系図

天皇の系図
天照大御神(あまてらすおおみかみ)は伊邪那美命(いざなみのみこと)と伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の子
天照大御神の子 天忍穂耳命(あめのおしほみみ)と萬幡豊秋津師比売尊(よろずはたとよあきつひめ)の子が
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
 ○瓊瓊杵尊は神々の住む天つ国から国の基礎を築くために、
 初めて地上に降り立った神(と言われている)→天孫降臨
瓊瓊杵尊と木花佐久夜毘売(このはなさくやひめ)の子が火遠理命(ほをり=山幸彦のこと)
火遠理命と豊玉毘売(とよたまひめ)の子が鵜茸草茸不合尊(うがやふきあえず)
鵜茸草茸不合尊と玉依毘売(たまよりひめ)の子が神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれびこ)
→のちの神武(じんむ)天皇[1] 在位:前660/1/1~前585/3/11
 ○神倭伊波礼毘古命は天下を平定し、紀元前660年2月11日(※諸説ある)に大和橿原の宮で即位

古事記によると紀元前660年に、大和の橿原神宮に1羽のコウノトリが飛来し、
運んできた男の子がやがて成長し大王に即位し、初代神武天皇となった。
これが日本のはじまり、天皇制のはじまり
神武天皇と比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすずひめ…
遡ると事代主神→大国主神→須佐之男命→伊邪那美命-伊邪那岐命へつながる)の子が
綏靖(すいぜい)天皇[2] 在位:前581/1/8~前549/5/10
綏靖天皇と五十鈴依媛命(いすずよりひめ)の子が安寧(あんねい)天皇[3] 在位: 前549/7/3~前511/12/6
安寧天皇と渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめ)の子が懿徳(いとく)天皇[4] 在位:前510/2/4~前477/9/8
懿徳天皇と天豊津媛命(あまとよつひめ)の子が孝昭(こうしょう)天皇[5] 在位: 前475/1/9~前393/8/5
孝昭天皇と余曾多本毘売命(よそたほひめ)の子が孝安(こうあん)天皇[6] 在位:前392/1/27~前291/1/9
孝安天皇と忍鹿比売命(おしかひめ)の子が孝霊(こうれい)天皇[7] 在位:前290/1/12~前215/2/8
孝霊天皇と細比売命(ほそひめ)の子が孝元(こうげん)天皇[8] 在位:前214/1/14~前158/9/2
孝元天皇と内色許売命(うちしこめ)の子が開化(かいか)天皇[9] 在位:前158/11/12~前98/4/9
開化天皇と伊迦賀色許売命(いがかしこめ)の子が崇神(すじん)天皇[10] 在位: 前97/1/13~前30/12/15
 ○崇神天皇以降は実在が確認されているという

崇神天皇と御間城姫(みまきひめ)の子が垂仁(すいにん)天皇[11] 在位: 前29/1/2~70/7/14
垂仁天皇と氷羽洲比売命(ひばすひめ)の子が景行(けいこう)天皇[12] 在位: 71/7/11~130/11/7
景行天皇と八坂之入日売命(やさかいりひめ)の子が成務(せいむ)天皇[13] 在位: 131/1/5~190/6/11
 ○景行天皇と稲日稚郎姫(いなひのおおいらつめ)の子が日本武尊(やまとたける)日本武尊は景行43年30歳で没

日本武尊と布多遅能伊理毘売命(ふたじのいりひめ)の子が仲哀(ちゅうあい)天皇[14] 在位: 192/1/11~200/2/6
仲哀天皇と神功(じんぐう)皇后の子が応神(おうじん)天皇[15] 在位:270/1/1~310/2/15
応神天皇と仲姫之命(なかつひめ)の子が仁徳(にんとく)天皇[16] 在位:313/1/3~399/1/16
仁徳天皇と葛城磐之媛(かずらきのいわのひめ)の子が履中(りちゅう)天皇[17] 在位: 400/2/1~405/3/15
同じく仁徳天皇と葛城磐之媛の子【履中天皇の弟】が反正(はんぜい)天皇[18] 在位:406/1/2~410/1/23
さらに仁徳天皇と葛城磐之媛の子【履中天皇の弟】が允恭(いんぎょう)天皇[19] 在位:412/12~453/1/14
允恭天皇と忍坂大中姫命(おしさかのおおなかつひめ)の子が安康(あんこう)天皇[20] 在位:453/12/14~456/8/9
同じく允恭天皇と忍坂大中姫命の子【安康天皇の弟】が雄略(ゆうりゃく)天皇[21] 在位:456/11/13~479/8/7
雄略天皇と韓媛(からひめ)の子が清寧(せいねい)天皇[22] 在位:480/1/15~484/1/16
 ○第三皇子だが、生来白髪であったことから、父の雄略は霊異を感じて皇太子としたという

