素直にお受け取りになって一気に呑みほされた。私は一瞬青くなった。
お止めする暇のないくらいの一瞬の出来事であったが、案内役を勤めた村長さんも、一瞬ヒヤーッとしたが、
村の老人の善意を信じて受けて下さった殿下に感動したと後日語っていた。


参考2
拾い物
滞在地から2時間離れたレストラン
…沢山色々なものを食べましょうねと、おふたりは話し合い、フルコース二人とも別々のメニューを注文した。
「全皿こうやって、テーブルごしに…」と食べかけのお皿を交換。
レストラン側はあわてて新しくつくり直してお出ししたが作り直しには手をお付けにはならなかった。


オランダでも…
上沼恵美子のおしゃべりクッキング2014年1月号
佐原秋生(料理評論家・名古屋外国語大学教授)
「しばらく前にオランダで、日本のプリンスが自分の皿をプリンセスに分けようとして、
店が慌てて同じ料理を作って出したという『事件』があったそうです。」


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


堤医師について

噂の真相2001年6月号
雅子妃懐妊騒動の真実
堤医師=専門は不妊治療に不可欠な腹腔鏡。「体外受精」「顕微授精」の成功例も数多い。
97年、突如として宮内庁の非常勤医に就任し、女性週刊誌が「人工授精治療の開始か」と大騒ぎを繰り広げた。
この時、宮内庁は「職員の治療をお願いしているだけ」などと報道を完全否定していた。
しかし実際は鎌倉節宮内庁長官(2001年3月に退任)が坂元正一東大名誉教授に依頼して立ち上げた、
皇太子夫妻の「不妊治療プロジェクトチーム」の一員(中心メンバー)だった。
ただしスタート直後、皇太子が坂元医師の説得に「自分たちで計画的にちゃんとやります」と断り、
ほどなく解散。堤も翌年に非常勤医の職を辞した。
ところが99年5月、再び非常勤医として宮内庁病院に復帰。仕掛け人は鎌倉長官。
鎌倉長官は支持率低迷に悩む小渕首相と連携する形で99年春から再び不妊治療プロジェクトを始動。
皇太子夫妻もその説得のプレッシャーに耐えられず、
夏過ぎには同意し、秋に東宮御所内に医療機器が運び込まれ堤教授が検査を始めた。
流産に終ったあとの2000年1月下旬、堤教授が東大医学部の「体外受精」をテーマにした講義で
「体外受精では稽留流産の可能性が高い。それをどうのこうの言われてもね」と発言
記者が同学部の学生から聞いたのが、その学生曰く
「具体的に名前を出したわけではないですが、明らかに雅子妃の流産を指していることがわかりました」
つまり2001年3月に御用掛に就任する前にも「陰の主治医」だった。


(2003)
堤治教授が雅子さまの主治医を辞職
宮内庁は4日、補助金流用問題で東大から停職1カ月の懲戒処分を受けた堤治東大教授(53)が、
皇太子妃雅子さまの主治医「東宮職御用掛」を辞職したと発表した。
堤教授がこの日、宮内庁に退職願を出し、受理された。
宮内庁は「医学的な専門知識、技術などに着目して、東宮職御用掛をお願いしていたが、
今回大変厳しい処分があり、本人も退職したいという意向なので、やむを得ない」としている。
堤教授は平成13年3月に東宮職御用掛に就任。同年5月の雅子さまのご懐妊発表から、
12月の愛子さまご誕生まで、医師団のリーダーを務めた。
http://www.sanspo.com/shakai/masakosama/2003/sha2003060507.html


テーミス2004年7月号
天皇・皇后は「女帝」を望まれていない
皇室関係者「(略)御用掛として雅子さまが信頼していた堤治東大教授も昨年、
研究費の不正流用事件で失脚、いまは相談できる医療関係の人間もいません。
その堤教授は『雅子さまは妊娠中もタバコを辞めなかったんだ』となどと
周囲に漏らしていたというのですから、皇太子夫妻が不信感を抱くのも当然でしょう」
この関係者によれば、東宮職の職員からは雅子さまの寝室に関する詳細な話や
身体に関するプライベートな情報まで漏れていたという。
これでは雅子さまは侍従も女官も信用できない。