秋篠宮両殿下 銀婚式

2015.6.29 05:01更新
【秋篠宮ご夫妻、ご結婚25周年】
「感謝の気持ちもきちんともっている」
秋篠宮ご夫妻は29日、ご結婚から25周年を迎えられた。
ご夫妻は対談形式で思い出などを振り返った文章を発表し、秋篠宮さまは紀子さまへの思いについて
「言葉に出さないので不満かもしれませんが、感謝の気持ちもきちんともっています」とつづられた。
ご夫妻は学習院大学で出会って交際し、平成2年6月29日にご結婚。
3年10月に長女の眞子さま、6年12月に次女の佳子さま、
18年9月には41年ぶりの男性皇族となられる長男の悠仁さまをもうけられた。
秋篠宮さまが文章の中で、ご結婚当初について「思い至らなかったことが多々ある」と打ち明けられると、
紀子さまは「考えすぎることや力を入れすぎて、ご迷惑をおかけした」と応じられた。
25年がたった今、紀子さまは「遅ればせながら、力を抜くこつが少しずつわかってきた」と記された。
天皇、皇后両陛下から温かく見守っていただいたことへの謝意も示されている。
「たくさんの思い出」として、お子さまとのエピソードもご披露。
英国に留学中の眞子さまから母の日と父の日にカードが送られてきたことには、
秋篠宮さまが「妙にうれしい気分になりました」、紀子さまが「胸が熱くなりました」と心の内を表現された。
秋篠宮さまは最近、佳子さまと買い物に行き、
秋篠宮さまが選んだ商品の代金を佳子さまが支払われたという話を紹介し、
「父親にたいしてつっけんどんな態度のことが多いのですが、意外と優しいところもある」とつづられた。
悠仁さまからは頻繁に折り紙などの作品が届けられるといい、
眞子さまや佳子さまから幼少期にもらったものとともに宮邸に飾るなどされている。
紀子さまは「どれも大事な宝物」と感謝の気持ちを示された。
最後に、秋篠宮さまが夫や父親としての自己評価を「限りなくボーダーラインに近い『可』」とされたのに対し、
紀子さまは妻や母親としての自身について「仲良く『可』にいたします」と述べられた。
さらに、「良」や「優」は「今後の努力目標」と語りかけられる秋篠宮さまに、
紀子さまは「努力目標にむけて一緒に年を重ねていくことができれば幸せに思います」と伝えられた。

■秋篠宮さま 昭和40年11月30日、天皇、皇后両陛下の第2男子としてご誕生。皇位継承順位第2位。
ご称号は礼宮(あやのみや)。身の回りの品などにつけるお印は「栂(つが)」。
63年に学習院大学法学部政治学科をご卒業。平成8年に国立総合研究大学院大学で理学博士号を取得された。
山階鳥類研究所総裁などお役職多数。東京大学総合研究博物館特招研究員、東京農業大学客員教授も務められる。

■秋篠宮妃紀子さま 昭和41年9月11日、学習院大学教授だった川嶋辰彦氏と和代さんの長女として誕生される。
お印は「檜扇菖蒲(ひおうぎあやめ)」。平成元年に同大学文学部心理学科を卒業し、
7年に同大学院人文科学研究科心理学専攻博士前期課程をご修了。
25年にお茶の水女子大学で博士号(人文科学)を取得された。
結核予防会、恩賜財団母子愛育会の各総裁、日本赤十字社名誉副総裁などを務められる。
http://www.sankei.com/life/news/150629/lif1506290004-n1.html



文仁親王同妃両殿下ご結婚満25年に際してのご感想
<出会い>
文仁
今年は結婚をしてから25年が経つようです。時間は常に経過していますので,
取り立てて25年に意味づけをするものではないと思いますが,
少し振り返ってみるのも記憶と記録を整理する上でよい機会かもしれませんね。

紀子
はい。私たちの今までを整理する方法のひとつとして,対談の形もあるのではないかとのお話になりました。
このような形に慣れておりませんが,どうぞよろしくお願いいたします。

文仁
もっとも,結婚する前にしばらく付き合っていた時期があるので,そのあたりから始めましょうか。
いつのことか覚えていますか?

