国家不信の憲法を正す好機

すいとく(穂徳)第706号(平成25年6月)
時評
正眼・心眼
国家不信の憲法を正す好機
 皇學館大学現代日本社会学部 教授 新田 均

日本国憲法第九十六条には次のように書かれている。
「この憲法の改正は、各議院の三分の二以上の賛成で、
国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。
この承認には、特別の国民投票又は国家の定める選挙の際行われる投票において、その過半数を必要とする」。
簡単に言えば、憲法を改正しようとすれば、全衆議院議員の三分の二の賛成と、全参議院議員の三分の二の賛成と、
さらに投票権を有する国民の過半数の賛成をえなければならないということだ。
逆に言えば、国民の過半数が賛成していても、参議院議員(定数242人)の三分の一強、
つまり、たった81人の参議院議員の反対で憲法改正は出来なくなってしまうのである。
日本国憲法と言えば「国民主権」と誰もが教えられて来た。
その「国民主権」の第一の眼目は「憲法制定権および改正権の行使だ」というのが憲法学の常識である。
ところが、日本国憲法は国民主権を宣言しているにもかかわらず、
過半数の有権者(平成23年10月現在の人口調査によれば約5200万人)が
憲法改正に賛成しても、わずか81人の参議院議員の反対でその権限が行使できない仕組みになっている。
確かに議員を選ぶのも国民自身だが、国民の三分の一強の支持しか得ていない議員達が、
憲法改正権の行使を阻止できるというのは、どう考えてもおかしい。
何故こんな奇妙な仕組みになっているのか。その理由は憲法の前文を読めば分かる。
「(日本国民は)政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
「(日本国民は)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した。」
つまり、日本国憲法のいう国民主権とは、世界の中で戦争を起こす国は第二次世界大戦の敗戦国である
日本、ドイツ、イタリアだけであって、その他の国は全て平和愛好国であるという前提に立って、
日本政府が戦争を起こさないように日本国民に見張らせるためのものなのである。
このように徹底的な日本不信に立っているために、主権を有する日本国民といえども、
そう簡単には憲法が改正できない仕組みになっているのである。
国民主権と言いながら、国民の自由な主権を認めない。これが日本国憲法の最大の矛盾点である。
こんな矛盾が生まれたのは、もちろん、この憲法が戦勝国のアメリカによって作られたものであるからだ。
日本、ドイツ、イタリアさえ封じ込めておけば世界は平和だというのはかなり一方的な見方だが、
その点を抜きにしても、この見方は二世代古い。
まず、日本が占領されていた昭和25年、ソ連に支援された北朝鮮が韓国に攻め込んで朝鮮戦争がはじまった。
これをきっかけに世界は米ソの二大超大国が対立する冷戦時代に突入し、
日本国憲法前文が想定していた世界観・平和観は脆くも崩れ去った。
その結果、日本は再武装することとなり、独立と同時に日米安全保障条約が発効した。
さらに、平成3年にソ連が崩壊して冷戦が終結すると、世界はアメリカを唯一の超大国としつつも、
局地紛争とテロが多発する文明の衝突時代へと移行した。
そして、現在、日本は北朝鮮や中国といった国家エゴをむき出しにしてくる国家の脅威にさらされている。
こうした状況を受けて、この7月の参院選の争点に、憲法第八十九条の改正問題が浮上してきた。
この問題の核心は、単に憲法改正の条件を緩めて憲法改正をやりやすくするというような小手先の話ではない。
日本国民自身が自らの国家の在り様を自らの判断で決定できるようにするという国民としての主体性、
国家主権の回復を本質とする議論なのである。
安倍首相を中心とした憲法改正を主張する勢力が参議院で三分の二の議席を獲得できるかどうか。
そこにこれからの日本の命運がかかっている。今年の7月は熱い夏になりそうだ。