宮中祭祀

■「宮中賢所物語」
1月 1日歳旦祭 ★天皇・皇太子のみ
1月 3日元始祭 その年初めて両陛下・両殿下が揃って拝する大切な行事 (他皇族も)
1月 7日昭和天皇祭
1月30日孝明天皇例祭
2月17日祈年祭 ★天皇・皇太子のみ
3月21日(春分の日)春季皇霊祭
4月 3日神武天皇祭・皇霊殿御神楽
6月17日香淳皇后例祭
6月30日節折(よおり)の儀(大祓い) ★天皇のみ
7月30日明治天皇例祭
9月23日(秋分の日)秋季皇霊祭
10月17日神嘗祭
11月23日新嘗祭
12月15日賢所御神楽
12月23日天長祭 ★天皇・皇太子のみ
12月25日大正天皇例祭
12月31日節折(大祓い) ★天皇のみ
この他に、歴代天皇の式年祭(それぞれの崩御後100年ごと)
★印以外は、他の皇族方も参加。

■宮中祭祀 大祭と小祭
宮中祭祀には、大祭と小祭がある。
大祭は、元始祭(1月3日)、紀元節祭(2月11日)、
春季皇霊祭、春季神殿祭(ともに春分日)、神武天皇祭(4月3日)、
秋季皇霊祭、秋季神殿祭(ともに秋分日)、
神嘗祭(10月17日)、新嘗祭(11月23日より24日に亘る)のほか、
先帝祭(毎年崩御日に相当する日)や先帝以前三代の式年祭(崩御日に相当する日)
大祭は、天皇が皇族や官僚を率いて祭典を主催し、御告文を奏する。
そのほかに小祭があって、大祭と小祭の間には、準大祭といわれる祭祀がある。

■斎宮物語
「伊勢の祭主」
現在は既婚者が祭主になることもあり、かつての因習はなくなったようですが、
本来は、天皇家から伊勢神宮に姫を「捧げる」ことを指していました。
昔は斎王と呼ばれた。 (在所を「斎宮」と呼ぶところから、斎王その人も斎宮と呼ばれた)
天皇の代替わりがあると伊勢の斎王も交代します。
斎王は皇族の未婚の姫(天皇の娘とは限りません)の中から占いで選ばれます。
大体が母親の身分が低かったり、寵愛が薄かったりするので、
占いで決めるといっても、あまり公平な選び方ではなかったようです。
斎王が任を終えて都に帰ることを退下(たいげ)と言います。
天皇が死んだ時、または譲位した時に斎王の任が解かれます。
また斎王の父が天皇以外の場合には、両親のどちらかが死んだ時に任を解かれます。

■新嘗祭
宮中の新嘗祭は23日午後6時から8時までの「夕の儀」と、
午後11時から24日午前1時までの「暁の儀」の2度にわたっての祭儀がおこなわれます。
皇居内の神嘉殿において「夕の儀」では夕食を
「暁の儀」では朝食を天皇陛下御手ずから神々にお取り分けになり食事を共にされ、
私ども国民の平安をお祈り下さいます23日は戦前「新嘗祭」という祭日でしたが、
戦後は「勤労感謝の日」と改称され休日の一つとなってその意義も忘れられてしまいました。
私達が夕食をしている頃に天皇陛下は神々と夕食をともにされ、
そして私達が寝静まる頃には再び神々と朝食を共にしておられます。
暖房の設備もない神嘉殿において、尊き御身ながら2時間もの
長い時間を正座の御姿勢をおとりになりお祀りを遊ばします御姿は誠に恐れ多いことであります。

