沖縄修学旅行で子供たちが反日に

WiLL2008年9月号
南京よりひどい資料館 沖縄修学旅行で子供たちが反日に
上田真弓

最近新聞各紙の投書欄に、修学旅行で沖縄を訪れた小中学生の投書がよく掲載される。
戦争の悲惨さを知って驚いた、戦争は絶対にいけないと思った、という内容である。
高校歴史教科書の集団自決の記述をめぐる騒ぎで注目を集め、
平和教育の一環として沖縄を修学旅行先に選ぶ学校が増えているのであろう。
彼らが訪れるのは「ひめゆり平和祈念資料館」や「沖縄県平和祈念資料館」などである。
私も昨年訪れたが、あまりにもひどい展示内容に驚いた。
ひめゆり平和祈念資料館では、「ひめゆり学徒隊を初め多くの沖縄県民が犠牲になったのは、
天皇のために死ねと教えた日本の軍国主義が原因であり、日本軍が死を強要したからだ」という展示になっている。
戦争の悲劇を伝えるというよりも、日本に対する怒りを植えつける内容である。
予備知識のない人たちは展示内容をそのまま信じ込み、
軍国主義の日本という国と、沖縄県民を殺した日本軍に憤慨するであろう。
もちろん女学生たちの悲劇、戦争の悲惨さを伝えることは大事である。
しかしここは、反日活動家たちのプロパガンダ施設となっているかのようである。 

ひめゆり平和祈念資料館のパンフレットには、この施設の設立について次のように書かれている。
「沖縄を守備するため、軍は県民の根こそぎ動員を企てると同時に、
学徒隊を編成して生徒たちの戦場動員を強行しました。
持久作戦、根こそぎ動員は、12万人余にのぼる沖縄住民の犠牲をうみました。あれから40年以上たちましたが、
戦場の惨状は、私たちの脳裏を離れません。私たちに何の疑念も抱かせず、
むしろ積極的に戦場に向かわせたあの時代の教育の恐ろしさを忘れていません」
日本軍と戦前の教育に対する恨みつらみで溢れている。
そんな思いでこの施設をつくったのであれば、反日的な展示になるのは当たり前である。
こんな憎しみを植えつける展示を見て、私は亡くなった女子学生たちの死を悲しんで祈る気持ちになれなかった。

摩文仁の丘にある沖縄県平和祈念資料館は、中国にある反日記念館を真似したのかと思われるほど、
日本軍の残虐性を強調している。
外観はヨーロッパのリゾート地にあるホテルを思わせる優美な姿だが、
中の展示はおどろおどろしい恐怖の世界である。
日本軍の残虐さをこれでもかこれでもかと見せつけ、「日本は悪」「日本軍は鬼」と強調する内容である。
写真や映像を使った展示の他に、恐ろしい形相の日本兵の蝋人形まである。
洞窟に隠れた住民たちを、銃剣を付けた銃で威嚇している場面で、
赤ん坊の泣き声がもれないように母親が口を押さえている。
洞窟の外にはアメリカ兵がいるはずなのに、ここにはアメリカ兵はまったく登場しない。
これでは敵は日本軍である。


敵は日本兵?
展示パネルには、どんなことが書かれているのか、展示順にいくつか紹介したい。
まず入ってすぐにある一番目のパネルには、次のように書かれている。

〈沖縄戦への道〉
明治政府は、琉球王府に対して、武力を背景にした「琉球処分」を断行した。
それにともない沖縄県は、皇民化政策によって急速に日本化を進めた。
一方、近代化を急ぐ日本は、富国強兵策により軍備を拡張し、近隣諸国への浸出を企てた。
満州事変、日中戦争・アジア・太平洋戦争へと拡大し、沖縄は十五年戦争の最後の決戦場となった。

いきなり、あの戦争は日本の侵略戦争だったという解説から始まる。
日本を取り巻くアジアの情勢、既に欧米諸国によってアジアの国々が
侵略されていた事実などには目もくれず、
日本が一方的に侵略を始めたという説明である。

〈十五年戦争と南進政策〉
日本は昭和恐慌から脱却するため、大陸浸出を企て、1931(昭和6)年に満州事変をひきおこした。
国内では二・二六事件を契機に軍部の独走がはじまり、日中戦争が本格化した。
やがて戦争は泥沼化し、軍需物資は底をついた。日本は戦略資源を東南アジアへ求め、南進政策へ転じた。
これに対抗して、アメリカは対日石油禁輸などの経済的圧迫を強化したため、アジア・太平洋戦争へと発展した。

日本がすべて悪いという前提の、非常に偏った一方的な見方の歴史認識である。

〈植民地・占領地での皇民化政策〉
皇民化政策は、台湾・朝鮮・南洋諸島など日本の植民地・占領地でも徹底され、
日本語教育や神社信仰・宮城遥拝・日の丸の掲揚が強制された。
また、朝鮮での「創氏改名」、台湾での「改姓名」のように、
「皇民化」のあかしとして日本風の氏名への偏向が強制された。
皇民化政策は、アジアの各地で行われ、民衆の反感をかった。

このコーナーでは、外地の学校で子供たちが日本語を学ぶ授業風景や、みんなで神社参拝する様子などを映像で紹介し、
「皇民化政策の実態は、天皇のために命を投げ出す皇民になることを強要するものでした」
というナレーションが流れている。

