記憶する国母

諸君!2008年7月号
平成皇室二十年の光と影
「記憶する国母」美智子皇后の神秘なる痛覚
高橋紘・佐野眞一
両陛下が営々と築かれた「祈り」の皇室像。
皇太子夫妻はその蓄積を引き継げるのか

■変わらぬスタイル

佐野
今年は即位20周年の節目の年、ということなのですが、
天皇皇后が今のスタイルを貫いてこられたのは、20年間ではなく、計50年間なんです。
1959年のご成婚以後89年に即位されるまで、30年という長い間、皇太子同妃両殿下として公務を務められてきた。
それが現在、非常に良いかたちで出てきているのだと思います。
平たい言葉でいうと、〝オン・ザ・ジョブ・トレーニング〟の期間が30年間あったということですよ。…
たとえば戦争犠牲者の慰霊や、遺族をいたわることに積極的なのも、皇太子時代からずっと一貫している。

高橋
その姿勢のひとつのあらわれが沖縄訪問です。75年、当時の両殿下が初めて沖縄に行かれたとき、
私は宮内庁担当記者として同行取材しました。焼け付くような暑さでね。
まず「ひめゆるの塔」を参拝されたところで、例の火炎瓶事件が起きたわけです。
過激派によって投げられた火炎瓶は両殿下の足下で燃え上がったのですが、
私も三メートルと離れていないところにいました。

佐野
当時と現在とでは、沖縄県民の天皇に対する反発意識も全然違うんですよね。
77年、『世界』4月号に「天皇の沖縄メッセージ」が紹介された直後、私は取材で沖縄にいた。
この文書は終戦後、米軍が沖縄占領を続けることを昭和天皇が望まれ、その意思を側近がGHQに伝えた、
といいう内容でした。夜、私は酒場で沖縄県警の連中が、怒りと悲しみのはけ口を求めて、
泡盛を痛飲して、両腕を振り上げる〝カチャーシー〟の振りで踊り狂っていたのを見た。
今の沖縄県民の天皇皇后への歓迎ムードを見ると、
八回に及ぶ沖縄訪問が、いかに県民感情をときほくしたかがわかります。

高橋
私も沖縄は好きで、よく行くのですが、現地で聞いてみると、
やはり昭和天皇は戦争責任をとるべきだという人が多い。
だけど一方で、いまの両陛下は沖縄について非常に深く理解してくれている、という人は大勢いるんです。

佐野
誠実な姿勢が沖縄県民の胸を打ったと言えるでしょう。
真面目といえば87年に名代として沖縄国体を訪れた際から、
『琉球新報』と『沖縄タイムズ』を定期購読しはじめたのだそうですよ。
…メッキじゃないんですよ。本質的なところで心を寄せておられるわけですよね。

高橋
今上陛下の琉歌碑が沖縄県伊江島にありますね。
沖縄戦の際、伊江島では、島民の二人に一人が亡くなったとされ、
天皇に対する複雑な感情は戦後も長らく、色濃く残った。
その伊江島に「皇太子殿下、皇太子妃殿下御来村記念碑」があり、
その隣に「広がゆる畑立ちゆる城山肝乃志のはらぬ戦世乃事」という琉歌が刻まれた碑がある。
いずれも今日まで何か危害を加えられたという話を聞きません。
それはまさに沖縄が皇室と和解したことを意味するんじゃないかと思うんです。
78年6月の沖縄戦終結の日には、「(昭和)天皇陛下」「皇后陛下」の花輪が初めて飾られたし、
82年には皇居・桃華楽堂で琉歌や沖縄の民謡が昭和天皇に披露されました。
87年の沖縄国体を訪問されることが決まっていたのですが、
直前に昭和天皇が病に倒れられ、断念せざるを得なかった。
昭和天皇は、その無念を「思はざる病となりぬ沖縄をたづねて果さむつとめありしを」という歌に託しています。

佐野
今上天皇、皇后の慰霊の旅は沖縄ばかりではない。終戦50年の95年には
長崎、広島、沖縄、東京都慰霊堂を訪問、その前年には硫黄島を訪問しています。
そして2005年、終戦60年にあたって、サイパンへ慰霊の旅に出かけたのは大きな出来事だった。
あれも突然の思いつきではなく、長い間の思いがあってのことです。

