秋篠宮両殿下からお電話が… 1月27日に映画『旭山動物園物語』の完成披露試写会が行われ
うれしい事に、動物園水族館協会の名誉会長である秋篠宮両殿下に
ご臨席を賜る栄誉にあずかったことは既にブログでも紹介させて頂きましたが
昨日小菅園長から病院にお電話を頂き、実は秋篠宮の宮務官から、小菅園長に電話があり
『津川さんのご病気の一日も早い回復をお祈りをしてますとお伝え下さい』と
秋篠宮両殿下からのお言付けがあったとの事!なんて優しい方なんだろうと感激もひとしおです!
完成披露試写会当日も、こちらからは如何でしたとは、お聞き出来ないんだが
隣の席で映画を御覧になった、旭川市長の話では、
よく笑っていらしたし、お風邪を引いていらっしゃらないなら、何度か鼻をすすっていらしたので
泣いてもいらしたんじゃないかとのこと、映画が終わってご退場の折りには
見送りに出た小菅園長に、ご自分から歩み依られ、『感動しましたよ!素晴らしい映画でしたね』と
いつも聞くお声より少し高い!心弾んだ様子でおっしゃってくださったとの事!
更に愉しそうな笑顔で、『園長も坂東副園長も市長も映画に出ていらっしゃいましたね!
最後には津川さん迄も!』と気が付かれていて、つぶさに良く観て下さっていたようだし!
『あのゾウがいたのは秋田動物園ですね。豊橋動物園も映ってましたね、その後のは海遊館ですね』と
さすが動物園、水族館協会名誉会長だけあって良くご存じだったとの事!
これも興味深く観ていただいた証拠だと園長も大感激!
後からわざわざ僕に、お見舞いの電話をくださるのも、異例のことで
映画に対する好感触の故だろうと園長からのうれしいうれしい伝言でした!
又昨日は肺の中に入っていた管が全て抜くことが出来!秋篠宮両殿下からの優しいお見舞い電話の
ご利益に違いないと喜んでいます!
(※秋篠宮殿下は「名誉会長」ではなく「総裁」)
某報道系番組ディレクター“じょんどう”の雑記帳
思い起こせば16年前。ご結婚が決まった直後の、
まだ川島紀子さんだった頃。当時通われていた学習院大学で、
毎朝ジョギングするというので、「今日の紀子さん」ということで、
毎朝、紀子さんのジョギング風景の取材に行っていたことがありました。
そして、ある一ヶ所で、カメラを構えて持っていると、
紀子さんの走ってくる姿が見えるので「紀子さ~ん!おはようございまぁ~すっ!」と叫ぶんです。
すると、必ず立ち止まって軽く会釈してくれました。ただ、そんな感じの取材を毎日していたんですが、
単純に会釈してもらえるとやっぱり嬉しかったのと、とは言え、
「毎日、こうやってテレビカメラで撮られるのは嫌じゃないのかな?
こっちも仕事とは言え、なんだかなぁ・・」と思ったりしていました。
普通だったら多分、そんなにテレビで撮られたくないでしょうからジョギングをやめちゃうかもしれません。
でも彼女はやめなかった。そして、「この人はホワ~ンとした感じに見えるけど、内面は芯が強く、
そんなことで自分の意志を曲げるような人ではないんだな」と感心し、でも、
その他の時は、相変わらず何とも言えないホワ~ンとした実に女性的でやさしい雰囲気に惹かれ、
すっかりファンになってしまいました。
◇雨水タンク
「雨水利用を進める全国市民の会」の革新的雨水プロジェクトが第4回日本水大賞グランプリを授賞し、
5月30日に科学技術館サイエンスホールでその表彰式及び授賞活動発表会が活動発表会が行なわれました。(中略)
(略)
秋篠宮殿下も雨水タンクを3個お持ちになっていて、審査部会長に雨水タンクの重要性を語られたそうです。
◇秋篠宮邸に招かれた高校
第10回水大賞の表彰式に行ってきました。今回で3年連続で出席しました。(中略)
第10回はこれらのチームを指導したということで、指導者にスポットを当てていただき
私本人が受賞することができました。この水大賞の名誉総裁は秋篠宮殿下です。
ストックホルムの時は受賞報告としてご自宅へ招いていただきました。
生徒は紀子様にお庭を案内していただいていました。
その時草花クラブで育種した「桂夢衣(かむい)」を贈りました。
今回の表彰式後にサプライズがありました。受賞パーティーに秋篠宮両妃殿下が来られたのです。
私も伴侶を紹介して殿下と話しをしました。殿下は「桂夢衣」を覚えておられて、
その後の品種開発は進んでいますか?と質問していただきました。
また、伴侶には紀子様から「アジサイを送っていただいたのよ!」と言っていただきました。
現在の芝の研究のことも話しをさせていただきました。
大変うれしく思いました。いつも黒子に徹している僕にとって救われた思い出でした。
◇桂夢衣(かむい)は桂高校の学生たちが作った新種のアジサイ
ハワイから日系4世の方が秋篠宮邸に訪問したときのブログ
秋篠宮邸の入り口には、骨の彫刻など、ハワイの工芸品が飾ってあったの。
何て素敵なおもてなしなんでしょう! 室内には世界中の動物の木彫りがたくさん。