〈住民犠牲の諸相〉
沖縄戦の最大の特徴は、正規軍人より一般住民の犠牲者数がはるかに多かったことである。
戦闘の激化に伴い、米英軍の無差別爆撃による犠牲のほか、日本軍による住民の殺害が各地で発生した。
日本軍は沖縄住民をスパイ視して拷問や虐殺をしたり、壕追い出しや、
米軍に探知されないために乳幼児の殺害などをおこなった。
その他、食糧不足から住民の食糧を強奪したり、戦闘の足手まといを理由に、死を強要した。
住民は逃げ場を失い、米軍に保護収容される者もいたが、食糧不足による餓死や、
追い込まれた住民同士の殺害などもおこり、まさに地獄の状況であった。

日本軍は残虐で、米軍は救いの神のように書かれている。
私の横で説明を読んでいた若い男女が衝撃を受けたようで、「信じられない……」とつぶやいて呆然としていた。

〈日本軍による住民犠牲〉
日本軍は兵員、兵器、弾薬、食糧などすべてが不足する中で沖縄戦に突入した。
このため、食糧・避難壕などの強奪や戦場での水汲み、弾薬運搬への動員などによる犠牲を住民に強いた。
さらにスパイ視による住民殺害など残忍な行為もあり、
なかには投降の呼びかけや説得にきた住民を殺害した例もあった。

〈壕追い出し〉
自分たちの住む町や村が戦場となった住民にとって、壕や墓などが避難場所であった。
しかし出血自給作戦をとり首里から南部へ撤退してきた日本軍は、
陣地として使用するという理由で、壕や墓などを強奪した。
避難場所を追われた多くの住民は、砲弾が飛び交う戦場で犠牲となった。

〈スパイ視虐殺〉
軍民雑居の戦場となった沖縄の日本軍は、住民から軍の機密が漏れるのを極度に恐れた。
「沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」という命令も出されていた。
米軍の投降勧告ビラを持っていたり、投降を呼びかけにきた住民は非国民と見なされて、虐殺された例もあった。

〈日本軍の強制による集団死〉
日本軍は、住民と同居し、陣地づくりなどに動員した。住民の口から機密が漏れるのを防ぐため、
米軍に投降することを許さなかった。迫りくる米軍を前に「軍民共生共死」の指導方針をとったため、
戦場では命令や強制、誘導により親子、親類、知人同士が殺しあう集団死が各地で発生した。
その背景には「天皇のために死ぬ」という国を挙げての軍国主義教育があった。

〈乳幼児虐殺〉
住民が避難していたガマ(洞くつ)に入りこんできた日本兵たちは、乳幼児の泣き声によって敵に知られるのを恐れ、
銃剣で脅したり、ガマからの退去を命じた。
避難場所を追われた母子や戦場に放置された乳幼児は、逃げ場を失い、各地で数多くの犠牲を出した。

〈朝鮮人の虐殺〉
沖縄では、当時日本の植民地だった朝鮮半島などから強制連行された多くの人々が、各地の部隊に配属され、
飛行場建設や陣地づくり、弾薬運搬、港での仕事など軍夫として作業にあてられていた。
きびしい労働に加え、十分な食糧も与えられなかった。
「韓国人慰霊塔」には一万余名の朝鮮人が犠牲になったと記されている。

〈食糧強奪〉
食糧を入手できなくなった地域では、日本兵による住民の食糧強奪が相次いだ。
なけなしの食糧を強制的に提供させられたり、拒否する場合には殺害されることもあった。
さらに、食糧の乏しい離島では、日本軍にすべての食糧を管理され、住民は飢餓に苦しんだ。

〈地獄の戦場〉
日本守備軍は首里決戦を避け、南部へ撤退し、出血持久戦をとった。
その後、米軍の強力な掃討戦により追いつめられ、軍民入り乱れた悲惨な戦場と化した。
壕の中では、日本兵による住民虐殺や、強制による集団死、餓死があり、
外では砲爆撃、火炎放射器などによる殺戮があった
まさに阿鼻叫喚の地獄絵の世界であった。


これらの説明文を読まされ、おどろおどろしい展示物を見て回った見学者は、暗く重苦しい気分になる。
教師に連れられた小学生の一団が見学していたが、日本兵の蝋人形を見て「こわーい」と騒いでいた。
この資料館を見学して身につくのは、平和の尊さではなくて、
日本という国と日本軍に対する恨み、つらみ、憎しみである。
「ひめゆり平和祈念資料館」と「沖縄県平和祈念資料館」の両方の平和祈念資料館で共通しているのは、
日本は悪で、天皇のために死ねと強要する軍国主義の国で、
日本が外国を侵略して戦争になったという歴史認識である。
日本と沖縄を区別して考え、日本が加害者で沖縄が被害者という認識。
敵がアメリカ軍という認識がなく、アメリカ軍に多くの住民が殺された事実を無視して、
住民をひどい目にあわせた日本軍が敵だという認識である。
修学旅行で訪れた子供たちは、「日本はなんてひどい国だ」と洗脳されて帰ってくるであろう。
引率する教師たちはそれ以上に洗脳され、熱心な反日教師になるであろう。
これは平和教育ではなくて、明らかに反日教育である。
沖縄への修学旅行は教育上極めて危険で要注意である。