伊勢神宮 式年遷宮

伊勢神宮 式年遷宮
http://www.isejingu.or.jp/sengu/index.html

臨時祭主

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式年遷宮「遷御の儀」、皇室とゆかり深く
2013.10.1 21:02
「皇室のご祖先の神」ともいわれる天照大神(あまてらすおおみかみ)がまつられる
伊勢神宮(三重県伊勢市)で20年に1度、
新社殿にご神体を移す式年遷宮のクライマックス「遷御(せんぎょ)の儀」が2日から始まる。
皇室とのゆかりも深い行事で、当日は、秋篠宮さまが皇族代表として参列され、
天皇陛下は皇居で神宮に向かって拝礼する「遙拝(ようはい)の儀」に臨まれる。
社殿とともに新調される御装束や神宝などには、皇后さまが皇居でお育てになった繭の絹糸も使われている。
今回の第62回式年遷宮に関連する諸行事は8年前から始まっているが、約30に及ぶ儀式の中でも、
ご神体を古い神殿から移す遷御の儀は最重要といえる。
20年前も筆頭宮家の当主、秋篠宮さまが参列され、
秋篠宮家がなかった40年前には当時の筆頭宮家の当主、常陸宮さまが参列されている。
今回は内宮(ないくう)で2日、外宮(げくう)で5日、それぞれ午後8時から行われるが、
皇室の祭祀(さいし)を支える掌典職(しょうてんしょく)などによると、同じ時間帯に皇居では、
神嘉殿(しんかでん)の前庭で「遙拝の儀」が行われ、正装の陛下が、
閉じられた屏風(びょうぶ)の中で、お一人で儀式に臨まれるという。
陛下がお出ましになれないときは、皇太子さまが代わって臨まれることになるという。
皇后さまは皇居・御所で、皇太子ご夫妻もお住まいの東宮御所で拝礼されることになりそうだ。
神宮では秋篠宮さまのご参列だけではなく、陛下の勅使として掌典職のトップ、掌典長が派遣されるほか、
掌典職や、雅楽を演奏する宮内庁楽部(がくぶ)の計約15人も赴く。
楽部は、20年に1度の「秘曲」も奏でるという。
20年前の式年遷宮の翌年には、両陛下が神宮を参拝されており、
今回の後も、新社殿をご覧になる機会があるか注目されている。
今回の第62回式年遷宮に関連する諸行事は8年前から始まっているが、約30に及ぶ儀式の中でも、
ご神体を古い神殿から移す遷御の儀は最重要といえる。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131001/imp13100121030001-n1.htm

伊勢神宮でまもなく遷御の儀
10月2日 19時12分
三重県の伊勢神宮で20年に一度行われる「式年遷宮(しきねんせんぐう)」の
クライマックスの行事「遷御の儀(せんぎょのぎ)」が
午後8時から始まるのを前に、儀式を執り行う150人の神職たちが、
神様がまつられている正殿のある敷地に入りました。
伊勢神宮の「式年遷宮」は、社殿や宝物などを20年に一度、新しく造り替える行事です。
内宮では、ご神体を新しい正殿に移す「遷御の儀」が始まるのを前に、
儀式を執り行うおよそ150人の神職たちが太鼓の音を合図に
ご神体がまつられている正殿のある敷地に入りました。
列の先頭には、天皇陛下のお使いや天皇陛下の長女で臨時祭主の黒田清子さんが並び、
たいまつの明かりの中、参道を進んでいました。
午後8時からは、秋篠宮さまや安倍総理大臣など、神宮から招かれた3000人の参列者が見守る中、
ご神体を移す「遷御の儀」が行われます。

