紀宮さま ご婚約~ご結婚

朝日新聞 (2004年11月14日)
紀宮さまの婚約内定 お相手は都職員の黒田慶樹さん
天皇家の長女、紀宮さま(35)の婚約が内定した。
お相手は、兄の秋篠宮さまの学習院時代の同級生で、
東京都都市整備局建設業課に勤める黒田慶樹(よしき)さん (39)。
天皇、皇后両陛下も了承されている。
今月初めの正式発表が予定されたが、新潟県中越地震などで多くの被災者が苦しんでいることから、
両陛下やお2人の希望で来月下旬まで発表が控えられていた。
一般の結納にあたる「納采(のうさい)の儀」を経て、来年夏にもご結婚となる。
発表は12月にずれこむ見通しで、黒田さんも「今は何も申し上げられない」と語っている。

2年前から交際 デートの場所は秋篠宮邸。
天皇皇后両陛下と黒田さんが対面したのは2月。
両陛下が梅見の名目で東宮御所へ行き、その帰りに秋篠宮邸に行ったとき。
黒田さんと紀宮様の仲をとりもったのは紀子様。
黒田さんがさんまの会(テニスの会)に来るとき、事前に紀宮様に電話連絡。
紀宮様のメルアドを黒田さんに教えてあげたのも紀子様。
旧華族・皇族と親戚になると、皇室の結婚や出産などの慶事には宮家へ数百万、
近親20家(旧宮家)へは数十万相当の品を贈らなければならないし、
旧華族仲間に冠婚葬祭があるときも相応の出費が要る。
また、月に一度茶会や歌会があり、そのときの着物など、合計すると交際費が年間1000万ほどかかる。


読売新聞 (2004年12月30日)
宮内庁の湯浅利夫長官は30日午前10時半から記者会見し、
天皇家の長女、紀宮(のりのみや)さま(35)と、
秋篠宮さまの学習院時代からの親友で、東京都都市整備局建設業課主任の
黒田慶樹(よしき)さん(39)の婚約内定を正式に発表し、
天皇、皇后両陛下の「若い2人が2年近くをかけて人生を共にすることを決め、
発表を迎えたことを心強く思います」との感想を明らかにした。
黒田さんは同日午前、天皇、皇后両陛下にあいさつ。お二人は午後、同庁内で記者会見に臨まれる。
今後、「納采(のうさい)の儀」で正式に婚約が決まるが、
湯浅長官は、結婚式、披露宴は来秋ごろになるとの見通しを述べた。
また、お二人の交際が、昨年1月、秋篠宮さまの紹介で始まったことを明らかにした。
天皇家の皇女の結婚は、昭和天皇の五女、島津貴子さんの1960年以来。
また、内親王の結婚は、三笠宮さまの二女、千容子(まさこ)さんの83年以来。
結婚により、紀宮さまは皇籍を離れる。

宮内庁の湯浅利夫長官が明らかにした両陛下の感想は次の通り。
「今日、紀宮と黒田さんの婚約の内定を発表することになりましたが、
若い2人が2年近くかけて、これからの人生を共にすることを決め、
この発表を迎えたことを心強く思っています。11月に2人が新潟地震の被災者のことを思って発表を遅らせた時、
その被災地の人々から温かい祝福を受けたこと、また、紀宮のことをお心にかけてくださっていた高松宮妃殿下が、
最後までこの発表を待っていてくださったことは、長く私ども4人の心に残ることと思います。
新しい人生に歩み出そうとしている2人が、静かに、温かく見守られていくことを願っています。
なお、26日にインドネシアの沖合で発生した地震と津波で、
日本人を含む大変な数の犠牲者の出たことは、本当に痛ましいことであり、
この機会に、亡くなった人々やその家族への深い哀悼の意を表します」