高橋
つまり昭和天皇の〝負の遺産〟の清算ですよね。
サイパン訪問の前年には、太平洋戦争で激戦地となったパラオなど三カ国を訪問する計画がありましたが、
前立腺がんの摘出手術を受けたばかりの陛下のご体調や、現地での交通や警備での問題で見送られています。
しかし当時、宮内庁幹部に聞くと、「それでも陛下は非常に強い思いをお持ちです」と言うわけですよ。
実際、その翌年にはサイパン訪問を実現された。まさに強い意思を感じます。

佐野
天皇はサイパンについて、並々ならぬ思いがあったわけです。
というのも、1944年7月7日、開戦2年7ヵ月にしてサイパンは陥落、空襲の危険が高まったため、
当時、皇太子だった明仁親王は沼津御用邸から日光へ疎開している。
東京へ帰ってみると、お召し列車が着いた原宿駅の周辺はいちめんの焼け野原だった。
その原体験はとても大きいと思う。繰り返し言っておられますが、82年の記者会見でも、
「東京に戻ってきた時、まずびっくりしたのは何もないということですね。建物が全然ない、原宿の駅に。
まわりに何もなかった。これが一番印象に残っています」と述べられています。

高橋
太平洋戦争末期の四つの日付を挙げ、「日本では、どうしても記憶しなければならないこと」がある、
とした有名な発言も、皇太子時代のものです。
8月15日の終戦記念日、広島、長崎の原爆の日(8月6、9日)、
そして沖縄戦終結の6月23日を両陛下は〝お慎みの日〟とし、外出を控え、お住まいで黙禱を捧げます。
たとえ公務で海外にいても、必ず黙禱される。慰霊式典が始まり、日本全国で国民が黙禱する時刻、
両陛下は世界中どこにいても一緒に黙禱なさっているわけです。

佐野
やはり、〝オン・ザ・ジョブ・トレーニング〟の成果だと思います。その積み重ねがあるから、
天皇皇后が戦争犠牲者に対して、絶対的に心を寄せられていることを、今では誰も疑わない。


■〝平成流〟を創られた

高橋
戦争犠牲者や遺族だけでなく、両陛下は常に、
「国民とのよりよい出会いをつくる」、「国民に尽くす」ことを念頭に置かれている。
即位後十五年で全国四十七都道府県をすべてお訪ねになったいるのが、まさにその表れです。
また、雲仙普賢岳の噴火、北海道南西沖地震、阪神・淡路大震災、新潟中越地震など、
とくに苦しい状況にある人やそれを乗り越えようと努力している人、
身障者や高齢者を励ましたい、というお気持ちを強く感じます。

佐野
四十年以上続く「身障者スポーツ大会」へのご臨席がまさにそうですね。
64年の東京オリンピックの後に開かれた国際身障者スポーツ大会の名誉総裁を務め、
「このような大会を国内でも毎年行ってもらいたい」と希望を述べられたことが後押しとなって、
翌年の岐阜国体からこの大会が始まったわけです。
…美智子さまは記憶力が非常に優れていて、選手一人ひとりの名前をよく覚えているそうですよ。

高橋
もう一つ、青年海外協力隊を社会的に認知される前から応援してこられた。
はじめは65年12月にラオス、カンボジアへ派遣されるたった9人を見送ることから始まったのが、
30年後には年間千名以上が派遣されるほどまでに大きく育った。
こういう地味なところで人知れず頑張っている日本人にこそ心を寄せる、というのが、〝平成流〟なんです。

