両陛下フィリピンご訪問

2016.1.26 11:32更新
【両陛下ご訪比】
両陛下ご出発 戦没者に心寄せ
天皇、皇后両陛下は26日、羽田空港発の政府専用機でフィリピンに向け出発された。
30日までの5日間、首都マニラに滞在し、
先の大戦で命を落とした日比両国の戦没者を慰霊するとともに、同国側との友好親善に努められる。
両陛下のフィリピンご訪問は、皇太子夫妻時代の昭和37年11月以来、2回目となる。
今年は日本とフィリピンの国交正常化60周年に当たることから、
昨年6月に国賓として来日したアキノ大統領から両陛下のご訪問について招請があったという。
国際親善を目的とする公式訪問という位置づけだが、
宮内庁は戦没者の「慰霊の旅」を続ける両陛下の強い意向を踏まえ、日本人戦没者の慰霊碑「比島戦没者の碑」と、
フィリピン側戦没者を追悼する「無名戦士の墓」でのご供花を日程に組み入れた。
このほか、マラカニアン宮殿で行われる歓迎式典や、アキノ大統領主催の晩餐(ばんさん)会に臨席するほか、
フィリピン独立運動の英雄「ホセ・リサール」の記念碑にも供花される。
先の大戦中、同国のルソン島で約27万人、レイテ島で約8万人、ミンダナオ島で約6万人など、多くの日本兵が戦死。
厚生労働省によると、フィリピン全域での日本兵戦死者は51万8千人に上るという。
また、同国側の犠牲者も多く、110万人に上ったとも言われる。
昭和31年、日本が5億5千万ドル(当時1980億円)の戦争賠償金を支払うことが決まり、国交が正常化した。
http://www.sankei.com/life/news/160126/lif1601260023-n1.html

2016.1.26 11:42更新
【両陛下ご訪比】
天皇陛下のお言葉 ご出発にあたり
天皇、皇后両陛下はフィリピン訪問を前に、羽田空港で見送り行事に臨まれた。
天皇陛下は皇太子さまをはじめ皇族方、安倍晋三首相らに、
先の大戦において同国内で多くの犠牲者が出たことに触れ
「このことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたい」と述べられた。
お言葉の全文は以下の通り。

この度、フィリピン国大統領閣下からの御招待により、皇后と共に、同国を訪問いたします。
私どもは、ガルシア大統領が国賓として日本を御訪問になったことに対する答訪として、
昭和三十七年、昭和天皇の名代として、フィリピンを訪問いたしました。
それから五十四年、日・フィリピン国交正常化六十周年に当たり、
皇后と共に再び同国を訪れることをうれしく、感慨深く思っております。
フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。
中でもマニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。
私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています。
旅の終わりには、ルソン島東部のカリラヤの地で、フィリピン各地で戦没した私どもの同胞の霊を弔う碑に詣でます。
この度の訪問が、両国の相互理解と友好関係の更なる増進に資するよう深く願っております。
終わりに内閣総理大臣始め、この訪問に心を寄せられた多くの人々に深く感謝いたします。
http://www.sankei.com/life/news/160126/lif1601260024-n1.html


両陛下 フィリピンに到着 親善と慰霊へ
1月26日 20時40分
天皇皇后両陛下は、26日午後、フィリピンの首都マニラの国際空港に到着し、
親善訪問のスタートを切られました。
両陛下は、現地時間の午後2時45分、マニラの国際空港に到着されました。
両陛下のフィリピン訪問は昭和37年以来54年ぶりで、両陛下は、タラップを降りると、
出迎えたアキノ大統領や姉のアベリャダさんと、にこやかに握手をしてことばを交わされました。
そして、天皇陛下の首に白いレイがかけられ、皇后さまには黄色の花束が贈られました。
続いて、両国の国歌が演奏されると、両陛下は、大統領の案内で儀じょう隊の間を通り抜け、
フィリピンの閣僚などとあいさつを交わしたあと、車で宿泊先のホテルに向かわれました。
ホテルの玄関では、現地の日本人学校に通う児童たちが両国の小旗を振って歓迎し、
両陛下は、そばまで歩み寄ってことばをかけたり、笑顔で手を振って応えられたりしていました。
両陛下は、このあとホテルの中庭で、日本からフィリピンに派遣されている青年海外協力隊の隊員たちと懇談されました。
青年海外協力隊は、発足翌年の昭和41年からフィリピンでの活動を始め、
これまでに延べ1600人が保健や農業などの分野に携わってきました。
両陛下は、一人一人に、「少しずつ成果が見えてくるといいですね」などと励ましのことばをかけられていました。
両陛下は、懇談の途中で、隊員たちとマニラ湾に沈む夕日をしばらく楽しまれ、最後に天皇陛下が全員に向かって
「これからもそれぞれの経験を大切にして道を歩んでいってください」と話されました。
両陛下は、27日、大統領府のあるマラカニアン宮殿で国賓としての公式行事に臨み、
天皇陛下が歓迎の晩さん会の席でおことばを述べられます。
そして29日、太平洋戦争の戦没者のため日本政府がマニラ郊外のカリラヤに建てた慰霊碑を初めて訪ねられます。
両陛下は、フィリピン側の犠牲者を追悼する墓地も訪れる予定で、
今回の訪問で、日本とフィリピン両国の戦没者を慰霊されます。