黒田さんの母、壽美子(すみこ)さんは宮内庁を通じて談話を発表した。全文は次の通り。
この度のことを大変ありがたく存じますと同時に、その責任の重さを感じております。
夫(注=慶次郎さん、1986年死去)も亡くなって久しい現在、当家のことは慶樹に任せており、
今回の内定までの過程でも、私と致しましては関与を最低限にとどめ、慶樹の意思を尊重してまいりました。
慶樹は、どちらかと申しますと手のかからない子で、
例えば初等科に入学しましたときから、朝は目覚まし時計一つで自ら起き出し、
私が起こしたことは1度もないくらいでございました。
20歳のときに父親を亡くしたこともあり、就職にしても、その後の転職にしても、
重要な事柄は親に頼ることなく慶樹自身で決断してまいりました。
親としてある面で寂しい部分もございますが、慶樹を信じ、その選択に任せてまいりました。
ですから、この度のことを慶樹から聞かされたときも、驚きは致しましたが、
それまで通り息子に任せることに致しました。
今後は、母として慶樹を祝福しつつ、静かに見守っていきたいと存じます。

産経新聞 産経抄 (2004年12月26日)
きのう東京に初雪が舞い皇居の冬木立もうっすらと雪化粧をした。
凛(りん)とした空気に包まれ、 きょう紀宮 さまのご婚約内定の正式発表が行われる。
インド洋大津波の被害に心を痛められている と伺ったが、
「災」の年の歳晩だからこそ、弱者に心を寄せ、国民の幸せを祈り続けられた紀宮さまの慶事に触れたい。
▼天皇家の皇女のご婚約内定発表は、昭和三十四年の清宮さま(島津貴子さん)以来、四十五年ぶりのこと。
「私の選んだ人を見ていただきたいわ」とちゃめっ気たっぷりに語った
「おスタさん」の姿を記憶している方もおられるだろう。
▼ときに、皇族方は周囲を和ませようと「遊び心」を示されることがある。
宮内庁職員による文化祭で、「川瀬美子」という名前の展示物があった。「カワセミコ」。
気付いた職員には穏やかな笑みが広がった。
翡翠(かわせみ)の研究をライフワークとされている紀宮さまのものとわかったからだ。
▼姿を消しつつあった「空飛ぶ宝石」を見守り続けた調査の成果を一昨年、論文にまとめた際には、こう述べられた。
「人がかかわることで避けられない負担を与えてきたカワセミに少しでも報いることができたのであれば幸いです」。
公務であれ、研究であれ、常に弱い立場のものに気持ちを寄せられる慈悲のお姿である。
▼両陛下のお気持ちを忠実に守られてきた紀宮さま。
十月、古希を迎えられた際の皇后さまの文書回答を読み返すと、
そこからは宮さまへの深い愛情と感謝の気持ちが伝わってくる。
「小さな清子が来てくれた時のうれしさも忘れることができません」。
一つ付け加えなければならない。「川瀬美子」のそばに「白木華子」という名前もあったという。
「白樺(しらかば)」。皇后さまのお印である。


婚約内定記者会見


朝日新聞
「これが皇室の真髄かな」と思うのが、 奥から春風のようにおおらかで温かい風が吹いてくるのを感じる時だ。
紀宮さまの周りに仕える人たちも、決して宮様の顔色をうかがうなどといった空気はなく、
仕えるのを楽しんでいる風情で、自然な敬意と親しみが感じられた。
「今年5月皇太子様の『人格否定発言』のあと、両陛下の意向を受けて、補足説明の文書を皇太子様が発表したが、
関係者によると難航した作成の過程で紀宮さまが兄の相談相手を務めたという。」

読売新聞
待っていた「理解ある人」
皇后さまが、お相手の条件を漏らされたことがある。
「皇室のあり方についてよく理解してくれる人。家柄や財力、社会的地位、学歴、仕事の内容ではないのよ。」
中越地震被災者への配慮から婚約内定発表を延期してはと相談を受けた黒田さん
「私のことは結構です。皇室の姿勢を第一に考えてください」
その理解あるお相手を皇室は待っていた。
「ねえね、黒ちゃんと結婚するんだ」。あまりに身近なお2人の婚約内定。
「赤い糸」を知らない秋篠宮佳子さま(9)にとっては驚きだった。
秋篠宮両殿下が地方公務に行かれていた時、紀宮様が眞子様佳子様をお寿司を食べに連れて行ったこともある。