紀子
30年位前になりますでしょうか。私が大学1年生の春,本を探しに大学内の書店に立ち寄りましたとき,
初めてご挨拶をさせていただきました。

文仁
私の記憶に間違いがなければ,1985年の5月のことです。
ちょうどそのころ,各地の文化や自然を楽しむことを目的としたインター・カレッジのサークルを作ったので,
そこに誘ったところ喜んで入ってくれました。白川郷の合掌集落などずいぶんあちらこちらに出かけましたね。

紀子
はい。いろいろなところを旅行して,地域の豊かな文化や多様な自然にふれることができました。

文仁
そして1986年,ある集いがあった後,あなたを送っていく途中に・・・。

紀子
二人で信号を待っておりましたとき,突然,将来のことについてのお話があって,びっくりいたしました。
大学卒業後は,海外の大学院に行くことを考えていましたので,どのようにお返事をしたらよろしいかと迷い,
考えさせてくださいとお話しさせていただいて。

<結婚にむけた準備>
文仁
少し時計の針を進めましょう。私が大学を卒業したのが1988年ですが,
その年の夏から暫くの間英国に滞在しました。この間,昭和天皇のご不例と崩御があったことから,
しばしば日本に帰ることになりました。日本にいる間は,諸行事に参列するためだったのですが,
そのおりに,将来のことについていろいろと話す機会にもなりました。
そして,1989年の9月に公表するに至りました。これはいわゆる結納に当たる正式な婚約ではなく,
皇室会議の議を経て婚約が内定したということを発表する機会でした。
服喪中のこうした発表は異例なことと思った人がいたようですが,
1951年7月の順宮(現池田厚子)様の発表は貞明皇后の崩御から約2ヶ月後で,
しかも当時参考としていた旧皇室服喪令によると,私たちの発表時期より一段階重い服喪期間中でしたので,
手続きを終えたという発表は前例にもあり問題ないと宮内庁は判断したわけです。
そして,私たちの結婚の時期についてです。秩父宮両殿下のご婚儀が1928年9月末で,
昭和天皇の即位の礼が同年の11月初旬。その間は2ヶ月もなく,大変だったことを両陛下が聞いていらしたそうです。
そのようなことから,私たちのときには,結婚から同じ年の11月予定の即位の礼までに
ある程度の時間があったほうがよいとのことで,私が帰国した直後に式がおこなわれることになりました。

紀子
とてもありがたい思し召しを賜り,感謝申し上げております。

文仁
話が少し前後しますが,昭和天皇の一周年の行事が終わり,
私は1990年の1月から6月にかけては英国に滞在していたわけですが,その間,新たに住む家については,
あなたに任せきりでした。もっとも,改築の平面図を見てもイメージすることができない私より,
多少は空間認知に優れているあなたが見る方がよかったのは明らかでしたが。
今のは自分にとって都合のよい言い訳なのですが,実際のところ帰国したのが6月21日で,
6月29日の結婚式までは約1週間しかなかったことを考えれば,
新居での生活の準備は完全にあなたへ依存していたわけで,
このことについては申し訳なかったとしか言いようがありません。

紀子
いいえ。むしろ,英国よりのご帰国を待っていたのかのように,式までの約1週間,
宮中行事の習礼しゅらいをはじめ,関係者とのこまかい打ち合わせが多くおこなわれましたが,
時差がある中,大変ではありませんでしたか。

文仁
幸いなことに,私は一般的に言われていることとは逆で,
若いころは東へ向かうほうが時差の影響が少なかったため,それで大変ということはなかったと思います。

紀子
新しい生活にむけての準備や支度は初めてのことばかりで,新居について,相談をしたいと思いましても,
当時は連絡手段としてメールはまだ普及していなくて,電話やファクシミリで,英国との時差もあり,
すぐには連絡がとれない状況でした。式までに考えるべきこと,決めるべきことがたくさんあり,
大学院の講義も受けていましたので,時間が経つのが早く,準備を終えられるか心配でした。
そのような中,宮内庁の職員が,改築や内装をはじめ,よく考え,提案してくれました。
そばにいらしてくださったら,どんなに心強いかしら,と思うことはありましたが,
いろいろな人の助けを借り,用意をある程度進めることができました。
帰国されたときは,本当にうれしく,それまでの不安もどこかにいってしまうくらいでした。

<結婚の日と新居>
文仁
さて,1990年6月29日の結婚の日は,結婚の儀にはじまり朝見の儀,その他の諸行事が朝からたくさんあり,
夜の10時頃でしょうか,一息ついたときにようやく結婚したことを実感した記憶があります。
もっとも,その翌日からもいろいろと行事があったので,何となく慌ただしかったですけれどね。