佐野
こういう二人だからこそ、民主主義と天皇制という、本来、水と油のような、
背反する性格のシステムを無理なく同居させることができているのだと思います。…
まさに天皇皇后のキャラクタ―とビベイビアが水と油を混合させているんです。
たとえば2004年の園遊会の席で、棋士で東京都教育委員(当時)の米長邦雄氏が、
「日本中の学校で国旗を掲げ、国家を斉唱させることが私の仕事でございます」と言上したとき、
「強制になるということでないことが望ましい」というひと言を返された。これはたいへんな力ですよ。
そもそも国旗掲揚・国家斉唱のように鋭い対立をはらんでいる問題を、園遊会の場に持ち出すこと自体が
相応しくないとは思うけれど、それに対して、普段から政治的発言を控えられている天皇が、
答えに窮することなく、極めて妥当な返答をなさったところがすごい。
ギリギリの隘路の中で、ものすごく一生懸命、務められているのだと感じます。

高橋
結局、日本人にもいろいろな考えを持つ人がいて、それぞれの考えに思いを馳せて、
象徴としてのご自分の道を創ってこられたのだろうと思いますね。


■若者〝何か〟を感じる

佐野
「皇室離れ」が言われて久しいけれども、代替わりがあった89年当時から、
当時の若い世代、現・皇太子の同世代も含めて、皇室に無関心な層の拡大は指摘されていたんです、
しかし、戦争も知らなければ、戦後も知らない若い世代でも、いまの天皇皇后には〝何か〟を感じる。
だから、どこに行幸啓があっても、沿道には人がたくさん集まる。そこは世代論じゃないと私は思うんです。
一方、皇太子ご夫妻がそうした世代を超えた共感を得ているかというと、そうは思えない。
いや、同世代からの共感すら得ていないのではないか…。

高橋
お気の毒だと思うのは、いま皇室は〝丸裸〟なんですよ。
つまり、天皇制を維持しているのは、天皇皇后両陛下だけで、周りを取り囲むいわゆる藩屏がいない。
一時、皇位継承問題について政治家や学者がいろいろと騒いだけれど、
本当に皇室のことを考えて言っているのか、という疑いが私にはある。
悠仁さまの誕生をきっかけに結局、この問題は沙汰やみになったが、本当は何も解決していないんです。
たとえば先日、陛下と愛子さまとの面会回数について苦言を呈した羽毛田信吾宮内庁長官に対して、
「臣下が何を言う」と言わんばかりの批判が噴出しました。
しかし、本来、官僚でしかない長官があそこまで言わなければならないのは、いかにも辛いですよ。
宮内庁の参与制度がうまく機能せず、両陛下を支える人物が長官や侍従長しかいないのが現状なのです。…
体調面で問題を抱える陛下が、ひたすら懸命になって務められている、その一点で平成の皇室は成り立っているんです。

佐野
そして残念ながら、次世代である皇太子ご夫妻には、
いまの天皇皇后のようなキャラクターもビヘイビアもままだ感じられない。
たとえば災害などで自分や自分の家族が亡くなっても、
いまの天皇皇后ならば、きっと祈りを捧げてくださるだろうという確信がありますが…。

高橋
それが大事なんですよ。国民の見えないところで幸せを祈ってくれている。
皇太子妃時代、美智子さまは鈴木菊男東宮大夫(当時)に、こう述べられた。
「ある事態が起きたとき、最上の解決法を決めるのは『国の叡智』だが、
皇室の役目は『善かれかし』と祈り続けることではないか」と。

佐野
そういったエピソードに「国母」としての皇后美智子さまを感じます。
ある宮内庁関係者から聞いたのですが、美智子さまという人は、たとえば震災などで被災地を訪問されると、
本当に身体に痛みを感じられるらしい。そういう感性の持ち主なのだそうですよ。

高橋
美智子さまの皇太子妃時代の歌で、「幾光年太古の光いまさして地球は春をととのふる大地」というのがあります。
これは外国から飛行機で帰ってきて、日本列島が弓なりに光輝いているときの情景を歌ったものだったと思いますが、
まさに国母の歌なんですよ。