フライデー
黒田さんは婚約内定会見の時とても緊張していて、事前に何度も文書を読み返し、
紀宮様と二人きりの食事もほとんど喉を通らなかった。
「お答えの時は合図を致します」と紀宮様がフォローしていた。
婚約会見の日に、皇太子さまは愛子さまと子供向けの劇のリハーサル公演に行った。



紀宮さまと黒田さん「納采の儀」、挙式は今秋にも
紀宮さま(35)と、東京都職員の黒田慶樹(よしき)さん(39)の
「納采(のうさい)の儀」が19日午前、皇居で行われた。
これでお二人の婚約はととのい、黒田さんは同日午後、母の寿美子さん (69)と皇居に向かい、
婚約者として天皇、皇后両陛下と紀宮さまにあいさつ した。
今後は結婚式の日取りを伝える「告期(こっき)の儀」や
皇族を離れる紀宮さまへの一時金を決める皇室経済会議などを経て、
今秋にも一般の式場で挙式となる。
儀式は午前10時から、宮殿・表御座所(おもてござしょ)の「桂(かつら)の間」で始まった。
黒田さんからの納采の品として、雌雄一対の鯛(たい)、清酒1荷(か)(3本)、
ドレス用の絹地2巻が金屏風(びょうぶ)の前の台に並べられ、
黒田さん の使者を務めるいとこの直志(なおゆき)さん(53)が
「納采のため参上しました。お納め願いとうございます」との口上を
湯浅利夫・宮内庁長官に述べ、目録を手渡した。
この後、湯浅長官は「鳳凰(ほうおう)の間」で両陛下と紀宮さまに使者の来訪を報告。
天皇陛下は「品を受けます」との言葉を返され、長官は「桂の間」で待つ直志さんに
「お使いの旨、申し上げましたところ、ご嘉納(かのう)(喜んで受け納めること)あらせられました」伝え、
儀式は16分で終了した。
10時30分からは、紀宮さまは両陛下と「鳳凰の間」で親子水入らずとなり、婚約のあいさつをされ、
続いて別の部屋に移って皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻にも報告された。
この後、「祝賀」に移り、皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻が両陛下にお祝いを述べられたあと、
常陸宮ご夫妻はじめ皇族方、元皇族、宮内庁幹部や職員、
小泉首相ら三権の長らによる両陛下と紀宮さまへのお祝いのあいさつが続いた。
一方、東京・渋谷区の黒田家には、午前11時前に天皇家の使者として侍従が 遣わされ、
黒田さんと寿美子さんに、雌雄一対の鯛、清酒1荷、
スーツ用のウールの紺の布地2着分がお返しの品として渡された。
紀宮さまは長く成年皇族として公務に当たってこられたことから、
内親王の納 采の儀では例のない三権の長や宮内庁職員らからの祝賀も受けられた。
(2005/3/19/19:03読売新聞)


紀宮さま宮中三殿に参拝 結婚報告、歴代天皇に別れ
結婚式を15日に控えた天皇家の長女、紀宮さま(36)が、
皇室の祖先とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)、歴代天皇を祭る宮中三殿に参拝し、
結婚の報告とお別れのあいさつをする
「賢所皇霊殿神殿(かしこどころこうれいでんしんでん)に謁するの儀」が12日午前、皇居で行われた。
十二単(ひとえ)におすべらかしの古式ゆかしい髪形の紀宮さまは、回廊を進み、最初に賢所で天照大神に参拝。
続いて隣の皇霊殿、最後に八百万神(やおよろずのかみ)などを祭る神殿に参拝した。
拝礼はそれぞれ座って行われた。
宮中三殿に1人で参拝するのは1973年の一般の七五三に当たる「着袴(ちゃっこ)の儀」以来。
秋篠宮ご夫妻をはじめ三笠宮寛仁さま、高円宮妃久子さまら皇族方も続いて拝礼した。
宮内庁の羽毛田信吾長官が見守った。
午後には、紀宮さまが皇居・宮殿で天皇、皇后両陛下に感謝を伝え、
お別れのあいさつをする「朝見(ちょうけん)の儀」が催され、結婚前の儀式は一区切りがつく。(共同)