紀子
はい。このよき日の行事を滞りなく終えたときは,安堵いたしました。
大学院生としての日々から,公的な仕事をする生活となったことは,大きな変化でした。
そうした中で,折にふれて,両陛下が導いてくださり,あたたかくお見守りくださいました。
各宮妃殿下方にも,行事の所作や服装などを丁寧に教えていただきました。
さまざまな形で多くの人から支えられましたことを,ありがたく思っております。

文仁
少しばかり新居となった家のことを話しましょうか。というのは,
私にとって10年ほど過ごしたこの家には,けっこう思い出があるからです。
当初,宮内庁は新婚の我々のために,仮住まいではあるけれど同じ場所に新たな家を建てることを考えていました。
しかし,いずれ何処かに居を構えるのに,仮住まいのために立て直すその計画は無駄が多いように思い,
現存している建物を一部改築して使いたい旨伝えました。
たしかに大勢の人とそこで会うのには適当ではありませんでしたが,こぢんまりとしていたぶん,
非常に落ち着く場所でもありました。
玄関を入って少し大きな声で呼べば,どこにいても大抵聞こえたのではないでしょうか?
結婚後の生活をあの家でできたことはよかったと思っています。

紀子
約60年の木造家屋を,二人で過ごせるように直して,新しい生活がはじまりました。
そして,娘たちの誕生にあわせて部屋を増やしました。その中で,娘たちは成長していき,
子どもたちの元気な声が響き,ギターやピアノの音もよく聞こえる,温もりの感じられる家でした。

文仁
今の家からは近くにあるので,この前行ってみたのですが,
子供たちが小さい頃に遊び回っていたことを想い起こし懐かしく感じました。彼女たちも気に入っていましたよね。

紀子
はい。今の家に移りましてから,またあちらの家で住みたい,と娘たちが話していたこともありましたね。

<日本国内・海外の訪問などに関連して>
文仁
ところで,結婚後には公的私的は別にして,日本の各地や海外を訪問する機会がたびたびありました。
また各種の行事にも出席をしてきました。訪問場所や行事そのものというより,
それらに関連して何か印象に残っていることはありますか?

紀子
この25年の間に,日本国内,国外でいくつもの場所を訪問し,行事に出席いたしました。
そして,さまざまな出会いがあり,多様な分野の人のお話を伺ったり,
取り組まれている活動を見せていただいたりするなど,貴重な経験をいたしました。

文仁
そうですね。各地で温かく迎えてくださる方たちがいることは,うれしいしありがたいことです。

紀子
また,健康作り,子育て支援や食育など,幼児から一人暮らしの高齢者まで
地域の人々の暮らしを見守っている方々にも多くお会いしてきました。心強い活動と感じています。

文仁
私の場合には,たとえば学術や環境関係の授賞式等でご縁のあった人や団体が,
その後さらに発展した形で社会への貢献をしたときなどは,とてもうれしく感じます。
公的ということに関連して,あなたもよく知っているように,
皇族には国事行為の臨時代行以外に公務は存在しません。
あくまで公的な行為もしくは活動であり,言葉としてきちんと区別するべきものと考えます。
そのような公的な仕事は,公務と異なりある程度自分の裁量で取捨選択ができてしまう。
そのようなことから,声をかけていただき,それらが適当と判断されたものについては,
できるだけ応えるように心がけてはいます。

紀子
私もそのように努めてまいりました。そして,公的な活動でも,生活の中でも,
宮家に関わる宮内庁や皇宮警察の職員をはじめ,
さまざまな形で支えてくれる人たちがいることを大切に思っています。

文仁
いっぽう,これは私的なことになりますが,国内外であなたとは一緒でなく訪れている場所もけっこうあります。
なかには,一緒に行ってみたい場所もありますので,近い将来の楽しみとして考えることにしましょうか。
ちなみに,この時は眞子と一緒だったのですが,かなりの悪路ではあるものの,
マダガスカルのチュレアールからムルンベへ行く途中に3種類のバオバブやパキポディウムを見ることができ,
コーデックス好きにとっては素晴らしい12時間半のドライブを楽しみました。
もちろん,ほぼ同じ時間をかけて帰ってきたのですが,ムルンベのバオバブの景観は本当に素晴らしいですよ。

紀子
いつか見てみたいですね。

<子どもたちのこと>
紀子
子どもたちが小さいときは動物園や博物館にでかけ,また,一緒に旅行もしました。
その他にも,子どもたちとはたくさんの思い出がありますね。

