天皇陛下 卓球

(皇室トリビア)天皇陛下、卓球の腕前を披露
宮内庁担当・島康彦
2015年10月22日11時15分

「ちょっと、やりましょうか」。卓球の練習を見守っていた天皇陛下が、ラケットを手に卓球台に向かいました。
予定になかった「飛び入り」参戦に、居合わせた人たちからどよめきがあがりました。
相手は、パラリンピックを目指している宿野部拓海(しゅくのべ・たくみ)選手(23)。
海外の大会で優勝経験のある実力者です。
天皇陛下はスーツの上着を着たまま、宿野部選手と向き合いました。
宿野部選手の球を、天皇陛下は着実に打ち返していきます。
山なりの球ではなく、低い弾道で速い球のラリーが続きました。
2球目、3球目……。天皇陛下は無駄な動きをせず、どっしりと構えて、相手の球を確実に打ち返すスタイル。
真剣な表情の天皇陛下に、宿野部選手もこたえるように激しい球を返します。
卓球台のすぐ横で見守っていた皇后さまは、楽しげに笑みを浮かべ、脇にそれた球を拾う場面も。
計7球にわたった試合が終わると、会場から大きな拍手があがりました。
10月4日。大分県別府市にある社会福祉法人「太陽の家」での一コマです。
この施設は半世紀にわたり、障害者の就労を支援してきました。
長年にわたり心を寄せてきた天皇、皇后両陛下は、施設の創立50周年記念式典の節目に、ぜひ訪問したいと希望。
施設で働きながら、パラリンピック出場を目指す選手たちの練習を見て回ったわけです。
「やりましょうか」。天皇陛下は、宿野部選手の練習相手だった男性にも声をかけ、再び卓球台に向かいました。
先ほどにも増して、激しいラリーが続きます。今回も試合は計7球行われ、最後の1球は長いラリーの応酬。
天皇陛下が得点すると、皇后さまはうれしそうに拍手を送っていました。
80歳を超えているとは思えないラケットさばき。汗もかかず、息があがった様子もありません。
20代~40代が大半の報道陣からは「とても勝てそうにない」と驚きの声があがったほどでした。

実際、天皇陛下の卓球の腕前はどうだったのでしょう。
宿野部選手によると、天皇陛下はフォームがきれいで、球に角度があったそうです。
「お上手でした。ラケットを持たれた時は真剣で、ボールをとってやるという卓球でした」と話していました。
実は、天皇陛下は古くから卓球に親しんできました。
学習院中等科1年生だった1946年12月、東京・小金井にあった寄宿舎で卓球をする写真があります。
テニスや乗馬などスポーツを楽しむ中で、卓球は長くプレーされていたようで、
85年11月には、鳥取県のろう学校を訪れた際、練習中の生徒を相手に卓球を楽しみました。
今回と同様、飛び入りでの参加だったようです。現在は皇后さまとテニスをプレーすることが多いですが、
雨の日などに皇居内で卓球をすることもあると聞きました。

太陽の家の創始者、故・中村裕さんは「障害者スポーツの父」と呼ばれています。
障害者は表には出ず、家で生活することが多かった時代に、中村さんは「保護より機会を」の理念を掲げ、
障害者の働く場の確保に努めました。また、障害者の自立にはスポーツが必要と訴え、
1964年の東京パラリンピックを提唱。日本選手団長を務めました。
東京パラリンピックの開催に向けては、皇太子ご夫妻時代の両陛下も実現にむけて関係者を励まし続けました。
中村さんや選手をお住まいの東宮御所に招き、ここでも天皇陛下が選手と卓球をする場面もありました。
62年8月、ロンドンで開かれた第10回身体障害者オリンピックに出場した卓球の伊藤工、
吉田勝也両選手の訪問を受け、プレーの実演を観戦した写真も残っています。
大会で天皇陛下は名誉総裁を務め、皇后さまとともにたびたび競技会場を訪れました。
この大会では、皇后さまも開催を後押ししました。大会には各国からたくさんの選手団が来日しましたが、
五輪ほどの予算がなく、通訳や介助を担う人たちの確保が懸案でした。そこで、ボランティアで担う案が浮上。
皇后さまと旧知の関係だった日本赤十字社青少年課長の橋本祐子さん(故人)が奔走し、
後の語学奉仕団となる「通訳奉仕団」を結成しました。
「東京パラリンピックが若い工夫と、温かい心のゆきわたった大会になりますよう祈っております」。
奉仕団の結成式で、皇后さまはあいさつでそう呼びかけました。
関係者によると、皇后さまは通訳の勉強会にも出席したそうです。

