震災関連 記事1

皇太子ご夫妻、ウィリアム王子結婚式出席見送り
宮内庁の野村一成・東宮大夫は18日、皇太子ご夫妻が、
4月29日に行われる英国・ウィリアム王子の結婚式への出席を見送られたと発表した。
英国王室から招待を受けていたが、野村大夫によると、
東日本巨大地震の被害が甚大で、国内が未曽有の危機にあるためで、
ご夫妻は被災地の悲惨な状況に深く心を痛め、
「せっかくのご招待だが、お断りせざるを得ない」と判断されたという。
18日、英国王室に伝えられた。ご夫妻は、お住まいの東宮御所のブレーカーを
一定時間落とすなど節電にも協力されているという。
(2011年3月18日19時10分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110318-OYT1T00808.htm?from=main6

【東日本大震災】
那須御用邸の風呂を開放 両陛下のご意向で
2011.3.24 15:48
宮内庁は24日、両陛下や皇族方が静養に使われている那須御用邸(栃木)で職員が使用している風呂を、
近隣地域にいる東日本大震災の避難者に開放すると発表した。
また、同県の御料牧場で保管している卵約1千個や缶詰、野菜などを避難所に提供する。
いずれも、両陛下のご意向を受けて決めたという。
(後略)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110324/imp11032415490001-n1.htm

両陛下は毎日「自主節電」 東電の計画停電に合わせ
宮内庁は24日、天皇、皇后両陛下が福島第一原子力発電所事故に伴う東京電力の計画停電に合わせ、
皇居・御所で15日以降毎日、自主節電を続けていることを明らかにした。
羽毛田信吾長官らによると、御所では計画停電の第1グループに合わせて自主的に電源を切っている。
17、18、22、23日は1日2回実施。東電が停電を見送った場合も実施しているという。
羽毛田長官によると、天皇陛下からは「大勢の被災者、苦しんでいる人たちがおり、
電源すらない人もいる。私の体調を気遣ってくれるのはありがたいが、寒いのは厚着をすればいいだろう」
「いつこういう事態があるかわからないし、こういうことはやってみないとわからないから、
学ぶ機会ではないか」という趣旨の発言があったという。
[朝日新聞]2011年3月24日18時56分
http://www.asahi.com/national/update/0324/TKY201103240364.html

御用邸の風呂、被災者へ提供 秋篠宮さまらタオル袋詰め
2011年3月26日10時20分
那須御用邸(栃木県那須町)の職員宿舎の温泉風呂が
東日本大震災で同県に避難した人たちに26日から提供されるのを前に、
宮内庁職員と皇宮警察の護衛官から集まったタオル計約3400枚が25日までに運び込まれた。
同庁によると、タオルの袋詰め作業には、秋篠宮妃紀子さま、長女眞子さま、次女佳子さまも参加。
同庁本庁舎で24日午後、職員と一緒に1時間半ほどかけて1セットずつポリ袋に詰めたという。
http://www.asahi.com/national/update/0325/TKY201103250533.html

天皇、皇后両陛下が都内の避難所お見舞い
天皇、皇后両陛下は30日、福島県いわき市などから避難した
約300人が身を寄せる東京都足立区の東京武道館を訪れ、激励の言葉を掛けられた。
東日本大震災で、両陛下が避難所をお見舞いするのは初めて。
都によると、東京武道館では17日から被災者や原発事故から避難する人々の受け入れを始めた。
1995年の阪神大震災や2004年の新潟県中越地震で、
両陛下は発生の2週間ほど後に被災地入りし、避難所を回った。
今回の大震災は被災地が広範囲にわたり、甚大な被害の全容がまだ明らかになっていないことから、
被災地訪問の時期は決まっていない。
2011年3月30日 15:58
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/03/30/kiji/K20110330000530990.html

天皇皇后両陛下、東日本大震災の被災者が身を寄せる東京都内の避難所を訪問される
フジテレビ系(FNN) 3月30日(水)17時37分配信
被災者が身を寄せる東京都内の避難所を30日午後、天皇皇后両陛下が訪問された。
避難所では、直接、被災者に対して励ましの声をかけられた。
午後3時30分すぎ、天皇・皇后両陛下が、避難所となっている東京・足立区の東京武道館に到着された。
この避難所では、福島県などで被災したおよそ300人が、不自由な避難生活を余儀なくされている。
天皇陛下が「どちらから?」と尋ねられると、避難している人は「福島県いわき市からです」と答え、
天皇陛下は、「皆さん大丈夫だったんですね」と声をかけられた。
1人ひとりの前でひざをつき、声をかけられた両陛下。
天皇陛下が、「おうちの方は?」と尋ねられると、避難している人は「大丈夫です」と答え、
天皇陛下は、「ずいぶん心配されたでしょう」と声をかけられた。
両陛下は、長引く避難生活を気遣い、震災で心が傷ついた被災者の言葉に耳を傾けられた。
天皇陛下は、今回の大震災の甚大な被害に心を痛め、震災直後に異例のビデオメッセージを寄せられている。
天皇陛下は、ビデオメッセージで「被災者の状況が少しでも好転し、
人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません」と述べられた。
そして、「ささやかでもお役に立ちたい」という両陛下のお気持ちを受け、
宮内庁は栃木県の御料牧場でとれた卵や野菜などを避難所に提供し、
那須御用邸の職員用の入浴施設を被災者に開放した。
被災地では、復興作業などを優先すべきとのお考えから、都内の避難所を訪問された両陛下だが、
1日も早く被災地を訪れ、お見舞いすることを強く希望されているという。
最終更新:3月30日(水)17時37分
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20110330-00000309-fnn-soci

天皇・皇后両陛下に続き、皇太子ご夫妻も近く東日本大震災の被災者をお見舞いされることになりました。
宮内庁によりますと、皇太子ご夫妻は被災した人々を日々案じながら過ごし、
避難所をお見舞いしたいとの意向を持たれているということです。
先月30日には天皇・皇后両陛下が東京都内の避難所をお見舞いされていますが、
宮内庁は出来るだけ早く皇太子ご夫妻が都内にある別の避難所を訪問できるよう、日程などを調整しています。
また、秋篠宮ご夫妻も震災後は眞子さまや佳子さまと一緒に地震や救援活動の専門家から説明を聞いたり、
節電に協力されていますが、来週以降、東京周辺の避難所をお見舞いすることを検討されているということです。
(01日21:32)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4689540.html