文仁
先日,英国にいる眞子から父の日のカードが送られてきました。
普段は必要最小限の連絡事項をメールでしているだけなので,妙にうれしい気分になりました。
久しぶりだったからかな。

紀子
すてきですね。私も眞子より母の日に羊の親子のカードを受け取りましたときは,胸が熱くなりました。

文仁
佳子とは比較的最近のことですが,珍しく一緒に買い物に出かけたことがありました。
父親にたいしてつっけんどんな態度のことが多いのですが,意外と優しいところもあり,
私が自由に選んだものについて,代わりに会計をしてくれました。
もっとも,帰りに彼女にそのまま荷物を持たせていたら注意されましたけれどね。

紀子
ほほえましいですね。佳子が小さかったとき,誕生日によく手作りのものを贈ってくれました。
幼稚園のときだったでしょうか。私の誕生日に2つの贈り物を考えていたのですが,
先に作った貝殻の贈り物を私に見せたくて,早めに渡してくれました。
そのあと,誕生日にもうひとつの贈り物をもらい,お祝いを2回してくれた,かわいらしい思い出もあります。

文仁
悠仁もしばしば折り紙などの作品を届けてくれます。
上の子どもたちと同様,もらったものには年月日を付して,飾ったり,保存したりしています。
最近は,絵も上手になってきましたね。自分が絵を描くことが下手なので言うわけではありませんが,
何かを観察してそれを絵として表現できると旅をしたときの記録として意味が出てきますので,
どんどん描いてほしいものです。

紀子
絵を描いたりするほかにも,切り紙をしたり,厚紙で入れものをつくったりしながら,
いろいろなものを創り出すことを,悠仁は楽しんでいますね。
私たちの手許には,子どもたちの小さいときからの作品がいくつもあります。どれも大事な宝物。
普段なにげなく描いた絵から,本に登場する主人公や生き物などを描いたものが廊下の壁にかかり,
折り紙やペーパークラフトが部屋に飾られています。

<結婚したころと今と>
紀子
ここで,結婚したころと,それから25年たった今のお気持ちを伺ってもよろしいでしょうか?

文仁
このような機会がないと考えることもないですからね。
1990年というのは,ついこの間のことのように思えますが,
やはり相応に時間がたっているということを感じることはあります。
仕事や研究などでいろいろな事柄を解釈・判断するときに,
若いころでは思い至らなかったことが多々あると感じます。
そのことで,ずいぶんと周りに迷惑をかけたことがあるように思います。
もちろん,いまだに不十分で,反省と後悔すること多々ありです。
精神年齢が未だ20代から進化していないのでしょう。

紀子
私も結婚をしたころは,慣れないことや戸惑うことがあり,考えすぎることや力を入れすぎて,
ご迷惑をおかけしたことがいろいろあったのではないでしょうか。
今は遅ればせながら,力を抜くこつが少しずつわかってきたように感じていますが。
このようなことにも「進化」という見方があるのですね。
今でも,20代のときのような探究心や若々しい感性や創造性をおもちになっているのではないでしょうか
例えば,研究会に参加されているときには,そのように強く感じることがあります。

文仁
たしかに研究会等への出席は,今まで自分がもっていなかった知識を得る機会にもなり,
有意義に感じることが多くあります。まだまだ好奇心は残っているなと。
出かける前と帰ってきた後とでは,テンションが違うと感じることがあるでしょう?

紀子
はい。お話しくださる様子から,心がはずむ時間を過ごされたのではないかと感じることがあります。

文仁
いっぽう,フィジカルな面は劣化していますね。
走り回ることについては,佳子が小学生の時にリタイアしてしまいましたが,
最近不便に感じているのが老眼。もともと遠視があったので遠からずそうなるだろうと予想はしていましたが,
眼鏡が放せなくなってしまいました。まあ,いたしかたないことではありますが。

紀子
私も小さい字が急に見えにくくなりました。
また,疲れたとき,回復する時間が以前に比べてかかるようになりました。
毎朝のように散策をされたり,休みの日には庭仕事をされたり,よく身体を動かされていますね。
週末は,散策に私も誘ってくださいますので,四季の移り変わりを感じながら歩くこの時間は,
健康のためにも,楽しみのためにもありがたいです。

文仁
25年というと,親・兄妹と過ごした年月より長く一緒にいたことになります。
それだけの期間をともに過ごしていれば,共有することができた貴重な経験は数多くあります。
また,誰かの言葉を借りれば導火線が短い私ですので,口論も多々あるのはごく普通のことでしょう。
そのようななかで,ほとんど言葉に出さないので不満かもしれませんが,感謝の気持ちもきちんともっていますよ。