1300年の歴史
伊勢神宮の「式年遷宮」は1300年の歴史が伝えられています。
中断されたのは戦国時代のおよそ120年だけで、太平洋戦争のあとは4年延期されました。
式年遷宮が20年に一度行われる理由は「木造建築である社殿の尊厳を保つため」
「宮大工などの技術を伝承するため」「20年は人生の区切りと考えられるため」など、さまざまな説があります。
式年遷宮の行事は8年にわたって続き、合わせて33の行事や神事が執り行われます。
62回目を迎える今回も平成17年から行事が始まり、
社殿や鳥居など65棟の建物と宝物や装束など1600点が新調されました。
そのために、地元のほか、長野県や岐阜県のヒノキの木が1万本余り使われたということです。
一連の費用はおよそ570億円が見込まれています。
式年遷宮で最も重要な行事となるのがご神体を新しい正殿に移す「遷御の儀」です。
内宮のご神体は三種の神器の一つの「ヤタの鏡」で、白い絹のとばりに覆われて、
午後8時、すべての明かりが消されて雅楽が演奏されるなか、
およそ150人の神職によって、現在の正殿の隣に建て替えられた新しい正殿へと移されます。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131002/t10014983821000.html

伊勢神宮内宮で「遷御の儀」…20年に1度の遷宮クライマックス、
安倍首相も出席 3千人の特別奉拝者見守る
2013.10.2 20:32
20年に1度の伊勢神宮(三重県伊勢市)の式年遷宮は2日夜、
新しい社殿にご神体を移す「遷御の儀」が内宮で営まれた。「浄闇(じょうあん)」と呼ばれる神聖な闇の中、
絹のベールに包まれたご神体は、神職らによって現社殿の西隣に同じ規模で造られた新宮に納められた。
内宮には皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)が祭られ、遷御の儀には臨時祭主の黒田清子(さやこ)さん、
鷹司尚武大宮司ら神職約150人が束帯や衣冠など古式の装束に身を包んで奉仕した。
午後6時、太鼓の音を合図に神職の一行が斎館を出て正殿へ。同8時、明かりが消された神域では、
絹垣(きんがい)と呼ばれる絹の幕に囲まれたご神体が、新社殿に向けて出発し、
太刀などの御装束神宝とともにとどこおりなく移された。
皇族を代表して秋篠宮さまが参列され、安倍晋三首相も出席。
各界の代表ら約3千人の特別奉拝者が特設席から見守った。
式年遷宮は持統天皇の4(690)年から続くとされ、65の社殿などを造り替えるだけでなく、
約1600点の御装束神宝も新調する。20年ごとに一新することで、神様の瑞々しさを保つ
「常若(とこわか)」の精神が根底にあり、1300年にわたって続けられ、国の繁栄や国民の幸せを願っている。
第62回となった今回は、用材を切り出す山の神を祭る平成17年5月の「山口祭」から始まり、
約30の祭事が行われてきた。総費用は約550億円で、神宮の資金や寄付などでまかなわれている。
内宮の一般参拝は、3日午前5時から再開。
5日夜には、衣食住の神・豊受大神(とようけのおおみかみ)を祭る外宮でも遷御の儀が行われる。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131002/wlf13100220360019-n1.htm

伊勢神宮で奉幣の儀
重県の伊勢神宮では、2日夜行なわれた「式年遷宮」のクライマックスの行事、「遷御の儀」の成功を祝い、
天皇陛下からのささげ物を奉納する「奉幣の儀」が行われました。
伊勢神宮の内宮では2日夜、ご神体を新しい正殿に移す式年遷宮最大の儀式、「遷御の儀」が行われました。
3日は儀式の成功を祝って天皇陛下からのささげ物を奉納する「奉幣の儀」が行われ、秋篠宮さまが見守るなか、
祭主の池田厚子さんと陛下のお使いを先頭に遷御の儀と同じ装束を身にまとった神職など
およそ200人が境内を進みました。
そして、新しい社殿にささげ物の絹などの布と、玉串を納めました。
このあと神職たちは古式にのっとってつくられた料理を囲み酒を口にする行事「饗膳の儀」を行い、成功を祝いました。
内宮ではこのあと3つの行事が行われ、最後の「御神楽」をもって内宮での一連の行事はすべて終わります。
10月03日 13時06分
http://www3.nhk.or.jp/tsu/lnews/3074449021.html

