天皇皇后両陛下の「主治医」として

文藝春秋2012年8月号
前皇室医務主管独占インタビュー
天皇皇后両陛下の「主治医」として
(金澤一郎×聞き手岩井克己)

(略)
―金澤先生は、平成五年十月に皇后陛下の主治医になられてから、この六月一日付で退官されるまで、
実に十八年八カ月もの間、皇室のホームドクターとして務めて来られました。
先生はもともとは東京大学医学部の教授でいらしたわけですが、まずは皇室と関わるきっかけからお伺いします。
平成五年十月二十日、皇后陛下のお誕生日行事が進んでいるはずだった正午過ぎに、
突然宮内庁が緊急会見を開いて「皇后陛下がお倒れになりました」と発表しました。
先生はその日に初めて皇后陛下にお会いになったのですね。

金澤
お誕生日当日の、午後四時頃だったでしょうか。
当時の侍医長だった池永達雄先生からお電話を頂戴してすぐ来るように言われました。
驚きながらも、急いで御所に向かったのを覚えています。当時、皇后さまが置かれた状態は、
いわゆるバッシング報道が続き、大変にストレスフルな状態でいらっしゃった。
それにあるきっかけが加わってお声を失われた。皇后陛下を拝見して一目で、
これは何かあれば、何でも起こりうるような、ギリギリの状態でいらっしゃると思いました。

―失声症でしたね。

金澤
異常が見られたのは、声をお出しになることができないというただ一点だけでした。
麻痺もなく、反射も正常。いろいろな点から見て、器質的には異常は見つかりませんでした。
ですから公には「ストレスに対する反応」と説明したわけですが、なかなか周囲には理解していただけなくて、
脳卒中だとか、失語症ではないかと言われ、誤解が広まっていまいました。
新聞記事のコメントで、先輩や仲間の医師に「これは失語症だ」と解説されてしまった時には参りました。
こちらはじっと耐えて、顔は一切出しませんでしたが、名前を入れて、コメントを出し続けました。
さまざまな憶測を打ち消すためにも、
こういう人間がきちんと診ていると言い続けなくてはいけないとその時に学びました。
(略)

―金澤先生の名前で出された病状発表の中には、「長年にわたる深い悲しみ」という言葉がありました。
御代が昭和から平成へと遷るとき、皇室のありようは少なからず変わる。
皇后陛下に対するバッシングもその変化に対する抵抗感の表れだと私は見ていましたが。

金澤
それはその通りかもしれませんね。当時、定期的ではありませんでしたが、高い頻度でお目にかかる中で、
週刊誌や単行本におけるバッシングについて、
きちんとした反論ができない悲しみが非常に深いようにお見受けしました。
ああいうお立場ではすぐに反論できません。当時の皇后陛下の状況は、いわば「打たれっぱなし」。
周りの人間の対応が不十分なところもあったのだと思います。
当時は、天皇皇后両陛下を紀宮さまが一生懸命お支えになっているというご様子でした。

―たしかにお誕生日の前日、皇后陛下は「事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます。
幾つかの事例についてだけでも、関係者の説明がなされ、
人々の納得を得られれば幸せに思います」と感想を発表されています。
倒れられたのはその直後のことでした。

金澤
そうですね。それが、お悩みの末に選ばれたお言葉だったのではないでしょうか。
(略)

―金澤先生が皇后陛下の主治医になられてから、少しずつ皇室の医療の在り様が変わってきたように思います。
昭和天皇の時代には、宮内庁病院以外の病院を利用することはありませんでしたが、
最近は天皇陛下の心臓バイパス手術のように、東大病院を利用されることが普通になり、
順天堂大学の天野篤教授のように外科の専門医が招かれて執刀するようにもなりました。
宮内庁病院ではない病院に入院されたのは、平成九年、ブラジルから帰国された皇后陛下が
帯状疱疹で東京逓信病院に緊急入院されたのが最初でしたね。

金澤
あの時は、左の肩から上肢にかけて帯状疱疹が見られました。
それだけであれば点滴、そのほかの治療で済みますが、
ちょっと心配だったのは、頭痛と三十八度を超える発熱が見られたことです。
帯状疱疹ヴィールスによる髄膜炎などの可能性もありうる。
経過をきちんと拝見する必要があると思い、ご入院をお願いしたんです。