紀子
それはうれしいです。

文仁
さまざまな書類,私の所に届くまでに不明な点などを整理しておいてくれますね。これは非常に助かっています。

紀子
まだまだ至らないところもあると思いますが,そういう面でもお役にたっておりますなら,幸せです。

文仁
また,昔から何故か階段を踏み外しやすいことから,階段のあるところでは,
滑り落ちないようにさりげなく支えてくれていますね。
周囲から見ると,私があなたを支えているように見えているかもしれないけれども。

紀子
こちらこそ,いつもこまやかにお教えくださり,また健康面も気遣ってくださり,深く感謝しております。
また,一緒に生活をするようになってからわかったことですが,食べ物の好き嫌いがほとんどありませんね。
私は,いくつか苦手なものがありますが・・・。食材を自由に選ぶことができて,助かっています。
旅先でもいろいろな郷土料理を一緒に楽しむことができ,食文化に親しむ機会が増えたように思います。
ほかにも,用事が立て込んでいましても,余裕をもって時間を守られていることには敬服しております。
私は自分の時計の針を早く進めても,遅れ気味になってしまいます。
もっとも,行事の前に私のところにいらして,あと何分と言われると,プレッシャーを感じますが・・・。
お互いの気づきや発見がいろいろあり,自分と違う考え方だなと感じるいっぽうで,
共有できる見方もありました。また,理解するのが難しかったこともあれば,
言葉を交わさずとも心が通じ合うようになり,助けられたことも多々ありました。

文仁
そうですね。結婚するまでまったく異なるところで暮らしてきたわけですから,
考え方などで共有できるところとそうでないところがあるのは当然のことでしょう。
その上で,我が家の場合に限って言えば,経験を共有することと趣味を共有しないことがよかったと思います。
経験は共有することで将来的に発展しますが,趣味,
たとえば,あなたが瓢箪に興味をもってそれを共有したとすると競ってしまいますので,
良好な関係でなくなる可能性大です。趣味はそれぞれ楽しみましょう。

紀子
それぞれの趣味もありますが,一緒に音楽を聴いたり,自然に親しんだり,
旅行にでかけたりという時間も楽しいですね。

<夫,妻,親として>
文仁
さて,ときどき夫もしくは親としてどのように認識されているのか気になることがあります。
あなたも同様でしょう。最後に評価でもしてみませんか?

紀子
気にしているかどうかわかりませんが,面白そうですね。

文仁
本来であれば,第三者,まったくの第三者というわけにもいかないので,
私以外の家族に委ねなくてはいけないのでしょうが,それをするにはまず自らを振り返ることが必要です。
とはいうものの,あなたと子どもたちから私の評価を聞くことは,
今までの自分の行いを考えると少し怖い気もするので,今回はあくまで自己点検・評価でいきましょう。
きちんとした項目立てをして,優・良・可・不可で客観的に点検および評価をしたわけではありませんが,
漠然としたメルクマールからすると,
私の場合には限りなくボーダーラインに近い「可」といったところでしょうか。

紀子
私も仲良く「可」にいたします。いろいろな可能性を秘めている「可」ということでいかがでしょうか。

文仁
おたがい,改善点が多いということですね。「良」や「優」は,今後の努力目標とすることにしましょう。

紀子
はい。これからも,可能性を大事にしつつ,努力目標にむけて一緒に年を重ねていくことができれば幸せに思います。

文仁
それでは,このあたりで終わることにしましょうか。

紀子
そうですね。ありがとうございました。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/03/kaiken/gokanso-h27-gokekkon25.html