紀宮さま「朝見の儀」-2005年 11月12日
◇朝見の儀おことば
清子内親王殿下 謝恩の辞(天皇陛下へ)
今日(こんにち)までの長い間,深いご慈愛の中でお育ていただきましたことを心よりありがたく存じます。
ここに謹みて御礼申し上げます。
天皇陛下 おことば
この度の結婚は誠に喜ばしく,心からお祝いします。
内親王として,その務めを立派に果たし,また,家族を優しく支えてきたことを,深く感謝しています。
結婚の上は,これまでの生活の中で培ってきたものを更に育み,
二人で力を合わせて楽しい家庭を築き,社会人としての務めを果たしていくよう願っています。二人の幸せを祈ります。

清子内親王殿下 謝恩の辞(皇后陛下へ)
今日(こんにち)までの長い間,深いご慈愛の中にお育ていただきましたことを心よりありがたく存じます。
ここに謹みて御礼を申し上げます。
皇后陛下 おことば
この度はおめでとう。これまで内親王として,また,家族の一員として,本当によく尽くしてくれました。
どうか新しい生活においても,家庭を大切にしつつ,社会の良き一員となっていかれますように。
お二人の健康と,幾久しい幸せを祈ります。


11月13日
紀宮様が夕食会を催し、両陛下と秋篠宮ご一家が参加。

11月15日 ご結婚
2005年11月15日 読売新聞
紀宮さまを取材して 編集委員・井上茂男
◆これからも「ドンマーイン」を
紀宮さまの地方旅行に初めて同行した時のことを思い出す。
1990年3月8日。神戸市の三菱重工神戸造船所で行われた
旅客船「にっぽん丸」の命名・進水式に出席された時のことだ。
紀宮さまが斧(おの)を振り下ろして2万2000トンの巨船をつなぐ綱を切ると、
紙吹雪の中で白い船が海へと滑り出ていく。
3000人が見つめる先で緊張されているように見え、皇室担当になったばかりのこちらも身を固くした。
当時、紀宮さまは学習院大の2年生。昭和天皇の喪が明けて平成の皇室が本格的に稼働し、
成年皇族となった紀宮さまの公務も始まろうとしていた。
1か月後、21歳を前にした初めての誕生日会見で舌を巻いた。
最初は消え入るような声だったが、メモなしですらすらと答えられた。
皇后さまの「皇室は祈りでありたい」という言葉を引き、
「大切なことに対して、いつも、そして長く心を寄せ続けるということを
私は日本の皇室の姿として心に描いております」と皇室像を述べられた。
会見が終わり、奥深さを同僚と「すごい」と言い合った。
皇后さまの「祈り」という考え方は、この時、紀宮さまに教わった。
あれから15年。ご結婚にあたって思うのは、皇室での存在感と、折々の「お言葉」の味わいである。
ボランティアフェスティバルや盲導犬育成のイベントなどは特に大事にされてきた。
外国の公式訪問は計8回。婚礼や葬儀を除けば皇太子さまと肩を並べ、
「プリンセス・サヤコ」はかなりの知名度である。
側近の一人に紀宮さまの最も印象に残る公務を聞いてみた。
2001年に行われた阪神大震災6周年の「ひょうごメモリアルウォーク」。
急きょ出席して市民と2キロを歩かれたが、直前の参加決定に警備当局が難色を示しても、
「それでは行く意味がありません」と譲られなかった。
「(震災を)過去のものにしてしまわない努力は、一方で、貴い犠牲を無駄にせず未来にいかすため、
あの日の惨事を繰り返し思い返すという大変つらい傷みを伴う努力であると慮(おもんぱか)られます」。
被災者と行動を共にしたからこそ、一語一語に重みがあった。
家族も優しく支えられた。93年に皇后さまが声を失われた時も、
2003年に天皇陛下ががんの手術を受けられた時も、献身的な看病は語りぐさだ。
皇太子さまの人格否定発言の際には、両陛下と皇太子さまの「仲介役」を務められた。
71歳を迎える皇后さまの文書回答が思い浮かぶ。
「失敗したり、思いがけないことが起こってがっかりしている時に、
そばに来て『ドンマーイン』と言ってくれる子どもでした」
93年当時、週刊誌上では「皇室批判」が続いていた。それも「思いがけないこと」に入っているはずだ。
紀宮さまの存在にどれほど救われただろうか。
結婚直前の宮内庁を取材していて感じたのは、喜びに同居する一抹の寂しさだ。
90年の秋篠宮ご夫妻のご結婚も、93年の皇太子ご夫妻のご結婚も取材したが、
その時にはなかった空気である。
「穴が開いたような気持ち」。正直に感想を語った幹部もいた。
紀宮さまが両陛下に感謝の思いを伝えた12日の「朝見の儀」を取材した。
儀式が終わって退出される両陛下の背中を、紀宮さまはじっと見つめていた。
姿が消え、扉が閉まる。その扉を3秒ほど凝視し、紀宮さまも部屋を出られた。
扉の向こう側とこちら側。この時、皇籍を離れることを実感されたに違いない。
有識者会議は女性・女系天皇の容認を打ち出した。
仮に皇室典範が改正されていたら、宮家を創設し、皇室に残った内親王である。
結婚で皇族の身分を離れる最後の内親王かもしれず、惜しむ声もうなずける。
頼もしいのは、紀宮さまが新居を選ばれるにあたって、皇居との近さを大事にされたことだ。
民間人の「黒田清子(さやこ)」となって、「ドンマーイン」には新しい視点が加わるだろう。
いつでもささやけるように、足しげく里帰りをしていただきたいと思う。お幸せに。