新嘗祭

■天皇さまと祭り
日本の国が始まって以来、天皇陛下の最も大切なお務めは、
御親ら(おんみずから)世の平らぎをお祈りになるお祭りを行われることです。
陛下が宮中で御斎行(ごさいこう)になられる恒例のお祭りは、
私たち国民一人ひとりにとっても、きわめて大切なお祭りです。
陛下のお祭りは、決して私的な信仰、皇室内のお祭りではなく、
常に国の発展、国民の幸福、世界の平和をお祈りになられる広い意味をもったものだからです。
陛下は、常に天照大御神の御神意をはじめ、御歴代天皇の御志(おんこころざし)を体すべく、
まごごろを尽くしてお祭りを続けられています。
それは、日本の国の繁栄を祈念された天照大御神の御心(みこころ)を継承し、
その御心をこの現代において生かすことを願われているからにほかなりません。
このお祭りを連綿と今日まで行われてこられたのが、歴代の天皇さまです。
私たちのくらしの背後には、常に天皇さまのお祭りとお祈りとがありました。
こうしたお祭りとお祈りがあればこそ、私ども国民の生活が今日のように豊かに、
そして国の発展とがもたらされてきたといえましょう。

■宮中歳時記(小学館文庫)
入江相政侍従長
元日最初に行われる祭祀が四方拝(しほうはい)
これは年災をはらい、五穀豊穣と国家・国民の幸福と皇室の隆盛を祈願する年頭の大切な儀式。
まだ、夜も明けない真っ暗なうちから 準備が進められ、午前4時になると儀式が始まる。
これは天皇陛下自らが行う遙拝の儀式なので、天皇陛下が病気などの時は 中止になる。
代拝が認められない儀式だけに、おちおち風邪もひけない。

午前九時を過ぎると、宮殿は大変な賑わいになる。
新年祝賀の行事は分刻みのスケジュールで進行する。
宮殿の全ての部屋を使い、祝賀に集まる人々を休所、両陛下の祝賀、祝い酒と次々にさばく。
両陛下は皇族方とご一緒に、宮殿の部屋を次から次へ移動なさって、祝賀をお受けになる。
祝賀に参内する人々は、宮内庁関係者、皇族、旧皇族、内閣総理大臣はじめ各大臣、
衆参両院議長はじめ国会議員、最高裁判所長官はじめ裁判官、認証官などである。
ご昼食はこれらの行事の間をぬって両陛下と皇族方とで宮殿の食堂であわただしいうちに簡単におすませになる。
お食事の始まるのは午後一時に近い。
ご昼食も早々にして午後の祝賀が始まる。各国の日本駐在大使の祝賀である。
宮殿松の間に、お国ぶりの正装をした大使夫妻が一人ずつ両陛下の午前に進んでご挨拶をする。
両陛下、皇族方はその間30分以上、松の間中央にお立ちになったままである。

■入江相政日記
昭和天皇が満六十八歳となったときから、
以後、新嘗祭は夕の義の四十分だけとし、暁の義は中止とした。

(皇室ジャーナリスト これを引用した上で)
平成になり、本来の姿へと戻された。
十日ごとの旬祭のうち、毎月一日は三殿へ参拝。 年間三回ほどの祭りを厳修している。
日本の神々に祈りを捧げる天皇について、美智子皇后は一九九五年の誕生日に、次のように語っている。
国民の叡智がよき判断を下し、国民の意思がよきことを志向するよう、(天皇が)祈り続けていらっしゃることが、
皇室存在の意義、役割を示しているのではないかと考えます。

■天皇さまお脈拝見
12/31の行事、節折(よおり)と大祓(おおはらえ)
「節折とは、天皇がしらずしらずのうちにおかした罪や穢れを祓い清めるというのがその主旨、
これは午前二時から。続いて午前三時からおこなわれるのが大祓。
大祓は、国民一人ひとりが、やはりしらずしらずに犯した罪穢れを祓い清めるというのである。
大晦日の行事がそうして終ると、陛下は潔斎されたお身体を保たれたまま
翌日元旦の四方拝、歳旦祭を迎えられるのだ。
四方拝は、天皇が年頭にあたり、五穀の豊穰、国家国民の安寧を祈って伊勢神宮をはじめ、
各山陵、四方の天神地祇を遥拝するという、宮中古来からの恒例の行事である。
つづいて陛下は、賢所、皇霊殿、神殿のいわゆる宮中三殿におもむかれて玉串を捧げられる。
これが歳旦祭といわれるものである。歳旦祭が終るころに、ちょうど夜もしらじらと明けてくるのだから
大晦日から元旦にかけては、陛下はほとんど、お寝みになる間もないくらいだ。
夜が明けきれば明けきれたで、つまり元旦の日にはこれまた行事が目白押しである」