(略)
私たちのグループとは、夏の間、悠仁様とお出かけになったイチゴ狩りについてや、
日本の価値観、「もったいない」ということについてお話しされたの。
紀子様はご幼少の頃から、ご両親の「無駄遣いせずものを大事に」という考えの下、お育ちになったんですって。
お料理なさるときは、野菜はできるだけ、全ての場所を使うように気をつけておられると話してくださったわ。
私たちは「環境保全が地球のためにいかに重要か」という話題で意見が一致したの。
会話が終わろうとする頃、本当にびっくりしたんだけど、
紀子様は私のカップをそっと手にとって、お菓子とフルーツを勧めてくださったの。
私はちょっぴり恥ずかしくなって緊張しちゃったんだけど、
紀子様は私たちとあまり年令の変わらないお嬢様をお持ちだそうで、
だからさりげなく私たちに気を配ってくださったと言うことがわかったの。
美しいうすピンク色のスーツをお召しになった紀子様は本当に優雅で神々しく、すばらしい英語をお話しになったの。
私たちと握手をなさったときも、とても典雅な感じで、うっとりしちゃった。
なんと、私たちがバスに乗るところまでいらっしゃって、手を振ってお見送りしてくださったの。
紀子様とお会いしてすぐに、「私ももっと大人の女性、素敵な女性になりたい!」と心から思ったわ。
※太平洋諸島フォーラム(PIF)諸国・地域政府関係者グループ招へい)被招へい者ご引見(宮邸)
台北デフリンピック日本代表公式ブログ
秋篠宮両殿下御接見
男子バスケ主将の及川さん
「紀子様の手話を初めて目の当たりにしましたが、凄く分かりやすくて、
気持ちがこもっていたように感じ、とても心打たれました」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ブログより
5月29日の木曜日、追分デイサービスからあいち健康プラザへ
「全日本ひょうたん展」を見学に行きました。そこで思いがけないことがありました。
秋篠宮様にお会いできたのです。
私は、これまで一度も殿下にお目にかかったことがないので、どんな御方かと思っておりました。
お姿が少し見えたとたん、足が自然にまるで 油をさしたように動きました。
そう、走っていたのです。90歳の私が・・・
少しでも殿下をよく拝見しようと思っていたのでしょう。
お目にかかり、立派な方だと思いました。お姿・立ち居振る舞い。
我々一般人に軽く会釈をしてくださり、笑顔で頭も下げてくださいました。
一瞬でしたが本当に良かったです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大府市の若宮保育園では、同園と米田保育園の年長児32人が、
愛瓢会の用意したマラカス形のヒョウタンにシールを張って仕上げ、アニメの歌を演奏した。
秋篠宮さまは子どもたちに「何歳?」「この模様は何?」などと
優しく尋ね「私の一番下の子もこれぐらいの年齢になるとできるのかな」と“パパの顔”に。
ミッキーマウスの模様を見せた浅井奏翔くんは「ディズニーランドは行ったことないんだって」と、
楽しそうに話していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
第41回なるほど展に、秋篠宮 紀子様がいらっしゃいました。
すぐ真近、30センチくらいの距離で紀子さまとお話したのですよぉ~。
皇室の方は、やはり気品がぜんぜん違います。
・・・でもわたし、なにを言ったのか、自分で覚えてません。幽体離脱してました。
エレベーター内で、にっこりとほほ笑む『紀子さま』が静かに頭を下げるような形で、
なんと、微笑んでくださいました
とっても優しい微笑みで、本当に素敵でした
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私を含め数名の会員が会場内で両殿下にお会いする事が出来た。
そこで思ったのは「紀子様細い!」であった。
TVで見るよりはるかに細くて、背も高く感じられた。
薄化粧ですがすがしい微笑み、芸能人よりお綺麗だと感じた。
あまり皇室などに興味はない私でさえ、なんだかもったいないような光栄なような
そんな不思議な感情が沸き起こりました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
とある会議に秋篠宮夫妻がお出ましになられた。
会議終了後の立食パーティでもの凄く豪華な食事が出される中、
お二人は全く食事に手をつけなかった。
その理由は
「なるべく多くの方々とお話したいが、食事を摂っていると
周りの方が気を使って話しかけられないだろうから」だということ。
一応通訳もついていたのですが、お二人は完璧な英語で会話されており必要なかった。
