大昔の日本は

半年で一年と計算していた、という説がある。
寿命の異様に長い初期の天皇の年齢が半年で一年と計算した結果と仮定したら、
同時期の欧州や中国の王族と同じような年齢や即位年数になる。
神武天皇は 2600年前ではなく、1800年前の人物。アマテラスが卑弥呼と同時代の人物となる。
二倍年暦は、人の年齢だけではなく、暦年の数え方も現在の二倍として計算していた。
『古事記』の中に天孫降臨に関係した記述として、
「故、日子穂穂手見命は、高千穂の宮に五百八十歳坐しき。 御墓はすなわちその高千穂の山の西にあり」
という記述の中の「五百八十歳」とは、290年を意味するのではないか。
そして、神武の東侵を紀元57年頃と考えると、天孫降臨の時期は、BC233年頃になることになる。

神武天皇の即位はBC660年の辛酉の年ではなく正しくはAD241年の辛酉の年。
これは、当時、2季で1年と計算していたから。
未だに 秋分に日、春分の日、とかあるのはその時代の名残とも言われている。

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拾い物

春秋暦(1年が約183日)

雄略天皇の代はすで通常暦法になっていたが、並行して2倍年暦が影で行使されれいた。
後代にまだ2倍年暦行使の時代が残っている。

日本書紀第13巻の最後は、安康天皇3年8月。
この13巻より前の暦は儀宝暦で計算され、14巻より後は、元嘉暦で計算されている。
13巻より前は、いわゆる春秋暦、14巻より後は、通常歴。

さらに日本書紀の元号(天皇記)は越年称元法が基本、古事記は当年称元法が基本。
奈良時代以降現在にいたるまで、当年称元法なので
日本書紀も当年称元法として繋ぎ直し、第13巻以前を春秋暦として繋ぎ直す。
古事記は允恭天皇以降が通常歴で、反正天皇以前が春秋暦。
これにより、記紀ともに繋ぎなおすと、仁徳天皇以降古事記日本書紀双方の治世年数は、ぴったり一致する。

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2倍年暦の傍証
古代史の再検討 http://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/11615416.html