神戸 水仙

国柄探訪:国民の幸を願われ20年
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h21/jog581.html


3.希望の象徴

大震災直後に、陛下は次のような御製を詠まれている。

 なゐ(地震)をのがれ戸外に過ごす人々に雨降るさまを見るは悲しき

一刻も早く被災地をお見舞いされたいと思われたのであろう、
2週間後に両陛下はヘリコプターで現地入りされた。
その時のことを被災地の人々は座談会で次のように思い起こしている。


中山 バスが一台来まして、警察の方がたくさん立っておられましたので、
どうなさったんですか?って聞いたら、今、天皇皇后両陛下がお越しいただいていますと。
それでちょうどアーケードの焼けたところで皇后陛下が水仙の花を持ってそうっと手向けてくださっているんですよ。
そこで手を合わされていました、あの時は、わぁーとこう心に伝わるものがあってね。
いやこれは頑張らねばあかんねっていう気持ちをもったのが、私、今だにわすれられませんわ。
・・・

小畑 後に皇居で秋篠宮妃殿下にお会いした時に、
「あれはお堀の側の水仙を摘んで持って行かれたんですよ」ってお聞きしたのです。
自ら摘んで持ってきていただいたということでまた感動でした。


6.「笑み交わしやがて涙のわきいづる」

平成17年1月、両陛下は「阪神淡路大震災10周年の集い」を機に、三度目の被災地お見舞いをされた。
前述の座談会ではこの時のことも話題に上っている。


戸田 みな水仙を持って、両陛下のお車がお通りになる沿道でお待ちしていました。
やがて、先導車が来られたんで、われわれぱーっと水仙を高く掲げて振りましたら、
普通ならそのまま真っ直進んでいくはずだったお車が私らの方にまで近づいて目の前でゆっくり進めれたのです。   

池内 天皇陛下が奥で皇后陛下が手前でしたが、寄り添って覗くように水仙をご覧いただきましたので、
われわれもそれにお答えして。 

中山 もう一生懸命水仙の花が折れるくらいお振りしました。
後で見たら、水仙折れてました。一生懸命やったのでしょうね。


皇后様は翌年の歌会始で次の御歌を発表された。

 笑み交わしやがて涙のわきいづる復興なりし街を行きつつ

この御歌に関して、

戸田 これは私らの勝手な予想なんやけど、先ほどの中央区の沿道で水仙でお迎えした私らの前を
ゆっくり車でお通りになったときの歌ちゃうか、と思うたくらいな感動を受けたんですよ。

小畑 皆この御歌がスラスラっ言えますからねぇ。
そんだけこう心の中にずっとしまっていますわ。大事にしてますよ。

神戸市長田区では水仙が復興のシンボルとされ、
水仙をあしらった照明灯をつけたコミュニティー道路(スイセン通り)、
そして約千本の水仙を植えた公園が設けられた。

この皇后様の御歌の歌碑が神戸市役所の南の東遊園地に建立された。
縦1メートル、横2.4メートルの黒御影石に刻まれたもので、
この御歌に感動した生田神社宮司・加藤隆久氏が中心となり、賛助金も瞬く間に集まって完成したのである。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

諸君!2008年7月号

“すいせん通り”の由来 貝原俊民 (前兵庫県知事)
…このときの状況について、当時の北淡町長長小久保正雄氏は、手記の中で次のように記述している。
「本当に見事に絵でも見るように、お二人のお見舞いは、バラバラになりかかっていた人々の心を和らげ、
再び一つにし、すさみかかっていた人々の気持ちを元の優しい気持ちに戻してしまわれたのであった。
『天皇陛下と美智子様が北淡町へ来られた!』この事実だけで人々は地震以来の苦労を忘れ、再び前向きに
生きて行こう、という勇気を与えられたかに思えてならなかった。
この情景はどの避難所でも同じだった。
…いま地球規模で多くの課題が山積みしているが、われわれは国民の総意として、
平和を愛する人類社会の公正と信義に信頼して、人間尊重を希求する国際社会において
名誉ある地位を占める意思を憲法に明記し、天皇はその象徴であることを規定している。
このことは、天皇が人類社会の“善”となることを宣言したものであり、
平成皇室はそのため真摯に御務めをされていると思う。
大震災以降、天皇陛下を中心に懸命に続けられらた皇室の被災者に対するご激励は、激励以外の何ものでもない
“善”であるが故に、全ての被災者がその大きな温かさに包まれて復興への営みが続いたように思う。
大震災の極限状況において、われわれはそのことを実感したのである。