通訳の方の後日談『紀子様のファンになった。あんなにお優しくて素晴らしい方って初めて!』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
名市大病院の広報誌
昨年5月、名市大病院をアジアオセアニア周産期学会に参加なさった秋篠宮ご夫妻が訪問なさったときのこと。
集中治療室に神経筋疾患の年長のお子さんが入院していたそうです。その時にはその子は人工呼吸器を装着していて、
筋力低下も進行し自分で上肢を動かすこともほとんどできない状態でした。
ところが、紀子様がその子のベッドに近づいてお声をおかけになると、
なんと彼は動かないはずの右手を上げて手を振ったのでした。
それ以降、彼が手を上げることは二度となく、その瞬間を目にしたスタッフたちは誰言うともなく
「紀子様パワー」と呼ぶようになったそうです。
また、その後プレイルームをご覧になった際には、そこに集っていた子の一人が耳が不自由だと知ると、
まず殿下が、ついで妃殿下が手話でその子に話しかけられたとのこと。
入院中の子どもやお母さん方のみならず、医療従事者にも元気とパワーをいただいた一日でしたと締めくくられています。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
TVより
(ザ・ワイド)
平成17年 愛・地球博にて
オーストラリア館で、秋篠宮様がカエルの剥製を見つけて見せると(お土産に)
眞子様、佳子様はそれを却下
いろいろと質問したりして、お土産をじっくり選ばれていた。
お二人はカモノハシのマペットが気に入り、どうやらプレゼントされた。
オーストラリア人のスタッフが、 ニコニコとそんなことを話していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ブログ・インタビュー・コメント等
(出席者)
眞子さまのご公務
上野動物園で開始時間の1分前に眞子さま入場
歩く姿も立って園長らの挨拶を聞く姿勢も、洗練された美しさがありました
動物園園長の話では、眞子さまは久々の来園だそうです
私の立ってる位置からは、たまにチラッと横顔が見えただけでしたが
えりか号がちょっと暴れたときに微笑んでえくぼが出来ていました 可愛らしい!
えりか号を今治で飼育していた担当者の話が始まった途端、えりか号は大量の糞をしました
私たちのところにもすっごく臭ってきて、
ちょこっとザワついたんだけども眞子さまは表情1つ変えてませんでした
式典が終わって、えりか号におやつをあげた眞子さま^^
撫でたり、手綱を持ったりしていました えりか号はそのときは大人しかったです
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(学生)
川嶋教授は自分のゼミでも「紀子さま」という名前は絶対に出さない。
ゼミ生が名前を口にするのも禁句。
自分が話したちょっとしたことに尾ひれをつけてヘンな噂を流布されないように警戒すると同時に、
宮妃の父ということをことさらにアピールしないように心がけていらっしゃる。
自分たちがあらゆる誤解を受けないよう、
身を慎むことが紀子さまを守ることだと心に定めていらっしゃる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(研究者)
秋篠宮殿下のご研究について
生物医学系の研究雑誌には、Impact factorという点数=雑誌の格付けがあって、
その点数がいかに高い雑誌に自分の論文が載るかに、
大学の研究者というのはただただしのぎを削っていると言っていい。
その頂点に立つのが、Nature, Scienceというような雑誌で、
そのImpact factorが20何点
このProNASというのは最新9点台。
普通の大学教授レベルが普通に手を出せる雑誌っていうのは、せいぜい6、7点どまり。
それでも立派な一流雑誌。
2、3点っていうのがまあ恥ずかしくない業界標準雑誌。
ちなみにもちろん全部英文の雑誌のことです。
日本語のそういう研究の雑誌には点数すらついていません。
点数だけでなく、Name Valueもすごい雑誌。
firstというのは、first autor、筆頭著者ということで、
その雑誌が価値ありと認めるレベルの英文論文を(もちろん周りのひとのサポートはあるのだけど)
ともかく頑張って書き上げて、しかも厳しい審査員とやりあいながら最後に雑誌掲載までたどりつくという
至難の業をやり遂げたということ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(公務で紀子様と話した方)
「子どもが小さいうちは,子育てと仕事の両立は大変だけど,
子どもはそんなお母さんの頑張る姿を見て育つから,
きっとしっかりした子どもに育つ。だから頑張って。」と言われました。
紀子さんの今はもう高1の娘も「お母さん,疲れたでしょう」と肩を揉んでくれるそうです!
