天皇陛下訪中について

両陛下中国ご訪問
平成4年10月23日~10月28日

中華人民共和国ご訪問(平成4年)
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/gaikoku/h04china/eev-h04-china.html

天皇陛下のおことば
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h04e-china.html#china

陛下を利用した中国と日本外務省
中国 銭其琛(せんきしん)元外相『外交十記』
(日本の)天皇訪中は天安門事件による中国の孤立化の打破を狙って進めたものである。
天皇訪中は西側の対中制裁を打破する上で積極的な効果があり、
その意義は明らかに中日両国関係の範囲を超えていた。
日本の外務省はこの時の貸しをまだ回収していないし、
そもそも中国側は日本に借りができたとは思っていない。
外務省は貸しをつくるだけではなく、回収するのが仕事。いまだに職務を果たしていない。
自分の仕事である外交を天皇に外注しただけとは、昔ならその罪は万死に値する。

小和田恒と訪中
噂の真相1993年3月号
しかし、もっと決定的だったのは、天皇訪中とのカラミではないかといわれる。
宮内庁から小和田家に働きかけがあった昨年6~8月といえば、
まさに天皇訪中をめぐって自民党内部でも賛否両論が真っ二つにわれていた時期でもある。
そして訪中を最も積極的に進めていたのが外務省だったことはいうまでもない。
「外務省としては中国政府に約束手形を切っている以上、どうしても訪中を実現させる必要があった。
ところが、“お言葉”問題などをめぐって右派の抵抗が思いのほか強くかなり難航していたんです。
そんな状況で外務省が頼みの綱にしていたのは、天皇自身の意向だったんですね。
もちろん決定権が天皇にあるわけではありませんが、宮内庁に“天皇も行きたがっている”という
ムードをちらつかせてもらえば、少なくとも右派を黙らす材料にはなりますから」(外務省詰記者)
そして、この訪中問題の外務省側の責任者として天皇や宮内庁との折衝にあたっていたのが、
他ならぬ小和田次官だった。
「小和田さんは去年の7~8月にかけて訪中問題で宮内庁の藤森昭一長官、
そして天皇陛下にも10回近く会っている。
これはちょうど小和田さんがデートを応諾した時期とピッタリ重なるんですね」(外務省関係者)

ロシアン・ルーレットの罪
諸君!2008年7月号
岡崎久彦(外交評論家)
…それは一言で言えば、日本の天皇制は百年に一度使えば良いということである。
近代になって天皇制が政治制度として真にその役割を果たしたことは二度ある。
明治維新の時は、大政奉還と同時に王政復古の大号令が出された。
それがなければ日本は諸大名を二分する内戦となり、最悪の場合、
インドの藩王の間に争いに付け入った列強の収奪のような事態を招いた恐れさえあった。
終戦の時も陛下の御詔勅がなければ、軍国主義に徹した強力な将校団を持ち、
三百万の大兵を擁した日本軍がそのままおとなしく引き下がる情勢ではなかった。
つまり幕藩体制とか軍国主義体制とか、既存の体制の枠内では最早事態を収拾できなくなった難局において
天皇制がその効果を発揮し、国民を惨禍から救ったのである。
この、天皇制という他国に類例のない貴重な歴史的政治的財産を保護するためには、
天皇制は、国家国民の運命がかかるような時以外は、軽々しく使ってはいけない。
天皇制は、如何なるキズも受けず、代々無事平和裡に温存されて行けば良いのである。
特定の天皇に何ら特記すべき事績が無かったということは、日本国民が平和と安寧の中に過ごした証左である。
毀誉褒貶が伴うようなことは総理大臣がすれば良い。失敗した場合総理が責任を取れば良い。
責任内閣制はそのためにあるのである。
その意味で私は陛下のご訪中には反対だった。
天安門の後で世界から孤立した中国が突破口を見出そうとしたのが天皇ご訪中である。
もしその最中にチベットで弾圧でも起こって(今と同じくらい危険な状況だった)、
国際的非難の的になったら、行って良いのか悪いのか立ち往生してしまう。
そんな危険に皇室を曝してはいけない、と思ったのである。
結果は戒厳令に近い厳戒態勢の中でご訪中は無事終わった。
しかし、六連弾倉に一発だけ弾をこめたロシアン・ルーレットでも八割以上は安全である。
結果として安全だったとしても、皇室をロシアン・ルーレットの危険に曝した罪は許されるべきではない。

蹂躙される日本人
櫻井よしこ氏
週刊新潮2006年1月5・12日号
92年、中国は日本の領土である尖閣諸島を奪う意図で領海法を制定、尖閣諸島を中国領と宣言した。
そのときに、日本政府はなんと、天皇皇后両陛下の御訪中を実現させた。
領土を奪おうとする国になぜ友好親善の最高の切り札である両陛下の御訪中で応じるのか。
強い反対論が渦巻いたとき、御訪中は陛下の御意向だという情報が流され、反対論がおさえられた。
御訪中によって未来永劫、日中友好は担保されると政府は説明したにもかかわらず、
それから13年後の今日の現実はそうはなっていない。
“陛下の御意向”という天皇家の政治利用が、決して良い結果を生まないのは、
それが反対論潰しの便法にすぎないからだ。
論理や熱意やこの国への愛で論破する力がないために、
究極の政治力を使おうとする試みは心して排除しなければならない。