紀宮さまと黒田慶樹さん、帝国ホテルで結婚式
天皇陛下の長女、紀宮清子(さやこ)さま(36)と東京都職員黒田慶樹(よしき)さん(40)の結婚式が
15日午前11時過ぎから、東京都千代田区の帝国ホテル「蘭(らん)の間」で行われた。
天皇の娘である皇女の結婚は、昭和天皇の五女島津貴子さん(66)以来45年ぶり。
女性皇族の結婚は、83年の三笠宮さまの次女千容子(まさこ)さん(54)以来となる。
紀宮さまは皇族の立場を離れ、「黒田清子さん」として新たな人生を踏み出した。
紀宮さまはこの朝、住まいの皇居・御所で、天皇、皇后両陛下にお別れのあいさつをした後、
黒田さんの使者である黒田直志(なおゆき)さん(54)の出迎えを受けた。
紀宮さまは、結婚式に着る、装飾を抑えた純白のロングドレス姿。両陛下に見送られて車に乗り込んだ。
午前10時過ぎ、車は宮内庁職員らが整列する皇居正門を出発。
帝国ホテルへの約1.5キロをゆっくりと進み、紀宮さまは、沿道の人々に手を振って応えた。
結婚式は午前11時5分から始まった。紀宮さまは、モーニング姿の黒田さんとともに、
神前結婚式用に特別にしつらえられた「蘭の間」に入室。
新婦側は、両陛下をはじめ皇太子ご夫妻、秋篠宮ご一家ら皇族方や親族23人、
新郎側は黒田さんの母寿美子さん(70)ら親族8人が参列した。
斎主は、伊勢神宮の北白川道久大宮司が務めた。
式は非公開だったが、宮内庁によると、参列者全員が修祓(しゅばつ=お祓い)を受けた後、斎主が祝詞を奏上。
一般の三三九度にあたる「盃(さかずき)の儀」で新郎新婦が互いに盃を交わして「契り」を結んだ後、
新郎が誓詞を読み上げた。式は20分余りで終わった。
結婚式後、宮内庁職員がお二人の新居がある地元区役所に婚姻届を提出。
紀宮さまは皇籍を離脱し、「黒田清子さん」になった。
午後2時からは、新郎新婦がホテル内で記者会見。
両陛下は式の後、いったん皇居に戻り、小泉首相をはじめ三権の長らから祝賀を受ける。
披露宴は午後4時から、両陛下ら親族のほかお二人の恩師や友人ら約120人が出席して開かれる。
紀宮さまは皇后さまから借りた着物姿で臨む。天皇、皇后が皇女の披露宴に出席するのは初めてという。
結婚式と披露宴の費用は公表されていないが、
宮内庁によると、天皇家の私的行事に使われる内廷費と黒田家の負担でまかなわれるという。
「asahi.com」 2005年11月15日