読売新聞 日曜版 4月3日 2面「皇室ダイアリー」
No.90  両陛下
東日本巨大地震に伴う東京電力の計画停電は、管内を5グループに分けて3月14日夕から始まった。
首都機能が集中し、皇居もある東京都心は対象に含まれていないが、
天皇、皇后両陛下は御所を「第1グループ」とみなし、毎日、計画停電に合わせて自主的に停電を続けられている。
第1グループで初めて実施された15日は午後3時半~5時半、16日は午後零時半~2時半、
17日は午前9時半~11時半と午後5時~7時……。
この間、ブレーカーを落とし、照明も、暖房も消える。
1回2時間。暗い部屋で寒さをこらえ、夜の場合はろうそくの灯で夕食をとられている。
宮内庁の羽毛田信吾長官によると、周囲が「そこまでされなくても」と体調を案じても、
天皇陛下は「苦しんでいる人がおり、自分の気持ちとしてそうしたい。
寒さは厚着をすれば大丈夫」と話し、「災害時にどう対応すればいいかを学ぶ機会でもある」と、
前向きな考えも示されたという。
皇后さまも徹底している。停電が近づくと女官に教えてもらい、
腕にリストバンドをはめて、何かに集中して開始をやり過ごすことのないようにされている。
「困難を分かち合いたい」。日々の耐える時間をお二人は大事にされている。
(編集委員 井上茂男)


文藝春秋2011年5月号
天皇皇后両陛下の祈り 川島裕侍従長
3月11日午後。両陛下は蓮池参集所で3団体の奉仕団の労をねぎらい、
厩舎で伊勢神宮に献進される神馬をご覧後、今上は執務室で公務の準備、
皇后陛下は御座所・芳菊の間まで今上をお送りになり御所へ戻られるところ。
揺れを感じられた陛下はテレビのスイッチを入れ、
皇后陛下は廊下を隔てた前庭に面するガラス戸を少し開けて出口を確保。
部屋の棚に並べてある各国元首の写真立てが倒れ始め、陛下は皇后陛下を伴われて前庭中ほどへ。
ひと落ち着きして部屋に戻られた皇后陛下は女官や職員と手分けして
飾り皿や花瓶を床に下ろし始めたところ再び揺れ、お庭へ。
皇后陛下。御所へお戻り間際に勤労奉仕団、参観者の安否確認を侍従に依頼。
テレビをご覧の陛下。10メートルの津波警報に職員と共に息をのみ、H5年7月の北海道南西沖地震の際、
沖に出ていたイカ釣り漁船が無事戻ってきたことを思い起こされ
「沖合まで出られれば大丈夫」と祈るように述べられる。
11日夜、帰宅困難となった一部の勤労奉仕団約60名が窓明館に宿泊。
帰宅できずに二名態勢になった侍医ひとりが皇后陛下の依頼を受け館を訪問。
夕刻までには皇族・旧皇族全員の無事を確認。お子様方・各宮家からの電話。
同夜、スペイン・ソフィア王妃よりお見舞いの電話を皮切りに、各国元首からの電報が到着。
12日、両陛下6時起床。7時朝食。これまでの災害ではお見舞いの言葉は災害発生県の知事に
伝えていたが、今回は広範囲・甚大な被害であることから総理大臣へ伝えるご判断。
7時半、皇后陛下、窓明館訪問。8時頃出発予定だった大学生の一団を見舞い、
体調不良の学生1名が宮内庁病院で休めるよう手配依頼。
前日本看護協会会長、南祐子氏から電話報告。
午後3時36分。福島第一原発一号機爆発。両陛下のご意向を受け、今後お会いになる人々と連絡を取り合う。
13日。6時起床。散策後朝食。今後の対応をいろいろ検討するようご指示。
計画停電に御所でも遭わせてはどうかとご示唆。
庁内より発見された蝋燭立ては旧帝国海軍艦艇内で使用されたらしい。
被災地訪問についてはこれまでは知事の判断に信を置いてきたが、
今回は忙殺されている関係各所へのさらなる負担にならぬよう今後の日程調整。
行事予定についても警備当局に更なる負担を掛けぬよう見直し。
武蔵野陵参拝、御料牧場へのご静養、園遊会は取りやめ。
14日、羽毛田長官とともにお召し。ワーキングランチ。宮殿の原則閉鎖など3点を決定。
千代田区は計画停電区域外だが、ノルマが課されていないということは
逆に自分を厳しく律していくということ、また皆と分かち合うという意味でも自主的に停電を実施。
同夜、参与始め御用掛、長官、筆者の計7名と会食。
15日、6時起床。両陛下午前中、御所にて田中俊一前原子力委員会委員長代理より説明。
午後、安藤隆春警察庁長官より衛星写真も使っての報告。
同日、陛下はご自身の気持ちを国民に伝えたいお考えを長官、筆者に相談。
ビデオレターの作成を決定。皇后陛下と話し合われながらお言葉の作成。
午後3時半から5時半まで自主停電。
皇后陛下、陛下のご心労を案じて願われ、4時半からお二人で30分ほど戸外散策。
16日 午後2時頃、ビデオ収録時間のセット。3時、収録開始。4時半、各局一斉に放映。
収録後、宮川清東京大学院医学系研究科教授から放射線被曝についての説明。
陛下、放水作業のニュースを成功をご念じながら熱心にご覧。
久常節子日本看護協会会長、皇后陛下へ、被災地に赴く看護師が携帯する「緊急被ばく医療」に関する冊子お届け。
同夜、来日中の根岸英一夫妻と会食。
17日 両陛下、日赤社長・同副社長から報告聴取。
午後、5月の植樹祭日程ついて総務課長・担当侍従とご相談。大幅な短縮日程。
二度の自主停電。30分の散策。同夜、官房副長官任命式。
18日 6時半からの自主停電に合わせて両陛下は散策へ。
8時51分、ニュージーランド地震犠牲者への黙祷。午後、海上保安庁長官より報告聴取。
皇后陛下、国際日本語普及協会・西尾珪子氏に在日日系人の安否確認の現状について電話でお尋ね。
EPA関係で来日中の看護師研修生についても早くよりご案じ(23日、看護協会より全員無事との回答)。
両陛下はこれから長きにわたり、この厄災を被った人々に思いをお寄せになり、日々を送られることと思う。
本稿は、厄災発生からの一週間に絞って記すこととした次第である。