■日本会議国会議員懇談会(2006年9月)
松浦光修皇學館大學教授が「天皇の<本務>とは何か?」と題し、
祭祀と天皇は不可分、祭祀は過酷な仕事、祭祀には禁忌がある、の三点に絞って論じた。
背広姿で公務している天皇、外国の賓客と会見する天皇、被災者を見舞う天皇が天皇の本質ではない。
GHQ政策で歪められた国民の天皇に対する常識に修正を求め
「天皇の本質は宮中三殿で祭祀を勤めること」と述べた。
「神と国民のなかを取り持つ祈りは千年以上微動だにせず今日に至っている」
「午前一時に起床し潔斎の後、四時半からの祭祀に臨む。暖かくもなく極寒で一時間独りで祈る。
肉体的には過酷で、この祭祀が年間三十以上ある」と「祭祀の王」の一端を紹介。
「国民が知らないところで祈っている。日本は天皇の祈りによって守られている国」
「世界史上稀有な存在」と強調。

■「美智子妃」 河原敏明 
宮中祭祀には、天皇が自ら行う大祭と、掌典長(神官)が祭祀をする小祭、
合わせて約20あり、いずれも天皇はじめ各皇族が参列する。
他にも節折(よおり)、大祓(おおはらえ)など神道固有の神事があり、
中でも重要なのが11月23日の新嘗祭。
その年の新穀を皇祖や神々に備え感謝を捧げるとともに、
賢所の内陣では天皇が御飯、 山や海の幸に箸をつけるという農本国家を象徴する神事で
午後6~8時の「夕(よい)の儀」、11~翌24日1時頃までの「暁の儀」と
2回に分けて行われる。太古の時代そのままに庭には篝火がたかれ、
賢所内では灯明の灯りがほのかに揺らぐ幽玄の気の中に、
天皇お一人がこもって祈りを捧げられる神秘の儀式である。

■小冊子より
天照大神
イザナギとイザナミが国産みで日本を作った後、
二人が決裂してイザナギが潔斎したときに生まれたのが天照大神・月読尊・スサノオの尊の三貴神。
イザナギはこの世の権限を天照大神に託した。
そして天照の孫が地上に降り、その子孫が天皇家になった。
天照大神(天上の神=天津神)と日本にいるすべての神々(地上の神=国津神)、
そして歴代天皇皇后・皇族を祭っているのが宮中三殿。
東京にいながらにして、八百万の神々を祭れるような状態にしてある。
そこで日本の安泰と平和を祈るのが祭祀。
皇族方も神として祭られているので、先祖供養のようなものも祭祀の一旦になる。

天皇家の始祖が天照大神だから女系ということにはならない。
むしろその逆で、天照大神だから男系でなくてはならない。
天照大神は超絶した女性神で、大嘗祭を通じて三種の神器の継承を司っている。
土俗的祭祀でも「山の神」や「海の神」はみんな女神。
だから昔から、女が山に入ることや海の猟に出ることが忌み嫌われた。
なぜなら、女が山や海に入ると、その女神が嫉妬して怒るから。
修験者の山などに「女人禁制」の結界があるのもこうした理由から。

天照大神が三種の神器をニニギノミコトに与えて天孫降臨させた後、
三種の神器は「男系」のみによって継承されなくてはならない。
三種の神器継承の儀式が大嘗祭で、この時は天照大神と対座なさる。
これが神道的な意味での男系継承の意義。
男女差別云々の問題ではなく、女性神が司る国。