また,夜は家族だけになるので,子どもが熱を出した時などは,
やはり冷えピタシートを貼ったりして,育てたそうです。
お付きの人に「もう時間です」と連れて行かれても,ドアまで行ってから
タタタと戻ってきて,名残りおしそうにまたお話ししていきました。
最後は何度も何度もお辞儀をしながら(決して形式ではない...と思う)去っていきました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(書き込み)
秋篠宮家の内親王は2人とも、3年保育の年少組に1年通っていた。
それから学習院幼稚園で2年保育。
御所の外の世界を見せ、よその子供と一緒に遊ばせたいけれど、
マスコミに追い回されると他の園児に迷惑がかかるということだったのだろう。
ごく小さな都内の幼稚園に通っていた。
幼稚園の先生もよく信頼に応えて、内親王を預かっていると一切喧伝しなかったし、
叱ったり注意したりも他の子供とまったく同様に扱った。
園児たちは当然、ただの仲良しとして遠慮なく接していたそうだ。
1年間でも公園デビュー以上の効果はあったと思う。
眞子様は園で飼っている犬や猫が大好きで、おままごとをしている時、葉っぱを余計にむしって
先生から「木をいじめちゃだめ」と叱られて「ごめんなさい」と謝って木をなでたり、
素直で表情豊かで本当にお人形さんのような愛くるしさだったとか。
おもちつきの時に木の枝におもちを付けて「もちばなよ、ね?」と笑いかけられた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
秋篠宮殿下寄稿
日本動物園水族館協会情報誌「どうぶつとすいぞくかん」
このたび、社団法人日本動物園水族館協会の季刊誌
「どうぶつえんとすいぞくかん」が創刊になりますことは、
協会に所属する園館にとり、また私にとりましても大きな喜びです。
発刊にご尽力いただいた方々に厚く御礼申し上げます。
私は子どものころから動物に関心をもっていました。物心がついたときには、家に鶏が飼われていましたし、
ペットショップで見ることのできないものを飼育したこともありました。
また、今年生誕150年を迎えるアーネスト・トンプソン・シートンや
アニメにもなったソーントン・ウォルドー・バージェスの本、各種の図鑑も随分と楽しみました。
そして、何より動物園や水族館を訪れて、好きな動物や魚を見ることことは
私にとって大きな楽しみのひとつでした。
このように、幼少時から一貫して動物との縁がつづいています。
ところで、その動物園と水族館ですが、かつてはレジャー施設としての認識が強くあったように感じます。
動物園や水族館側がそのように考えていたということではなく、
その時代の社会が動物園・水族館は遊び場のひとつであって、
児童や生徒が学習をする場所ではないと考えていたのではないかと思います。
したがって、その後に縁あって日本動物園水族館協会に関わるようになって、
そのようなイメージが大きく変わったことを今でも鮮明に記憶しております。
学習の場であるとともに動物における飼育下ならではの研究、展示技術の工夫、
そして種の保存事業など、多岐にわたる取り組みに、動物園ならびに水族館の社会的役割を再認識いたしました。
そして現在でも、それぞれの園館が上述した事業を遂行すべく、
弛みない努力を重ねていることは、誠に喜ばしいことです。
関係者の一人として、今後一層発展していけるよう努めたく思います。
このたびの創刊がひとつの契機となり、
日本動物園水族館協会ならびに加盟している動物園と水族館の各園館の活動が
多くの人々に知られるようになることを願っております。
社団法人日本動物園水族館協会総裁 秋篠宮文仁
http://www.jaza-magazine.com/about/
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その他ニュース等
1年半ぶり復学 秋篠宮妃紀子さま
中日新聞 1993.03.13 夕刊 12頁 第2社会面
秋篠宮妃紀子さまが四月から学習院大大学院に一年半ぶりに復学されることが、
十三日までに決まった。
紀子さまは平成二年六月の結婚後も通学を続けていたが、
三年十月に長女の眞子さまを出産され、その後は育児に専念するため休学していた。
紀子さまは十二日午後、同大を訪問し、復学後の研究テーマやスケジュールなどについて
担当教官の永田良昭教授と話し合った。
講義の単位は既に取得しており、四月からは修士論文作成のため、
週に一、二度のペースで通学しながら音楽心理学の研究を続けられる。
来年度末には論文を提出し、博士課程進学を希望されているという。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2011年01月27日付 朝日新聞・夕刊 コラム名「窓」 論説委員室から