佐野
美智子さまは本当にスケールの大きい歌を詠まれますよね。時代とか風景と交歓するセンスが抜群に素晴らしい。
並外れていると思います。この4月初旬、群馬県への行幸啓を、私は現地で取材したのですが、
立ち寄られた館林市役所で皇后と疎開生活を共にした館林南国民学校(現・館林市立第二小学校)の
同窓生約20名との懇談会が開かれた。ところが、そのことについては全く発表されない。
さらにそこから程近い皇后の本家の正田邸に立ち寄られるというのも、直前になって突然発表された。
どうも釈然としないので、後日、宮内庁高官に聞いて、やっと得心がいった。
その日は、多くの日系ブラジル人が住む群馬県太田市や大泉町を訪問するの主たる公務だったわけで。
懇親会や里帰りが大きく報じられると日系ブラジル人たちを訪問したことが薄れてしまう。
そのことへの配慮だったというのです。今年はブラジル移民百周年にあたり、海外に住む
日系人への思いも深めておられる。やはり、自分のことよりも先に、国民のことを考えて下さる、
優しさと大らかさを持った、「国母陛下」なのだという思いを新たにしましたね。

高橋
一方、東宮にはそういった印象がない。とにかく娘の愛子さまのことばかりを考えているように見えてしまう。
たとえば皇太子が誕生日会見で、「水道の水を出しっぱなしにして愛子に注意されました」と発言したり、
雅子妃が「子育てと公務の両立」といったりするのを聞いて、たとえば子供を持てなかった人たちには
その言葉がどう響くのか、おわかりなのかなと心配になります。

佐野
たしかに今のところ雅子妃に国母のイメージは湧きません。
それに皇太子の発言からも、危機感のようなものは伝わってきませんね。

高橋
雅子さまが歌会始で詠まれているのも、愛子さまのことばかりです。

佐野
でも、雅子さまの治療を優先することに、国民は一定の理解を示していると思います。…
しかし、たとえば05年の終戦記念日。
静養先でテニスをなさったりする皇太子夫妻の感覚をどう受け止めればいいのか。
50年間、火炎瓶を投げつけられたりしながら、平和を祈りつづけてきた天皇皇后の思いの深さとは、
相当な隔たりを感じざるを得ません。


■雅子妃の祈りは

佐野
祈りといえば、四代の近代天皇のなかで、いまの天皇ほど宮中祭祀を熱心になさる方はいないそうですね。
もっとも重要な祭祀といわれる新嘗祭には皇后は参加できませんが、その間、美智子さまは全国から
五穀豊穣への感謝の意味で寄進された米や酒の銘柄を、すべて短冊に書き写すのだそうです。
常に天皇とともに祈る、という姿勢なのです。

高橋
雅子妃はいま、宮中祭祀を完全に休んでおられていて、今後、皇后になられたとして、
祭祀を続けられるかどうか、正直不安なところがある。
もちろん、宮中祭祀の形式よりも真心が大事だという人もいるのでしょうが、
象徴天皇制の中では、真心は当然として、国民に対してどんな「かたち」を見せるか、
それこそが重要なのだと思います。

佐野
私流に言えば、もしかしたら次の天皇皇后は、ほとんど〝オン・ザ・ジョブ・トレーニング〟をしないまま、
即位するということになるかもしれないわけです。
雅子妃の完全復帰がいつになるのか全くわからないし、まだ相当先になるような印象がある。

高橋
明治初頭には、天皇は軍隊と政治、皇后は文化と学問といった仕事の棲み分けがあったものの、
明治23年の憲法発布のとき、すでに両陛下は同じ馬車に乗って登場されているわけです。
天皇皇后の役割は時代と共にうつり変わっても、二人三脚はずっと同じなんです。

佐野
地震被災地の見舞いにしても、二人で現地に姿を見せるからこそ尊い。
天皇がが横におられて、美智子さまが跪いたり、抱擁したりするからこそ、全国に感動が広がるわけですよ。

高橋
6月に皇太子は単独でブラジル訪問をする予定ですが、ちょっと切ない感じがしますよね。
雅子妃と一緒に登場するのは、大体、スキー静養とか、愛子さまの運動会とか、プライベートのお出ましばかりで…。

佐野
93年に皇太子が雅子妃と結婚して、ちょうど十年経った03年末に長期静養に入った。それからもう4年半になる。
私が取材した印象では、皇室ファンのご婦人たちの中には、
かつて〝雅子妃フリーク〟が多かったのですが、その熱もだいぶ冷めてしまった。