天皇訪中秘話
「車の速度下げて」と両陛下=上海総領事に三つの打診-92年の天皇訪中秘話
戦争という不幸な歴史が横たわる日中関係の大きな転換点となった1992年の天皇、皇后両陛下の訪中で、
両陛下が中国の人々との「心の触れ合い」を願い、
事前準備のため上海を訪れた手塚英臣侍従(当時)を通じて日本の蓮見義博上海総領事(同)に対し、
視察の車の減速など三つの要望を内々に打診されていたことが分かった。
両陛下の車に同乗した蓮見氏(80)が、20年以上経過したのを機に初めて取材に応じ、詳細を語った。

◇予想外の歓迎30万人
「両陛下は親善の実を上げたいと思っている。警備上の問題はあろうが、(上海市中心部を視察する際に)
両陛下が歓迎に心からお応えできるよう車のスピードを下げてほしい」。
蓮見氏によると、これが要望の一つだった。
中国では歴史問題に起因した反日感情も強いため、安全上の懸念もあって、
両陛下の車は国賓の慣例に基づき時速30キロ以上で走行する予定で、北京ではかなりのスピードで駆け抜けた。
上海でも同様となるはずだったが、両陛下の要望を受けた蓮見氏の対応により、
訪中最後の夜となった92年10月27日、車は時速10キロ以下の停車寸前まで減速。
沿道では30万人以上の市民が両陛下を歓迎する予想外の光景が見られた。
「(沿道に)市民を動員しないでほしい」。両陛下の意向として二つ目に打診されたのは、
真の触れ合いの気持ちを伝えるため、市民を組織する中国独特の歓迎方式を取らないことだった。
また、天皇陛下は招待側の黄菊上海市長(当時)と、皇后さまは市長夫人と、
それぞれ別の車に乗るのが外交儀礼だが、
「両陛下が一緒に乗り、総領事も陪乗(同乗)する形に変えてほしい」という三つ目の要望も特別に出された。
蓮見氏は同乗を求められたのは両陛下から信頼されているからだと感じ、「光栄な使命感」を強く意識した。
「両陛下はお二人で中国の人々に親善の気持ちを伝えたい考えが強く、
時速30キロ以上ではそれが実現できないのだと理解した」。
そう回想する蓮見氏は、誰にも相談せず徐行運転を決意。
前を進むパトカーからは無線で「早く来い。何をゆっくりしているんだ」と催促が入った。
「ゆっくりさせてください」と蓮見氏から両陛下の気持ちを伝えられた助手席の中国側護衛長も納得し、
徐行を続けた。
沿道には「日本の天皇が来る」と伝え聞いた市民が押し寄せ、笑顔で「歓迎、歓迎」と大合唱。
「笑顔の中に心からの歓迎の気持ちが表れていて大丈夫だと自信を持った」と蓮見氏は語る。
両陛下は一人一人に丁寧に手を振られ、最後には市民が車窓から50センチまで接近した。
車中の皇后さまは「ずいぶんたくさんの人ですね」と驚いた。

◇「笑顔もて」と歌に
「笑顔もて迎へられつつ上海の灯ともる街を車にて行く」。
天皇陛下は、ライトアップされた上海市内の繁華街・南京路を通った際のお気持ちを歌に詠んだ。
両陛下は訪中15周年の2007年12月、蓮見氏ら訪中に尽力した関係者を茶話会に招いた。
皇后さまはこう述べた。
「あの沿道で、親たちが抱え上げる小さい子供の笑顔が車窓近くに何人も見えたときには、
日本と全く変わらない歓迎の様子に、日本人かと思ったほどです。日本と中国はやはり同じ文化だと知りました」。
(2013/10/28-15:15)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201310/2013102800413

「私の中国訪問は良かったのか」 国際親善に触れ合いと葛藤 
産経新聞2017年1月3日
「私の中国訪問は良かったのか」 国際親善に触れ合いと葛藤 
象徴天皇として新しいスタイルを活発化される陛下。
だが、その思いとは別のところで、政治的に利用しようという勢力も忍び寄る。
平成4年の中国訪問をめぐっては、国内が賛否で二分された。
当時の宮澤喜一内閣は、石原信雄官房副長官の主導で官邸に識者を招き意見を聞いた。
天安門事件の3年後で、中国は欧州各国から制裁を受けていた時期。
当時の外務省の担当者によると、
中国側は「陛下に来てもらえれば、感情的なわだかまりは終わる」としきりに主張したという。
政府は結局、「中国を孤立させるのは正しくない」と訪中に踏み切った。
10月23日からの訪中では、両陛下は、いつも通り親善に努められた。
その中で、後に陛下が周囲に印象深く語られた場面があったという。
(中略)
だが後年、銭其元中国副首相は訪中について回顧録に「日本の天皇がこの次期に訪中したことは、
西側の対中制裁を打ち破る上で積極的な役割を果たすものだった」と記した。
「わだかまりは終わる」の言説はどこへやら、平成10年に国賓として来日した江沢民
国家主席は歓迎の宮中晩餐会で陛下を前に「痛ましい歴史の教訓を永遠にくみ取らなければならない」と述べた。
当時の関係者は「陛下は数年後、私の中国訪問は良かったのだろうか、と話されていた」と打ち明ける。
直接、晩餐会のことを言ったわけではないが、陛下は今も考え続けられているのだろうー。関係者はそう話した。