伊勢神宮 厳かに内宮遷御 2013年10月3日 朝刊
二十年に一度社殿を建て替え、奉納する宝物や装束なども新調して神様に引っ越してもらう
伊勢神宮(三重県伊勢市)の式年遷宮は二日夜、八年間にわたって続けられてきた祭事や行事のクライマックスで、
新しい社殿のうち正殿にご神体を移す「遷御(せんぎょ)の儀」が内宮(ないくう)で営まれた。
戦国時代に中断はあったが、約千三百年前の飛鳥時代から続くとされる神事で今回が六十二回目。
今年五月には、出雲大社(島根県出雲市)でも修復を終えた本殿にご神体を戻す
「本殿遷座祭」が六十年ぶりに行われた。
両行事が重なるのも六十年ぶり。
安倍晋三首相や、皇族代表として秋篠宮さまも参列。
伊勢神宮によると、現職首相の参列は一九二九年(五十八回)の浜口雄幸(おさち)首相以来で、戦後初めて。
招待された特別奉拝者約三千人が儀式を見守った。
なぜ二十年に一度なのか、明確に根拠を示す文献は残っていないが、伊勢神宮の事務を取り扱う神宮司庁によると、
社殿や宝物などを二十年に一度新しくすることで、常に若いまま、いつまでも変わらない永遠の姿を目指し、
国の繁栄を願う「常若(とこわか)」の精神が込められている。
内宮は皇室の祖神とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭っている。
遷御の儀には、天皇陛下の代わりに天照大神に仕える立場の臨時神宮祭主で
天皇家の長女、黒田清子(さやこ)さん(44)や、
鷹司尚武(たかつかさなおたけ)大宮司ら神職、天皇陛下が遣わした勅使(ちょくし)ら計百数十人が奉仕した。
この日は正午ごろから新正殿を飾り付ける「御飾(おかざり)」の儀式が行われ、
午後一時から一般拝観は停止。午後八時ごろから、たいまつの火だけがともり、雅楽が流れる闇の中、
絹で覆われたご神体の「八咫鏡(やたのかがみ)」が旧正殿から新正殿に運ばれ、その後、宝物も一緒に奉納された。
今回の式年遷宮は、社殿の用材伐採の安全を願う二〇〇五年五月の山口祭から始まり、
これまで三十近い祭事や行事があった。五日夜には外宮(げくう)でも遷御が行われる。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013100302000123.html

伊勢神宮内宮で遷御 20年に1度、遷宮最高潮
2013年10月2日 22時37分
三重県伊勢市の伊勢神宮内宮で2日夜、新しい正殿にご神体をうつす遷御が営まれた。
20年に1度、8年がかりで社殿などを建て替える式年遷宮の集大成。1300年以上続く伝統は、
次の20年へと引き継がれた。
遷御に先立ち、皇族代表の秋篠宮さま、安倍晋三首相ら参列員が、ご神体の八咫鏡をまつる正殿がある西側の社殿へ。
午後6時、天皇陛下の勅使の手塚英臣・宮内庁掌典長、黒田清子臨時祭主、鷹司尚武大宮司をはじめとする
神職ら百数十人らが社殿に向かって歩みを進め、儀式が始まった。
午後8時前、明かりが一斉に消され、勅使の「出御」の声とともに、
絹の幕に囲まれたご神体を神職らが正殿から出し、調度品の神宝を持って動きだした。
新しい正殿にご神体が入御した後の8時37分、明かりがともった。
式年遷宮は690年、持統天皇の時代に始まった。
戦国時代の中断や太平洋戦争後の混乱による延期を挟み、今回で62回目。
現職首相の参列は、1929年の浜口雄幸首相以来で、戦後は初めて。
内宮は、天照大神をまつる。天照大神の食をつかさどる豊受大神をまつる外宮の遷御は5日に営まれる。
(中日新聞)
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2013100290223737.html

ご神体、新しい正殿へ…外宮でも「遷御」の儀
三重県伊勢市の伊勢神宮外宮で、5日午後8時から20年に1度の式年遷宮の「遷御」の儀が行われ、
2日の内宮に続き、ご神体が新しい正殿にうつされる。
用材の伐採の安全を祈る「山口祭」(2005年5月)から8年をかけて準備が進められてきた遷宮は、
5日の遷御と6日の御神楽などで、内宮、外宮両正宮での祭事は全て終わる。
外宮では4日、新宮の安泰を祈る「後鎮祭」と、新調された神宝や装束を照合する「御装束神宝読合」、
神宝や装束とともに神職らをはらい清める「川原大祓」が行われ、遷御の準備を整えた。
(2013年10月4日21時29分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131004-OYT1T01119.htm

