・柿の木坂幼稚園への考査を受けた直後に自分が明日にでも幼稚園へ通えるのかと思って
「幼稚園は?」と美智子様に問いかけたら
「御所に梅の花が咲いてたんぽぽが沢山咲いて春になったら行けるのよ」と答えた。
たまたま秋でもひとつだけ御所にたんぽぽが咲いていたので
「お花さいているの。幼稚園は?」と紀宮様。
しかし美智子様が驚いて困り顔をしたら紀宮様は幼いながらも察して
「いっぱい咲かないとだめなのね」とつぶやいた…。(皇室特番)
・両陛下(当時皇太子同妃両殿下)の正装の写真を見て、
小さな紀宮様が「おもうさま達、お雛さまだったのね」と言ったという。(皇室特番)
・「妹が小さい頃、兄と二人で、泣かせたことがあります。
ちっちゃい子って本当に泣くとかわいいのですよ。
妹を泣かせておいて、ごめん、ごめんというと『よろしいのよ』と妹が答える。
一つ覚えみたいなところがあって、それを聞きたいがために兄と一緒に妹にいたずらをしました。
ほんとうに悪いお兄さんでした」(秋篠宮さま)
紀宮様の「菊慈童」をみた曽野綾子さんの感想
夜6時、国立劇場へ。朱門と国立大劇場の「若樹会」の踊りの会へ伺う。
ごく普通の踊りの会だが、お弟子さんのお一人として清子内親王さまが「菊慈童」を踊られるのである。
皇室の方のことは何でも褒めるというのは私の趣味ではない。
しかし紀宮さまには、踊りの才能においては本格的な骨太のものを持っておられる。
慈童は、周の穆王に仕えていたが、或る日王の枕をまたいだことで深山に追放される。
そこで王に教えられた通り、毎日普門品の「具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼」の
偈を唱えるために菊の葉にその文字を書きつけ、その葉に置く露を飲んでいると、それが不老長寿の霊酒で、
慈童は700歳になっても変わらぬ姿で、過去を偲び、薬酒のめでたさを喜ぶ、という筋である。
紀宮さまの踊りには、踊り手の生身の生活を匂わせる俗性が完全に昇華されている。
きれいな衣装をつけて、別の自分を人に見せるという女性特有の甘い姿勢が全くない。
それどころか、運命を敢然と受諾して、菊の繁みの中で簡素で端正な生き方を喜ぶその強さが、気品と共に見える。
宮様の御立場を思うと、この端正さも気品も一種の豊かな自己表現と思うのは、私の思い過ごしか。
天皇陛下は身を乗り出して、宮様の踊りを見つめておられた。
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