建国記念の日に寄せて

すいとく(穂徳)第679号 (平成23年2月)
正眼・心眼
建国記念の日に寄せて
東京大学名誉教授 小堀桂一郎

大晦日の午夜に旧年を送り、明けて正月の元旦を迎へる事を、
新しい春を迎へる、と把握する感覚は古くから、又広く及んでゐるけれども、
実際には一月の下旬こそが一年で最も寒い、大寒の最中である。
暦の上の事といふのではなく現実の季節の推移の感覚で言へば、
二月こそが新しい春を含んでやつてくる月といふことになる。
二十四節氣の第一番目である立春が新暦の二月四日に当たることはまづ動かないと見てよいし、
その前夜の節分に、人々は夜に追儺の豆撒きをして、寒が明けるとの安心を実感する。
本年はこの節分が旧暦の正月元日で、その翌日二日が節氣の立春に当り、
旧正月と共に現実に春がやつてくるといふ、何となくめぐり合わせのよい年になつてゐる。
暦日の正月元旦と立春とのずれといふ現象に思ひを致す時、多くの人が『古今集』巻一の
冒頭に置かれてゐる在原元方の「年内立春」を詠じた歌
〈年の内に春はきにけりひととせをこぞとやいはんことしとやはん〉を想起すことであらう。
これは正男か子規によつて〈呆れ返つた無趣味の歌に有之候〉と酷評罵倒されたことで却つて有名になつた、
面白い運命の作品なのだが、筆者などは、暦日と季節の歩みの不一致の違和感を巧みに表現した、
或る意味で記念的な佳作であるとの評価を昔から抱いてゐる。捨てたものではない。
立春から一週間後に、国民の祝日としての「建国記念の日」がやつてくる。
元来明治五年に三大節の一として「紀元節」の名の下に国家的祝日に制定された古い由緒を有つ旗日だつたのに、
戦後の米軍による占領中、昭和二十三年の後半に米軍当局から祝日全般の改廢を勧告され、
紀元節を祝日とすることは事実上禁止されてしまつた、さうした苦い記憶のつきまとふ日である。
幸ひ紀元節復活運動は国民的な盛り上がりを見せ、昭和四十一年六月の祝日法の改正によつて
翌年に二十年ぶりの祝典挙行が可能になつたのだが、此の時現行通りの「建国記念の日」と呼名が改められた。
この命名は嚴しく言へば正しくない。二十世紀の後半に入つて次々と政治的独立を達成した
新興の小民族国家群とは違つて、日本の様な古い歴史を有する国は建国の事情を記録した文献が違ってゐるわけではない。
紀元節といふのはキリスト暦での紀元前六六〇年、辛酉の年の正月元日に、この佳き日を卜して
神日本磐余彦尊(かんやまとはれひこのみこと)が大和の橿原宮で
日本第一代の天皇としての即位式を挙げられたと歴史上「考へられてきた」日である。
つまり、神武天皇御即位記念日であり、この日を以て日本国の紀元元年一月一日(もちろん旧暦)とする、
といふ歴史観に基いて制定されたのだとみてよい。この日を明治六年以降の現行の新暦に換算すると
二月十一日になる、この計算の正確なことは学術上折紙付である。
かうしてみると、現に二月十一日が立春の一週間後なのだから、今から二千六百七十一年前の
辛酉の年も、『古今集』巻頭の歌が詠じてゐる様な「年内立春」の年だつたのだといふことに氣がつく。
なるほど、さう言へばこの祝日には、季節の上での本当の新春到来と呼びたい様な
明るさと華やぎがある。その喜びを広く共有する形で、国民一同が挙つてこの日をお祝いしたいものである。

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