第17代履中天皇の孫が顕宗(けんぞう)天皇[23] 在位:485/1/1~487/4/25
さらに履中天皇の孫【顕宗天皇の兄】が仁賢(にんけん)天皇[24] 在位: 488/1/5~498/8/8
仁賢天皇と春日大娘皇女(かすがのおおいらつめのひめ・雄略天皇の子)の子が
武烈(ぶれつ)天皇[25] 在位:498/12~506/12/8
ここで直系(武烈天皇の直系という意)の皇位継承者がいなくなり
第15代応神天皇の玄孫の子(家でいえば6代目子孫)継体(けいたい)天皇[26] 在位: 507/2/4~531/2/7 
が即位し男系男子は守られた

 ○現在、旧宮家の復活等が言われているが、要はこのような継承の仕方をするということである
  応神天皇は270年即位。継体天皇は507年即位。230年余を経ている

継体天皇と目子郎女橘皇女(めのこひめ)の子が安閑(あんかん)天皇[27] 在位:531/2/7~535/12/7
継体天皇と目子郎女橘皇女の子【安閑天皇の弟】が宣花(せんか)天皇[28] 在位:535/12/17~539/2/10
継体天皇と毛白髪之郎女(たしらかのひめ)の子が欽明(きんめい)天皇[29] 在位: 539/12/5~571/4/15
欽明天皇と石媛命(いしひめ)の子が敏達(びだつ)天皇[30] 在位:572/4/3~585/8/15
欽明天皇と蘇我小姉君(そがのおあねのきみ)の子が用明(ようめい)天皇[31] 在位:585/9/5~587/4/9
 ○用明天皇と皇后穴穂辺間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の子が聖徳太子

欽明天皇と蘇我堅塩媛(そがのきたしひめ…小姉君とは姉妹関係))の子が
崇峻(すしゅん)天皇[32] 在位: 587/8/2~592/11/3
欽明天皇と蘇我小姉君の子【用明天皇の妹】が推古(すいこ)天皇[33・女帝]  在位: 592/12/8~628/3/7
 ○推古天皇は竹田皇子への中継ぎとして即位(竹田皇子は間もなく死去)

敏達天皇の子の押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ)と糠手姫皇女(ぬかでひめのみこ)の子が
舒明(じょめい)天皇[34] 在位:629/1/4~641/10/9
舒明天皇の皇后であり、押坂彦人大兄皇子の子 茅淳王(ちぬのみこ)と吉備姫王(きびひめのおおきみ)の子が
皇極(こうぎょく)天皇[35・女帝] 在位:642/1/15~645/6/14
 ○舒明天皇の後、継嗣となる皇子が定まらなかったので、即位
 ○皇極天皇4年(645年)大化の改新
皇極天皇の弟が孝徳(こうとく)天皇[36] 在位:645/6/14~654/10/10

皇極天皇は孝徳天皇の死後、斉明(さいめい)天皇[37・女帝] 在位:655/1/3~661/7/24 として再び皇位に就く
 ○一度退位した皇帝が再び皇帝の座につくことを重祚(ちょうそ)という
  皇極天皇の場合は子の中大兄皇子の政治的思惑による時間稼ぎ。

舒明天皇と皇后(=皇極、斉明天皇)の子が天智(てんじ)天皇[38] 在位:668/1/3~671/12/3
(=中大兄皇子なかのおおえのおおじ)
天智天皇と伊賀采女(いがのうねめ)の子が弘文(こうぶん)天皇[39] 在位:671/12/5~672/7/23
舒明天皇と斉明天皇の子【天智天皇の弟】が天武(てんむ)天皇[40] 在位:673/2/27~686/9/9
 ○壬申の乱にて天智天皇の息子である弘文天皇を滅ぼして即位