天皇陛下使用の車に2千万円=タイで競売、震災被災者に寄付
【バンコク時事】天皇、皇后両陛下が2006年、タイのプミポン国王即位60年記念式典に
出席された際に使用した車の競売が5日、バンコク近郊で行われ、
750万バーツ(約2000万円)で落札された。収益の3割は洪水被害のあったタイ南部、
残りが日本の震災被災者に寄付される。
時事ドットコム(2011/04/05-21:19)

皇太子ご夫妻、避難所で被災者を激励
皇太子ご夫妻は6日、東日本大震災の被災者約130人が避難している
味の素スタジアム(東京・調布市)を訪れ、被災者を励まされた。
お見舞いは約30分間の予定だったが、ご夫妻がそろって床に正座し一人一人の話に耳を傾けたり、
被災者の求めで写真撮影に応じられたりする場面もあり、1時間を超えた。
家族4人で避難している福島県浪江町の高松アイ子さん(83)は、
雅子さまに「お体を大切に」と声をかけられたといい、「優しい言葉がありがたかった」と話した。
同県富岡町の小林順子さん(39)は、
「これまでこらえていたものが、(ご夫妻に)話を聞いてもらってほぐれた」と涙を浮かべていた。
雅子さまは病気療養中で、今回のお見舞いは昨年10月以来の公的な外出。
ご夫妻で被災者を見舞われるのは、阪神大震災で兵庫県を訪問された1995年3月以来。
(2011年4月6日19時59分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110406-OYT1T00930.htm

秋篠宮ご夫妻が避難所ご訪問
2011.4.7 18:50
秋篠宮ご夫妻は7日、東日本大震災の被災者を見舞うため、東京都の避難所の一つ、
東京ビッグサイト(東京都江東区)を訪問された。ご夫妻は避難所の共用スペースで、
被災者一人一人に「体調はいかがですか」「早く落ち着いた生活ができることを願っています」と励まされた。
子供用のおもちゃがあるキッズスペースでは、
秋篠宮妃紀子さまが、子供たちと電子ピアノを演奏される場面もあった。
南相馬市の飲食店経営、斎藤祥市さん(32)は
「みんなで少しずつがんばっていきましょうと励ましてもらい、非常に勇気づけられた」と話した。
妊娠中の妻、早也香さん(26)は「紀子さまから、こちらでも産めるところはいっぱいあるので、
安心して産んでくださいと気遣っていただきました」と話していた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110407/imp11040718530003-n1.htm

東日本大震災 秋篠宮ご夫妻、都内の避難所ご訪問
秋篠宮ご夫妻は7日午後、東日本大震災の被災者のお見舞いのため、都内の避難所を訪問された。
また、ご夫妻は、那須御用邸の職員用の風呂を利用する被災者のためにタオルを寄付し、
紀子さまや眞子さま、佳子さまも、職員らとともにタオルの袋詰め作業に参加されたという。
(04/07 18:55)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00196860.html

両陛下が集団避難の町民お見舞い
天皇、皇后両陛下は8日、東日本大震災に伴う福島第1原発事故で、
埼玉県加須市の旧県立高校に集団避難した福島県双葉町の住民を訪ね、激励の言葉を掛けられた。
第1原発がある人口約7千人の双葉町からは大勢の町民だけでなく役場機能や議会も、
さいたまスーパーアリーナにまとまって避難。
3月末からは埼玉県の紹介で加須市の廃校になった校舎に移った。現在は約1400人が暮らしている。
東北から千葉にかけての被災地にもできるだけ早く足を運び、被災者を励ましたいとの強い意向が両陛下にあり、
宮内庁が各県と日程を調整している。皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻も6日から7日にかけ、
東京都内に避難する人々を見舞った。
[ 2011年4月8日 16:45]
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/04/08/kiji/K20110408000588040.html

秋篠宮ご夫妻、新潟の避難所へ=宮内庁
時事通信 4月8日(金)19時42分配信
東日本大震災で、宮内庁は8日、秋篠宮ご夫妻が14日にも新潟県内の避難所を訪問されることを明らかにした。
宮内庁によると、ご夫妻は不自由な生活を強いられている被災者を大変心配しており、
お住まいの秋篠宮邸ではできる限り節電を心掛けながら過ごしているという。
ご夫妻は7日、東京都江東区の東京ビッグサイトを訪問し、被災者を見舞っている。 
最終更新:4月8日(金)19時42分
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20110408-00000112-nnn-soci

両陛下が千葉・旭市を訪問 初の被災地入り
< 2011年4月14日 18:43 >  
天皇・皇后両陛下は14日、東日本大震災で被災した千葉・旭市を訪問し、
避難所でのお見舞いや津波被害を受けた地域の視察を行われた。両陛下が被災地に入られるのは初めて。
旭市では、今回の震災で13人が死亡、約250人が市内4つの避難所で生活している。
両陛下は、2か所の避難所を訪れ、被災者一人一人に声をかけられた。
また、津波の被害が大きかった横根地区を視察し、黙礼をささげられた。
両陛下は、ゴールデンウイーク前後には宮城、岩手、福島の各県を訪れることも検討されているという。
また、秋篠宮ご夫妻も14日、新潟・長岡市の避難所を訪問された。
ご夫妻は被災した人に声をかけ、避難所での作業や住民ボランティアの活動などを視察された。
http://www.news24.jp/articles/2011/04/14/07180946.html