『触れるニューヨーク』
目、耳ともに不自由な盲(もう)ろう者の東大教授、福島智(ふくしまさとし)さん(48)が、
1年間の在外研究で、昨年秋から米ニューヨークに滞在中だ。カラフルでやかましいこの街を、
どう感じとっているだろう。
通っているのは、郊外にある米国立ヘレン・ケラ-・センター。
ヘレン死去翌年の1969年にできた、世界有数の盲ろう者向けリハビリ・研究施設だ。
福島さんは、日本版のセンターを作る夢に向けて、インタビューを重ねている。
ヘレンの存在とともに60年代に大流行した風疹(ふうしん)で多数の盲ろう児が生まれたことが、
米国で盲ろう者への支援策が進んだきっかけだった。
同センターは常時30~40人の訓練生を受け入れ、様々なプログラムを提供しているという。
このセンターに24日、中米コスタリカをご夫妻で訪問する途上の秋篠宮妃紀子さまが、立ち寄った。
センターには事前に日本側から、皇族を迎える際のこと細かな規制の指示があったという。
でも、盲ろう者は直接触れることで初めて、気持ちが通うコミュニケーションができるのに。
福島さんは宮内庁側に、メールでそうした懸念を伝えていた。
紀子さまは通訳者を介して訓練生らと会話を交わしたあと、自然な形で歩み寄り、
それぞれの手をとってアメリカ式手話で「ナイス・トゥ・ミート・ユー」と話しかけた。
福島さんの手にはこう指で点字を打ったそうだ。「き・こ・で・す・あ・り・が・と・う」
<石橋英昭>
陸前高田市立博物館
発表します。本日、秋篠宮殿下ご夫妻が仮設博物館になっている旧生出小学校にいらっしゃいました。
びっくりです。
お二人ともとても優しく、すごく素敵でした。せき坊は大ファンになりました。
両殿下はとても被災した博物館や文化財のことをご心配されていました。
また、作業員さんたち全員に優しくお声を掛けてくださり、みんな少々緊張気味でした。
鉄製品などの安定化処理の様子、紙資料の安定化資料の様子、貝類標本の安定化処理の様子、
資料の保管状況など生出小学校で行われている作業のすべてを見ていただきました。
○○○○先生のこと、貝のこと、漁具のこと本当に何でもご存知でびっくりしました。
お二人の温かいお気持ちで生出小学校全部が包まれ、本当にアットホームな雰囲気でご視察が行われました。
紀子様にも「お体気を付けてください」とお声を掛けていただき感激です。
紀子さまに「クワガタやカブトムシがたくさん生出にはいるのでまた、いらしてください」と話しました。
すると、紀子さまは、ちょっといたずらっぽく顔をしかめて、
「東京に、好きな方(悠仁様)がいますから」とおっしゃってくださいました。
本当にお二人の優しさと温かさに触れることができた素敵な時間をいただきました。
2012年12月19日
https://ja-jp.facebook.com/muse.tkd
秋篠宮殿下、同妃殿下が玉川大学をご訪問下さいました
秋篠宮殿下、同妃殿下は、1月22日(火)、本学教育博物館 企画展
「石に描かれた鳥たち―ジョン・グールドの鳥類図譜」のご見学のため、
玉川大学へお成りになりました。皇室の方々の同企画展のご見学は、14日(祝・月)の
天皇皇后両陛下の行幸啓に続き、2度目となりました。
小原芳明学長は両殿下を教育博物館玄関でお迎えした後、同企画展をご案内いたしました。
館内では、主幹学芸員の柿﨑博孝教授が、ジョン・グールドの鳥類図譜についてご説明いたしました。
両殿下はアジア鳥類図譜、イギリス鳥類図譜、ニューギニア及びパプア諸島鳥類図譜、
ハチドリ科鳥類図譜を中心に、図譜の制作工程コーナーから
鳥類の標本やパネル展示のコーナーまで、時間をかけてご見学されました。
秋篠宮殿下は、山階鳥類研究所の総裁も務められており、
またご自身も鳥類についての研究をされていることから、鳥類について造詣が深く、
本の中の鳥の図版やパネル展示された図版を熱心にご覧になっていました。
また、ニューギニアやハチドリ科の図譜のコーナーでは、描かれている背景や植物にも
ご関心を寄せられ、案内役を務められた黒田清子同館外来研究員から、
グールドの描写方法や題材の情報源についてのご説明をお聞きになられました。
紀子妃殿下は、図譜に描かれた鳥の生態について興味深くご覧になり、
イギリス鳥類図譜のカッコウの図の前では、卵の世話を他の鳥に託する托卵(たくらん)という
習性を、殿下とともに黒田研究員からくわしいご説明を受けられていました。
両殿下は、ケース内に展示されたさまざまな鳥の図版を詳細に観察され、
またお話を楽しみながらご覧になりました。
最後に、両殿下は館内の本学園創立者の小原國芳や玉川学園に関する展示もご覧になり、