天智天皇と蘇我遠智娘(そがのおちのいらつめ)の子が持統(じとう)天皇[41・女帝] 在位:690/1/1~697/8/1
持統天皇は天武天皇の皇后
天武天皇と持統天皇の子草壁皇子(くさかべのみこ…皇位につくことなく死去)の子が
文武(もんむ)天皇[42] 在位: 697/8/1~707/6/15
文武天皇の母であり、草壁皇子の皇后が元明(げんめい)天皇[43・女帝] 在位:707/7/17~715/9/2
草壁皇子と元明天皇の子【文武天皇の妹】が元正(げんしょう)天皇[44・女帝] 在位: 715/9/2~724/2/4
文武天皇と藤原宮子(藤原不比等の娘)の子が聖武(しょうむ)天皇[45] 在位:724/2/4~749/7/2
聖武天皇と光明(こうみょう)皇后(藤原不比等の娘…藤原宮子の異母妹)の子が
孝謙(こうけん)天皇[46・女帝] 在位: 749/7/2~758/8/1
天武天皇の子である舎人親王(とねりしんのう)の子が淳仁(じゅんにん)天皇[47] 在位:758/8/1~764/10/9
淳仁天皇追放後、孝謙天皇(当時上皇)が重祚(ちょうそ)し称徳(しょうとく)天皇[48・女帝] 在位:764/10/9~770/8/4

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宇佐八幡宮神託事件
法相宗の僧の道鏡。孝謙上皇の病を治したことからその信頼を得て出世。
孝謙天皇(=称徳天皇)の寵愛を受けていたという説もある。
769年、「道鏡が皇位に就くべし」との宇佐八幡の託宣を受けた。(と言い張る)
事の真偽を確かめるべく、和気清麻呂(わけのきよまろ)が勅使として再度宇佐八幡の神託を受けてこれを阻止したが、
清麻呂は称徳天皇の怒りを買って大隅国へ配流された。
その後、道鏡は故郷である河内国に由義宮を造営して、自らの政権の強化を志す。
翌年、称徳天皇はで死去
称徳天皇は生涯独身で子がなく、兄弟もなく、父聖武天皇にも兄弟がなく、
他に適当な天武天皇の子孫たる親王、王が無かったため、
天智天皇系の白壁王(光仁天皇)が即位。道鏡は失脚して下野国に配流された
なお、皇位を天皇家から守った和気清麻呂が道鏡失脚後、名誉回復されて京に戻されたのは770年9月6日
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皇位継承権のない人間が皇位を奪うことを簒奪という
皇位継承権のない敬宮愛子に皇位につかせようとする動き(秋篠宮文仁親王から皇位を簒奪)や言論が2004年頃から生じ、
2006年には国会で審議されるにまで至ったが、
2006年9月6日、正統な継承者(悠仁親王)が誕生し、皇室典範改正は見送られた。

天智天皇の子である施基王の子が光仁(こうにん)天皇[49] 在位: 770/10/1~781/4/3
光仁天皇と高野新笠(たかののにいがさ)の子が桓武(かんむ)天皇[50] 在位:781/4/3~806/3/17
 ○高野新笠父の和乙継は百済系の渡来人(半島系ということ)但し先祖が渡来してから200年以上は経過している。
桓武天皇と皇后藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)の子が平城(へいぜい)天皇[51] 在位: 806/3/17~809/4/1
さらに桓武天皇と皇后藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)の子【平城天皇の弟】が
嵯峨(さが)天皇[52] 在位: 809/4/1~823/4/16
桓武天皇と藤原旅子の子が淳和(じゅんな)天皇[53] 在位: 823/4/16~833/2/28
嵯峨天皇と皇后橘嘉智子の子が仁明(にんみょう)天皇[54] 在位: 833/2/28~850/3/21
仁明天皇と藤原順子(のぶこ)の子が文徳(もんとく)天皇[55] 在位:850/3/21~858/8/27
文徳天皇と藤原明子の子が清和(せいわ)天皇[56] 在位:858/8/27~876/11/29
 ○清和天皇の子孫の多くが臣籍降下して清和源氏となる

清和天皇と藤原高子の子が陽成(ようぜい)天皇[57] キ 在位:876/11/29~884/2/4
54代仁明天皇と藤原澤子の子が光孝(こうこう)天皇[58] 在位: 884/2/4~887/8/26
光孝天皇と班子女王(はんしじょうおう…桓武天皇の孫)の子が宇多(うだ)天皇[59] 在位:887/8/26~897/7/3
宇多天皇と藤原胤子の子が醍醐(だいご)天皇[60] 在位: 897/7/3~930/9/22
 ○藤原時平・菅原道真が左右大臣