秋篠宮ご夫妻、原発避難住民を慰問 新潟の2市
秋篠宮ご夫妻は14日、東日本大震災や東京電力福島第一原発の放射能漏れ事故で、
新潟県長岡、小千谷両市に避難している被災住民を慰問に訪れた。
福島県南相馬市や浪江町など6市町の12世帯40人が生活する長岡市の健康福祉施設
「志保の里荘」では、被災住民が仮設住宅の屋根に使われる部品の組み立ての様子などを視察し、
紀子さまが「大事な部品を作っていただき、ありがとうございます」などと声をかけ、
一緒に組み立てる一幕もあった。
夫(72)ら5人で避難生活を送る福島県双葉町郡山の農業細沢政子さん(73)は、
自宅が流されたことを話しているうちに涙ぐみ、紀子さまからティッシュを差し出される場面も。
細沢さんは「両手で握手され、頑張ってくださいとやさしく声をかけられてありがたかった。
少し気持ちが落ち着いた」と話した。
53世帯115人が暮らす小千谷市総合体育館では、
被災者と一緒に押し花のはがきを作り、館内の避難者を回って生活ぶりなどを尋ねた。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104140291.html

両陛下・皇太子ご夫妻ら、発生時刻に黙とう
読売新聞 4月11日(月)18時53分配信
天皇、皇后両陛下は11日、東日本大震災が発生した午後2時46分に、
犠牲者への哀悼の意を示し冥福を祈るため、皇居・御所で黙とうされた。
皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻も東宮御所や宮邸で黙とうされた。

東日本大震災:秋篠宮ご夫妻 新潟の避難所を慰問
秋篠宮ご夫妻は14日、震災被災者が身を寄せている新潟県長岡市と小千谷市の避難所を訪れた。
長岡市では、福島県南相馬市民ら約40人が避難する健康福祉施設「志保(しお)の里(り)荘」を訪れ、
避難者らによる仮設住宅の部品組み立て作業を見学。
同県双葉町の女性(73)が被災時を思い出して涙を流すと、
紀子さまは背中をさすりながら「つらいでしょうが、頑張ってください」と励ました。
小千谷市総合体育館では、避難者と住民らによる押し花教室を見学。
秋篠宮さまは一緒に押し花づくりをした。【岡村昌彦】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110411-00000865-yom-soci

両陛下、被災現場の前で黙礼 初の被災地入り、住民慰問
2011年4月14日23時25分
天皇、皇后両陛下は14日、東日本大震災で津波の被害を受け、13人が亡くなった千葉県旭市を訪れた。
被災地の訪問は今回が初めてで、両陛下は犠牲者が出た場所の前に立ち、黙礼した。
今後、岩手、宮城、福島、茨城の4県の被災地を歴訪する。
両陛下はこの日、多くの家屋が全半壊し、死者・行方不明者が4人出た飯岡地区で視察のバスを降りた。
「ありがとうございます」と呼びかける住民に歩み寄り、「みなさんがお元気で良かったです」。
「お元気ですか」「怖かったでしょう」と声をかけられた同地区の磯村冨美子さん(64)は、
やり取りの後、「本当によく来てくださいました。余震が続き不安だったが、元気が出ました」と話した。
両陛下は、同市の2カ所の避難所も慰問に訪れた。その一つ、海上(うなかみ)公民館で
天皇陛下は、「生まれて初めて恐ろしい思いをしました」と話す八本千恵子さん(79)に
「お体の方は大丈夫ですか」と語りかけた。
皇后さまは、足が不自由で隅の方に一人でいた伊藤とみさん(84)に気づいて小走りで駆け寄り、
「よく無事でいてくださいました。おつらいでしょうね」と語りかけた。
明智忠直市長は「住民が元の生活に戻るための元気が出る思いがした。
被災現場で黙礼をしていただいたことにも感動しました」と話した。
秋篠宮ご夫妻もこの日、新潟県の長岡、小千谷両市に避難している被災者を慰問した。
12世帯40人が生活する長岡市の健康福祉施設・志保の里荘では、福島県双葉町から夫らと避難してきた
細沢政子さん(73)が自宅を流されたことを話しているうちに涙ぐみ、
紀子さまがティッシュを差し出す場面も。細沢さんは「両手で握手してくださり、頑張ってくださいと
優しく声をかけていただいてありがたかった。少し気持ちが落ち着きました」と話した。
http://www.asahi.com/national/update/0414/TKY201104140479.html?ref=any