天皇は神ではなくて人間、その祖先も人間。
天照大神は人間と交わる。相手は人間であるために寿命がつきる。
だから、その男の血をひく子と、また、契る。そうして代々、天皇家を守護していく。

■貞明皇后伝記
大正天皇を10年も介護し、死後は自分が死ぬまで四半世紀もの間、毎日午前中全部と夕方二時間拝殿で祈った。
吹きっさらしの壁の無い建物でコンクリートに一枚畳を敷いてじかに座ってだった。
御所の掃除奉仕団への挨拶もおざなりではなく前夜必ず詳細な地図や資料で下調べをする。
大正天皇の病室でボーッとつったっている良子様(香淳皇后)に貞明が一言「おしぼり!」と言った。
「良子はビクッとして手袋も脱がず、いきなりタオルを握った。」

■櫻井よしこさんのブログより
http:// yoshiko-sakurai.jp/
『天皇陛下の全仕事』によると、天皇陛下は元旦の午前5時半には
宮中三殿に並ぶ神嘉殿(しんかでん)の前庭にお出ましになる。
庭中央の、屋根だけの東屋風の簡素な建物には清潔な青畳が敷かれ、
陛下はそこで皇室の祖先神が祭られている伊勢神宮に遥拝し、
国の安泰と国民の幸福、農作物の豊作などを祈り四方拝を行われる。
元旦の東京の日の出は午前6時50分頃、したがって周りは暗く、
厳しい寒さの中での厳粛な祈りである。

御所から神嘉殿に向かわれる陛下をお見送りして、
皇后美智子さまが詠まれた歌を、山本氏は紹介する。
年ごとに 月の在(あ)りどを 確かむる 歳旦祭に 君を送りて
歳旦祭に臨む前に、陛下はすでに御所で身を浄め、身装いを正しておられる。
祖先の神々に祈りを捧げるずっと前から始まる仕度を、
皇后さまは陛下と呼吸を合わせるようなお気持で見守っておられることだろう。
そして、いよいよお出ましの時、闇に鎮まる皇居の森から視線を空に上げて、
月の光を探される美智子さまのお姿が浮かんでくる。

今上天皇は、新聞もテレビもあまり報じないこうした古代の祭祀を非常に大切になさるという。
自らを慎み古式の装束での祭祀は年間30回を超えるそうだ。
それを忙しい「公務」の間に手抜きもなさらず、とり行っておられる。
かつて天皇は日本のまつりごとの主宰者だった。
まつりごとは「祭り」であり「政」だった。これを一変させたのがGHQだ。

■皇后さまと子どもたち 宮内庁侍従職監修 毎日新聞社
お子様方にとって宮中祭祀は、ご成年に達するまでご出席はないながらも、
両陛下がお祭を大切にされているご様子を間近にご覧になってきた。
東宮女官、御用掛と現在に至るまで三十年近くを御所に勤めている和辻雅子御用掛は、
お祭の日の御所の様子を次のように伝えている。
「新嘗祭の折などには、祭祀が深夜に及び、皇后様は御装束をお召しになり古式ゆかしいお姿のまま、
御拝を終えられた陛下と共にお祭り終了までお慎みの時を過ごされます。
このような祭祀の夜は『およふかし』と御所で呼ばれておりましたが、
宮様方も一定のご年令に達されてからは、それぞれにこのお時間を最後まで静かにお過ごしになるようになりました。
終了のお知らせが参りますと、お二階の両陛下のお部屋までいらっしゃった宮様方の、
『お滞りなく…』『おやすみなさい』とおっしゃるお声が次々と響き、
祭祀の終わった安堵を感じるものでございました。
ご生活の中に入っている、こうしたある意味特殊なお行事も、その一つ一つをお果しになることが、
ご日常の自然な秩序であり、同時に両陛下やご自身様方の
お立場に伴うお務めを理解される大切な機会となっていたことを改めて思いだします」。