醍醐天皇と藤原穏子の子が朱雀(すざく)天皇[61] 在位: 930/9/22~846/4/20
 ○平将門、藤原純友の乱(935、936年)起きる

同じく醍醐天皇と藤原穏子の子【朱雀天皇の弟】が村上(むらかみ)天皇[62] 在位:946/4/20~967/5/25
村上天皇と藤原安子の子が冷泉(れいぜい)天皇[63] キ 在位:967/5/25~969/8/13
村上天皇と藤原安子の子【冷泉天皇の弟】が円融(えんゆう)天皇[64] 在位: 969/8/13~984/8/27
冷泉天皇と藤原懐子の子が花山(かざん)天皇[65] キ?在位:984/8/27~986/6/23
円融天皇と藤原詮子の子が一条(いちじょう)天皇[66] 在位:986/6/23~1011/6/13
 ○一条帝の時代は藤原道長によって藤原氏の権勢が最盛に達した。
  皇后定子には清少納言、中宮彰子には紫式部・和泉式部らが仕えた。

冷泉天皇と藤原超子の子が三条(さんじょう)天皇[67] 在位: 1011/6/13~1016/1/29
一条天皇と藤原彰子(藤原道長の娘・中宮彰子)の子が後一条天皇[68] 在位: 1016/1/29~1036/4/17
同じく一条天皇と藤原彰子の子【後一条天皇の弟】が後朱雀天皇[69] 在位:1036/4/17~1045/1/16
後朱雀天皇と藤原嬉子(藤原道長の娘)の子が後冷泉天皇[70] 在位:1045/1/16~1068/4/19
後朱雀天皇と皇后禎子内親王(ていしないしんのう…67代三条天皇の皇女)の子が
後三条天皇[71] 在位: 1068/4/19~1072/12/8
 ○宇多天皇以来170年ぶりの藤原氏を外戚としない天皇(ただし、禎子内親王は藤原道長の外孫)

後三条天皇と藤原茂子の子が白河(しらかわ)天皇[72] 在位: 1072/12/8~1086/11/26
白河天皇と源賢子の子が堀河(ほりかわ)天皇[73] 在位:1086/11/26~1107/7/19
堀河天皇と藤原苡子の子が鳥羽(とば)天皇[74] 在位: 1107/7/19~1123/1/28
鳥羽天皇と藤原璋子(待賢門院)の子が崇徳(すとく)天皇[75] 在位: 1123/1/28~1141/12/7
 ○崇徳天皇は白河天皇と待賢門院との間の子という説もある 
 ○皇位をめぐって保元の乱(1156)を起こす。その後隠岐国に流される。

鳥羽天皇と藤原得子の子が近衛(このえ)天皇[76] 在位:1141/12/7~1155/7/23
 ○2才で即位。鳥羽法皇が院政を敷いた。

鳥羽天皇と藤原璋子の子【崇徳天皇の弟】が後白河天皇[77] 在位: 1155/7/24~1158/8/11
 ○二条天皇、六条天皇、高倉天皇、安徳天皇、後鳥羽天皇の5代に渡って院政を続けた。

後白河天皇と藤原懿子の子が二条(にじょう)天皇[78] 在位: 1158/8/11~1165/6/25
二条天皇と藤原育子の子が六条(ろくじょう)天皇[79] 在位:1165/6/25~1168/2/19
後白河天皇と平滋子の子が高倉(たかくら)天皇[80] 在位:1168/2/19~1180/2/21
高倉天皇と平徳子(平清盛の娘・建礼門院)の子が安徳(あんとく)天皇[81] 在位: 1180/2/21~1183/8/20
 ○1185年、壇ノ浦で平家軍は敗北。安徳天皇は平時子に抱かれて入水。8歳で崩御。
  この際、三種の神器のうち、神璽と宝剣が海底へ沈んだ。
  のちに神璽は引き上げられたが、宝剣は失われたとされている。

高倉天皇と藤原殖子の子が後鳥羽天皇[82] 在位:1183/8/20~1198/1/11
後鳥羽天皇と源在子の子が土御門(つちみかど)天皇[83] 在位:1198/1/11~1210/11/25
 ○一説には日蓮は、土御門天皇の皇胤であると言われている