外宮でも今夜遷御 「御飾」始まる
2013.10.5 13:05
伊勢神宮(三重県伊勢市)の式年遷宮は、外宮(げくう)のご神体を新しい正殿(しょうでん)に移す
「遷御(せんぎょ)の儀」を5日夜に控え、
新しい正殿内などを装飾する「御飾(おかざり)」が同日正午から行われた。
御飾は、新正殿や東西宝殿(ほうでん)などの内部を調進された装束で飾り、遷御の準備をする儀式。
外宮は、衣食住の神である豊受大神(とようけのおおみかみ)を祭り、
遷御の儀は2日夜の内宮(ないくう)とほぼ同様に行われる。
外宮では5日午前、遷御前の最後のお参りをする人々の姿が絶え間なく続いた。遷御は午後8時から始まる。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131005/wlf13100511490007-n1.htm

伊勢神宮外宮でも遷御 秋篠宮さまら参列
2013年10月5日 22時19分
伊勢神宮(三重県伊勢市)の社殿と神宝を20年ごとに一新する式年遷宮で5日夜、
ご神体を新正殿へうつす遷御が、2日夜の内宮に続いて外宮でも営まれた。
皇族代表の秋篠宮さまらが参列し、政財界関係者や文化人ら約4千人が、1300年以上続く祭事を見守った。
午後8時前、参道の明かりが一斉に消され、神職が天の岩戸の故事にちなみ、「カケロー」と鶏の鳴きまねを発声。
天皇陛下の勅使が「出御」と合図し、絹の幕で取り囲みながら正殿内からご神体を運び出した。
ご神体を中心に、元皇族の黒田清子臨時祭主や鷹司尚武大宮司、神宝を手にした神職ら百数十人が列をなし、
参道沿いに西隣の新正殿へ。たいまつの明かりだけを頼りに300メートルほど進み、
20分ほどで新正殿内にご神体を納める「入御」となった。
外宮は、天照大神の食をつかさどる豊受大神をまつり、
安土桃山時代から内宮と同じ年に式年遷宮が営まれるようになった。
外宮のご神体は公表されていない。
6日の諸祭が終われば、8年がかりで準備してきた62回目の遷宮は内宮、外宮ともに終わりを迎え、
伊勢神宮の内外にある14の別宮の遷宮へと移っていく。
(中日新聞)
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2013100590221926.html

2013年10月5日21時50分
伊勢神宮、外宮でも「遷御の儀」 拝観者4千人が見守る
20年に一度の式年遷宮が続く三重県伊勢市の伊勢神宮で5日夜、
内宮に続き外宮でも神体を移す「遷御(せんぎょ)の儀」があった。
皇族代表の秋篠宮さまらが参列し、約4千人の拝観者が暗闇のなかでの儀式を見守った。

重なる遷宮 伊勢と出雲
外宮新正殿に納める神宝や装束は内宮より数が少なく、神職らの列もやや規模が小さい。
神体が旧正殿を出る間際、3度発せられる鶏をまねた鳴き声も内宮は「カケコー」だが、
外宮は「カケロー」といった違いがある。
あかりが消された後、天皇の使いである勅使が「出御(しゅつぎょ)」と3度告げると、
午後8時、神体を運ぶ神職ら百数十人の列が動き出した。
この夜のためだけに設けられた屋根付き回廊の「雨儀廊(うぎろう)」の下を西側の新正殿に進んでいった。
外宮は内宮から北西に約5キロ離れた市中心部にある。正殿の造りは内宮よりやや小さく、
屋根の上の鰹木(かつおぎ)は内宮より1本少ない9本。千木(ちぎ)の先端の切り方も異なる。
式年遷宮の祭事も内宮とは日をずらして営まれる。
2005年5月に祭事が始まった式年遷宮は、両宮での中心的儀式を終えた。
http://www.asahi.com/national/update/1005/NGY201310050010.html