小原國芳の書いた「一角多い夢」という字の意味、全人教育、
そして新教育運動や八大教育主張について、小原学長のお話に耳を傾けられました。
http://www.tamagawa.jp/news/articles/news_no061.html
【受賞インタビュー】井上彰特任准教授が「第9回(平成24年度)日本学術振興会賞」を受賞
東北大学病院臨床試験推進センターの井上彰特任准教授
(プロトコール作成支援部門)が「第9回(平成24年度)日本学術振興会賞」を受賞し、
平成25年2月4日に日本学士院(東京・上野)にて授賞式が執り行われました。
今回の受賞について井上彰特任准教授にコメントをいただきました。
受賞について(井上彰特任准教授)
おかげさまで第9回日本学術振興会賞をいただけることとなり、
上野公園の一角にある日本学士院での授賞式に2月4日出席しました。
各領域から選考された24名の研究者は、「若手(45歳未満)」とはいえ
ほとんどが教授で風格が漂っており、さらに選考委員がノーベル賞受賞者の江崎玲於奈
(ワープロで一発変換されたのはさすがです)先生ほか大物揃いで、私なぞはどう考えても
不釣り合いな場でしたが、同じく田舎者の両親も招待出来て良い親孝行になったかと思います。
一番印象に残ったのは秋篠宮妃殿下(紀子様)との「ご歓談」で、穏やかな物腰と
どんな会話にもそつなく対応される機転の良さに感服しました。私の専門である多施設共同研究は、
多くの先生方と患者さんのご協力によって成り立つもので、この場を借りてあらためて深謝申し上げます。
今後も肺癌診療の発展に少しでも貢献できるよう精進したいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
http://www.crieto.hosp.tohoku.ac.jp/news/n_20130225.html
紀子妃殿下
平成元年 学習院大学文学部心理学科ご卒業
平成7年 学習院大学大学院人文科学研究科心理学専攻博士前期課程ご修了
平成25年 博士(人文科学)(お茶の水女子大学)
妃殿下は,聴覚障害者の大事なコミュニケーション手段である手話を学ばれ,
「全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」,「聴覚障害児を育てたお母さんをたたえる会」に
ご臨席になり,折にふれて関係者よりご進講をお受けになっています。
また,公的なご活動の傍ら勉学を続けられ,平成7年3月に心理学の分野で修士号を取得されました。
出産・育児の後に研究活動を再開する研究者を支援する
「日本学術振興会特別研究員 - RPD(Restarted Post Doctoral fellowship)による発表会」
にもご臨席になるなど,女性研究者の支援を大切にお思いでいらっしゃいます。
平成21年2月には,日本学術振興会名誉特別研究員に就任され,健康心理学の観点から結核にかかわる
意識と行動についての研究を進められました。そして,お茶の水女子大学に論文を提出され,
平成25年3月に博士(人文科学)の学位を取得されました。
http://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/03/activity03.html
機関紙「NEWあしながファミリー」122号共生(コラム)☆皇室はあしなが運動40年の大サポーター☆
秋篠宮両殿下が、6月13日、アフリカのウガンダ虹の家を遠路ご訪問くださった。感謝感激である。
詳しくは、沼志帆子現地代表・松井佳・山田優花の新ゴールデントリオが活躍し、
健筆をふるっているので想像しながら読んでいただきたい(2面、4・5面)。
◇
皇室とあしなが運動の関係は古く40年になる。永野重雄初代会長(日商会頭。故人)が、
ある日、「玉井君、秩父宮(昭和天皇の弟君)妃殿下を名誉総裁にお迎えしてはどうだろう」と言われた。
僕は「ええ」と言ってしまった。
二人で宮内庁に行き、宇佐美毅長官(当時)にお願いして、後日快諾を得た。
秩父宮妃はそれ以来、実に熱心に運動をサポートしてくださった。
学生募金はほとんどご出席され、森光子さん、吉永小百合さんらと街頭に立ってくださったおかげで、
学生募金と育英会は初めから世間の信用を得た。草創期の大恩人である。
このたび秋篠宮邸へ「御成御礼」のご挨拶に参上したら、そこは秩父宮妃殿下のお邸と同じお邸であり、
思わず妃殿下とお庭をキジが歩いているのを見ながら
親しくお話しさせていただいた昔を懐かしく想い出していた。
その後、美智子さまが東宮妃殿下から皇后殿下になられるに至って、遺児を特別に気にかけていただいた。
2001年4月24日、神戸虹の家に、天皇陛下とご一緒にご訪問くだされ