―なぜ宮内庁病院ではなかったのですか。

金澤
たまたま、宮内庁病院が改築中でご入院いただけない状態だったのですが、
正直に申し上げると「これは千載一遇のチャンスだ」とも思いました。
両陛下に外の病院にご入院いただく良いチャンスになるのではないかと思ったのです。
昭和天皇のご手術の時には、宮内庁病院に東大の医師団を呼び、様々な医療器具を
持ち込んで手術を行いました。でもそれは現代においては、決して最善の形ではありません。
その病態の専門家が慣れた場所で、きちんと診ることが、本来あるべき形です。
それを両陛下が、お立場ゆえにその医療を受けられないとなるのは非常におかしいと思っていました。
それで池永侍医長に相談し、かつて田中角栄元首相が入院した「特別室」がある東京逓信病院を思い出し、
院長に電話しました。
(略)

金澤
いま白状すると、以前からこういうことがあっていいはずだと思っていました。
そうでないと、今の日本の高いと言われているレベルの医療を
皇室の方々に受けていただけないのではないかと危機感があったのです。
たとえば、頭痛がすると仰られても、ご本人の判断ですぐ手持ちの薬を飲むわけにはいかないお立場です。
その都度侍医を呼び、説明して、診察を受けて……と。
ですから、よほど心していないと、手遅れになるとか、そういうことが起りうる状況だと思っていました。
(略)

―両陛下は自然に手術を認めてくださった?

金澤
昔のような「よきにはからえ」とは違いますけれど、
最初から手術には前向きで、大変リーズナブルな質問をいただきました。
陛下は科学者、サイエンティストでいらっしゃいますから。
前立腺がんの手術も、図に描いてご説明しましたし、今回もご納得の上で手術を受けていただきました。
その後の報道の中には、三月十一日の東日本大震災一周年の追悼式典に出ていただくために
逆算して手術を進めたという記事がありましたが、そのような事実はありません。
良くなっていれば出席されるけれども、もし体調が万全でなければ無理です。
両陛下も「出席が難しいようなら皇太子に頼もう」とお話をなさっていました。
つまり陛下が出席なさりたいから、この時期に手術をという話ではないのです。
これはエリザベス女王即位六十周年を祝うための英国訪問でも同じでした。
結果的には、バイパスした血管に十分な血液量が流れ、
手術が無事終わったことが確認できましたし、どちらのご公務も見事にお務めいただけた。
そういう意味で、手術は絶妙なタイミングだったのです。
ただ、胸水が貯まって、引くのに時間がかかりましたから、その点は少しやきもきしました。
それでも両方のご公務を無事になさっていただけたのは、陛下が努力をなさったからです。
熱心にリハビリテ―ションをされ、それから食欲を出していただいた、
というのは変な表現ですけれども、いろいろ召し上がっていただきました。
それが功を奏したのです。

―食欲が十分に快復すれば、血中タンパクが増え、胸水がひくからですね。

金澤
そういうことです。そして、何より皇后陛下のお支えが大きいですね。
十一月のマイコプラズマ肺炎、そして二月の手術と、終始一貫して支えておられました。
マイコプラズマ肺炎の時だったと思いますが、天皇陛下の食欲がなかなか出ないことがありました。
ある時私が陛下と二人きりになりましたら。陛下は食欲がほとんどなく、非常に沈んでいらした。
笑顔のえの字もないんです。「いや、参ったな。快復していただくのには時間がかかるかな」と内心思ったのですが、
陛下は「(食事の時に)美智子が来て来てくれるんだよね」と仰ったとたん、
本当ににっこりされて柔かい笑顔に変わられた。
皇后陛下が朝夕、お見舞いにいらして一緒にお食事されることを何より楽しみにしていらしたんです。
食欲が回復なさったのは皇后陛下のお支えがあってこそだったと思いますね。
(略)

―ご体調の心配について言えば、皇太子妃雅子さまのご体調問題がまもなく十年を迎えようとしています。
主治医の大野裕先生(国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センター長)は、
金澤先生のご紹介だと聞きましたが。

金澤
そうですね、雅子妃殿下のご病気に関しては、当時の林田英樹大夫が非常に心配されていたんです。
それで小西富夫東宮侍医長(当時)と話し合われたうえで、私に相談があり、
専門医を紹介しないといけないということになりました。
平成十五年の秋のことでした。
非常に信頼している私の知人から大野先生を紹介されて、
いろいろ調べた末に、ベストだろうと判断し数カ月後にお願いしました。