後鳥羽天皇と藤原重子の子が順徳(じゅんとく)天皇[84] 在位:1210/11/25~1221/4/20
 ○承久の乱(1221)を起こし佐渡へ流される

順徳天皇と九条立子の子が仲恭(ちゅうきょう)天皇[85] 在位: 1221/4/20~1221/7/9
高倉天皇と藤原殖子の子 守貞(もりさだ)親王の子【高倉天皇の孫】が後堀河天皇[86] 在位: 1221/7/9~1232/10/4
後堀河天皇と九条墫子の子が四条(しじょう)天皇[87] 在位: 1232/10/4~1242/1/9
土御門天皇と源通子の子が後嵯峨天皇[88] 在位:1242/1/20~1246/1/29
後嵯峨天皇と西園寺姞子の子が後深草天皇[89] 在位: 1246/1/29~1259/11/26
後嵯峨天皇と西園寺姞子【後深草天皇の弟】が亀山(かめやま)天皇[90] 在位:1259/11/26~1274/1/26
 ○院政中、元寇(1274,1281)が起こる

亀山天皇と洞院佶子の子が後宇多天皇[91] 在位: 1274/1/26~1287/10/21
後深草天皇と洞院愔子(佶子の妹)の子が伏見(ふしみ)天皇[92] 在位: 1287/10/21~1298/7/22
伏見天皇と五辻経子の子が後伏見天皇[93] 在位: 1298/7/22~1301/1/21
後宇多天皇と堀川基子の子が後二条天皇[94] 在位: 1301/1/21~1308/8/25
伏見天皇と洞院季子の子が花園(はなぞの)天皇[95] 在位: 1308/8/26~1318/2/26
後宇多天皇と五辻忠子の子が後醍醐天皇[96] 在位: 1318/2/26~1339/8/15

 ○鎌倉幕府倒幕を企てるも隠岐へ流罪。帰京後、光厳天皇の皇位を否定し建武の新政(天皇の独裁)を開始。
  自己の子孫による皇統の独占を企図。
  足利尊氏が室町幕府を開いた後、吉野の山中にて南朝を開き、
  京都の朝廷(北朝)と吉野の朝廷(南朝)が並立する南北朝時代が始まる。
  それまでは一貫して現皇統につながる北朝が正統とされていたが、明治44年(1911年)に南朝が正統とされた。

後醍醐天皇と阿野廉子の子が後村上天皇[97] [南朝2]在位:1339/8/15~1368/3/11
後村上天皇と藤原勝子の子が長慶(ちょうけい)天皇[98] [南朝3]在位:1368/3/11~1383/10/27
同じく後村上天皇と藤原勝子の子【長慶天皇の弟】が
後亀山天皇[99] [南朝4]在位:1383/10/27~1392/10/5 南朝最後の天皇
後伏見天皇と西園寺寧子の子が光厳(こうごん)天皇[北朝1] 在位: 1331/9/20~1333/5/25
同じく後伏見天皇と西園寺寧子の子【光厳天皇の弟が】光明(こうみょう)天皇[北朝2] 在位: 1336/8/15~1348/10/27
光厳天皇と三条秀子の子が崇光(すこう)天皇[北朝3] 在位:1348/10/27~1351/11/7
同じく光厳天皇と三条秀子の子【崇光天皇の弟】が後光厳天皇[北朝4] 在位: 1352/8/17~1371/3/23
後光厳天皇と紀仲子の子が後円融天皇[北朝5] 在位:1371/3/23~1382/4/11

 ○南北朝時代は1336年~1392年まで

後円融天皇と三条厳子の子が後小松天皇[100] 在位: 1382/4/11~1412/8/29
 ○一休さんの父親と言われている

後小松天皇と日野資子の子が称光(しょうこう)天皇[101] 在位:1412/8/29~1428/7/20
 ○称光天皇は病弱で28歳没。男子をもうけなかったため、伏見宮家より後花園天皇を猶子に迎え後継者とした。

北朝3代目の崇光天皇の曾孫が後花園天皇[102] 在位:1428/7/28~1464/7/19
 ○現在は旧宮家である久邇家、東久邇家、朝香家も崇光天皇の流れをくむ