遺族にやさしくお声がけくださったときの光景は忘れようにも忘れられない。
お帰りのとき、「この子らをよろしくお願いします」と言われたお言葉はいまだに耳に残っている。
皆励まされた。
そして、今度の秋篠宮両殿下、とくに紀子さまの津波以後の度重なるご訪問で、
日本とアフリカの遺児達がどんなに元気づけられていることか。
西本光里さんが両殿下の通訳官をしてくれたことも、天国の父征央君(大奨2期)はどんなに喜んでくれたか。
目頭が熱くなった。
http://archive-org.com/page/2918790/2013-09-25/http://www.ashinaga.org/hyaku-nen/entry-581.html
宮城県大崎市長ホームページ
平成23年12月 献上米
震災から八ヶ月目の十一月十一日、秋篠宮邸に新米献上のためにお伺いいたしました。
経緯を紹介しますと、去る六月二十三日、秋篠宮文仁親王殿下と紀子妃殿下が大震災慰問のため
来県された際に本市にお立ち寄りいただき、
光栄にも村井知事とともに殿下、妃殿下との昼食に同席の機会を賜りました。
その折に、お米談義になりラムサール条約登録湿地「蕪栗沼・周辺水田」での渡り鳥と共生する農法
「ふゆみずたんぼ米」の実例。
「世界一田めになる学校」を東大弥生講堂で開催すること。
是非そのイベントにお運びいただきたいことなどをご説明、進言申しあげました。
光栄にも、東京でのイベントに紀子妃殿下にお越しいただき、
環境保全型農業を体験した子ども達の発表を聞いていただき、励ましのお言葉まで賜りました。
その折、新米ができましたら献上する旨をお約束申しあげておりましたので、
重ね重ねの光栄に感謝、御礼を兼ねて宮邸に献上にお伺いしたのであります。
献上したのはササニシキとひとめぼれの「ふゆみずたんぼ米」と新品種東北一九四号、
ふゆみずたんぼ米で醸造した地酒を持参いたしました。
又々光栄なことがありました。なんと殿下と妃殿下が直接接見いただき献上米の御礼と
被災地復興への励ましのお言葉を賜り、お見送りまで頂くご厚情を賜りました。
重ね重ねの光栄と感動、感激にあずかり宮家のご繁栄を念ずるとともに、
全国に発信できる自然共生型農業を一層推進することと、
震災復興に粉骨砕身精進することを決意しながら宮邸を後にしました。
http://seiun.vtown.jp/column/index1.php
伝統野菜を語るスレ
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/yasai/1220166259/
23 名前:大地の恵みの名無しさん[] 投稿日:2012/12/09(日) 12:15:43.45 ID:rU6qDm06 [1/2]
在来種を家庭菜園で育てるのが趣味なんだけど、
在来種の種をもらいに行くと、結構な確立で秋篠宮様の話が出るんだよね。
この野菜をお出ししたら残さず食べてくださったとか、献上したとか、
みんなお爺ちゃんお婆ちゃんだけど、嬉しそうに話すんだよね。
絶滅寸前で細々と作ってる野菜にも目を向けてくださるなんて、なんか嬉しいなと思ったよ。
秋篠宮家に悠仁様が誕生してくださって良かった。
「認めてくれる人がいた。もう一度頑張ろう」カンボジアのコショウ復活、秋篠宮ご夫妻のお言葉転機に
2014.6.8 12:50
かつて「世界で最もおいしい」と評価されていたカンボジアのコショウ。
しかし、長らく続いた内戦で生産量は激減、コショウ産業は壊滅状態に陥っていた。
「ならば自分の手でよみがえらせよう」。そう誓った日本人がいる。倉田浩伸(ひろのぶ)さん(44)が、
わずか1ヘクタールほどの畑で現地の協力者とコショウ栽培を始めたのは、1997(平成9)年のことだった。
それから17年。経営する首都プノンペンのコショウ専門店「クラタペッパー」は、
今やカンボジアコショウ販売のリーディングカンパニーとして、国内はもちろん、海外にも知られる。
古くから伝わる伝統農法で作られたコショウを高く評価する料理人は多い。
東京・南青山の仏料理店「レストラン タニ」のオーナーシェフ、谷利通(としみち)さん(40)は
「辛いだけではなく、甘みがあり、料理に使うと皿の上からフルーティーな香りがただよってくる」と
魅力を説明する。
■「おいしかったです」
最初にカンボジアを訪れたのは92年。前年には湾岸戦争が勃発、「日本はカネだけ出して、人は出さない」
との批判が高まる中、「ならば自分が貢献を」と考え、内戦で地方に散った人々を地元に戻す
「帰還民収容プロジェクト」のボランティアに参加した。
結果、この地に魅了された。
大学卒業後も、カンボジア復興の手助けをしたいと思った。そんな中、かつてコショウがカンボジアの
