和語燈録

日本人の信仰の特色は、唯一絶対の神のみを信じるのではなく、
多くの神・仏を重層的に信じるところにある。
そのため仏教信者でも、生活の中で神事と関わらざるを得ない。
法然は「念仏を行にしている者が、神社に参詣するのはどうでしょう」という問いに対し、
「さしつかえありません」と答えている(『和語燈録』5「百四十五箇条問答」)。
その理由を、「この世の祈りを、仏にも神にも捧げることは、
そもそもさしつかえることではない。後の世に極楽浄土へ生まれることは、
念仏の他に別の行をすることによって、念仏を妨げればよくないことである。
この世のためにすることは、浄土へ生まれるためでないならば、
神への祈りは、まったくさしつかえないことである」といい
(『同上』4「津戸三郎(つのとさぶろう)へつかわす御返事」)、
後の世を頼むのは念仏以外になく、この世で仏・神への祈りを゜したとしても、
極楽浄土に生まれるためには、まったく価値をもたないから、さしつかえないのである。