■昭憲皇太后の祈り
昭憲皇太后の祈り

■「天皇家の宿題」 岩井記者
宮中祭祀と皇太子妃 
皇太子妃が宮中祭祀を徹底的に拒否している現状について
「皇室にとって自己否定に均しく、計り知れないほど深刻な状態」
「紀子様は公務に関する陛下のご意思をすばやく察知するのに対し、雅子様はいちいち論理的な説明を求める」

■貞明皇后の真意
評論家・鳥居民 「宮中祭祀廃止論」への疑問
貞明皇后

諸君!2008年7月号 平成皇室二十年の光と影
「提言 われらの天皇家、かくあれかし」 より
■宮中祭祀改革は誰の構想か 八木秀次 (高崎経済大学教授)
国の中心に「国平らかに民安かれ」と常に祈っておられる方が存在するということが、
どれだけ国民に心の安定感を与えていることだろうか。
またどれだけ我が国の発展に寄与しているだろうか。
為政者に頼るところがなく、国民道徳が腐敗する今日にあっても、我が国が辛うじてその地位を保っていられるのは、
こうした皇室の目に見えない「祈り」のお陰であると思わざるを得ない。
「祈り」は何も今上陛下の御代に特有のことではない。「祈り」は皇室の存在理由そのものである。
天皇はその始まり以来、一貫して「国平らかに民安かれ」と祈る祭祀王であり、
祭祀をしない天皇など語義矛盾でもある。
『日本書紀』によれば、皇祖神・天照大神自ら祭祀を行っているし、初代天皇・神武天皇も
「天神地祇を敬い祭」る存在として記述されている。
歴代天皇の祭祀に対する基本姿勢は第八十四代・順徳天皇の『禁秘抄』にある
「凡そ禁中の作法、神事を先にし、他事を後にす」との言葉に尽きている。宮中では神事しなわち祭祀を優先し、
その他のことは後回しということだ。今上陛下は皇后陛下とともに、『禁秘抄』の言葉そのままに
「祈り」を皇室の中核にしてこられたということであろう。
ところでこの皇室の存在理由そのものといっていい宮中祭祀の大幅な簡略化ないし廃止が
最近になって唱えられるようになっている。発端は皇太子殿下が昨年二月のお誕生日を控えてのご会見で、
雅子妃殿下のご病気の原因が宮中祭祀への違和感にあると示唆されたとして、
明治学院大学教授の原武史氏が、『週刊朝日』(07年3月9日号)で発言したことにあった。
原氏は、神武天皇は本当に実在したと考えられるか、天照大神の存在を理屈ぬきで受け入れられるか、
といったことなどを挙げ、こうしたことが合理性を重んじる海外で生活を重ね、
外交という現実の世界を生き抜いてきた妃殿下にとって簡単に受け入れられることではない、
信じることができなければ祈ること自体が苦しくなると述べ、「皇太子妃にとって、この『菊の壁』は
とてつもなく厚く、結婚前は想定もしていなかったものでしょう」
「本当は、そこに皇太子妃が苦しんでいる本質があると知ってほしい」と発言している。
そして、この妃殿下の苦しみを救うべく宮中祭祀の簡略化ないし廃止に向けて皇太子殿下が
「宮中祭祀改革」の構想を密かに温めているのではないかと推測している。
果たしてこの「推測」が文字通りの推測であるのか、
妃殿下を含めた皇太子殿下サイドの代弁をしたものであるのか、今のところ分からない。(中略)
問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや、少なくとも祭祀に違和感を持つ皇后が誕生するという、
皇室の本質に関わる問題が浮上してくるのである。皇室典範には「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、
又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、…皇位継承の順序を変えることができる」(第三条)との
規定がある。祭祀をしないというのは「重大な事故」に当たるだろう。
今はただ皇太子殿下・妃殿下に宮中祭祀に対するご理解を求めるばかりである。

原武史 宮中祭祀廃止論者
宮中祭祀というブラックボックス
雅子妃と宮中祭祀