高橋
わからないのは、雅子妃の治療方針です。私は何人かの精神科医の話を聞いていますが、要するに
「リラックスできる環境で、本人がやりたいことをやらせてあげて、充実感や達成感を得て、元気になってもらう」
という治療法なんです。小さな自己実現を少しずつ積み重ねて、本来の自信を取り戻す、と。
このやり方が現代の精神医学界では主流らしいですが、治療をしているのは一般人ではなく、皇太子妃なのです。
やり方が少し違うのではないか、と私などは思ってしまう。
東宮御所に一人娘を残して銀座の三つ星レストランで深夜まで食事をしたり、
ただでさえ大混雑の東京ディズニーランドに遊びに行ったり、そういったことが続くと、
国民の心が離れるのも無理からぬことです。しかも、そういったプライベートな部分から浮かびあがるのは、
雅子妃が本当に望んでいる幸せは、極めて個人的なものなのではないか、という疑いです。


■天皇制ならぬ〝雅子妃制〟

佐野
最近取材した、ある政府高官もこういっていましたよ。
「佐野さんもお気づきだと思いますが、あの治療の論理を突き詰めれば、
天皇制ならぬ〝雅子妃制〟を敷くということですよ」と。

高橋
私は病状や治療法の説明をもっとすべきだと思うんです。理解されにくい病気だから、と
国民への説明をせずに秘密主義でやっているのは、むしろ国民への不信と映る。
たとえば、リハビリ的な公務だって、説明さえ十分にあれば、国民の受け止め方も変わる。…
東宮職や担当医に「あなたが治療をしているのは、一般の人ではなく、皇太子妃なのでだ」と申し上げたい。

佐野
雅子妃と大正天皇を一緒にするわけにはいかないけれど、大正天皇の病状というのは、当時の新聞にも
「脳病が相当重い」などと、かなりはっきり書かれています。
それで近代天皇制の中で、初めて摂政制を敷いたわけでしょう。説明が重要なんですよ。

高橋
後日談ですが、胡錦濤主席歓迎の宮中晩餐を欠席した翌日には学習院初等科の父母会に出られていたそうです。
このあたりの説明というのも、ぜひ東宮職にしてもらいたいですね。

佐野
ただね、皇太子夫妻に対して同情的な思いもあるんです。
つまり、あれだけ誠実で聡明な天皇皇后の次の代として、新たにできることがもうないのではないかと。
…みんなが勝手放題する中で、見えない国民の前に跪いたり、戦没者をお参りしたり、
天皇皇后は本当に地道に突き進んでおられると思うが、
この先、次代の天皇が何か新しい象徴天皇のかたちをつくり出せるかというと、非常に難しい。

高橋
戦争犠牲者の慰霊だって平成の代だけで終わるわけではない。というより、徐々に薄れゆく戦争の記憶を、
後世に伝えていくためにも、さらに積極的にやらなければならないのではないでしょうか。
皇太子は「時代に即した公務の内容を考えていく必要がある」と言うのですが…。

佐野
たしかに、発言のわりには、具体的な新しい取り組みは見えてきませんね。

高橋
象徴天皇制は続くのだと思います。でも、かたちは変わるでしょう。
新しい時代に、天皇の本質を変えずに、いまの皇太子ご夫妻がどんなかたちを見せてくれるのか。
いまのところ、あまり明るい材料はない。
支える者がいない〝丸裸の皇室〟をどうするのか。だけど、皇太子には両陛下の…。

佐野
血が流れている。

高橋
そうです。やはり伝わっているものはあると信じています。
たとえば歴代天皇の式年祭は厳格に行われていて、祭祀の前には、その天皇のご事績について学者が
ご進講をします。いわば天皇家は〝万世一系の記憶装置〟なのです。
さらに言えば、皇太子は大学時代、陛下と一緒に帝王学の一環として、歴代天皇の精神を学ばれたこともありました。

佐野
どちらにせよ、次の時代に、象徴天皇のかたちはいまとは相当違ったものになっているでしょう。
今は定かに見えないけれど、皇太子に受け継がれているDNA、いまの天皇皇后のスピリットに期待したいですね。