東京パラリンピックが終わった後、両陛下は東宮御所に関係者を招き、こう語ったといいます。
「身体障害者の方々に大きな光明を与えたことと思います。このような大会を国内でも毎年行ってもらいたい」。
大会の運営委員会会長(当時)はその場で「今後、毎年国体のあとを追いかけて開催したい」と返答。
このやりとりが、翌1965年、岐阜県で「全国身体障害者スポーツ大会」の
全国大会開催につながったといわれています。
両陛下は毎年、この大会の開会式に出席。競技会場を回り、選手をねぎらってきました。
即位後の90年以降は皇太子さまに引き継いでいますが、
その後も世界大会で活躍した選手たちを皇居・宮殿での茶会に招いてきました。
関係者は「障害者スポーツがここまで発展したのは、天皇陛下の提案があったからだと思う。
大会は選手たちの生きがいにもなっています」と話していました。
宮内庁幹部によると、障害者スポーツに長年心を寄せてきた両陛下にとって、
太陽の家の創立50周年式典への出席は、ぜひ出席しなければと心に決めていたといいます。
パラリンピックは以前はオリンピックに次ぐものという位置づけでしたが、
今では、東京オリンピック・パラリンピックと併記されるまでに広く知れ渡ったと、
天皇陛下は周囲に話していたそうです。
(宮内庁担当・島康彦)
http:// www.asahi.com/articles/ASHB9513CHB9UTIL032.html


週刊文春 2016年9月1日号
お気持ち表明8日後天皇が悠仁さまと卓球熱戦1時間
「秋篠宮ご一家は8月8日午後三時に放送された天皇陛下のお気持ち表明を、
ご家族揃ってご覧になったそうです」(秋篠宮家関係者)
秋篠宮家のプリンス・悠仁さまは夏休み真っ只中だ。
「8月3日から5日、悠仁さまと秋篠宮ご夫妻が新潟県津南町にご旅行されました。
苗場山麓ジオパークで『ポケモンGO』さながら、ミヤマクワガタやヤゴなど、
悠仁さまが集められたい形態と種類の昆虫を熱心に採集されたそうです」(皇室担当記者)
縄文時代の遺跡が点在する津南町では縄文土器の発掘作業などを体験された。
「粘土採取のため、悠仁さまは胴長を着て腰あたりまで川に浸かり
『僕はこんなのいつも入っているんだよ!』と元気におっしゃる。
紀子さまが『私も行きます』と続かれたので少し心配したのですが、
秋篠宮さまが『(紀子さまは)山岳部だから大丈夫、大丈夫』と明るく応じられました」
(案内した津南町の職員)
その後、東京に戻られた悠仁さまは、頻繁に天皇とお会いになっている。
「8月14日、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまが御所で両陛下とご昼餐を共にされています。
皇太子ご一家が須崎でのご静養に入られた16日にも、
秋篠宮ご夫妻が御所でご昼餐をご一緒されました」(千代田関係者)
ご昼餐が終わる頃、悠仁さまも皇居を訪れられた。
「いらした先は旧窓明館です。古くは勤労奉仕団などが食事や休憩に使った場所に、
今は卓球台かせ保管されています。
悠仁さまはここで一足早く卓球を始められ、紀子さまは宮邸に戻った後、
再び旧窓明館にお出でになりました」(同前)
驚くことに、遅れて天皇も合流されたのだという。
「陛下はご自分でインテグラを運転され、旧窓明館にいらっしゃいました。
一時間ほど悠仁さまと過ごされたのですが、体育館のような雰囲気の多目的ホールで、
お二人は卓球をプレーされたのです。なかなかいい勝負だったと聞いています」(同前)
天皇皇后は雨でテニスができない休日、ときに卓球を楽しまれる。
昨年10月に大分県の社会福祉施設「太陽の家」を訪問された際には、
天皇が卓球選手のラリーに飛び入り参加された。「『ちょっと、やりましょうか』とおっしゃり、
何球かラリーを続けました。ラケットを持たれた表情は真剣そのもので
軌道が低く速いボールを正確に打ち返されました(宿野部拓海選手)
天皇のテニスは粘り強く打ち返されるプレースタイルといわれるが、卓球はややアグレッシブだという。
「陛下はペンホルダーをお使いで、ショートカットがお得意。
ネット近くで目まぐるしく打ち合われ、得点を重ねられる。
時に強烈なスマッシュを打ち込まれることもあります」(元側近)
実は、秋篠宮さまも卓球はかなりの腕前とも。
「東宮御所で拝見した大学生の頃の秋篠宮殿下の卓球スタイルは、
実際の試合さながらに次々とボールに回転をかけられ、技巧的なプレーでした」(元宮内庁職員・山下晋司氏)
ベテラン皇室担当記者が振り返る。
「天皇陛下は学習院中等科時代から卓球に親しまれていました。
ひょっとすると陛下はご自身の幼い頃の経験を悠仁さまと共有することで何かを伝えたいとお考えなのかも知れません。
葉山御用邸で、昭和天皇が愛用された和船に悠仁さまを乗せ、
自ら櫓を漕がれたり、陛下のなさりようから、悠仁さまが学ばれることは多いはずです」
9月6日に十歳の誕生日を迎えられる悠仁さま。これも大事な帝王教育である。