皇室ウイークリー(175)
両陛下、膝をつき、手を握ってお見舞い 愛子さまもご黙祷
2011.4.16 07:00
(略)
14日、両陛下は東日本大震災の津波で13人が死亡した千葉県旭市を訪問し、
被災地をバスで視察するとともに、避難所2カ所を回って被災者を励まされた。
避難所ご訪問は3月30日の東京武道館(東京都足立区)、4月8日の旧騎西高校(埼玉県加須市)に続き3回目。
被災地に直接入られるのは初めてとなった。
秋篠宮ご夫妻も同日、新潟県を日帰りで訪問し、長岡市と小千谷市の避難所で被災者を見舞われた。
長岡市では仮設住宅の部品の組み立て作業を手伝われる場面もあったという。
避難所の居住スペースで両陛下は、側近からスリッパを勧められてもはかずに、
床に膝をついたり、正座したりしながら、一人一人に声をかけて回られた。
被災者の手を優しく握って励まされることも多く、涙を浮かべる人も少なくなかった。
過去の訪問では、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻も両陛下と同様、被災者と同じ目線になって、声をかけられた。
携帯電話のカメラで記念撮影に応じられる場面もたびたび見られた。
今週までに、両陛下と皇族方が避難所訪問に費やされた日数は、
両陛下3日(東京、埼玉、千葉)、皇太子ご夫妻1日(東京)、
秋篠宮ご夫妻2日(東京、新潟)の計6日を数えている。
皇太子ご夫妻の長女、敬宮愛子さまは小学4年生に進学し、
9日、学習院初等科(東京都新宿区)の始業式を迎え、式典にも出席された。
ほかのクラスの児童も集まる始業式、終業式などの学校行事に出席されたのは、
登校の不安が明らかになった昨年3月以降初めてとみられると報じたが、
宮内庁の野村一成東宮大夫の15日の定例会見によると、
愛子さまは、3月に行われた「6年生を送る会」には出席されていた。
野村東宮大夫によると、愛子さまは震災から1カ月となる11日、
皇太子ご夫妻と同様に黙●(=示へんに寿の旧字体)(もくとう)をささげられたという。
愛子さまは、ご自身でつけられている日程に「黙●(=示へんに寿の旧字体)」と書くなど、意識して臨まれたという。
書かれた文字が漢字かどうかは明らかになっていない。
また、野村東宮大夫は、皇太子妃雅子さまが避難所を訪問されたことについて、
雅子さまの担当医が「(雅子さまにとって)よかったのではないか」という感想を話していたことを明らかにした。
(略)
震災以降は、外出を伴う両陛下や皇族方の予定の多くが中止になった一方で、
現地に入った政府、医療、自衛隊などの関係者から説明を聞かれるといった、震災関係の予定が多数追加されている。
天皇、皇后両陛下は3月5日、国立劇場(東京都千代田区)で、琉球芸能公演「組踊と創作舞踊」の第2部として
上演された組踊「二童敵討(にどうてぃちうち)」を観賞された。
陛下は3月9日、セルビアのタディッチ大統領と皇居・宮殿で会見し、
午餐(昼食会)に臨まれた。午餐には皇太子さまと常陸宮さまが同席された。
宮内庁では今回から、会見と午餐の間に10分間の休憩を設けるようになった。
会見と午餐を合わせると2時間を超える“長丁場”となるが、これまでは続けて行われていたという。
皇室の国際親善を担当する式部職は「賓客のためにも調節時間が必要と判断したもので、
去年から検討していた。陛下のご負担軽減が主たる目的ではない」と強調した。
「調節時間」とは「お手洗い休憩」を意味するといい、
これまでもゲスト側から午餐の前に休憩したいという申し出がたびたびあったそうだ。
「余計なことを考えずに、心おきなく食事ができるように」との配慮だという。
宮内庁は3月14日、4月28日に東京・元赤坂の赤坂御苑で開催予定だった春の園遊会を取りやめると発表した。
震災を受け、主催する両陛下が決定されたという。
また、宮内庁は節電のために当分の間、信任状捧呈式と認証官任命式以外では
原則として皇居・宮殿を使用しないことを決めた。両陛下のお気持ちに沿った措置という。
陛下は3月16日、東日本大震災の被災者や国民に向け、ビデオを通じてお言葉を発表された。
陛下がビデオでお気持ちを述べられるのは初めてだった。
陛下は「一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています」と被災者を案じ、
東京電力福島第1原子力発電所の事故について
「関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています」と述べられた。
宮内庁は3月18日、皇太子ご夫妻に招待状が届いた英王室のウィリアム王子と
ケイト・ミドルトンさんの結婚式について、ご夫妻の意向で欠席されることになったと発表した。
宮内庁によると、ご夫妻は被災した国民に心を寄せ
「せっかくのご招待ではあるがお断りせざるを得ない」と考えられたという。
宮内庁は3月26日から、両陛下や皇族方が静養に使われている那須御用邸(栃木)で職員が使用している風呂を、
近隣地域にいる東日本大震災の避難者に開放した。
秋篠宮妃紀子さまと長女の眞子さま、次女の佳子さまは3月24日に宮内庁庁舎を訪れ、
宮内庁職員や皇宮警察職員から集まったタオルの袋詰め作業に参加されたという。
また、同県の御料牧場で保管している卵や缶詰、野菜なども避難所に提供した。
いずれも、両陛下のご意向を受けて決めたという。
一方、宮内庁によると、両陛下は東日本大震災の被災地に思いをはせ、
「国民と困難を分かち合いたい」として、
3月15日にお住まいの皇居・御所の電気を一定時間使わない「自主停電」を始められた。
今週も続けられている。
宮内庁によると、眞子さま、佳子さまは3月30日、宮邸で、秋篠宮ご夫妻といっしょに、
外務省国際法局長から東日本大震災に対する諸外国の対応について進講を受けられた。
翌31日にも、京都大学名誉教授から地震学全般について進講を受けられた。お二方は春休み中だった。
4月6日には、秋篠宮ご夫妻と眞子さまで、日本赤十字社社長らから説明を受けられた。
最後に、宮家のご動静を、今週分も含めて振り返る。
紀子さまは3月6日、学習院女子中・高等科(東京都新宿区)を訪れ、
「学習院女子中・高等科創立125周年記念式典」に臨まれた。
常陸宮妃華子さまも同席された。華子さまは新校舎の視察もされた。
紀子さまは3月6日、国立劇場(東京都千代田区)で、
琉球芸能公演「組踊と創作舞踊-おきなわ芸能の今、そしてこれからIII-」を鑑賞された。
秋篠宮さまは3月8~11日の日程でタイを訪問された。鶏と人との関わりの歴史を研究した業績などにより、
カセートサート大、チェンマイ大から名誉博士号が贈られた。
秋篠宮ご夫妻は3月18日、結核予防会の専務理事らから、
東日本大震災の被災地支援などについて説明を受けられた。
同日、恩賜財団母子愛育会会長らからも、東日本大震災への対応について説明を受けられた。
紀子さまは3月25日、宮邸で、「第14回秩父宮妃記念結核予防功労賞」の国際協力功労賞受賞者に、
表彰状を贈呈された。表彰されたのはハイチで活動しているクリスト・ロア宣教修道女会の医師。
表彰式のため一時帰国しており、急遽(きゅうきょ)、宮邸で表彰状が授与された。
その後、秋篠宮さまと眞子さま、佳子さまも加わり、医師から結核対策などの活動について説明を受け、懇談された。
4月11日、秋篠宮ご夫妻は宮邸で、インドネシアに赴任する大使夫妻と懇談された。
13日、秋篠宮さまは山階鳥類研究所(千葉県我孫子市)で、所員会議に出席された。
常陸宮ご夫妻は4月6日、宮邸で、エルサルバドルに赴任する大使夫妻とご懇談。
15日にも宮邸で、ペルーに赴任する大使と懇談された。
三笠宮ご夫妻は3月9日、赤坂御用地内の宮邸で、離任する駐日トルコ大使と懇談された。
寛仁親王殿下は3月6、7の両日、北海道をご訪問。第82回宮様スキー大会国際競技会に臨まれた。
勤務先の立命館大学衣笠総合研究機構の業務のため、1月下旬から英国を非公式訪問していた
寛仁親王殿下の長女、彬子さまは3月30日、成田空港に帰国し、
同日夜、引き続き米国ハワイへ出発された。4月5日に帰国された。
寛仁さまは4月10、11の両日、愛知県をご訪問。
「とよた光の里ウェルフェア・コンサートXVIII」に臨まれた。
寛仁親王妃信子さまは4月9日、56歳の誕生日を迎えられた。
高円宮妃久子さまは3月4日、ヒルトン東京(東京都新宿区)で、
「ジャパン・スイス・スプリング・ボール2011」に臨まれた。
久子さまは3月11、12の両日、
「2011フラワードーム プレミアム~あいち花フェスタ・名古屋国際蘭展」開会式ご臨席のため、
愛知県を訪問された。
昨年8月中旬から行われていた高円宮邸の改修工事が終了し、久子さま、長女の承子さま、
次女の典子さま、三女の絢子さまは3月30日、仮住まいをしていた赤坂東邸から宮邸に戻られた。
宮邸へのご帰還に先立ち、同日、故高円宮の霊代を赤坂東邸から宮邸に移す儀式が執り行われた。
承子さまは3月8日、25歳の誕生日を迎えられた。
典子さまは3月20日、学習院大学(東京都豊島区)を訪れ、卒業証書を受け取られた。
震災のため卒業式は中止になった。今後、成年皇族として活動されるという。
久子さまは4月6日、宮邸で、日本水難救済会会長らと懇談された。
11日には日本セーリング連盟会長と、14日には日本ホッケー協会会長とも、それぞれ宮邸で懇談された。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110416/imp11041607010002-n1.htm

