皇太子ご夫妻結婚20年関連雑誌記事

皇太子ご夫妻結婚20年

週刊文春2013年1月10日号
雅子さま、この二十年、お幸せだったのでしょうか?   
特別寄稿 林真理子
そして困ったことに、というのはさらに失礼な言い方かもしれぬが、
国民の大多数は雅子さまのことが未だに好きだ。
期待外れだったと困惑するものの、最後は、「まあ、ご病気だから仕方ない……」 と言葉を濁す。
これと反対に、私は未だかつて男でも女でも、紀子さまを好きだという人に会ったことがない。
あの喋り方に、どうしても違和感を持つというのだ。
そして女性たちは最後に、「好きで皇室に入った方なんですもの、
何でもうまく立ちまわるわよね」と意地の悪いひと言をつけ加える。
あれだけ両陛下に仕え、男児も出産され、嫁として非のうちどころのない紀子さまに、
案外世評は冷たいのはどういうことか。
皇室に適応することが出来ず、病を得た女性の人間的苦悩に、共感と好意を抱くが、
うまく適応出来た女性に、人々はそっけない。
これは興味深い現象だ。私は申し上げたい。
二十年前に比べ、かなり低くなっているものの雅子さまにはまだ人気がある。
これを味方にして、はっきりとご自分の肉声でお話になる時がきたのではなかろうか。


週刊新潮 2013年6月13日号
ご成婚20年のタブーだった「それ以前」の秘恋秘話 
「雅子さま」と結ばれる日を夢見た「福田赳夫」元総理外孫の代議士
「愛称はマーコ」
「僕だって結婚したい」
皇太子さまと皇太子妃雅子さまは、この6月9日でご成婚20周年を迎えられます。
雅子さまの独身時代の交際関係については、これまで、ご成婚前に、
具体的におつきあいがあったかかどうかなどの裏付けのある情報はなかったようです。
ロマンスの相手は越智隆雄議員
越智家と雅子さまの実家小和田家の関係は、
雅子さまの実父小和田氏が、1976年に発足した福田赳夫内閣で、外務省から出向して総理秘書官を務めました。
越智隆雄氏の父、越智通雄氏は、72年に初当選し、大蔵省の先輩にあたる福田元総理の長女と結婚。
それ以前の65年、福田氏が大蔵相就任時には大臣秘書官でした。
世田谷の福田家では親戚、秘書、後援会関係者とその家族が招かれた行事がよく開かれていたそうです。
雅子さまは中学生の頃、福田家の(元総理の)孫たちといっしょにスキーに行かれたことがあり、
特に隆雄氏とは、同学年だったこともあり、親しくなったそうです。
本人も、越智家の人々も結婚相手として意識していた、と言います。
行楽地で撮ったらしい、隆雄氏と雅子さまのツーショットの写真が子供部屋に飾られていた、ともいいます。
越智氏も 「結婚したい」と周囲に漏らす。
その後、雅子さまが皇太子妃の最有力候補と騒がれ始め、88年には英国留学に起たれますが、
その翌年、越智隆雄氏はフランスに留学します。
「なぜフランスなのか?」と父の通雄氏に問われて「イギリスに好きな人がいる」と答えたそうです。
しかし皇室の話が浮上すると小和田が大喜びでそちらに乗り替え、宮内庁関係者に縁談を取りまとめるよう働きかけた。
越智氏はこれについて沈黙を守っている。