伊勢神宮式年遷宮 外宮で「遷御の儀」
産経デジタル 2013.10.5 22:11 
20年に1度、社殿などを造り替える伊勢神宮(三重県伊勢市)の式年遷宮は5日夜、
内宮(ないくう)に続き外宮(げくう)でもハイライトとなる「遷御(せんぎょ)の儀」が営まれ、
ご神体が新宮に移された。
6日は天皇陛下からの捧げ物「幣帛(へいはく)」を奉る「奉幣(ほうへい)」などが行われ、
内宮と外宮では祭事が終了。8年にわたり続いてきた遷宮祭が幕を閉じる。
これまでの正殿から西隣の新宮にご神体を移す外宮の遷御は、天皇陛下の使者である勅使や
臨時祭主の黒田清子(さやこ)さん、鷹司尚武大宮司ら約120人が奉仕。
皇族代表として秋篠宮さまが参列された。
神職が内宮の「カケコー」とは違う鶏の鳴きまね「カケロー」を三唱して儀式が始まると、
ご神体は絹の覆いに囲まれて正殿から運び出され、約300メートル先の新正殿へ。
約4000人の特別奉拝者に見守られ、「浄闇(じょうあん)」と呼ばれる夜のしじまに小雨が降る中、
ご神体は新宮に納められた。
http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/131005/lif13100522120034-n1.html 

伊勢神宮 〝神話記者〟が式年遷宮で感じた「神」 
2013.10.5 22:36
20年に1度の伊勢神宮の式年遷宮は、クライマックスの「遷御(せんぎょ)の儀」をとどこおりなく終えた。
長期連載「神話を訪ねて」を担当してきた記者は、伊勢の地で何を感じたのか。

■「匠の技」に宿っている
神域にはヒノキの香りが満ちていた。内宮(ないくう)「遷御の儀」翌日の3日夕、
新正殿(しょうでん)へ続く参道を歩いた。
大勢の人たちでにぎわった日中と違い、あたりは静謐(せいひつ)な空気に包まれていた。
遷宮では、社殿だけでなく灯ろうなども新調されている。参道を照らす1本の柱にそっと触れてみた。
ぞっとするような滑らかな木肌の感触。柱の内側からは温かさも伝わってきた。
「匠の技」。遷宮に関する記事で何度もそう書いた。正殿など主要社殿だけでなく、
あらゆるものに心を込めて仕事をすることこそが、匠の魂だったのだ。
日本は西洋のような一つの絶対神ではなく、万物に宿る八百万(やおよろず)の神を信じてきた。
本紙連載「神話を訪ねて」の取材では、そんなおおらかな日本人の心を伝えようと思った。
新正殿に移った天照大神(あまてらすおおみかみ)だけでなく、
神様は灯ろう一つ一つに宿っている。そう確信した遷宮だった。(小畑三秋)

■天照大神の風が吹いた
遷御を見守る人たちにとって、まさにそれは「神」の存在を感じさせる出来事だった。
内宮の「遷御の儀」が行われた2日、ご神体を新正殿に移す渡御行列が動き出す午後8時少し前に、
あたりを闇の世界に戻すため、神域内の明かりがすべて消された。
特別奉拝席を埋める3千人が静寂のなかに沈む。その時、東の空から西へ、一陣の風が吹いた。
遷御を待つ間、風は絶えずそよいでいた。しかし、夜のしじまを吹き抜けるその風は強く、木々を揺らし続けた。
特別奉拝者は口々に「風が回った」と話していた。「神様が喜んでいるように感じた」。1人が漏らした言葉に同感した。
風は太陽によって起こるという。太陽光が地表に当たることで生じる温度差が影響するのだ。
伊勢神宮には、太陽の神、天照大神が祭られていると実感した。(佐々木詩)