挙式後会見 和やかに披露宴
東京・内幸町の帝国ホテルで15日午前、
結婚式を挙げた黒田慶樹(よしき)さん(40)と紀宮清子(さやこ)さま(36)は、
午後から二人で記者会見に臨み、
紀宮さまは「様々なことを学び、黒田家のひとりとして、
新しい生活に臨んでまいりたいと思います」と新生活への決意を語られた。
夕方からは天皇、皇后両陛下も出席された結婚披露宴が開かれ、118人が門出を祝った。
16日には両陛下へのあいさつのため皇居を訪ね、宮内庁は皇族の戸籍である皇統譜から紀宮さまを除く。


産経新聞 2005年11月16日
天皇陛下は紀宮殿下のご結婚に際して、次のようなお話をされたとのことです。
紀宮さまは文書で、朝の両陛下とのお別れの様子をみずから次のように述べられた。
天皇陛下からは『これからは皇后さまがなさっていらっしゃったように、慶樹さんはもちろんのこと、
慶樹さんに連なる人びとと慶樹さんの仕事を大切に考えるように。
今後、公的な仕事を共にすることはなくなるが、
家族の絆は変わらないので、折々にいらっしゃい』とおっしゃって下さいました。
皇后さまはしっかりと抱きしめて下さり、『大丈夫よ』と何度もおっしゃって下さいました。


「黒田家の一人として」 「心安らぐ家庭を」
記者会見は午後2時から、同ホテル「扇の間」で行われた。
二人は式と同じモーニング、ロングドレス姿。
紀宮さまは「両陛下、黒田の母に見守っていただきながら、滞りなく式が行われ安堵(あんど)しています」、
黒田さんも「互いの考えを尊重しつつ、心安らぐ、静かな家庭を築いていきたい」と家庭像を語った。
午後4時から、同ホテル「孔雀(くじゃく)東の間」で行われた披露宴には、
両陛下や皇太子ご夫妻ら各皇族方のほか、ゆかりの人々らが出席した。
天皇陛下の学習院時代の同級生で、紀宮さまを幼少時代から知る出版社会長の小山敦司さんが司会を務め、
東京都の石原慎太郎知事の発声によりシャンパンで乾杯した。
前菜、メーン、デザートの順に3皿の食事が出され、
紀宮さまが非常勤研究員として通った山階鳥類研究所の柿沢亮三副所長ら4人がスピーチ。
その後、隣の「孔雀西の間」での立席のレセプションに移り、午後6時前にすべての行事が終了した。
両陛下は披露宴に先立って公務をし、皇居・宮殿で三権の長や
宮内庁の幹部職員らからお祝いのあいさつを受けられた。
両陛下は15日夜、宮内庁を通じて「二人が温かく見守られ、
これからの新しい生活を静かに始められることを心から願っています」
との感想を出された。黒田夫妻はホテルで夕食をとったあと、午後8時ごろ、宮内庁の車でホテルを後に。
新居の分譲マンションが来年3月末まで完成しないため、
それまでの仮住まいとなる1LDK(50平方メートル)の賃貸マンションへと向かった。
宮内庁によると、この日、お祝いの一般記帳のため、約5800人が皇居を訪れた。
(2005年11月16日 読売新聞)


会見
 ――式を終えて今の率直な感想は。
黒田さん
 本日に至るまで、様々な方々に支えていただきながら、よき日を迎えることができました。
 両陛下をはじめ、皇族方のご出席もいただき、
 とどこおりなく式が行われましたことを、心より感謝いたしております。
紀宮さま
 両陛下、そして、黒田の母に見守っていただきながら、とどこおりなく、
 式が執り行われましたことを、安堵(あんど)しております。
 婚約を発表しました日より、多くの方々に、お祝いいただき、支えていただきながら、
 今日を迎えられましたことを、深く、感謝しております。