―大野先生が雅子さまの主治医となられた頃、雅子さまはどのようなご様子だったのでしょうか。

金澤
直接拝診していないので申し上げられませんが、たしかにお悪かったようです。
雅子妃殿下については、ご成婚前に、いわゆる「皇室外交」もできるからと説得をお受けになったようですね。
ただ、皇室に入られてから、想像されていたことと違うことがさまざまおありだったと思うのです。
皇室では、外国の王室も同様ですが、まずは「お世継ぎ」を期待されます。
しかし、初めの六年半はお子さまに恵まれなかった。そういうところから、
周囲の人たちとの間に誤解や行き違いが生まれてしまった面もあるのかもしれません。
両陛下も大変困惑されたと思います。

―大野先生は認知行動療法の第一人者と言われています。
毎年、「東宮職医師団の見解」として雅子さまのご病状が発表されますが、
ご公務に本格的に復帰していただくために
「私的外出や運動を可能な範囲で行っていただく」という治療方針が貫かれています。

金澤
そうですね。今、国民の中にも、雅子妃殿下のご行動に疑問を感じる人が出て来ていると思います。
つまり、詳しい説明がなされないまま、自分の好きなことをなさってくださいということと、
一方でご公務に出られないこととのギャップへの戸惑いですね。

―最近では、国賓として来日したブータン国王夫妻の歓迎行事を全て欠席される一方、
同じ日に愛子さまの学習院初等科には付き添っていらっしゃる。
他方でお親しいベルギー皇太子ご夫妻にはお会いになり食事される。
皇太子妃である立場の方がそうした行動をとられた時には、
主治医が公に説明し、理解を求めていかないと国民に納得されないのではないでしょうか。

金澤
皇室において、「公平性」は大変重要なキーワードだと思います。
今さら言っても仕方がないことですが、私が後悔しているのは、
雅子妃殿下にご紹介する前に、大野先生に皇室のあり方、宮内庁のあり方についても
きちんとレクチャーしておくべきだったのではないか、ということです。

―採用の経緯を見ても、金澤先生に相談しながら治療を進めるのが当然あるべき姿のように思われます。
また、大野先生は主治医であることも発表していません。
医師の説明責任、治療者の責任を果たしているのでしょうか。

金澤
私は大野さんとできるだけ力を合わせていい方向に持っていくことができればと思っていました。
しかし、ご病気の性質などのために、ある時からこちらには情報が入らなくなってしまったのです。
大野先生には、精神的な問題そのものまでには立ち入らなくてもいいから、
国民にご状態を具体的に説明した方が良いと盛んに言った時期がありました。
例えば、どういう時に頭痛がするのか、どのように腹痛を感じるのか、
発熱が何度なのか。そういうことで良いからと。
でもそれさえ発表できないんですね。皇室医務主管としては大野先生には、
お名前を出して国民に対してもう少し明確に説明してほしかった。
平成二十二年二月、予定より発表が遅れた時の「東宮職医師団の見解」についても、
前もって「具体的な症状を言わないと国民は納得しない」と大野先生には申し上げていました。

―あの二カ月遅れの発表の時は、野村前東宮大夫も事前には「できるだけ説明責任は果たすべきだと思う」
と話していました。しかし結局は、遅れに遅れて出てきた「見解に」具体的な病状の説明はありませんでした。
東宮大夫は、発表が遅れたのは雅子さまとの調整のためだったと認めていました。

金澤
医師団の見解が遅れたのは、雅子妃殿下と大野先生との間でやりとりに時間がかかったためでしょうね。
おそらく大野先生も、最初はもう少し具体的に書いていらっしゃったのではないかと想像しています。
具体的な症状の公表を控えているのは、雅子妃殿下ご本人のご希望もあるかもしれません。
私と大野先生が違うのは、私は神経内科が専門で、彼の専門は精神科だということなんですね。
精神科医は患者の意向にあまり逆らわない傾向があります。

―雅子さまのご病気やご出産については、主治医はじめ医師団の名前すら当初は伏せられました。
両陛下や他の皇族方のようにできるだけ国民に公表し説明するというのとは違う治療、公表のスタイルが続いています。