■現代の「うまし国」めざし
内宮の遷御の儀の出稿作業が終わった2日深夜、宇治橋前の広場には徹夜組が集まり始めていた。
早朝5時の開門を取材するため、五十鈴(いすず)川のほとりで一夜を過ごした。
眠りを誘う穏やかな風は、新居に遷(うつ)った神様の気持ちに思えた。
赤福本店の開店支度の音で目覚め、開門直後の宇治橋を渡った。満点の星と弓のような新月。(※原文のまま)
魚の丸い水紋が川面を水玉模様にしていた。
鶏が鳴いて夜が明け、最初に行われた儀式は「大御饌(おおみけ)」。
米やアワビなど地場食材による神様の“朝食”を神職の列が運んだ。
「可怜(うま)し国なり。この国に居らんと欲す」。
ヤマトヒメに伝えて伊勢に鎮座した天照大神は、美味を生む自然を愛する神様だ。
開門時の広場には20年前にはなかった500メートルを超す大行列ができた。
この盛り上がりを、現代のうまし国づくりにつなげたい。(川西健士郎)
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131005/wlf13100522470031-n1.htm

外宮でも奉幣や大御饌 全ての諸祭事終わる 御神楽最後に
2013/10/7(月)
【伊勢】二十年に一度の伊勢神宮の大祭、第六十二回神宮式年遷宮は六日、
伊勢神宮外宮で、天皇陛下が神に奉られる絹の布「幣帛(へいはく)」を新たな正宮に納める
「奉幣(ほうへい)」などの儀式が執り行われた。宮内庁楽師らの御神楽(みかぐら)を最後とし、
内宮に続いて全ての諸祭行事を終えた。
午前十時ごろに始まり、陛下のお使いの勅使と池田厚子祭主以下神職約五十人が奉仕した。
参道からは、幣帛を入れた二つの箱を台に載せて運んだり、
勅使や祭主らがサカキの枝の太玉串(ふとたまぐし)を両手に持って歩く姿が見られた。
参拝の時間帯で沿道は人だかりとなった。正宮では皇族代表として秋篠宮さまが見守られた。
一方、御神楽は人けのない夜に営まれ、勅使と黒田清子臨時祭主以下神職ら、
宮内庁の楽師十二人が、たいまつの火に導かれて進んだ。正宮内の四丈殿で、
遷宮奉祝と国家安寧の祈りを込めた雅楽の舞と音色を夜が更けるまで演じた。
同日中に大御饌(おおみけ)、古物渡(こもつわたし)、御神楽御饌の三つの儀式も滞りなく済み、
今月一日から六日連続となった内宮外宮の「遷宮祭」が完了した。
http://www.isenp.co.jp/news/20131007/news01.htm

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http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/03/h25/gonittei-3-2013-4.html
平成25年10月2日(水)
文仁親王妃殿下,眞子内親王殿下,佳子内親王殿下並びに悠仁親王殿下ご遙拝(皇大神宮式年遷宮につき)(宮邸)

平成25年10月5日(土)
文仁親王妃殿下,眞子内親王殿下,佳子内親王殿下並びに悠仁親王殿下ご遙拝(豊受大神宮式年遷宮につき)(宮邸)


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伊勢神宮 日出づる母なる「神宮」 聖地62回目の式年遷宮
2013.1.1 08:00 [始動2013年]
五十鈴川にかかる宇治橋を渡り、広い神域の玉砂利の上を歩む。
見上げるばかりの木立は、身の引き締まるような静寂を醸し出す。
日本人の心の故郷とは、かくあらむ。そう思わせるのが伊勢神宮である。
正式名称は「神宮」。皇祖神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)を主祭神とする内宮があるだけに、
格式も格別である。
が、古事記の神話では意外にも、記述されるところが少ない。
東征するヤマトタケルノミコトが神宮の斎王である叔母、ヤマトヒメノミコトに会いに行く場面のみだ。
「天皇既に吾(あれ)の死ぬことを思ほす所以(ゆえ)か、何ぞ」
矢継ぎ早に遠征を命じる父、景行天皇への不信、不満をヤマトタケルは、涙ながらにぶつける。
ヤマトヒメは草那芸釼(草薙の剣)とともに、危急の時にはこの口を開けよと言って御袋を授ける。
ヤマトタケルの軍功を支えた草薙の剣は天照大御神の弟、須佐之男命(すさのおのみこと)が、
退治したヤマタノオロチの体内から取り出した聖剣である。
神宮とヒメは、ヤマトタケルを物心両面で支える存在として描かれているのだ。
「降臨した日本人の祖先は、神武天皇の代に九州から東進した。
伊勢はその先で、海に面して日の出が拝める土地。天照大御神を祭るのはごく自然の選択だったのではないか」
毛利正守・皇學館大教授が指摘するように、神宮は太陽神を祭るにふさわしい位置にある。
それが故に、日本人の心の故郷になるのであろう。懐かしい母なる地、それが伊勢である。
神宮は今年10月、62回目の式年遷宮を迎える。持統天皇の御世から20年に一度、
1300年以上も続く社殿造営は甦りの象徴でもある。古事記が伝える神話とともに、
ここにもまた、大切な日本人の源流が息づいている。
(安本寿久)
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130101/wlf13010108000000-n1.htm