青年海外協力隊員「とても励みになった」
青年海外協力隊の隊員で、フィリピンのルソン島でゴミを肥料化する有機農業の推進に取り組んでいる
山路健造さんは、「天皇陛下は、『ゴミを減らせるとよいですね』とおっしゃり、
皇后さまからは、『遠くからわざわざ来てくれてありがとう』とことばをかけていただきました。
とても励みになりました」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160126/k10010386411000.html

天皇陛下「先の大戦 深く心に置く」歓迎晩さん会で
1月27日 21時00分
天皇陛下は、国際親善のため皇后さまと訪れたフィリピンで、27日夜、歓迎の晩さん会に出席し、
おことばを述べられました。この中で天皇陛下は、先の大戦では、
日米両国の戦闘により、多くのフィリピン人が命を失い、傷ついたとしたうえで、
「このことは、私ども日本人が決して忘れてはならないことであり、
この度の訪問においても、私どもはこのことを深く心に置き、旅の日々を過ごすつもりでいます」と話されました。

おことば 全文
貴国と我が国との国交正常化60周年に当たり、
大統領閣下の御招待によりここフィリピンの地を再び踏みますことは、
皇后と私にとり、深い喜びと感慨を覚えるものであります。今夕は私どものために晩餐会を催され、
大統領閣下から丁重な歓迎の言葉をいただき、心より感謝いたします。
私どもが初めて貴国を訪問いたしましたのは、1958年12月、ガルシア大統領御夫妻が国賓として
我が国を御訪問になったことに対する、昭和天皇の名代としての答訪であり、今から54年前のことであります。
1962年11月、マニラ空港に着陸した飛行機の機側に立ち、
温顔で迎えて下さったマカパガル大統領御夫妻を始め、
多くの貴国民から温かく迎えられたことは、私どもの心に今も深く残っております。
この時、カヴィテにアギナルド将軍御夫妻をお訪ねし、将軍が1898年、
フィリピンの独立を宣言されたバルコニーに将軍御夫妻と共に立ったことも、私どもの忘れ得ぬ思い出であります。
貴国と我が国の人々の間には、16世紀中頃から交易を通じて交流が行われ、マニラには日本町もつくられました。
しかし17世紀に入り、時の日本の政治を行っていた徳川幕府が鎖国令を出し、
日本人の外国への渡航と、外国人の日本への入国を禁じたことから、両国の人々の交流はなくなりました。
その後再び交流が行われるようになったのは、19世紀半ば、我が国が鎖国政策を改め、
諸外国との間に国交を開くことになってからのことです。
当時貴国はスペインの支配下に置かれていましたが、その支配から脱するため、
人々は身にかかる危険をも顧みず、独立を目指して活動していました。
ホセ・リサールがその一人であり、武力でなく、文筆により独立への機運を盛り上げた人でありました。
若き日に彼は日本に1か月半滞在し、日本への理解を培い、
来る将来、両国が様々な交流や関係を持つであろうと書き残しています。
リサールは、フィリピンの国民的英雄であるとともに、日比両国の友好関係の先駆けとなった人物でもありました。
昨年私どもは、先の大戦が終わって70年の年を迎えました。
この戦争においては、貴国の国内において日米両国間の熾烈な戦闘が行われ、
このことにより貴国の多くの人が命を失い、傷つきました。
このことは、私ども日本人が決して忘れてはならないことであり、この度の訪問においても、
私どもはこのことを深く心に置き、旅の日々を過ごすつもりでいます。
貴国は今、閣下の英邁な御指導のもと、アジアの重要な核を成す一国として、堅実な発展を続けています。
過ぐる年の初夏、閣下を国賓として我が国にお迎えできたことは、
今も皇后と私の、うれしく楽しい思い出になっています。
この度の私どもの訪問が、両国国民の相互理解と友好の絆を一層強めることに資することを深く願い、
ここに大統領閣下並びに御姉上の御健勝と、フィリピン国民の幸せを祈り、杯を挙げたいと思います。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160127/k10010388221000.html