 ――新しい生活に向けての抱負などを。
黒田さん
 互いの考えを尊重しつつ、心安らぐ、静かな家庭を築いていきたいと存じております。
 新しい生活を始めて間もないころは、慣れないことも多かろうと存じますし、
 また、予期せぬことも、あろうかとは存じますが、
 ふたりで力を合わせて、一歩一歩、進んでまいりたいと存じております。
紀宮さま 
 朝見の儀のおりに、陛下より、「これまでの生活の中で培ってきたものを、さらに、磨き」
 というお言葉をいただきました。
 今後の生活については、まだ見当のつかない部分が多くありますので、
 そのお言葉をどのように生かしていったならばよろしいか、わかりませんが、
 両陛下ともに新しい生活を、すべてを切り替えたものではなく、
 今までの延長線上に置いて下さった、そのお気持ちを、とてもうれしく思いました。
 両陛下や、家族との日々を大切に心に持ちながら、新たに、様々なことを学び、
 黒田家のひとりとして、新しい生活に、臨んでまいりたいと思います。

11月15日
紀宮様ご結婚
同日夜、両陛下、皇太子、秋篠宮両殿下、皇居で夕食会
愛子さまが熱を出したという理由で、雅子さまは欠席。

11月17日
黒田ご夫妻が東宮御所に挨拶に行くが、愛子さまとは対面せず。


黒田さん夫妻の結婚祝福 両陛下主催し皇居で茶会
15日に結婚した黒田慶樹さんと清子さんを囲んで祝福する茶会が27日、
皇居・宮殿で開かれ主催された天皇皇后両陛下をはじめ皇族や元皇族、
黒田さんの母寿美子さんら約45人が出席した。
宮殿の小食堂「連翠(れんすい)」に集まった出席者を代表し、
皇太子さまが「結婚の儀が滞りなく執り行われましたことを心よりお祝い申し上げます。
両陛下のお喜びもいかばかりかと拝察いたします」とあいさつした後、全員で乾杯した。
黒田さんはスーツ、清子さんはピンクのツーピース姿で、
出席者から「おめでとうございます」 「落ち着きましたか」と声を掛けられると、
そろって笑顔を見せながら「ありがとうございます」 などと答えていた。
(共同通信) - 11月27日16時43分更新

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産経
招待者に渡された引き出物は、砂糖菓子(金平糖)などを入れる磁器製の小物入れ「ボンボニエール」。
白地で、側面に紀宮さまのお印「未草(ひつじぐさ)」、
ふたには黒田家の家紋にちなんだ「柏」が金と銀であしらってあった。


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週刊朝日2005年11月25日号
『祝紀宮さまご結婚 美智子さまからサーヤに伝わる「装いの心」』
女性の即位は考えない立場ですが、もし仮に、女性としての即位(女性天皇)があるとするならば、
まさに紀宮殿下の様な方こそがその役割に相応しい、ロールモデルになる様な方であると思います。
(中略)本来であれば、皇室典範の改正を考えるのであれば、女性宮家とまで行かなくとも、
紀宮殿下が、黒田清子でありつつ紀宮殿下の役割を担える様な工夫についてこそ
早い段階で考慮されるべきであったのではなかろうかと思う次第です。
(例えば、皇統からの除籍を後にのばす、など)

週刊現代2005年12月3日号
「…(雅子さまは)披露宴後半にはお姿が少し見当たらなかったので、
別室でお休みになっていたのかもしれません」(黒田家親族)
披露宴の最初に、雅子妃が「おめでとうございます」とおっしゃって、
陛下が普通にそれをお受けになり、以後、雅子妃が、陛下の方に顔を傾けようとすると
陛下は皇后陛下に何かお話かけるといった按配だった」(宮内庁職員)

週刊女性
一人スーツで皇室の調和を乱している。
バックベルトの靴の不自然さ。

女性自身
紀宮様結婚式で前半は席についていたが、後半立食レセプションを欠席。

フジテレビ 
ファッション評論家の女性
「主役の方が着物なら、出席は着物着用が常識です。皇太子妃はご自由になさったように見えます」