金澤
大野先生に来ていただいたところまでは良かったのですが、
少なくとも私が意図した方向で治療システムが構築されたとは、残念ながら思ってはおりません。
その点に関しては、私は皇室医務主管として残念ながら失格だったと思っています。
今思えば、大野先生から「何も報告することはありません」と言われてもなお、
定期的に「いかがですか」と強く聞くべきだったのかもしれません。いろいろな経緯のなかで、
誤解や行き違いが雅子妃殿下のご心労につながってしまったと思われる部分もあるようです。
ですが、これだけ長い時間がたってしまうとどうほぐしたらいいものか……。
大野先生をご紹介した後のフォローアップができていれば、「それは誤解されているのではないか」
「こうすれば改善するのではないですか」と話せることがあったかもしれないと思います。
今聞くともっと早く伺っていればなあと思うことがあります。そう思うととても残念です。

―両陛下は、雅子さまのご病気についてどのように思っていらっしゃるんでしょうか。

金澤
両陛下も、雅子妃殿下のご病気に対して言葉に表せないほどのご心労がおありになるようなんです。
そして心配している国民に説明がきちんとなされていないのではないか。と思っていらっしゃると思います。
普通の家庭であれば、父親が「それだは駄目だ」と一喝して導くこともできるのでしょうが、
両陛下と両殿下は特別なご関係ですからそうはいきません。
両陛下の仰るお言葉は、非常に重いんですよ。

―国民と接するのがご負担になる状態が十年近くも続くと、ご病状の深刻さはかえって深まっている印象を受けます。

金澤
そうですね。今、陛下には三つのご心労があると拝察しています。まず一つには、皇統の問題です。
少なくとも平成二十年に陛下の胃腸に炎症が見られた際、長官が記者に説明していますし、
私もそう聞いています。
悠仁さまがお生まれになったとはいえ、将来の不安は消えてはいないのです。
もう一つは、雅子妃殿下のご病状に関して、国民に真実がきちんと伝わっていないこと、
また今後の見通しが明らかにされないことへの心労です。
そして三つ目が先ほどお話ししました前立腺がんのことです。
これについては本当に申し訳ないことをしたと思っています。

―平成十八年、悠仁さまがお生まれになり、秋篠宮さま以来、久しぶりの男子皇族誕生でしたね。

金澤
この十八年八カ月を振り返った時に、非常に印象深かったのが悠仁さまのご誕生です。
私はいろんな方に男の子か女の子かを事前に知っていると思われていたらしいのですが、
実はまったくそんなことはありませんでした。

―まったくご存知なかった?

金澤
信じてくださらない方もいますが、本当に知りませんでした。
秋篠宮ご夫妻もそうです。私が女の子だと思っていたのは、
愛育病院の院長、中林正雄先生が「女の子、女の子と来たときは、
三人目の女の子のことが多い」と言っていたと間接的に聞いたからなんです。
それで「ああ、これは女の子だ」と思い込んでいました。
それで、生まれてから男の子ですと言われて、「えっ!」と驚いたのを覚えています。
前置胎盤でしたが、愛育病院の方々は何事もなく無事に取り上げてくださいましたね。
有り難いことでした。
(略) 

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金沢一郎氏が死去 元宮内庁皇室医務主管
2016.1.20 23:59更新
宮内庁で皇室の医療を統括する皇室医務主管を10年間務めた東大名誉教授の
金沢一郎(かなざわ・いちろう)氏が20日、膵臓(すいぞう)がんのため東京都港区の病院で死去した。
74歳。東京都出身。葬儀・告別式の日時、場所は未定。
昭和42年、東大医学部卒。平成3~14年に東大医学部脳研神経内科教授を務め、東大病院長なども兼任した。
5年に皇后さまに声が出ない症状が現れた際は、担当医として治療に当たった。
14年から10年間、皇室医務主管を務め、天皇陛下の前立腺がん摘出手術、
心臓バイパス手術の2度の手術にも関わった。
この間には、適応障害と診断された皇太子妃雅子さまの体調や、18年の秋篠宮妃紀子さまの出産にも対応した。
専門は神経内科。日本学術会議の会長も務めた。
http://www.sankei.com/life/news/160120/lif1601200044-n1.html

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