2016.1.29 01:01更新
【両陛下ご訪比】
両陛下、日系人とご懇談 戦後の苦難をおねぎらい
【マニラ=大島真生】日本とフィリピンの国交正常化60周年を記念し、
同国を公式訪問中の天皇、皇后両陛下は28日、マニラ首都圏の宿泊先のホテルで、
日系人の代表者5人とその家族らと懇談し、戦中・戦後の苦難の歴史を慰労された。
戦前に麻栽培の労働者として渡った日本人男性と現地女性との間に生まれた日系人は、
先の大戦で父親やきょうだいを失い、生き残った父親も終戦で日本に強制送還。
反日感情による差別を恐れ、出自を隠して生活してきた人が多く、経済的にも苦労を重ねた。
フィリピン各地で生存が確認されている2世は1946人。平均年齢は77歳。
日系人社会は約10万人ともいわれる。
両陛下は、世界各地に散らばった日本人移民と日系人に長年心を寄せており、
今回も日系人との面会を強く希望された。
大工だった父親がフィリピン人に殺害された元フィリピン日系人連合会会長のマサヨシ大成さん(79)が
「第二次大戦は大変つらい経験でした。4歳の弟も殺されました」と英語で訴えるのを、
天皇陛下はうなずきながら聞き、「どうぞ元気でね」といたわりの言葉をかけられた。
前連合会会長のカルロス寺岡さん(85)は、日米両軍とフィリピン人ゲリラに家族4人を殺害された。
陛下から「戦争中は苦労されましたね」と気遣われ、
皇后さまからは「日系人のお世話をよろしくお願いします」と感謝のお言葉が伝えられたという。
ホテルのロビーには、この日に合わせて各地から日系人約100人が集まり、
両陛下のご訪問を日の丸の小旗を振って歓迎した。
両陛下は一人一人に歩み寄り、声をかけられた。
陛下は最後に全員に向かい、「戦争中は皆さん、随分ご苦労も多かったと思いますが、
それぞれの社会において良い市民として活躍して、
今日に至っているということを大変うれしく誇らしく思っています」と語りかけられた。
懇談後、日系3世で現連合会会長のイネス・マリャリさん(44)は
「日比の懸け橋として活動してきた。この懇談が今後の励みになると思う」と話した。
両陛下はこの後、フィリピン技術教育技能開発庁語学研修センターをご訪問。
経済連携協定(EPA)に基づき、日本で看護師や介護福祉士として働くことを志すフィリピン人が
日本語の授業を受ける様子を見学し、激励された。
http://www.sankei.com/life/news/160128/lif1601280045-n1.html


2016.1.29 13:30更新
【両陛下ご訪比】
両陛下、日本人戦没者の碑へご供花 英霊51万8千人をご慰霊
【カリラヤ=大島真生】日本とフィリピンの国交正常化60周年を記念してフィリピンを訪問中の
天皇、皇后両陛下は29日午前、ヘリでラグナ州カリラヤを訪れ、「比島戦没者の碑」に供花された。
海外で日本人の英霊を追悼する「慰霊の旅」を果たされたのは、
戦後60年の節目だった平成17年の米自治領サイパン、
戦後70年の節目だった昨年のパラオ共和国に次いで3度目となった。
フィリピンは先の大戦最大の激戦地で、51万8千人に上る邦人犠牲者数は海外で最多。
310万人とされる日本人戦没者の6分の1、軍人軍属に限れば230万人の4分の1に近い。
日本から駆け付けた遺族や数少ない元生還兵ら約150人が見守る中、
両陛下は日本から持参した白菊の花束をそれぞれ碑に手向けると、深々と拝礼された。
その後、遺族の方に歩み寄り、父親がルソン島で戦死した杉山英夫さん(78)や田原政信さん(71)、
岸野弘さん(78)らにお悔やみの言葉をかけ、遺族たちの戦後の苦労をねぎらわれた。
フィリピンでのご慰霊は両陛下の悲願だったとされ、両陛下の強い意向によりようやく実現した。
http://www.sankei.com/life/news/160129/lif1601290023-n1.html