週刊文春2013年6月13日号
雅子さまご成婚20周年 小和田家VS宮内庁書かれざる「6大事件」
オランダでの小和田さん親子面会はマスコミだけでなく、東宮職も直前になって知らされた。
小和田夫妻の希望で報道陣との交渉に奔走させられるなど、
「私達は妃殿下にお仕えしているのであって、ご両親の使用人ではない」と東宮職の一部から不満の声。
このオランダ面会の前に、文春が優美子さんを直撃。
「そういったことは、何も知りませんの。」と答えていたが、
隠密に面会しようとしていたのだろう。(ベテラン宮内庁担当記者)
ほとんど公務をしない雅子さまが海外公務のついでにご両親に会ったとなると、批判が出るのは明らか。
しかし、東京でも小和田家の会合はたびたび行われており、両陛下より小和田家と密接な関係。
小和田家には親族としての“一線”を画そうという意識が感じられない。
この契機は1999年の朝日新聞記事(ご懐妊スクープ→流産)であり、
その時から小和田家と宮内庁の力関係が逆転した。(同前)
稽留流産の会見時、古川東宮大夫、鎌倉宮内庁長官も強いメディア批判を行った。
幹部の(お世継ぎへの)熱意は、雅子さまのプレッシャーとなった。
しかし、当時はまだ悠仁さまはお生まれになっておらず、外国訪問は後回しという判断は当然のこと。
このとき、鎌倉長官や古川大夫は「懐妊の情報を洩らしたのはあなたたちだろう!」と
小和田家から激しい非難を受けた。
だから、彼らは激しいメディア批判に転じた。(同前)
(小和田家は)何かあれば口を挟む。小和田氏の遠慮会釈のなさはオクでも口にのぼっていた。
ご成婚前、恒氏が「両陛下がぜひにと望まれるなら、
両陛下が雅子を欲しいというなら(結婚させてもいい)」と言っていた。
これは両陛下のお耳にも入っていた。(千代田関係者)
小和田氏が宮内庁幹部を叱責していたとしても意外性はない。
彼はあまり人間関係を気にしない。(外務省関係者)
国連大使に赴任したころ、来客用のワインセラーのラインナップに「なんだこの安物は」と言い、
すべて買い替えさせたこともあった。(外務省元職員)
<誕生会見での「感情失禁」から「異様な母子」と呼ばれるまで>
ご成婚から数ヶ月後には、雅子さまは朝起きられなくなってしまった。(東宮職関係者)
ご夫妻に切実に望まれていたのは、“お世継ぎ”であった。
小山東宮侍医長が「基礎体温ぐらいは報告していただかないと困ります」と言った途端に更迭された。
雅子さまにとっては我慢のならないショッキングな出来事だったのだろう。(同前)
小和田夫妻は(愛子さまの誕生に)落胆の色を隠せない様子だった。
女の子が生まれる事を予期していなかったのようだった。(宮内庁担当記者)
雅子さまも本当は男の子がよかったという気持ちがあったかもしれない。
逆にそう思うことで愛子さまの存在を否定してしまったという葛藤が、
愛子さまに対する過剰な愛情と関心の集中につながった。(香山リカ氏)
<“失われた十年”のはじまり 人格否定宣言の本当の理由>
(軽井沢滞在中)侍従や女官は別荘の中に入らず、皇太子も別荘には3泊したのみで、あとは近くのホテルに滞在。
女性の大きな叫び声が聞こえてきた。雅子さまか優美子さんか。
女性の声はいつまでも響いていた。(松崎敏弥氏)
小和田家で話し合われていたのは「夫婦の危機」について。
宮内庁と優美子さんが口論。雅子さまの希望通り愛子さまをつれて出る事は難しい。
結局「愛子さまの母」として残ることを決め、はらいせに人格否定宣言の公表だった。(千代田関係者)
キャリアやプレス、人格否定など皇太子の語彙ではない。“小和田家用語”だろう。
皇太子の思考のあとは感じられず、雅子さまの言うがまま発言させられた、
ということが見て取れる。(保坂正康氏)
皇室の将来を考える1500人大アンケート 皇后にふさわしいのは「雅子妃38%」「紀子妃62%」の衝撃
雅子さまと紀子さまのどちらが皇后にふさわしいか、の問いに
女性:紀子さま74%>雅子さま26%に対し、男性:48%<52%と雅子さま支持が多い。