いちゃもん


秋篠宮ご夫妻 結婚から25年 6月29日 5時01分
秋篠宮ご夫妻は29日、結婚から25年を迎えられました。
秋篠宮ご夫妻は結婚から25年の「銀婚」を迎えるにあたって、対談形式の文書で感想を表されました。
この中で、秋篠宮さまが結婚の日を思い浮かべ、
「行事が朝からたくさんあり、夜、一息ついたときに
ようやく結婚したことを実感した記憶があります」と述べられると、
紀子さまは「このよき日の行事を滞りなく終えたときは、安堵いたしました」と振り返られました。
続いて、共に歩んだ25年の歳月を振り返り、秋篠宮さまが「共有することができた貴重な経験は数多くあります。
導火線が短い私ですので、口論も多々あるのはごく普通のことでしょう。
ほとんど言葉に出さないので不満かもしれませんが、感謝の気持ちもきちんともっています」と語られました。
これに対し紀子さまは、「お互いの気づきや発見がいろいろあり、自分と違う考え方だなと感じるいっぽうで、
共有できる見方もありました。理解するのが難しかったこともあれば、言葉を交わさずとも心が通じ合うようになり、
助けられたことも多々ありました」と応えられました。
最後に秋篠宮さまが、夫婦として、親として、自己評価し合うことを提案し、
ご自身について「限りなくボーダーラインに近い『可』といったところでしょうか」と述べると、
紀子さまは「私も仲良く『可』にいたします」と応じられました。
これを受けて、秋篠宮さまが「おたがい、改善点が多いということですね。
『良』や『優』は、今後の努力目標とすることにしましょう」と持ちかけると、
紀子さまは「努力目標にむけて一緒に年を重ねていくことができれば幸せに思います」と締めくくられました。

ご夫妻の歩み
秋篠宮ご夫妻は平成2年6月29日に結婚されました。平成になって初めての皇族の結婚で、
パレードをひと目見ようとおよそ3万人が沿道に詰めかけました。
以来、お二人で、「海フェスタ」や「全国都市緑化祭」といった毎年恒例の行事で全国各地に足を運ぶなど、
精力的に公務に取り組まれてきました。また、アジアや中南米などの国々を毎年のように公式訪問し、
国際親善にも尽くされました。
生物全般に関心のある秋篠宮さまは、公務のかたわら国内外でニワトリや魚類の研究に取り組み、
タイの9つの大学から名誉博士号を贈られています。
紀子さまは、結核予防会の総裁を務める一方で、得意な手話を生かして公務に臨むなど、
医療や福祉に携わる人たちを後押しされてきました。
ご夫妻は3人のお子さまを授かり、家庭も大切にされてきました。
長女の眞子さまはイギリスの大学院に留学して博物館学などを学ばれていて、
去年、成年を迎えた次女の佳子さまは国際基督教大学に通われています。
また、長男の悠仁さまは、お茶の水女子大学附属小学校の3年生で、
ご夫妻に見守られながらそれぞれ健やかに成長されています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150629/k10010131121000.html


秋篠宮ご夫妻が銀婚式…自己評価は互いに「可」
2015年6月29日
秋篠宮ご夫妻は29日、結婚25年(銀婚式)を迎え、これに先立ち、感想を文書で出された。
ご夫妻が対談される形式で、「出会い」や「結婚の日と新居」、「子どもたちのこと」など7項目で構成。
大学時代、信号待ちをしていた時に秋篠宮さま(49)が紀子さま(48)にプロポーズされたことや、
1990年に結婚し、こぢんまりとした築60年の木造家屋で新婚生活が始まったことなどがつづられている。
25年がたった今の気持ちについて、秋篠宮さまは、
「ほとんど言葉に出さないので不満かもしれませんが、感謝の気持ちもきちんともっていますよ」と語りかけられた。
紀子さまは「いつもこまやかにお教えくださり、また健康面も気遣ってくださり、
深く感謝しております」と応じられた。
秋篠宮さまは、若い頃の自身について、仕事や研究などで思いが至らず、周囲に迷惑をかけたとした上で
「いまだに不十分で、精神年齢が20代から進化していないのでしょう」とユーモアを交えて話された。
紀子さまは、皇室という慣れない環境で戸惑うことが多かったと振り返り、
「今は力を抜くこつが少しずつわかってきたように感じています」と述べられた。
夫や妻、3人のお子さまを育てられた親としての自身を自己評価。
秋篠宮さまは「限りなくボーダーラインに近い『可』といったところ」と語り、
紀子さまも「私も仲良く『可』にいたします」と続けられた。
「良」や「優」は今後の努力目標とし、「努力目標にむけて一緒に年を重ねていくことができれば幸せ」
と息の合った様子を見せられた。
宮内庁によると、秋篠宮さまがこの形式を発案し、お二人で話し合いながらパソコンで文章を打たれたという。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20150628-OYT1T50094.html


秋篠宮ご夫妻、心配りの25年 人とのつながり重視
島康彦、伊藤和也 斎藤智子
2015年6月27日05時04分
秋篠宮さま(49)、紀子さま(48)ご夫妻が29日、ご結婚から25周年を迎える。
筆頭宮家として天皇、皇后両陛下を支え、長女・眞子さま(23)、
次女・佳子さま(20)は成年皇族として活動を重ねる。
長男・悠仁(ひさひと)さま(8)も健やかに成長している。ご夫妻の25年の歩みを振り返った。