2016.1.30 17:33更新
【両陛下ご訪比】
両陛日本とフィリピンの国交正常化60周年を記念してフィリピンを公式訪問していた天皇、皇后両陛下は
30日夕、政府専用機で羽田空港に到着し、帰国された。
両陛下が続けられている「慰霊の旅」が海外で実現したのは、
平成17年のサイパン、昨年のパラオ共和国に続き3度目となった。
両陛下は同日午前、滞在していたソフィテル・ホテルをご出発。
マニラ首都圏のニノイ・アキノ国際空港から帰国の途につかれた。
滞在中、アキノ大統領主催の晩餐(ばんさん)会に臨席するなど両国間の友好親善に励み、
先の大戦で110万人の犠牲が出たとされる同国の「無名戦士の墓」と
51万8千人が亡くなった日本の「比島戦没者の碑」に供花して、
両国の犠牲者たちを等しく慰霊された。
羽田空港では、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻をはじめ皇族方が出迎えられ、
タラップを降りた両陛下は笑顔で声をかけられた。
宮内庁は、ともに80歳を超えた両陛下の年齢に配慮し、負担軽減のため、この日はご帰国だけの日程とした。
http://www.sankei.com/life/news/160130/lif1601300031-n1.html


天皇皇后両陛下、フィリピン訪問終え帰国
2016年1月30日 17:25
天皇皇后両陛下は5日間のフィリピン訪問を終えて、30日午後、羽田空港に到着された。
フィリピン訪問の全日程を終えた天皇皇后陛下は、30日午後5時前、政府専用機で羽田空港に到着された。
両陛下は皇太子ご夫妻をはじめ皇族方、それに首相らの出迎えをうけられた。
両陛下は日本時間30日午後1時頃、マニラ国際空港から帰途につかれた。
空港では到着の出迎えの時と同様、アキノ大統領が見送りに訪れたが、
大統領が両方に足を運ぶのは極めて異例という。
宮内庁によると両陛下は29日、「アキノ大統領の大変行き届いた心のこもったご配慮によって
良い訪問となった」と大変感謝されていたという。両陛下は大統領とその姉アベリャダさんと話し込んだ後、
別れを惜しむように握手とハグを交わされ、政府専用機に乗り込む際には笑顔で手を振られていた。
http://www.news24.jp/articles/2016/01/30/07321181.html