週刊文春2013年6月20日号
雅子さま“陰のスポークスマン”が語り始めた「ご体調乱高下」の真実
深夜一時過ぎに「ご成婚記念文書が」が…
それは6月10日午前9時過ぎ、東宮御所の車寄せでの出来事だった。
「スペインへお発ちになる殿下の車が見えなくなったとき、お見送りい立たれていた雅子さまが
報道陣にお声をかけられたのです」(宮内庁担当記者)
「珍しいこともあるもんだと記者の間でも話題でした。雅子さまが仰ったのは、
『昨日はいろいろとありがとうございました』というお言葉。オランダでも距離が近い瞬間はありましたが、
こんなことはなかった。雅子さまの肉声を聞いたのは何年ぶりでしようか。
もう何年も会見にもお出になりませんし、
今回も初めは何に対してのお言葉なのか思い当らず、皆ぽかんとしていました。
おそらく結婚二十周年の各社報道に対してなのでしょう。
この日の雅子さまは特に上機嫌なのが見ていてよく分かりました」(同前)
この前日は皇太子ご夫妻の結婚記念日だった。東宮御所では天皇皇后や秋篠宮ご一家、
妹の池田礼子さん夫妻らを迎え、お祝いの夕餐が開かれたが、
じつはこの日の雅子さまはご体調が優れない様子だったという。
東宮関係者の証言。
「午後6時半過ぎから9時前までのご内宴でした。両陛下をお迎えするということもあり、
妃殿下も相当緊張なさっていたようで、具体的には控えますが、直前は特に良くなかったようです。
翌朝の雅子さまが、非常に高揚したご様子だったのは、両陛下とのご内宴を無事に終えた
解放感からではないでしょうか。…
別の宮内庁担当記者はこう指摘する。
「やはりギリギリにならないとご体調の判断は付かないようです。じつはオランダ出発前もそうでした。…
実際は直前まで、本当に行って大丈夫なのかというほど体調は優れなかった」
一方、6月1日に行われた学習院初等科の全校参観では、雅子さまのお元気そうな様子が
保護者の間でも際立っていたという。
「雅子さまは、はしゃいだように他のお母様に
『おたくのお子さんって最近、沼津の遠泳に向けて髪を切られたの?お似合いね』などと
積極的に話しかけられていました。一緒にいらした皇太子さまは
あまりお話しになりませんからよけいに目立っていました。でも4日の朝、
愛子さまの修学旅行のお見送りにはいらっしゃらなかった。
大きな荷物もあるので、ほとんどの保護者は来ていました。
『昼夜逆転の雅子さまには朝早すぎるのかしら』ともっぱらの噂でした」(学習院関係者)
こうした雅子さまの“ご体調の乱高下”は、思わぬところにも影響している。
「ご成婚二十年に際して、両殿下のご感想がペーパーで出ましたが、
当初、宮内記者会は7日金曜日中の発表を求めていました。
翌々日に迫った結婚記念日の特別番組や特集ページの編集のためには、時間的余裕が必要だったからです。
しかしペーパーが回ってきたのは、日付も変わった夜中1時過ぎ。
真夜中まで推敲されていたということでしょうが、何をするにしても準備万端整えるという
これまでの皇室の行動様式からすると、この時間はちょっと考えられません。しかも翌日昼には追加訂正が来た。
何かと思えば、『今後とも、長い目で温かく見守っていただければありがたく思います』
という一文が加えられたのです」(前出・宮内庁担当記者)…
そうして迎えた9日当日。関係者の注目を集めたのは、とある人物のインタビューだった。
宮内庁の要職を離れてから約1年の沈黙を破り、初めて公に向かって口を開いたのは、
野村一成前東宮大夫(73)だった。…
野村氏は2011年7月に東宮大夫を辞し、その後も皇太子ご夫妻の強い意向で期間を延長しながら、
翌年の3月いっぱいまで宮内庁御用掛を務めた。外務省出身で、旧ソ連大使館では
雅子さまの父・小和田恆氏の部下であり、雅子さまを幼少期から知る人物だ。
「東宮大夫着任早々、周囲の反対を押し切り、オランダ静養を成功させたのが野村さん。
雅子さまの信頼も厚かった。このインタビューも宮内庁と話し合った上でのことで、
もちろん雅子さまのご意向に沿うものでしょう。野村氏はこれからも折に触れて発言すると洩らしているそうです。
しかし、一度身を引いた人間が“陰のスポークスマン”として戻るのはいかがなものか。
現職の面目は丸つぶれです。たしかに小町(恭士)大夫は雅子さまとうまくいっているとは言えません。
だからといって退任したばかりの前任者が、皇太子妃のご体調を公に発言するというのは、
禁じ手でしょう」(皇室担当記者)
天皇皇后に近い千代田関係者も同様の感想を持ったようだ。
「このインタビューでは、雅子さまと野村氏が最近も連絡を取っていらっしゃることや、
野村氏と担当医である大野裕医師の関係の近さが、言葉の端々から窺い知れます。
前皇室医務主管の金澤一郎氏は、今では天皇皇后両陛下とはほとんど連絡を取っていないそうです。
それが現職の方がいる前での司司(つかさつかさ)のけじめなのです。」