■豊富な人脈生かし震災支援
公的な活動を通じて国民の期待にこたえ、天皇陛下をお助けする――。
秋篠宮さまは会見などで皇族としての役割をそう語ってきた。
数多くの団体の役職を務めるなど、活動量は皇族方の中で群を抜く。
象徴的だったのが、東日本大震災での慰問活動だ。
天皇、皇后両陛下の思いを受け継ぐように発生直後から頻繁に被災地を訪れた。
2011年5月には、紀子さまと岩手県大槌町に足を運んだ。
東京から新幹線と車を乗り継いで約6時間。変わり果てた街並みを悲痛な面持ちで見守った。
淡水魚の保存活動を通じてたびたび町を訪れていた秋篠宮さま。
震災直後の4月、親交のある町の男性に「ご迷惑のかからない時期に、町にお見舞いに伺いたい」と伝え、
翌月の訪問につながった。
ご夫妻は友人を訪ねるように住民一人一人に声をかけ、安否を気遣った。
がれきの撤去作業をする自衛隊員をねぎらい、地元の文化保存会の活動拠点にも足を運んだ。
大槌町在住の男性は「ご一家の存在が住民の励みになっている」と話す。
眞子さま、佳子さまも、ご夫妻の思いを受け継ぎ、ボランティア活動に参加した。
震災支援に限らず、秋篠宮ご夫妻はこれまで培ったネットワークをもとに、活動の幅を広げている。
「自分は多様な人々を結び、調整するコーディネーターでありたい」。
秋篠宮さまは自身がかかわるさまざまな研究分野について、
20年来の親交がある国立科学博物館の林良博館長にそう吐露している。
秋篠宮さまは総裁などとして、多くの団体に関わっている。
共通するのが、そこに集う人たちのつながりを重視している点だ。
秋篠宮さまの提唱で03年に創設された「生き物文化誌学会」には、
研究者を始め全国各地の企業家や地域の文化人、高校の先生など多種多様な人材が集まっている。
秋篠宮さまは毎回、会員と肩を並べて前列に座り、自ら質問に立ち、懇親会では酒を手に語り合う。
3代目会長で、秋篠宮さまが小学生のころから親交を重ねてきた湯浅浩史・進化生物学研究所理事長は、
「長い年月をかけて築いた市井の人脈が、秋篠宮家ひいては皇室を支えているのでしょう」と話す。
(島康彦、伊藤和也)

■ご一家で支え合い
秋篠宮さまと紀子さまの出会いは学習院大学在学中だった。周囲も公認の仲だったにもかかわらず、
記者が紀子さまに交際について尋ねても、いつも笑顔でけむに巻かれていた。
だが、1度だけ、記者の前で紀子さまが涙ぐんだことがある。
秋篠宮さまが大学卒業後、英国に留学中の時のことだ。
当時は携帯電話やメールは一般的ではなく、海外との連絡は時差を超えての国際電話だった。
学習院のキャンパスを散策しながら、記者が「英国にいらっしゃる殿下から連絡はありましたか」と尋ねたところ、
紀子さまは弱気な表情を見せ、涙顔になった。お二人の今後を案じた様子には、秋篠宮さまへの思いがあふれていた。
秋篠宮さまが英国留学から戻った1990年に、お二人は結婚式をあげた。
それから25年。3人のお子さまに恵まれ、秋篠宮家は皇室最多の5人で構成される。
ただ、秋篠宮さま、悠仁さまと2人の皇位継承者を擁するものの、決して支援態勢は十分ではない。
皇太子ご夫妻と愛子さまがいる直系の皇太子家には宮内庁の一部局「東宮職」が置かれ、
専従の侍医を含む約50人のスタッフを抱える。一方、秋篠宮家の職員数は約20人で、侍医もいない。
限られた環境をご一家全員で支え合ってきた。
宮内庁関係者によると、秋篠宮ご夫妻は地方を訪れる際、公務に支障がない限り、日帰りを希望するという。
小学生の悠仁さまと少しでも一緒に過ごしたいという親心からだ。
悠仁さまが幼少時、ご夫妻が家を空けた際には、眞子さまや佳子さまが自主的に離乳食を作ったこともある。
海外訪問から帰国するなり、幼い悠仁さまを抱いて歩く紀子さまの姿を見たことも。
紀子さまは「妃殿下」として秋篠宮さまの国内外での活動に同行するほか、
宮邸内では「妻」として日常を取り仕切るなど「何役も果たさなくてはならないお立場」(宮内庁幹部)だ。
しかし、紀子さまと親しい関係者はこう明かす。
「常に前向きで、何事にも努力を惜しまない。すごく我慢強い。私たちにも何も言わないんですよ」
(斎藤智子)