産経新聞「論壇」5月号
論説委員の石井聡
「国民が再起する『仕組み』」平成23年4月17日
宮内庁のホームページに「両陛下『お見舞い』に胡座で応じた避難者に誰か礼儀を」という
週刊新潮の記事に関するコメントが載っている。
天皇、皇后両陛下は日頃から「正座のしづらい人には決して無理をさせないように」と指示されているという。
関係者が心苦しく思うことがないよう、宮内庁を通じて配慮が示されたに違いない。
未曾有の大震災や原発事故の全体像が見え始めた3月16日、天皇陛下はNHKを通じて
国民を励ますお言葉をビデオメッセージとして発せられた。
「苦難の日々を皆が分ち合っていく」とのお考えは、被災者を含む全国民の心の奥底に届いた。
この前後1週間のご様子を、侍従長の川島佑が「天皇皇后両陛下の祈り」(文藝春秋)に記している。
震災から4日後の15日、警察庁長官から受けた被害状況報告には
「いちいち胸が痛くなるような話ばかり」の説明もあった。
陛下はこの日のうちにビデオ収録による放映を決断され、皇后陛下とも話し合いながら、
お言葉の作成を進められた。16日午後の収録では「皇后さまも撮影者たちの邪魔にならないよう、
人々のずっと後ろで見守られた」という。
「両陛下にとり誠に胸が痛む、大変におつらい1週間であった」と川島は振り返る。
高崎経済大教授の八木秀次は「おそらく我が国の”本当の統治者”としてのご自覚のもとに
国民に直接訴え励ましたいというお考え」がお言葉で示されたと書いた
(「陛下を心の中心に据えて復興を」正論)。
さらに、コラムニストの勝谷誠彦は「あのお言葉は陛下ご本人が練りに練られたもの」で
「陛下の主観的な価値観が織り込まれている」と受け止めた(「これは『平成の玉音放送』だ」WiLL)。
お言葉が被災者の「雄々しさ」に触れられた点に注目し、終戦後の昭和天皇の御製
「ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ」にある鼓舞の言葉を思い起こした。
そこに「いまの日本民族にもっとも必要」な「言霊」を感じている。
被災者も日本全体もうちひしがれているときに
「たった数分の会見で、こうして国民に自信をとり戻させるような『仕組み』を持った国はどこにもない」
と勝谷は結論づける。
作家の佐藤優は「大震災と大和心のををしさ」(中央公論)で、大震災は終戦に続く
「日本民族にとってのカイロス」と位置付けた。ギリシャ語の「カイロス」とは
「運命あるいは神の意思によって決められた時間」という。
日本人である以上、東日本大震災を客観的に論じることは許されず、「わが国家とわが民族が
今後どのようにして生き残っていくか」を主体的に答える必要性を唱え、国民と被災者が
「相携え」て復興への希望をつなごうというお言葉こそ「東日本大震災というカイロスに対する
日本国家と日本民族の応答」だと位置付けた。佐藤は「雄々しさ」を日露戦争開戦時の
明治天皇御製「しきしまの大和心のををしさはことある時ぞあらはれにける」と結び付けている。
作家の竹田恒泰は「国民が一体となって国難を乗り越えようとするとき、まず天皇が率先して
行動をお示しになるというのが、日本の歴史の事実」としたうえで、
陛下が「あるべき姿を自ら実行していらっしゃる」と指摘した(「世界が感動した日本人の底力」Voice)。
「津波で我欲を洗い落とす必要がある」という東京都知事の「天罰」発言について、詩人の辻井喬は
「異人種の目で民衆を見下している」と断じた(「復興ニューディールへの提唱」世界)。
これに対し作家、曾野綾子と評論家、金美麗の対談(「ひるむなニッポン!」正論)では、
「われわれ全部に下った天罰でしょ」(曽野)と石原へのバッシングを疑問視する。
竹田もこの発言に「頷いた一人」(Voice)だと明かしている。