後花園天皇と藤原信子の子が後土御門天皇[103] 在位: 1464/7/19~1500/9/28
 ○応仁の乱おきる(1467-1477)

後土御門天皇と庭田朝子の子が後柏原(ごかしわばら)天皇[104] 在位: 1500/10/25~1526/4/7
後柏原天皇と勧修寺藤子の子が後奈良(ごなら)天皇[105] 在位: 1526/4/29~1557/9/5
後奈良天皇と万里小路栄子の子が正親町(おおぎまち)天皇[106] 在位: 1557/10/27~1586/11/7
正親町天皇の子 誠仁親王の子が後陽成天皇[107] 在位: 1586/11/7~1611/3/27
 ○豊臣、徳川の時代  徳川政権になってからは朝廷権威の抑制をはかる幕府は干渉を強めた

後陽成天皇と近衛前子(豊臣秀吉の養女)の子が後水尾天皇(ごみずのお)天皇[108] 在位:1611/3/27~1629/11/8
後水尾天皇と徳川和子(東福門院和子…徳川秀忠の娘)の子が
明正(めいしょう)天皇[109・女帝] 在位:1629/11/8~1643/10/3
後水尾天皇と園光子の子が後光明(ごごうみょう)天皇[110] 在位: 1643/10/3~1654/9/20
後水尾天皇と櫛笥隆子の子が後西(ごさい)天皇[111] 在位: 1654/11/28~1663/1/26
後水尾天皇と園国子の子が霊元(れいげん)天皇[112] 在位: 1663/1/26~1687/3/21
霊元天皇と二条房子の子が東山(ひがしやま)天皇[113] 在位:1687/3/21~1709/6/21
東山天皇と櫛笥賀子の子が中御門(なかみかど)天皇[114] 在位:1709/6/21~1735/3/21
中御門天皇と近衛尚子の子が桜町(さくらまち)天皇[115] 在位:1735/3/21~1747/5/2
桜町天皇と姉小路定子の子が桃園(ももぞの)天皇[116] 在位:1747/5/2~1762/7/12
桜町天皇と二条舎子の子が後桜町天皇[117・女帝] 在位:1762/7/27~1770/11/24
 ○英仁親王(後桃園天皇)の将来における皇位継承を前提に中継ぎとして擁立

桃園天皇と一条富子の子が後桃園天皇[118] 在位: 1770/11/24~1779/10/29
 ○病弱で22歳で崩御。子が欣子内親王のみであったので、急遽、閑院宮家より養子を迎え、光格天皇として即位させた。
  欣子内親王はのちに光格天皇と縁組。

第113代東山天皇の曾孫(東山天皇-直仁親王-典仁親王-)(閑院宮家)が
光格(こうかく)天皇[119] 在位:1779/11/25~1817/3/22
 ○中世以来絶えていた朝廷の儀式の復興に熱心であった。
  朝廷の権威の復権に努め、朝廷が近代天皇制へ移行する下地をつくった。

光格天皇と勧修寺婧子の子が仁孝(にんこう)天皇[120] 在位:1817/3/22~1846/1/26
仁孝天皇と正親町雅子の子が孝明(こうめい)天皇[121] 在位: 1846/2/13~1866/12/25
 ○学習院を創立
 ○保守的な人物だったため倒幕派に暗殺されたという説もある
 ○平安京最後の天皇

孝明天皇と中山慶子の子が明治天皇[122] 在位: 1867/1/9~1912/7/30
 ○明治天皇の代から、一人の天皇在位中に元号を変えず、またその元号を追号とする一世一元の制を採用
 ○明治天皇は長州藩によってすりかえられた南朝の皇胤だという説もある
 (即位前と即位後の容貌、性格には大きな違いがあったという)

明治天皇と柳原愛子(なるこ)の子が大正天皇[123] 在位:1912/7/30~1926/12/25
大正天皇と九条節子の子が昭和天皇[124] 在位: 1926/12/25~1989/1/7
 ○人間宣言(1946)で、天皇の神格を否定した
昭和天皇と久邇宮良子(ながこ)の子が今上天皇[125](平成)1989/1/7~2019/4/30

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今上天皇と正田美智子の子が徳仁親王(皇位継承順位第1位)と
秋篠宮文仁親王(皇位継承順位第2位)
文仁親王と川嶋紀子の子が悠仁親王(皇位継承順位第3位)

敬称略
母の氏は親の氏。