■秋篠宮ご夫妻の歩み
1965・11・30 秋篠宮さま誕生
  66・9・11 紀子さま誕生
  84・4   秋篠宮さま学習院大学法学部政治学科に入学
  85・4   紀子さま同大文学部心理学科に入学
  90・6   結婚の儀。秋篠宮家を創設
  91・10・23 長女眞子さま誕生
  94・12・29 次女佳子さま誕生
2006・9・6 長男悠仁さま誕生

■秋篠宮さまの主な役職
皇室会議予備議員▼山階鳥類研究所総裁▼日本動物園水族館協会総裁▼御寺泉涌寺を護る会総裁▼
恩賜財団済生会総裁▼大日本農会総裁▼大日本山林会総裁▼世界自然保護基金ジャパン名誉総裁▼
日本テニス協会名誉総裁▼日蘭協会名誉総裁▼全日本愛瓢会名誉総裁▼日本水大賞委員会名誉総裁▼
日本ワックスマン財団名誉総裁▼サイアム・ソサエティ名誉副総裁▼東京大学総合研究博物館特招研究員▼
東京農業大学客員教授▼生き物文化誌学会常任理事
http://www.asahi.com/articles/ASH6K5G9DH6KUTIL032.html


3人のお子様もすくすくと成長されて
秋篠宮家、結婚25周年で明かした”夫婦円満”の秘訣とは
2015年06月30日(火) 16時00分
〈週刊女性7月14日号〉
《取り立てて25年に意味づけをするものではないと思いますが、
少し振り返ってみるのも記憶と記録を整理する上でよい機会かも……》(秋篠宮さま)
《このような形に慣れておりませんが、どうぞよろしくお願いいたします》(紀子さま)
「結婚25年にあたって」と題して、そんな書き出しから始まる異例の「対談」を発表された秋篠宮ご夫妻。
6月29日に、ご成婚から四半世紀を迎えた秋篠宮さまと秋篠宮妃紀子さまは、
A4の用紙9枚にわたる対談形式の感想を発表された。
「そもそも今回、宮内庁記者クラブは、ご夫妻に記者会見を要望していましたが実現できず、
秋篠宮さまの発案で対談形式になったそうです。両陛下や皇太子ご夫妻が同じことをされるとは考えにくく、
最初で最後の形かもしれません」(宮内庁担当記者)
ある皇室関係者はこう語る。
「アクティブで、前例にとらわれない秋篠宮さまらしいご発表だと思います。
礼宮時代の秋篠宮さまは、ワンパクでヤンチャな次男坊というイメージでしたが、
今や皇位継承者を含む3人のお子さまにも恵まれ、多くの団体の役職をお務めに。
研究から公務まで積極的にこなし、天皇・皇后両陛下を支えられ存在感を放ち続けています」
ご交際が始まった今から30年前。’85(昭和60)年5月ごろの思い出話から、始まっていく今回のご対談。
「結婚に向けた準備期間の様子や、当時のお住まいの状況など、
ご夫妻しか知りえない当時の話も率直に語られ、興味深いものになっていました」(同・記者)
そのなかで、秋篠宮家の「夫婦円満」の秘訣をこう語られている。
《結婚するまでまったく異なるところで暮らしてきたわけですから、
考え方などで共有できるところとそうでないところがあるのは当然のこと》
そのうえで、《経験を共有することと趣味を共有しないことがよかったと思います》と持論を展開。
経験は一緒にすることで将来的に発展するものだが、趣味を共有すると競争が発生し、
不仲の原因になると語られている。つまり《趣味はそれぞれ楽しみましょう》というお考えだ。
ご夫妻はお互い配偶者、親としての自己評価もされた。
「優・良・可・不可」のうち、ご夫妻とも「可」を選んだが、ほかのご家族からの評価も必要だと秋篠宮さまはお考えに。
5年後の30周年のときは、眞子さま、佳子さま、悠仁さまの「鼎談」で、
ご夫妻への感謝の気持ちや”評価”をうかがえるかもしれない。
http://www.jprime.jp/tv_net/imperial_household/14993/