特産品だったことを知った。「コショウを復活させ、輸出しよう」。
コショウの木が数本しか生えていない畑を自ら耕し、販売店も開店した。
しかし、実際にはまったく売れず経費ばかりがかさんだ。
店は一時たたまざるを得ず、手元に残るのはコショウ畑のみ。
失意の中、転機となったのは2001年、秋篠宮ご夫妻のカンボジアご訪問だったという。
ご夫妻を囲むパーティーに出席する機会を得て
「有名だったコショウが廃れてしまったが、復興させるつもりです」と訴えたところ、
在カンボジア日本大使館から思わぬ連絡が来た。
「秋篠宮さまご夫妻が、お土産としていただきたいとおっしゃっている」
さらに驚くことが起きた。後日、大使館を通じ、ご夫妻からメールを受け取った。
「おいしかったです。またいただきたいです」。そう記されていた。
「認めてくれる人がいた。それも、皇室の方に。ならば、もう一度頑張ってみよう」
輸出中心だった営業形態を見直し、カンボジアを訪れる外国人観光客への販売を強化したところ、
口コミで評判が広がり、ドイツを中心に欧州への輸出も軌道に乗った。
■地元の産業、定着
自ら耕してきた自社農園のコショウの木は、老化して勢いが衰え、生産量が落ちているという。
「でも、それでいい」。代わりにクラタペッパーの定める基準をクリアしたカンボジア人の契約農家が、
しっかりとした品質のコショウを生産してくれるからだ。
「これは、コショウが地元の産業として定着してきたということ」
自らの働きで世界に貢献できることを願った若き日本人。その夢が今、かなおうとしている。(豊吉広英)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140608/trd14060812500007-n1.htm
毎日書道会 会報
兼岡白葉さん
(「現代女流書100人展」で佳子さまのご案内役を務めた方)
(略)
最初の大字書の前では「このお筆はどのようなものですか?」
漢字二文字作品では「これはお筆でお書きになったのでしょうか?」
かな散らし書き作品では「お歌とご料紙がとてもあってますね。きれいですね」
青墨の近代詩文書では「こんな墨があるのですか?ご自分で言葉を選ぶのですか?」など
こうしたお尋ねに対して、筆・墨・紙・表装による書作品作りの文房具や技術面等の
基本的なお答えをさせていただきました。
佳子さまのご鑑賞時間は予め40分と限られておりましたが、ここまでですでに30分ほどたっておりました。
ここで佳子様から「作品の大きさは決められているのですか?」とお訊ねがありました。
私は、作品の大きさは決められているが、かな作品は表装の工夫によっての変化、
近代詩文書は読みやすさと、現在用いられている漢字・かな文字を混ぜ合わせた表現、
刻字作品では筆意と刀意と材質を合わせた技術表現などにより、
それぞれの作品の大きさは違っているようにも見えることなどをご説明いたしました。
篆刻作品では、書画の雅印としての重要性も付け加えさせていただきました。
(略)
ブラジル日本語センター
行事報告 – ふれあい日本の旅
京都の金閣寺にて 第5回ふれあい日本の旅の団員40名は、2014年6月30日にサンパウロを出発し、
カナダ経由で7月2日、日本に到着いたしました。日本を縦断するこの28日間の旅は、北海道から始まり、
名古屋、それから広島、鹿児島、熊本、大分へと参りました。
和歌山で2日間のホームステイをし、大阪、京都、奈良、静岡、そして東京に到着いたしました。
東京では、スカイツリー、東京大学、東京ディズニーランドなどの見学を終え、
秋篠宮様ご一家とご接見致す事ができました。
秋篠宮様ご一家との記念撮影

今回で5回目の宮様との御接見には秋篠宮様をはじめ、紀子様、佳子様、
そして悠仁様もご接見くださいました。
約一時間の御接見で、宮様ご一家は生徒全員とお話しくださいました。
2012年のふれあい日本の旅では、佳子様が3日間ご一緒くださいました。
宮様とのご接見は生徒たちにとって言葉では言い表せない、
貴重な、有意義な体験であり、一生の宝物となりました。
ブラジル日本語センター設立20周年の記念事業として始められたこのふれあい日本の旅には、
約200人の生徒が参加いたしております。
21世紀のブラジル日系社会を担う、優秀な人材育成を目指しているこのふれあい日本の旅は、
生徒たちを日本の文化や習慣にふれさせ、そのふれあいによって、
お互いの国の文化や習慣の違いなどを気づかせています。
参加した生徒たちが、日伯友好の絆をいっそう深めていくであろう事を願っております。
団長 志村マルガレッチ
http://www.cblj.org.br/ja/eventos/relatorio-5-intercambio-da-amizade-japao/