常陸宮ご夫妻、避難所を訪問 川崎市とどろきアリーナ
2011/4/20付
常陸宮ご夫妻は20日、福島第1原発事故の影響で福島県南相馬市の住民ら
約100人が避難している川崎市とどろきアリーナを訪問された。
常陸宮さまは「今、日本中が心を一つにしてみなさんとともに頑張っています。
くれぐれも健康に気を付けてください」と、励ましの言葉を述べられた。
ご夫妻はアリーナ内の喫茶室で避難者と同じテーブルに着き
「食事など足りない物は?」「夜は寝られる?」と声を掛けて回られた。〔共同〕
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2003Y_Q1A420C1CR8000/

両陛下 海に向かって黙礼 北茨城を訪問
毎日新聞 4月22日(金)20時38分配信
天皇、皇后両陛下は22日、東日本大震災で被害を受けた北茨城市を訪問し、
同市大津漁港では、行方不明者が1人いるとの説明を受け、海に向かって黙礼をささげた。
豊田稔市長によると、両陛下は漁業の風評被害も心配している様子だったという。
両陛下の被災地入りは千葉県旭市に次いで2度目。同漁港は震災で防波堤が決壊し
漁船約120隻のうち半数以上が損壊した。
両陛下は、津波で犠牲になった女性(52)の遺体が見つかった場所でも静かに頭を下げた。
漁港には約500人が集まり、両陛下は「被害はどうでしたか」などと声をかけて歩いた。
引き続き、約40人が避難生活を送る北茨城市民体育館も慰問した。
同行した豊田市長によると、同市役所での昼食には、
同漁港で前日水揚げされたカレイやアナゴの煮付けが入った弁当が出された。
現地では、風評被害による魚の値崩れが起きているといい、天皇陛下は、原子力に対して理解を深め、
しっかりした知識に基づいて行動すべきだという趣旨の発言をしたという。
【真鍋光之】 最終更新:4月22日(金)20時38分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110422-00000029-maip-soci

皇室ウイークリー
2011.4.23 07:00
常陸宮さまは、福島第1原発事故の影響を案じられた。
第1原発から20キロ圏内に住む福島県南相馬市の菅野妙子さん(53)に、
「一時的には帰れるの?」とご質問。
菅野さんが「少しだけ荷物を持ち出したが、もう戻れない…」と話すと、心配そうな表情を浮かべられた。
常陸宮妃華子さまは母親や小さな子供たちに優しく話しかけられた。2人の子供と避難している、
いわき市の深澤尚美さん(30)に華子さまは「2人だと大変ね。夜は眠れる?」とお声がけに。
長男の利玖くん(5)にも、「地震、怖かったわね」「ここではお友達はできた?」と話しかけられた。
常陸宮さまは最後に、胸ポケットからメモを取り出し、お言葉を述べられた。
宮内庁によると、予定していたことではなく、常陸宮さまの“お気持ち”だったという。ここで全文を紹介したい。
「この度、皆さまには東日本の大地震と津波によりご家族や家を失い、
さらに原子力発電所の事故により避難所生活を余儀なくされておられます。
皆さまの避難所での不安やご苦労は、私どもの想像をはるかに超えています。これからしばらくの間、
困難な日々を過ごされると思いますが、厳しく寒い冬の後に暖かい春が来るように、
また蒸し暑い夏の後には涼しい秋が来るように、皆さまがお元気で地元に帰られて、
静かで平和な暮らしに戻られることを願っています。今、日本中が心をひとつにして
皆さんとともに頑張っています。皆さんには、くれぐれも、健康に気をつけてください」
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110423/imp11042307010001-n3.htm

秋篠宮夫妻、群馬の避難所慰問「ずっと思っています」
秋篠宮ご夫妻は25日、東日本大震災の被災者を受け入れている群馬県東吾妻町の町営施設
「岩櫃(いわ・びつ)ふれあいの郷(さと)」、
保養施設「コニファーいわびつ」の2カ所の避難所を訪れ、計約130人を見舞った。
お二人は床にひざをつき、お年寄りら一人一人に「夜は眠れますか」などと話しかけた。
両施設とも、福島第一原発から20キロ圏内の福島県南相馬市や浪江町からの避難者が大半を占める。
「岩櫃ふれあいの郷」で紀子さまは、地震のショックで声が出なくなっている南相馬市の
美容師、佐藤和香子さん(25)に「声が出なくてもいろいろな方法でお話しできますよ」
「ずっと思っていますね」と手話をまじえて語りかけ、抱きしめた。
秋篠宮さまは「身体が硬くなってきたので運動を始めた」という同市の農業、
木幡清治さん(83)を「お元気で早く帰れることを願っています」と励ました。
両施設の避難者らは「避難で家族がバラバラになった」「豚700頭を家に残してきたのが悲しい」
「小鳥を家に置いてきて死なせた」と涙を流しながら話し、お二人は背中や肩をなでながら耳を傾けた。
http://www.asahi.com/national/update/0425/TKY201104250471.html

秋篠宮ご夫妻 東吾妻の避難所訪問
秋篠宮ご夫妻が25日、東日本大震災による家屋被害や福島第1原発事故の影響で
福島県から避難してきた約290人が暮らす東吾妻町原町の避難所2カ所を訪問し、
避難している人たちに励ましの言葉を掛けられた。
ご夫妻は、県中之条合同庁舎で大沢正明知事から本県の避難者受け入れの状況について説明を受けた後、
ホテル「コニファーいわびつ」をご訪問。輪投げや玉入れなどのレクリエーションを
楽しむ避難者の輪に入って「大変でしたね」「お体を大切にしてくださいね」と声を掛けて回られた。
続いて訪れた温泉施設「岩櫃(いわびつ)ふれあいの郷(さと)」でも、ホールで体操をしていた
約40人と約1時間にわたって言葉を交わし、体調や被災地の状況などを尋ねられた。
震災のショックで声が出なくなったという南相馬市の佐藤和香子さん(25)に紀子さまが
「声が出なくてもいろいろな方法で話せますね」と手話で語りかけ、抱き締められる場面もあった。
浪江町から両親と3人で避難している若月芳則さん(61)は「足を運んでいただいて感謝です」と
笑顔を浮かべた。南相馬市の木幡トシ子さん(74)も
「うれしくて涙が出てきました。心が落ち着きました」と話していた。
大沢知事は「避難生活が1カ月以上になるが、皆さんも非常に元気づけられたのではないか」と語った。
http://www.jomo-news.co.jp/news/a/2011/04/26/news01.htm (上毛新聞)