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果てしなく美しい日本
ドナルド・キーン 足立康訳
生きている日本(1973年8月)より 伊勢の遷宮(第59回・1953年)についての記述


P113
神道のもっとも重要な聖地は伊勢の大神宮で、
それは世俗的な不信心者さえ神々への信仰が呼び覚されるようなすばらしい美景の地に位している。
そこを訪れると、先ず第一に、五十鈴川の流れが目に入る。
嵐の後でも清く澄み切ったその水で、巡礼たちは神社に近づく前に、禊を行う。
神社への道は、生い茂る壮麗な檜の大木に囲まれ、
真っ直ぐに生い立った木々の素朴な壮大さは日本的な理想を象徴しているかのようである。
建物自体は古くはないが、それらは古代の伝統の姿を、まったくありのままにとどめている。
二十年ごとに新しい建物が建てられ、古い建物と代えられるが、新しいものは古いものの完全な複製である。
1953年(昭和二十八)年、伊勢大神宮第五十九回目の遷宮の儀式が執り行なわれた。
新殿建築の費用が国庫によってではなく一般からの寄進によってまかなわれ、また、儀式に招かれた客たちの中に、
宗教界と政界の貴賓たちばかりでなく農民や主婦が含まれていた点で、それは常にない儀式であった。
古代神道の礼式の伝統によって、儀式は日暮れまで始まらなかったが、
人々は午後三時までに参会しなくてはならなかった。
参拝者たちは地面に拡げられた薄い茣蓙の上に五、六時間もの間座っていなければならず、
ほとんど肉体的な忍耐力の離れ業だったにもかかわらず、一言の私語も交わされることはなかった。
そびえ立つ樹々はおのずから深い沈黙を強いているかのようで、
微かに伝ってくる町の往来やラジオの音は、あたかも別の世の出来事のように思われた。
日が暮れて提燈が灯されると(日本のあらゆる祭りに、提燈は不可欠である)、
最初の行列が旧殿から現われ、新殿に向かってゆっくりと移動した。
それは、大工や、屋根ふき職人や、その他実際に新殿を建築した労働者たちの列であった。
彼らはこわばった青い衣を身にまとい、儀式における自分たちの役割に誇りを抱いて、重々しい足取りを進めていった。
後には、またいくつかの行列が続いた。
それぞれひとつずつの儀式の道具を捧げ持った全国のあらゆる大社の大神官たち。
天皇の勅使(モーニングとシルクハットに身を固めた彼の弟)。
そして、最後に、漆黒の闇の中、神官たちが捧げ持つ白絹のテントに包まれて、
他ならぬ天照大御神自身が、彼女の新たな神社へ伴われていく。
水を打ったような沈黙の中を、神官たちの衣のきぬずれの音と、掃き清められた砂利の上の木沓の反響が、
この世のものとも思われぬ鬼気せまる倍音を響かせた。
神がそこにおわしますことを信ずるのは、いとも易いように思われた。
そのとりわけ神(かむ)さぴた雰囲気ゆえに、伊勢神宮の遷宮は典型的な神道の祭典とはいいがたい。
(後略)