「最大の礼」で歓迎された両陛下
2016年2月11日15時34分
宮内庁担当 島康彦、伊藤和也
汗ばむような陽気のなか、天皇、皇后両陛下がフィリピン・マニラのニノイ・アキノ国際空港に降り立ちました。
出迎えたのは、アキノ大統領と姉のアベリャダさん。
天皇陛下は花の首飾りを、皇后さまはブーケを受け取りました。
国賓の場合は副大統領が出迎えるのが通常で、大統領自らが空港に足を運ぶのは極めて異例なことだそうです。
「最大の礼をもってお迎えしたいという大統領の意向だろう」。宮内庁幹部はそう説明してくれました。
1月26日。両陛下の5日間のフィリピン公式訪問が始まりました。
大統領「再びフィリピンをご訪問いただき、ありがとうございます」
天皇陛下「このような歓迎に感謝します。再びフィリピンを訪問できたことを私もうれしく思います」
空港では、そんなやりとりの後、天皇陛下は式台にあがり、両国の国歌の演奏を聴きました。
儀仗(ぎじょう)隊の閲兵を経て、出迎えの車に。いかにも頑丈そうな黒色の防弾車。ナンバーは「1」でした。
宿舎に到着する手前では、約20人の日本人が日の丸を振って歓迎していました。
そして、宿舎ではマニラ日本人学校の1年生約70人が出迎え、両陛下は歩み寄って声をかけていました。
両陛下が宿泊したのは「ソフィテルフィリピンプラザ」。
マニラ湾を望むロケーションにあり、美しい夕日の眺めを楽しむことができます。
両陛下もこの日夕、ホテルの中庭で、フィリピンに派遣されている青年海外協力隊の隊員とともに、
マニラ湾に沈む夕日を観賞しました。
訪問前から楽しみにしていたそうです。
お二人寄り添って夕日が水平線に沈んでいく様子をじっと眺め、笑顔で手をたたくと、
隊員たちにも拍手の輪が広がっていきました。
2日目はマラカニアン宮殿での歓迎式典から始まりました。軍楽隊が両国の国歌を演奏した後、
天皇陛下はアキノ大統領とともに儀仗兵を閲兵しました。赤じゅうたんを歩いて宮殿に入る際には、
竹でできた笛や打楽器など民族楽器の楽団が、大阪万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」を演奏。
両陛下は足を止め、笑顔で耳を傾けていました。
続いて、天皇陛下は宮殿内でゲストブックに記帳し、皇后さまとともに大統領との会見に臨みました。
宮内庁の秋元義孝式部官長によると、会見は約30分間にわたり、終始打ち解けた雰囲気だったそうです。
冒頭、アキノ大統領は、改めて両陛下のフィリピンご訪問を歓迎したうえで、
姉のアベリャダさんがその前の週に、非公式に北海道を訪問したことを紹介しました。
アベリャダさんは日本語翻訳ソフトを自身のスマートフォンにインストールし、
言葉に困ることなく各地をめぐったといいます。天皇陛下が「雪の影響はなかったですか」とたずねると、
アベリャダさんは「雪は大好きで、まったく問題なかった」とこたえたそうです。
日本とフィリピンの経済関係の話にもなり、大統領は日本の小売業、自動車産業がフィリピンに積極的に
進出していること、フィリピンの人たちの自動車需要が急増していることを紹介しました。
これに対し、天皇陛下は「両国の交流がますます盛んになっていることをうれしく思います」などとこたえました。
その後、フィリピン独立の英雄、ホセ・リサールが眠る「リサール記念碑」を訪れ、供花しました。
周囲には、横断幕を掲げ両国の国旗を振って歓迎する邦人の姿があり、
両陛下は車の窓をあけ、手をふってこたえていました。
実は、初日に利用した車は窓が少ししか開かないタイプでした。
そこで、沿道の人たちとも触れ合いたいという両陛下の意向で、
2日目からは窓が大きく開き、ガラスも透明な防弾車に変更されました。
この日は、出迎えの人たちに手を振る様子が各地で見られたそうです。
続いて、マニラ南部の英雄墓地で、無名戦士の墓に足を運びました。
ここは戦時中に犠牲になったフィリピンの人たちを悼む場所です。
太平洋戦争で、フィリピンは日米の戦場となり、約111万人の現地の人たちが犠牲になったといわれています。
特に1945年2月から3月にかけての「マニラ市街戦」では10万人もの市民が亡くなりました。
宮内庁幹部によると、両陛下は今回のフィリピン訪問が決まった際、無名戦士の墓への慰霊を強く望んだそうです。
厳しい日差しのもと、両陛下は花輪を持った兵士の先導で、
儀仗兵が立ち並ぶ間をゆっくりと慰霊碑に向かって進んでいきました。
フィリピン国旗が掛けられた碑に花輪がささげられると、
3発の礼砲が鳴り響くなか2分近くにわたって拝礼し、続けて深々と一礼しました。
天皇陛下は皇太子時代の1962年に初めてフィリピンを訪れた際、
事前にフィリピンの歴史を学び、現地では犠牲者の遺族と交流しました。
「先の大戦においては、日米間の熾烈(しれつ)な戦闘が貴国の国内で行われ、
この戦いにより、多くの貴国民の命が失われました」。
昨年6月、アキノ大統領を迎えた晩餐(ばんさん)会でも、天皇陛下はそう言及し、
「私ども日本人が深い痛恨の心と共に、長く忘れてはならないこと」と語っていました。
    ◇
夜には大統領主催の晩餐会に出席しました。天皇陛下は1962年の前回訪問を振り返り、
「多くの貴国民から温かく迎えられたことは、私どもの心に今も深く残っております」と述べました。
先の大戦でフィリピンが日米の戦場となり、多くの市民が犠牲になったことについては
「私ども日本人が決して忘れてはならないこと」と述べました。今回の訪問については
「両国国民の相互理解と友好の絆を一層強めることに資すること」を深く願う、などと語りました。
晩餐会の会場は大きなシャンデリアが三つ飾られた豪華な雰囲気で、笹(ささ)の葉のデコレーションや
竹をイメージしたデザインの椅子など、さまざまな趣向が凝らされました。
食事のメニューは日本の食材が盛り込まれていたそうで、白身の魚にみそのソースが添えられたり、
牛肉にはしょうゆやのり風味のような味付けだったりしたといいます。
フィリピンの有名な歌手やダンスグループなどのパフォーマンスが続き、
両陛下は予定時間を超えて楽しんだそうです。
(宮内庁担当 島康彦、伊藤和也)
http://www.asahi.com/articles/ASJ2453T1J24UTIL025.html