両陛下、宮城県入り 南三陸町などお見舞いへ
産経新聞 4月27日(水)11時10分配信
天皇、皇后両陛下は27日日午前、東日本大震災の被災者を見舞うため、自衛隊機で宮城県に入られた。
午後に津波で甚大な被害を受けた南三陸町を視察するほか、同町と仙台市の避難所を訪問される。
両陛下が東北地方の被災地に入られるのは初めて。
両陛下は午前9時半ごろ、自衛隊機で羽田空港をご出発。
航空自衛隊松島基地(東松島市)に到着後、基地内で、村井嘉浩知事から被災状況について説明を受けられた。
宮内庁によると、両陛下は同庁の羽毛田信吾長官を通じて、
村井知事に、被災者支援のためのお見舞い金を渡されたという。
被災地に配慮する両陛下のご意向を踏まえ、宮内庁は両陛下の随員を最小限の7人としたほか、
過去の被災地訪問と同様、日帰りの強行軍の日程を組んだ。
両陛下は3月30日に東京都内、今月8日に埼玉県加須市の避難所をご訪問。
「1日も早く被災地に入りたい」というご意向のもと、
震災1カ月の節目が過ぎた14日には、津波で被災した千葉県旭市へ。
22日も茨城県北茨城市を見舞い、両陛下は5週連続で避難所や被災地に足を運ばれている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110427-00000514-san-soci

両陛下 南三陸町と仙台を訪問
4月27日 19時32分
天皇皇后両陛下は27日、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県を訪れ、
南三陸町と仙台市の避難所で避難生活を送る人たちを励まされました。
27日午前、自衛隊機で宮城県入りした両陛下は、
ヘリコプターに乗り換えて午後1時に津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町に到着されました。
両陛下は、町の沿岸部が見える高台に立ち、住宅が流され、
がれきだらけになっている様子を見ながら、当時の状況について
町長から説明を受けられました。そして、被災した現場に向かって静かに頭を下げ、
犠牲となった大勢の人たちを悼まれました。
続いて両陛下は、近くにある歌津中学校の体育館を訪ねられました。
ここでは200人ほどが避難生活を送っていて、天皇陛下は、母親と弟を亡くしたという
女性に「残念ですね。さみしくなったでしょうね」と声をかけ慰められていました。
さらに、小学校の教師の男性から親を亡くした児童もいると聞かされると
「子どもたちはずいぶん大きな痛みを負っているでしょうね」と話されていました。
このあと、両陛下は、津波で大きな被害を受け、
およそ270人が避難生活を送っている仙台市宮城野区のスポーツ施設にも足を運び1人1人を励まされました。
このうち、津波で自宅が流されたという女性は、両陛下の訪問のお礼にと、
自宅の庭があった場所に咲いていた水仙の花を、皇后さまに贈りました。
皇后さまは、かつて阪神淡路大震災の被災地を見舞った際、
お住まいの御所の庭に咲いた水仙の花を崩れ落ちた建物の上に手向けられたことがあり、
被災者からの思わぬ贈り物に笑顔を浮かべられていました。
また、天皇陛下は、津波で妻を亡くした男性に話しかけ、男性の足もとにあった遺影を手にとって静かに見つめたあと、
「津波でお亡くなりになったのですね。大変でしたね。お体を大事にしてください」と声をかけられていました。
避難所では、最後に避難生活を送っている人たちが列を作って拍手で両陛下を見送り、
両陛下も笑顔で応えられていました。両陛下は、27日夜、東京に戻られることになっています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110427/k10015597291000.html

産経抄
5月8日 2011.5.8 03:40
今日は「母の日」ということで、「国母(こくも)さま」という古い言い習わしを思い出した。
天皇の母、つまり皇太后を指す場合のほか、国民の母という意味で皇后のことも言う。
かつては慈愛にあふれたお姿を親しみをこめ、そう表現することが多かったのだ。
▼以前、歴代の天皇に国民の生活を思いやる「民のかまど」の精神が受け継がれていることを書いた。
一方では悲田院などで知られる奈良時代の光明皇后以来「国母さま」の伝統も生きている。
近代では、後に昭憲皇太后と呼ばれる明治天皇の皇后がそうだ。
▼明治37年、明治期最大の国難といえる日露戦争が始まると、その行方に心を砕かれた。
自らは包帯を戦場に送ることに専念される。産経新聞連載の『教科書が教えない歴史』によると
「宮中の一室は包帯製作室と化し夜を徹して包帯作りに精励された」という。
▼天皇陛下とともに大震災の被災地を訪問されている皇后陛下にも「国母さま」の言葉が
ピッタリという気がする。ご体調は必ずしも万全ではないはずだが、ヘリコプターで各地を回られる。
律義に両膝をついて、見舞いや励ましの言葉をかけられる。
▼一昨日、岩手県釜石市の避難所で震度3の余震があった。近くにいた松田節子さんは
思わず皇后さまの手を握ってしまった。皇后さまはしっかり手をとったまま周囲に
「落ち着いてください」と声をかけられたという。松田さんにとって生涯忘れられないぬくもりだろう。
▼「母の日」は米国で母に感謝する日として始まった習慣を戦後、取り入れたものだ。
だが日本人も古くから慈悲深い母の理想像を抱き、母親を大事にする心を養ってきた。
「国母さま」の表現がそのことを教えてくれる。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110508/imp11050803410000-n1.htm