ご成婚20周年に……文春「皇后にふさわしいのは“雅子妃38%””紀子62%”」  新潮「“雅子妃”不適格」
2013年06月13日12時00分
先週の6月6日および本日6月13日に発売に発売された『週刊文春』と『週刊新潮』。
両誌とも、ここ2週にわたって皇室の――特に雅子様に関しての記事を掲載している。
6月9日に皇太子さまと雅子さまがご成婚20年を迎えるタイミングにあわせたものだと思われるが、
いずれの記事も「ご成婚20年をお喜び申し上げる」といった趣旨のものではないようである。
週刊文春の6月6日発売号では、「雅子さま ご成婚20周年 小和田家vs.宮内庁 書かれざる『6大事件』」と称し、
・ご結婚前に天皇皇后に届いた父・恆氏の不穏当な発言
・新婚生活の裏側“基礎体温”で更迭された東宮侍医長
・朝日ご懐妊スクープで激しい非難を受けた宮内庁幹部
・皇太子ご夫妻軽井沢の危機 小和田家別荘から絶叫が響いた日
・「人格否定」「プレス」「キャリア」小和田家のレトリック
・オランダ親子面会は東宮職も「直前まで知らなかった」
という事件を紹介。そして「誕生会見での“感情失禁”から“異様な母子”と呼ばれるまで」、
「“失われた十年”のはじまり 人格否定発言の本当の理由」という記事を載せている。
極めつけは、2ページにわたって掲載されている「皇室の将来を考える1500人大アンケート」で、
週刊文春のメルマガ読者1500人に「雅子さまと紀子さまのどちらが皇后にふさわしいか」
というアンケートをとっている。
その結果、「雅子妃38%」「紀子妃62%」であったという。
そして、アンケートに答えた人の辛辣な意見が多数掲載されている。
6月13日発売号では「雅子さま“陰のスポークスマン”が語りはじめた“ご体調乱高下”の真実」という記事を掲載、
これは、6月9日のご成婚20周年に関して“陰のスポークスマン”である野村一成前東宮太子(原文のまま)が
NHKのインタビューに答えていた件についてのものだ。
週刊新潮は6月6日発売号で「“雅子さま”と結ばれる日を夢見た“福田赳夫元総理”外孫の代議士」
という記事を掲載している。
雅子妃には皇太子さまとのご成婚の前に、越智隆雄代議士と知られざるロマンスがあったというもの
。とはいえ、内容は憶測の域を出ていない。
だが、6月13日発売号に掲載されたのは「“雅子妃”不適格で“悠仁親王”即位への道」という
かなり過激なタイトルの特集記事である。
・ついに「雅子妃に皇后は無理」の断を下した美智子さまの憂慮
・「皇太子即位の後の退位」で皇室典範改正を打診した宮内庁
・「秋篠宮は即位すら辞退」が頂上会談で了解された深い事情
・「悠仁さま」電車通学を提案した「秋篠宮殿下」の未来図
という小見出しで、7ページに渡って雅子妃や悠仁さまの現状、皇室典範の改正の動きなどについて書かれている。
めでたいはずの皇太子さまと雅子さまの“ご成婚20周年”であるが、両誌とも祝福とは程遠いものとなっていた次第だ。
http://news.livedoor.com/article/detail/7762696/


サンデー毎日2013年5月26日号
ご結婚20年雅子さまの正念場
座談会(一部抜粋)

(オランダ訪問について)
神田秀一
皇太子殿下はかつて会見で、ご公務について「二人揃ってではない」とはっきりおっしゃった。
“一人公務”は公務ではないということです。
その意味で言えば、確実に“公務を果たされた”その満足感もあっての笑顔だったのでしょう。

渡辺みどり
即位式で雅子さまがお召しになっていたのは生成りの白のドレス。
確か紀宮さまの結婚式にお召しの物で勲一等宝冠章をご着用でした。
お似合いでしたが、ドレスに折り皺がありました。

(中略)
4月に女官長が交代したばかりで、細かいところまで気が付かなかったのではないでしょうか。

橋本明
雅子妃の父で、オランダ・ハーグの国際司法裁判所判事の恆氏と母の優美子さんがホテルに訪ねてきました。
実の娘に会うという理屈でしょうが、天皇家に嫁いだということは民法上の庇護から外れるわけで、
もはや雅子妃は自分の娘ではないとの自覚を持つべき。

神田秀一
私も次期皇后陛下になられる方への期待を込めて発言させてもらえれば、
もっと「公人」としての自覚を持っていただきたいということです。
雅子妃は、即位式とレセプションにはご参加されましたが、それ以外の行事に「私も出ます」とはいかなかった。
皇太子殿下は前女王が開いた晩さん会や翌日に新国王が主催した夕食会に一人で出席しました。
予定通りとはいえ、公式行事には出ないで両親に会うのはいただけません。

橋本明
オランダ訪問は、4月18日の園遊会を欠席して実現したものです。
国内の公務はキャンセルし、外国訪問に踏み切った
(中略)
今だからこそ、雅子妃の主治医は詳しい病状を明らかにすべき。
これまで療養中であるということで宮中祭祀や宮中行事には出ない、
予定の公務も寸前でキャンセルされるケースがあった。そのたびに国民には疑問符が付いて回った。
医師が患者の現状を隠してきたからです。

神田秀一
同感です。時として、東宮職医師団は病気には触れず、
侍従や女官が明かすような話をしていました。これではかえって混乱するだけです。
きちんとした情報開示を願いたいものです。

橋本明
数年前、宮内庁幹部らと食事をした際、
絶対、表に出せない。それくらい酷い状態だ」と語っていました。
宮内庁も隠す、主治医も隠す。これではマイナスの方向にしか向かいません。

渡辺みどり
一方、天皇陛下は常に明らかにしてきましたね。
12年2月の狭心症の治療による冠動脈バイパス手術もすべてを明らかにしたからこそ、国民はじっと見守れました。
私もこの機会に現状を公表するのはいいことだと思います。